第7幕 ―― 雪豹
眼前=漆黒のテウルギア/遥か遠方=狙撃手――二つの敵/画面越しに睥睨するフェオドラ。
先程まで繋がっていた通信=現在は沈黙/実の父親から放たれた冷酷な言葉……首だけでなく肺までをも絞めつけるような圧迫感+恐怖……ようやく逃れた開放感+虚脱感――しかし状況は改善されていない/むしろ悪化。
こちらに向かっているという、未だ見えないFoJの部隊=やっとの思いで手に入れた自分の企業・居場所・施設……何もかもを破壊されかねない恐怖=足元にある雪よりも冷酷な震撼を煽る。
既に消耗しきった〈フィローソフ〉=姿勢制御すら覚束ない――想定されていた限りある稼働時間を既に超過=駆動系が摩耗を始める頃合い/重心の平衡化システムが破損……ソロヴィヨフがカメラ情報から辛うじて立った状態を維持……ふらふらと今にも倒れそうな揺れを反復/各部から様々な部品だった欠片がボロボロとこぼれ落ちる。
眼前でこちらを伺っているのか、何か思考を張り巡らせているのか、立ち尽くしたままの漆黒。
フェオドラの砲撃が命中したのか・していないのか……だが降り止んだ紫電の数々。
……あと数分も戦闘を続けられない状態/これ以上は、時間経過でさえ命取りとなりかねない=敵×二に勝機を悟られる前に……一か八かの賭けを即断。
「海豚よ。ハッチを開けろ」
『主を守りきれる約束ができぬ。それでも良いのであるか?』=ソロヴィヨフの、重苦しい声に乗らない心配・不安……何より、自分の機体を動かしてくれる主を失うことへの忌避/危機。
「構わん。ケリさえつけれいい。それまでは立たせていろ」=果敢な返答/シートベルト・ヘッドギアを外すフェオドラ。
眼の前=幾重ものロックが解除/眼前にあった画面が暗転――次の瞬間には0℃に等しい外気がコクピット内を暴れ回る。
一瞬に凍りつきそうになる肌/身震いすら自分に許さない/足を踏み出す――開かれたコクピットハッチ=機体の腰部から、姿を晒すフェオドラ。
大気を突き抜けた紫電/雪原の一部が爆ぜる――もし人間に当たれば肉片一つ残らず灰燼と化すだろう、狙撃手の一撃。
「やはり、まだ生きているか……」=白い吐息/狙撃手がいるだろう方角=隣の山、上部へ視線を這わせる/だがそれらしい姿は見つけられず……雪の白・岩壁の黒に紛れる雪原迷彩だろうことまでは予測=しかし実態が掴めなければ意味なし。
標高にして5,000M=平地の半分以下にまで薄められた空気/呼吸の度に冷気と相俟って痛みすら訴えだす肺+気管/凍てつく肌=一際うずく左頬の火傷痕+右頬の切傷痕/それだけでなく全身に刻まれたありとあらゆる傷=もはや身体全体が余すところなく痛むに等しい……眉をしかめさせる/しかしそれを悟られないよう黙殺――前を見つめる/見上げる。
漆黒のテウルギア=身構えていたはずの機体が、じっとこちらを見つめる/見えない場所から、狙撃手もそうしているなど明白。
顔を晒す……敵へ向けて=限りない自殺行為/それも傷だらけの顔+褪せた肌色+銀髪――あまりにも特徴的すぎて一見の記憶が忘れられないだろう姿を。
「貴様らに大義はあるか!」――喚声=音を吸収する雪をかき分け広がるよう、肺腑を振り絞り吐き出された、精一杯の大声。
瞬く閃光/再び穴を開ける雪原/巻き起こった爆風がフェオドラの全身を叩きつける=開かれたハッチの縁へ掴まっていなければすぐにでも吹き飛ばされかねない/改めて手に力を籠める……分厚いコートと何層も着込んだ服に隠された、華奢な手に。
「今ここへ、我が同胞共が向かっている。貴様らを殺すためだ」
いつ狙撃手に打ち貫かれるかわからない/いつ漆黒のテウルギアが動き出すかわからない――そうなってしまった次の瞬間に、今度こそフェオドラの矮小な身体など、テウルギアほどの大きな図体に踏み潰されて終わりかねない状況。
「だが同胞共が来ることなど、私は望んではいない……貴様らに殺されることよりもだ」
眼の前――漆黒のテウルギア=完全な沈黙/かと思えば全身に黄金の光を表す。
いつ、先程の光刃が振り下ろされるかわからない……それでも、言葉を紡ぐ/すでにフェオドラの選択肢は、続ける以外に残されていない/途中で切り上げてしまえば、大きな隙きと化す=敵の攻撃を誘うものへ変貌する。
「同胞が来た後、私を糧に、貴様らを餌に、宣戦が敷かれるのは明らかだ!」=真っ赤な嘘/だが一聴限りでなら騙し切れる確信の伴った宣誓。
すでに複数の陣営が介入した戦闘=アルセナル/技仙――SSCNの内情を読み取っているはずもない/互いが何を考えているかなど、把握できるはずがない。
それぞれがそれぞれの欲望を押し広げる……相手が何を考えているかなど、わからないままに/今のフェオドラのように。
「重ねて告げる、貴様らに、貴様らの戦いに大義はあるか!!」――声に意志を乗せて撃ち放つ/自分にだけは確固・厳然・忸怩としてあると告げるように=自分の居場所を守らなければならない、と。
言葉こそが、今のフェオドラの戦いだった――一挙手一投足・一言一句を間違えれば命取り=遥か高所に設えられた極限に細い橋を渡る。
「あるならば理解できるはずだ。貴様らの戦いでさえ、これ以上の混乱を望まぬ思惑があるだろう」
あまりに激化した戦闘/失われすぎた人員/長引きすぎた状況……その全てを、これ以上長引かせれば、誰にとっても良い条件を作り出すことなどないと言い放つ。
「なければ私に従え! ――見逃してやる、早々に立ち退け」
……最初に動き出した敵=漆黒のテウルギア――全身に滾る黄金の光=波が引くように光度を落とす/手に持っていた光刃=背部に格納。
何も語らないまま――相対していたはずの〈フィローソフ〉から顔を背ける/踵を返す/背を向ける……スラスターの噴出と共に、雪を蹴散らして去っていく=東方……技仙公司領がある方角へ。
迸る紫電の疾走=視界を真っ白に染め上げる/轟く爆発音=すぐ近く……〈フィローソフ〉の肩を貫いた、狙撃手の一撃=奇しくも、最初に狙撃手が掠めた場所/装甲だけが剥ぎ取られた肩部。
吹き荒ぶ爆轟/押し寄せる熱波/飛び交う鉄片の数々=纏っていたコートを引き裂いて雪中へ消失/皮膚を焼け焦がすような灼熱――崩落した腕部=雪中に鈍重な唸りを響かせて陥没。
だが、前を向いたままの視線を断じて弛ませず/研ぎ澄ました表情を決して綻ばせず/研ぎ澄ませた眼光を凛として緩ませず……頑として揺らがない決意を称えた直立不動を貫く。
遥か遠くにいる狙撃手へ声が届いているかもわからず/寒気・恐怖・恐慌に震えだす足を断じて退かせず、そこに立ち続ける。
……前方の峰に、一つの動きを見つける――小さく立ち上った白煙/蠢く白と黒の姿=ともすれば人の姿に見えなくもない物体――それが狙撃手だと即断。
遠方故に音は聞こえず=斜面を下り/裏側へ向かい……稜線の向こう側へ消失。
眼前にいた漆黒/遥か遠くにいた狙撃手=そのどちらもが、視界から消えた――訪れた沈黙/本来の静寂/山間を通り抜ける風のうねりが耳を撫でる/ギシギシ軋む〈フィローソフ〉の悲鳴。
『吾が舌を視よ。尚在り也否や』――背後=コクピットから語りかけるソロヴィヨフ/極めて珍しく賛辞・感想を送る『ソロヴィヨフは弁の立つ主を持った。感服である』
立ち尽くしたままのフェオドラ=一切の返答なし/閉口したまま/前と遠くとを交互に見続ける=既に誰もいないはずの場所を。
『主よ?』
いつもならば罵倒に似た返答が飛んでくることを期待していたソロヴィヨフ……耐えかねて声をかけた。
直後――虚脱に揺らめいたフェオドラ=コクピット開口部から、ふらりと消える……雪原へ、頭から落下する。
最終更新:2018年08月29日 11:41