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第7幕 ―― 老虎


 二度に渡り周囲を吹き飛ばした砲撃――超が付く巨大構造物であるテウルギアが軽々と吹き飛ばされた/転がり回った=各所に取り付いていた予備弾倉=消失/全身を取り囲む装甲=剥離/構造物を支え人型を保つためのフレーム=歪曲。

 それでも立ち上がる〈モルニーイェトヴォート〉=平衡感覚(オートバランサー)の警笛と共に巨大スコップを杖代わりに屹立/その手に握りしめた〈スヴィルカーニェ〉だけは守り抜いた――頑ななまでに絶えぬ闘志と共に。

「どうだ車長。この戦車はまだ撃てるか(・・・・・・・・・・・)?」――一発を鈍色へ見舞った喜びを残したモールニヤの不遜な笑み。

『さっきより最悪だよ。もうガタガタだ』=絶望に沈みきった暗いシチーリ――戦車ではなくテウルギアであることの是正を行う余裕すらなし『爺さん、もう潮時だ。これ以上撃ったらどこが折れるかわからない』

「ふざけんな!」=瞬間湯沸かし器の如く烈火に燃える怒声「臆病風吹かせんじゃねぇぞ坊主!! まだ弾が四発も残ってるんだ。今度こそ野郎の土手っ腹に風穴を開かせてやる!」

『今! ここで――!』叫び返したシチーリ/大音量がコクピット内に反響=あまりの大きさにモールニヤでさえ目を剥いた/顔を上げた=ずっと見続けてきた、鈍色のテウルギアから目を反らした。

 かと思えば途端にしおらしくしなびれる――一瞬の叫びで全身全霊を失ったかのように。

『――ここであいつを倒したって、俺たちが帰れなきゃ、何の意味もなくなる。
 他の、部隊の皆が……隊長さんだって言ってたじゃんか。帰るって。美味い飯を食うんだって。俺は、その……わからないけどさ』

「……」=黙するモールニヤ/再び画面を注視――よろめく鈍色を伺う。

 続けるシチーリ――滔々と紡がれる言葉/モールニヤが聞いていると信じて/その激情こそ信頼の証だから/感情だけに囚われないように……懇願する。

『臆病とかじゃない。ここまで来たんだ。俺だって勝って帰りたい。でも帰るのが前提なんだ(・・・・・・・・・・・)。帰れなくなったら、申し訳ないじゃんか』

 寂しげな言葉――普段ならばモールニヤが一喝するだろう、弱々しい言葉。

「……」=だが何も言い返さない/画面を注視したまま――黙って聞き入れるモールニヤ。

『なあ、爺さん』

「的を見ろ」短い叱咤=語りかけることに集中させていたシチーリへ、再び同じ視界を共有=カメラ越し/開かれた数百メートルの距離……部隊の皆を踏み躙った、鈍色のテウルギア。

 腰部=開かれたハッチ――中から現れる女性=風に巻き上げられた長い銀髪/はためく長いコート/顔面に刻み込まれた縫合痕+火傷痕/褐色の肌――どこまでも鋭い猛禽じみた眼光。

『なッ……』思わず声を上げる――信じがたい光景に愕然/テウルゴスを守るべき堅牢なテウルギアの装甲+機動力を、外に出ることで自ら捨てた/テウルギアの操縦を全て捨てた=自殺行為そのものを行う女性へ瞠目『なんでテウルギアの外に!?』

 引き絞られたトリガー=一瞬の逡巡・間髪なく放たれた砲弾/閃光を纏って宙を駆ける紫電。

 着弾――目標から著しく離れた雪原=炸裂する雪――弾薬:残り三発。

 女性=開いた口から真っ白な吐息をこぼす/こちらを睥睨――明らかな警戒/そのくせ開かれたコクピットに立ったまま/それだけでなくあまりにも特徴的すぎる顔――CDグループのアルセナル/所属が読めない漆黒のテウルギア……もはや世界中へ顔を広められることを意味。

「――!」=絶叫の如く大きく開かれた女性の口/撒き散らされる白の吐息――雪に吸収された音=こちらまでは届かず/しかし口唇を読み取る機能が正常に作動=字幕の如く言葉が羅列。

『あなたは道義を持っているか?』

「ほざけ!」=吐き出されたモールニヤの罵倒/砲弾――紫電を纏って雪原へ吸い込まれる/だが前の一発よりは距離を縮めている/再び微調整を重ねる――膝関節の角度/姿勢を更に前傾/構えた電磁加速砲の仰角……まだ命中させることを諦めていないモールニヤの執念――弾薬:残り二発。

 遠方=傷だらけの女性が口を開く/大きくたわむ唇/放たれる口角泡――読唇により並べられる翻訳言語の羅列=もはや読む気さえ示さない。

 わかりやすいほどに戦場へ顕現した標的(・・)=部隊の、他の三人を葬った鈍色のテウルギア/そのテウルゴス――憎むべき敵/葬るべき人間/滅ぼすべき存在へ、一撃必殺の弾丸を必中させんと凝視。

 数センチ・数ミリ単位で繰り返される調整/搭載されている射撃管制ソフトウェアの補正を無視――だが鈍色の胸部を撃ち抜いたモールニヤの砲撃センスを焼きつけたシチーリ=自分には見えない・モールニヤには見えている道筋をなぞれるよう修正。

 その意図を汲み上げるべき行動――だが一つの違和感=モールニヤが見ていない異常=戦車にはない・テウルギアにはある状況――姿勢そのものに起因する、反動の抑制力。

 密かな修正=〈スヴィルカーニェ〉を握りしめる腕・手・指の圧力を少しだけ強く=より強固に保持できるよう矯正。

「今のは坊主か?」姿勢そのものを動かしたわけではないはず=だが即座に気づいたモールニヤの一言/その判断材料がどこからもたらされたものかすら判然としない。

『駄目、だったか?』=モールニヤの神経の鋭さに素っ頓狂な声を放つシチーリ『すぐに戻せるけど……』

「いや、これで行く」静かで平坦な語調=その奥底に朗らかな柔らかさを垣間見せる「良いセンスしてるじゃねぇか坊主。これなら、次で当てられる」

 モールニヤが引き金へ指をかけるよりも早く……最初に動き出した敵=漆黒のテウルギア――全身に滾る黄金の光=波が引くように光度を落とす/手に持っていた光刃(レーザーブレード)=背部に格納。

 何も語らないまま――相対していたはずの鈍色から顔を背ける/踵を返す/背を向ける……スラスターの噴出と共に、雪を蹴散らして去っていく=東方……技仙公司領がある方角へ。

『いいのか。爺さん』

「構やしねぇ」即答=初めから眼中になかったと告白/初めから鈍色のテウルギアしか見ていないと開示――だからこそ逃すわけにはいかない=眉間に籠もった力/深々と刻まれるしわ。

 モールニヤが引き金を絞る/こちらを睥睨する傷だらけの表情――その全てが、画面を埋め尽くす紫電の煌めきに掻き消える=「最後に、派手な爆発だけ拝んでやるよ」

 大気を駆け抜ける紫電/一目散に、鈍色のテウルギアへ――自分たちを睨みつける、銀髪の女性へ。

『……――やった』=真っ白に染め上がる画面/カメラを介さず……確信に歓呼するシチーリ――機体へ掛かる負荷+射撃時の反動=夥しい量の数値を射撃管制ソフトに照合/推測=全てを許容範囲内だと断定――弾道=想定していたルート通りに目標へたどり着いたと。

 白んだ画面/光度調整の加減による暗転/再び最適な光度を取り戻すカメラ=純白の雪山……その奥に広がる紅蓮・黒煙を見つけ――息が止まる。

 命中したはず/撃ち抜いたはず/これ以上ないほど精密に/現状の、フレームがボロボロになった〈モルニーイェトヴォート〉で、出来る限りを。

 だが、転げ落ちた左腕から黒煙を吹き出し/鈍色はまだ屹立している――暴風に晒された銀髪の女性=どこまでも鋭敏に研ぎ澄まされた双眸が、自分たちを射抜く(・・・・・・・・)

『外し、た……?』信じがたい事実を拒むように漏れ出たシチーリの声=感情らしい感情すらこもらず/どこかに理由が潜んでいるはずだとデータを全て一瞥/挙動不審に震える声『だって、あれは命中軌道だったはず……』

「……帰るぞ。坊主」

 唐突に放たれたモールニヤの声=同じく感情を抑えたもの/だが内側から滲み出す怒気を抑えつけながら。

『そんな、爺さん! もうあのテウルギアだってボロボロだ! あと一発を撃てば、次こそ……!』

「あれで当たらねえんだ。ツキが落ちたのさ」

 震えながらも懇願=先ほどと全く真逆のことを喋るシチーリ/すっぱりと諦めたようにテウルギアを立ち上がらせるモールニヤ……再び、画面の向こうにいる女性を睨む/その傷だらけの顔を、目に焼きつける。

『爺さん!』

「あの女の目を見てるか? 全くブレてねえ(・・・・・・・)。もうとっくにあいつは俺たちを見つけているはずだ」

 斜面を恐る恐る降りる雪原迷彩の〈モルニーイェトヴォート〉=瓦礫に足を掬われないよう細心の注意を払う/一歩進んだ拍子に、どこかの装甲板が剥がれて転がる。

「次を撃ってみろ。外して、あのミサイルみたいなのが飛んできて、撃ち返せずに終わりだ。お前は、帰りたいんだろ?

『う……』反論できずに閉口/モールニヤ以上に注意を振りまくシチーリ『そりゃそうさ。だけど』

「諦めな坊主。大事なことだ」

 尚も、覚束ない足取りで斜面を進む〈モルニーイェトヴォート〉――鈍色のテウルギア=銀髪の女性から逃げるように山の裏側へ。

 仲間を殺された悔恨/そのくせ突然に大義を宣う大仰さ/しかしテウルギアというメリットを全て捨ててでもそれを訴える大胆不敵な女性へ、憎しみを織り込んだ一言――飛ばず、当たらないはずなのに。

「次こそ、そのドタマぶち抜いてやる」
最終更新:2018年08月29日 11:48