閉幕 ―― 銀嶺
静かな音が、雪原に落とされた。
雪崩で分厚く積み重なった雪中へ、華奢な身体が沈む。
先程まで繰り広げられていた激戦・激闘・激熱/鳴り響いていたはずのいくつもの轟音・爆音・激音――しかし全てが消え去り、周囲に立ち籠める静謐・沈黙・深閑。
未だ止まぬ興奮に脈打つ鼓動/全身を揺さぶった激憤から覚めた虚脱=フェオドラの身体を震撼させる/纏わりつく雪の冷厳・冷寒・冷酷が、煮え滾っていたフェオドラの身体・渦巻いていた激情を冷却。
思わず伸ばされた手――落下に沈んだ積雪の、表面にすら届かないほど深い場所/遠く聳え・低く押し潰すような重苦しい灰色の空などあまりに遠すぎる。
「ふっ……」=思わず漏れ出た笑声――あまりにも遠すぎる場所を、それとわかっていながら手を伸ばしたバカバカしさ/吐き出された真っ白な吐息=彼女自身を覆い尽くさん雪に紛れて一瞬に消失――その笑声を耳に入れる者も・見届ける者も、いない。
『主よ……』=スピーカーにより響き渡ったV・S・ソロヴィヨフの低声――視界の隅にちらつく鈍色のテウルギア=ふらりと喪失。
「ご苦労だった海豚。しばらく休むといい」
〈フィローソフ〉=駆動・動力・関節・装甲――全てを悉く打ち砕かれたズタボロの機体――立っていることさえ奇跡だった機体が、雪原に倒れ込む/雪山を揺さぶる/雪塵が巻き上がる――その衝撃でさえ、鈍色の巨人が辛うじて保っていた人の形をも破壊――両脚=破断・腕部=圧壊・胴部=破砕。
それでもコクピット部の厳重な内殻に守られたレメゲトン=再度語られる言葉『ソロヴィヨフは感激である。二機ものテウルギアを相手取り、よもや生き延びられるとは、想定の範疇を超えた』
「生き残るなど当然の義務に、今更感動などするな。
お前は私の力だ。私がいる間、勝手に失望するな。
この私が生きる限りで、お前の喪失など許さない」
力なく伸ばされた手=虚空を握りしめる――今は何もない空間=しかしその手に望める全てを諦めない決意と共に。
寒冷・緊張・興奮・動揺・そして恐怖――それら全てに震え続ける自らの四肢・五体を雪の中へ覆い隠すフェオドラ……静かに燃え上がる情熱だけ、胸中に秘めながら。
「ああそうだ。こんなところで敗けている場合ではない」
震える微笑みと共に、フェオドラは身体を起こす――纏わりつく雪の重さを跳ね除け/力いっぱいに立ち上がる=表層へ姿を現す――自らの姿を誇示する……誰も見ていないとわかっている場所であれ、自分が生き残ったことを主張し続ける。
「私はこれから、勝ち抜く。邪魔する者全てを排除する――全てだ。私を阻む者の存在など許さない。私は生き残る」
雪山に残された、ただ一人となったフェオドラ=真っ白な雪景色を見渡す――立ち並ぶいくつもの残骸たち/フェオドラの邪魔をしてきた者たち/その全てを瓦礫へ還元させた、フェオドラの力=〈フィローソフ〉でさえ、酷使に耐えきれずガラクタ同然。
……それでも、この場所にフェオドラ以外は居ない――立ち並ぶ瓦礫の群/重苦しく伸し掛かる灰色の空/全てを飲み込む深雪の白/空気でさえ薄い虚無・空無・虚空――それでも、フェオドラだけが残される・動ける。
死線をくぐり抜けた実感=今更に湧き上がった烈火が、全身に力を呼び戻す。
たかが自分の企業を手に入れただけ――それでさえ降り掛かってきた激闘という障害/それを押し退けただけで、虚脱しきって茫然自失している自分――その華奢な弱さに、馬鹿馬鹿しさに、こみ上げる笑いを止められない。
まだ震え続ける足=一歩を進もうとしただけで雪に足を掬われる/顔面から雪中へ転げてしまう/前に進むことさえ、自分ひとりでは出来ない弱さ=自分自身を馬鹿にして笑う。
再び立ち上がる身体――雪にびっしょり濡れたコートが冷たく重く自分に纏わりつく――だが改めて、空を望む/あまりの馬鹿馬鹿しさに堪えきれない笑みを……見る者が見れば、狂喜とさえ思われかねない笑みを、そこに称えて。
「先が、思いやられるな……」
最終更新:2018年08月29日 11:56