小説 > 在田 > 流転と疑惑のミス・フォーチュン > 01

プロローグ:ジャックナイフ ――1


 今にも口から飛び出そうな心臓の早鐘。全身を引っ掻き回す脈動に、体を裂かれそうな痛みさえ錯覚する。
 荒みきった肺腑を絞め上げ、喉笛を掠れさせる吐息。その度に操縦桿が汗で滑り、慌てて握り直す。籠もった力さえ、自分の細い腕にどれほど残っているのか、どこからそれまでの力を発揮していたのかさえ覚えていない。

 今の彼にとって、眼前に迫りくる一瞬こそが全てだ。

『次で最後だドランブイ』『二時方向にまだ動いている敵影。ランチャーの範囲内ね』
「わあってる!」

 機械的でありながら威圧感を放つ男の声と、緩やかなのに隙を感じさせない女の声――急き立ててくる男女の外野に、何も考えないまま迸ったぶっきらぼうな返事を、自分で知覚できていない。

 姿勢制御……急激な方向転換で生み出された莫大な遠心力と慣性が、ドランブイの体を振り回した。

「んぎっ」

 間抜けな声をぐっと奥歯で噛み締め、操縦桿へしがみつくだけでは敵わない。シートとがんじらがめにする全身のベルトが、強張る筋肉にさえめり込んだ。
 意識喪失(ブラックアウト)阻止のため、スーツに送られた空気が下半身を潰した。こみ上げてきた胃の中身を飲み込む。
 舌に貼りついた酸っぱい味に辟易しながら、画面の向こうへ照準を定める。

 捻られた操縦桿の操作が、OSを介して機械仕掛けの巨大な腕を持ち上げた。レーダーに映る物体と、夜闇を貫く赤外線カメラアイに映る緑色の機影が照合され、火器管制装置(FCS)が標的のシルエットを移し出し、計算された弾道に合わせて微調整が加えられる。

 標的は後退の真っ最中だ。砲をこちらに向けておきながら発射炎が見えないのは、誘導か、単に距離を開くためか。

 引き金を搾ると同時……巨大な腕に構えた一際大きな砲口が、ポンと軽快な音と共に射出――計算された通りの軌道を辿り、標的が纏う装甲に叩きつけられる。

 球状のカプセルに収められていたのは、鉛でも炸薬でもない。
 スライムのような、極端に粘性が高い半凝固の物体。衝撃のままに飛散し、しかし千切れないほどの粘りけが、黄土色の機体の表面にまとわりついて、酸化に伴い凝固する。

 数秒とかからない発射から着弾までの間に、緑色の大半を覆ったスライムが腰と股間と膝の関節に絡まり、転倒させる。

『よく中てた! これで全機だ』
「そりゃ、どうも」

 先程の男女とは別――穏やかさを忘れない暖かな男の歓呼に、ドランブイは皮肉たっぷりに返答する。

 機体をほぼ完全に統御していたのは、操縦士(テウルゴス)たるドランブイというよりも、統制OSであるレメゲトンのはずだ。
 ドランブイはコクピットの中でペダルを踏み、操縦桿を捻って、引き金を絞った……それだけしか動いていない。
 それを、想定以上の理想的な動きとして、十メートル超という巨大な機械の塊にフィードバックさせたのは、紛れもなくレメゲトン:バランタインの働きが大きい……と思ってしまう。

 ようやく切迫した鼓動に一区切りをつけられたと思い、嘆息する。同時にトリモチを放った銃を仕舞わせるのは忘れなかった。
 巨大人形兵器:テウルギア……それが今、ドランブイが単身で乗り込む、機械の塊の正体だ。

『今の照準までの流れはよくできていた。まあ、ディサローノほどまではいかないが』
「うっせ」

 バランタインの言葉に挟まれた名前――ディサローノとは、ドランブイにとって一種、憎々しい象徴ですらある。
 OSそのものであり、プログラムの集積が生み出す疑似人格の一つにまで、他人と比較されてしまう苛立ちを堪えきれなかった。

『休んで良い時間ではない』『反撃に注意を。あと罠にも――』
「わあってる!!」

 外野からかけられる発破を怒声で跳ね除け、ドランブイはレーダーの表示とカメラアイの映像を見渡す。
 標的は三機。いずれも動きを封じ、トリモチでコクピットに閉じ込められたパイロットがいるのだろう。三機それぞれが転倒したまま、どうにか抜け出せまいかと虚しく藻掻き続けている。

 後はトドメを刺すのみ。

『よし。本当に良い仕事ってものは、仕上がりまで手が込んでいる』
「手抜きなんてしねえよ」

 揚々と語るバランタインへ嫌味たっぷりに返しながら、再び機体を走らせた。足首から先に位置する車輪(ホイール)の駆動が地面を切り裂き、絡まり合う二本の軌跡を残して疾走する。

 人型の兵器――テウルギア、あるいは簡略化された兵器であるマゲイアが本来行う歩行という移動方法を、ドランブイの駆る〈ラスティネイル〉は行わない。
 接地面積を極端に減らし、安定性を犠牲に、車輪による加速と、本来より圧倒的に細身かつ身軽な装備によって、極限までの加速度を可能にした機体――そもそも、足裏と呼ばれる部分が存在しないのだ。

 座席へめり込まんばかりの負荷がかかるのを感じながら、しかし標的へ肉薄するべく、更に加速を積み重ねる。
 腰部に括りつけられた次の武器へ持ち直す。それで、この途方もない慣性と衝撃だらけのコクピットから脱せられる――一瞬に浮かれる高揚に、乾いた唇を舐める。

 その瞬間だった。
 足元で勃発した火球――敷かれた地雷の爆炎と爆風が襲い、巨体をよろめかせる。

「……ッ!?」

 咄嗟の跳躍……車輪が地面を抉り抜き、宙空を舞った。

 接地面積が少ない以上、跳躍という行動そのものが甚大なリスクを伴う。その巨体が持つ重量故に、地面にめり込んでしまえば車輪でさえ意味を成さなくなる。
 だからこそ高度を取らず、横へ大きく踏み出るような一歩を取った。

 次の動きを確保することまで考えられた行動は、咄嗟の行動とは思えないほどに習熟しきった証か……『地雷か。誘導に載せられたな』『だから注意してと言ったのに』摩擦で地面を一際深く刻みながらも体勢を整える……その間に叩き込まれる叱咤が、浮かれていた高揚感をへし折る。

「違えよ! こんな時間で見えるか!」

 猛熱を放つ爆炎に、画面が緑を通り越した白に埋め尽くされている。

 光学式のカメラでは月光が見えるか見えないかという夜闇に紛れ、地雷を瞬時に察知できるはずなどない。
 乗用車、あるいは民家よりも大きな敵の機影ならばともかく、人間でさえ、超高速で動く赤外線カメラという〈ラスティネイル〉の現状では捉え難いのは当然とも言えた。

『夜間で一箇所に集まる敵の動きを読めなかったお前が悪い』『馬鹿みたいに真っ直ぐ進むから……』
「うるせえ! 倒せりゃいいんだろ!」

 コクピットに注がれる外野の罵倒を跳ね除け、飛び上がりそうな勢いで立ち上がると共に〈ラスティネイル〉はもう片方の手に握りしめていたライフルをかざす。
 火球が収まり、元の緑色に染まる視界の奥へ銃口を向ける。密集した敵は動けないでいる。ならばしっかりと狙わずとも、FCSが機能する限り撃てば当たる――このまま進んで地雷に阻まれるよりもマシだという判断は、間違ってはいないだろう。
 斉射と共に砕け散る敵の装甲で、一体の無力化を確信する。

 外野にも伝わっているのだろう。すぐさま女の声が状況を冷静に読み上げる。

『敵一機、沈黙』
「――よし!」
『良くない。コクピットを狙え』『私たちの食い扶持は、貴方の成果で左右されるんだから』
「……うっっっせえなぁあ!」

『そう焦るなドランブイ。もう奴さんはお前から逃げられん』
「だけどよ……っ」

 何度となく飛来する外野の痛言と、何度でも喚くドランブイの反骨心……耐えかねたバランタインが挟んだ言葉にさえ抗言を吐きかけるも、地雷に動転していた自分をようやく自覚して、押し黙る。

 その間に起こる異変を見逃さないほど、ドランブイは迂闊ではなかった。
 突如としてレーダーに浮かぶ光点の数々――三つの標的全て(・・・・・・・)から出現していることまでもを見逃さなかった。

 ミサイルならば伴うはずの噴射炎が見えない。

「おい! なんだあれ!?」
『視認した。ドローンと見て間違いないだろう。何をしでかすかまでは』『おかしい……なんで倒したはずの敵からも……?』

 冷静でありながら、澱む言葉尻に狼狽を垣間見せる二人。

 迷うことなく放ったライフルの弾が、光点――ドローンを掠める。轟く爆発音と共に、火球が白く画面上を埋め尽くした。

『……浮遊機雷か』『離れて。向かってくる』
最終更新:2018年12月07日 13:14