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第1話:女王と女王 ――ページ2


 円盤(ホイール)に並ぶ37通りの数字が、赤と黒に彩られて緩やかに回転する。ピンに跳ねられてカラコロと軽快な音を転がせていた白球が、音と共にポケットへ収まった。

 テーブルに座る数人の男たちが、振り回される白球の収まるポケットの色と数字を見定めんと凝視する。

「……赤の23」

 張りのある声が、食い入るようにホイールを覗く男たちの意識を引き戻し、テーブル上に並ぶ数字を指差す。

 積み重なる青のチップを見て、一人の男が雄叫びと共に立ち上がった。まだ若いだろう外見にも関わらず、顎にたっぷりと蓄えたヒゲで丸みを帯びた顔の輪郭を誤魔化している。ヨレたシャツを真新しいジャケットでくるんでいた。

「おめでとうございます。賭け額(ベット)が十五……単目(ストレート)で五四〇枚分。あら、普通のチップでは間に合いませんね」

 進行役(ディーラー)がその言葉を言い終えた時には、それまでテーブルに積み重ねられていた青・赤・黄・緑のチップ全てが片付けられ、男の手元に白の縞模様が刻まれた青チップのタワーが五棟と、青のタワー四棟が置かれていた。

 目を見張るような手際の良さと一糸乱れぬ所作の美しさなど、男たちは誰も気にしていない。他の三人は嘆息し、額に手を当てて俯き、隣の脂ぎった男を憎々しげに眺めている。

「すごいですね。単目勝ちはあまり見ません」
「いや、たまたまさ」

 一方でヒゲ面の男は溢れ出る笑い声を我慢できず口から溢しつつ、夥しい量のチップを手元にかき集める。
 指の付け根にタコのような膨らみ、親指の付け根から手首にかけて真っ赤な痕がついている……たった一瞬に見えた掌を、進行役は見逃さなかった。

 杏仁酒(ディサローノ)――皆が彼女をそう呼ぶ。

 どこか悪戯げに上がった眉尻と、大人びた落ち着きを漂わせる目尻。褪せた金髪(アッシュブロンド)を肩口で切り揃えて、ノリの効いたシャツに触れない清潔感を保つ。腰が細い、薄いグレーのジャケット。スーツスタイルでありながら、襟に巻かれた真紅のスカーフを華美と思わせないのは、彼女自身に始めから華のような甘さが備わっているからだろうか。スカーフを留めるブローチの奥で光る星でさえ、カジノの照明に煌めく彼女の瞳と比べれば大した輝きではないとさえ思える。

 カジノという枠を越えて最も有名な、カジノ・ヴェンデッタが誇る華だ。

「私とあなたは、始めまして、でいいのかしら?」
「カジノに来ることさえ始めてだよ」

 ニヤける顔を隠しきれず鷹揚に答える髭面の男が、照れ隠しに首元へ手を当て、ディサローノより上へ視線を反らす。

 肉地労働従事者(ブルー・ワーカー)だ――ディサローノの直感が告げる。

 シャツは仕事場で着ているものだろう。ヒゲも鼻と頬を剃っていても、顎を整えているようには見えない。ジャケットはせめてもの身だしなみといったところ。同じ作業ばかりに徹して手にタコを作り、丸まり始めた背筋と肩こりを気遣ううちに、顔を上げる際には肩こりを誤魔化す動作までが癖になった……というところまで、直感の後に推測が追いつく。

 テーブルに来た時こそなんとなくで配っていた青のチップが、一つの皮肉になったことでふわりと軽くなった心を、そのまま綺麗に作り変えて笑顔として貼りつける。

「では、次の幸運を期待しています」

 円盤の中心から伸びるハンドルに手をかけて、他の男たちが舌打ち混じりにチップを掴むのを一瞥する。

 ホイールの回転と共に、男たちのチップがテーブルの各所へばら撒かれる。
 ルーレットというゲームでは、チップ一枚ごとの額が違うことはない。進行役が宣言する瞬間まで、どこに何枚でも置いていい……それが基本だ。

 通常の数字(インサイド)ならば、0、1~36の数字を横に三マス×十二行。そして複数表(アウトサイド)ならば赤・黒、奇数・偶数。1~36を12ごとの三分割(ミドル)と、18ごとの二分割(ハイ・ロー)の計九マス。当然、チップを置く場所の範囲が広ければ配当も低くなる。

 計四色のチップが陣取り合戦を繰り広げるのを横目に、白球を指に這わせ、外縁に宛てがう。

 力を籠めた瞬間で、インカムに飛び込んできた声に思わず手を滑らせるところだった。

『ディサローノ。お客様があなたをご指名したわ。すでに案内済み。今そっちに向かっているから、一席、空けてもらえる?』

 ゲームの真っ最中で下手に返事を打てないことを承知の上だろう。受付役のシャトーが矢継ぎ早に囃す。

 表情こそ変えないまま、白球を投げ放つ。高速で周回する音を見計らって、男たちがチップの位置を変えてはそれぞれに積み上げるタワーの高低差を変えていく。
 ディサローノが白球を投げる後と前で、プレイヤーにとっての勝算は変わっていく。背中にあるボードに刻まれた数字の羅列はそれまでの結果。そして投げた場所と落ちたポケットから大凡の数字を計算しているのだろう。

 だが、進行役……白球を投げるスピナーとして、ディサローノが見るべきポイントはそこではない。
 色とりどりのチップに、それぞれのプレイヤーの心境は現れる。

 数字表(インサイド)でより多くチップを積み上げる者でも、それが枠に収まる単目か、枠を跨ぐ複数目かで、勝負(ゲーム)への勝利を見ているか、負けを見たくないかが見える。
 複数表(アウトサイド)に高く積み上げる者は娯楽(ゲーム)を楽しんでいる節が強い。整然と並べられたテーブル上の数字と、不規則に並ぶホイール上の数字では、そもそも三分割や二分割、ましてや赤・黒、奇数・偶数では、予測に足る大凡の位置をフォローしきることが不可能だ。

 そのため、どこに何枚でも賭けていい……それがルーレットの謳う平等さだ。

 しかし、よりによって、ホイールの回転を機械に任せるのではなく、スピナーが手回しするテーブルに座っている者である時点で、ある程度の推測はできる。
 事実として、複数表(アウトサイド)にチップは集中している。カジノの女王とさえ呼ばれるルーレットで遊ぶ醍醐味は、手回しにこそあると鼻を鳴らしたい者は一定数居る。
 自意識で過大評価しているわけではないが、過小評価も許されない。カジノの外にまで名前と顔を広げるディサローノが操る台ともあれば、ひと目見ようと集まるのも尚更だろう。

「幸運というのは、一歩を踏み出す勇気がある者に訪れる……いつの時代も、そうだったと思います」

 独り言のように紡がれる言葉に、男たちの顔がテーブルから浮く。
 ……中でも、青の男が大きく動いていたのを見逃さない。

 揺らいでいる(・・・・・・)――直感は一つの確信へ繋がる。

 チップの傾向が複数表(アウトサイド)へ偏る中で、ただ一色……青のチップだけは数字表(インサイド)とチップの高さが均衡している。複数目という堅実に見せかけた場所でありながら、十枚分(ストライプ)チップは数字表に集中している。

 淡々と同じ作業ばかりを繰り返して倦厭に至り、手っ取り早い非日常を求めてカジノへ飛び込んだ。

 見目も悪くないカジノの華。そしてEAAグループどころか世界にさえ名を轟かせているだろう、テウルゴスの中でも特筆されるべき存在――ディサローノという人物は、そんな人間には非日常の象徴にさえ見えるだろう。
 ならばそれ以上の言葉は、むしろ夢見られる存在の振る舞いとしては無粋だ。

 ――一瞬の目配せだけでいい。青の男が見つめる一瞬だけを見計らって目を合わせ、どうせ照れ隠しのつもりで首元に手を当てるだろうタイミングで、小首を傾げてシンクロニティを錯覚させてしまうだけでいい。
 そうしながらベルへ手を添えて、少し焦らせれば……。

 後は、気の早くなった青いチップが、男の手近な数字に高く積み上がる。

「――そこまで(ノー・モア・ベット)

 計算通りだ。ホイールを回してから六秒。白球を投げてから十二秒……進行役の掛け声として、白球の落下点を予測されないギリギリの速度を失いかけた瞬間に合わせて、掛け声と共にベルを二度鳴らす。
最終更新:2018年12月10日 08:56