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第1話:女王と女王 ――ページ3


 ……ようやく、次の瞬間が訪れた。

 誰もが黙ってホイールを見つめる。ピンに蹴飛ばされた白球のバウンドは、その勢いのままポケットに飛び込みそうな放物線を描くも、ポケットを作る壁に蹴飛ばされて外側へ跳ね、しかし横向きのピンに押し返されてポケットに収まる。

 白球の軌道。ホイールの減速。青の男が、一瞬の後悔にチップへ手を伸ばしかけるも、ビクリと止める――全て、ディサローノの想像通りに運び、計算通りに進む。
 すでにチップはテーブルの上。進行役(ディーラー)の宣言は下され、もはや参加者(プレイヤー)が干渉できる場所ではない。

 空転する円盤も、振り回される白球も、流転するスコアボードも、踊り回る数字も、男たちの一挙手一投足でさえ、カジノの女王(ルーレット)の放つ奔流に飲まれ、流されるまま、従うしか術を与えない。
 同時に、女王さえも手懐けたディサローノの手中でしかないことと同義だ。

「黒の6」

 ディサローノの声には、常に独特のハリがある。決して大きな声ではないが、耳にした誰もが頭の奥までストンと通してしまうような、甘い心地よさを伴った波のように迫る声だ。
 波にさらされた男たちが、自分の色を持つチップを見て、喜色に顔を染める。

 黒の6……数字表(インサイド)にそれをチップを委ねる者はいないが、皆が複数表(アウトサイド)に置いた場所だ。三分割の序盤。二分割の前半。黒。偶数。

「素晴らしいですね。皆さんにそれぞれ、三倍と二倍と二倍と二倍……おめでとうございます」

 告げながら、全てのチップを回収し、該当チップを指先の感覚のみで数え、色ごとにそれぞれの配当を割り当てた枚数のチップを配る。
 先程よりも多少の時間を要したものの、テーブル全体を波打つリズム感を損なうほどではなかった。ディサローノも優しく見守るような笑顔を作り、男たちを眺める。

 自分の前に積み上げられたチップを眺めて、ほっと胸を撫で下ろす男たち……それは青の男でさえ例外ではなかった。
 先程まで、およそ五棟あった十枚分(ストライプ)チップの山が跡形もなくなってしまったことにさえ気づかないまま。

 安堵の夢に浸っている男たちへ、それを崩さないままにディサローノが告げる。

「申し訳ありませんが、指名をいただきました。皆様との楽しい時間はここまでとさせていただきます」

 恭しい一礼と共に、男たちが穏やかな面持ちで軽い拍手を送り、席を立つ。
 顔を上げた時には、テーブルに座っていた者たちは姿を消していた。

 ……次の瞬間にディサローノが覚えたのは、一つの違和感だ。
 テーブルとテーブルを渡り歩く者たちが作る雑踏が、耳を塞いでも入りこまんばかりの雑談が、全く聞こえない。
 虚しく響くBGMを聞き流しつつ、ディサローノは周囲を見渡す。

 皆が一様に立ちすくみ、閉口し、エレベーターのある方角を見つめる。

「私を指名するなんて、どんな人なのかしらね」
『そっちのフロアに上がったようね。もうじき見えると思うわ』

 シャトーが悪戯っぽく答える裏で、緊張が解れた時に見られる、ため息に近しい吐息の長さを聞き取った。
 ディサローノを指名したのは、穏やかな人間ではないということだろう。

「教えてくれないのね。事前情報がいらない人物ってこと」
『まあ、似たようなものよ』

 カジノの進行役(ディーラー)を指名する者は、稀にいる。進行役と仲が良い者や、進行役の所作に惚れる者も少なくない。だがカジノ側として、同じ箇所に粘着されてはチップの流れを阻む存在となりかねない。
 だからこそ自分の席を確保したい者たちに、前もって金を払わせるよう制度を設けた。

 中でもディサローノは、カジノに居ない時でさえ視線を浴びるほどの存在だ。ひと目見ようとする者たちは多く、だからこそ指名料の桁が他と違う……それこそ、ディサローノの指名料を稼ぐためにカジノで一儲けを狙おうとする者が現れてしまうほどの巨大な額だ。
 それを事もなげに成した人物とは、何者なのか?

 白球を指先で弄びながら考え、すぐにハンドルを握って円盤(ホイール)の回転具合と外縁(レール)の傷つき具合を確認する。もう片方の手でチップを並べては塔を作り、崩してという手捌きが鈍っていないことも確かめた。

 悲鳴のようなざわめきを伴って、場内に立ちすくんでいた客たちが一斉に退くのが見える。

 エレベーターから、ディサローノのテーブルまで。人混みが退いて出来上がった一本の道を、彼女は真っ直ぐ突き進んでいる。

 ……いつか、どこかで見た顔。だが一度見たら決して忘れられない顔。
 珈琲色の肌。やおら長くボサボサの銀髪――左頬の火傷痕、右頬の切傷痕。

 ――フェオドラ・ジノーヴィエブナ・シャムシュロファ。
 軍事連合企業:SSCNに関わる者ならば、その悪名高さに恐れを為すだろう。

「……すごいのが来たわね」

 聞き取られないよう薄く小さな声に、シャトーは応じない。
 ようやく歩を止めたフェオドラが、ディサローノを一瞥する。この世の全てをつまらなさそうに見下す憮然とした表情を見つめながら、ディサローノは笑顔を作り、五指を揃えて自らの真正面を示す。

「ようこそおいで下さいました。鍍金の女王さん(・・・・・・・)。コートをお預かりしましょうか?」
最終更新:2018年12月10日 09:02