第1話:女王と女王 ――ページ6
フェオドラは、私用で来たと言っていた。これが私用であってたまるかと、奥歯を噛み締めながら、白球を放つ。単なる遊びで来たのではない……仕事をさせに来たのだ。
ディサローノは、EAAオラクルボードと呼ばれる一種のランキングでは十五位にいる。人型巨大兵器:テウルギアを操縦し、敵を戦い、倒す連中……テウルゴスで構成されたランキングだ。だからこそディサローノはカジノの外にまでその名と顔を押し広げている。
そして、それこそ、カジノの持つもう一つの仕事だ。
カジノ・ヴェンデッタは、単なるカジノではない。ディサローノがスピナーでありあがらテウルゴスも兼ねているように、カジノそのものももう一つの側面を持っている。数こそ少ないものの、一つの軍事産業だ。
ディサローノがテウルゴスとしての名声と信頼を勝ち取り、その成果として主要参画企業にまで名を連ねた。金で人を殺し、敵である他グループからの侵攻を阻み、他グループへ攻撃をして、それだけの栄誉を与えられた。
逆に言えば、フェオドラの行っただろうマネーロンダリングと、同じ穴の貉でしかない。
そこに、ディサローノは怒りを覚えているのではない。
ルーレットは、カジノは、賭け事は……自分の金を使い、自分の人生を賭けたリスクを背負うから価値がある――そう考えていた。
テウルギアによる戦闘でさえ、その点では同じだ。自分の体を使い、戦場という賭場で、勝つか負けるか、金と名誉を手に入れるか命を失うかを張り合う。
フェオドラのしていることは、違うと断言できるだろう。
人を殺した金を使ってディサローノを指名し、他人の命で作ったチップを、つまらなさそうに弄んでいる。そこに、フェオドラ自身が背負っているものは何一つとして介在しない。
だからこそ許せない。
フェオドラが何の迷いもなく――ディサローノの予想通り、0へチップを置いたことに。
ヴェンデッタに対する仕事の依頼は、企業として行われるか、ディサローノを介して行われるかの二つだ。
その後者が、今フェオドラの行っている方法だ。
チップを賭ける数字と、枚数。それこそが一つの計算式に基づいた暗号を成立させている。
一マスにチップを集中させるなど、セオリーでは到底考えられないルーレットのシステムでは、それで遊びに来た人間と依頼人との判別が可能になる。
そして計算式の最後の項目こそ、0へのベットだ。
ディサローノが0へ白球を入れて、配当の際にIC基盤を組み込んだチップを渡し、そのICを読み込ませなければ通れないドアを案内する。
……即ち、ディサローノはこの段階で、フェオドラを勝たせなければならない。
他人の命で作った金を、何のリスクも背負わずに遊ぶ……ディサローノからすれば、カジノそのものを侮辱しているようなものだ。
それだけではない。ディサローノ以外のカジノのメンバーも、命がけで挑む仕事だ。いつどうやって死んでしまうかもわからない状況こそが戦場とさえ呼べる。
フェオドラは私用と言った。カジノのメンバーに命をかけさせることを、それこそ享楽とさえ言っている。
「――ここまで」
だからこそ許せない。
他人の命どころか、自らの人生を金に賭す価値観さえ否定しきったフェオドラを。
勝たせてやらなければいけない自分自身を。
ぎりぎりと音を立てる奥歯に気づかないまま、虚しく回転を続ける白球を見やる。
もし手元が狂っていれば、もし指先の感覚がずれていたら、もし円盤の力加減を間違えていれば、もしタイミングを測り損ねていたら――別の数字へ落ちる。
そこでフェオドラのチップを全て巻き上げ、残念でしたと高笑いしながら尻を蹴飛ばし、カジノから追い出せないかと思案してしまう。
だが、ディサローノは完璧だった。
肩も腕も指先も、力加減もタイミングも、感情でブレることなく完成されており、それほどまでに完全無欠だからこそ、ディサローノは依頼の窓口を任されているのだから。
「――0」
チップが積み重ねられたマスを指差し、フェオドラが鼻で笑う。
「おめでとうございます」
冷たくあしらうような語調でさえ、懸命に絞り出した愛想だった。
チップを回収して、メッキ加工を施した百枚分のチップを取り出す。
手を伸ばし、スライドさせるように差し出しつつ、体を伸ばして距離を詰めていく。
ゆっくりと縮まっていくお互いの視線は……頬が触れ合う寸前になっても、決して交わることがなかった。
耳元で、周囲に悟られないよう囁きかける。
微笑みこそ作れないままでも、しかし怒りを悟られない程度に力を抜いた表情で、煮えくり返る激情を声に織り込む。
「どれほど塗り固めても、腐りきった下衆の臭いは隠しきれないようね」
「俗に塗れるより正気を保てる。十五位でこれであっては、我らEAAの民意も痴れたものだ」
硬質で怜悧なフェオドラの顔。薄く開いた口元から、やはり皮肉が滲み出てくる。
「価値観の相違ね。下衆に堕ちるくらいなら、私は俗の天辺で気取らせてもらうわ」
ディサローノが言い放つと同時――それまで微動だにしなかったはずの眼が、動いた。
完璧にまで作り上げた表情こそそのままだが、しかし獰猛な激憤が血走る真っ赤な瞳が、今始めて、向き合う。
紅蓮に染まった憤怒を、自分ごと焼き尽くさんばかりに浴びせる。鋭く細められた瞼という塗り固められた鍍金の隙間から、ドス黒い憎悪を溢れさせる。
「使い走り風情が。身の程を弁えろ」
「さっさと消えなさい。あんたの鍍金、そろそろ引き剥がしたくてしょうがない」
それだけ告げて、ディサローノは姿勢を直す。
チップを手に入れたフェオドラからすれば、ディサローノもすでに用済みだ。呆気なく立ち上がり、奥――背中側にひっそりと佇むドアへ歩を進める。
すれ違う一瞬に放たれた言葉――ついにディサローノは、激昂する。
「……気取れる身の丈以上の成果、期待しておこう」
その言葉こそ、最も聞きたくなかった言葉だ。
他人の命を享楽にすり潰し、その金を私用と言い張り、ディサローノたちを命の危険へ晒そうとする。人の命の価値などないと断じていなければできない……その性根を、今度こそ許せなかった。
衝動のままに体が動いていた。コートの襟を掴もうと腕を伸ばし……しかし届くことはない。
手首を掴み取られたと思った時には、見知った顔がすぐ前まで来ていた。
「離して!」
「やめろディサローノ。相手を誰だと思っている」
先程までインカムで聞いていた声――ヘンドリクスに腕を引っ張り上げて、肩を抑えられた。
警備員にしてもひどい強面が、戸惑う表情の中で、真っ直ぐ見下ろしてくる。
「……ッ!」
行き場のない憤怒で、ヘンドリクスを見つめ返す。
だが八つ当たりにも等しい行為だと自覚して、震える腕から力を抜く。
目尻に膨らむ涙の理由さえ、自分では理解できない。
人の形をした邪悪……顔を上げた時には、閉じていくドアの隙間に、背中が覗いたのみだった。
最終更新:2018年12月12日 10:08