小説 > 在田 > 流転と疑惑のミス・フォーチュン > 09

第2話:真珠色の泡沫 ――ページ1


 テーブルに叩きつけられたマグカップの音に、びくりと背筋が震える。
 横目でちらりと伺えば、額へ指を当て、固く瞼を閉じているディサローノの横顔が見えた。

「……で、さっきから苛々しているんだな」
「ヘンドリクスが行かなかったら殴り飛ばす寸前だったって」
「おっかねぇ……」
「――聞こえているわよ」

 なるべく声を潜めていたつもりだったドランブイだったが、突然飛んできたぶっきらぼうな声に今度こそ肩を強張らせる。

 話は今ようやく、交代で事務所に来たシャトーから聞かされた。
 ディサローノの元へやってきた突然の訪問者。企業の重役だったために当たり障りない接客を心がけていたつもりが、話の内容が非道すぎて激昂した……と。

 事務所に放り込まれたディサローノへ、普段通りに話しかける勇気を流石に発揮できないまま、自分の業務もそこそこに眺めていた。仕事から引き離されているという時点で一つの驚きだと、ドランブイは思った。

 シャトーも同じように身を小さくしていたはずが、すぐさまディサローノへ歩み寄っていく。

「まあ、ああいうお客さんだってたまにはいるでしょう?」
「あんなの他にいたら胃がもたないわ。次会ったらボッコボコにしてやる」
「その前に私が追い払っておかないとね」

 一際大きな溜息が流れ出た。まだ憤りを抑えきれないのか、力みで震えた吐気が、足元で泥のように重苦しく滞留する。
 ディサローノに悟られないためか、シャトーが苦笑しながらこちらを見つめて、わざとらしく肩をすくめた。

 シャトーとディサローノが雑談をしている場面には、よく出会っていた。酒を潤滑剤に、来客の愚痴をお互いにぶつけ合っていることも少なくない。
 だからこそシャトーも、今のディサローノを宥めるのは自分の役目だと思ったのだろう。だが諦めたのだと、今の所作で、ドランブイも悟る。
 ポンとシャトーの手が肩に乗れば、振り向きこそしないが、ディサローノもその手を軽く叩く。

「ごめん。ありがと。ちょっとだけほっといて」
「それじゃ、後でね」

 ……珍しく、ディサローノのしおらしい声を聞いた。

 カジノ・ヴェンデッタが誇る華にして顔――ディサローノ。
 ルーレットに立つディサローノは傍目からして、常に背筋を伸ばして気さくに笑い……感情に振り回されるということは一切なかった、とドランブイは記憶している。

 カジノ・ヴェンデッタ――正しくはヴェンデッタ・ウニオーネは、単にカジノだけで経営を成り立たせているのではない。人型巨大兵器:テウルギアを用いた戦闘も大きな収入源となっている。
 企業からの依頼、そして個人からの依頼……そして個人の依頼を受ける窓口でもあるディサローノは……ただでさえルーレットの来客をいなしながらも、依頼人との会話を強いられる立場にある。

 ただでさえ、カジノの来場客というのはデリケートだ。金銭を賭けているからこそ、胸の内で底知れぬ欲望が渦巻いている。バーの酒をかっ喰らい陽気になる者もいれば、一世一代の大博打に出ようという張り詰めた者もいる。
 曲がりなりにも兵器を用いた仕事を依頼する者ともなれば、それ以上に張り詰めた何かがあることは少なくない。

 それを今まで相手取りながらも平静を保っていた、ディサローノの胆力こそ驚異的だと……まだドランブイは知らない。
 足早にシャトーが事務所を出ていく途中で……拳に親指(グッド・ラック)を立てられたことが、気がかりだった。

 しばらく、ドランブイの叩くキーボードの音だけが響いた。

 カジノという華々しい場所……と同じ建物とは思えないほど、雑然としたありふれた事務所。
 表舞台に立ち、カジノの女王とさえ呼ばれるルーレットで辣腕を振るうディサローノとは違い、ドランブイの業務はどこにでもあるような経理を中心に雑務ばかりだ。カジノ内を巡るチップにさえ触れる機会は少なく、PCと書類に忙殺されることが多い。

 同じ企業に勤めながら、住む世界さえ違うと思うことは、実のところ、数少ない。
 ドランブイとディサローノは、カジノ・ヴェンデッタにとっては一つの財産でもある。

「ねえドランブイ」
「……ほっとかれた方が良かったんじゃねーのか」
「それとは別」
「じゃあ……なんだよ」
「あんたの出撃の録画(ログ)、見せてもらったわ」
「……ああ」

 つい最近のことだ。欠伸をこぼしながら思い返す。
 帰りのトレーラーで辛うじて眠れたが、そこから休む暇なく事務所に放り込まれている。
 出撃があった後は、いつもそうだ。戦闘による緊張は、想像以上の疲弊が伴う。寝ぼけ眼をこすって、それでも目の前の作業は一向に終わらない。

 夜間にマゲイアを三機、遥々北上させられ……しかし目ぼしい戦果を上げることは、適わなかった。

「……あんなことされたらどうしようもねえよ」

 爆弾を積んだドローンによる自爆――勝ったと言うには、苦い終わり方だろう。

 戦闘事業を行う傍らで、ヴェンデッタは撃破した敵の部品を集めてはグループ内の他企業に横流しすることで、莫大な金額を損耗する戦闘事業を賄っている。
 だからこそ敵に自爆されてしまえば、集められる部品はないに等しい。戦績ならば黒だろうが、業績としては赤だ。

「地雷にビクビクして動きが鈍くなってたからよ」
「当ったり前だろ! 足が違えんだ!」

 気づけば声を荒げて、立ち上がっていた。
 テウルギア〈ラスティネイル〉――足先が車輪のみというアンバランスそのものを体現する機体を、ドランブイは駆っていた。
 その車輪が爆破されてしまえば、走行はおろか、まともに歩くことさえままならないことは想像に難くない。

「あいつらは後退していたけど、地雷をばら撒きながらじゃないって見えなかったの?」
「っ……」

 棘を隠さない冷ややかな言葉に、ハッと思い知らされる――ディサローノの言葉は、常に正鵠を失わない。
 常に、だ。ドランブイが出撃する度に、ディサローノはその録画映像を逐一確認する。
 その指摘……ドランブイからすれば罵倒と苦言の連続は、それこそ枚挙に暇がない。

「あいつらが走った跡をなぞれば良かった」

 戦闘の最中に、そこまでの発想が回らなかったドランブイの失態であると、痛々しく突きつけられる。緊張で思考が硬くなっていた……それを言い返したところで言い訳にしかならない。馬鹿正直にS字軌道で追いかけていたのは、紛れもなくドランブイだ。

 しかし、それで唯々諾々と従うつもりにはなれない。
 戦闘中で苦心をしていたのも、ドランブイ自身だ。あまりにも呆気ないところから転がり落ちてきた正解を、そう安々と受け入れられるほど、その苦心も古くなく、辛くも一つの結果を迎えて安堵している自分さえいたのだから。

「でも――」
「そうじゃなかったとしても、よ。ブースターで飛べばそもそも地面を踏まずに済んだ。私ならそうする」

 ようやく、振り返ったディサローノがドランブイを見上げる。
 それは、ドランブイからすればいつも見る表情の一つだ。ちりちりと煤ける苛立ちを瞼の隙間に覗かせて、その奥では絶対の確信が宿っている。

 ――勝てるものなら勝ってみろ。そう、告げられている気さえした。
最終更新:2018年12月28日 12:13