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第2話:真珠色の泡沫 ――ページ2


 だからこそ、口から噴出するものは、沸騰した怒りではなく、潰されたバネの反発に近い。

「っだあー! うっせえな毎度毎度!」
「なに。またいつもの逆ギレ?」

 怪訝と嘲笑と半々に、ディサローノは目を細めて腕を組み直す。
 だが今のドランブイにとっては瑣末事だ。意に介するべきものではない。

「いつもにしてんのはてめえの所為だろ!? 放っといてとかシャトーに言っときながら! 俺には突っ掛かんのか!」
「言ったでしょ。それとは別だって……」
「いーや別じゃねえな! 仕事を取り上げられた暇潰し(・・・・・・・・・・・・・)だろ!?」

「はぁあ!?」

 今までになかった蛮声を撒き散らしたディサローノの額で、青筋が脈打っている。
 ルーレットを回し、白球を投げる……そこにディサローノなりの誇負があることは知っていた。だからこそディサローノなら確実に反発する……だがドランブイにとって意外だったのは、ディサローノが怒鳴り散らしたことだ。

「何様のつもり? 暇潰しであんたなんかと話そうってほど、私は! ディサローノという女は、甘えちゃあいないのよ!」

 視線が横並びになる。ヒールの鳴る音が、嫌に甲高くも重々しく耳に刺さる。
 いつもならば、この段階でディサローノの温度は氷のように冷たくなる。表情も声も言葉も、完膚なきまでにドランブイを潰そうと、むしろ慎重にさえなっている節を感じていた。

 まさかドランブイと同じぐらいにまで沸点が低くなっていることに驚きながら……しかしドランブイも引き返せない。

「よく言うぜ。さっき調べたぞ、鍍金の女王って奴。歳下に煽られてヘコたれてんのか?」
「あんたの前で凹む以上の恥なんてそうそうないわね! あんたこそ毎回逆ギレしている体力あんなら、少しは上達しなさいよ!」
「てめえに言われなくても、俺は十分戦えてるだろ!?」
「出来てないから言ってんでしょう!? 同じ機体使っているんだから、あんたがヘマしたら私まで危ないのよ!」
「ちゃんと帰ってこれたんだから良いだろ別に!」
「良くない! (ツキ)に助けられただけじゃない!」
「運も実力の内だって……」

『あー……。お二人さんよ』

「「何!?」」

 真っ赤に血相を変えて、面を突き合わせていた二人の顔が、瞬時に動く。
 だが視線が向いたのは、室内の空間ではなかった。
 手近にあった画面の一つ……そこに浮かぶ一人のシルエットへこそ、一目散に睨みつけていた。

 二人の形相を見かねてか、鼻髭を整えた初老の姿がわずかにたじろぐが、すぐに咳払いと共に姿勢を正す。

『いい加減、落ち着いたらどうだ』

 二人にとっては、馴染み深い声と姿――レメゲトン:バランタイン。

『ドランブイ、お前さんは作戦の後で疲れているんだ。あまり躍起になるもんじゃない。
 ディサローノ、君もだ。ルーレットの話は聞かせてもらったぞ。おまけにいつもの君らしくない』

「「……」」

 元より低く太い音程だからだろうか。バランタインの声はとても穏やかな丸みを持っていながら、諌めるための力強さも伴っていた。
 太く低い声というのは、それだけで一つの存在感を放ち……湧き上がる感情をそのままに吐き出していた二人は揃って、ゆったりと諭す語調を並べるバランタイン――ディスプレイを、じっと見つめる。

 ディサローノ、そしてドランブイ――カジノ・ヴェンデッタに所属する操縦士(テウルゴス)はこの二人だ。
 だが、カジノ・ヴェンデッタが保有するテウルギアはたった一つ――〈オールドファッション〉という名前は、誰にも呼ばれない。

 バランタインは〈オールドファッション〉のレメゲトンであり、ディサローノとドランブイ、二人のテウルゴスそれぞれと組むことがある人格だ。
 だからこそ、二人を相手にして、平静を保っていられるのかもしれない。

「でも、私は……」
『ディサローノ。今に「でも」という言葉はナンセンスだ。わかっているだろう? 自分でも感情を抑制できないタイミングのはずだ』

 真っ赤な感情のボルテージが、勢いを止めきれず口を開かせるも、すぐさま差し込まれるバランタインの指摘に挫かれる。

「……悪かったわ。確かに冷静じゃなかったかも」

 それだけを早口で並べ、大きく嘆息したディサローノは、すぐに歩み去る。

 鼻をすする音が聞こえたかと思えば、次の瞬間には勢い良く閉じられたドアの音が部屋の空気ごと揺さぶった。

 その間も、ドランブイはじっとバランタインを睨みつける。
 しかし、バランタインは決して臆することも慌てる様子も見せない。ただ、呆れたようにかぶりを振った。

「……ったく」

 頭を掻きつつ、ドランブイも仕事へ戻るべく、椅子に座る。勢い余ったせいかバランスを崩すが、危うくデスクを掴んで持ち直し……そこでようやく、自分もそこまで苛立っていたのだと思い知る。

『だが、ドランブイ。言い回しはともかく、ディサローノが言っていたのは事実でもある』
「んだよ。バランタインもディサローノの味方か?」

『落ち着けと言ったぞ』キーボードを叩く指の力が露骨に強くなったのをは聞き逃さなかったのだろう。バランタインの声から温度がぐっと低くなったのを感じて、思わず黙りこむ。

『ディサローノは、流石に出来ないことを押しつけようとはしていない。お前さんなら出来るという期待があるから、あそこまで言えるんだ』

 改めて、画面の向こうにいるバランタインと――たとえ人間ではなく、電子人格であったとしても、向き合うだけの気力が湧かず、そっぽを向いてしまう。

「そんなこと、あんたにわかんのかよ」
『わかるとも』

 自信に満ちた声は、一つの安心感さえもたらしてくれる。緩やかな語調に、先程の怒鳴り合いで張り詰めていた胸の奥がゆっくりとしぼんでいく。

『ディサローノの操縦のクセも。ドランブイ、お前さんのクセもわかっている。
 それぞれがどれだけの操縦技術を持っているのかもだ。
 それを感じるプログラムこそ、俺たちレメゲトンなんだから』

「……まあ、そりゃそうだがよ」

 静かに、息を吸い込んで、ゆったり吐き出す。
 床を見つめる。

 ディサローノの怒声が、真っ赤に染まった形相が……その目尻でにわかに膨らんでいた涙滴が、何もない床に映されているかのように、網膜と脳裏にべったりと貼りついている。
 そこまでに感情を昂らせた姿と顔を見るのは確かに、始めてだ。

 しかしその会話を切り出したのも、間違いなくディサローノだ。
 何か、ディサローノが話題を切り出す理由があった。だがまともに聞けないまま、腹の底でぐずぐずした後悔になって蟠る。

「――そっちじゃねえんだよ」

 さすがに口の中でだけ呟き、バランタインに聞き取られないようにした。
最終更新:2018年12月28日 12:18