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第2話:真珠色の泡沫 ――ページ4


 ……だが、部屋にいるもう一人は、バツが悪そうに顔を歪めていた。部屋の中心を、ずっとつまらなさそうに見上げている。

「それは別にいいんだけどさ。結局仕事ってのは何なのさ」

 不機嫌さに低くくぐもっても尚、高いトーンの声。小柄な体躯で、片膝を立てて座りこむ姿は、思春期にありがちな素行不良の少年にさえ錯覚させる。
 だが仕草の端々があまりに整いすぎた鮮やかさから、ようやく十歳代ではないと理解が及ぶ……二十代を迎えた頃合いの、ボーイッシュな女性だ、と。
 オレンジ色の髪は、それだけで視線を引く。丸みを帯びた溌溂な顔立ちと合わさり、一見して嫌悪を抱くことはない。

 ――コアントロー。それが()の呼び名だ。
 どこまでが本人の計算なのかは定かではない……だが一見して成人した男であると見抜ける者は、そうそういないだろう。仮にそうであると見抜けたとしても、一度抱いた最初の好印象は、拭いきれない。
 不機嫌さを隠すつもりがないはずでも、充分に明るい印象の言葉が続いた。

「敵ばっかし作ってそうな、陰険そうな顔だね」

 ニタニタとディサローノに向いた顔は、むしろ趣味の悪い皮肉でしかない。

「――そうだ」ディサローノが口を開く前にと、ヘンドリクスが二人の間へ割って入る「標的がいる」

 ヘンドリクスの目配せに応じてか、浮かんでいたフェオドラの立体写真がかき消え、別の人物が映される。

 その場にいる全員……ヘンドリクスとコアントロー、ディサローノとシャトーの四人が、その顔を注視する。
 その僅かな間だけで、ひどく長く思える沈黙があった。誰もがその顔を目に焼きつけ、同時にその顔を探し出すべく、記憶の海へ意識を注ぎ込む。

 禿頭に鷲鼻。釣り上がった目元と口の端……コアントローほど巧妙に隠しきれるはずもない、悪者そのものの顔。

 ヘンドリクスが、一度の咳払いの後に、殊更強調するように、男の名を読み上げる。

「――ボラッド・マイケーエフ。名前ぐらいは知っているんじゃないか?」

「どっかで聞いた気はするけど……」
「引っかかるところはないわね」
「僕もだ」

 思っていたものとは別の、あっさりした反応が飛んできたせいか、ヘンドリクスは一度眉を上げてみせたが、すぐに合点を見つけたのか、持っていた書類をめくりつつ、カルヴァドスへ再びの目配せをする。
 カルヴァドスも気づいてか、肩をすくませながらもボラッドが表示された下に、日付の伴ったリストを表示させる。

「俺の早とちりのようだ。CD領の東西戦争に噛んだことはない面子だったな」
「そりゃCD(クリストファー・ダイナミクス)に関係あるのはお前だけだからな」
「除け者みたいに扱うな」

 すかさず、コアントローがニヤニヤと笑いながら一言を刺し込み、ヘンドリクスの唇がへの字に曲がる。

 クリストファー・ダイナミクス・グループ……カジノが属するEAAグループと並び、世界の三分の一を収める一大企業だ。EAAグループが世界の南を担うなら、CDグループは北を担う。

 ヘンドリクスはその中でも更に北に位置する企業の領地で、それまでの人生を過ごしてきた。
 この場に居る四人の中でも、カジノに加わった時期で言えば一番の若輩者に当たる。業務(・・)の歴では最たる古株となのだろうが。

「……東西戦争だって、小耳に挟んだ程度でしかないわ」ディサローノの指が、ボラッドという人物の業績を示すリストをなぞっていく「十年は前の話よ?」

 男二人のやり取りには一瞬たりとも目を配らないディサローノを見かねて、ヘンドリクスも腰に手を当てる。

「“ドレイクの不発弾”……それがこいつ(ボラッド)の呼び名だった。東西戦争に参加していたドレイク社に所属していた、爆発物のエキスパート――」

 あはは! と吹き出すような笑い声がコアントローの肺腑から勃発し、部屋を反響した。

 爆発物の取扱いに長けた者が、戦争に参加する――噴き上がる爆炎のイメージとは正反対に、優秀であれば優秀であるほどに、爆弾というものは地味な戦いを強いられる。
 材料の調達と作成。そして標的が来るだろう場所への設置。運搬と帰還のための経路と時間帯。爆発そのものの威力と規模……全てを敵から悟らられないよう進めなければならない。

 暗殺ともなれば尚更だ。敵のスケジュールと行動経路を探知し、いち早く爆弾を仕掛けて痕跡も残さないよう細心の注意を払う必要がある。万一位置がバレたとしても、それを補えるほどに重要で解除の困難な場所に入れるか、別の爆弾によって誘導させるなどの手段を講じる策もだ。

 爆弾を用いた確実な成功のためならば、狡猾で巧妙で……そして隠密かつ静謐でなければならない。

「とてもとても光栄な名前じゃないの! 爆弾魔なんかにさぁ(・・・・・・・・・)!」

 コアントローが笑い出した理由は、そこにある。
 爆弾魔が姿を知られる機会は少ない。今コアントローたちの視線の前にあるような、顔を暴かれるに至ったならば、手管などとっくに検知されている。

 爆弾魔に対し、不発弾という名がつくという皮肉の余りに、コアントローは吹き出していたのだ。

「んで、ヘマをして逃げ出した爆弾魔を殺ればいいわけだ?」
「いや……」「違うわ」

 ヘンドリクスとディサローノ。二人の返答が一致する。

 ディサローノが上から順に辿っていた、ボラッド・マイケーエフの業績……その最後の行で、指先が止まっている。
 ヘンドリクスが目を落としている書類にも、同様のことが書かれているのだろう。

「どういうこと? 『東西戦争にて射殺される(・・・・・・・・・・・)』って書いてあるのは?」

 手管を割り出された爆弾魔の寿命は、その時点でぐっと縮まる。
 刃物や銃器……そうでなくとも戦車やテウルギアとは決定的に違う点は、獲物が自分を守ってくれないことにある。
 爆弾の持つ威力は凄まじいからこそ、爆弾そのものは使い切りで手元に残る部分さえない。

 居場所を暴かれた爆弾魔の取る手段は、数少ない可能性で逃げ延びるか、自分ごと吹き飛ばす以外になくなるのだ。

 だからこそコアントローは、不発弾という意味を、逃げ出したと解釈したのだ。
 だが、リストにそうは書かれていない。

 冷静と平静を常に保ち続けていたはずのヘンドリクスでさえ、懊悩に表情を歪めていた。

「俺の記憶でさえその通りだった。射殺ならば遺体だって残っているはずだが……」
「ねえ、本当に鍍金の女王を信じて依頼を受けるの?」

 ディサローノの疑念が、再び依頼人であるフェオドラへ向かう。
 既に死んでいる人間を標的にする依頼……ただでさえ条件が馬鹿げていると断じたことに加えて、内容までもが馬鹿げているとなれば当然の対応だ。

「俺もそのつもりだったが……頼む」
『あいよ』

 欠伸混じりとなったカルヴァドスの返答と共に、それまで表示されていた全てが、とある画像へ切り替わる。
 何かのシンボル、あるいはエンブレムと取るべき抽象的な画像だった。

 中心を同じく放射状に層を為す正方形。そして、正方形をまたがるように並べられた、蠍のシルエット。

 ディサローノだけでなく、シャトーまでも息を飲んでそれを見つめていた。

「これなら、見覚えがあるだろう」
最終更新:2018年12月28日 12:28