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第3話:宿命は廻る(ルーレット・サーキット) ――ページ1


 穏やかな緩急で波打つ黄土色の地面に突き立つ、錆に塗れた建造物の群々。低く重い灰色の空。ゆっくりと押し潰されていくかのように倒れ始めている。

「ここが本当に、海だったなんてねえ」
『出てみればわかるが、潮の臭いがうっすらある』
「やめとくわ。髪が傷みそう」

 見下ろした足元(・・)では、トレーラーの上で双眼鏡を握りしめるヘンドリクスの背中が見えた。
 十メートルという高さは、これまでとは全く違う印象の景色を見せさせる。建物や天井に囲まれた生身ならば見上げることも多かったはずがめっきりと減り、反対に見下ろしてばかりとなる。

 カメラ越しの景色を……砂漠に飲まれて傾斜する建物群を、気怠く眺めていた。
 半世紀もしない以前までこの場所に、本当に、アラルと呼ばれていた海があったのかと、疑念と空想を広げて、視界に折り重ねていく。

 かつて海のあった場所に街が建ち、しかしすぐに捨て置かれ、忘れ去られた場所。
 砂だらけの地平……海があったことさえ想像できないように、この場所が街であったことさえも、全て砂に飲まれてしまうのだろうと、退廃的な想いを馳せらせてしまうような、乾ききった閑寂が吹き荒んでいた。

 手元の操縦桿から手を離して、コクピット内部のあらゆる表示物を確認する。外気も、内部も、レーダーも……何もかもが素っ気なく、味気ない。そんな風にさえ思えてしまう。

 ざらついた空気を画面越しに感じながらも、レーダー上に増えていく光点の場所は見逃さない。
 その一つ……他と比べて極小のものが近づき、画面上で同じ方角に人影が映り込むのを視認した。

『どうだ?』
『ぐるっと見た限りじゃ、マトモな人間が暮らしているようには思えないね』
『痕跡を隠すぐらいの脳はあるようだな』

 足元のトレーラーにまでたどり着いた人影が、ヘンドリクスを見上げてぼやく。顔を隠すように巻いた白布の隙間から、見慣れたオレンジ色の髪が覗いた。

『ディサローノ。聞こえたか?』
「――向こうだって、全くのド素人ってわけじゃないでしょ?」
『だったら双眼鏡ぐらい隠してほしいね……ったく、シラける』

 悪態をつきながらもトレーラーへ入っていくコアントローを尻目に、徐々に他の光点が距離を詰めているのを確認する。
 距離を詰めている敵影は二つ。それ以外は指定された場所でもあるのか、街全体へゆっくりと撹拌している。
 砂に埋れている真っ最中の土地だ。いくら市街地という構造であっても、砂煙が立つことを恐れているのだろう。

『……本当に、ここに奴らが?』
『依頼主から提示された情報だ』『やましい連中じゃなきゃ、いちいち覗き見なんてしないよ』

 ドランブイの疑問へ、ヘンドリクスとコアントローが同時に返答した。ヘンドリクスは毅然と、対してコアントローは悪態の延長線として。

 ――マス・カレイド・スコーピオン。
 標的である男が率いている組織の名前であり、目標を達成する上では避けられない障害だ。
 そのエンブレムだろう、幾重もの正方形とそれに跨るサソリのシルエットは、ディサローノよりもドランブイの方が、目にくっきりと焼き付いていることだろう。
 文字通り、眼前で自分自身を焼き尽くした敵として。

「確かに、蠍は彷徨いていそうな場所だけど……」
仮面舞踏会(マスカレード)と言い張るには、寂しい舞台だ』

 言葉の先を読んでいたのか、レメゲトンであるバランタインが口を挟む。
 操縦桿を握りしめる力が普段よりわずかに強かったことを敏感にも感じ取ったのか、バランタインの言葉はそれだけでは終わらない。

『今更、踊ることに緊張する性分(ガラ)ではないだろう?』
「まあね。私、まだ力んでいた?」
『らしくない加減だ。自分の体一つとっても、制御と強制は違う』
「知ってるわ。ルーレットで嫌というほど」
『なら今一度、統御するための流れを掌握できる手の大きさと器用さを意識した方が良い』

 他人からの忠告は、自分で意識するよりも正鵠を射ることが多い。

 操縦桿から手を離した。座席に全身を預けて、視界さえ瞼で遮断する。呼吸に合わせて全身の力を吐き出し、外に広がる塩と砂の世界から自分を切り離した。
 体だけでなく、この巨大な機械を動かさんとする駆動の唸りと振動を感じる……それさえ感じる余裕がなかった自分を自覚した次の瞬間には、それさえも暗闇へ投げ捨てる。

 ようやく、それでも止まることを知らない鼓動と、全身を脈動する血の巡りを――その微細な振動を、肌で受け止める。
 最も自然である状態――他の人でも物でもない、自分自身だけで完結し、自己を認識する状態。
 人や物と向かい合っている時の自己は、その対象と相互的な影響を与え合っていることが多い。

 誰かと会話する時に、相手に合わせた話題や挙動を無意識的に選び、相手の理想とする自分を演じてしまうように。腰の位置で回転するルーレットへ白球を放つ際に、指先の感覚のみが鋭敏になって、下半身などすっぽりと抜け落ちてしまうように。

 ……目を開いて周囲に渦巻く状況を受け入れていく度に、先程よりも掌握する度合いが違うことに若干の驚きを覚え、それほどまでに、じりじりと意識をやかれていた(・・・・・・・・・)のだと理解が追いつく。

「――ごめん。もう一度言ってくれる?」

 会話が繰り広げられていたことさえも忘我へ追いやっていたために、ディサローノは改めて聞き直す。

『おい! 人の話を……!』
『ドランブイ、一度引っ込んで』

 躍起に叩きつけてくるドランブイの声を、シャトーが冷たく征した。
 ヘンドリクスが咳払いで仕切り直し、それまでディサローノが聞いていなかっただろう部分を再整理する。

『様子を見るに、敵は数だけなら揃えている。砂だらけの市街で、敵の本拠地……どう攻める?
 あるいは今からでもドランブイと〈ラスティネイル〉で、短期遭遇戦を挑むのも候補に入った』

 対多数の戦闘ともなれば、消耗戦を挑むのは愚の骨頂だ。市街地という遮蔽物の多い場所であれば、如何に自分が攻撃されにくく攻撃しやすい場所へ身を置くかで戦闘の組み立てが有利になる。だが砂に塗れているとなれば、移動している場所や進行方向までも、砂埃で相手に筒抜けとなるのが必然だ。加えて敵が居を構えている場所へ、此方が襲撃をかける構図となれば、地形を知り尽くしている相手方が殊更有利となる。

 ドランブイの駆る〈ラスティネイル〉ならば、その脅威的な速度で駆け回り、砂嵐を巻き起こそうとも敵が準備を整える前に先手を打てる。多数が相手であっても一つ一つを虱潰しにできないほどではない……そう思い立ったのだろう。

「まあ、ドランブイは先日の映像を見る限りだと任せられないわ。そもそも〈ラスティネイル〉は白兵とか市街地には向いていないし」
『じゃあディサローノは! できん、のか……よ……っ!?』

 また反骨精神だけが考えるよりも先に迸った言葉が途中で濁り、そして驚きの余りに止まったのは、ディサローノの――外側で屹立する〈ゴッドファーザー〉の――挙動によるものであり、ドランブイがそう反応するだろうことを見越し、実際にそれをなぞるような反応であったことを……ドランブイの反応を掌握していた自分を確認した。

 思わず緩んだ頬。釣り上がった唇が乾きかけていたために、舐めて湿らせる。

 ディサローノが――〈ゴッドファーザー〉が取り出したのは、その背部で聳えていた長大な砲だ。
 まだ市街地から距離があるにも関わらず、構える。図太い片足を後ろへずらし、腰部の両横から反動制御にアンカーを地面へ突き立てる。

『射程圏内は二機』

 慌ててレーダーの情報を確認したのか、シャトーが妙な早口でまくしたてる。
 その二機は先程まで距離を縮めていた二つの光点だ。向かって右と左で互いの距離を開けている。今では立ち止まっているとなれば、まだこちらの出方を伺っている――というところだろうと予測を立てる。

『任せて良いんだな』
「もちろん!」

 ヘンドリクスさえも驚き混じりだったが、言葉として表出したのは絶大な信頼からもたされているものだ。
 敵が自ら後手に回ろうとしているのを見て、より効率の良い作戦の練り直しを提案して……しかし具体的な内容も一切ない、突然すぎるディサローノの行動に――多少なりとも自意識あるいは段取りを重視する人間ならば静止を呼びかけただろう。
 だがそれがないということは、それこそ論理的な部分を越えた信頼を、寄せてくれているからだ。

『わかった。俺たちは退避する』
『おいっディサローノてめえ! いきなり何おっ始めようと……うおおッ!?』

 トレーラーの急加速に殴られたのか、ドランブイの怒号は途中から悲鳴へ切り替わった。
 ようやく敵も〈ゴッドファーザー〉の動きに気づいたのだろう。慌てたような急加速に砂塵が舞い上がる。

 そんな二機などお構いなしに、全く別方向へまともに定めていない砲の引き金を絞った。
 咆哮と共に吐き出される砲弾の放物線が、街のど真ん中で火球となって炸裂する。
 その一部始終を見届けながら、ディサローノは意気揚々に答える。

「たまには先輩として、お手本ってモノを見せてあげないといけないからね」
最終更新:2019年01月20日 12:20