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第3話:宿命は廻る(ルーレット・サーキット) ――ページ2


 砂利に足元を掬われながらも、前へ前へと突き進まんとするトレーラーの車体が激しく振動する。

「ぼけっと突っ立っているからそうなるの」
「うっ、せー……よ!」

 ベルトに体を固定したシャトーならばともかく、手すりにさえ捕まっていなかったドランブイにとっては、急加速で一瞬浮き上がった車内で立っているのがやっとだったのだろう。ふらふらと車内を動き回るドランブイの体が、ようやく自分の座る席にしがみついた。
 ……自分ならドランブイほどバランスを保てず転倒してしまっただろうことを思いつつも、シャトーは眼前のディスプレイから目を逸らさない。

「ディサローノ。本当に任せていいの?」
『構わないわ。レーダーが生きているんだから、この程度で力を借りなくても』

 戦場に駆け込めるほどではないにしろ、堅牢なはずの外装を貫いて、二つの爆音が轟く。
 レーダー上ではディサローノの真横にまで来ていた二つの信号が消滅したところだ。

 威勢が良いと言うべきか、ヘンドリクスのサポートもシャトーの分析も不要とばかりに。ディサローノは一人で戦いを始めてしまった。

 ……ならばシャトーにできることは極端に減る。領土を跨いで敵地まで来た理由を失ったとさえ言っていいだろう。
 仕事を取り上げられたとまでは思わないにしろ、突然に手持ち無沙汰となった皮肉ぐらいは返してやりたい。

「あとで後悔しないでよ」
『気持ちの責任ぐらい自分で持てるわ』

 その返答がすぐに来るということは、それほどの自信があるということなのだろう。一瞬たりとも、敗北や負傷のリスクを見ていない……いや、ディサローノほどの視野がある人間ならば、見えていて尚それを踏破できると判断しているのだろう。
 通信が切られたことを確認してようやく、シャトーは自分の後ろでよろめく少年を見上げた。

「んだよ、お手本って」
「君の減らず口は優秀よ」
「なんだ……とぉぉうぉおお!?」

 一瞬で顔を赤くしていたドランブイが、トレーラーが急停止した衝撃に吹き飛ばされかける。咄嗟に壁の手すりに捕まって転倒を免れた。

 すらっと細長く伸びた手足と、影が落ちる目元など……外見だけならば、ドランブイがまだ十代であることなど誰も信じられないだろう。少女然とした小柄さと笑顔を振りまけるコアントローが横に居れば尚更だろうが、シャトーと年齢が近いにも関わらず、子供としてまかり通せそうなコアントローの方が異常かもしれないが。

 周囲の全てが憎いとでも言わんばかりに切れ上がった目尻は、執拗にシャトーを見つめている。
 初めて顔を合わせた時こそ怖気づいている自分が愚かだった……と思えてしまうほど、ドランブイの無駄に鋭い視線には、これといった意味も目的もないとわかるまで、そう時間はかからなかった。
 ……これならば、一切視線を合わせないままでも、目的さえ読めないままでも、頑として周囲を威圧し続けていた鍍金の女王の方が恐れるべき存在だろう。

『もう少し離れるべきか?』
「大丈夫。どうせあっちは、ディサローノがなんとかするでしょ?」
『ならばいいが』

 運転席から飛んできたヘンドリクスの通信へ、ベルトを外しながら答える。
 ディサローノが任せて良いと言ったのならば、シャトーたちの安全さえも考慮した上なのだと理解が及んでいる。
 普通ならばたった一人に、たった一機に、そこまでの信頼など寄せられないだろう。

 くつろいで当然とばかりに姿勢を変えて、ディスプレイからも目を外し、シャトーは睨みつけてばかりのドランブイへ問いかける。

「聞いたよ。また喧嘩したんだって?」
「違ぇよ。つか、お前にゃ関係ねぇだろ」
「あるかないかを決めるのは私だし、関係あると思ったの」

 苦々しげにそっぽを向いて唇を尖らせるドランブイの横顔は、青年然とした見た目以上に少年らしさが浮き上がって見える。
 シャトーは頬杖をついて、ぐっと体を押し出す。垢抜けない顔を見つめて、逃げようとする彼を追い詰めるために。

「で? 今回はどっちが噛みついたの?」

 答えなどわかりきっていた。自分に非があるなど思っていないから、無謀にも目上へ文句や罵倒を散らすことができる。そのわかりやすさこそが、ドランブイがまだ年端もいかない少年だと自己主張していると気づくまでに、どれほどかかるだろうかと考えることが、むしろ楽しみにさえなっていた。
 だからこそ順序立てて、自分にも責があるのだと気づくよう質問の順番を頭の中で構築し始めていたシャトーにとって、その返答こそが意表をつくものだった。

「わかんねぇ。俺かもしれない」
「……意外。じゃあ謝ったの?」

 語調さえ明るく浮ついたものになってしまったと焦りつつも、純粋な気持ちであることは確かだ。

 ディサローノから聞いていた限りでは、いつものようにドランブイが逆ギレした――という短い言葉でしかなかったために、今までと同じようなことを性懲りもなく繰り返したのだろうと思っていた。
 余程変わった事情が挟まれているとは考えにくい。でなければディサローノが、いつも通りなどとシャトーへ打ち明けることはない。ならば何かしら心境の変化があったのか……あるいは、ディサローノが隠し事をしているか。

「だから! わからねぇんだって」

 思わず口を突いて出たのは、本来以上にドランブイを問い詰める言葉であり、純粋なシャトーの疑念だ。

「――何が?」
「ぁ……っ」

 ほとんど反射的な反抗心からだろう開口は、しかし一言もまともな語句を作らないまま、閉ざされてしまう。

 違えかけた仲を取り直すための手段に対して、わからないとは何なのか……謝罪の方法? 切り出すタイミング? ――いくら未熟であっても、それほど可愛らしい悩みをドランブイが抱えこむとは思えない。

「じゃあ、何がわからないのかもわかっていないって?」
「……」

 今度こそ完全に閉ざされた唇の奥で、顎に力が籠もっている。ご丁寧に握り拳まで腰の横に添えてあった。これ以上ないほどの肯定であるのだと、わかりやすすぎるほどに。

 気持ちに整理がついていないことを情けないとでも感じているのだろうか。
 それを隠そうとする方が情けないと、嘆息して問い直す。

「自分が完全に悪いってわかってから、謝ろうとしているの?」
「違……」

 シャトーは叱ることはしない。それはディサローノとヘンドリクスが毎日繰り返していることだ。むしろ毎回のようにやっかむドランブイには可愛げがと印象し、応援さえもするつもりだった。

「わからないことは別にいいの。でもとりあえず黙って隠して……で、解決する?」

 しかし、気づかせるため、諭すための質問は、かえってドランブイを追い詰める。
 誰かを育てた経験などないシャトーには、まだ見えない部分でもあった。
 気づけば組んでいた足を反対に組み替えて、ドランブイの次の言葉を待った。一言放てばすぐに噛みつくような普段の威勢すら成りを潜めて、俯くを見るのは数えるほどしかない。

 ディサローノが鳴らしているだろう何度目かの轟音が、嫌に車内を反響した。
 音が収まってようやく、ドランブイは二の句を継ぐ。

「……俺に、どうしろってんだ。ディサローノは」
「君に、いち早く仕事ができるようになってほしいって思っているだけじゃない。お手本、見なくていいの?」
「だったら!」

 鳴り響く怒号が随分と懐かしいと感じてしまったのは、単なる錯覚かもしれない。
 だが、単なる逆上ではないドランブイの悶えて歪んだ顔を見るのはきっと、初めてだ。

「……だったらなんで、泣くんだよ」

 こぼれ落ちた言葉が胸を穿ち、気づけば立ち上がって襟元を掴み、顔を向き合わせていた。
 泣いた……カジノ随一の、柔軟な笑顔という鉄面皮を被れるディサローノが。自分の感情をとことん制御し、運命の手綱を振り回してテーブルを支配できるほどの女性が。

「君、何をしたの(・・・・・)?」

 動揺していると自分でもわかっていた。わかっていても隠しきれなかった。気持ちに整理がついていないドランブイに対してもそうだ。
 だがそれ以上に、涙までもを見られておきながら、ディサローノが普段と全く変わらないような素振りをしていたことが……シャトーにさえ仮面を被っていたことが、強く頭を叩きつけてくるような衝撃として襲いかかってきた。

「ねえ!」
「それがわかったらこんなことしねぇよ!!」

 何かしらの変化がドランブイにあると思っていた。それは少なからず残っている。
 だがディサローノの隠していた何かこそ(・・・・)が――意図せずドランブイが仮面を暴き、曝け出したものこそが――最大の原因だと、ようやく思い至った。

 握りしめた襟……胸元のボタンが千切れ飛ぶほどの力で握りしめていたことを悟って、手を離す。情動のままに突き動かされていた力が、行き場を失って震えている。
 逃げるように壁へ貼りついたドランブイは、しわくちゃになったネクタイを占めて改めて向き合う。それでも立ち向かおうとする強さが、むしろシャトーには恐るべきものに感じられた。

「だから、わかんなきゃいけねぇんだ」

「……」やめなさいと言葉にする前に、ドランブイの言葉は続いてしまう。
 自分で問いかけたはずなのに、それを気づかせてはいけないと思い知ったところで、手遅れであると。

「ディサローノが何を考えてんのか……全部を(・・・)
最終更新:2019年01月20日 12:25