第3話:宿命は廻る ――ページ3
眉間から鼻筋を嫌らしく撫でていく冷や汗でさえ、男の焦燥を誤魔化すには敵わない。
男は組合の構成員だ。砂と錆が蝕むガラクタのような街で過ごしてから、しばらくの時間が経ったとも思えるが、体内時計さえ錆びついてしまったかのように記憶がない。
仲間たちと荒事に挑んでは空腹を誤魔化す生活を繰り返し、それに飽きが来たかという頃合い……つい先日になって状況が一変した。
頭役が、瓦礫よりも大きな動くガラクタを持ち込んできたのだ。
生身で居る時など比べ物にならない力だった。腕を振るえば一撃で建物を倒せる。銃さえ、今まで必死に握りしめていた拳銃が玩具に感じられるほどデカい。歩を踏み出せば地面が震える。うっかり仲間たちと仕掛けた爆弾を踏んで、片足を吹き飛ばしたところで、すぐに替えが補填される。
マゲイアという力は強大だ。
それまでの拾ってきたようなボロ車と違って維持費さえ笑えなくなるが、それでも車をサッカーボールのように蹴飛ばせる馬力と、どこに仕掛けたか忘れてしまうほどの膨大な爆風に怯える心配がなくなるだけでも、新しく生まれ変わったような新鮮な瑞々しい風が、肩に重く積もっていた埃と砂を吹き飛ばしてくれた。
これからの生活が変わる……忘れ去っていた自分の時間と忘れ去られた街の中で、自分の心がそうであるかのように潤滑油を射された“相棒”の巨大な姿は、砂とガラクタの隙間で汚れていようとも、眩いものに映った。
同じことを考えていた者たちは、少なくなかった。
傍目からすれば全く同じガラクタでしかない“相棒たち”の装甲のように、磨いて光を取り戻していく仲間たちを、何人も見た。
「なんだよ、あれは……」
……男の眼前で起こっていることは、待ち望んでいた萌芽の瞬間から余りにもかけ離れた現象だった。
見知らぬ異邦者。最初は二台のトレーラー。そして街を外周した一台のバイク。
そして、テウルギア。
街のど真ん中で吹き上がった爆炎が……一斉に巻き上がって、何の思い入れもない周囲の町並みを潰していく瓦礫たちが、ここが街と呼ぶには烏滸がましいほどの砂とガラクタしかない寂れた場所であったことを思い出させた。
警戒に“相棒”を引き連れた二人が、あっという間に消し飛んだ。
「どういうことだ!? 聞いてねえぞ!」
やっとの思いで“相棒”を歩かせながら、男は罵声を飛ばす。
狭苦しいコクピットの中で、レーダーという小さい円形の表示枠ががどこにあったのかを探し出すためだけでさえ、何度か頭を振り回す羽目になる始末だ。そして見つけたところで、その見方を思い出すためにまた数秒の時間を要する。
まだ鋼鉄のガラクタたちは彼らの元へやってきたばかりなのだ。一瞬で操縦方法を覚えきれるほど習熟できるはずもなく、それを補えるほどの器量があるならば、企業の元から炙り出されてこんな場所へ流れ着くはずもない。
『いや、聞いていたさ。変なバイクが観光してたってな』頭役――ボラッド・マイケーエフが通信越しに口笛を吹いた『トレーラーがデカいってこともな。だったら、テウルギアが積まれててもおかしくない』
一機のテウルギアが接近している……その事実を知るだけで、分厚く着込んだ服が背中にべっとりと貼りつくほどの汗が滲み出る。
「でもよ。あっち側なら地雷を仕掛けていた場所だろ!? なら……」
『準備しとけ。もう街中に入ってくる』
口角泡を散らしながら、どうにか戦わないようにいられる現実から逃げようとしてた頭を、冷淡に殴りつけられる。
CDグループとEAAグループ――敵対する組織同士が収める領土の隙間に位置する街だ。だからこそ敵対するだろうEAAグループのある方角……南側には地雷を仕掛けていた。
男は気づかなかった。仲間の二人が余所者へ近づく時に地雷を避けるルートを辿ったことで、その足跡さえそっくりそのままなぞられて侵入を許したなどということに。
慌てて男は、相棒の装備に関する表示枠を探し始める。マインスロアー。火炎放射器……それだけだ。
マゲイア……人型兵器をまともに歩かせることさえ一苦労するほどの技術しか持たない彼らには、武器が二種類あるだけでも贅沢を極めていると言えるだろう。
強いて、まともに照準を定めるという高等芸能を求める武器ではないことだけが、彼らにとっての救いだ。
……だが、“相棒”たちが扱える武器はそれだけだが、積まれている武器ということなら、もう一つだけ存在する。
今しがた、背中から飛び立った小さな機械がそれだ。
それを見上げて、男は安堵する。
数えきれないほどのドローンが、カメラと爆弾を抱えながら、頭上で間隔を揃えて整列する。
それほどの数を一斉に御しきることなど、彼ら全員が束になったとしても不可能だ。
ボラッドだけではない。その“相棒”なくして、それは実現し得ない。
無数のカメラが実現する俯瞰はまさしく、戦場をそのまま見下ろし、逐一状況を把握するに相応しい。
だからこそボラッドが放った舌打ちに耳を疑った。
『〈ゴッドファーザー〉……思った以上にやばいのが来たな』
どこかで聞いた名前だと思った次の瞬間には、背筋が凍りつくような恐怖がせり上がっていた。
数多いるEAAグループのテウルゴスたちの中で、最強を謳われた者のみが名を連ねるオラクルボード。その15番目に、その名はあった。
『だが仕留めれば俺たちの格が上がる。いい獲物だ』ボラッドの声にハッと顔を上げれば、目の前の画面上にカウントダウンの数字が浮かんでいた『合図とマーカーを送った。一斉に撃て』
レーダーを探り、それまでになかった色を見つけて、マインスロアーを構えさせる。
「たった、一機なんだろ?」
ボラッドへ問いかけるというよりも、自分へ言い聞かせるための言葉だった。
――上空に無数の目を持つことで可能になったのは、状況を把握するだけではない。
敵がどこにいるのか、どれほどの速度か、近くに誰がいるのか……それぞれに適切な役目と号令を与えれば、最大限の攻撃力を実現することができる。
ボラッドがマーカーと合わせて号令をかけた者たちは、合計で四人いた。
街中へ入ったばかりの〈ゴッドファーザー〉から、建物を挟んで一定の距離があり、かつ四機それぞれが包囲するように位置を取ることができている。
弾を直線的に飛ばすしかできない銃器ならばともかく、爆弾投射機ならば建物を越えて放物線を描き、敵を狙うことが可能だ。
男たちが……マス・カレイド・スコーピオンの者たちが皆、マゲイアの操縦に対して未熟であることなど、ボラッドは始めからわかりきっていた。
だからこそ適切で均一な指令と、それを補える数とバックアップを最初に揃えたのだ。
そして男たちは爆弾を放った。手で投げるよりも正確で、爆弾そのものも大きく、飛距離が稼げる。どれほど操縦者が下手であろうと、人数さえいれば外れるということは考えにくい。
吹き上がった真っ赤な火球が周囲の建物さえ飛ばし、焼け焦げた砂塵を吹き散らす。建物の隙間を塗って“相棒”をチリチリ焼く爆風の中で、黒煙を見上げる男の口から気の抜けた歓声が漏れ出た。
「や、やった……」
四つもの爆弾が一斉に炸裂したのだ。戦車に匹敵する装甲を持つテウルギアと言えど、爆炎の中心部にいながら無事で済むはずがない。
……それが、並大抵のテウルギアであれば。
『ぎゃあっ』『なん……!』『待て、待っ……!』
轟音とノイズで短く切り詰められた悲鳴が、耳に突き刺さった。
何が起こったのか……男が現実を疑い始めるよりも早くに、それは勃発する。
正面にあった廃墟の真ん中が欠けて、瓦礫が溢れ落ちる。
爆発に耐えかねて崩れ始めたのだろう……と思った時には、襲い来た衝撃が装甲を穿ち、機体を突き飛ばしていた。
火柱の渦中にいて、〈ゴッドファーザー〉の動作はごく単純なものだ。
ライフルを撃つ……遮蔽物に砲身を突き刺し、貫通させてから、コクピット付近を狙う。
爆炎を浴びて尚、動きに支障を来たすほどの損害はない。ほぼ全体に渡り追加装甲を纏うことで、並大抵のそれと比べ物にならないほど分厚く、堅牢な装甲を実現している。一定以上の損傷を装甲が受ければ、それごと破棄して機動性を高めればいい。
……結局、追加装甲が頑強すぎる故に引き剥がすことさえできなかったが、終始その姿を見ることさえ適わなかった男には、関係のないことだろう。
コクピット内に反響した轟音と襲い来た衝撃で、呆気なく意識を手放してしまったのだから。
最終更新:2019年01月30日 10:42