第6話:運命に愛された女 ――ページ2
一瞬の予断さえ許されない。
何処に、幾つの、地雷と爆弾が仕掛けられているとも知れない廃都市。完全なまでの敵地。
いくら巨大な図体と、堅牢な装甲を纏う機動兵器とはいえ、たった一機で飛び込むには、無謀が過ぎる。
当然それだけではない。未熟者の扱う、旧式であろうと……それでも十を超える敵のマゲイアが、あらゆる場所から砲口を睨ませている。
上を見上げれば、天蓋を象るほどに夥しい量のドローンが見下ろしてくる。わずかでも隙を見せればたちまちに、蝗の軍勢のように群がられ、腹の爆弾に焼き尽くされるだろう。
「やっぱり、心配かけているかな……」
『かけさせていると思うか?』
たった一歩を踏み出すことにさえ、果てしない決断が求められる――その一歩先には、爆弾があるか、敵の射線があるか、蝗が迫れる死角を生むか。
それら全ての判断を瞬時に行わなければ、立ち止まっている時間という隙を生じさせる。
人間が認識できる視野の狭さでは、まともに対処しきれない情報量。その一歩、一射――紛れもない一挙手一投足に凝縮されているのだ。
……本来ならば。
「いいえ……全く思ってない」
鼻で笑うような小さな吐息が、二人の間にあった静かな緊張さえほぐした。
『さて次だ。南側の建物ならどうだ?』
泰然にして沈着な、肝の据わった余裕さを見せるバランタイン。
「悪くない高さね。そうしましょ」
豪放さと不敵さを、鷹揚な笑みに内包したディサローノ。
内殻に並ぶいくつものディスプレイへ視線を張り巡らせる。
爆音と射撃音がこだまする戦場の中心点――その渦中であり、巨大な兵器を駆りながらも、平静を保っている。
台風の目のような静寂――だからこそ習熟し洗練されたことが裏打ちされた会話。
ディーラーとしてゲームに興じる時がむしろ扇情的である分だけ、落ち着き払っているとさえ印象させる。休憩中に交わす会話のように、力なく、他愛なく、素っ気ない。
「……ねえ、もしかして私、駄目なふりをした方が良かったのかな?」
『らしくないなディサローノ』
傍目には、会話に興じているなどと夢にも思わせないだろう。
分厚い装甲に囲われた二本の脚。その裏面に設えられた無限軌道が砂を蹴散らし、その下で乾ききっていたアスファルトに亀裂を走らせる。
スラスターの噴出が、たちまちに砂塵を吹き荒らし、カメラ越しの視界は黄土色に染め上がる。
単なる回れ右でしかない動作。その合間でさえ二度の銃声を響かせた。
潜んでいた敵機が膝関節を砕かれて転倒し、頭上のドローンが粉々に粉砕された。
『弱さを見せるなど、君にはしたくてもできないことだとばかり思っていたが』
「そうでもないわよ」
ライフルの射撃には間隔が生じる。狙いを定める時間もだ。
それを縫うように近寄ったドローンが近くで炸裂し、火球を広げた。
画面に、視界に、ディサローノの瞳に、真っ赤な灼熱が揺らめく。
眼前の光景が、過去の記憶を呼び起こす。カジノの燃える情景が脳裏を過ぎり……沸騰しきった情念がそれら全てを焼き尽くす。
それでも収まりきらない激情が、ギチギチと奥歯を軋ませる。
……直接に見ていなくとも、彼の泣く声が、謝罪の嗚咽が、ディサローノの耳を撫でる。
彼にまたがってぶつけた怒りは……確かに、弱みであった。
だが決して綺麗な魅せ方ではない。
「確かに、甘えるのは……苦手だけど」
爆炎の近くにあった表面の外殻が、地面に転がった――いや、敢えて外した。
装甲を捨てれば捨てるほど身軽になる。
身軽になるほど、自らの脆弱さを増すことなど承知の上で。
『……上々だ』
アスファルトを砕いて転がる装甲を確認したのか、バランタインが告げる。
『だが“甘くて苦い”……少しは、その名前を体現してほしいものだな』
「あら、そう? どうせなら、〈親愛なる首領〉の名前を活かそうかしら」
今度こそ、無限軌道の回転と共にスラスターの燃焼が、機体を――〈ゴッドファーザー〉を前へと押し出す。
立ち込める砂塵を突き破り、目星をつけていた、背の高いビルディングへ肉薄する。
ドローンが背中を追い立てる。敵のマゲイアたちが照準を定めんと一斉に砲身を動かす。
何度目になるか、数えることを諦めるほど聞いた砲声。
眼前にいたマゲイアが抱えていた火炎放射器が、その肩ごと破断されて地面に転がり、火花を散らした。
速度を緩めないままの勢いで、敵の巨体を蹴り上げた。一際大きな衝突音がディサローノの耳元にまで反響する。
ビルディングに匹敵する巨体同士の衝突が、莫大な反動となってディサローノの体をかき混ぜる――。
締めつけるベルトの痛みに歯噛みしながら、足元に転がった火炎放射器を拾い、宙へ放り投げる。
殺到する蝗の軍勢。空飛ぶ爆弾の群れ目掛けて。
肩の一部分――一際大きく膨らんだ箱が蓋を開かせた。
噴水のように、白い煙が飛び出た。
誘導弾を射出したと気づくまで時間はかからないだろう。だが気づいた段階で、すでに遅い。
追走に群がっていたドローンが、逃げ出すための軌道を確保する時間はない。
宙できりもみした火炎放射器にミサイルが接触し、燃焼する。火炎放射器に括りつけられたガスタンクをも焼き焦がした。
もう一つの太陽が生まれたような炎の輝き。鋼鉄に覆われた装甲は、鈍く光を纏う。
その場に生身の人間がいたなら、たちまち熱波に身を焼かれていたことだろう。
次第に焔は煙へ姿を変えていき、雨雲よりも暗い影を落とす。
火炎放射器だった鉄片が、ドローンだった破片が、雨あられと飛散していく。
構う暇もない――ミサイルコンテナを内蔵していた肩の装甲をも捨てた。
「こんなところかしら。あと、そろそろ見つけてくれた?」
『大丈夫だ』
バランタインの声に合わせて、画面に表示枠がせり上がった。レーダーで読み取ったものをそのままに画像として出しているのだろう。不格好なシルエット。自分が倒した後の、マゲイアだったガラクタにも見えた。
『マゲイアでもドローンでもない……未だにこの街を彷徨いている、唯一のものだ。
ルート上でも、絶対に俺たちにも、建物にすら近づこうとしていない』
テウルギアやマゲイアという、一つ一つがビルディングに匹敵する巨大さを誇る単位での戦闘となれば、建物が倒壊することなど当たり前となる。
ディサローノたちから遠ざかり、さらには戦闘の余波からも逃げようとして……それでも街中に留まり続ける異様さ。
特別な理由がないのなら、街に居座る必要がない。
「じゃあ、これで確定ってわけね」
会話をしている間にも、ライフルを手繰る手は止めない。
わずかに見えた敵機を見つければ装甲を削り、こちらを撃たんと姿を見せた敵の関節を破断させた。
敵の操縦技術が未熟ゆえに、姿を不用意に踊らせてしまっている……そうディサローノは判別している。
だがそれだけではない。ディサローノ本人こそ意識していないだろうが、ライフルの弾一発あたりにおける、有効打が占める割合は、まともな白兵戦でできる領域ではない。
『あとはディサローノ、君がどうするかだ』
「じゃあ、手筈通りで」
バランタインの頷きを耳に入れながら、ディサローノはすぐさま〈ゴッドファーザー〉を走らせた。
それまで縦横無尽に動き回っていた街中を、一直線に。
爆弾が足元で炸裂し、焦げた砂を纏った火柱が立ち上がる。その度に装甲が軋みをあげて、機体が損傷を警告する。
事あるごとに装甲を捨てながら戦っていたのだから、当然だろう。
それでもまだ、装甲を捨てることをやめない。捨てた装甲を蹴飛ばして、敵のいる方角まで放物線を描かせた。
すでに〈ゴッドファーザー〉と呼ばれる所以はない。分厚い装甲に包まれた太いシルエットは失われ、細身の本体部分しか残されていない。
顔を上げれば、ドローンの群れは先程の爆発に数を減らしたものの、まだ残っている。それだけでなく、地面に這いつくばる敵影たちからも新たなドローンが姿を見せる。
三度、蝗の軍勢が彼女を追いかけ、空の色を変えてしまう。
ついにはライフルの弾さえなくなり、一瞬の躊躇いなく投げ捨てた。十数メートルという巨体が持つ長銃。落下した位置の廃墟を貫き、瓦礫を散らしながら崩落させる。
『さあ本格的な弾切れだ。ディサローノ、君にできることはなくなった』
「じゃあちゃっちゃと、本番を始めましょう」
突然、動きを変えた〈ゴッドファーザー〉の背を見た敵は、さぞ慌てたことだろう。
街中へ飛び込む形で始められた戦闘。その渦中で圧倒的な技量の違いを見せつけた。装甲をばら撒き、街のあらゆる箇所を縦横無尽に動き回って、ドローンもマゲイアもを、悉く蹴散らした。
だが唐突に、それら全てへ背を向けて、街の外へ走り始めた。
装甲を必要以上に失ったからこその逃走だと言わんばかりに、武器さえ捨ててみせる。
だからこの瞬間こそが、不意に訪れた好機であるとさえ、思われた。
思わせた。
肉薄するドローンに、乱射するマゲイアに、それが襲いかかる。
背中で勃発した事象を、ディサローノは目に収めるまでもなく確信する。やっと、顎にこもりっぱなしだった力が抜けて、口の端を釣り上げる。
――全て、計算通りに動いたと。
敵には、先程捨てたコンテナが、ひとりでに動き出したように見えただろう。
間欠泉のように、白煙の尾が散らかり、ミサイルたちが一斉に、デタラメに走り抜ける。
一つはドローンへ、一つは手近な建物へ、一つはマゲイアへ……近くにあったものを、手当たり次第に破壊し尽くす。
それだけではない。
街のあちこちへばら撒いた装甲が――その内側に差し込まれた爆弾が、順を追って炸裂し、火球を押し広げた。
一つは敵機の近くで、一つはマゲイアが隠れていた建物を巻き込んで、一つは予め仕掛けてあった爆弾を誘発させて……。
一つ一つの火炎は、些末なものだ。威力さえ大したものではない。
だが、元々が海だった砂漠という、これ以上ないほど不安定な地盤に作られた建物。
いくらコンクリートで構成されていても、然したる強度がないことなど一目瞭然だ。あまつさえ老朽化まで進んでいるとなれば、尚更。
傾斜していた背丈のあるビルディングが、積み木を崩すような呆気なさで瓦礫の山へ還元されていく。コンクリート片を撒き散らして、マゲイアたちの装甲をひしゃげさせ、叩き潰す。
彼女を追いかけるべく密集していた蝗の群れに飛び込んだミサイルが弾ける。いくつもの爆炎が連鎖的に生じて、真っ黒な煙が雲のように連なっていく。
ミサイルか装甲爆弾か――どちらとも判別する間さえないまま、爆炎に巻き込まれたマゲイアの火炎放射器が、誘爆に再び紅蓮を広げた。
砂とコンクリートの色しかなかったはずの廃都市の全てが……瞬く間に、空も地上も、炎と煙に塗り潰される。
最終更新:2019年04月19日 14:02