第6話:運命に愛された女 ――ページ4
時間は遡る――――…………。
乾いた青空と突き刺すような眩しい日差しで、ドランブイの額には汗が浮いていた。
だが今は、全く別の熱に、汗を流している。
風と砂に顔を叩かれながら、見上げれば、目に入る赤。街の至るところから吹き上がる紅蓮。そこにあるもの全てを焼き尽くす灼熱。
たった数秒間の間で、頭の上に黒煙が膨らんだ。雲煙が暗澹とした陰を作り出している。
自分より二回りは体の小さいコアントローにしがみつきながら、柔らかい砂を蹴飛ばすバイクの振動に揺られていた。
たどり着いて早々に、踏み出した足が砂に取られる。脚から力を奪う砂に負けじと、大股に踏み出す姿は、砂を蹴飛ばして遊ぶようにも見えただろう。
歩くことさえ覚束ないことに苛立ちを覚えて、奥歯を噛み締めた。
ドランブイの背中を、コアントローがつまらなさそうに見つめ、顔を上げる。
〈ゴッドファーザー〉
本来ならばいくつもの外殻装甲を着込んだ、鈍重なシルエットを持つ機体であった。
だが今、片膝をついて頭を降ろす姿は……線が細く、華奢だ。
機体のあちこちこべりついた煤が、暗雲の陰にいても目に着く。
ドランブイも同じように、見上げていた。
どれほどの爆炎を浴びれば、そうにまでなるのだろうと思いを巡らせながら。
何度、あの日の烈火を思い出しているのだろうか、と。
不意に、〈ゴッドファーザー〉の胸部から音が聞こえた。
空気の抜ける音だ。内部の空気を保つために満たされた酸素が排出されて、胸部の装甲が開かれる。
ふと胸の位置に飛んできたものを、受け止める。高度があったにも関わらず、柔らかな放物線を描いていたからか。
ヘッドギアだと気づいた時には、目の前にディサローノが降りてきていた。
昇降用のワイヤーに足をかけて、砂に足を取られていることを感じさせないほど軽やかな歩調で、近づいてくる。
艷やかであった金髪が、汗で貼りついている。
「弱気ばっかり見せないで」
「違ぇよ」
自分がどんな顔をしていたのか……ディサローノが吹き出してようやく思い知った。
すぐ近くまで歩み寄ってきた姿こそ、今までの彼女と変わらない。
勝ち気さに釣り上がった口元。負けを見ない自信を讃えた眉。真っ直ぐでどこまでも強靭な意志を訴える眼。
爆発に巻き込まれたことなど、すでに忘れ去ったか、乗り越えたか。
「だったら自信を被って。始める前から沈んでちゃ――」
顔のあたりまで伸ばされた手に、思わず仰け反った。
ヘッドギアを抱えていなければ、掴めるほどには緩慢な動きだったが、そうしなかっただろう。
今のように、怖気づいて逃げるような……。
「何? 尻込みしてんの?」
「っ――そうじゃねえ!」
一歩、後ろ足を砂に沈めた後で、顔が暑くなった。
ドランブイが退いた分を踏み出し、上体を乗り出すように、距離を詰めるディサローノの目は、悪戯っぽく細められている。
――ドランブイの頭に見えたのは、数日前の、涙を拭き取られた瞬間だった。
ディサローノが爆発に煽られた直後の……最も、心身ともに弱りきっているはずの出来事だ。
いくらディサローノが一枚も二枚も上手であろうと、胸の内に、男がという矜持を、未だに持っている。
怒りも悲しみも出し切って、減衰しきった姿を隠していた――というつもりが、隠す素振りごと見抜かれた。
不必要に、あるいは必要以上に、それを見透かされ慰められたことが、恥に思えた。
ここまで来て、またそれを繰り返されると思って――ドランブイを退かせた。
やりきると決めていた。その覚悟を持って、ここまでいたはずなのに。
真っ赤になったドランブイの耳の端と、真横に反らされた視線から、一連の流れを読み取ったディサローノが、上唇を舐める。
からかい甲斐に溢れた――可愛げだと。
だが一笑に付すほど、傲慢にはなれなかった。
ドランブイだけ――今まで他人に見せてきた顔の中で、経緯はどうあれ、涙を見せてしまった自分を、恥じていたこともあるのだから。
彼よりも多くの経験を積んで、彼より多くの他人を相手取り、彼よりも圧倒的な強さを持っている――その自覚があるからこそ。
強い自分として振る舞い続け……いつしか挫けてしまうことも知っているから。
「あんただけが頼りなの」
はっと顔を上げたドランブイに……今度はディサローノが目を背ける番だった。
何しろ、今まで避けてきた――見せようとしてこなかった顔を、見せるのだから。
それは弱さだ。強い自分という仮面を被り、万能の強さという一張羅で着飾った自分の、隠しきったとしても消えない、弱い自分そのものだ。
「私にできるのは、ここまでだった」
街を焼き払おうと、まだ目標を達成できた確証はない。むしろできていない確信さえある。
ディサローノがどれほど強くても、個人ができる限界は凌駕できない。
「……あんた、私の借りを勝手に、背負おうとしてたじゃない」
ドランブイの意志を焚きつけるのは、歴然と差をつけた強者として君臨するディサローノへの対抗心だけではない。
もしそうならば、ディサローノが耳をそばだてていると知らない時に、彼女へ謝罪などしない。涙を流し、嗚咽に肩を震わせるなど、決してありえない。
他人を完全に理解したいなどという、傍若無人な願望を抱くはずがない。
――それを断言されたところで、本人は否定するだろうが。
「だから今度はしっかり、あんたにお願いしてあげる」
つくづく弱い本音を見せるのは苦手だと、自分を嘲笑いたくなる。その滑稽な姿を馬鹿にさえするだろう。
不器用な顔を見せている。不格好な表情で、彼を見上げる。
見下ろしてくるドランブイでさえ、どこか心配げに口元を歪ませていた。
「お、おい……ディサローノ……」
「あんたしか頼りにできる奴がいないのよ。同じテウルゴスが」
本来ならそうさせることを許さない。そんな反応をさせないために振る舞ってきた。
だが今はそうではないと自分に言い聞かせる。
恥を上塗りしていると頭のどこかから声が聞こえても。
それを堪えるために、握った拳が真っ白になっていても。
プライドだと思っていた傲慢との軋轢で、涙が滲んできても。
「――私の代わりに、鏡を全部ぶっ壊してきて」
一度、驚きに息を呑んだドランブイ。
だがすぐさま鋭くなった目と、引き締まった口元――変貌を遂げた表情でさえ、一つの達成感に繋がった。
「やってやる」
溢れんばかりのやっかみに染まった野蛮さではない。
無謀さと勇敢さを履き違えず、自信に満ちた顔。
決意と覚悟が、今度こそ固まった表情だ。
「やり遂げて見せる。必ず」
「……それでこそ“満足の証”よ」
これ以上の言葉は、ディサローノの口から出ることはなかった。
逃げ出すことを隠すべくゆっくり歩を進めて、顔を見せないように後ろ手だけを振る。
その先にはコアントローと、シャトーがバイクに跨ったまま、じっと待っている。
目元を拭ったディサローノを見ておきながら、しかし何も言わなかった。
背中にあったライフルを受け取って、後ろに座る。
シャトーが口を開いたのは、砂を蹴散らし、バイクを加速させた後のことだった。
「さ、残りの鏡はどこ?」
最終更新:2019年05月02日 13:36