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第6話:運命に愛された女(ミス・フォーチュン) ――ページ6


 乾いた破裂音と共に、黒い金属の塊が弾んだ。

「ひぃっ」

 恐れ慄いてか、男は悲鳴をこぼし、顔をかばっていた。
 対して男を通り過ぎた弾丸は、その後ろに位置する運転席側のガラスと、サイドミラーを貫く。

「……」

 驚きと落胆、あるいは消沈。先程まで口から溢れ出そうなほどに燃え上がっていたはずの憤怒が、見る見る沈んで凪いでいく。

「お前と同じ顔で、同じ名前の男は、あとどれぐらい居るのかしらね」

 ボラッド・マイケーエフ――カジノを燃やした男。
 危うくディサローノさえ巻き込まれかけた。その段階にまで追い込むことができた。

 だからこそ期待があった。

 身勝手な妄想と言えばそれまででしかない。だがわずかな興味に突き動かされていたのも事実だ。
 それを、裏切られた失望の差は大きい。

「気づいたのか……だが! 俺たちは無限だ。俺一人を殺してもな。ボラッド・マイケーエフを殺し切るのは不可能だ。いくらお前でもな」

 男の上げた素っ頓狂な笑い声さえ、耳障りだ。

 フロンドガラスの向こうに見えた鋼鉄の巨人が、指差される。
 テウルギア〈オールドファッション〉は……いや、今こそ〈ラスティネイル〉と呼ぶべきそれは、まだ立ち上がったばかりだ。

 遥か上空には未だドローンが飛んでいる。
 狭い車内からでは見渡せない街の至るところで、生き残ったマゲイアたちが動き回っていることだろう。

 その中にも、また別のボラッド・マイケーエフがいて、マゲイアと全く同じ姿のテウルギアを駆り、ドローンを操っている。

「だが、ランク15位が! せっかくのテウルギアを捨てて、こんなところに居て良いのか?
 どうせ今乗っているのはお前の予備(・・・・・)だ。劣化でしかない。オラクルボードに乗っていない無名だ!」

 喚き散らす男に対して、次に覚える感情は苛立ちだ。
 すっかり冷えきった感情は、頑ななまでの意志を作り出していく。

「…………――――」

 ぼやくような相槌は、男の耳に入らなかっただろう。
 次なる発砲は、今度は指差す先――フロンドガラスに穴とヒビを作っていた。

 何が可笑しいか、笑声がどんどん大きくなるばかりの禿頭に、びっしりと浮かんでいる脂汗を見つける。
 汚いものを見つけてしまったとばかりに、視線を反らした。

 男の手は背中に回されたままであることも、見逃さない。

「俺たちの複製は完璧だ。全員が予備で、本物。
 俺の爆弾もだ。誰が見ても見分けなんてつかねえ。
 俺が死んでも、(ボラッド)はいくらでもいる。俺たちそのものが、完成されたシステムだ」

「あ、そう」

 張り上げてばかりの自慢話に付き合うつもりはないと、返答さえ億劫だった。
 呆れて、構えていた拳銃さえ手と一緒に腰に当てる。
 顔さえも背けて、後ろにいたシャトーの様子を伺うほど……興味も、怒りも、冷めている。

 凍りついた果てに、固く固く研ぎ澄まされていく。
 そんなことなど、男の目には一切映っていないのだろう。

 ずっとディサローノを凝視し続けている瞳孔。
 狂ったように繰り返される、絶叫に近い笑声。
 矢継早に繰り返される、焦りに駆られた大声。
 隠しきれていない、禿頭から頬へ流れる脂汗。

 ……男の心境はおろか、この後の動向さえ読めていた。
 ディサローノからすれば些末なことだ。ルーレットの来客を見るよりも単純でわかりやすい。文字通り――手玉に取るように、わかりきっていた。

 男が、後ろ手に隠し持っていたレバーを振りかざす。

「見ろ!」

 繋げられたケーブルがどこに伸びているか……質問など必要ない。どうせ喋る。

「この車にも爆弾が仕掛けてある」

 先程からずっとディサローノを見つめておきなながら、しかし男は気づけていないのだろう。
 ディサローノの視線が、男とは少しずれた場所を見ていることさえ。

「俺を見つけて喜んでいるようだが、俺たちの炎からは逃げられない」

 予めディサローノが割っておいた運転席側のガラス。
 そこから車内を覗きこむ、コアントローの顔に。

「命が惜しければ――……ッ!」

 声はそこで途切れた。

 背後から至近距離での発砲。スイッチを握る方の肩に穴を開けて、腕に力が入らないようにする。
 悲鳴をあげる間も与えないほど手際よく、コアントローの腕が男の首を絡め取る。

 ずるずると引っ張られた男の首が、割れきった窓の縁に縫い付けられた。
 驚くべき手際の良さだが、手応えすら感じなかったのだろう……あまりの呆気なさに、首を絞めた姿勢のままでいるコアントローでさえ、溜息を漏らした。

「こんなしょーもない奴に、カジノが燃やされたのか」

 不満さえ訴える目に、より強烈な不満を視線で返す。
 力なくスイッチを握り締める手を蹴飛ばして、今度こそ離させる。

「……『命が惜しければ』ねえ。それはお前の本音だった。でしょ?」

 返事も呼吸さえも許されず、コアントローの腕から脱しようと手を這わせる男を見下ろす。

 血の巡りを止められて禿頭が赤くなる一方で、気管を綺麗に封じられた顔は青くなっている。
 情けない姿だと、憐れみさえ感じてしまう。

 先程までの素っ頓狂な笑い声が、繰り出される大声が、聞こえるはずもない。
 それらが何のための行動であるのかは、わかりきっていた。

 銃声に驚き、命の危険を覚えて……それでも自分が優位であると、去勢を張るために見せかけた余裕。だから無駄に笑い、大声で主張を繰り返した。
 それでも焦りと恐怖を隠しきれないからこそ、丸見えの禿頭に脂汗をびっしりと浮かべていた。
 本当に余裕だと感じているならば、取るはずのない言動だった。

「黙って隠したまま、自分ごと巻き添えにすれば、“ボラッド・マイケーエフ”は勝てたかもね」

 ボラッド・マイケーエフに対して、カジノを燃やされたからこその怒りは抱いていた。
 一度死んだはずの人間を、もう一度殺して……それでも生きていたという事実には、驚きがあった。

 だがそれだけだった。
 それだけだったことが残念でならなかった。

「でもそうしなかった」

 ――完璧な複製を名乗った男。
 自分に代替があるとわかっている人間の、覚悟とは、勝負強さとは、どんなものなのか。
 ディサローノが抱いていた期待はそこにあった。
 だからテウルギアを乗り捨ててでも、一度は、ボラッド・マイケーエフを見てみたかった。

 命を賭けた勝負ほど(・・・・・・・・・)面白いものはない(・・・・・・・・)

 ……ルーレットを回し続ける中で、その瞬間を何度も見てきた。
 執念に身を焦がした人間が発揮する驚異的な集中力を、嫌というほど思い知っている。

 俗に、火事場の馬鹿力と呼ばれるものだ。
 たった一つしかない自分の命。ありとあらゆる情熱を燃やす源。

 自分の命にさえ予備があるとわかった人間は、命を捨てられる覚悟を常に備えているのだろう。
 命がけの勝負という状況まで至ることが、そもそも困難を極める。
 だが戦闘ならば違う。どれほど周到に準備を重ねていようとも、常に前線を踊る自分からそのリスクが消えることはない。
 常に恐怖が付き纏う。それに囚われ、凍りついたように動かなくなることさえあった。

 だが、命に予備のある存在ならば違う――そう思っていた。
 命を失う恐怖を振り切り、全意識を勝利のために注ぐことのできる人間は、どれほどの力を発揮するのか。

 ――見てみたい。
 ――勝負をしたい。
 ――勝利を掴みたい。
 ――どれほどかもわからない(・・・・・・・・・・・)悦楽と快感に酔いしれたい(・・・・・・・・・・・・)

 それこそがディサローノの期待だった。

「結局お前は、予備とか複製とか……そういうのに成りきれない、半端者だった」

 だからこそ男が最初の発砲に怯えた段階で、失望を見る。
 恐怖に身を強張らせてしまう程度の覚悟しか、持ち合わせていないと。

 ――拳銃を構え直して、コアントローへ目配せをする。
 呆れたようにコアントローが拘束を解き……不意に返された呼吸で咳きこむ男へ向ける。

 太腿へ一発。
 絶叫さえ呼吸が詰まり、掠れている。

「……そういえばさっきの質問。私がなんでここに来たか――一応、答えてあげる」

 銃を握る手首に、もう片方の手を添えた。
 ルーレットの球を握るには不器用が過ぎる。だが銃を放つには申し分ない。

「あんたは、私の居場所(カジノ)を荒らした」

 捩れた体の真ん中――腹へ一発。

「私の勝負(ゲーム)を潰した」

 更に一発――部位を見ることさえやめた。
 動くことさえできず、力なく転がっている。
 痛みのあまりに、固く閉じられた瞼。ちょうど間へ、銃口を押しつける。

「私の矜持(プライド)を傷つけた」

 徹底された冷徹な声色。
 期待を裏切られた失望に対する、冷たく研ぎ澄まされた怒り。

「だからこれは、私の意地(エゴ)私を本気にさせた恨み(・・・・・・・・・・)

 最後の一発が、頭蓋へ叩き込まれた。
 ……怒りを向ける相手が死に絶えたことを悟り、ようやく脱力する。

 冷ややかな怒りもかき消えて……車内がどうなっているのかを見渡すことができた。

 飛び散った血飛沫で汚れた運転席。
 むせ返るほどの鉄と硝煙の臭いが、鼻孔に充満する。
 ……そこまで理解が及んでようやく、自分の呼吸が深く荒く切迫していることに気づいた。

「おー、こわ」

 無垢なあどけなさを纏った言葉が、顔に刺さる。
 いつの間に感情が氷結して作られた、冷酷さという仮面が、ベリベリと音を立てて剥がれ落ちた。
 肩どころか足腰からも、力が抜け落ちてしまう。

 シャトーに手を引かれていなければ、気味の悪い車内で、崩れるように倒れていただろう。

「らしくないこと、するのね」

 乾ききった砂と潮の香りが、吹き抜ける風に乗って顔を叩く。
 肺に沈殿していた車内の空気を絞り出すように、大きく息を吐いて……シャトーへ手を伸ばした。

「ごめん。疲れが溜まっただけだから」
「……帰ったら、ちゃんと休もう」

 力を入れようとしても不器用に震えるだけの手から、拳銃をもぎ取られる。しなだれるようにシャトーへ寄りかかって、肩と胸で顔に跳ね返ってくる自分の呼吸が、顔を温める。

「帰れたら……いいけどな」

 いつもならからかうような喜色が織り混ざっているはずの、返答。
 しかし今のコアントローからは、それが抜けきっていた。
 叱責しようと顔を上げたシャトーが、コアントローの指差した空を見て、口を開けたまま絶句する。

 ――空を覆い尽くすドローンの群れ。
 それが近づいているのだと悟った。
最終更新:2019年05月15日 10:24