小説 > 在田 > ジルサヴィの部屋 > 11

どことも知れない座標に店を構えるバー『フラテッロ』。本来ならば知り合う由縁もなかった二人のバーテンダーが切り盛りする不思議な酒場。
腐れ縁の男達がゆったりとグラスを磨くその店は不思議なもので、いかにも閑古鳥が鳴きそうな店構えに見えて、世間に知れずとも人はやってくる。
頼んだ逸品も、頼まれざる珍品も出揃う不思議な憩いの場。
時間や場所は勿論、巡らされる策謀からも、飛び交う悪意からも遠く離れた一角。
ここに来るお客様は、全てのしがらみから解き放たれた、一人の人間としてこの時間を楽しみにしてやって来る。
この『フラテッロ』、普段はスタイルこそ異なるものの、重厚な木目と柔らかな照明と音楽が織りなす落ち着いたしつらえの店である。しかし今回はどうにも様子が違う様子……

どうしてこうなった。
歓迎できないデジャブ(歓迎できるデジャブなどあるのだろうか)を脳裏に感じながら、サヴィーノは今回の"店構え"を見渡す。ウーファーが放つ重低音の響きに揺すぶられ、壁のクラックや黒ずみ、退色が年月を物語る空間は広いホールの様だ。肉感を排したサウンドに合わせて色とりどりの光を放つ纏まりのない風情のそこは、立って踊るフロアとどっしりとしたソファーの置かれたブースとをはっきりと分けられ、壁に掛けられた大きなスクリーンでは、DJブースで奏でられるテクノに合わせて幾何学模様を踊らせている。ついさっきまでフロアを沸かせていたDJが交代するのを横目で眺める。袖口から除く脹れて爛れ、常人ではあり得ない寒色に染まった肌。顔を覆って表情を見せないフルフェイスマスクとブカブカのフードつきパーカー。フロアの沸騰を維持したままブースから降りた男はEAAでは見慣れない存在、ミュータントだろう。
「……おいおい、何だこりゃ」
サヴィーノは顔をしかめた。
この隔たれたカウンターには届いていないが、フロア全体にどことなく漂う薄い紫煙と、鼻につく甘い匂い。辺りを見てみればソファーの周りに数種類の背の高いパイプが林立している。多くはスタイルも様々なシーシャ(水煙草)だが、端に固まっているとりわけガラの悪そうな一団が交代で抱えているのはサイバーボンゴやスニッファー——ガンジャやコカ(麻薬)の類いだとすぐに分かった。
この手の盛り場に出入りするサヴィーノだからこそ、暗に引かれている一線には敏い。ここは一線越えを許容する場——限りなくアンダーグラウンドに近い場だと見抜く。
こんな所に二人を呼びつけるのだ、今日の客は一際ろくでもない手合いだろう。レメゲトン達とちびっ子二人(女子供)が休暇に出て行って、寧ろ助かった。ビールサーバーを確かめるサヴィーノの手に僅かに力が籠り、油断なく若者たちを見据える。
「今日はこういう趣向か?」
「全くもって、醜い」
自分はいいが、ヤツはこんな所に耐えられるだろうか。横の相方——ジルを見ると、彼は露骨に顔を強張らせ、鋭利な視線にありったけの嫌悪感と侮蔑を込めてていた。その表情には怒気すら伺える。無理もない。肩でも叩いてリラックスしてもらおうと考えたその時、得体の知れない来客を案じる二人のカウンターに長い影が差した。
「おお、おお、これは旨そうな酒場だ。一杯貰えるかな、お若いの」
「失礼ながらご老公--うっ」
「なんだよ爺さん、俺達……ん?」
静かに怒気を称えていたジルの顔が、突如として強張る。まるで見てはいけないものを見てしまったかの様な表情と端正な顔に流れる冷や汗を見て、サヴィーノは今夜の客がこのいやに覇気に溢れる老人である事を悟った。
「ち、陳閣下……なぜここに」
「いやなに、どうやら各社の貴重なテウルゴスを三人も自慢の庭園に呼びつけて酒を出させた者がいたと聞いたのでな。私も思い出の場所で飲みたいと思ったのだ」
川の流れに切り出された花崗岩のような顔が、フロアを染める虹色のレーザーを浴びて不思議な陰影を湛える。未だ衰えを感じさせない力強い目つきと矍鑠とした佇まい。一つ一つに歴史が深く刻まれているだろう皺を動かし、老人はニヤリと唇を歪める。
『老龍』陳明秀。技仙公司代表取締役。血みどろの権力闘争を制した一人。長い停滞期から巨大な基幹企業をまとめあげ、CDグループへの進攻に一役買った梟雄。
そんな男が、二人の前に腰を下ろした。
「まずは雪華ビールをいただこうか。適当につまみも頼む」


「いつまでそんなに強ばっておる。バーテンダーなのだからシャキッとせんか、シャキッと」
からからと笑いながら陳はぬるい瓶ビール片手にタニシの激辛煮をつつく。良く言えば古風ーー悪く言えばダサい黒のマオカラーと相まってその姿はまるで近所の酒好き爺さんだ。他の人間がこのカウンターに近づく気配はないが、前にもまして異常な状況は目の前の二人にとっては笑うどころてはない。何せこんななりでも要人なのだから。
「いや、あのですね」
「何じゃ、言うてみい。こんな所で礼節なんて気にすることはない」
「じゃあ聞かせてもらうんだがよ」
ジルが制止する間もなく、サヴィーノがカウンターから身を乗り出す。
「ここ、一体どういう所なんだ?偉いさんの思い出の店にしては随分とガラが悪いが」
「おお、それか……その前に灰皿とモヒートを頼む。アブサンを使ってくれ」
「アブサンは何になさいますか?」
「ラ・シャルロットで頼む」
「アブサンだって?元気な爺さまだな」
老人とは思えない豪快さでぐびぐびとビールを飲み干した陳はサヴィーノに向き直った。隣ではジルが流れるような動作でアブサンと冷えたグラスを取り出す。
「店の名は"蓄音機時代"。ここはまあ……何というか、見ての通り、地元の連中が集まるナイトクラブみたいな所よ。確かにちとガラは悪いが」
「そいつは見れば分かる。しっかしあのアレクトリスにこんな店があるとはな」
「嘗てあったのさ。アレクトリスの人間が地上に戻る前からな」
「おい、てえ事は……」
グラスとクラッシュアイス、ソーダが触れ合って子気味良い音を奏で、スペアミントとライムが爽やかな香りと色合いを振りまく。
「盛り上がっている所を失礼いたします」
顔を付き合わせる二人の間にミントとライムをあしらった白いカクテルを湛えたタンブラーが差し出される。
「どうぞ、ラ・シャルロットのモヒートでございます」
モヒート。
大航海時代にフランシス・ドレイク船長の腹心から伝わった『ドラケ』と呼ばれる飲み物をルーツとし、かつて猛威を振るったコレラへの対抗策として飲まれた歴史もあるという爽やかなカクテル。
文豪ヘミングウェイも愛したこのカクテル、本来はラムを使うものなのだが、今回は曰く付きの酒としても知られるアブサンが使われている。
遠い19世紀の昔、多くの芸術家が愛し、彼らの遺した作品にも度々登場するアブサンはまた、彼らを破滅にも導いた。ゴッホやヴェルレーヌらの身を滅ぼした特異な香気の酒を用いたモヒート。風変わりな注文の味は、当のサヴィーノとジルも興味をそそられる。
何も言わずにグラスを傾けた喉仏がゆっくりと上下し、陳は静かに破顔する。
「気に入って頂けて何よりです」
「おお、旨いぞ……ええと、どこまで話したっけか」
「遥か昔からこの店があるってところまでだ」
「そうだそうだ。もはやこの店の始まりを知るものは誰もおらん。そう何件も在るわけではないが、ウルムチや北京の様な生き残りがいた大都市にはこの手の店が人々の慰めの場になったりした訳よ。清濁がどうとも言っていられん時代だ、当局も黙認せざるを得ん」
「店に歴史ありか。アレクトリスの良く分からん部分を垣間見た気分だぜ」
サヴィーノの素朴な感想を聞きながら陳はグラスに口をつけ、また口を開く。
「おおっぴらに話すもんでもなかろうて。それとも爺の昔語りをもっと聞きたいかね?」
「ジルは知ってるもんだと思ったが」
「そうでも無かろう。アレクトリスの各社の歴史は公にならない部分も多いし、誰もそこには触れようとせん。特に"輝ける"クロノワールでは尚更だ……」
刺すようなレーザーを浴びてその表情を変えるモヒートのグラスを愛撫しながら、違うかね?と言いたげに陳は首を傾げる。ジルは無言で首肯した。
「爺の昔語りと婆の愚痴は一等煙たがられると相場は決まっておる。だがそう言われるのは歳を食うとそういうのをしたくなるからだ」
「厄介な爺さんにはなりたくねえな」
サヴィーノの脳裏に因縁の影がちらつく。それを見透かした様な視線を向けた陳は、からからと笑ってまたグラスを傾けた。その中身は既に半分が消えているが、顔が赤らむ様子は見えない。
「だが今宵は付き合って貰うとしよう。ええと、サヴィーノとやら、お前さんも飲め」
「いいんですかい?それじゃあご相伴に預かるとしますかね」
「このグラスが空いたら、そうさな……オールドパーの18年をボトルで。あと水とセロリでも貰おうか」
「アブサンのカクテルを飲んで次はウイスキー?つくづく元気な爺さまだ」
骨董品の銘酒を飲めるとあって調子づいたサヴィーノの横腹を嗜めながら、ジルは陳に向き直る。
「失礼ながら私も、些かペースがお早いのではと思うのですが……」
「気にするな、倒れるような無様は見せんよ」


「それで、どこまで話したっけのう」
「だからここと歴史の話だっての」
酒が回ってボケたのか?とでも言いたげなサヴィーノの横腹をジルが再び小突いて嗜める。無礼講とは言われたものの基幹企業の社長に対してこの物言い、ジルからすれば胃が痛いどころの話ではない。
「そうだそうだ、それだ」
程よくカットされたセロリを齧り、ロックグラスを鳴らした陳は無礼なバーテンダーなど気にもとめずに口を開いた。
「この店は旧中国時代のウルムチ地下鉄、南門駅の遺構を使っておる。一号線と二号線の乗り入れ駅じゃな、今は旧市街の辺りだ。ほれ、その辺に名残が見られるじゃろ」
良く見るとDJブースの端辺りはトンネルが埋められた跡が見える。人々を運ぶ場であった駅が、腰の重い酔っ払いや悪党達を受け入れるまでの時の重みが、所々に走るクラックに現れている様にジルは感じた。
「ウルムチなのですか、初耳でした」
「公になる店でも無かろうしな。気づけば悪党やごろつき共の溜まり場だ」
「どうやってこんな店を知ったんだ?」
「お決まりのパターンよ、悪い先輩に遊びを教えてやると連れられてな。大学に入ったばかり、軍の"ぐ"の字も知らん頃だ」
「確かにあるあるだな」
そう言って陳はロックグラスを口に運ぶ。
オールドパー。
傾けても倒れない縁起物の瓶でも知られるブレンデッド・スコッチの雄。150歳まで生きたといわれる老人にちなんだウイスキーは、かつて極東の帝に献上された歴史をもつ逸品だ。最早キーモルトの蒸留所も戦火で喪われて久しい酒に舌鼓を打ち、テクノと薬物で明日から目を背ける風景は何とも言えない退廃的なムードを醸し出す。
「で、暇ができればここで水煙草を呑んでごろつきと戯れてた訳か。偉いさんのやるこっちゃねえな」
「全くです」
「そう言うな、向こうの奴らも過去の幻影に過ぎん。今となっては生きているかも分からん」
息継ぎのような軽いクリック音。葉と紙の焼ける匂いが、電光式ライターが煙草に火をつけた事を教える。ロックグラスを弄び、紫煙をくゆらす陳は本格的に思いで話モードに入ったという事だろう。
「過去の幻影と言いますと、今はもう……」
「そう、再開発で根こそぎよ。いつまでも在っていい店でも無かった」
照明の具合だろうか、サヴィーノは紫煙を吐き出して淡々と語る陳の顔の皺が濃くなったように感じた。
「当然と思う反面、寂しい話だ。やっぱりお偉方には目障りだったのかね」
「否定はせんよ。事実、ここや他の料理店、売春街がマフィアや反体制派、果ては汚職役人共のネットワークの拠点になっていたからな」
「それも良くある話だな」
あまり酒が進み、顔が綻ぶ話ではない。にも拘らずボトルの中身が減る速度が変わらないのは、伏魔殿を駆け上がった男の肝臓と、心に抱える暗い澱故か。
「モンゴルや沿海州の平定に躍起になっていた頃ならいざ知らず、本社の膝元で腐敗が極まるのは許しがたい。ロアリティの屑どもの介入まで招いていたのなら尚更だ」
「そこでその醜い名前を聞くとは思いませんでした」
サヴィーノはため息と共に天を仰ぎ、ジルの顔にはまたもや苦い表情が迸る。清廉潔白を旨とする騎士からすれば唾棄すべき存在であろうことは想像に難くない。
「で、失脚から舞い戻る羽目になった私の最初の仕事がこれという訳よ」
「旦那がやったのか」
「おうよ。他社のキャンペーンに乗じて繋がってた者共を一掃し、ロアリティのような連中にはきっちりお灸を据えてやった。成功して当然の仕事で、主に買うのは恨みだ。仕事としては貧乏くじだわな」
「他社とも、ですか?」
差し出されたセロリのおかわりを息継ぎ代わりにつまみ、サヴィーノが空いたグラスに琥珀色のウイスキーを注ぐ。すでにフロアを揺らす喧騒は遠く、朧気なものに感じられた。
「足並みを揃えたわけではないが、結果的に君のマダムは良く協力してくれたと言える。ちょうど互いに出しきりたい膿が溜まっていたのだろうて」
「ああ、成程……」
その一言で察するに余りある事情をジルは察した。この暗闘は過去の思い出ではなく、現在も続いている事を老龍の平坦な表情が物語る。
「そうこうして、ウルムチの街は丸ごと"再構築"された訳だ。檳榔子の唾で汚れた道は綺麗になり、"洗浄"された旧市街からはスターとなるテウルゴスも生まれた……だから、あれらは爺が人知れず懐かしむ、インモラルな過去の幻影という事よ」
陳は煙草を灰皿に押し付けて語りを切り上げると、ロックグラスに僅かに残ったオールドパーを飲み干した。その頬にはうっすらと赤みが差している。
「中々飲まれましたね。打ち止めになさいますか?」
場の空気の重みを抜くようにジルが問いかける。陳は頷いてシンプルなチタンの磁気カードを差し出すと、ビールを飲んでいた時の様にからからと笑って口を開いた。
カードの限度額は技仙公司の年間予算とほぼ同額。コラの社長婦人と同様、これでは限度額などあってないようなものではないかとジルは二度目の疑問を覚えた。
「うむ。では、会計を済ませて飲み直すとするか。付き合って貰うぞ」
「「えっ」」
胡乱なフロアの幻影が淡くぼやけると、三人の視界が暗転する。


「今度はどこだよ……」
「ここは……あっ」
暗転した先はシックな内装で整えられた瀟洒なペントハウス。オレンジがかった柔らかな間接照明がソファーや卓を照らし、大きなはめごろし窓には壮大な夜景が見える。深夜でも煌めきを失わない街の明かりと、彼方に黒々と聳え立つ城壁と防衛機構を映す曇り一つない窓ガラスが最新鋭の防弾ガラスであることを二人は既視感と共に見抜く。
「私の私邸だ。一瞬で移動できるのは便利でいいの」
「ええと……ここはウルムチ?」
「おうよ。歳を取ると、自慢のコレクションと夜景がつまみになるのよ」
「初めて来たぜ。城塞都市って聞くから狭いのかと思ったけど、結構広いもんなんだな」
まあ見てろ、男の子はこういうの好きじゃろ?と呟いて陳は指を鳴らす。すると壁の書棚がせり上がり、中から菱形の連続紋様を金に煌めかせ、ターコイズや青水晶、ブラックダイヤモンドが象嵌された剣を納めたケースが現れた。それを見たサヴィーノは無邪気にはしゃぎ、ケースの中身を見たジルの顔が青ざめる。
「おほっ、すげえ!何だこれ。剣か?」
「知らないんですか、あなた……これ、これは……」
越王勾践剣。
中国春秋時代後期、越の王「勾践」が8本保有していたと言われる名剣である。なかでも腐食や変色が殆ど見られず、鳥蟲書による刻印が打たれたこれは、1965年に湖北省の望山1号墓より出土したもので間違いないだろう。
「春秋時代の文化遺産が、自慢のコレクション?」
「ちなみに相棒よ、これどんなもんなの」
前みたいにジルの百面相が拝める程度には値打ちが張る骨董品なんだろうな、程度の気持ちでそっと耳打ちするサヴィーノの横で、唇をひきつらせたままジルが小声で答える。
「わからない……ああいうものは本当に値が付かないんです。恐らくあなたのモンテ・ビアンコよりは遥かに安いと思いますが、やはり戦車位は……」
「は?」
サヴィーノの顎が外れんばかりに落ちる。
"やはり戦車位は"?
ってかまず出てきた比較対象が俺のテウルギアって何?
束の間、サヴィーノの脳裏にリキュールグラスをぶち壊したと言った大男の姿がよぎり、深紅のドレスに身を包んだゴージャスな美女にしばき倒されていった。
「なあ、ってことは万が一、億が一にも粗相なんかあったらよ……」
「宝剣の価値は金額だけではありませんし、ましてやあれは数少ない中華の秘宝です。良くて全額弁償、最悪外交問題でしょうね」
なんでそんなもん眺めながら酒なんか飲もうってんだよ。
さっきまでの心地良い酔いが血の気と一緒に引いていくのをサヴィーノは感じた。
「しかし、三千年越えの宝剣をこんな所でお目にかかれるとは」
「手に入れるのに苦労したわい」
「それで、年甲斐もなくここで朝まで飲もうってか?」
サヴィーノが呆れて声を出す。店で痛飲してから自宅で朝までなど、これではまるっきり不良学生だ。一体この老人の体力はどこから湧いているのかサヴィーノには不可解でならなかったが、銘酒にありつけるなら爺さんの昔話に付き合うのも案外悪くないかもしれないという現金な思いも沸きつつある。
「おうよ。年寄りになると寝つきが悪くなってなあ。羽振りは良くなるんだが」
「よく言うぜ。俺たちを振り回したいんだろ」
「もう夜も深いですし、お休みになられた方がよろしいのでは……」
「何を言う。まだ夜は始まったばかりじゃあないか」
「そうだぞジルー。今夜はオールナイトだぜ」
「サヴィーノ!あなたまで!」
何を思ったのかサヴィーノまで寝返った事にジルは頭を抱えた。
「長い物には巻かれろってな。せっかくだしご相伴にあずかりながら昔話を聞くことにするぜ」
「巻かれる相手を見極めろよ色男。そのまま〆られることもあるぞ」
「うへぇ、含蓄のあるお言葉だぜ」
「それにあなたもバーテンダーでしょうが。ほら、持ち場がありますよ」
「そうじゃそうじゃ。飲んでいいとは言ったが酒を出さなくていいとは言っとらんぞ」
「わーったよ」
窓を挟んだ宝剣の向こうの壁には、本来はあるはずのないどっしりとしたカウンター。ブラウンのニスが穏やかに光るそのハンガーには様々なグラスが吊るされ、ガラス戸の奥には色とりどりの銘酒、佳酒がずらりとそろう。
天地の夜景を一杯に映す窓は満天の星と地上の人の光を邸内に招き入れ、悠久の時を越えた宝剣はその光を一身に受けて淡い輝きを放つ。敢えて光を落とした室内の中で、老龍の姿は逆光に黒く塗られ、万年の風に吹かれた髭のような白髪だけが光を通す。サヴィーノは息を吐くと、シャツの袖をまくり上げた。
「で、お客様。ご注文は?」

最終更新:2020年02月15日 00:48