小説 > 在田 > 三人の馬鹿な男たち > 03

3話――馬鹿は拳で語らう


 暗く閉ざされた狭いコクピットが開かれる。
 眩いばかりに白を基調とした空間。天蓋から窓から差し入る陽の光に照らし出された場所は、今まで見てきた格納庫とは桁違いに明るく開かれた空間であった。

 モズマ統治体が保有するテウルギア:VVL20 モンテ・ビアンコ――その12番機こそ、サヴィーノが駆るテウルギア〈グリエルモ・テル〉の登録名だ。

 統治体の所轄でありながら、VCFが管轄する格納庫にて、本日の役目を終えていた。
 損傷らしい損傷もなく、出撃前とほぼ同様のコンディションを保ったまま、格納庫に屹立する。
 つい先程まで、一つの諍いがあったにも関わらず、だ。
 街一つを使った、豪華というには野蛮が過ぎるものの、盛大な祭に乗じた、一種のテロ行為だった。
 しかし争いというほどには至らないまま収束する。

 その場にいた兵士たちの迅速かつ的確な連携による賜物だろう。
 始まりから終わりまでもあっという間に、そして事が大きく広がる前に鎮圧された。

 同じ時、同じ職務を与えられていたサヴィーノはしかし、宛てがわれた区域が少し離れていたばかりに、連携に加わることさえないまま、事件は決着した。
 その始終に至るまで、サヴィーノは外野のまま終わった。

『ちょっと待ちなって……サヴィーノ! ねえ!』

 昇降機が来るのを待つ暇もなく、ヴィットーリアの制止を振り払って――背中を突き飛ばすような衝動に任せ、コクピットから飛び出た。
 外装をよじ登り、水平に伸ばされた〈グリエルモ・テル〉の腕部へ足を乗せる。

「出てこいクズ野郎ォ!」

 腹の底から沸き上がり、喉を震わせる憤怒。
 人が歩くことなど一切考慮されてこなかった、無骨で不安定極まりない金属の塊。彼が一歩を踏み出すごとに、強靭な装甲が音を響かせ、柔軟であった関節が軋み、大きく揺らぐ。
 あまりに力任せで強引な疾走だ。
 今にも落ちてしまいそうな足場へ目もくれず、サヴィーノは怒号を轟かせる。

「どうしたよ腰抜け!? 合わせるツラがねえのか?」
『がたがた喚きゃいいと思うなよ――』

 正面には、もう一機のテウルギアがあった。
 サヴィーノの足場である腕部は、ただ理由もなく伸ばしているのではない。そのもう一機へ殴りかかるために描かれた姿勢であった。
 しかし拳は、五指のマニピュレータに握り込まれ、装甲……ひいては胴体にまでは至らず、静止したまま。

 スピーカーを介して響いた返答と共に、その胴部から一人のシルエットが躍り出た。
 昨晩に見たものと全く同じ服装で、ゆらりと腕部まで登る。
 ゆるやかに握った二つの拳。肉薄するサヴィーノを鋭く注視。

「――だが、てめぇの甘ったれたツラを治すにはいい機会だ。感謝しろよ色男」

 ジョニー・ザ・ウォーカーと――相対する。

「感謝だと?」

 吐き捨てるような一笑で一蹴――しかし疾走は衰えず/身を屈めて接近。

「おめえに感謝してやる義理なんざ、ハナからねえ!」

 一瞬で、間合いに踏み込んだ。
 右腕の拳――機械仕掛けによる怪力+疾走の勢い+筋肉に固められた全身が放つ膂力――それら全てが一瞬に重なり、爆発にも似た勢いを引き連れて、放たれる。
 屈んだ低い位置から、土手っ腹めがけて撃ち出された文字通りの鉄拳。
 爆走する車に轢かれるに等しい衝撃だ。そのまま肉体は軽々と吹き飛ばされてもおかしくなどない。
 文字通りの鉄拳は、しっかとジョニーの正中線を捉えていた。

「おおそうかよ。そりゃ残念だ」

 あまりにも軽々しい言葉。聞き取れる限り、どこにも力みが読めないほどの揚々さ。
 ジョニーは、サヴィーノの拳をいとも容易くいなしていた。
 ひょいと小石を蹴飛ばすような気軽さだ。身構えた素振りさえない、小さく揺らした足先で――サヴィーノの全身を載せた拳を、あっさりと横へ蹴飛ばしたのだ。

「俺はてめぇと仲良くなれるんじゃねぇかと思ってたのによぉ」

 崩れゆく姿勢を建て直す余裕など、驚愕に消し飛んでいた。
 ひょろりと細い体で、力さえ声に見せないままで……なぜ、渾身の拳をいなしたのか?

 為す術なく、転倒した勢いを殺せないまま、激しい装甲板に全身を打ちつける。テウルギアの腕部は水平を保っているとはいえ、装甲板が真っ平らというわけではない。関節部との干渉や剛性を考慮し巧緻に構成された、複雑な凹凸が、その度に肉体へ叩きつけられる。

 しかし次には、巨大な筋肉の鎧をバネのように跳ね起こしていた。

「気が合うな。俺もそう思ってたさ」

「じゃあそうすりゃいいじゃねぇか」

「ふざけんな。キザばかり振る舞いやがって――」

 今度こそ唾を吐いた。テウルギアという巨大構造物から、遥か下――格納庫よりも教会と呼ぶに相応しい空間で。
 しかし汚らしい放物線に目をやれるほど、おおらかではいられない。
 固く拳を握る/膝を落とす/決してブレない激情を背負う。

「――女一人、守れなかった奴の台詞か?」

 本来、サヴィーノはここいるべきではない。
 モズマ統治体に所属する彼も〈グリエルモ・テル〉も、VCFという他企業が管轄する格納庫になどわざわざ寄る必要などなく、少し移動すれば本来戻るべき格納庫があるはずだ。

 だが、VCFの格納庫に寄らなければならなかった。
 理由と呼べるほど厳格ではない。必要でもない。一存であり独断だった。単なる動機でしかなかった。
 サヴィーノは蚊帳の外のまま集結した事件で、犠牲は皆無ではなかった。

 この格納庫には、二機のテウルギアと、一機のマゲイアが収められるはずだった。
 一つはVCFが持つ唯一のテウルギア――〈歩く大聖堂(ディエス・イレ)〉。今も彼らの視界の隅――格納庫の最奥部に鎮座・沈黙している。

 もう二機は、二人の傭兵に宛てがわれたものだ。
 ジョニー・ザ・ウォーカーのテウルギア――〈タンブルウィード〉。
 そしてもう一つは――昨日までは、ここにあった。

 今はもう、ない。その持ち主と共に。

「守れ、なかっ、たぁ……?」

 意味がわからないとジョニーが反復し、そして鼻で笑った。天に向けた人差し指を、くいと曲げて挑発する。

「甘ったれんなクソ色男。傭兵なら当然の死に様じゃねぇか……男も女もあるかよ」

「ああ!? そうだなあ!!」

 再び、背中の激情が爆ぜた。
 サヴィーノを突き動かすのは、まともな理性ではない。倒れ込むように前へ出たのか/足が勝手に躍り出たのか/本当に衝動に突き飛ばされたのか――それさえ判然としないまま距離を詰め、双拳を構える。

「だからおめえはクズ野郎なんだよ」
「だからてめぇは甘ったれなのさ」

 再び勢い任せに放たれた鉄拳が、するりと絡みつく腕に、外側へ押し出される。間合いの、さらに内側。これ以上なく肉薄したジョニーの拳が、鼻っ面目掛けて突き出される。
 迫りくるグローブのシワに至るまで、サヴィーノの眼は捉えていた――それが、日頃からよくされていると思い至るよりも前に、頭が勝手に動いた。
 頬を掠め、耳の端にピリリと痛みが迸るまでを、見届ける。

 次に前を見た時には、肩から上を強引に突き出していた。
 すぐ近くまで来たジョニーの顔面に、頭蓋がめり込む。
 ……わずか一秒に満たない間の応酬だ。

 よろめいて後退するジョニーが、手で顔を覆う。
 見えない表情の下を妄想し、声を張り上げた。

「ワンポイントだ。あまりに性根の腐りきったツラだったからなあ! ちったあマトモになったんじゃねえか?」

「……肉達磨め。今にてめぇの根性も叩き直してやるよ」

 鼻の下を拭ったジョニーが、今度は動いた。
 あまりにも早すぎる拳の突貫――すぐにブラフだと判断/咄嗟に後ろへ跳躍した足を、逆に前へ振り上げる。
 目覚ましい反射で前進を止めたジョニー……つい一瞬前まで足があった箇所へ叩き落とされた足音が、空間に轟いた。
 じんと足に痺れが走る寸前に、もう一歩を前へ繰り出す。
 図ったように、外側から刈り取るようなジョニーの足が飛来する。
 すんでのところで足を止めた――生身の人間がバランスを崩して、無事でいられるような高さではないと。

 かと思えば、ジョニーの足は刈り取れただろう位置よりも前で静止――サヴィーノが足を踏み込まないところまで含めて計算していたとばかりにほくそ笑んだ。

 その表情をサヴィーノが知覚するよりも早く。
 前へ突き出た足を軸足に、ジョニーは反対の足で跳躍した――いつ重心移動したのかと疑問を思いつく時間さえないほど鮮やかだった。

 ひょろりと長い体躯ゆえの遠心力を得た、上段からの踵落とし。
 前へ出ようとしていた勢いを殺せず、そして左右という回避先のない足場。
 両腕を頭の上に交差させたが――それごと叩き落さんばかりの衝撃が、サヴィーノの鼻下を殴打した。

「ザマぁねぇな。てめぇすら守れねぇ輩が、女を守るだと? どの口がほざいた?」

 口に広がる血の味を噛みしめる。
 三度、衝動に任せて体を動かしていた。
 軽口を返すより/睨みつけるよりも早い=むき出しの本能に身を任せて――離れかけたジョニーの足首を掴み、力任せに、横へ。
 ただでさえ長身ゆえに重心の高い人体が、足一本で立っているのだ。強引に揺らせば、たやすく体勢を崩せる。

 致命的な打撃を意味するほどの足場だと知った上で、だ。
 テウルギアほどの超重量の物体を置けるよう、頑強に舗装された床だ。受け身をろくに取れなければ再起不能は免れないだろう……。

 足場に捕まる暇さえなく宙へ躍り出た体躯を見て、刹那に後悔が過ぎる。
 姿が見えなくなった瞬間には、すっかり感情は冷え切っていた。

 どさりと重々しい音が聞こえた時には、急に行き場をなくした激情と一緒に、後悔も悲嘆も噛み殺した。
 追いかけるように降りた。立ちすくむテウルギアの装甲を足場にして。坂を下るような軽快さというよりも、自ら後を追うような逼迫さを背中に纏わせていた。
 ……地面に寝そべる姿を拝んで……思わず、苦虫を噛みしめた顔をする。

 語りかけるように、ゆっくりとしゃがみこむ。

「おめえは、俺を最期の男にしやがった」

 ただの独り言……。
 どうせ聞こえなくなっただろうと。せめて抑えきれない憤怒を、我儘で包んで、こぼれ落ちるような声で溢れさせた。

 ……そのつもりだった。

「クハ、ハ、ハハハッ……!」

 目を剥いた。
 高所から放り投げられ/硬い地面に/受け身も取れず――。
 多少のぎこちなさはあれど……まともな人間ならば、笑いながら動ける状態ではないはずだ。

「やっぱり、クソ野郎そのものじゃねぇか」

 しかしジョニーは立ち上がっている。余裕そうにハットの埃をはたき落とし、被りなおす。その下でヘラヘラとした表情は依然変わらず、サヴィーノを見下ろしていた。
 嘲り、肩をすくめ、指差す。
 投げ落とされた痛みなど、意に介していないとばかりに。

「昨日会ったばかりの女に、どこまで義理立てるつもりだぁおい。
 いや違ぇよなぁ? てめぇのは義理じゃねぇ。正真正銘の無責任さだ。
 火遊びばかりしときながら、火傷したくねぇってか。燃やし殺しちまうことも嫌だと? 寝言も大概にしろ。
 だからてめぇの拳なんざ痛かねぇんだよ。
 ちっとも悲しくねぇんだろ? おっ死んじまって。
 でも胸糞悪ぃよなぁ。遊んでばかりの自分が! 最期の相手じゃあぁよおぉ!!」

 嘲りから罵りへ、そして憤りへ――ジョニーが、怒りに犬歯を剥いた。
 立ち上がったサヴィーノの……先程までの怒りをそのままになぞっていた。

「わかるのさ同類。てめぇの思うことなんざ」
「簡単にわかられたくねえな――」

 思い出したように激憤が体中を迸る。
 ジョニーの構えとその眼光を見つめて――ほんの少しだけでも後悔してしょげていた自分を、後悔した。

「――おめえなら尚更!」

 ジョニーが指先を降る。

「来いよクソ色男。毎朝鏡見て思い出せるようなツラにしといてやるよ」
「クズ気障野郎。その減らず口、二度と叩けねえようにしてやる」

 再び、拳を握りこむ。
 一度めり込ませた程度では/いや何度眼前の男を変えられないことなど始めからわかっている。それさえ彼はわかっているのだろう――そこまでもわかっている。
 この行動は無意味だ。手向けにすらならない。単なる気晴らしに等しい、くだらない感情だとも知っている。

 だが打ちのめさなければ、怒りも悲しみも払拭できないと、本能に近い精神の根本が――腹の奥底が慟哭をあげているのだ。
 血も痛覚も通わない右腕さえ、燃えるように熱く感じていた。ジョニーの土手っ腹に/顔面に叩きこみ、歪める瞬間を今か今かと待ち焦がれている。
 くらくらするような視界のゆらぎは、手負いの証ではない。昂る思いが、意識と拳を前へと押し出そうと見せる幻覚だ。

 口の中に残り続ける鉄の味さえ癪に障る。
 唾と共に吐き捨て、ジョニーを睥睨する。

 バネのように足をしならせ、全身の筋肉が躍動するままに――。
最終更新:2020年04月20日 06:31