4話――三人目の馬鹿は伊達男
「……そこまでにしていただこう」
――爆進することは、叶わなかった。
見合わせたように、サヴィーノとジョニーの眼が動いた。格納庫の最奥部――もう一つのテウルギアが鎮座する足元。
純白のスーツに身を包む、もう一人の男がいた。
ジョニーのように細くも、サヴィーノのように太くもない。
甘栗色と黒でもない、燃えるような黄色の髪を短くまとめている。
深い青の瞳が、頑なな意志をたたえて、二人を見つめていた。
淡い色になめされた靴が、ゆらりと前へ出た。
「まずは感謝を伝えなければ。あなた方のたゆまぬ努力が、此度の祝祭を中止することなく成功へ導いた。あなた方なくして、これはかなわなかったことでしょう。
もちろん事情も伺っておりますとも。今日に集った方々が、明日に会いまみえることは叶わなくなった。心なき輩の所業だ。そして彼らに然るべき報いをもたらしたのもあなた方だ。素晴らしきまでの大義に恐縮するばかり」
歌うような声がこだまする。歩きながら、腕を広げ/胸を抱き留め/手を伸ばす――さながら舞台に立つ役者のそれだ。
……せわしない男だとサヴィーノは思った。
「忙しいヤツが来たなぁ」ジョニーがぼやいた。
「それほどの職務を全うした、今! 口をつぐみ堪え忍んできた、忸怩たる想いを晴らしたいのでしょう。実にいたましいばかり事故だった。あなた方が動揺するのも頷けます。いや否定しようがない!」
きれいな三角形を作れる位置に、男は立ち止まった。
厳粛たる意志を張り巡らした鉄面皮で、交互に二人を見た。
「だがこの場では、流血は禁じられています。ここは私、ジルベルト・ヴェルディの名に、VCFの社名に免じて、お引取りを願いたい」
「止められるのか? 俺たちを」
「一騎当千のあなた方だ。私は一本の柳のように立ち続けることさえ敵わないでしょう。だが止めなければならない」
ジルベルトが、サヴィーノの足元を指した。
床に落ちた血唾。白と灰色の床に、そこだけが赤く穿たれている。
「ここは、愛おしき妻が愛してやまなかった場所なのです。血で汚されたとて許せません。あなた方のように拳で語らうことができないとしても、私は参じなければならない」
頭に血が上り、相手の体勢を瞬時に見分けられるよう研ぎ澄まされていた意識が、ジルベルトの足を見つけた。
仕立ての良いスーツだ。体型を浮き彫りにしない程度に覆い隠し、緩やかな線を描いて揺らめかない生地の奥。その足が、小刻みに震えている。
再び見上げたジルベルトの瞳に浮かぶ、決然たる意志とは裏腹に。意志のままに、本能で逃げたがり戦慄する身体をこの場所まで引っ張ってきたのだと覚った。
一方で、ジョニーが吼える。闘志を示す姿勢は頑なに崩すつもりはないと。
「所帯持ちだったか。なら帰りな。てめぇも男だ。かっこつけてぇなら、血塗れのツラを見せるわけにゃいかねぇだろ?
掃除ぐらい後でしてやる。雇われの義理さ」
「いや、これ以上は許されない」
一歩、震える足を前へ出したジルベルトの眼は、決して弛まない。
ジョニーの眉が、見定めるように上がった。
「いい度胸してんじゃねぇか。奥さんのためならどんだけボロボロになってもいいってか? なかなかの伊達男だ。
だが流血禁止なんだろ? 自分が加担するってのはいただけねぇ――」
「私の、愛の証明だ!」
ジョニーの声を遮り――ジルベルトの声が雷鳴のように響き渡る。
しんと静まった一拍の間。空間を支配したと言っていいほどに、圧倒した。
「私の愛は伊達ではない。だからここにいるのだ」
「愛、ね」にい、と口の端がつり上がった「悪かねぇ」
構えを解きながら向けたジョニーの眼は、雄弁が過ぎた。
「――だとさ。色男?」
ひ弱な男が、喧嘩する男二人に立ち向かったことは、勇気ある行動だろう。
大切な配偶者の好きなところを守るためと。称賛されるべき心構えだ。
サヴィーノはかぶりを振ってしまう。
奇しくも、その顔はジョニーと同じく、皮肉に塗れた笑みだった。
「知るかよ。そんなもん」
――筋違いにもほどがある、と。
愛するべき相手がいるジルベルトの言葉だ。ジョニーは賛同せざるを得ない。
だが、どうでもいいはずの女に情けをかけてしまうサヴィーノは別だ。愛など知らない。
そもそもいなくなった人間に対して、ジョニーはおろかサヴィーノでさえも、ジルベルトの述べたような、教科書どおりの悲嘆など微塵も持っていない。それが生じるための愛おしさも覚えていないのだから。
サヴィーノからすれば、一晩だけの間柄だ。何度となく、何人とだって繰り返したコト――そのうちの一人に過ぎない。だからこそ、死に際の思い出が、どうでもいい男とのどうでもいい一晩になってしまったことが許せなかった。
たかだか一晩だけの関係であっても……女の死を、そんなくだらないものでしか飾れなかったことが嫌なのだ。
割り切れなかったサヴィーノと、割り切ったジョニー――それだけの話だ。一人の女をめぐる、男二人だけの話。
どれほどの理由があろうと、他人が踏み入る余地などない。
「そういうこった。悪ぃが落ち着くまで、鼻クソでもほじって待っ……おい、伊達男」
しかし、ジルベルトは二人の間に押し入る。今度こそ、身体を入れて、両手を広げる。
「言ったでしょう。私の愛の証明だと。伊達ではないと!」
――サヴィーノが、その異変に気づいたのはその時だった。驚くヴィットーリアの声が耳朶を打つ。だがこの瞬間になって、もう手遅れだと気づいた。
「上等だ」
ジョニーの動きはあっという間に終わった。
真っ白なスーツの胸ぐらを掴み、持ち上げ、ひょいと放り投げる。
柳の方がもう少し持ちこたえただろうばかりに、あっけなく地面へ転がったジルベルトを指差す。
「覚悟と度胸は認めてやる。だがてめぇの女のためなら、せめて守ってやれるぐらいは鍛え――」
ジョニーの言葉は続かなかった。
当然だろう。超重量の鋼鉄の塊に衝突され、サッカーボールよろしく軽々と吹っ飛んでいったのだ。
そのまま壁際に設えられた石像に激突/粉砕し、巻き起こる白煙に、ジョニーは見えなくなる。
飛ばされたジョニーのハットが、地面に落ちる。
その安否を疑うよりも早く――。
子供の声が響いた。この場にいないはずの声が。
『――おはよう。母上』
最終更新:2020年04月20日 06:36