5話――馬鹿は軽率に愛を嘯く
サヴィーノは思わず、それを見上げた。
人間サイズの物体を、軽々と蹴り飛ばせるような巨躯。サヴィーノのような右腕だけの鉄拳ではない。正真正銘の巨大構造物にして超重量の鋼鉄――テウルギア。
「な……っ?」
次に見たのは眼前=床に尻もちをついたままのジルベルト――テウルギア〈ディエス・イレ〉のテウルゴス。
テウルギアに携わる者なら誰であろうと……いや機械全般に置いて当然のものだ。
人間が動かそうとしなければ、機械が勝手に動くはずなどない。いくつかの例外こそあれど、テウルギアにおいては殊更だ。
テウルゴスとレメゲトンが同在しなければ、テウルギアはまともな稼働などできるはずがない。
器用に、腕を伸ばしたままの〈グリエルモ・テル〉を押しのけ、ジョニーだけを蹴り飛ばせるはずなどない。
狭い空間に、風が吹き荒れた。
〈ディエス・イレ〉が、ジルベルトを前に屈んだのだ。両の手で彼を救いあげ、守るように、握りこむ。
祭典の時と何ら変わりはない。豪華絢爛極まる装飾に彩られ、それを大きな白いマントに隠している。
ただ一点だけ……左右で緑と青と違っていた双眼が、共にエメラルド色を煌々と光らせている。
その下=胸部で開かれたままのコクピット――その奥に見える登場席はまだ誰も座っていない、がらんどうの空洞だ。
なら、誰が――何が、動かしているのか?
声にならない問いに答えるように、ジルベルトの声が再び響いた。
「アデラーイデは、光となって、そして〈ディエス・イレ〉に宿り……私と共にいる」
開かれたままのコクピットをそのままに、〈ディエス・イレ〉が屹立する。胸の位置に開いた手のひらに、ジルベルトを載せながら。
そして、次なる声が響いた。
『このぉ! よくも、ダーリンを!!』
もう一機のテウルギアが、動き出す。
拳を受け止めた姿勢のまま静止していた〈タンブルウィード〉だ。
肩から先を回し、武器に手が伸びる――寸前で、再び声が差し入る。
『よしなぁ、ハニー!』
『でも!』
『俺みてぇなイケメンに、心配なんざいらねぇよ――』
静まった白煙――白く積み重なった大理石の瓦礫を押し退けて、それが姿を見せる。
まともな人間であれば、動くことなどできないだろう損傷だ。
ジャケットの袖だけを残して、両方の腕はどこかに消えている。胴体のどこかがひしゃげているのだろう、シャツが歪んで、千切れた穴から金属片が覗いている。
顔にあっただろう人工皮膚も剥がれ、耐酸化に黒色加工された金属の頭蓋が、顕となった。
「――安心しな。俺はピンピンしてるぜ。この通りな」
それでも、ジョニー・ザ・ウォーカーは動いていた。
瓦礫の山を踏み進み、よろけながらも歩み進める。
今度こそ、サヴィーノの聞き慣れたくないはずだった声に/変わり果てた姿に、むしろ憎さは消え失せて、安堵する。
「おめえ、やっぱり人間じゃなかったか」
「俺は男さ。人間だろうとレメゲトンだろうと関係ねぇ。だろ?」
頬の人工皮膚をぷらぷら垂らしながら、変わらずヘラヘラと笑うジョニー。
拳を交えた、その瞬間から疑問はあった。
どう控えめに表現しても、体格においてサヴィーノの方が圧倒的に有利であったはずだ。小細工や体術など関係なく、力任せの喧嘩をして、細身であったジョニーが互角に渡り合えるはずがない。
――同じ人間ならば、という前提があればこその疑問だ。
だが全身義体、あるいはレメゲトン用の義体となれば話は変わる。高所から投げ落とされても、変わらず動き続けられたのだ。まともな人間ならば死んでいてもおかしくない状況で、その前提を疑わないはずもない。
であれば〈タンブルウィード〉から聞こえてきた女性の声は、テウルゴスであり/指輪のもう片方を持つ者だろう。
『わかったわ。でも後で治させてね』
「もちろんさ。ハニーと一緒にいる時間を、これ以上減らされてたまるか」
それっきり動きをやめた〈タンブルウィード〉の横で、ジルベルトが二人を見下ろす。
思わず、互いを見合わせた二人が、見返す。
「〈歩く大聖堂〉が、おめえの奥さんってか。棺の花婿」サヴィーノが声を張り上げた。
「歩く大聖堂、か……。なるほど否定しがたい。どこから広まったのか、私の忌み名もだ」
答えるでもなく、ジルベルトは応じる。
「如何にも、アデラーイデはここにいる。より正しくは、その聖遺物を収めるべくして建造されたのが、この機体だ」
「聖遺物……」
眉をひそめるサヴィーノ。
聖人と呼ばれる人間は、確かにいた。未だ見目の若いサヴィーノが、少しばかり若かった頃、存在はどこかで耳にしていた。企業歴唯一無二の聖人だ、と。
享楽に耽ってばかりのサヴィーノでも、土地に深く馴染んだ信仰とは離れられようもない。聖人とは、故人につけられた称号であると。なんとなくは察していた。
「なればこそ、広義においては棺と呼べるでしょう。そして教義においては、それを祀る教会でもあります。
そして私は、その教会を所轄する助祭であり、テウルギアのテウルゴスでも……」
歩く大聖堂……それは単に、過剰な装飾を揶揄しての言葉であったはずだった。
それを知ってか知らずか……胸から肩へ、歩き出したジルベルトが、その頭部をゆったりとなぞる。
「しかし! 私にとってはアデラーイデそのものだ。あなた方も見たでしょう。このテウルギアは私などいなくとも、己が力を振るうことができる。
この機体の中で、アデラーイデは生きている!」
朗々と声を響かせ、心底愛おしそうに金属製の装飾に指を這わせる。
……しかし、最初の返事となったのは、ジョニーの大きな嘆息だった。
「とんだカスだ、てめぇは。そりゃ死人を拝んでる連中だから、多少は、なんて思ってたが……」
ジョニーの目は、ジルベルトではなく、格納庫の最奥に飾られたステンドグラスを――描かれた十字架を見ていた。
「そのトップはやっぱ、意味わかんねぇことばかりホザきやがる。死人を動かして、なぁにが生きてるだ。
そんなもんで愛の証明なんざ、片腹痛ぇよ」
ジョニーが目を細く研ぎ澄ます。怒りの血気など、すでに冷めきっていた。
見つめ返すジルベルトの表情が、最初の険しいものへ戻される。
「お引取り願おう。
あなた方がこれ以上この場にいれば、また無益な争いが生まれ、無用の流血が起こる。
そして今度こそ、私では御しきれなくなる」
「わあったよカス伊達男。おおせのとおりに」
……ジョニーとジルベルトだけではない。サヴィーノもまた、興冷めに肩をすくめた。
すでにサヴィーノの興味は、ジルベルトとそのテウルギアになど向けられていなかった。
床に落ちたままのハットを持ち上げて、埃を払う。
両腕のなくなったジョニーでは、それを被り直すこともできないだろう。
愛する人間にかっこつけさせる程度の義理は、サヴィーノにはあった。
頭に被せて、肩に手をかける/互いの瞳の奥に、ギラついた光を見る。
「じゃあな。男根なしのジョニー。二度と会いたくねえよ」
「いちいち余計だ。だが同感だぜ。戦場でも会いたくねぇ」
それは、味方として相容れられないという決別なのか、それとも敵として……? ――疑問に思うだけ野暮であるとかぶりを振って、サヴィーノは歩き出した。
……一度だけ立ち止まって、振り返らずに告げる。
「礼は言わねえからな。気障野郎」
「わかってるさ。あばよ、色男」
一人の人間が死んだ、その情けも怒りも吹っ切れて、清々しい風が吹き込むようだった。
不思議と、サヴィーノは笑っていた。
背中にいる男もきっと笑っているだろうと思い、そして見られていないことを知りながらも、背中へ手を振った。
最終更新:2020年04月20日 06:44