小説 > 琴乃 > 誰がために紅星は瞬く5



リローデッド


Company Era 2■■/■■/■■
ウルムチ要塞都市新城市区・天山第一公園

技仙公司の本社所在地、ウルムチのイメージと言えば重厚な城壁とハリネズミの様な防衛機構、旧世代の面影を残す旧市街が一般的だろう。全ての温もりを奪い尽くすような内陸部特有の底冷えに何とか抗おうと人々は競うように着膨れし、路肩に集められた雪も北風に曝され殺人的な堅さに凍結する冬の間は、観光客の姿もまばらだ。
歴史と人間模様が猥雑な賑わいを織り成す旧市街からはやや離れた閑静な自然公園。
昼間は観光客や休憩をとる社員で溢れる公園も冬ともなれば夜が深まれば静まり返り、ベンチに座る人影は疎らだ。
頭上には満天の星が瞬く。管理が行き届いた大樹と芝生の向こうには、ライトアップされた一際大きな本社ビルと、それに傅く新市街の摩天楼が聳え立つ。澄んだ大気が光の鮮度を保つのか、夏に比べると鮮烈な輝きを放つようにも感じる。
そんなありふれた冬の夜。街頭の光量が抑えられ、人影も少ない広場には、背中合わせにベンチに座る二人のスーツ姿の男。片方の男は携帯電話に耳をあて、もう一方の男は何も言わずに紫煙を揉み消す。口から立ち上る湯気と紫煙が混ざりあい、夜風に吹き飛ばされて細く掻き消える。
「死人を勝手に動かしたな、楊」
『勝手に?あり得ません、政務委員殿。手続きは全て終えています』
神経質そうな声がスピーカーから流れる。受話器の向こうから感じる仄かな苛立ちを男は無表情で黙殺した。
「作戦命令書が通過していない。確認せよ」
『……直ちに。失礼します』
携帯電話を懐に仕舞うと、通話を終わらせた男は振り向かずに口を開く。
「……これでいいのかな?土壇場だからこれ位しか出来ないが」
「上出来だ、感謝するよ。襲撃の情報も教えてくれてありがとうな」
「この手の策謀とは無縁で通すつもりだったんだけどな。肝が冷える」
「その立場じゃそうもいかんだろう」
背後からいるか?と差し出された煙草を断ると、ストライプのスーツに身を包んだ男はベンチに深く腰かける。
「このやり方、もう無しな。若手になめられるんだよ」
「いつも悪いな」
衣擦れ音の後に、カチッという軽いクリック音。葉と紙の焼ける匂いが、電光式ライターが煙草に火をつけた事を教える。
「全くだ。それにしてもお前が土壇場でねじ込んでまで庇おうとする相手がいるなんてな。顔が見たくなるよ」
「いやなに、前任者の置き土産は有効に使いたくてね。ここで倒れてもらっちゃ困るのさ」
「放任しすぎて喉を食い千切られるなよ」
そう言って向かいに座る無地のスーツの男は煙草を口に運び、すぼめた唇から紫煙を吐き出した。
ストライプの男も呼応するようにため息をつく。暫くの間が木々に切り取られた夜空に溶けた。
「大学からの親友の頼みとは言え、機密作戦を遅らせたんだ。何か便宜は図ってくれるんだよな?」
「栗毛がかわいいフーコック島の愛人さんの件は二人だけの秘密にしておくよ」
「それで頼む」
無地のスーツの男が立ち上がり、ウルムチの夜に音もなく消えていった。無軌道な学生が騒ぎたてる遠い響きが彼の痕跡を消していく。静寂が戻った広場の向こうに聳え立つ摩天楼を睨みつけ、男は前を向いたまま暫しベンチに佇んだ。身動ぎしないまま一刻が過ぎた時。彼はため息をついて懐から包装されたままくたびれた煙草のパッケージと携帯電話を取り出し、細君との禁煙の誓いを破った。
「雷、作戦命令書を通過させろ。二時間後だ」
『了解』

2.1時間後
位置情報削除済

レーダー波を吸収する白灰色迷彩に塗装されたテイルトジェット機が、無限に広がる荒涼とした銀世界の上、レーダーに探知されないギリギリの超低空を滑るように進む。
機銃やドアガンも撤去され、小さなアンテナに至るまで突起を均されたそれは雄々しさこそ無いが、どこか無骨さを残すその姿はそれがあくまで兵器であることを言外に主張していた。
所属を表す表記やエンブレムの類は一切存在しない。その出で立ちこそがこれがどの様な任務に投入される機体かを雄弁に語る。
急襲機のカーゴベイに搭載された積み荷は、人間ーー兵士。壁沿いの硬いベンチに8人ずつ腰かけた彼らは、骨格の上をなぞる様な形で着込む型の第二種非装甲外骨格(エグゾスーツ)に身を包み、白と茶の冬季戦迷彩の上に今はまだその用を果たしていない試作型光学迷彩のヴェールを纏っている。
その頭部も例に漏れず、頭から首までをすっぽり覆う冬季戦迷彩の全状況型の高機能アサルトヘルムに包まれ、その顔面には呪術的な紋様が朱く描かれた黄色の札を一様に貼り付けていた。
申し訳程度に設けられた小さい丸窓からは、闇に包まれた一面の銀世界。甲高いエンジン音だけがカーゴベイに響きわたる。
ベンチの無い片隅には人一人分の大きさの長筒と、半球状の奇怪な装備が搭載された第一種装甲機動気密外骨格(パワーアーマー)。それも蹲ったまま、戦場を駆ける時を待っていた。
彼らは黙りこくったままで待機し、それ以外の音はない。その非人間的な沈黙が、彼らの錬度を表していた。
『作戦命令が通過した。死人の諸君、時間だ』
降下地点まであと2分、とパイロットが機内無線で告げて少しすると、右端に腰掛けた兵士が口を開いた。札を貼り付けられた兵士達の首がそちらに向く。
『作戦内容はBRFのままだが、遅れのせいで任務が追加された。まずは襲撃を受けた移送部隊の解放を行い、それからパッケージの奪取に移る。質問は』
ヘルメットの中、彼らの網膜に直接映し出される画面に表示が追加され、マップが書き換わる。左のベンチに座る大柄な兵士が挙手をし、酒焼けしたようなざらついた声が部隊内無線に流れた。
『移送部隊の周辺に展開する敵勢力の規模は?』
降下一分前、コース良しのアナウンス。ふわりとした僅かな浮遊感が、さらに高度を下げていることを感じさせる。
『確認されていない。レンジャーのお漏らしっ子どもはオープンチャンネルで助けを求めている。どうやら敵は紳士的に捕縛したまま捨て置いたらしいな、手練れだ……他には』
『『なし』』
『宜しい。それでは仕事に掛かるとしよう』
微かなノイズが各員のヘルメットの中に木霊する。戦闘モードでがシステムが起動し、各種ステータスと注意書きを遠足の前の母親の様にまくしたてる。
総勢16人の精鋭が立ち上がり、ハッチの前に並ぶ。同時にカーゴベイのハッチが開き、宵闇に冷やされた極寒の大気が奔流となって彼らを殴りつける。目にも止まらぬ速さで流れていくであろう地表の景色は、夜の帳に隠されて見えない。高度10m、回転翼機でない以上これよりは下げられない距離だ。
『降下、降下、降下』
後方にGがかかり、急襲機は減速しながらさらに高度を下げる。
準備を終えた彼らは一斉に黄色い札を剥がして壁に貼り付け、カーゴベイから闇の寒空へと飛び出す。少し遅れて重装備を起動した兵士も凍てついた大地へ跳躍する。
技仙公司戦略軍第9特殊偵察大隊『疆死』第一中隊『饕餮(とうてつ)』、魔を喰らう龍の子の名を冠した動く死人。その一個分隊が白い辺境に解き放たれた。

20分後
旧街道上、イルクーツクから西南西に150km

「聞こえるか、こちら『イカ釣り漁船』!護送対象を強奪された!救援が来るんだろ、早く助けてくれ!」
仲間の死体が疎らに転がる中で、焦燥と危機感を隠そうともしない兵士達。後ろ手に縛られたまま無線機を持った兵士の尻に、別の兵士ががなり立てるのは滑稽な光景だろう。
「クソが、このままじゃ凍死しちまう!お前ら寝るなよ!」
見渡す限りの銀世界。無表情のカラマツが申し訳程度に立つ未舗装の街道上で立ち往生するのは、冬季戦迷彩に塗り替えられた歩兵戦闘車や装甲車の車列。その車体にはアレクトリスグループの一角である技仙公司のマークが塗られている。
だがエンジンの唸りやキャタピラが地面を踏みしめる音は聞こえない。それを動かす兵士達は車中に無く、その全てが後ろ手に捕縛されているか、無惨に屍を晒していた。
彼らの安心の象徴にして帰る家である『長城』は遠く、辺りには人どころか獣の姿すらない。一帯は敵対するCDグループの内戦に介入し、緩衝地帯として影響下にあるものの、武装勢力や企業軍の力がぶつかる混沌にあることも事実だった。それに加え冬の極寒と吹き付ける季節風が彼らの命を削る。
彼らの命は長くないのは明白であり、故に精鋭で知られるレンジャー部隊でも恥や外聞を気にせず大声を張り上げて互いを鼓舞し合う。
「ガチガチに縛ってやがる!実質死じゃねえかよ!」
「今敵に襲われたらひとたまりも無くねぇ?!」
「その前に凍えて獣のエサになるだろうよ!クソが、こんな所で死にたくねえよ!」
だが、彼らが待ち望んだ救い主はすぐに現れた。
zzzzzt………zzzzzt……
「あれ……」
鼻が利く兵士が嗅ぎ慣れないオゾン臭を、耳聡い兵士が今まで聞かなかったノイズを感じとった時。冷や汗が流れるより前に、後ろ手に縛られた拘束が突然一斉に解け、自由になった彼らは無様によろめいた。
「なっ」
怪訝に思って後ろを振り向いた彼らが見たもの。背後の宵闇から音もなく姿を現したのは、見慣れない装備類に身を包んだ顔の見えない兵士達だった。
「い、いつから」
戦闘服越しに分かる鍛え上げられた肉体、様々な企業の商品を自由に組合せた見覚えのない装備類、頭部をすっぽり覆って一切の人間味を感じさせないヘルメット。そして半ば恐慌状態とはいえ全く気付かれずに自分たちの背後を取るだけの錬度と、彼らから漂う実力に裏打ちされたであろう存在感。一様に抱えるのは装甲歩兵すら難なく屠る 25式自動歩槍(14.5mm突撃銃)。守護天使が現れたという安堵と得体の知れない存在を目の当たりにした畏怖が混ざった似た感情が彼らの脳裏を横切る。
『たった今だ。追加の作戦命令がアップロードされている、確認しろ』
「り、了解」
解放されたレンジャー達はPIDを開いて確認すると、冷や汗を散らして部隊を再編成し、一目散に装甲車へ駆け出した。
程なくしてエンジンに火が入り、雪原の静寂と敗北の恐怖をディーゼルとターボチャージャーの咆哮が掻き消していく。
「おい、そういやあいつらは」
「えっ」
命令を受領し、慌ただしく持ち場に着いた彼らが礼の一言でもと辺りを見回した時。吹きさらしの大地に恐るべき救世主の姿は何処にもなく、荒涼とした雪原には獣の遠吠えがせめてもの残滓を残すだけだった。

1時間後
イルクーツクから西南西に170km

なし崩し的に技仙公司がArPから奪い取った干渉地帯。その中に小さな建造物がぽつねんと建ち、宵闇に身を潜めている。
地味ながら、見れば見るほど異様な建物だった。崩れて朽ち果てたものが殆どの中で、強化材で出来ているのかそれだけが崩れも綻びもしていない。
そればかりか、目を凝らせば強化外骨格を着込んだ屈強な歩哨が突撃銃を手に油断なく目を光らせているのが分かる。
「こーのーうーたーがきーこえてるー、いのーちーあるすべてのーものよー」
暗い部屋の中で鼻唄を口ずさむのは、一人の女。ボールペンを弄びながら、自虐的な面持ちで青白い光を見つめている。
部屋の中に電灯の類はなく、一面に設置されたモニター群とコンソールが不健康な光を室内に投げ掛けている。
部屋の中央、今は無きArPのマークが描かれた床に置かれた机には外骨格が立て掛けられ、ブリーフケースと書類が散乱し、それぞれがブルーライトを浴びて光沢を放つ。
「しーんじーつはー、あなたのむーねのなかにあるー」
ミネラルウォーター片手に事務椅子から立ち上がった女ーー青華は薄暗い部屋の片隅へと歩み寄る。さらに薄暗い片隅には事務椅子に縛り付けられた少女が項垂れていた。白い首筋とすべすべの腹は青黒い痣と深紅のキスマークで彩られ、下着と白衣は酸化した血と水で黒く汚されている。
「さあ起きてくださーい」
まだ渇ききっていない艶のある黒髪にどぼどぼと水を掛けると、呻き声と共に少女が幽かに身じろぎする。
「おはようございます♪」
軽く頬を叩いて覚醒を促す。反射的に顔を上げた少女の虚ろな瞳は彼女を捉えた瞬間に恐怖と怯えに収縮し、声にならない叫びを上げて全身で椅子ごともがいた。
「ほら、こっちを見る」
彼女の顎を両手で掴み、無理矢理自分に向かせる。恐怖や怯えに染まった瞳に遅れて広がる未だに消えない抵抗の意思が、嗜虐欲を掻き立てる。
「この淫売!人でなし!ただじゃ済まさないんだから!」
「可愛いですねえ。まだ強がれる」
乾ききった口で唾を吐こうとして縛り付けられた椅子をガタガタと揺らして精一杯強がる哀れな子羊に、水が入った12L入りのペットボトルを見せつける。短い悲鳴を上げて強ばる体を見て、青華はくぐもった笑いを漏らした。
唇に指を突っ込み、強引に口を開けさせる。顎を押さえたまま彼女の上に屈み、乾いた唇を重ねた。
「んー、むーっ!」
怯える口腔に舌を突き入れ、思うままに絡ませる。こもった血の匂いを味蕾全体で味わい、ねばついた唾液を上書きする。頑なに閉じようとする下顎を指先だけで押さえ付けながら硬い歯茎を、まだ折れていない歯を、恐怖で引っ込む舌と舌の根を一つ一つ舌でまさぐる。ぴちゃぴちゃという淫靡な水音が静かで薄暗い部屋に響き渡る。
一方的な蹂躙。浅い息遣いとせめてもの抵抗が青華の嗜虐欲をさらに昂らせる。口淫の中で、彼女は股座が暖かく身動ぎするのを感じた。
「……ぷはっ」
ひとしきり少女を堪能した青華は口を離した。銀に光る粘りが二人の口の間に細い橋を掛け、途切れて少女の顎に張りつく。
「うーん、流石に美味しくないですね。まあお楽しみはこれからという事で」
「変態!絶対に許さないわ!」
気丈だ。その心を支える機序を説明することはできたが、未だ健気に抵抗を続ける彼女の姿を邪仙は気に入っていた。
希望をしっかり持ちながら屈辱と怒りに震えるこの子をどう凌辱してくれよう。仕事を終えた後、心と骨を叩き折られて這いつくばりながら哀願する姿を楽しみにしながらモニターに一瞥をくれたその時だった。
モニターの中、建物周辺の幾つかの警戒ポイント。鍛え上げられた邪仙の目は、歩哨がいるべきその場所に巧妙に均された雪原だけがある事の意味を見逃さなかった。
いつから居ない?
そもそもなぜバイタルサインに直結されたアラートが作動しなかった?
答えは分からないが、予感はある。どの道哀れな人質を相手に遊んでる場合ではなかった。
邪仙は腕時計を一瞥する。回収の時間まではあと数刻。依頼主の意向とは言えそれなりの連中とわざわざ協同してやっているのだから、時間稼ぎ位の仕事はしろと毒づいた。
「何よ?余裕こいてられなくなったのかしら」
「そうですね。すぐに終わる野暮用ですが」
「いいえ、あんたはここで終わりよ」
「その強気もすぐにへし折ってあげますよ」
減らず口を叩く少女をあしらいながら、机に仰向けに転がり、手早く外骨格を装着する。眠り(充電)から目覚めた現代の具足は直ぐに彼女の肢体に合わせて己の大きさを変え、邪仙はそれを気にせず拳銃を掴んで弾倉を検める。巡回兵の悲鳴が無線に乗って聞こえたのは、彼女が外骨格の装着を完了し、起き上がると同時だった。

同時刻
同施設内、一階
うすら寒い照明が満遍なく空間を照らす古びた通路を曲がったすぐ先で、回転式拳銃そのままのシリンダーと撃発機構が付けられた無骨な刃が閃く。温かみのない一閃に遅れて突撃銃を持った腕と血しぶきが宙を舞い、ひゅう、という声にすらならない断末魔を上げながら大柄な兵士の首だけがあらぬ方向に傾ぐ。切れ目を広げながら薄皮と外骨格のパーツで辛うじて繋がれる頭だけが外れると同時に、外骨格のバッテリーと心臓を赤熱した刃がボディアーマーやチェストリグごと貫く。
「ジェーニャ!クソ、いたぞ!分隊展開、各個に撃て!」
隊長とおぼしき兵士が集結した部下に命令するのと同時に十数人の兵士達が引き金を引く。狭い廊下の中で素早く分かれて戦列を組み、統制の下で射撃を開始するまでの時間の短さが彼らが手練れである事の証だ。
だが刃を残して姿を見せない侵入者達の動きが、彼らの予測を遥かに上回っていたのが運の尽きだろう。
号令をかけた直後に14.5mm焼夷徹甲榴弾を食らった隊長の腰から上が装備ごと弾け飛び、体内に詰まっていた液体と弾薬や装甲板が散乱する。一瞬の動揺を突いた侵入者が屠った兵士の死体とその装甲で銃撃を受け止めながら超人的なスピードで戦列の後ろに飛び込み、姿を見せないもう一人と共に通路を血で汚すのにそう時間は掛からなかった。

『どうだ、それ』
『見りゃ分かるだろ』
一分に満たない惨劇の後。静寂新しい電球に照らされた古びた通路の中で、赤黒い何かが浮いている。
『技研の奴ら、こんなゲテモノ押し付けやがって』
真っ向から浴びた返り血で光学迷彩をスポイルされた兵士が試作近接兵装(ガンブレード)に着いた血糊を払う。ぼんやりした輪郭と風景の中に鈍い光がはっきりと浮かぶ。唯一確かな形をした幅広の刃と血痕は、得体の知れない恐怖を掻き立てる光景だった。
『こちらA3、4。一階、ポイントK到達。7、8と合流し地階へ向かう』
何事も無かったかの様に彼らは武器を構え直し、曲がり角の奥へと向かう。静寂が戻った後には乱雑に斬られた肉塊と先ほどまで部品だったがらくただけが残された。

数分後
同施設内、三階
先ほどまで鳴り響いていた銃声が収まり、コンソールのモニターには折り重なった守備隊の死体だけが映る。襲撃者の姿は殆ど見えないが、鼻につく硝煙の臭いは本丸であるこの部屋まで漂い始めていた。
「あんたも年貢の納め時みたいね」
「これは異なことを。納めるのは彼らの方ですよ」
邪仙の耳が対爆ドアの向こうの小さな作動音を聞いたのと、直感から腰のホルスターに両手をやるのは殆ど同時だった。
次の瞬間、特殊鋼のドアが身動ぎして吹き飛ぶ。
「EMPブリーチ!」
特殊作戦用に電磁防御されたものでなければ外骨格をもスタンさせる強硬突入の心強い友。彼女も散々使用法を仕込まれた品だ。
電磁波によって急速に色を失う視界の中に突入する敵を捉えた邪仙は腰のホルスターから拳銃とナイフを抜いた。
対峙するのは一瞬。
同時に放たれたマグナム弾は彼我の丁度中間でぶつかり、跳弾となってコンクリートの壁にめり込んだ。
自分に向けられた銃口を見た邪仙は確信する。.44マグナム仕様に改造されたサプレッサー付きのナガン・リボルバー。ヘルメットに残る貼り付けられた札の痕。夢にまで見た怨敵。
「疆死!」
色を取り戻していく視界の中で続けて飛び込んだ敵に発砲した瞬間には、目の前の男が大きく踏み込んでいる。それ以上の牽制を諦めた邪仙は相手の首目掛けて左手に握ったナイフを一閃した。
外骨格を着用した兵士の格闘戦は止まって拳を交わし組み合うものではなく、ミニマムな距離で常に有利な位置を取り、運動エネルギーを得ようとする機動戦の様相を呈する。怨敵からの教えに無駄なものは無かったが、それが彼女を今まで生かしてきた事にヘルメットの中で邪仙は皮肉な笑みを浮かべた。
斬撃をいなして関節を絡め取ろうとする右手を振り切り、ステップと体捌きで敵のナイフを躱してもう一閃。脇下の動脈を狙った刺突から膝を逆に曲げる下段蹴りは防がれ、咄嗟に組んだ両腕越しに腹を狙った蹴りが炸裂する。
外骨格と体術で文字通り強化された蹴りはキリンのそれに匹敵する。口に込み上げる鉄の匂いと吐き気を抱き、敢えて吹き飛んだ邪仙をコンクリートの壁が受け止め、轟音と共に人形の凹みをつける。
「がはっ……」
追い討ちとばかりにマグナム弾が殺到する。ドアの外から差し込む光が眩しい。
特注の生地のお陰で致命傷は未だないが、衝撃と激痛に喘ぐ邪仙の目はゆっくりいたぶる筈のかわいい少女が部屋の外に引きずられて行くのを見逃さなかった。
「おのれ!」
ブーストされた筋力に任せ、縮地で距離を詰める敵に向き合った邪仙は拳銃を乱射し、ナイフを逆手に握って斬りかかる。
しかしアサルトヘルムの継ぎ目を狙った一撃はパリィされ、次の瞬間には絡め取られた肘関節ごと彼女の体は宙を舞っていた。
そのまま中央の机に仰向けに叩き付けられ、衝撃で武器を取り落とした彼女の体は机を押し潰し、無防備な胸に膝落としを叩き込まれて小さくバウンドする。あばら骨が折れる音を聞く傍らで男は一瞬の内にリボルバーの弾を交換し、気道ごと彼女の首根っこを押さえつけて喉元に銃口を突きつけた。
本来ナガンM1895にはないスイングアウト機構を使ったクイックリロード。こんなカスタムの拳銃を使う人間はそういない。
『まさかここでお前と再開できるとは、人生万事塞翁が馬だ。腕が鈍ったな、青華』
沸き上がるどす黒い憎悪と血の泡を喉で押さえつけた邪仙へ、ヘルム越しに男が囁く。嫌みの一つも返してやりたい所だったが、彼女の体はそれを許さなかった。
完全に無力化され、任務は失敗した。生きて連れ帰るように言われているのはあの『そそる』少女だけで、邪仙ではない。
両手を動かそうとする彼女の喉を男は締め上げる。血の泡がじわじわと喉を這い上がっていくのを感じた。
『無駄だ。お前の知っている殺しは、俺は全て知っている』
絶体絶命とはこういう状況の事を言うのだろう。だが彼女の潜り抜けた死線はこんなものではなかったし、ここで屍を晒すつもりもなかった。
『青華、生きているでしょうね』
ヘルムの中に声が響く。長く手を組んでいる、言わば相棒の声だ。
聞けば聞くほど腹立たしい、お高く止まった女の声だが、今だけは頼もしく感じる。
(まだね)
辛うじて回る舌で歯の裏に配置されたソフトキーボードを操作する。貴族が用意したハイテク装備が彼女の悪あがきを支え、網膜に投影される情報が起死回生の一手を知らせてくれる。
(時間がない、支援を。マーカを設置した)
『出力、通常モードまで加圧完了。いつでも』
(五秒後、行けますか)
『カウント開始』
まだ熱さを保つ銃口が彼女の喉を焼き、締め上げる力がじわじわと強められて行く。舌を噛んで朦朧としてきた意識を覚醒させながら、彼女はヘルメットに文字を投影して時間を稼ぐ。
『私が知っている殺しを、全て知っていると?』
何かを感じ取ったのだろう、彼はなにも答えずに拳銃の撃鉄を起こした。しかし、床に寝転がっている彼女は既に感じ取っていた。
建物を僅かに揺るがす振動を。
『ではこういうのもご存知ですね、教官殿?』

同時刻
同場所
『こちらA分隊、地階のパッケージを確保。撤収します』
部下の報告が耳に入る。作戦は成功しつつあるようだ。
王手を掛けた男の胸には幾ばくかの安心と落胆があった。
かつて己の技を教え、その技でもって包囲を破り生き残った残滓をようやく始末できるという安堵。そして力を尽くしたであろうにこの程度で終わる呆気なさ。
だが鈍ったとは言え、目の前の女は同門の蛇。時間を与えるほど奴の危険度は増す。
ここにいるどの人間も手練ればかり、アクション映画の様にだらだらと喋って猶予を与えるのは愚策だろう。
これで終わりだ、心の中で囁きながら彼が親指を撃鉄に掛けたその時。
『私が知っている殺しを、全て知っていると?』
彼女のヘルムに文字列が流れる。まずい。既に起死回生を図っているとは。やはり油断ならない彼女の試みを無駄な足掻きにするべく拳銃の撃鉄を上げた男の耳を、建物の外で警戒に当たっていた隊員の怒鳴り声がつんざく。
『ではこういうのもご存知ですね、教官殿?』
『敵増援!人機!』
全身を死の悪寒が貫く。無線が終わるよりも早く、マグナム弾を叩きこみながら身を翻して彼女から飛びすさった次の瞬間。
建物が僅かに震えると、コンクリートの壁をぶち破った巨大な剣が、圧倒的な質量で彼がいた場所を貫いた。
「撤退!撤退!」
『援護します!』
恐らく屋外の隊員によるものだろう、敵の装甲がレールガンの弾を弾く轟音が聞こえる。廊下の電気系統が絶たれつつあるのか電灯の明かりが激しく明滅する。腰を屈めて走る精鋭達はコンクリートの構造物を無理矢理引き裂きながらこちらを両断する剣をすんでの所で躱し、廊下の床を小銃射撃で爆破して一目散に退却を始めた。

十分後
同場所
「うぐぅ……やってくれましたね」
『追撃しますか?』
邪仙の愛機、ヘカティリアの攻撃を避け、飛び去る間際に疆死の男が叩き込んだマグナム弾は寸分違わず彼女の外骨格と彼女自身の関節、そして眉間を撃ち抜いていた。
幸い四肢の断裂こそないが、右の腕と膝は砕かれて外骨格は大破状態。鎮痛剤が効いて痛みこそ鈍いが、彼女の体も数ヶ月は使い物にならないだろう。弾丸が食い込んでひび割れたヘルメットを左手で脱ぎ捨てて、邪仙は息も絶え絶えに冷たい床に頭を打ち付けて最後の血反吐を吐いた。
「今から追撃しても無駄でしょう。既に回収されててもおかしくない。奴らはそういう手合いです」
『味方小隊の生存者はなし。あまり役には立ちませんでしたね』
「目標の奪取に役立っただけで十分ですよ。相手が悪かった」
『立てますか』
邪仙は苦痛に顔を歪め、左腕で状態を起こすとヘカティリアから差し出された特殊合金の掌に這い乗る。未だ芯から火照る彼女の体を冬の外気に晒された掌が冷やす感触は少し心地よいものだった。
「先方にも作戦失敗は伝わっているでしょう。先ずは体をなんとかしなければ」
『ではプランDを。所謂ピンチですね』
わざわざ外部の者を雇う機密作戦(ブラックオプス)にろくなものはない。依頼主がこちらを消しにくる事態すら考えられる状況では、ここに留まって回収を待つなど考えられなかった。
未だ朝日は遠い宵闇の中で、月と星々の光が銀世界と白銀のヘカティリアを淡く照らす。邪仙を狭いコクピットに押し込んだテウルギアが、緩衝地帯の高野を駆けていく。
『機内禁煙ですよ、只でさえ臭うのに』
「なら尚更吸ってもいいのでは?」
煙草のパッケージを取り出そうとして戻した邪仙はモニタ越しに見える澄みきった夜空を睨み付けると、己の体から立ち上る血反吐と硝煙の混ざった悪臭を嗅いで顔をしかめた。

十分後
位置情報削除済

白灰色のステルス迷彩に塗装されたテイルトジェット機が、無限に広がる荒涼とした銀世界の上を滑るように進む。僅かな明かりが灯るそのカーゴベイでは、黒一色のヘルメットを脱いだ兵士達が多様性を取り戻し、往路の非人間的な沈黙が嘘だったかのような賑かさに包まれていた。
「ほら、食うか」
「あ、ありがとう……」
大柄な兵士がチョコレートバーを差し出すと、救出された少女はそれを控えにかじり始める。その小動物のような可憐さは、冬真っ盛りな機内の空気を温めるようだった。
「これ位しかないが食え食え!遠慮なんかするな!」
他の兵士が快活に叫ぶと、痣もまだ鮮やかな少女が僅かにはにかむ。その表情に兵士達は顔を綻ばせ、同時にいたいけな少女に非道を働いた敵を憎んだ。
「こんな可愛い子に乱暴するなんざ絶対許せねえ、だがもう安心だぞ。もうすぐ長城を越える、パパやママの所まで一直線だ」
「本当に?」
「おうよ、今のうちに何が食いてえか考えとけ!」
「お前ときたら口を開けばいつも飯の話だ、お嬢ちゃんが困ってるだろうが」
「何言ってやがる!この中で一番腹が減ってるのはこの子なんだぜ?」
「あはは、お腹は確かに空いたかも……」
「ほら見ろ!」
少女を取り巻く輪の外。さっきまでの修羅場が嘘のような楽しい雰囲気の中にあって、しかしその男は口を開かずに遠くを見つめるような視線を殺風景な壁の構造材に向けていた。
「まるでしくじったような顔じゃないか」
背後の声に振り向けば、にこやかな顔の副官がチョコレートバーを差し出していた。
「まあな」
受け取ったバーを齧ると、非常食らしい油っぽく甘ったるい味わいが広がり、口の中の水分を奪っていく。彼はたまらず水筒を口にやった。
「取り逃がしたからか」
「ああ」
もちゃもちゃと咀嚼しながらチョコバーの包み紙を副官にやると、彼は男のチェストリグにそれを捩じ込んだ。
「あまり気にやむな、目標は達成したんだ。それに奴にも手傷を負わせた。暫くは動けまい」
「だがまた闇に潜られた。直ぐに動き出す」
「その時はその時だ。時間は俺達に味方している」
「人機だって想定は出来た筈だ」
「それ以上はなしだ」
強められた語気に、彼は僅かに怯む。その間に副官は彼の口に煙草を突っ込んだ。よほど強いメンソール味なのだろう、火を点ける前から刺激を感じた。
「どうせまたすぐ会う事になる」
「……そうだな」
「それと機内は禁煙だ」
彼は煙草に火を点けようとし、舌打ちして副官に煙草を投げつけた。
『アテンションプリーズ、アテンションプリーズ。こちらは技仙航空"パパとママには内緒だぞ便"、"クズ共の巣穴"発"平和な生活"行きでございます。
この飛行機は、ただいまからおよそ50分で"名無しの基地空港"に着陸する予定でございます。
ただいまの時刻は午前3時30分、天気は晴れ、気温は氷点下20度。
シートベルトをしっかりお締めくださぁい!』
パイロット達の軽口が機内に流れ、ついに緊張の糸が切れたのか、少女が泣き出す。どんな敵にも怯まない精鋭達が慌てふためくのを見た彼は、鉄板の持ちネタを披露すべく彼女を取り巻く輪に足を向けた。
最終更新:2020年06月06日 23:07