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ある日の放課後、鞄の中に教科書や筆箱を片付けていると不意に声をかけられた。
ある日の放課後、鞄の中に教科書や筆箱を片付けていると不意に声をかけられた。
私のクラスの若い女の先生。名前は……覚えていない。そんな先生が私に頼み事を?
「私でいいなら」
「エノラさんって美浦寮だったわよね? ここ最近寮の部屋で閉じこもって授業に出てこない子がいるの。ほら、エノラさんの隣の○○さん」
「エノラさんって美浦寮だったわよね? ここ最近寮の部屋で閉じこもって授業に出てこない子がいるの。ほら、エノラさんの隣の○○さん」
そういえば最近姿を見ていない気がする。名前は……何だったかしら。
「それで私に何を?」
「授業のプリントを持っていくついでにちょっとお話してくれないかなって。前に私が行った時は上手く話してくれなくて……」
「同室の子はいるんでしょう? その子にお願いすれば……」
「それが長期遠征中でいないのよ……もちろんその子にお願いするのが一番だったんだけどね。それで隣の席のあなた、エノラさんにお願いしたいなって思って。駄目かな?」
「……分かりました。上手くいく保障はないですけど」
「授業のプリントを持っていくついでにちょっとお話してくれないかなって。前に私が行った時は上手く話してくれなくて……」
「同室の子はいるんでしょう? その子にお願いすれば……」
「それが長期遠征中でいないのよ……もちろんその子にお願いするのが一番だったんだけどね。それで隣の席のあなた、エノラさんにお願いしたいなって思って。駄目かな?」
「……分かりました。上手くいく保障はないですけど」
そう言ってプリントの束を先生から受け取り開いていた鞄に入れる。先生からの感謝の言葉を背に教室を出て『お願い』を果たしに行くことにした。名前を忘れないようにメモを急いで書き残して。
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コンコンッコンコンッ
コンコンッコンコンッ
「○○さん、いる? 私隣の席のエノラだけれど」
何度かノックしてみるものの返事がない。郵便受けのようなポストがあればそこにファイルに入れたプリントを入れて立ち去ることもできたのだけれど、そういうわけにもいかないので繰り返しノックを重ねる。ただ返事は全くない。
「このまま部屋の前にプリントを置いていくのも感じ悪いから……って鍵開いてるじゃない」
思わず開いてしまったドアに内心驚きつつも、静かに開けて中を覗く。すると電気もつけずに片方のベッドに膝を抱えて座り込むウマ娘の姿を認めた。
「あの……入っていいかしら」
「……もう入ってるでしょ。好きにしたら」
「ありがとう。授業のプリント、机の上に置いておくわね」
「……あなた、名前は?」
「エノラ。貴女の隣の席の」
「ああ、いつも黒髪パッツンの子と話してる……で、今度はあなたが私を説得しに来たってこと?」
「……まあそういうことね」
「……もう入ってるでしょ。好きにしたら」
「ありがとう。授業のプリント、机の上に置いておくわね」
「……あなた、名前は?」
「エノラ。貴女の隣の席の」
「ああ、いつも黒髪パッツンの子と話してる……で、今度はあなたが私を説得しに来たってこと?」
「……まあそういうことね」
おそらく先生だけではなく他の子も先生にお願いされてこの子の部屋に来たのだろう。ただ誰からの説得にも応じることなく私の番になったと。
だったらこのまま何も話すことなく立ち去り、先生には駄目だったと報告することもできるかもしれない。話したけど説得に応じてくれませんでしたと。
だったらこのまま何も話すことなく立ち去り、先生には駄目だったと報告することもできるかもしれない。話したけど説得に応じてくれませんでしたと。
ただ、ただ、私の心が背中を押している。行け、と。
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「ねえ、私にも話を聞かせてくれる?」
「……いいよ。同室の子いないし、そっちのベッドに座って」
「ありがとう」
「ねえ、私にも話を聞かせてくれる?」
「……いいよ。同室の子いないし、そっちのベッドに座って」
「ありがとう」
そう言ってもう片方のベッドに腰かける。座るやいなや話を始めてくれた。
「私ね、少し前トレーナーにスカウトされたの。模擬レースの走りが良かったからって。本格化はまだ先だろうけど、自分のチームに入って走ってみないかって」
「そう、だったの……」
「そう、だったの……」
もしかしたら自分の席の隣でそういう話をしていたのかもしれない……覚えていないけれど。
「もちろんすっごく嬉しかった。私でもスカウトしてもらえるんだって。もしかしたら私って才能あるのかもって。だけど」
一瞬話が途切れる。おそらく次に続く言葉は……
「いざトレーニングを始めてみたら全然ついていけなくて……トレーナーの言うとおり走ってみてもタイムも伸びない、むしろ遅くなっちゃってる。もちろんトレーナーはどうにか私の走りを良くしようと頑張ってくれてる。それに私も応えなきゃって、頑張らなきゃって。タイムだけでも伸ばせたらって思って、チームのトレーニングだけじゃなくって、トレーナーに隠れて自主トレを続けてたら……」
そう言って彼女は自分の足をそっと撫でる。
「足怪我しちゃってさ……お医者さんに見せたら過度なトレーニングが原因だって。しばらく安静にしましょうって……」
「だったらしばらく休んで……って話じゃないのね」
「だったらしばらく休んで……って話じゃないのね」
そう簡単だったらわざわざ私まで出てくることはなかったでしょう。もしそうなら授業もすぐに出てこれたはず。
「そう。トレーナーは『今は無理する時じゃない。本格化は先なんだから』って優しく声をかけてくれた。先生も『焦らず、自分のペースでいいんだから』って隣に座って言ってくれた。だけど、だけど……」
「そうじゃない、と。なぜ貴女はそんなに焦っているの? トゥインクルシリーズを走れるようになるのは随分先、まだ時間の余裕はあるでしょう?」
「怖いの!!! このままだったらせっかく他の子より早くスカウトされたのに……みんなに追いつかれちゃう……追い抜かれちゃう……! 私は……勝ちたい……! でも……!」
「そうじゃない、と。なぜ貴女はそんなに焦っているの? トゥインクルシリーズを走れるようになるのは随分先、まだ時間の余裕はあるでしょう?」
「怖いの!!! このままだったらせっかく他の子より早くスカウトされたのに……みんなに追いつかれちゃう……追い抜かれちゃう……! 私は……勝ちたい……! でも……!」
そう叫んで彼女は膝に顔を埋める。
(ただ優しく説くだけじゃ意味がない……かといって焦らせたらただの二の舞いにしかならない……だったら)
「ねえ、少し話を聞いてくれる?」
「……なに」
「……なに」
そう言って顔を上げてくれる彼女。涙の跡がうっすら残っている。
「あるところに1人のウマ娘がいたわ。その子も貴女と同じ強く勝ちを望んでいた。だけど思ったように走れない、ここ一番で脚が前に行かない、そう悩んでいたの。貴女と同じで」
「え、なに、昔話?」
「詳細は伏せるわ……そもそもなんで貴女はそこまでして勝ちたいの?」
「え、なに、昔話?」
「詳細は伏せるわ……そもそもなんで貴女はそこまでして勝ちたいの?」
一旦話を切って彼女に問いかける。話の進め方を間違えないように。
「私お姉ちゃんがいるの、ウマ娘の。お姉ちゃんも学園に入ってスカウトされてレースにも出て、大活躍とまではいかなかったけどいくつか勝って引退して……それで次は私の番だって、お姉ちゃんよりもっと活躍してみせるんだって。お姉ちゃんを後を追って学園に入ったの。走り方もお姉ちゃんに教えてもらって。学園に入ってからのレースでも問題なく走れたし勝ててた……なのに……」
良かった。彼女に聞こえないように声を出さずに1人呟く。道筋は見えた。
「そう、ありがとう……さっきの話に戻るわ。そんな悩んでいた彼女に声をかけた人がいたの。『縮こまってるんじゃないか』って、『心にブレーキかけてるんじゃないか』って。貴女もそうじゃないかしら」
「わ、私? どういうこと?」
「貴女は言っていたわね、お姉ちゃんに走り方を教えてもらってって」
「うん、言ったけど、それが?」
「あくまで私の想像なのだけれど……もしかして貴女に合ってないんじゃない?」
「……っ!?」
「わ、私? どういうこと?」
「貴女は言っていたわね、お姉ちゃんに走り方を教えてもらってって」
「うん、言ったけど、それが?」
「あくまで私の想像なのだけれど……もしかして貴女に合ってないんじゃない?」
「……っ!?」
誰も気づかなかったのか、気づいたけど彼女の気持ちを慮って言えなかったのか……どちらにせよ彼女の中にその可能性は全くなかったのだろう。だって、
「だって、それで今まで走れてたから……これが正しいんだって……」
「もちろん私は貴女の走り方を覚えているわけじゃないし、的外れなことを言っているのかもしれない。でも一度貴女だけの走りを探してみるのもいいんじゃないかしら」
「でもこれは私とお姉ちゃんの走りで……」
「もちろん私は貴女の走り方を覚えているわけじゃないし、的外れなことを言っているのかもしれない。でも一度貴女だけの走りを探してみるのもいいんじゃないかしら」
「でもこれは私とお姉ちゃんの走りで……」
躊躇するのは当然でしょう、今までの走りを捨てろと、姉の走りを止めろとそう言っているのだから。だけれど、
「お姉さん、貴女に走り方を教えている時どんなことを言ってたのか覚えてる?」
「えーっと……『いっぱい勝って、いつか大きな舞台で、ウイニングライブであなたのこと応援させてね』って……あっ」
「えーっと……『いっぱい勝って、いつか大きな舞台で、ウイニングライブであなたのこと応援させてね』って……あっ」
話の核心に気づいたのだろう、ハッと顔を上げる。
「そう、お姉さんの願いは勝ってほしい、ただそれだけ。走り方を教えていたのもあなたに勝ってほしいから」
「そう、だったんだ……あぁ、バカだなあ私は……なんでそこに気づけなくて変に固執しちゃって、しかも怪我までしちゃって……ありがと、エノラさん」
「そう、だったんだ……あぁ、バカだなあ私は……なんでそこに気づけなくて変に固執しちゃって、しかも怪我までしちゃって……ありがと、エノラさん」
全て吹っ切れたようにニッコリと微笑んで感謝の言葉を投げかけてくる。
「いえ、私はただ思ったことを言っただけだから。じゃあまた明日、教室で」
「うん、またねっ!」
「うん、またねっ!」
そうして問題が解決した部屋を立ち去り、自身の部屋に戻る。今度は明るく少し騒がしい相方がいる部屋に。
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それからしばらく経ったある日の放課後、また唐突に声をかけられた。前にも似たようなことがあったような……
それからしばらく経ったある日の放課後、また唐突に声をかけられた。前にも似たようなことがあったような……
「ねぇ、エノラさん! 今日私と一緒に走らない?」
「えぇっと、貴女は……」
「もうっ、いつも隣の席に座ってるじゃない! で、それで予定とかって空いてたりする?」
「そうね、今日は誰とも併走の予定はなかったと思うし……」
「やった! 前にエノラさんに言われたとおり走り方をトレーナーと相談して変えたらね、タイムがぐっと縮まってね! これはエノラさんと走って見せたいなって思って!」
「あぁ、そういうこと。うん、いいわよ。じゃあ早速着替えてコースに行きましょうか」
「やったー! よーし、絶対勝つぞー!」
「えぇっと、貴女は……」
「もうっ、いつも隣の席に座ってるじゃない! で、それで予定とかって空いてたりする?」
「そうね、今日は誰とも併走の予定はなかったと思うし……」
「やった! 前にエノラさんに言われたとおり走り方をトレーナーと相談して変えたらね、タイムがぐっと縮まってね! これはエノラさんと走って見せたいなって思って!」
「あぁ、そういうこと。うん、いいわよ。じゃあ早速着替えてコースに行きましょうか」
「やったー! よーし、絶対勝つぞー!」
そうして夕暮れ時の校舎をゆっくりと2人で駆けていく。ワクワクが止まらない幼い子どものように。
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その日の夜、寮の部屋で今日あった話をカラレスにすると、実に不満そうな顔をしてぶつぶつぼやいていた。
「──それで今日はその子と仲良く走ってきたと。ふーん、そうなんだ……ふーん……」
「私に友達増えてほしいって言ってる張本人なのにどうしてそうご機嫌斜めなのよ……」
「それはそれ、これはこれだよ。あぁ、私のエノラちゃんがどんどん遠いところに……ヨヨヨ……」
「余裕そうだしもう寝るわね。おやすみ」
「えぇーっ!? もうちょっと付き合ってよーっ!」
その日の夜、寮の部屋で今日あった話をカラレスにすると、実に不満そうな顔をしてぶつぶつぼやいていた。
「──それで今日はその子と仲良く走ってきたと。ふーん、そうなんだ……ふーん……」
「私に友達増えてほしいって言ってる張本人なのにどうしてそうご機嫌斜めなのよ……」
「それはそれ、これはこれだよ。あぁ、私のエノラちゃんがどんどん遠いところに……ヨヨヨ……」
「余裕そうだしもう寝るわね。おやすみ」
「えぇーっ!? もうちょっと付き合ってよーっ!」
この騒がしさも心地よい。少しずつそう思えてきた自分にホッとして今日この1日の幕を下ろす。
──さあ明日はどんな1日になるのだろうかと少し胸を躍らせながら。