皆と何も変わらない、誰かを愛する“人間”だ!

発言者:人奏者
対象者:神奏者

決まっている。何度だって答えよう。


神祖滅殺の最終決戦、ラグナとグレンファルトの決闘の最終局面にて、グレンの必殺の一撃による致命傷を、ラグナがまだだの覚醒でねじ伏せた。
そして終焉兵装(フィンヴルヴェトル)を叩き込み、神々の最終戦争は黄昏の果てへと至り、人類の勝利という終幕が降りようとした、その、刹那。
「大丈夫だよ、兄さん。言ったはずだぞ――接続(、、)は復旧したと。
さあ、目を開けるといい。そして笑顔で応えてあげて。
あなたの歩んだ足跡は決して無駄じゃないのだから」
瞬間、九条御先は第二太陽(アマテラス)から離れ、神天地(アースガルド)との接続を確立させた。
更に加えてあろうことか兄妹に味方する、大和国民のうち一千万人ほどを同じく第二太陽(アマテラス)より離反させ、大量の極晃星(スフィア)を新たに誕生させる。
瞬時に生じた煌めく光は、今まで神奏がただ利用していたそれとは違い、グレンファルトを正確に認識しながら轡を並べて応援している。
そして、神殺しの一撃は直撃したにもかかわらず、全く無意味に砕け散った。
産声を挙げる数多の加護と出力の上昇は、人奏という高々一つの究極に抗えるようなものではないからだ。

今まで散々正論責め(ロジハラ)を訳知り顔で続けてきた絶対神(ヴェラチュール)が、この土壇場で主人公補正のような絆の逆転という誰得な展開を前に再び趨勢は覆り、轟く最後の一撃を前に、竜人素戔嗚尊(ミズチノスサノオ)葬想月華(ツクヨミ)は、完全敗北して滅び去った。



+  新西暦に花よ咲け / Ragnarok
「おまえは“運命”であらねばならない。
 おまえは“終焉”であらねばならない。
 おまえは“希望”であらねばならない。
 何故なら、お前は――」

+ ___ / Ragna 
+  そして、人の世界に青空を / Ragna Skyfield
「俺は、ラグナ・スカイフィールド。
 新西暦を生きていく一人の“人間”なんだから」
「もう決して、九条榛士なんかじゃない。
 ─────九条榛士(グレンファルト)じゃないんだよ」

刹那、神祖達の魂を揺るがす絶叫がほとばしる。
ラグナとミサキが滅びていない(、、、、、、)ことではなく、その行動の真実を見抜いたからこそ、新宇宙の創造主は今までと別次元の衝撃に心が打ちのめされていた。
その宣託は、紛れもなく神祖(カミ)の積み重ねた千年を凌駕した、前代未聞の空前絶後、本当にただの一度も彼らが経験出来などしない未曾有の選択を紡ぎ出す。

真実はとても簡単で、絶対にやってはいけないこと。
それは、神殺しの右腕に搭載された新たなる動力源(コア)

第二太陽(アマテラス)の中核たる男女の遺骸(、、、、、)――葬想月華(ツクヨミ)が発掘した九条兄妹(オリジナル)を抜き出し、神殺しの弾丸として放つ(、、、、、、、、、、、)という、狂気の行いに他ならなかった。

ラグナとミサキが決着の一撃で死ななかったのは即ち、それが太源(、、)であるから。

川の傍流が如何に氾濫しても源流に影響がないように、同じものであるという自覚がある限り、大前提の抹消は仕組み的(、、、、)にそうであるから絶対に不可能である。

神として至った可能性(ヴェラチュール)が当時の己と決別できない以上、それは存在の根幹を成す原理として抗えない秩序と化しているからこそ、それを可能とするのは、彼とは違う他人(、、)だけである。

――しかし、これはラグナとミサキにとって、当然大きな問題点を前提に挟んでいる。
即ち、同一起源から派生した彼らの別御霊(わけみたま)である以上、その大前提を兵器として使い捨てれば、必然的に不可逆の自分殺しの矛盾(パラドックス)を生んでしまうということ。

誕生の因果の対消滅の結果、起きるのは、ラグナとミサキが最初からいなかった(、、、、、、、、、)ことになるという、勝利を台無しにする逆襲劇どころか、地獄を超える虚無である。

故に絶対神だけは、対抗しようにも同じ手段を選べない。
過去の足跡、頭をよぎる宝物のすべてを喪失する恐怖を味わいながらも、己が起源を己自身で破壊し、人間として決別するという覚悟。
今まで当然、一度たりとも味わったことなどないからこその必殺だった。

「よって震えろ、大神素戔王(ヴェラチュール)とその片割れよ。そして同時に認めてやるさ。」
「神々の最終戦争、勝利したのはおまえ達だ」
竜人素戔嗚尊(ミズチノスサノオ)葬想月華(ツクヨミ)は、あんた達の誓いと覚悟に完全敗北して滅び去った。」
「だから今、人間(、、)としてその宿命から解き放たれるの」

愛する人々へ託された希望を返し、黄昏(ラグナロク)の過ぎ去った美しい新西暦(セカイ)を返すんだ。
そのためならば、恐れはしても迷いはしない。
俺とミサキは絆を胸に、誰も知らない神殺しの一撃となろう。

そう、この最後の最後に……ほんの僅かな一瞬だけ、俺達は当たり前の只人となってみせる、と。

掲げた悲壮な宣誓に対し、今度こそグレンファルトはあらゆる言葉を奪われる。
半身共々、魂を抜かれたように今まで同じだった筈の自分(だれか)を呆然と眺めている。

すべてを見てきたであろう永劫の旅人と交差する視線。誰そ彼時(ラグナロク)のその瞬間、初対面(、、、)の知らない相手に、神奏者達は初めて答えを求めて(、、、、、、)問いかけた。

「「おまえ達は、いったい()だ?」」

決まっている。何度だって答えよう。


「俺はラグナ・スカイフィールド」
「そして、私はミサキ・クジョウ」


「「 皆と何も変わらない、誰かを愛する“人間”だ! 」」

そして、どこにでもいる人奏者(ただびと)の一撃は、ついに彼らを穿ち抜くのだった。



  • “満ちる盃”や“人宿るその星に”を流しながらお読みください -- 名無しさん (2020-06-07 23:42:55)
  • やはり人間は素晴らしい -- 名無しさん (2020-06-08 00:51:49)
  • ここの章タイトル変更の流れはほんとすごかった -- 名無しさん (2020-06-08 01:39:23)
  • この後ってどうなったんですか? -- ヴァルゼライド閣下万歳! (2020-06-08 12:05:55)
  • 本編…やろうぜ…? -- 名無しさん (2020-06-08 15:00:52)
  • 自爆特効なんてマネが出来るのも、信じて託せる誰かがいるからこそなんだよな -- 名無しさん (2020-06-08 15:02:42)
  • 神として皆を導くつもりな以上自分は死ねないし、運命の出会いも消えてしまう。下手に不滅で相手も自分だと思ってたせいで、完全にグレンファルト達の意識の隙を突いてるってのが -- 名無しさん (2020-06-08 15:32:49)
  • 勝利=勝ち「残る」と思い込んでるところは相変わらずだったと言うことか -- 名無しさん (2020-06-08 16:38:59)
  • この台詞を見て、ミリィルートのゼファーさんの台詞を思い出したのは、私だけではないと思いたい -- 名無しさん (2020-06-08 16:46:12)
  • シルヴァリオのラスボスって、揃って主人公との最終決戦が最終目的じゃない連中ばかりだよね。なんというか、主人公サイドはラスボスとの最終決戦そのものに意味があるけど、ラスボスは主人公との最終決戦そのものよりも、最終決戦に勝利した先で何かを成そうとするのが主目的になってる。だからこそ、勝利=勝ち残る、となってしまうから全く別方向からの攻撃に対しては滅法弱い -- 名無しさん (2020-06-08 19:35:16)
  • 勝利の先を見てる者が意図せぬ砂粒にご破算にされるのは一貫してるからな -- 名無しさん (2020-06-08 21:32:44)
  • トリニティ最終章のごときRagnarokの章タイトルがついに現れて燃え上がってるところに更に追い打ちのごとくRagna Skyfieldになる演出でさらに熱くなったな…当時真夜中から朝方にやっててちょうど朝になったぐらいだったから余計燃えた -- 名無しさん (2020-06-09 17:56:56)
  • ↑わかる。アッシュほどピッタシじゃなかったけどそれでもおおってなるもんな -- 名無しさん (2020-06-09 22:24:28)
  • 神奏者達が「おまえ達は、一体誰だ?」と最後に問うの、黄昏の由来である「誰そ彼時」にかかってて好き。神奏の詠唱で「誰そ彼時はもう過ぎた」って言ってるから尚更 -- 名無しさん (2020-06-11 18:34:45)
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最終更新:2025年01月09日 01:27