世界の進化とは何であるのか。
単なる人間社会という意味に限らず、そこに住まう動植物から現行の物理法則まで含めた場合、いかなる方向に舵を切れば高機能化が果たされたと見なされる?
ましてそれが、誰の目から見ても文句のつけようがない想定的価値観においても喝采されるような形態を思えば、誰にそれを答えられるかというものだ。
正解のない悪魔の証明を出来る者など一人もいない。
唯一、実に千年間――そんな荒唐無稽を考えに考え抜いた不屈の神祖を除いては。
「そこで最初の選択だ。すなわち、どのように導くか」
より良い新世界を描くにあたり、その住民に何を求める?
光のように克己心を促すか?闇のように静かな安寧を良しとするか?
自問自答の暇は一瞬、答えは非常に簡単だった。
「不出来な者の存在をあるがままに許容すること。当たり前の現実として、人間は基本的に出来ない方が普通なのだ」
悲しいが、それが無情な世の在り方。どれだけ超越者が人間賛歌を謳おうと八割、九割は死に絶えるまで凡人のままである。
平均値を超えて名を残せる者こそ一握り。よって、なるべく人類を救う、導くという意向は傑物より凡人を優先させるという結論に達する訳だ。
どう手を尽くしても成長できない者たちを、しかし変えられぬまま傷つけず、新世界の住人まで昇華させてやらねばならないことを示していると言っていい。
「言い換えれば、優劣を基準とした区別など言語道断ということだ。落伍者に対してだけでなく、逆に輝く天稟を優先すべきじゃないという戒めでもある」
反対に出来る者達へ期待を寄せるのも致命の歪みを生む。
能力面を優先する政策をすればするほど、それが正しくあればあるほど、評価が生殺与奪に直結するという構図が当然のように発生する。
強く優しいおまえは報われるべきである、という清廉な祈りは…裏を返せば取り得なき存在だと不遇を囲っても仕方ない、という理論と表裏一体の関係だからだ。
正論の横溢が行き着く果ては、正誤と上下が無限に渦巻く弱肉強食。
光の亡者で溢れかえった
極楽浄土に他ならない。
心の輝きを尊び、守り抜きたいと願い、より羽ばたける明日を求め…
自覚の有無に関わらず
出来ない物は出来ないから順当に滅びる世界を作ってしまう。
どんな素晴らしい英雄や救世主も、愚かしいほど例外なく。
「だが、そこでしかし。またもしかしだ」
問題はそう安々と解決しない。瑕疵を持ちえぬ正しい理想が絶滅を約束する以上、不出来な八割を基準にするのも同様に危険だった。
光は光で、闇は闇――こちらもこちらで劣っている者を優遇すればするほど、生産効率が減少してしまうという、きわめて簡単な末路に近づいていくからである。
能力の高いということは仕事が出来るということであり、より多く、より素晴らしいものを発明し、開発し、生産できるということに他ならない。
加齢による劣化、肉体的障害、意欲の欠如と、何でもいい。生み出す側に回れない消費者を優遇した凡愚のための世界など、発展とは無縁になりあっという間に資源は枯渇するだろう。
端的に言って、その様が酷いのは語るに及ばず。ならばと弱者に愛想を尽かせば、今度はどうしても強者に天秤が傾き始め…ああ、まったく。
「堂々巡りの始まりだ。両極端はよろしくない」
「なので結局、丁度いい中庸の線引きをその都度求める結論になる。光と闇の境界線はいったいどこにあるのだろう、とな」
要は折衷半。現実的に考えれば確かにそれこそ最善だが、しかし。
「違うだろう――そうじゃないはずだ、大神素戔王」
「つまるところ、第二太陽と同じ現状維持に徹しろと? 調停者は調停者として素晴らしいのは認めるが、それは聞けない相談だな」
旧暦と新西暦、二つの世界を知る存在だからこそ頷けない。
ゆえにこれら二律背反をクリアすべく、九条榛士は足搔き続けた。
考えに考えを重ね、無限の希望と絶望を糧としながら数多の挑戦を繰り返し、そして――
「放浪の果て、俺は答えを見つけたぞ。全人類が一人残らず生産者になれば何の問題もなかろうよ」
すなわち、究極的な最底辺の底上げ。
誰も彼も関係なく、生まれてきたから神に選ばれる世界をグレンファルトは形にしたのだ。
それが星辰神奏者――神天地創造能力。
世界樹との共鳴により実現された、極晃星を生む極晃星の真骨頂に他ならない。
優劣による判断基準を撤廃し、同時に過半数が無能である事実を容認しながら、それでいて変化を促さぬまま全体の発展を今より更に高度化する…
更に単色の回答で一色に塗り潰さない。
光も闇も、ひいてはその狭間というべき現状維持も選ばない。
列挙すればするほど不条理な難題に対し、偉大な絶対神はあらゆるすべてを高次へ導くことによって攻略した。弱きも、強きも、愚者も、賢者も、革新も、停滞も、調停も…地球さえも一つ残らず掬い上げて。
あまねく衆生へ愛を叫ぶ。
「光よ、闇よ、境界線よ。何度でも言ってやろう。ありのままで構わんのだ。この世にはきっと、何も出来ないおまえのことや、突き進んでしまうおまえのこと、変われないままでいるおまえのことを、認めてくれる"誰か"が必ずいるのだから」
呼びかけに応じ、脈動を始める翠星晶鋼――人柱同士の相互通信網。
そして、紡がれる数多の極晃星。運命を超えた一握りの勇者にしか許されぬ到達点が、次から次から次から次へと…
超新星爆発のように、目まぐるしく増殖する最高位の発生が止まらない。
誰もが等しく、神域の住人へとなり果てる。
「無理など一切しなくて構わん。辛いというなら、努力や克服などやめてしまえ。逆に前を向きたければ誇りを抱いて突き進むがいい」
あるがまま、願うがまま、求めるがまま。それのいったい何が悪い?
人間が可能性を最も発揮できるのは、自身の本質に対して忠実な瞬間だろう。そして同時に、抱いた祈りが崇高でも人は一人じゃ生きられない。
どれだけ強大な英雄も、護るべき民草なしには憐れで無価値な破壊者だ。どんな形であれ周りに他者がいるからこそ、人間はその生涯に輝きが生まれるのだとグレンファルトは信じている。よって。
「不幸とは、立場や貴賤や意見の正誤などではないのだ。嘆くべきは必ず居るだろうどこかの誰か――己が勝利に深く共感してくれる運命の相手、それに出会えぬことではないか。」
「俺がここまで至れたのは御先の存在あればこそ。それはとても涙が出るほど素晴らしい奇跡だが、ならば他の人々は?」
おまえがいれば、あなたがいれば、どんな困難も怖くない。
共に生きよう愛しき絆よ、誰よりなにより大切だからと。そんな喜びの賜物こそ人の描く可能性なら、尚のこと問題は深刻だろう。
巡り合わせの悪さ一つで、それがすべて紡がれぬまま終わり逝く?そんな事実は認められない。
"勝利"とは、愛しい誰かに出会えること。
その素晴らしさと喜びを世界に示してみたいから。
「神天地では確実に邂逅できるぞ、意見の合う誰かとな」
繋がる祈り、煌めく誓い。神前婚の権能が普遍無意識の小銀河に数多の星を生み出していく。
やがて、只人は大地から一掃されるだろう。人類種の基本形は極晃星であるのが当然という事象まで至るのだ。
当然として無制限に氾濫する星辰体。本来ならその常軌を逸した出力に三次元世界は耐えられないものの、しかし。
『遠慮は無用だ、心配いらん。どんな荒唐無稽も実現してこそ新世界だ』
「天に昇り星に至った人類とおなじく、万象もまた進化する」
地球が特異点でないのなら、特異点になってしまえばいいという発想に隙は無い。
発生する力に影響され、空間もまた高位次元へと急速に在り方を変貌させ始めていった。
生命も、空間も、物理法則さえ、まさしく森羅全域が連鎖的に極晃の領域へと駆けあがっていく神天地。
これを否定する者がいたとしても、それさえまったく問題無しだ。
なぜなら、彼らも選ばれている。
優しい日常を守りたい、次なる世界は不要だという祈りに誓い。新西暦の守護を求めて煌めく極晃星がやはり無数に描かれていて――
同時にそれを神の賛同者が然りと組み合い、鬩ぎ合っては高め合う。生じる軋轢が出力を上昇させ、更なる次元と空間へ遥かな昇華をもたらすのだから。
また等しく、他の想いもすべて手の内。無関係を選ぶ引きこもりも、観測だけを願う野次馬根性も、果ては過去への逆行や自分にだけ都合のいい箱庭を望む欲も、他にも他にも例外なく――
神奏者の思惑を何一つとして覆せない。
言ってしまえば人々が星晶の一部と化し、極晃を描いている時点でもう駄目なのだ。
両立している秩序と混沌。あらゆる脆性を排除した理想の具現は、運命と共にいてほしいという清廉な願いを下敷きにしているからこそ、絶対無敵で至高至大。
希望と絶望、その狭間さえ同じ事。
正誤の天秤に携わる宿痾を彼は完全に超えていた。万民の自由意思を生のまま尊重しているため、どんな選択を選んでも最終的には神天地へ帰結する。
『神天地に叶えられない勝利はない』
「忘れるな、人々よ――おまえ達は一人じゃない! 決して、一人なんかじゃないんだよ!」
ゆえに、もう誰も絶対神を止められない。
この世に愛しい誰かがいる限り、雄々しい絆がある限り。
グレンファルト・フォン・ヴェラチュールを打倒することは、天地に誓って不可能なのだ。