パルエ暦628年
この年に発生したシルクダット会戦により、南北戦争は新たな局面を迎えていた。飛行場を撃破するべく送り込まれた帝国戦艦群。第二期に栄華を欲しいままに手にしてきた戦艦達は、連邦軍やメルパゼル軍の航空機に良いようにカモにされ、呆気なく沈んでいった。
戦争の主役は戦艦から航空機に移り変わり、その流れに一歩遅れてしまった帝国は、先進的なドクトリンを持った連邦軍に大敗を期す。シルクダットでの一連の戦いを総称し、『シルクダットを巡る戦い』と後世の歴史家に言われた歴史の転換点。
このシルクダット会戦で戦略的敗北をきした帝国に、もはやカノッサ割譲地を維持することは不可能だった。
そう、帝国軍はジリジリとカノッサ割譲地から追い出されていたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
──南北戦争は終わった。
パルエ暦628年3月24日
爆炎が雲の波間を汚し、船体が破断する。一万トンを超える鉄塊が唸りを上げて空から剥がれ落ち、破砕口から炎を芽吹かせ、真っ白な雪の上へ。
吐き出される乗組員は、不幸にも落下傘をつけている時間はなかった。ある者は炎に抱かれ、またある者は鉄塊に押し潰され、苦しみを味わいながら真っ白な雪の上へ。
それはクランダルト帝国空軍のガリアグル級軽巡空艦だった。今では淡い鉄塊となって沈んでいくが、携えた連装長砲身が最新後期型である事を意味している。
「また味方が……」
味方が1隻沈むという危機的状況にありながらも、私は隊長として戦闘を続けた。愛機のシュピンネ高速戦闘機も警告音を放って私に危機を知らせてくれる。
シュピンネ高速戦闘機は、帝国軍が待ち望んでいた量産型高速戦闘機だ。遺伝子改良により連邦軍のギズレッツァと対等に渡り合う速力を手に入れた本機は、この時期になってやっとまともに渡り合える。
シュピンネはギズレッツァに追い縋ろうとする生体機の意地を見せつけたが、あまりに登場が遅すぎた。投入され始めた再開戦時、いまだに主力はグランバールという有様では逐次投入に過ぎない。
やっと集中投入されたシルクダット戦役では、連邦軍は更なる新型機を投入し、案の定帝国は負けそうだ。そして今、ジリジリとカノッサ割譲地から追い出されようとしている。
帝国軍が反攻を企てても、今こうして連邦軍の航空機部隊にいいようにあしらわれるだけだ。今もほら、私の後ろにギズレッツァが食らい付いている。
「くそっ……! 速度を落としても前に出てこない……!」
私が乗るのは、そんなシュピンネ高速戦闘機を改良した代物だ。艦上戦闘機としてのサイズはそのままに、主翼の可変機構による空力確保、機銃を30mm機関砲を2門に変更した。
その名も「シュピンネⅡ型」、皆は愛称を込めて「シュピンネ"ル"」と呼び名を変えて区別している。
さてシュピンネには前方と後方に警戒用生体波探信儀が搭載されている。前方は捜索用、後方はドッグファイト時の警戒用である。後方に取りつかれると警告音が鳴り響き、パイロットに警告を促すのだ。
しかしもう何度この音を聞いた事か。アドレナリンが噴き出す戦場に、こんなちゃちな警告音など気にする余裕すらない。ずっと鳴り続けているのでは?と勘違いする。
途端、後方にへばり付いていた敵のギズレッツァが爆ぜた。2機のシュピンネがギズレッツァがいた場所を通り過ぎ、私の隣を飛行する。
『隊長、大丈夫ですか?』
「まだ問題ない! それより二人とも俺と来い、中攻を落とすぞ!」
既に自分の小隊は、残す彼らが奮戦しているのみ。もはや隊の意味を成していないが、味方を煽らずして何が隊長か。
私は編隊を組み直し、列機を引き連れて急降下する。薄い雲を私が駆るシュピンネの主翼が撫で、雲が繭のように惹かれていく。
糸を垂らして釣り上げるは、連邦軍ドラヴィア中型攻撃機。全長二十メルト、全幅二十五メルトのただでさえ大きい機体に2発の空雷を搭載し、攻撃体制に入る。
巨大で鈍足だが、装甲が分厚く防護機銃も多数装備しているバケモノだ。ならば……
私の眼前、雪原がぐんぐん迫ってくる。いくつもの千切れ雲を抜け、まっしぐらに情報からドラヴィアの鼻先を目指す。
巨大な機影が遮風板の向こういっぱいに広がる。機体上面に据えられた対空砲火が、シュピンネルに気付く。瞬間の刹那、4機編隊による濃密な集中砲火が吹き上がる。
燃え盛る弾丸の嵐。シュピンネルは臆する事なく敵の砲火に飛び込んでいく。そして、距離400メルトに差し掛かったその瞬間にトリガーを引いた。
30mmを放たれたドラヴィアの操縦席が、爆砕する。
他の2機も、列機の頭部を狙った攻撃によりぐらりと揺れた。どれだけ豊富な武装に身を固めようが、防弾性能に優れていようが、頭を撃ち抜かれてはなすすべがない。
部隊が全滅した残りのドラヴィアは尻尾を巻くように旋回し、味方艦隊への攻撃コースから撤退した。
『ペストリア小隊へ、艦隊司令は撤退を決断した。母艦へ帰投されたし』
「いやまだだ、まだ耐えられる」
今更撤退したって、体制が立て直せるはずがない。ならばこの作戦の目的である飛行場攻撃を強行した方がよっぽどいい。
『これは命令だ。帰投せよ』
「くっ……」
しかし上官からの命令である以上、従わないわけにはいかない。
『……俺だって悔しいさ』
後に続く言葉は何のフォローにもなっていなかった。
「小隊各機……帰投するぞ」
私は列機を率いて母艦のレウラグル級航空母艦へと進路を変える。艦隊も撤退に入った。進路をゆったりと変え、南の方向へと転舵していく。旗艦であるグレーヒェン級戦艦も敗走の姿をしており、それでも艦隊を保っている。
味方シュピンネルも撤退命令に従い帰投していくが、それをギズレッツァが追いかける。直線距離ではギズレッツァの方が圧倒的に速力が高い。いくつかのシュピンネルは不利と悟って強制ブーストで距離を離そうとする。
「簡単には逃してくれないか……」
私はここで一つの決断を下すしかなかった。
「全機、私が殿になる。先に母艦へ帰れ」
『了解です、ご武運を』
私だけさらに加速、別方向へ向かうとその先にはシュピンネルを追いかけるギズレッツァの編隊。獲物にのみ集中しているギズレッツァに向け、不意打ちの一撃を喰らわせる。
機首に集中配置された30mm機関砲は、圧倒的な火力を放つことが可能だ。2機のギズレッツァの右横っ腹に向に機関銃が突き刺さり、爆散する。
味方がやられた時点でもう1機は回避軌道に移る。急な不意打ちにも混乱しないのは、流石にこちらよりも練度が高い。
そのままギズレッツァの横を過ぎていき、すぐさま右へ旋回して格闘戦に入る。相手も咄嗟に右へ旋回したため、旋回戦だ。
しかし格闘性能ではシュピンネルの方が素早い。すぐさま機体後方に追い縋ると、機首からの弾幕で機体後部の浮遊機関用バッテリーを撃ち抜く。
バッテリーのショートで青い光が轟き、閃光と共にギズレッツァの浮遊機関が爆ぜる。浮力を失ったギズレッツァは錐揉みしながら墜落していく。
「次……!」
味方が撤退するまでの間、なるべく多くの敵機を引きつける必要がある。殿とはそういうものだ。
別のシュピンネルを追いかける3機のギズレッツァ隊が居る。今度はその上方から襲いかかり、2機のギズレッツァへ弾丸を大剣のように振りかざし、一撃の元に粉砕する。
間髪入れず、機体をコントロールして隣のもう一機を食おうとするも、直前で回避された。私はそのままギズレッツァの下方へ過ぎ去っていき、再び上昇に転じる。
周りを見てみると、ギズレッツァを含めた敵機は戦果は十分と見たのか、撤退行動に移り始めた。随分となめられたものだと悔しさが滲み出る。
「!?」
その刹那、私はラダーを操作して機体を横滑りさせる。上方から何か鋭い牙が振りかざされたかと思うと、先ほどまで私がいた場所を機銃弾が過ぎ去っていく。
危機的な不意打ちだった。不意打ちを仕掛けた相手は太陽を背にすれ違い、下方へすり抜けていく。その一瞬の間、私はかの機体のエンブレムを見ることができた。
頭巾の魔女マーク。
あんな洒落たマークを付けられる機体は、隊長格でなければ他ならない。私は強い危機感を覚えた。
しかし機体はシュピンネルの巨大な主翼に隠れて見えなくなる。私は機体を水平方向に戻し、加速して速度を取り戻しながら下方を捜索する。
「どこへ行った……?」
その瞬間、シュピンネル特有の後方警告音。
──後ろの積乱雲だ!
私が機体を翻すと、その後ろをアーキリアム機関砲の弾丸が過ぎていく。ギズレッツァから放たれた20mm4門の弾丸は、シュピンネルの30mmよりも安定した火力を叩き出す。
何発が被弾し、シュピンネルから大量の出血が強いられる。
私は後方を確認した。私の後ろに広がる巨大な縦長の雲。それを駆使して隠れながら進み、飛び出してきた手慣れのギズレッツァが私の後方にピッタリと。
「着いてこい……!」
私は急旋回を仕掛け、なんとかギズレッツァを格闘線に誘い込む。青い静寂の彼方、シュピンネルの飛行機雲が両端から糸を引く。
しかしギズレッツァは挑発に乗らない。こちらの意図を嘲笑うかのように、一直線に距離を離した。
手慣れのギズレッツァは自機が格闘戦を苦手としていることを知っている。
厳密に言えば、ギズレッツァは時速が400kmを超えたあたりから格闘性能が上がるのだが、シュピンネルの格闘性能はそれのさらに上をいく。
それだけでなく、シュピンネルは低速での旋回戦も得意だった。とにかくギズレッツァはシュピンネルと格闘戦を避けるよう、手慣れであればあるほど訓練されている。
ギズレッツァが遠くで旋回し、私をロックオンする。私が旋回する頃には、再びギズレッツァが上方からの攻撃を仕掛けてきた。
「くそっ!」
悪態をつく。機銃弾をバレルロールで回避すると、一直線にすれ違ったギズレッツァは見惚れるほどの宙返りをし、こちらの後方についてきた
後方1レウコ程、速度はお互い420kmを超えている。重力加速が付いたギズレッツァは無敵だ。パルエにおける高速でのドッグファイト、直線距離ではギズレッツァに対して不利である。
「なら……!」
私は強制ブーストをシュピンネルに振り掛け、最高時速で手頃な分厚い雲へと突っ込んでいった。間髪いれず、ギズレッツァが追尾してくる。浮遊機関の唸りと共に、後方へ光の筋を弾きながら。
見た目より分厚い雲だった。緩降下しながら高度計に目を配る。現在高度2500、まだ雲を抜けない。暗い雲の粒子が風防を叩くが、私は気にせず突き進む。いまだギズレッツァの光の筋が見える限り。
「引っかかったな」
確信すると同時に雲を抜けた。
眼下にいきなり、青空と白銀の雪原が広がる。私はそれを確認するとシュピンネルを翻し、主翼の可変機構を操作しながら横方向へスライドした。まるで車がドリフトし、一回転するかのような機動。その半円の最中にギズレッツァが雲から飛び出し、私の罠にハマる。
後ろを取った。こうなればこちらのターンだ。私は機関砲の残弾など気にせず撃ちまくり、ギズレッツァに弾幕を浴びせる。
しかし当たらない。シュピンネルの30mm機関砲2門は十分な火力を叩き出すが、弾道特性が悪い為ギリギリまで接近しなければ一撃足り得ない。速度が速すぎるこの状況下では、尻尾を取ってもギズレッツァを落とせない。ならば直線距離で引き離される前にと、私は強制ブーストを仕掛けた。
しかし、ギズレッツァはそれを見計らったかのようにバレルロール。そのまま背面逆落としの体勢で急降下をし始めた。私もそれに着いていく。高度計の示度がみるみる下がっていく。巨大な主翼が撓み、皺が寄る。機体の空力で再び飛びあがろうとしているのを必死に抑える。
時速がみるみる上がっていく。降下するごとに速度計が振り切れそうであった。未だパルエ人が見たことのない戦闘速度まで、あと少しで手が届きそうだ。
しかし。
私はここでハッとした。その刹那、機体の座席が大きな振動に包まれる。
シュピンネルを含め、帝国由来の生体機は基本"生きている"。機体の各所に血液が循環し、装甲さえあるもののその中身は肉塊そのものだ。鉄の塊より軽く格闘性能に優れるものの、その分生物故の機体強度の限界が存在する。つまり、ここまで急降下すれば強度でジェラルミン製のギズレッツァに負ける。
──機体が空中分解するぞ!
その危機を、シュピンネは本能的な警告で私に伝えてきたのだ。私はそれを悟った瞬間、機体が空中分解するギリギリの速度と旋回Gに耐えながら急上昇した。
「くそっ!!」
悪態をつく。その証拠にチキンレースに負けたシュピンネル目掛け、後方からギズレッツァが追いかけてくる。
再び攻守逆転、このままではまずいと思った私は主翼を大きく広げてブレーキとしつつ、下方へ広がる峡谷へと飛び込んでいった。
空から、未だ死にかけの帝国艦の残骸が降ってくる。味方は逃げられただろうか? 艦隊は無事だろうか? 考えている暇はなかった。
私はそのまま峡谷へと突入する。
ゆったりと降ってくる残骸を避けながら、両端の空間が縮まっていく。
狭い空間にわざと飛び込んだ私に向け、ギズレッツァの20mmが振りかざされる。後ろを振り返る時間はない。そのまま峡谷の複雑な地形をすり抜け、なるべく狭い場所を通っていく。
先程の急降下よりも危機的な峡谷飛行。
さも当たり前であるかのように、2機はこなしていく。
機体を見れば、さらなる出血で翼が血に汚れていた。
右に狭い道が見える。岩肌に阻まれ、洞窟のような穴の先にまた峡谷が広がっている。道が分かれているのだ。
私はより狭い方向へ向かっていく。ギズレッツァは無理と判断したのか隣の方向へ向かった。
穴を抜けた先、お互いの道が隣り合わせで並ぶ。
隣り合わせで飛ぶギズレッツァとシュピンネル。
ギズレッツァのパイロットの顔が見える距離、私は奴を睨んだ。
『南北戦争は終わった』
敵から通信を受ける。
『もう戦わなくていい』
敵からの慰めのような挑発は、私への効果はない。
「俺は戦うことしか知らない」
狭い空間が、いきなり晴れ渡った。
岩肌の間に出てきた、湖だ。
湖畔の煌めきが太陽を反射し、輝きが静寂の戦いの時を止めた。
私はそれを見た瞬間、シュピンネルの主翼を広げる。湖を切り裂くように、再びドリフトを仕掛ける。水が立ち上り、跳ねた水飛沫が壁を作って目をくらます。
ギズレッツァはこちらの意図を読んだのか、目眩しから逃れるように上へ逃げ去った。それを確認した私は、強制ブーストを掛けて追いかける。
ギズレッツァは失速していた。慌てて機首上げをすれば、揚力が生まれず失速してしまうのは目に見えている。が、あの水飛沫がその判断を鈍らせた。
照準器いっぱいにギズレッツァが映る。
引き金を引く。
しかし、弾が出なかった。
残弾はとっくにゼロだったのだ。
「終わったか……」
しかし私は満足していた。シュピンネルがギズレッツァをすり抜け、遥か上空へと逃げ去っていく。しかし、そこで機体の限界が尽き、揚力を失った。血を失って死んだのだ。
後方を見れば、失速したギズレッツァがゆっくりと水面に落ちていった。あの落下速度なら、もしかしたらパイロットは生きているかもしれない。
私のシュピンネルはゆったりと、湖面に吸い込まれるように高度を下げていく。水面が、死んだはずのシュピンネルを優しく受け止めてくれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
岸に上がった私は、先ずギズレッツァのパイロットを探した。油断はできない。私は武器を持ち、生きていた生体無線機を背負って岸へ上がった。
結論から言えば、パイロットを見つけることはできなかった。ギズレッツァの機体を見れば死体は影も形もなく、どこかへ逃げ去ったと考えた。
機体には挑発的なメッセージが書かれていた。
『戦いしか知らぬ狂花よ、貴様が枯れるのはいつになるやら?』
狂花、私の狂気的な戦闘意欲を見て北半球の神話に準えたのだろう。狂花を嗅いだ戦士は、その闘争意欲を掻き立てられ麻薬のように戦いを続けると。勉強したことがあるので知っていた。
私は浜辺で焚き火を焚きつつ、体を温め考えた。
自分のような、軍にしか、戦うことしか知らずに育った人間は狂った戦士ではなく狂花そのものではないか。
しかしそれの何が悪い。
せめてこの南北戦争が終わるまでの間は生き残ってやる。若い仲間を多数生き残らせ、敵には最大限の損害を与えて生き残る。簡単なことだ。
『ペストリアリーダー、ペストリアリーダー、聞こえますか?』
生きていた無線機から声がする。峡谷を抜け、跳ね返る音とともにキストラの生体音が鳴り響く。救助がやってきたのだ。
「まだ戦争は終わっていない」