字書(じしよ)
『言語学大辞典術語』
中国では,古くから言語の単位として,語よりも字を考えてきた.漢字は,アルファベットや仮名とは違い,一字一字がそれぞれ語を表わす文字であるから,字はすなわち語である(→表語文字).そして,字を実体とみて,字形・字音・字義をその属性とみる考え方が今日まで及んでいる.
中国の辞書も,古いところでは,この字の「形・音・義」の3つの属性に従って,それぞれ別種のものがつくられた.そのうち,字形を主としたものを字書,字音を主としたものを韻書といい,字義すなわち字の意味によるものが別にあった.この最後のものは,特に名前はつけられていないが,中国の古典的な図書分類(四庫分類)では「訓詁」という項目に入れられている(→義書).
中国では,古くから言語の単位として,語よりも字を考えてきた.漢字は,アルファベットや仮名とは違い,一字一字がそれぞれ語を表わす文字であるから,字はすなわち語である(→表語文字).そして,字を実体とみて,字形・字音・字義をその属性とみる考え方が今日まで及んでいる.
中国の辞書も,古いところでは,この字の「形・音・義」の3つの属性に従って,それぞれ別種のものがつくられた.そのうち,字形を主としたものを字書,字音を主としたものを韻書といい,字義すなわち字の意味によるものが別にあった.この最後のものは,特に名前はつけられていないが,中国の古典的な図書分類(四庫分類)では「訓詁」という項目に入れられている(→義書).
[『説文解字』とその流れ]
字書は,字の形,その構造を考えて分類された辞書である.われわれの漢和辞典もこの系統を引くもので,いわゆる「画引き字典」である.この字書の元祖は,後漢の許慎の『説文解字』(略して『説文』)である.これは,当時知られた漢字の一つ一つについて,その字形の構造を説いたもので,いわば字源を示すものである.この字書の系統は,六朝に入って梁の顧野王の『玉篇』にうけ継がれ,以後,各代にさまざまなものがつくられた.たとえば,宋では『類篇』,明では『字彙』,そして,清朝に至ってその集大成ともいうべき『康煕字典』が編纂された.
字書編纂の歴史の中で,各字の字義の注記がだんだん詳細になっていった.『説文』では概して各字の本義が簡単に記されるのみであったが,『玉篇』では各字の字義が多く加えられ,ことにその原本では経典からの引用なども試みられていた.やがて,字書は漸次辞書に近づいてくる.『康煕字典』に至っては字義の分類も細かくなり,古典を典拠とする注記も詳しくなっている.
字書は,字の形,その構造を考えて分類された辞書である.われわれの漢和辞典もこの系統を引くもので,いわゆる「画引き字典」である.この字書の元祖は,後漢の許慎の『説文解字』(略して『説文』)である.これは,当時知られた漢字の一つ一つについて,その字形の構造を説いたもので,いわば字源を示すものである.この字書の系統は,六朝に入って梁の顧野王の『玉篇』にうけ継がれ,以後,各代にさまざまなものがつくられた.たとえば,宋では『類篇』,明では『字彙』,そして,清朝に至ってその集大成ともいうべき『康煕字典』が編纂された.
字書編纂の歴史の中で,各字の字義の注記がだんだん詳細になっていった.『説文』では概して各字の本義が簡単に記されるのみであったが,『玉篇』では各字の字義が多く加えられ,ことにその原本では経典からの引用なども試みられていた.やがて,字書は漸次辞書に近づいてくる.『康煕字典』に至っては字義の分類も細かくなり,古典を典拠とする注記も詳しくなっている.
[字書と韻書]
字書の歴史の流れの中でもっとも注目すべきことは,韻書との関係である.六朝の字書である『玉篇』と,隋に成った韻書の『切韻』は,ともに当時としてはできばえの優れたものであったため,唐代においては字書では『玉篇』,韻書では『切韻』と,2つながら愛用されて大いに流行した.この字書と韻書のペアとしての流行は,宋に入ると字書の『類篇』,韻書の『集韻』が意識的に,しかも欽定版として編纂刊行された.このペアは,続く金代でも字書の『四声篇海』,韻書の『五音集韻』の刊行をみるようになった.この字書と韻書の2つの系統の流れは,やがて合流して字書の『康煕字典』を生むに至った.『康煕字典』は,形は字書であるが,従来の韻書の成果を十分にとり入れていて,もっとも優れたところは字義の分化と字音の種別に細心の注意を払っているところである.『康煕字典』は,「中国における辞書記述(Chinese lexicography)」の歴史の頂点であるといってよい.ただし,その編修が人海作戦で行なわれたため,きわめて杜撰なものになってしまったのは残念である.
この『康煕字典』にしても,字書はあくまでも一字一字についての解説に終始していて,真の意味の語の辞書ではない.中国語の語は,多くの場合,字によって代表されるけれども,語のレベルと字のレベルとは,常に若干の違いがある.字はむしろ形態素の位置にあるもので,語は1形態素のものもあるが,普通は2形態素のものが多い.この観点からすると,古典中国語の本当の辞典はいまだつくられていないといってよい.
字書の歴史の流れの中でもっとも注目すべきことは,韻書との関係である.六朝の字書である『玉篇』と,隋に成った韻書の『切韻』は,ともに当時としてはできばえの優れたものであったため,唐代においては字書では『玉篇』,韻書では『切韻』と,2つながら愛用されて大いに流行した.この字書と韻書のペアとしての流行は,宋に入ると字書の『類篇』,韻書の『集韻』が意識的に,しかも欽定版として編纂刊行された.このペアは,続く金代でも字書の『四声篇海』,韻書の『五音集韻』の刊行をみるようになった.この字書と韻書の2つの系統の流れは,やがて合流して字書の『康煕字典』を生むに至った.『康煕字典』は,形は字書であるが,従来の韻書の成果を十分にとり入れていて,もっとも優れたところは字義の分化と字音の種別に細心の注意を払っているところである.『康煕字典』は,「中国における辞書記述(Chinese lexicography)」の歴史の頂点であるといってよい.ただし,その編修が人海作戦で行なわれたため,きわめて杜撰なものになってしまったのは残念である.
この『康煕字典』にしても,字書はあくまでも一字一字についての解説に終始していて,真の意味の語の辞書ではない.中国語の語は,多くの場合,字によって代表されるけれども,語のレベルと字のレベルとは,常に若干の違いがある.字はむしろ形態素の位置にあるもので,語は1形態素のものもあるが,普通は2形態素のものが多い.この観点からすると,古典中国語の本当の辞典はいまだつくられていないといってよい.