五十音図(ごじゅうおんず)
『言語学大辞典術語』
『言語学大辞典術語』
表1のような,5段・10行の仮名表についての命名 各段(または列)をア段(ア列)・オ段(オ列),各行を力行・サ行などとよぶ.
現在,国語教育や日本語教育の最初の課程で用いられている五十音図は,次のように変形されている.
1)「わ」の左に「ん」を置く.2)促音「っ」を加える.3)ヤ行の「い」「え」とワ行の「う」は,ア行と重複しているのでカッコを付けるか空欄とする.4)ワ行の「ゐ」「ゑ」は,現代語の表記から排除されているので,カッコを付けるか空棚とする.5)濁音4行と半濁音1行とを加える.6)「きゃ・きゅ.きよ」など,力・ガ・サ・ザ・夕・ダ・ナ・ハ・(の各行のア段・ウ段・オ段の勘音の行を加える.
1)「わ」の左に「ん」を置く.2)促音「っ」を加える.3)ヤ行の「い」「え」とワ行の「う」は,ア行と重複しているのでカッコを付けるか空欄とする.4)ワ行の「ゐ」「ゑ」は,現代語の表記から排除されているので,カッコを付けるか空棚とする.5)濁音4行と半濁音1行とを加える.6)「きゃ・きゅ.きよ」など,力・ガ・サ・ザ・夕・ダ・ナ・ハ・(の各行のア段・ウ段・オ段の勘音の行を加える.
「音図」は日本語の音節表であり,仮名は音節単位の表音文字であるから,五十音図を覚えれば日本語を仮名で自由に表記できるという漠然たる認識が,この名称の背後にある.しかし,「お」と同音の「を」は格助詞を表記するための専用の仮名であるし,また,同じく格助詞の「は」「へ」などをみても,そういう認識は誤りである.
〈表1〉
『五十音図」という名称は契沖による仮名遺書『和字正濫抄』(1693年成立)に遡る.それ以前には,「五音之図」「五音五位之次第」などとよばれていた.契沖は真言宗の僧侶であり,図1に示す『和字正騰抄』の五十音図は,真言宗に継承された悉曇学を基礎にしている.
ここに示された五十音図は,「賢(縦)ノ各行ハ五音相通横ノ各行ハ同韻相通」,すなわち,縦は同じ子音,横は同じ母音であることを示すための表であるから,字義どおり音図であった.同書は「いろは四十七字」の書き分けの規範を示した仮名遣書であり,その基本となる仮名の文字列は「いろは」であって,正書法(仮名遣)の規範が発音と正確には対応していないことが前提になっている.しかし,明治期以後の初等教育で「いろは」が仮名の文字列として使用されなくなり,それまで発音の表であった五十音図がその機能を肩代わりするようになった.また,辞書の項目配列も「いろは順」に替わって「五十音順」が支配的になった.
〈図1〉
「五音」が作成されたのは,9世紀ないし10世紀と推定されている.その構成原理が中国字音の韻図と共通しているので,韻図の原初的な形態を投影して作られた可能性が想定されるが,裏づけは得られない.
現存最古の五音と見なされているのは醍醐寺三宝院蔵『孔雀経音義」の末尾に付載されたものである(図2).名称は付されていない.10世紀末ごろと推定されるが,確定しにくい.「イヨヤエユ」の「エ」に「衣」の略体が使用されているが,この「衣」は,本来,ヤ行の[je]ではなく,ア行の[e]に当てて使用されていた文字である.それを根拠にすれば,この五音の上限は[e]が[je]に合流して以後ということになる.ただし,その変化の生じた時期もまた,文献資料の解釈によって揺れがある.
「キコカケク」の上に番かれた「?」(キ)は,陀羅尼に使用される文字.陀羅尼は,サンスクリットの経典を漢訳せずに転写したもので,陀羅尼に使用される文字の口篇は,表音的に使用する文字であることを意味している.現行の片仮名に履き換えると表2のようになる.
〈表2〉
各行とも,母音の順序は[イ・オ・ア・エ・ウ]に統一されているが,母音の行はない.「ニノナネヌ」も欠けているが,欠落の理由が十分には解明されていない.
「比」の下に2つの行がまとめられているのは,使用目的に合わせた操作に相違ないから,これが,五音の祖形ではありえない.平安時代,[ヒホハヘフ]の子音は無声摩擦音であり,語頭の[ピポパベブ]の子音は有声破裂音であったから,音韻論的にそれらが清濁の関係にありつづけたのは歴史の継承であって,有声・無声の対立ではなくなっていた.[ヰヲワヱウ]の子音は接近音[w]なので,音声的には,その方が[ヒホハヘフ]の濁音にふさわしかった.現に,唇内入声韻尾は「フ」で表記する慣習が定着していたが,発音は[ウ]に移行していた.ハ行音と音韻論的に対立する濁音はバ行音であり,それは,「ヒホハヘフ」の仮名に包摂されるが,無声・有声の関係で対立していたのは,事実上,ワ行音であった.他の諸行の場合,清濁は無声・有声の対立である.語頭以外のハ行音のワ行音化は,したがって,有声化になぞらえられる変化であった.この五音で「ヒホハヘフ」の脇に「ヰヲワヱウ」が置かれていることは,そういう関係を示そうとしたものと見なすことが可能である.
年代の明確な最古の五音は,承暦本『金光明最勝王経音義』(1079)に付載された「五音」と「五音又様」とである.「五音又様」の方が最初に示されていることは,「五音」が伝承された形であり,それを改訂したのが「五音又様」であることを示唆している(図3).
「五音」も「五音又様」も,清濁が交替する4行と交替しない6行との2群で栂成されている.「五音又様」は,母音の順序が[ア・イ・ウ・エ・オ]であり,「ヤイユエヨ」の「イ」「エ」に傍点が加えられている.これは,それら2つの仮名が「アイウエオ」と重複していることを示したものである.順序としては,ア行の方があとにあるが,ア行が主でヤ行が従の関係にあることが知られる.ワ行は,それぞれ,「ワヱヲフヰ」「ワヰフヱヲ」となっている.「五音又様」で「フ」の仮名に傍点がないことは,それが「ハヒフヘホ」の「フ」と等価でないことを意味しており,唇内入声韻尾の表記と読みとの関連を示したものとして説明が可能である.「已卜賄上字音清濁不定也」とは,それらの4行が,反切上字の違いに応じて清音にも濁音にもなることを意味しているから,五音が,反切の補助として加えられる仮名表記の音注を理解するための手段として使用されていたことは確実である.片仮名の「いろは」が母音と子音とによる音節構成を理解するために利用されていることも注目される.
以上,2つの文献にみえる五音を比較すると,母音の順序も行の配列もそれぞれに異なっているサンスクリットは日本語よりも音韻体系が複雑であるが,悉曇文字を規則的に配列した悉曇章を投影し,簡略化すると,現行のような「アイウエオ」「アカサタナ…」の順になる.それを行なったのは,天台宗の学僧,明覚(1056~1106?)である.明覚は悉曇学に造詣が深く,いくつかの重要な著作を残しており,その中の『反音作法』に,5×10の形式に整えられた片仮名の音図が示されている.その解説によると,これもまた,漢字音の反切を理解するためのものである.
日本語の語形に母音の交替や子音の交替が存在することは,実例をもって散発的に指摘できるが,五音が縦横の図に整えられたことによって,いっそう明確に意識され,歌学などでも,それが普遍的な原理として通用するようになった.18世紀になると,国学者たちは,五十音図を,発音や語形にとどまらず,日本語の諸現象の基本をなすものと見なし,用言の活用を五十音図を用いて説明することが行なわれた.現行の学校文法における用言の活用表はその成果を直接に継承している.
各活用形は五十音図の段の順序に配列され,終止形を中心に「連用形」,「連体形」,「未然形」,「已然形」が対比的に命名されて,対称的に配列されている(表3).
(表3)
[参考文献]
馬淵和夫(1993),『五十音図の話』(大修館書店,東京)