戦艦
「この時代の戦艦は、上陸戦において砲撃により打撃を加えることを目的として使用される代物で、対艦戦闘は二の次以下というより想定外だ。
海軍にとってあくまで自分達の兵器の主流は、潜水艦と空母であり、海軍の認識も「対艦兵器」ではなく「巨大な砲艦」程度でしかない。
1940年代から盛んになった航空機・空母全盛時代は、戦艦にとっては冬の時代だった。
海軍の伝統的象徴と扱われても、実戦では第二線でなんとか活躍出来る程度の代物。
1955年の第一回目の大軍縮の際は真っ先に除籍対象の艦種とされた。
戦艦大和を始め、長門・陸奥などの歴史的な艦がスクラップにされるか記念艦として公園に収められ、海から消えた。
歴史の転換点は1970年代。
フォークランド紛争やカリブ海戦争、さらにカナダ動乱において、三流海軍が何とか運用していたオンボロ艦が各地で対地攻撃兵器として使用され、一躍歴史の檜舞台に復活したことによる。
対艦ミサイルを随伴艦の対空防御で防ぐ戦法で守られた戦艦は、はっきり猛威だった。
その破壊力から「非人道的」として1970年代以降の沿岸部を戦域とする全ての戦争において、講話条件で常に一番最初にあげられたのが、「戦艦の戦域よりの撤退」だったというのが、どういう意味か考えればわかるだろう。
日本もその例外ではない。
上陸戦を担当する海軍陸戦隊や沿岸部へ展開する陸軍からの要請もあり、海軍は1950年代には半ば消滅した艦種「戦艦」を1980年に復活させた。
かつて連合艦隊旗艦を勤めた長門や陸奥は記念艦として公園に収められ、大和や武蔵はスクラップになっている中、「対地攻撃戦支援艦」の略として海軍は「戦艦」を復活させたのだ。
運用してみると、それまで懸念されていたほどの問題はなかった。
大型空母ほどの意味はないし、潜水艦ほど気を遣う必要もない。
イージス艦ほどの電子防御能力はいらず、随伴するこれらの艦に対空戦闘の運用は委ねればいい。
デカイ砲とそこそこの対空砲を積んで幾度と無く戦艦は運用上、むしろ使い勝手のよさで好評を得た。
そして多大なる戦果を上げ、今では長門・大和・武蔵を始めとした戦艦が16隻も海軍の軍籍簿に名を連ねている」
(
一年戦争秘録 The beginning of the War 07 より)
大和級
- 50口径46センチ砲9門搭載
- 同型艦は武蔵、紀伊、尾張
金剛級
- 45口径38センチ砲8門
- 同型艦は比叡・榛名・霧島
長門級
最終更新:2008年03月22日 11:41