概説
- 倉木山ゲート解放事件から洞峰制圧に至るまでの人類対魔族軍の一連の戦い。
- あくまで国連軍主導による戦争であったとして、第一次霧峰会戦から、第六次倉木山会戦まで丁度1年だったということから、この名がついた。
- なお、それ以前、そして、会戦以降も妖魔との戦いを強いられた近衛軍は、洞峰峠攻防戦を最後の戦いとして、一連の戦闘を独自に「2年戦争」と呼称。
どちらが正しいかでは議論があり、認識には隔たりが大きい。
発端
- 長野県の山間部のある村にあったゲートの封印を建設業者が破壊したため、2千600年前に封印されていた魔族の大軍団が解放されてしまった。
- わずか数日で長野県北部から東信部までに妖魔の軍団が展開、住民だけで35万人が行方不明に。
- 1週間後には近衛魔導兵団が展開した霊的防衛結界で何とか妖魔を食い止めるのがやっとというところまで陥り、国連ではこの事態を「人類存続の危機」と認識、この期に及んで話し合い(軍・警察、その他の官僚組織の利害対立により政府がまともに機能していなかったのが原因)を要求する日本政府を国連本部からつまみ出した結果とはいえ、決議に参加した「日本をのぞく」全ての国の賛成により国連軍が編成されて日本に派遣されることになるなど、金が通用しない場所で日本が国際的に如何に低い地位にいて如何に無能かを世界にひけらかす結果となった。
国連軍参戦
- 「日本政府を頼っていたら死ななくていい所で死ぬ」ということで国連軍は、日本政府を完全無視する形で日本本土に上陸、日本の法律無視で妖魔との戦闘に突入。
- 国連軍最初の戦闘である第一次霧峰会戦で国連軍は投入戦力の7割を喪失した。
これ以降、国連軍は苦戦に苦戦を重ねることになる。
戦争中期
- 騎士達の相次ぐ消耗を穴埋めするために大量動員されたため、犠牲者は中盤あたりから増大の一途をたどり、国によっては派遣戦力が全滅したケースも多い。
戦争末期
- 組織戦としての最終決戦は事件の発端となった倉木山における第6次倉木山会戦。
- 公には、ルシフェル・ナナリがヴォルテモードとの決闘に勝利することで終了したとされている。
犠牲
- 1年にわたる戦いでの死者・行方不明者は戦闘要員約105万、民間人約195万。6つの市と36の町村が地図から消滅。
- 長野県は終戦後1年を経ても県として機能しておらず、分県の議論すら根強い有様。
- 残存する妖魔は世界各地に逃げ、各地のゲートの封印を破壊しようとするなど、今もってその影響は計り知れない。
最終更新:2007年02月20日 23:53