「主任研究員ブランドンの日記・2」

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
1968年

4月15日
あれから一年以上、成果が出ぬまま時が過ぎた。
持ち帰った始祖ウィルスも底をついた。これ以上時間を無駄にすることはできない。
マーカス博士と私はアフリカへ戻る決意をした。
また、ンディバヤ族の襲撃に神経をすり減らすことになるのは辛いが、
研究のためには必要な代償として諦めるしかない。

だが、その我々の悲壮な決意をスペンサー卿の一言が打ち砕いてしまった。

「ならばあの地を奪えばいい。簡単なことだ」

その時の我々は、いかに間抜けな顔をしていただろうか!

そんなこと思いもつかなかったのだ。
いかにも俗物のスペンサー卿らしい発想だが、今はそれがありがたかった。
マーカス博士と私は、その提案を受け入れることにした。

8月19日
ついに朗報がやってきた!
あの地からンディバヤ族を追い出すことに成功したそうだ。
実際には地下遺跡の半分を奪取したにすぎないそうだが、
始祖花が生育しているエリアを手にすることができれば
なんの問題もない。

さらにスペンサー卿は、あの地に始祖ウィルスを研究するための施設を建設すると言う。
彼にしては、素晴らしいアイデアだ。
早速、マーカス博士と私はアフリカへ向かう準備に取り掛かろうとしたが、スペンサー卿がそれを止めた。
マーカス博士には、ラクーンシティにある幹部養成所の所長をして欲しいと言うのだ。

最初はその要請に面食らったが、考えてみれば博士には落ち着いて研究できる環境が必要だ。
今、アフリカへ行ってもろくな研究施設はない。研究所が出来上がるのは、まだ先の話だろう。
ならば私だけがアフリカへ出向き、始祖ウィルスをマーカス博士へお届けすればよい。

マーカス博士もスペンサー卿も、私の考えに同意してくれた。
早速、アフリカ行きの準備を整えなくては。明日からは忙しくなるぞ。

9月29日
アフリカに来て2週間が経つ。やはり、博士はお連れしないで正解だった。
研究施設とは名ばかりの機材が積まれただけのテント。
ンディバヤ族の襲撃を警戒するために雇われた武装した兵士たち。
そして何より私をイラつかせるのが、研究施設を作るための工事の騒音だ。

より高度な研究を行うためとは言え、これではおかしくなってしまいそうだ。
こんなところで、まともな研究ができるわけがない!
ここで私ができることと言ったら、始祖花からウィルスを抽出し、それをマーカス博士にお送りすることだけだ。
それだけに集中することにしよう。

1969年

6月15日
ついに研究施設が完成した。
これで、晴れてここは「アンブレラ・アフリカ研究所」となったわけだ。
だが、この9ヶ月間で分かったことがある。
この程度の研究施設ではダメだ。もっと広く、充実した設備が必要だ。
そして、もっと研究員を増員しなくては。

ここは始祖ウィルス研究の最前線となるべき場所だ。
ここでの発見が、そのままマーカス博士の新ウィルス開発の助けとなるだろう。
幸い、これについては、あの守銭奴スペンサーも同じ意見のようだ。
あいつと意見が合うとは、珍しいこともあるものだ。

+ 原文
1968年


4月15日
あれから一年以上、成果が出ぬまま時が過ぎた。
持ち帰った始祖ウィルスも底をついた。
これ以上時間を無駄にすることはできない。
マーカス博士と私はアフリカへ戻る決意をした。
また、ンディバヤ族の襲撃に神経をすり減らすことになるのは辛い
が、研究のためには必要な代償として諦めるしかない。

だが、その我々の悲壮な決意をスペンサー卿の一言が打ち砕
いてしまった。

「ならばあの地を奪えばいい。簡単なことだ」

その時の我々は、いかに間抜けな顔をしていただろうか!

そんなこと思いもつかなかったのだ。
いかにも俗物のスペンサー卿らしい発想だが、今はそれがあり
がたかった。
マーカス博士と私は、その提案を受け入れることにした。


8月19日
ついに朗報がやってきた!
あの地からンディバヤ族を追い出すことに成功したそうだ。
実際には地下遺跡の半分を奪取したにすぎないそうだが、
始祖花が生育しているエリアを手にすることができれば
なんの問題もない。

さらにスペンサー卿は、あの地に始祖ウィルスを研究するための
施設を建設すると言う。
彼にしては、素晴らしいアイデアだ。
早速、マーカス博士と私はアフリカへ向かう準備に取り掛かろう
としたが、スペンサー卿がそれを止めた。
マーカス博士には、ラクーンシティにある幹部養成所の所長をし
て欲しいと言うのだ。

最初はその要請に面食らったが、考えてみれば博士には落ち
着いて研究できる環境が必要だ。
今、アフリカへ行ってもろくな研究施設はない。
研究所が出来上がるのは、まだ先の話だろう。
ならば私だけがアフリカへ出向き、始祖ウィルスをマーカス博士
へお届けすればよい。

マーカス博士もスペンサー卿も、私の考えに同意してくれた。
早速、アフリカ行きの準備を整えなくては。明日からは忙しくな
るぞ。


9月29日
アフリカに来て2週間が経つ。
やはり、博士はお連れしないで正解だった。
研究施設とは名ばかりの機材が積まれただけのテント。
ンディバヤ族の襲撃を警戒するために雇われた武装した兵士たち。
そして何より私をイラつかせるのが、研究施設を作るための工事の
騒音だ。

より高度な研究を行うためとは言え、これではおかしくなってしまい
そうだ。
こんなところで、まともな研究ができるわけがない!
ここで私ができることと言ったら、始祖花からウィルスを抽出
し、それをマーカス博士にお送りすることだけだ。
それだけに集中することにしよう。


1969年


6月15日
ついに研究施設が完成した。
これで、晴れてここは「アンブレラ・アフリカ研究所」となったわけだ。
だが、この9ヶ月間で分かったことがある。
この程度の研究施設ではダメだ。
もっと広く、充実した設備が必要だ。
そして、もっと研究員を増員しなくては。

ここは始祖ウィルス研究の最前線となるべき場所だ。
ここでの発見が、そのままマーカス博士の新ウィルス開発の助け
となるだろう。
幸い、これについては、あの守銭奴スペンサーも同じ意見のよ
うだ。
あいつと意見が合うとは、珍しいこともあるものだ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー