ダンゲロスSS上海
『蜃気楼』
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1.『浸蚀的胚胎 』――目 艮竟
上海南部、都市部からは外れた一帯に『魔人武器购物街 』と呼ばれる区画が存在する。
魔人がひしめき、争い合うこの上海において、異能者が異能者を、普通人が異能者を害するための特殊な獲物は常に必要とされている。
魔人がひしめき、争い合うこの上海において、異能者が異能者を、普通人が異能者を害するための特殊な獲物は常に必要とされている。
この区画ではそういった武器の流通が、『魔幇』のお目こぼしの下で為されているのだ。
一説には、絶えぬ抗争の中で『魔幇』の一幹部が必要性を訴えてこの場を設けたとも言われている。
一説には、絶えぬ抗争の中で『魔幇』の一幹部が必要性を訴えてこの場を設けたとも言われている。
ただの武器でなく、魔人を殺すため、あるいは、魔人が使うための得物。
そうしたものを必要とする以上、この区画の来訪者の多くは戦闘を生業とする。
あるいは、現在進行形で、荒事に巻き込まれている。
そうしたものを必要とする以上、この区画の来訪者の多くは戦闘を生業とする。
あるいは、現在進行形で、荒事に巻き込まれている。
そんな、剣呑な工房通りのメインストリートから外れた、元工房であったという敷地。
多くの魔人が命を失うきっかけとなった武具を生み出したその跡地で、二人の魔人が向き合っていた。
多くの魔人が命を失うきっかけとなった武具を生み出したその跡地で、二人の魔人が向き合っていた。
一人は、白衣に分厚い眼鏡という恰好のやせ細った老人。
一人は、七色の光沢を帯びた西洋鎧の騎士。
一人は、七色の光沢を帯びた西洋鎧の騎士。
この光景をたまたま通りかかった者が見たとして、まさかそれが、魔人犯罪組織『魔幇』四天王と称される武人と、百年この上海で語り継がれる怪談の主の対峙であるとは思いもしないことだろう。
もっとも、この空地の周りでは、老人の部下が無粋な乱入者を寄せ付けないよう見張っており、事情を知らない人間がこの邂逅を偶然に目にすることはありえない。
「して、ソレガシに用とは」
七色の鎧の奥から声がした。
古いラジオのような、妙にざらついた響き。
電動人工声帯を介した発声のようだ、と、白衣の老人――目艮竟 は思った。
古いラジオのような、妙にざらついた響き。
電動人工声帯を介した発声のようだ、と、白衣の老人――
「百年彷徨う鬼故事 卿。
どうか、あなた様の所有するダイヤを、お譲りいただきたい」
「それは聞けぬ相談だ」
「残念でございますな」
どうか、あなた様の所有するダイヤを、お譲りいただきたい」
「それは聞けぬ相談だ」
「残念でございますな」
目艮竟は眼鏡を外し、白衣を脱いで丁寧に畳むと、足元に置いた。
魔幇四天王。
それは、魔人犯罪組織、魔幇において、头目 ……央を除く四天において並ぶものなしと武や謀に秀でたものに与えられる名誉称号である。
それは、魔人犯罪組織、魔幇において、
目艮竟は、その見た目の印象に反し、武と忠により四天王の称号を受けた武人だ。
肉体の輪郭は枯れ枝のように細く、腰は曲がり、およそ暴力とは無縁に見える。
だが、それこそ、目艮竟の真の危険性を隠す鞘であった。
肉体の輪郭は枯れ枝のように細く、腰は曲がり、およそ暴力とは無縁に見える。
だが、それこそ、目艮竟の真の危険性を隠す鞘であった。
魔人能力『越老越好』発動。
目艮竟の霞んだ視界が澄み渡り、曲がっていた腰は正しい姿勢を取り戻す。
大地を踏みしめる脚には力がこもり、枯れ枝のようだった腕には、力と張りとが満ち溢れる。
大地を踏みしめる脚には力がこもり、枯れ枝のようだった腕には、力と張りとが満ち溢れる。
これこそが、『魔幇』四天王、目艮竟の異能『越老越好』。
自分を中心に半径1m以内の物体の性質を、重ねた年月に応じて強化する能力。
自分を中心に半径1m以内の物体の性質を、重ねた年月に応じて強化する能力。
賦活された思考と五感で、目艮竟は標的を分析する。
今まで得てきた情報と、実際に相対しての所感を整理する。
今まで得てきた情報と、実際に相対しての所感を整理する。
遊色の鎧騎士、クラム・ハードシェル。
財宝の守り手として上海で百年語り継がれる怪談の本体。
財宝の守り手として上海で百年語り継がれる怪談の本体。
ここ数年で目撃例が増加。
ダイヤを所持しており、それに強く執着する。
ダイヤを所持しており、それに強く執着する。
彼にしか見えない「貴婦人」のために戦う。
それは、状況からダイヤそのものを指している、あるいはそれに付随する不可視の幻覚のようにも思われる。
それは、状況からダイヤそのものを指している、あるいはそれに付随する不可視の幻覚のようにも思われる。
時代遅れの騎士道に則った行動を取る。
己を幻だと語る。
己を幻だと語る。
その鎧と剣は歪まず、折れず、砕けず、傷一つつくことがない。
出現に際しては、薄靄のようなものが周囲に漂う。
出現に際しては、薄靄のようなものが周囲に漂う。
対話をしていて、魔人特有の世界を歪めるほどの「我」を感じない。
行動指針に、人間味が感じられないほど一貫性があり過ぎる。
行動指針に、人間味が感じられないほど一貫性があり過ぎる。
活動理念の根幹は「手にしたダイヤを守ること」である。
断片的な情報から、目艮竟はいくつかの仮説を立てていた。
仮説、その1。
クラム・ハードシェルは、魔人そのものではなく、魔人能力の産物である。
クラム・ハードシェルは、魔人そのものではなく、魔人能力の産物である。
仮説、その2。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、この国の人間である。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、この国の人間である。
仮説、その3。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、もう死んでいる。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、もう死んでいる。
仮説、その4。
クラム、ハードシェルの誕生には、百年前の『麒麟の涙 』の継承戦が関連している。
クラム、ハードシェルの誕生には、百年前の『
百年前の『麒麟の涙 』継承戦。
それは、『魔幇』を崇拝し、その歴史を研究する学究の徒でもある目艮竟にとって、人生の大半をかけて探究してきたテーマの一つであった。
それは、『魔幇』を崇拝し、その歴史を研究する学究の徒でもある目艮竟にとって、人生の大半をかけて探究してきたテーマの一つであった。
歴史の影で虐げられてきた魔人たちが、自らこの地の王となるために立ち上がった革命。
列強から尊厳を取り戻すために戦った歴史。
この国の王権の象徴に相応しい器の持ち主たちが、民意を奪い合い、束ね、そして最終的には『魔幇』がその継承者に相応しいと認められて、真なる『麒麟の涙 』が顕現した。
列強から尊厳を取り戻すために戦った歴史。
この国の王権の象徴に相応しい器の持ち主たちが、民意を奪い合い、束ね、そして最終的には『魔幇』がその継承者に相応しいと認められて、真なる『
クラム・ハードシェルは、その前回継承戦の敗者に関わるモノではないか?
それが、目艮竟の見立てであった。
それが、目艮竟の見立てであった。
仮説は、検証しなければならない。
棄却されるにせよ肯定されるにせよ、次に進むためには確認しなければならない。
そのためには、クラム・ハードシェルから情報を引き出し、また、彼の持つダイヤの性質を検分する必要がある。
棄却されるにせよ肯定されるにせよ、次に進むためには確認しなければならない。
そのためには、クラム・ハードシェルから情報を引き出し、また、彼の持つダイヤの性質を検分する必要がある。
『魔幇』の一員、四天王としても、クラムの持つダイヤが『麒麟の涙』である可能性がある以上、それを手に入れることは必要だ。
そう結論づけて、目艮竟は鎧の伝承との戦闘を開始した。
「では、力づくにてもらい受ける」
まるで水平方向へ落下するように。
氷を滑るスケーターのような動きで、目艮竟はクラムへと肉薄した。
氷を滑るスケーターのような動きで、目艮竟はクラムへと肉薄した。
加速する思考の中で、目艮竟は『越老越好』の領域内にクラムが飲み込まれる瞬間を強く警戒した。
『越老越好』による年月に比例した性質強化は、対象を限定できない。
つまり、敵にも有効である 。
よって、敵が目艮竟よりも年上である、あるいは、古い業物を所持している場合には、この能力は敵を利することにもなりかねない。
とはいえ、強化の方向であっても己の能力の急な変化に慣れるにはある程度の時間はかかる。その前に相手を打ち負かせばよいことだ。
目艮竟が身に刻む功夫は八卦掌。
内家拳の一として知られる武術であり、走圏――円を描くような身体運用と、掌打からの攻防を特徴とする。
クラムは手にした虹の剣を真っすぐに目艮竟へと振るう。
強い。早い。剛剣と言ってもよい。
古の龍だろうとも両断するだろう英雄の剣。
古の龍だろうとも両断するだろう英雄の剣。
だが、直線的であり過ぎる。
目艮竟は直線ではなく、斬撃をかいくぐり、弧で間合いを縮める。
目艮竟は直線ではなく、斬撃をかいくぐり、弧で間合いを縮める。
クラムは片手を剣から離すと、拳で目艮竟を打ち据えんとする。
(――『越老越好』でこの鎧騎士は「強化」されるか? それとも――)
遂に、目艮竟は半径1mの『越老越好』強化圏にクラムを飲み込む。
しかし、クラムの拳は加速しない 。
しかし、クラムの拳は
やはり、クラム・ハードシェルには実体がない。
歴史を積み重ねてきた実体がない。
己を幻だと自認していたという各所からの証言は正しかった。
歴史を積み重ねてきた実体がない。
己を幻だと自認していたという各所からの証言は正しかった。
さらに、動きに変化がないということは、知覚にも変動がないということ。
つまりクラム・ハードシェルには「年月を重ねてきた、精神の宿るべき脳等の器官もない」。
つまりクラム・ハードシェルには「年月を重ねてきた、精神の宿るべき脳等の器官もない」。
仮説、その1、検証完了。
クラム・ハードシェルは、魔人そのものではなく、魔人能力の産物である。
クラム・ハードシェルは、魔人そのものではなく、魔人能力の産物である。
その証拠として、この攻防は十分なものだった。
目艮竟は受け流したクラムの手を掴む。
相手が傷つかず、中に臓器等もない以上、打撃にはさしたる意味がない。
であれば、摔法 で相手を崩す。
相手が傷つかず、中に臓器等もない以上、打撃にはさしたる意味がない。
であれば、
馬力こそあるが、クラムは軽い。
中身のない鎧であれば、体軸を崩すのは、達人であれば造作もない。
むしろ相手の爆発的な力を位置の転換で己の意のままにすればよい。
中身のない鎧であれば、体軸を崩すのは、達人であれば造作もない。
むしろ相手の爆発的な力を位置の転換で己の意のままにすればよい。
目艮竟はクラムを地面に投げようと周囲の状況を確認して――
――世界が、変容していることに気が付いた。
武器工房通りの隅、打ち捨てられた空地の中にいるはずだった。
誰も中に入れないよう、部下に指示していたはずだった。
誰も中に入れないよう、部下に指示していたはずだった。
それにも関わらず、今、目艮竟は、時代がかった街の中にいた 。
工房の跡地たる空地ではない。
西洋風の建築物と、古い町並みが混在する光景。
西洋風の建築物と、古い町並みが混在する光景。
目艮竟の表向きの職業は、博物館の館長だ。
当然のこととして、歴史への造詣も深い。
まして、その光景は、彼が最も意欲的に研究していた時代のもの。
故に、一瞬で看破できた。
当然のこととして、歴史への造詣も深い。
まして、その光景は、彼が最も意欲的に研究していた時代のもの。
故に、一瞬で看破できた。
それは、『百年前の上海 』だった。
しかも、生成AIで描いたような、それらしい適当な光景のイメージではない。
しかも、生成AIで描いたような、それらしい適当な光景のイメージではない。
旧租界。今は『貧民街』と呼ばれている、『魔幇』の始まりの場所。
百年前に、組織が生まれる契機となる事件が起きた場所の近隣を正確に再現している。
百年前に、組織が生まれる契機となる事件が起きた場所の近隣を正確に再現している。
目艮竟はクラムを突き飛ばすと、周囲の街並をさらに詳しく観察しようとして――
蜃気楼のように、その光景は消え去り、元の空地へと周囲の環境は回帰した。
何が起きている?
幻覚? だとしたらその発動条件は?
幻覚? だとしたらその発動条件は?
目艮竟は再び、立ち上がろうとするクラムへと掴みかかる。
半径1mの『越老越好』強化圏にクラムが取り込まれる。
半径1mの『越老越好』強化圏にクラムが取り込まれる。
――百年前の上海の蜃気楼が周囲を包む。
目艮竟がクラムの喉元を穿掌で突き、弾き飛ばす。
半径1mの『越老越好』強化圏からクラムが弾き出される。
半径1mの『越老越好』強化圏からクラムが弾き出される。
――蜃気楼が消え、現代の空地の光景へと戻る。
間違いない。
半ば直感的に、目艮竟は確信する。
半ば直感的に、目艮竟は確信する。
クラム・ハードシェルの身体的精神的性能は、『越老越好』では強化されない。
しかし、『越老越好』によって、クラム・ハードシェルを効果範囲に取り込むと、『幻を作り出す』という、『何か 』の能力が強化される。
しかし、『越老越好』によって、クラム・ハードシェルを効果範囲に取り込むと、『幻を作り出す』という、『
即ち。
幻を作り出すという特性を持つ『何か 』は、実体を持っている。
そしてそれは、クラム・ハードシェルが肌身離さず持っているもの。
幻を作り出すという特性を持つ『
そしてそれは、クラム・ハードシェルが肌身離さず持っているもの。
即ち――鎧騎士が守るダイヤモンド 。
それこそが、不壊の幻鎧、クラム・ハードシェルを生み出しているモノだ。
つまり、そのダイヤモンドを砕けば、おそらく、クラム・ハードシェルは消滅する。
しかし、目艮竟が感じていたのは、武人として、四天王として、『魔幇』の敵を排除する方法を見つけたことによる高揚ではなかった。
(このダイヤモンドは、百年前のあの場所を記録し、蜃気楼として出力するものなのではないか?
クラム・ハードシェルとは、そうした蜃気楼の一部、百年前の光景の登場人物の一人を防衛装置として切り出したものだという可能性はないか?
ダイヤに固執するクラム・ハードシェルの行動理念、百年前の旧租界地域の街並み、そこから、このダイヤモンドに刻まれれた情報が『麒麟の涙』継承戦と無関係である可能性は低い。
であれば、『魔幇』の幹部ではなく、学者としての私が取るべき行動は――)
クラム・ハードシェルとは、そうした蜃気楼の一部、百年前の光景の登場人物の一人を防衛装置として切り出したものだという可能性はないか?
ダイヤに固執するクラム・ハードシェルの行動理念、百年前の旧租界地域の街並み、そこから、このダイヤモンドに刻まれれた情報が『麒麟の涙』継承戦と無関係である可能性は低い。
であれば、『魔幇』の幹部ではなく、学者としての私が取るべき行動は――)
一瞬のうちに『越老越好』で強化された思考が巡り、結果が出される。
目艮竟が優先したのは、歴史研究者として、『魔幇』発足の真実に触れることができるかもしれないという可能性に対する、純然たる知的好奇心であった。
目艮竟は、クラム・ハードシェルから再度距離を取ると、構えを解いた。
その場に座り、無防備に深く頭を下げた。
その場に座り、無防備に深く頭を下げた。
その姿は、処刑人に首を差し出す罪人のようにすら見えた。
「クラム・ハードシェル殿。
『魔幇』四天王ではなく、歴史の探求を行う学究の徒として、お願い申し上げる。
どうか、一時、私と行動を共にしていただけないでしょうか。
その間は、誓ってあなた様のダイヤには手出しいたしませぬ。
もし信用できぬのであれば、腕の一本くらいは差し上げましょう。
『魔幇』四天王ではなく、歴史の探求を行う学究の徒として、お願い申し上げる。
どうか、一時、私と行動を共にしていただけないでしょうか。
その間は、誓ってあなた様のダイヤには手出しいたしませぬ。
もし信用できぬのであれば、腕の一本くらいは差し上げましょう。
もし、私とあなた様の力を合わせれば、おそらくは――百年前に何が起きたのか……あなた様がなぜ生まれたのか、そしてあなた様の語る「貴婦人」についても、何か新たにわかることがあろうかと存じます」
虹色の鎧は、目艮竟に剣を突き付けたまま、しばし沈黙した。
「――ソレガシは、己の出自になど興味はない。しかしだ。
貴公に力を貸せば、我が貴婦人と再びまみえることができると?
貴公に、あのお方のお姿を見せることもできると?」
「おそらくは」
貴公に、あのお方のお姿を見せることもできると?」
「おそらくは」
虹色の剣の切っ先が、降ろされた。
「ソレガシの名は、クラム・ハードシェル。貴公の名は?」
「目 艮竟 。しがない歴史家でございます。
……少なくとも、今、この時は」
「
……少なくとも、今、この時は」
2.『鏡中的女孩 』――林 希美
上海の街外れに、『魔人武器工房通り』と呼ばれる一角がある。
張三 によれば、このあたりは一種の中立地帯。
メインストリートでは『魔幇』も大っぴらに刺客を差し向けないだろう、とのことだ。
メインストリートでは『魔幇』も大っぴらに刺客を差し向けないだろう、とのことだ。
「身体強化系の魔人を相手にするなら、普通の相手とは弾丸も銃も使い分けないとNE!
アンタは張哥と違って、功夫一辺倒で戦う流儀じゃないんでShow?
たとえば『逆鱗弾』。こいつを使うなら銃はそうNE……」
アンタは張哥と違って、功夫一辺倒で戦う流儀じゃないんでShow?
たとえば『逆鱗弾』。こいつを使うなら銃はそうNE……」
その中の店の一つ、張三の知り合いがやっているといううさんくさいボロ小屋の中で、私、林 希美 こと、林 希美 は、びっくりするほどテンションの高いラテン系の女性店主のマシンガントークに必死でくらいついていた。
「あの人と連携するなら、高純度鉄の素材がいいわNE。
『鉄杵 』は、混じり物があっても発動はするけど、鉄の純度が高いほど反応がよくなるNO。
お嬢ちゃんの戦い方だと鉄棍より、伸縮警棒の方がいいかMO。
鉄棍はあの人の稽古が馴染んで来たらおいおい使えばいいでShow。
あの人に憧れるのはわかるけど、体格も経験も違う以上、自分の戦い方に合う道具を選びなさいYO。
戦術が違う敵を相手にすれば敵も破調で判断が鈍るWA。
そういう戦闘における貢献もあるんだと知りなSai」
『
お嬢ちゃんの戦い方だと鉄棍より、伸縮警棒の方がいいかMO。
鉄棍はあの人の稽古が馴染んで来たらおいおい使えばいいでShow。
あの人に憧れるのはわかるけど、体格も経験も違う以上、自分の戦い方に合う道具を選びなさいYO。
戦術が違う敵を相手にすれば敵も破調で判断が鈍るWA。
そういう戦闘における貢献もあるんだと知りなSai」
ただの無駄話ではない。
少し聞いただけでもわかる。それは、武器を使う者、作る者、売る者としての経験に裏打ちされた、圧縮されたチュートリアルだ。
少し聞いただけでもわかる。それは、武器を使う者、作る者、売る者としての経験に裏打ちされた、圧縮されたチュートリアルだ。
「真正面から技巧や能力をぶつけ合う戦いは張哥がやってくれるWA。
なら、搭档 の役割は、側面支援と考えなSai!
そういう意味じゃあ、こういう投げものも役に立つWA!」
なら、
そういう意味じゃあ、こういう投げものも役に立つWA!」
私は、正規の戦闘訓練を受けたことがない。
組織では、半ば虐待も同然の実戦形式がほとんどで、理論だった戦術を教わる機会は多くなかった。
たくさん候補者を集めて過酷な環境におき、生き残った一部に最低限の教育をする。
それが、『魔幇』の殺手育成法だったからだ。
組織では、半ば虐待も同然の実戦形式がほとんどで、理論だった戦術を教わる機会は多くなかった。
たくさん候補者を集めて過酷な環境におき、生き残った一部に最低限の教育をする。
それが、『魔幇』の殺手育成法だったからだ。
だからこそ、こうして語られる一言一言が、今の私にとっては新鮮なものだった。
少しでも、手がかりを。
アイツの足を引っ張らないために。
同盟相手として足る自分になるために。
少しでも、手がかりを。
アイツの足を引っ張らないために。
同盟相手として足る自分になるために。
必死でメモを取る私に、ラテン店主は人好きのする笑顔を向けた。
「うん、張哥は今回もいい縁を見つけたわNE!」
「……店主さんは、張哥……張三と知り合いなんですか?」
「昔の話YO。アナタの立っている位置に、アターシが立ってたことがあるNO」
「……店主さんは、張哥……張三と知り合いなんですか?」
「昔の話YO。アナタの立っている位置に、アターシが立ってたことがあるNO」
張三と一緒に、『魔幇』と戦ったということだろうか。
それとも、別の何か騒動が起きたときに、張三と協力したということか。
それとも、別の何か騒動が起きたときに、張三と協力したということか。
いずれにせよ、私にとって重要なのは、ここには様々な武器があり、目の前にはその使い方に詳しい先達がいるということだ。
張三は別の店で情報収集を兼ねた調達をしている。
その間、私は時間を無駄にしないように、この場所で戦力の増強に努めないと。
その間、私は時間を無駄にしないように、この場所で戦力の増強に努めないと。
張三の紹介でこなした仕事の給金で、自分用の装備を買い揃えていく。
「あの人は、時間も能力も、ちょっとアターシたちとは違うcolor。
だけど、だから、あなたも、張哥を一人にはしないであげてNE!」
だけど、だから、あなたも、張哥を一人にはしないであげてNE!」
様々な武器を見繕ってくれた店主に礼を言い、私は店内から工房通りへと出た。
カリー・魔幇といい、さっきのラテン店主さんといい、当たり前のことだけれど、張三の人間関係の広さを知るにつけ、同盟相手だなんていいながら、私はアイツのことを全然知らないのだと思い知らされる。
一人で街を歩くのは久しぶりだ。
ギラギラと輝く電子看板が、陽の差し込まない薄暗いはずの道を照らした。
ギラギラと輝く電子看板が、陽の差し込まない薄暗いはずの道を照らした。
ずっしりとした背負い鞄の重みを感じつつ、先日の戦いを思い出す。
カリー・魔幣。
戦士としても、武人としても、私より遥か格上の殺手だった。
戦士としても、武人としても、私より遥か格上の殺手だった。
ラテン店主さんに言われたとおり、私は張三のような武人ではない。
功夫を重ねるに越したことはないが、武器だって使えるものは何でも使わなければ、『魔幇』の殺手たちに対抗できない。
催涙ガスにフラッシュボム、スタンガンに暗器の数々。
コンバットナイフに、ワイヤーロープ。レーザーサイトに対魔人用の大口径拳銃。
功夫を重ねるに越したことはないが、武器だって使えるものは何でも使わなければ、『魔幇』の殺手たちに対抗できない。
催涙ガスにフラッシュボム、スタンガンに暗器の数々。
コンバットナイフに、ワイヤーロープ。レーザーサイトに対魔人用の大口径拳銃。
戦利品の説明を思い返しながら歩いていると、このけばけばしくも物騒な街に不似合いな音が聞こえた。
「ふん、ふふ~ん♪」
鼻歌だ。それも、幼い少女の。
思わず音の方へと向き直る。
思わず音の方へと向き直る。
そこには、黒のジャージに身を包んだ、小学生くらいの女の子が歩いていた。
明らかに、場から浮いている。
周囲がほとんど反応していないのは、客の身元を詮索しないというこの街の掟によるものだろうか。いや、だからといって、こんなところに女の子が一人で歩いているのはどう見ても変だと思う。
周囲がほとんど反応していないのは、客の身元を詮索しないというこの街の掟によるものだろうか。いや、だからといって、こんなところに女の子が一人で歩いているのはどう見ても変だと思う。
「ねえ、ちょっと!」
私は思わず、彼女に声をかけていた。
黒ジャージの女の子はきょとんとした様子でこちらを見た。
黒ジャージの女の子はきょとんとした様子でこちらを見た。
何か変なことでもある? とでも言いたげな表情だ。
私からすれば、この子の存在がまるっと「変なこと」なのだけれど。
私からすれば、この子の存在がまるっと「変なこと」なのだけれど。
「お姉さん、どうしたんだぞ? あ、ジャージならあげないぞ!
魔人カーメンブラックとおんなじ色のお気に入りだからな! 」
「いや、その……あなた、一人?」
「一人だぞ!」
「なんでこんなところに?」
「行くところがあるからだぞ!」
魔人カーメンブラックとおんなじ色のお気に入りだからな! 」
「いや、その……あなた、一人?」
「一人だぞ!」
「なんでこんなところに?」
「行くところがあるからだぞ!」
えへん、とばかりに胸を逸らす女の子。
お腹に巻かれた、変身ヒーローがつけるようなプラスチック製ベルトが場に不似合いだった。
お腹に巻かれた、変身ヒーローがつけるようなプラスチック製ベルトが場に不似合いだった。
だめだ。
話のとっかかりがつかめない。
昔の私のように、家に居場所のない子なのだろうか。
話のとっかかりがつかめない。
昔の私のように、家に居場所のない子なのだろうか。
それにしたって、図書館なり公園なり、もっと安全なところで時間をつぶすべきだ。
こんな、血の気の多い魔人同士の小競り合いがいつ起きてもおかしくないところにいるのは、物理的にも教育的にも危険すぎる。
こんな、血の気の多い魔人同士の小競り合いがいつ起きてもおかしくないところにいるのは、物理的にも教育的にも危険すぎる。
「ね、ここは、あなたみたいな小さい子が一人でいると危ないの。
家に帰るか、もっと安全なところにお姉さんと行こう?」
「お姉さんも来るのか! いいぞ! ちょうどよかった!
けど、家には帰らないぞ! 決めたんだ! 安全なところもないぞ!」
家に帰るか、もっと安全なところにお姉さんと行こう?」
「お姉さんも来るのか! いいぞ! ちょうどよかった!
けど、家には帰らないぞ! 決めたんだ! 安全なところもないぞ!」
ううん、本当にちょっと話が通じない。
私も昔はこんな感じだったのだろうか。
もしそうだとしたら、あのとき一人で図書館に入り浸っていた私に声をかけてくれたあの司書さんは、やっぱりすごい人だったのだなあ。
私も昔はこんな感じだったのだろうか。
もしそうだとしたら、あのとき一人で図書館に入り浸っていた私に声をかけてくれたあの司書さんは、やっぱりすごい人だったのだなあ。
途方に暮れていると、お腹がくうと鳴る音がした。
私のではない。
目の前の、黒ジャージ少女だ。
私のではない。
目の前の、黒ジャージ少女だ。
「……とりあえず、なんか食べようか。ちょっと待ってて」
周囲を見渡すと、武器店の中に、いくつか食べ物の屋台も出ていた。
その中で、比較的子ども向けのものを探す。
その中で、比較的子ども向けのものを探す。
あった。
糖葫芦 。
串に刺した果物に飴掛けがしてあるお菓子だ。
串に刺した果物に飴掛けがしてあるお菓子だ。
日本でいうところの、お祭り屋台にあるりんご飴に近い。
ただ、中身はキウイにプチトマト、サンザシ、ヤマイモと、もっと多彩だ。
ちょっと奇抜なところでは、キュウリの漬物や豚足、上海ガニの飴掛けを串刺しにした糖葫芦もあったりする。
ただ、中身はキウイにプチトマト、サンザシ、ヤマイモと、もっと多彩だ。
ちょっと奇抜なところでは、キュウリの漬物や豚足、上海ガニの飴掛けを串刺しにした糖葫芦もあったりする。
私はスタンダードなサンザシと色とりどりのフルーツ、二つの串を買い、黒ジャージ少女のところへ持って行った。
「ほら、どっちがいい?」
「赤! レッドは血の色! 火の色! 愛の色なんだぞ! ヒーローの色だ!」
「赤! レッドは血の色! 火の色! 愛の色なんだぞ! ヒーローの色だ!」
なるほど。日本でも、戦隊モノの主役は赤色だったような気がする。
あまり私はテレビを見ていないから詳しくはないけれど。
あまり私はテレビを見ていないから詳しくはないけれど。
「はい、歯にくっつくから、ゆっくり舐めながら食べようね」
安全であることを伝えるために、女の子より先に糖葫芦に口をつける。
甘い。こっちでは冬の風物詩の食べ物らしいが、飴掛けのフルーツというと日本人の感性からは屋台で見かける夏のイメージなので、少し不思議な気分になる。
甘い。こっちでは冬の風物詩の食べ物らしいが、飴掛けのフルーツというと日本人の感性からは屋台で見かける夏のイメージなので、少し不思議な気分になる。
黒ジャージ少女を見ると、黙々とサンザシを口に含んで頷きながら味わっていた。
胸の内に、なんだか暖かいものが広がる。
胸の内に、なんだか暖かいものが広がる。
空腹は、つらいことだ。
特に、幼い子どもがお腹をすかせているのは、見ている方も心が削られる。
そう思えるようになったのは、自分にある程度の余裕が生まれたからか。
特に、幼い子どもがお腹をすかせているのは、見ている方も心が削られる。
そう思えるようになったのは、自分にある程度の余裕が生まれたからか。
いつか、張三が私に炒飯を奢ってくれた日。
いつか、家に居場所がない私に、司書さんがカレーを作ってくれた日。
彼ら、彼女らも、こんな気持ちだったのかもしれない。
いつか、家に居場所がない私に、司書さんがカレーを作ってくれた日。
彼ら、彼女らも、こんな気持ちだったのかもしれない。
「ありがとうだぞ!
わたしは、果成 いっぽ!
お姉さんはヒーローみたいだな!」
わたしは、
お姉さんはヒーローみたいだな!」
ひとしきり食べ終えた後、突然女の子がそう言った。
「あ、私は林 希美 。……って、ヒーロー? なんで?」
「おなかがすいている人に食べ物をあげることが一番の正義なんだって、魔人 パンマンが言っていたんだぞ!」
「おなかがすいている人に食べ物をあげることが一番の正義なんだって、
……ああ、それは、知っている。
図書館で読んだことがある。
自らの肉体を飢えた人に分け与える、童話のヒーロー。
図書館で読んだことがある。
自らの肉体を飢えた人に分け与える、童話のヒーロー。
戦時下の飢えを知る童話作者が、「立場によらぬ揺ぎ無い正義があるとすれば、それはひもじい人を助けることなのだ」というメッセージを込めて創り出したキャラクター。
「……そっか」
ヒーロー。
その言葉は、私には眩しすぎる。
その言葉は、私には眩しすぎる。
私の手は汚れていて、私の過去はくすんでいて、私の今は、迷走している。
けれど、この小さな女の子、いっぽちゃんの真っすぐな気持ちを否定するのも気が引けて、私は曖昧に微笑んだ。
「そうだぞ! ヒーローを目指す者のところに、ハッピーエンドはやってくるんだ!」
そんな、しみじみとした気持ちが、隙になったのだろう。
「ごちそうさまだぞ! それじゃあ、そろそろ行かないと!」
「え?」
「え?」
私は、急に走り出した、いっぽちゃんの動きに、反応できなかった。
「ちょっと!」
彼女は弾むように駆け出すと、小柄な体を活かして街を行く大人たちの足元を潜り抜けてすいすいと人込みの奥へと進んでいく。
歩幅は私の方が長いけれど、人をかき分けるせいでなかなか追いつけない。
歩幅は私の方が長いけれど、人をかき分けるせいでなかなか追いつけない。
そうだ。当初の目的は、あの子を安全なところまで送り届けることだった。
なのに、彼女はどんどん、工房通りのはずれ、決して治安がいいとは言えない方へ進んでいく。
なのに、彼女はどんどん、工房通りのはずれ、決して治安がいいとは言えない方へ進んでいく。
「待って! 危ないから!」
そうしてしばらく追いかけっこを続けた果てに、私は異様な光景を目の当たりにした。
霧の塊だ。
通りの外れ、空地と思われる場所が、すっぽりと白い霧に包みこまれている。
いっぽちゃんはその異常に気付いているのかいないのか、まったくためらうことなく空地の中、即ち、その霧の中へと飛び込んでいった。
いっぽちゃんはその異常に気付いているのかいないのか、まったくためらうことなく空地の中、即ち、その霧の中へと飛び込んでいった。
「ああもう!」
私は手元の端末で張三にメッセージを送ると、彼女の消えた霧の中へと踏み込んだ。
白の靄に視界が塗りつぶされ、そして、
白の靄に視界が塗りつぶされ、そして、
――世界が、変容した。
怒号。銃声。悲鳴。絶叫。慟哭。
惨状という言葉をそのまま現実にしたような光景が目の前で繰り広げられていた。
惨状という言葉をそのまま現実にしたような光景が目の前で繰り広げられていた。
『この国は俺たちの国だ! 洋人 は出ていけ!!』
『大人しくしろ! 犯罪者たちが!』
『ふざけるな! 列強の犬め!』
『張无忌 殿に続け! 『魔幇』が来てくれたぞ!』
『『魔幇』だ! 対魔人警を呼べ! 『銀騎士』もだ! 租界に援軍を要請しろ!
この際、借りがどうと言ってられるか!』
『大人しくしろ! 犯罪者たちが!』
『ふざけるな! 列強の犬め!』
『
『『魔幇』だ! 対魔人警を呼べ! 『銀騎士』もだ! 租界に援軍を要請しろ!
この際、借りがどうと言ってられるか!』
文化的背景も地位もばらばらの服装の市民が、警察・軍人とおぼしき勢力と衝突している。単なる小競り合いではない。武器や魔人能力が入り乱れる本格的な抗争だ。
なんだ、これは。
全く現実感がない。
全く現実感がない。
「あの……」
私は近くにいる人に呼びかけたが、反応がない。
呼び止めようと肩に手を伸ばしたが、感触がない。
呼び止めようと肩に手を伸ばしたが、感触がない。
幻。蜃気楼。実体のない光景?
あたりを見渡すと、ずいぶんと時代がかった街並みだ。
改めて見れば人々の服装も髪型も、博物館の写真で見るような古い形のものばかり。
改めて見れば人々の服装も髪型も、博物館の写真で見るような古い形のものばかり。
霧の中に、過去の光景を映し出す魔人能力だろうか。
だとすれば『魔幇』の罠? わからない。
いずれにせよ、あの子を見つけて、脱出しないと。
だとすれば『魔幇』の罠? わからない。
いずれにせよ、あの子を見つけて、脱出しないと。
視界の端で、黒ジャージが路地裏へと駆けていく。
私は慌ててその後を追った。
私は慌ててその後を追った。
幻の町とはいえ、壁をすり抜けるのは怖い。
元の空地がどうなっているかわからない以上、慎重に進まないといけない。
元の空地がどうなっているかわからない以上、慎重に進まないといけない。
そうしてしばらく進むと、ぽっかりと開けた場に出た。
弄堂というにはひらけた、西洋風の建物に囲まれた場所。
弄堂というにはひらけた、西洋風の建物に囲まれた場所。
その中心で、一対一の剣戟が繰り広げられていた。
片方は、白銀の鎧を身にまとい、長剣を振るう叙事詩の英雄めいた騎士。
片方は、唐装に身を包んだ黒髪の青年。鉄棍を振るう武術家。
片方は、唐装に身を包んだ黒髪の青年。鉄棍を振るう武術家。
青年の鉄棍と騎士の剣がぶつかり合う。
棍と刀身との接触面を起点に、騎士が手首を柔らかく引き、棍の軌道を逸らす。
棍と刀身との接触面を起点に、騎士が手首を柔らかく引き、棍の軌道を逸らす。
その防御と軌道を一にして、騎士の刃筋が青年の喉元へと迫った。
身を逸らした青年を追うように、騎士は己の剣の刀身を掴むと、あろうことか武器の持ち手の向きを反転させ、先端になった柄と鍔をハンマーのようにして殴打する。
身を逸らした青年を追うように、騎士は己の剣の刀身を掴むと、あろうことか武器の持ち手の向きを反転させ、先端になった柄と鍔をハンマーのようにして殴打する。
巧い。
私がこれまで見たことのある剣技は、日本の刀術、大陸風の剣技が中心だが、騎士の動きはそのどれとも違う、力強くも変幻自在な術理だった。
鎧を着ているからこそできる芸当だが、剣の刀身を持って柄や鍔で殴りかかる戦術なんて、少なくとも私は初めて見た。
黒髪の青年にとってもそうなのだろうか。
やりにくそうに防戦に回っていた彼はしばらく後退を続けていたが、壁に追いやられると不敵な笑みを浮かべた。
やりにくそうに防戦に回っていた彼はしばらく後退を続けていたが、壁に追いやられると不敵な笑みを浮かべた。
……あれ? あの顔、どこかで、
突然、青年の背後の壁から、二閃の刺突が飛び出し、鎧騎士を襲う。
青年の手元の棍棒は、背後の壁に突き立てられている。
つまり、彼は壁の中、鎧騎士の死角で鉄の棍棒を変形操作して 、不意打ちを繰り出したのだ。
この戦い方を、私は知っている。
――魔人能力『鉄杵』。
「……張三?」
その黒髪の青年は、私の同盟相手とよく似た顔をしていた。
3.『奥菲斯的方舟 』――目 艮竟
目 艮竟とクラム・ハードシェルが互いの接近により、百年前の上海の光景を蜃気楼として展開できることを知り、その探索のために一時休戦をしてから、しばし。
二人は1m以内の距離を保ちながら、慎重にその蜃気楼の光景を調査、分析していた。
クラムが気になったものを、目 艮竟が解説する。
あるいは、目 艮竟が興味を持ったものについて、その理由をクラムが問う。
クラムが気になったものを、目 艮竟が解説する。
あるいは、目 艮竟が興味を持ったものについて、その理由をクラムが問う。
そんなことを繰り返しながら、二人は蜃気楼の光景を検分していく。
その中で、目 艮竟は、クラム・ハードシェルの教育水準、理解力の高さに舌を巻いていた。
元よりその物言い、言葉選びから教養を感じ取ってはいたが、この鎧騎士は漢詩、古代史、文化芸術に関する基礎的なことを一通り前提なしに理解できている。
それは支配階級に属する教育の賜物だろう。
元よりその物言い、言葉選びから教養を感じ取ってはいたが、この鎧騎士は漢詩、古代史、文化芸術に関する基礎的なことを一通り前提なしに理解できている。
それは支配階級に属する教育の賜物だろう。
そして、その教養の広がり方の傾向から、目 艮竟は己の立てていた仮説の一つに対する確信を強めていた。
仮説、その2。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、この国の人間である。
クラム・ハードシェルを生み出した魔人は、この国の人間である。
目 艮竟がそのように考えたのはただの当て推量ではない。
貝の真珠層を思わせる、かの鎧と剣を包む遊色の光沢。
騎士が出現するときに周囲に漂う靄。
貝と鎧の組み合わせといえば、連想すべきは『蜃気楼』伝説。
我が国に古くから伝わる、『史記』に語られる伝承である。
曰く、瑞獣『蜃』の吐く『気』によって、『楼』(巨大な建物)の幻が形作られる。
故に『蜃気楼』。
我が国に古くから伝わる、『史記』に語られる伝承である。
曰く、瑞獣『蜃』の吐く『気』によって、『楼』(巨大な建物)の幻が形作られる。
故に『蜃気楼』。
その蜃は、一説によれば巨大な二枚貝……ハマグリであるという。
魔人能力は認識により、世界律を歪める異能。
そして、それは使用者の文化的背景にも大きく影響される。
そして、それは使用者の文化的背景にも大きく影響される。
幻と貝という属性から『蜃気楼』を連想する魔人能力を行使するのは、我が国で生まれ育った者である可能性が高い。
さらに、クラムの語る『貴婦人』の容姿や衣服についての情報から、目 艮竟は、その『貴婦人』こそが、クラム・ハードシェルを生み出し、そして今、『越老越好』の強化をもって百年前の蜃気楼を生み出している能力の主体であると推理していた。
そうであれば、この騎士の教養の高さにも頷ける。
衣服は出自を示す。
『貴婦人』が、クラム・ハードシェルの語るとおりの外見であるとすれば、それは、この国において極めて高い地位にあることを意味しているからだ。
『貴婦人』が、クラム・ハードシェルの語るとおりの外見であるとすれば、それは、この国において極めて高い地位にあることを意味しているからだ。
だとすれば、調べるべきは庶民の家ではない。
幻の街並みの中で、使用人の多そうな建物を中心に探索を続けてからしばし、
幻の街並みの中で、使用人の多そうな建物を中心に探索を続けてからしばし、
「……この、屋敷は」
とある屋敷の敷地に入った瞬間、クラムが何かに気づいたように奥へ踏み入りだした。
能力の影響範囲、半径1m以上離れるとこの蜃気楼は解除されてしまう。目 艮竟は鎧騎士の腕を掴みながらそれに続く。
能力の影響範囲、半径1m以上離れるとこの蜃気楼は解除されてしまう。目 艮竟は鎧騎士の腕を掴みながらそれに続く。
小さいながらよく管理された西洋風の庭園を抜けた先にある建物の内装は、簡素な外見に反して清王朝末期を思わせる豪奢なものだった。
部屋のあちこちにある、精緻な彫刻が施された紫檀素材の古家具。
飾られる絵画や彫刻は、いずれも、名だたる作者の傑作ばかり。
飾られる絵画や彫刻は、いずれも、名だたる作者の傑作ばかり。
清王朝のやんごとなき血に連なる裔。
屋敷の主の出自を、目 艮竟はそのように予測した。
屋敷の主の出自を、目 艮竟はそのように予測した。
クラムはその屋敷の中を、まるで配置を知っているかのように進んでいく。
行き来する幻の中の使用人たちは、クラムや目 艮竟に反応しない。
まるで自分たちが透明人間になったような感覚で、二人は屋敷を忍び歩く。
行き来する幻の中の使用人たちは、クラムや目 艮竟に反応しない。
まるで自分たちが透明人間になったような感覚で、二人は屋敷を忍び歩く。
そして、屋敷の最奥。
まるで金庫の奥に隠すような恭しさで配置された部屋に、その女性はいた。
まるで金庫の奥に隠すような恭しさで配置された部屋に、その女性はいた。
「……ああ」
クラムが、くぐもった音を漏らす。
感慨とも、悲嘆ともとれる、曰く言い難い感情が込められた吐息だった。
感慨とも、悲嘆ともとれる、曰く言い難い感情が込められた吐息だった。
小さな部屋であった。
置かれた家具は最小限。屋敷のこれまでの様子と比べると簡素とも言える。
だからこそ、中に存在するものの美が強調される。
置かれた家具は最小限。屋敷のこれまでの様子と比べると簡素とも言える。
だからこそ、中に存在するものの美が強調される。
その部屋にいるのは、一人の女。
その部屋にあるのは、一つの箱庭。
その部屋にあるのは、一つの箱庭。
それらが、踏み入ることが憚れるような完結した世界を構築していた。
女は、線の細い美女であった。
おそらくは百年前だとしてもさらに古風な満州服に、扇形の豪奢な国風簪。
おそらくは百年前だとしてもさらに古風な満州服に、扇形の豪奢な国風簪。
細いのは体躯だけではない。
顔立ちに首、目に、吐く息の一つすら細く、しかし、しなやかに途切れることのない絹糸のような存在感が、女という形を取っているように思われた。
顔立ちに首、目に、吐く息の一つすら細く、しかし、しなやかに途切れることのない絹糸のような存在感が、女という形を取っているように思われた。
「クラム殿。彼女が」
「よく似ている。しかし、ソレガシの知るあのお方ではない」
「よく似ている。しかし、ソレガシの知るあのお方ではない」
これが、『貴婦人』なのかという目 艮竟の問いに、クラムは否定で返した。
クラム・ハードシェルは『貴婦人』を「その衣服も身体も透き通ったダイヤモンドでできている」と表現した。
目の前にいる麗人は、どう見ても普通の人間でしかない。
クラム・ハードシェルは『貴婦人』を「その衣服も身体も透き通ったダイヤモンドでできている」と表現した。
目の前にいる麗人は、どう見ても普通の人間でしかない。
『堪輿万国全覧 ――』
覗き込んでいるクラムと目 艮竟が存在していないかのように、女は、小さく呟いた。
『――『蜃気楼鬼貝故事』』
その言葉に命じられるように、彼女の目の前に置かれていた箱庭から靄が溢れだし、そして、そこに、ミニチュアめいた街並みが投影される。
それは、百年前の租界地域のほぼ全域の様子だった。
投影されているのは街並みだけではない。
そこにいる人々の一人一人までもが再現されている。
投影されているのは街並みだけではない。
そこにいる人々の一人一人までもが再現されている。
自由範囲、自在倍率で、一定の空間内の現象を幻の形をとって中継する魔人能力だろうと、目 艮竟は即座に分析した。
幻として映し出されたミニチュアの租界では、二つの勢力がぶつかりあっていた。
学生や労働者が入り乱れた上海の住人たちと、身なりの良い制服を着た警察や租界の雇われ護衛達。
学生や労働者が入り乱れた上海の住人たちと、身なりの良い制服を着た警察や租界の雇われ護衛達。
もしもこの幻が目 艮竟の推測どおり百年前の『魔幇』誕生の契機、1925年5月30日の記録であるならば、これは、共同租界警察が、上海学生たちのデモ隊に対して発砲したことに起因する騒動、通称『五・三〇事件』の光景だ。
百年前、上海では租界における海外資本の流入と帝国主義による支配、それによる地元労働者の酷使や蔑視に対して不満が広がり、不穏な情勢となっていた。
そんな中で、上海市民の団結と生活環境向上を掲げたのが張无忌 という男だった。
男は当時被差別層であった魔人である自らの出自をオープンにし、魔人と非魔人が協力してこの国難にあたり、租界を通じて外国に奪われた主権を取り戻そうと訴えたという。
四天王以上に語られる『魔幇』発足史に曰く、1925年5月30日、デモ活動の中で警察の発砲をきっかけとした抗争が発生、その中で、張无忌は死亡。
しかし、その献身の念にこの国の王の証『麒麟の涙』が応え、真の形で顕現。
『魔幇』にこの都市の支配者としての権能を与えた。
しかし、その献身の念にこの国の王の証『麒麟の涙』が応え、真の形で顕現。
『魔幇』にこの都市の支配者としての権能を与えた。
そのときの記録が……この幻?
なぜ? それが、クラム・ハードシェルに反応して展開される?
目 艮竟の疑問は解決されぬまま、蜃気楼の中の時間は経過する。
なぜ? それが、クラム・ハードシェルに反応して展開される?
目 艮竟の疑問は解決されぬまま、蜃気楼の中の時間は経過する。
ノックが響き、クラムたちの背後の扉が開いた。
一人の老いた侍女が部屋に現れる。
一人の老いた侍女が部屋に現れる。
『御嬢様。また、七鴉様の御使いがいらっしゃってございます』
七鴉。
その響きに、目 艮竟の呼吸が僅かに乱れた。
その名を、目 艮竟は知っている。
その響きに、目 艮竟の呼吸が僅かに乱れた。
その名を、目 艮竟は知っている。
『魔幇』の再古参幹部。
通称、七鴉翁。
通称、七鴉翁。
張无忌、カリー・魔幣とともに、魔人を抑圧して王の添え物とし続けていた宗教組織『魔幣』を破り、現在に至る魔都の支配者『魔幇』設立の立役者となった男の名だった。
『お引きとりいただきなさい。騎士様は?』
『『魔幇』の手の者の迎撃にいかれました』
『……周到なこと。
いよいよ、必定将死 ということなのですね』
『御嬢様?』
『今更王朝の復興になど興味はございません。しかし』
『『魔幇』の手の者の迎撃にいかれました』
『……周到なこと。
いよいよ、
『御嬢様?』
『今更王朝の復興になど興味はございません。しかし』
蜃気楼の麗人は一切表情を崩さぬまま、いつの間にか手にしていたダイヤモンドを窓の外の太陽に透かすように掲げた。
『私の手の中でこのダイヤが輝きを帯びているということは、この血に祈りを寄せる民が少なからずいるということ。
であれば、それを『魔幇』に明け渡すわけにはまいりません。
七鴉様に排除された、他の継承者のためにも。
ここで私がこれを渡して生きながらえることは許されない』
『承りました。最後までお供いたします』
『苦労をかけます』
『婆は、あの騎士様が御嬢様を解放してくださることを願っておったのでございますが』
『私は清に連なる裔の女。彼は清に幕を引いた国の男。
個として互いがどう想えど、モンタギューとキャビュレットは交わらぬが必定というものでしょう?』
『御嬢様が一言、「私を守れ」と言えば、騎士様は一生を賭けて仕えたでしょうに』
『……そんな忠節も、敬愛も、幻でしかない。そういうものよ、老奶奶 』
であれば、それを『魔幇』に明け渡すわけにはまいりません。
七鴉様に排除された、他の継承者のためにも。
ここで私がこれを渡して生きながらえることは許されない』
『承りました。最後までお供いたします』
『苦労をかけます』
『婆は、あの騎士様が御嬢様を解放してくださることを願っておったのでございますが』
『私は清に連なる裔の女。彼は清に幕を引いた国の男。
個として互いがどう想えど、モンタギューとキャビュレットは交わらぬが必定というものでしょう?』
『御嬢様が一言、「私を守れ」と言えば、騎士様は一生を賭けて仕えたでしょうに』
『……そんな忠節も、敬愛も、幻でしかない。そういうものよ、
クラムも、目 艮竟も、この蜃気楼の住人同士の会話に、一切口を挟むことはなかった。
この百年前の麗人にあるのは、間違いなく王の器。
誇りと、諦観と、覚悟だった。
この百年前の麗人にあるのは、間違いなく王の器。
誇りと、諦観と、覚悟だった。
これが、『麒麟の涙』の継承候補。
何か違っていれば、この国の象徴となった存在。
何か違っていれば、この国の象徴となった存在。
「目 艮竟殿。
ソレガシは、この幻に干渉はできない。それは間違いはないか」
「はい。クラム殿と違い、この蜃気楼には実体がございませぬ」
「……そうか」
ソレガシは、この幻に干渉はできない。それは間違いはないか」
「はい。クラム殿と違い、この蜃気楼には実体がございませぬ」
「……そうか」
クラムの無機質な音声に、それでも苦いものが混じるのを目 艮竟は感じた。
騎士が見ているのは、部屋の窓の外。
そこには、一羽の鴉が飛んでいる。
騎士が見ているのは、部屋の窓の外。
そこには、一羽の鴉が飛んでいる。
否。
一羽の鴉が、部屋の窓めがけて飛び込んでくる。
『御嬢様!』
老侍女が蜃気楼の麗人を突き飛ばす。
一瞬まで麗人がいた場所を、巨大な鴉の嘴が貫いた。
一瞬まで麗人がいた場所を、巨大な鴉の嘴が貫いた。
血がしぶく。
老侍女の首が切り裂かれたのだ。
老侍女の首が切り裂かれたのだ。
クラムが虹色の剣を振るった。
しかし、その刃は、巨大な鴉をすり抜けることしかできない。
しかし、その刃は、巨大な鴉をすり抜けることしかできない。
「……ッ」
この幻は過去。確定した歴史。
現代の時間軸にあるクラム・ハードシェルと目 艮竟は、蜃気楼の麗人に向き直る巨鴉を前に、ただ見守ることしかできなかった。
現代の時間軸にあるクラム・ハードシェルと目 艮竟は、蜃気楼の麗人に向き直る巨鴉を前に、ただ見守ることしかできなかった。
4.『冷酷之红 』――林 希美
変幻自在に形を変える鉄棍と、融通無碍に振るわれる長剣。
いずれもが一つ当たらば致命傷。
しかし、達人二人はそれを演舞のように紙一重で防ぎ続ける。
いずれもが一つ当たらば致命傷。
しかし、達人二人はそれを演舞のように紙一重で防ぎ続ける。
蜃気楼の中、若き日の張三と鎧騎士の戦いは、まるで永遠のように続いた。
黒髪の張三の動きは、明らかに今のアイツと違う。
身体能力はより力強く、速く、そして、鉄棍操作の動きは今以上に自在で一つの独立した生き物のようだ。
身体能力はより力強く、速く、そして、鉄棍操作の動きは今以上に自在で一つの独立した生き物のようだ。
けれど、白髪の張三にあるような、理解不能な術理はない。
相手に触れても、対象の動きを停滞させるような重圧は感じない。
相手に触れても、対象の動きを停滞させるような重圧は感じない。
なんというか、強さの性質が違う。
シンプルで、相手の動きに干渉するというより、己の全力で押し切るような戦術。
シンプルで、相手の動きに干渉するというより、己の全力で押し切るような戦術。
むしろ、鎧騎士の戦い方の方が、今の張三に近いかもしれない。
特に、武器と武器が接触した瞬間。
相手の力の入り方に応じて押し引きを自在にして相手の動きを制御する感じは、カリーとの闘いで張三が見せた身体運用とよく似ている。
特に、武器と武器が接触した瞬間。
相手の力の入り方に応じて押し引きを自在にして相手の動きを制御する感じは、カリーとの闘いで張三が見せた身体運用とよく似ている。
正直に言えば、私はその戦いに見惚れていた。
それは、二人の世界だった。
それは、二人の世界だった。
互いが互いの武を認め合い、少しずつ限界の枠を広げ合っているのが理解できた。
戦いという状況には似つかわしくないが、幸せな時間であるように見えた。
戦いという状況には似つかわしくないが、幸せな時間であるように見えた。
だが、それを、複数の異音が破った。
一つは、窓が割れる音。
一つは、老いた女性の悲鳴。
一つは、老いた女性の悲鳴。
少し遅れて押し寄せてくる轟音。
一つは、群衆たちの怒号。
一つは、何者かの死を告げる伝令の声。
一つは、何者かの死を告げる伝令の声。
弾かれたように二人は距離を取ると、それぞれ、逆方向へと走り出した。
鎧騎士は、西洋風の建物の中へ。
若い張三は、私が入ってきた方向、つまり、市民と警察たちがぶつかり合っていた抗争の中心へと。
若い張三は、私が入ってきた方向、つまり、市民と警察たちがぶつかり合っていた抗争の中心へと。
「ちょっと……ああもう!」
一瞬、黒ジャージの女の子、果成いっぽちゃんのことが頭をよぎる。
しかし、蜃気楼の中の幻たちが私たちを傷つけることはなかった。
きっとあの子も、大丈夫だろう。
しかし、蜃気楼の中の幻たちが私たちを傷つけることはなかった。
きっとあの子も、大丈夫だろう。
私は、黒髪の張三の後を追った。
抗争の中心だったであろう市街地には、凄惨な光景が広がっていた。
市民警察関係なく、多くの人間が倒れていた。
息のある者、ない者、入り乱れ、ただモノのように積み重なっている。
息のある者、ない者、入り乱れ、ただモノのように積み重なっている。
弾痕、火災跡、魔人能力による得体のしれない破壊の残滓。
警察・租界連合側の主力は撤退したのか、上海市民・『魔幇』運動側の生き残りが集まって、仲間たちの手当と後始末に奔走している。
警察・租界連合側の主力は撤退したのか、上海市民・『魔幇』運動側の生き残りが集まって、仲間たちの手当と後始末に奔走している。
ひときわ多くの人が集まっている中に、黒髪の張三がいた。
彼の脇には、一人の男性が倒れていた。
張三とよく似た顔の青年だった。
張三とよく似た顔の青年だった。
死んでいた。
その亡骸に縋るように、女が泣いていた。
面影でわかる。若い頃のカリー・魔幣だ。
面影でわかる。若い頃のカリー・魔幣だ。
慕われていたのだろう。
多くの人々が、その青年の死を悼んでいた。
多くの人々が、その青年の死を悼んでいた。
やがて、一人の男が立ち上がった。
黒ずくめの服に、瞳だけが金色に輝いている。
腐肉を喰らう鴉のようだ、と、そう思った。
黒ずくめの服に、瞳だけが金色に輝いている。
腐肉を喰らう鴉のようだ、と、そう思った。
『諸君! 同志、張无忌 は、全ての魔人と上海市民のため立ち上がり、その命を最後まで捧げたのです!
まさに泥中の蓮! 民を束ねる君の徳!
我々はそれを継いで、想いを束ねなければならない!
古き血によってではなく、新たな想いによって、『幇』を為さねばならないのです!
古き血によってではなく、新たな想いによって、『幇』を為さねばならないのです!
我らはこれより、張无忌の仔!
血でなく想いで結ばれた『幇 』となるのです!』
血でなく想いで結ばれた『
その演説は、完璧だった。
言葉自体は凡庸で芝居がかったものだ。
しかし、そのタイミング、口調、表情、状況、その全てが、噛みあい過ぎていた。
言葉自体は凡庸で芝居がかったものだ。
しかし、そのタイミング、口調、表情、状況、その全てが、噛みあい過ぎていた。
喪失に暮れていた人々が、その演説によって高揚し、感情のうねりを作り出していく。
だが、そこに、一人、異を唱える者がいた。
『……ふざけるな』
黒髪の張三。
『七鴉! 今、ンなことを言うかよ。
テメェのせいで! テメェが!!』
テメェのせいで! テメェが!!』
彼が地面に突き立てた鉄棍が脈動する。
何かを吸い上げるように。飲み込み、己のものとするように。
何かを吸い上げるように。飲み込み、己のものとするように。
周囲の建物が崩れていく。
まるで、内側の柱を失ったかのように。
まるで、内側の柱を失ったかのように。
『兄貴を! 勝手に! 英雄 にするな!!!』
何が起きているのか、少し考えてようやく推測できた。
魔人能力『鉄杵』。
張三の能力は、触れた棒状の鉄の形質を変化させる。
今、張三は、愛用の鉄棍をまた、「己の一部」であると解釈し、それに触れたものを能力対象としているのだ。
今、張三は、愛用の鉄棍をまた、「己の一部」であると解釈し、それに触れたものを能力対象としているのだ。
鉄棍を変形、伸長させてその先端でもって別の棒状の鉄……たとえば建物の鉄骨や鉄管に触れ、それを能力による操作対象として取り込んで巨大化させ、さらにそれを己の一部と解釈して、連鎖的に際限なく能力の影響下にある鉄を増やしていく。
張三の憤怒を真正面から受け止め、鴉の男が朗々と応える。
張三だけでなく、周囲の人々を扇動するように。
張三だけでなく、周囲の人々を扇動するように。
『ああ、確かに私の力不足が張无忌の死を招いた!
私が彼を殺したと言っても過言ではない!
故に! 私は『魔幇』を束ねるには値しない!
頂点に立つ者を支え、『魔幇』の永続、子どもたちの守り手として生涯を費やしましょう!!』
『そういうことじゃ、ねえだろうが!!!』
私が彼を殺したと言っても過言ではない!
故に! 私は『魔幇』を束ねるには値しない!
頂点に立つ者を支え、『魔幇』の永続、子どもたちの守り手として生涯を費やしましょう!!』
『そういうことじゃ、ねえだろうが!!!』
地下で波打つ鉄の奔流。
それはやがて、一つの形を作り出し、地表へと顔を出した。
それはやがて、一つの形を作り出し、地表へと顔を出した。
即ち、巨大な鉄の龍。
魔人能力の拡大解釈による、過剰連鎖能力行使。
黒髪の張三の瞳から、赤い雫が流れる。
当然だ。あんな無茶な能力を発動して、心身に負荷がかからないはずがない。
黒髪の張三の瞳から、赤い雫が流れる。
当然だ。あんな無茶な能力を発動して、心身に負荷がかからないはずがない。
『悲しみに流されてはなりません、張三■!
張无忌亡き今、弟の君が『魔幇』後継者の第一候補なのですから!』
張无忌亡き今、弟の君が『魔幇』後継者の第一候補なのですから!』
七鴉と呼ばれた男の影から、六羽の巨大な鴉が飛びだし、鉄の龍へ駆けた。
張三に断片的にに聞いていたことが繋がっていく。
この悪夢のような光景が、百年前に起きていたこと。
この悪夢のような光景が、百年前に起きていたこと。
カリーが抜け殻のようになり。
張三が『魔幇』を抜け。
そして『魔幇』が上海を支配するようになった、始まりの日なのだ。
張三が『魔幇』を抜け。
そして『魔幇』が上海を支配するようになった、始まりの日なのだ。
茫然と、鉄龍と六羽の大鴉が暴れる街並を眺める。
多くの人と、街とを巻き添えにして、二人の男が我をぶつけあう。
多くの人と、街とを巻き添えにして、二人の男が我をぶつけあう。
黒髪の張三に呼応するように、鉄の龍が咆哮する。
血涙に染まったその形相を、私は、恐ろしいと思ってしまった。
血涙に染まったその形相を、私は、恐ろしいと思ってしまった。
怒りのまま、無差別に無数の命を、建物を破壊するその姿は、私にトドメを刺すことなく手を差し伸べてくれたアイツとは別の生き物のように見えてしまった。
鎧騎士との闘いとは違う。
見惚れているのではない。ただ、規模が大きすぎて眺めることしかできない。
見惚れているのではない。ただ、規模が大きすぎて眺めることしかできない。
「……悪い。遅れた」
だから、私は気付かなかった。
いつの間にか横に立っていた、幻ではない 、実体のある張三 の気配に。
いつの間にか横に立っていた、
「場所はすぐ見つかったんだが、幻の中がこうだからな。合流に手間取った」
万が一に備えて、この幻に飛び込む前に、居場所を別行動だったこいつに伝えていたのだが、断片的な情報だけで、きちんとこちらを見つけてくれたらしい。
「……張三」
短く刈り込まれた白髪。太く巨大な体躯。それはいつもと変わらない。
ただ、違うところがあるとすれば、その瞳だ。
ただ、違うところがあるとすれば、その瞳だ。
若き日の自分が創り出した鉄の龍と、それを囲む鴉の群れ。
その光景を見る張三の表情からは、いつもの笑みが消えていた。
その光景を見る張三の表情からは、いつもの笑みが消えていた。
「お察しのとおり。
誰が何の目的で見せてるのかは知らんが、こいつは、事実。
1925年5月30日。張无忌 が死んだ日の記録だろうさ」
誰が何の目的で見せてるのかは知らんが、こいつは、事実。
1925年5月30日。
5.『爆发的胚胎 』――クラム・ハードシェル
貴婦人と同じ顔をした、蜃気楼の麗人。
クラム・ハードシェルの目の前で彼女に襲い掛かった巨大な鴉は、仕損じたとみるや、すぐさま旋回し、入口の側へと回り込んだ。
クラム・ハードシェルの目の前で彼女に襲い掛かった巨大な鴉は、仕損じたとみるや、すぐさま旋回し、入口の側へと回り込んだ。
逃走経路を塞ぐ行動。
この鴉には明確に知性がある。
この鴉には明確に知性がある。
鴉は大きく羽ばたくと、老侍女の命を奪った嘴で再び麗人を狙い、
「レディ!」
その翼が、銀色の長剣によって切り裂かれた。
その斬撃の主は、部屋に駆け付けた一人の鎧騎士。
クラム・ハードシェルとよく似た、しかし、遊色ではなく、銀の光沢の武具を身につけた剣士だった。
クラム・ハードシェルとよく似た、しかし、遊色ではなく、銀の光沢の武具を身につけた剣士だった。
騎士は麗人と鴉の間に立ちはだかると、剣を構えた。
鎧には穴が開き、片腕はだらりと垂れ下がっている。
本来ならば両手で振るうであろう剣を片手で構えた姿は、万全とは言い難い。
鎧には穴が開き、片腕はだらりと垂れ下がっている。
本来ならば両手で振るうであろう剣を片手で構えた姿は、万全とは言い難い。
それでも、騎士は揺らぐことなく、麗人を庇い、まっすぐに切っ先を大鴉に向けた。
翼から黒い液体を流す鴉は、しかし地に落ちることはなかった。
羽ばたかず。翼を広げず。それでも、空に浮かんでいた。
羽ばたかず。翼を広げず。それでも、空に浮かんでいた。
『――『仔の壱・孤死首丘 』
泡が弾けるような奇怪な音で、言葉が紡がれた。
瞬間、巨鴉の首が高速で伸び、その頭部が弾丸のように騎士を貫く。
瞬間、巨鴉の首が高速で伸び、その頭部が弾丸のように騎士を貫く。
鎧に穿たれた穴を狙う狙撃めいた精緻な一撃。
鎧の継ぎ目から、血がしぶく。
鎧の継ぎ目から、血がしぶく。
『捕えたぞ。下郎』
だが、騎士は、それを待ち構えていたかのように、伸びた鴉の首へと剣を振り下ろした。
自らの身を厭わぬ、捨て身の斬撃。
自らの身を厭わぬ、捨て身の斬撃。
耳障りな声を上げて力を失い、今度こそ地に落ちる鴉。
それを見届けて、騎士もまた、膝から崩れ落ちた。
それを見届けて、騎士もまた、膝から崩れ落ちた。
『御無事ですか。レディ』
『ありがとうございます。また助けていただきましたね』
『某 は父君に大恩ある身。客分としての義理です』
『その義理に、命すら賭けるのですか? 貴方の理由はそれだけですか?』
『……それは』
『益体もないことを申しました。貴方の騎士道に感謝を。我が敬愛する騎士様』
『ああ、最後に、貴女を助けられてよかった』
『ありがとうございます。また助けていただきましたね』
『
『その義理に、命すら賭けるのですか? 貴方の理由はそれだけですか?』
『……それは』
『益体もないことを申しました。貴方の騎士道に感謝を。我が敬愛する騎士様』
『ああ、最後に、貴女を助けられてよかった』
おそらく、銀鎧の騎士はもう、まともに目も見えていない。
そう、クラム・ハードシェルは判断した。
なぜなら、目の前の麗人が腹から血を流していることに、騎士は気付いていないからだ。
そう、クラム・ハードシェルは判断した。
なぜなら、目の前の麗人が腹から血を流していることに、騎士は気付いていないからだ。
最初の一撃。
老侍女を屠った襲撃の中、すでに鴉の爪は麗人に致命傷を刻んでいたのだ。
老侍女を屠った襲撃の中、すでに鴉の爪は麗人に致命傷を刻んでいたのだ。
だが、麗人は、騎士にそれを気取らせずに微笑んでいる。
気丈に、振る舞い続けている。
気丈に、振る舞い続けている。
目の前の騎士に、彼は命を賭して騎士道を全うできたのだ、淑女を守れたのだと、信じさせるために。
騎士は麗人の労いに対して、言葉を返すことはなかった。
クラム・ハードシェルはその鎧のうちに肉体を持たない。
空洞の鎧こそ彼の本体であり、耳の代わりに表面で振動を感じ、音を聞くことができる。
その感覚が、銀の鎧の中の肉体の内で、心臓の鼓動が止まっている事実を告げていた。
空洞の鎧こそ彼の本体であり、耳の代わりに表面で振動を感じ、音を聞くことができる。
その感覚が、銀の鎧の中の肉体の内で、心臓の鼓動が止まっている事実を告げていた。
銀騎士は麗人の言葉を受け、安堵の中で絶命したのだろう。
あるいは、心臓は既に止まっていて、騎士道がぎりぎりまでその肉体を動かしていたのかもしれなかった。
あるいは、心臓は既に止まっていて、騎士道がぎりぎりまでその肉体を動かしていたのかもしれなかった。
騎士の絶命と何か連動するものがあったのか。
麗人の手にしていたダイヤモンドから、一つ輝きが立ち上ると、部屋を飛び出し、市民と警察が衝突している街の方へと消えていった。
『……これで、『麒麟の涙』は、『魔幇』の下に完成する。
全ては、日暮れに鴉の鳴くままに』
全ては、日暮れに鴉の鳴くままに』
くすんで輝きを失ったダイヤモンドをかき抱くようにして、麗人は銀の鎧騎士の亡骸と向き合った。
『もし、貴方が王国 の騎士でなく。
私が、清の裔でなかったとしたら。
私達はもっと単純に互いを想い合えたのでしょうか』
私が、清の裔でなかったとしたら。
私達はもっと単純に互いを想い合えたのでしょうか』
箱庭で幻を作っていた靄が、麗人の細い指先へ収束する。
彼女は靄を帯びたその指を、すっかり輝きを失ったダイヤモンドへと、まるで水面に差し入れるかのように突き刺した。
彼女は靄を帯びたその指を、すっかり輝きを失ったダイヤモンドへと、まるで水面に差し入れるかのように突き刺した。
『『麒麟の涙』。私の人生を縛った呪いよ。
最後くらい、素敵な幻を見せてくださいな。
最後くらい、素敵な幻を見せてくださいな。
魔人能力――『蜃気楼鬼貝故事』。
ダイヤが、本来金剛石にはありえない、真珠めいた遊色の輝きを宿す。
そこから溢れた靄が凝り、七色の鎧をまとう騎士を作り出した。
そこから溢れた靄が凝り、七色の鎧をまとう騎士を作り出した。
麗人は、生み出された虹色の騎士に、最後の生命を絞り出すようにして語りかけた。
『――そのダイヤには、もう『麒麟の涙』としての価値はありません。
代わりに、そこには私の能力で『魔幇』の罪を記録しました。
あなたは、一生をかけて、私 を守りなさい。
誰かが、その記録を読み解いてくれるまで。
代わりに、そこには私の能力で『魔幇』の罪を記録しました。
あなたは、一生をかけて、
誰かが、その記録を読み解いてくれるまで。
頼みましたよ。
幻を吐く蜃 を守る二枚貝の硬殻 。』
クラムの目の前で、生まれたばかりの遊色の騎士は恭しくダイヤを麗人から受け取ると、屋敷を後にした。
そして、部屋には、重なるようにして床に横たわる、騎士と麗人の亡骸だけが残された。
「……目 艮竟殿」
クラムは、全てを見届けると、普段と変わらぬ感情のこもらぬ声で同行者に呼びかけた。
「盟約はここまでということでよろしいか」
「はい。十分です。感謝を」
「はい。十分です。感謝を」
目 艮竟はそう言って、左腕をクラム・ハードシェルに突き出した。
「さあ、対価をお持ちくだされ。
それから先、再び私は、『魔幇』の四天王として、貴方と向き合い、ダイヤを奪うとしましょう。
貴公の主を殺めて、その亡骸の上に繁栄を謳歌した組織の一員として」
それから先、再び私は、『魔幇』の四天王として、貴方と向き合い、ダイヤを奪うとしましょう。
貴公の主を殺めて、その亡骸の上に繁栄を謳歌した組織の一員として」
6.『次要人格的反噬 』――林 希美
猛る鉄龍が、多くの人間と建物を無差別に呑み喰らわんとする。
六羽の鴉が、人々と街を守りながら、その暴威をいなしていく。
六羽の鴉が、人々と街を守りながら、その暴威をいなしていく。
全ては幻、蜃気楼に刻まれた記録。
百年前に確定した事象。
そこに私は触れることができない。
それを私は変えることができない。
百年前に確定した事象。
そこに私は触れることができない。
それを私は変えることができない。
だから、私は、張三と一緒に、当初の目的である黒ジャージの少女の探索をすることにした。
私から何かを聞くことはできなかったが、訥々と張三はこの幻が映す百年前のことを話してくれた。
「前も言ったな。百年前、外国から人間がたくさん入ってきた。
その時のこの国は、まあ色々ごたごたしていて、つけ入る隙も多かった。
そのせいで、色んな奴らが食い物にされた。
俺の兄貴……張无忌は、そんな世の中を変えようとした。
その時のこの国は、まあ色々ごたごたしていて、つけ入る隙も多かった。
そのせいで、色んな奴らが食い物にされた。
俺の兄貴……張无忌は、そんな世の中を変えようとした。
まあ、実際には、世のため人のためっていうより、惚れた女の暮らしやすい世界にしたいってのが本音だったみたいだが。
まあ、カリスマってのがあったんだろう。
その動きはこの街中を巻き込んで、租界のお偉方からも警戒される規模になった。
まあ、カリスマってのがあったんだろう。
その動きはこの街中を巻き込んで、租界のお偉方からも警戒される規模になった。
その日は、仲間が租界警察に不当逮捕されたってんで、釈放のために大規模なデモをやるっていうことで、兄貴はみんなと街を練り歩いていた。
俺は、租界警察の用心棒として有名な、実力のある魔人を足止めしろって指示を受けてな。
イギリスからやってきた、時代遅れの騎士野郎だよ。
そいつとの戦いで足止めされてるうちに、平和的なはずのデモは、警察の発砲で大惨事になった。
イギリスからやってきた、時代遅れの騎士野郎だよ。
そいつとの戦いで足止めされてるうちに、平和的なはずのデモは、警察の発砲で大惨事になった。
その中で、兄貴は死んだ。
俺は、その場にいなかった。兄貴を守れなかった。
それだけじゃなく、兄貴と戦ってた仲間に八つ当たりして、色んなものを壊した。
五・三〇事件ってのは、そういう話で、張三っていうのは、そういう男だよ」
俺は、その場にいなかった。兄貴を守れなかった。
それだけじゃなく、兄貴と戦ってた仲間に八つ当たりして、色んなものを壊した。
五・三〇事件ってのは、そういう話で、張三っていうのは、そういう男だよ」
淡々とした語り口。
いつもの、のんびりとした陽気な口調ではない。
いつもの、のんびりとした陽気な口調ではない。
その頬からは、赤みが消えている。
完全に酔いが覚めているコイツを見るのは、ほとんど初めてだったかもしれない。
完全に酔いが覚めているコイツを見るのは、ほとんど初めてだったかもしれない。
「そっか」
気の利いた言葉が返せない自分がイヤになる。
けれど、なんと言えばよかったのだろう。
しかたない、気にするな、張三は悪くない、……どれも違う気がする。
けれど、なんと言えばよかったのだろう。
しかたない、気にするな、張三は悪くない、……どれも違う気がする。
「今でも、たまに思う。夢に見る。
もしも、俺がもう少し弱ければ、あの騎士から逃げ帰って、間に合ってたかもしれない。
もしも、俺がもう少し強ければ、あの騎士とさっさと決着をつけて、間に合ってたかもしれない。
もしも、俺がもう少し弱ければ、あの騎士から逃げ帰って、間に合ってたかもしれない。
もしも、俺がもう少し強ければ、あの騎士とさっさと決着をつけて、間に合ってたかもしれない。
今ならもっとうまくやれるかもしれない。
あの時どうしてうまくやれなかったのかってな。
爺になれば、もう少し、悟りってのに近づけるんだと思ったんだけどな。
どうやらそういうもんじゃあないらしい」
あの時どうしてうまくやれなかったのかってな。
爺になれば、もう少し、悟りってのに近づけるんだと思ったんだけどな。
どうやらそういうもんじゃあないらしい」
まったく表情を変えない張三の横顔。
痛い。苦しい。
何もできない自分が不甲斐ない。
何も言えない自分が情けない。
痛い。苦しい。
何もできない自分が不甲斐ない。
何も言えない自分が情けない。
「悪い。余計なことだ」
「いいよ。それは。むしろいい」
「いいよ。それは。むしろいい」
受け止めきれないこと、支えられないことは、私の問題だ。
別に辛いことを隠してほしいわけじゃない。
別に辛いことを隠してほしいわけじゃない。
ただ、この靄がかかったような気持ちを、どうにか晴らしたくて――
と。
そんな私の気持ちが何かに影響したのか、完全な偶然か、
そんな私の気持ちが何かに影響したのか、完全な偶然か、
靄が晴れるようにして、百年前の記録を投影していた蜃気楼が消滅した 。
そして、空地の奥から現れたのは、七色に輝く遊色の鎧騎士。
その姿を見て、張三の目が大きく開かれる。
その姿を見て、張三の目が大きく開かれる。
「……我的天啊 」
次の瞬間、張三の巨体が鎧騎士へと肉薄していた。
「張三!? そいつは『魔幇』なの!?」
違う、と思う。
だって、その鎧騎士の姿は、『魔幇』に属していた黒髪の張三と戦っていた銀の騎士
と、あまりに似すぎている。
鎧なんていくらでも似せたものは作れるといっても、その動きや雰囲気が、あまりにもそのまますぎた。
と、あまりに似すぎている。
鎧なんていくらでも似せたものは作れるといっても、その動きや雰囲気が、あまりにもそのまますぎた。
だったら、『魔幇』に敵対する存在のはずだ。
つまり、『破幇同盟』にとって、戦う理由のない相手のはずで……
つまり、『破幇同盟』にとって、戦う理由のない相手のはずで……
けれど、私の声など届かないように、張三は武器を振るっていた。
こんな張三は初めてだ。コイツは始まった戦いこそ容赦はしないが、好んで不要な闘争に突っ込むようなヤツじゃない。
こんな張三は初めてだ。コイツは始まった戦いこそ容赦はしないが、好んで不要な闘争に突っ込むようなヤツじゃない。
まるで、湧きあがった衝動を止められないように。
進んでその流れに身を任せるように。
張三は、獰猛な笑みで、鎧騎士に一撃を叩きつけた。
進んでその流れに身を任せるように。
張三は、獰猛な笑みで、鎧騎士に一撃を叩きつけた。
その一閃は、赤い涙を流した黒髪のアイツと同じ殺気を宿していた。
「久しぶりだな、鎧騎士」
「生憎、ソレガシには貴公と戦った記憶がない」
「生憎、ソレガシには貴公と戦った記憶がない」
騎士はあろうことか鎧の手甲で真正面からその一撃を受け止めていた。
無傷。鎧には一切の亀裂も入っていない。
無傷。鎧には一切の亀裂も入っていない。
「……手を出すなよ、林希美。
これは、同盟とは関係ない俺の私闘だ」
「然り。私闘ということには同意である。
ソレガシも、貴公との無意味な戦いを願う気持ちが抑えがたい」
これは、同盟とは関係ない俺の私闘だ」
「然り。私闘ということには同意である。
ソレガシも、貴公との無意味な戦いを願う気持ちが抑えがたい」
7.『失落的莫比乌斯 』――クラム・ハードシェル
クラム・ハードシェルは、冷静で非人間的な性格を自認している。
当然だ。その存在は人間ではない。
幻に過ぎないと自覚しているからである。
当然だ。その存在は人間ではない。
幻に過ぎないと自覚しているからである。
ただ、『貴婦人』に関することだけが、彼の動機。
故に、『貴婦人 』を奪おうと明言している相手以外とは、敵対する理由がない。
そのはずだった。
そのはずだった。
だが、クラム・ハードシェルは、襲い掛かってきた白髪の大男を、まるで当然のことのように迎撃していた。
この男は、百年前に、銀の鎧騎士……クラム・ハードシェルの元となったオリジナルともいうべき存在と剣を交えた相手だ。
もしも、この男と戦っていなかったとしたら、銀の鎧騎士は蜃気楼の麗人を守り抜いていたかもしれない。
麗人の危機に、彼女が致命傷を受ける前に、間に合っていたかもしれない。
麗人の危機に、彼女が致命傷を受ける前に、間に合っていたかもしれない。
蜃気楼の麗人と、クラム・ハードシェルが想いを寄せる『貴婦人』とは別の存在だ。
それはわかっている。
それはわかっている。
それでも、クラム・ハードシェルは、銀の鎧騎士の無念に応えたかった。
応える手段としてこの戦いが適当なのかはわからないが、他の術を知り得なかった。
応える手段としてこの戦いが適当なのかはわからないが、他の術を知り得なかった。
剣と棍とがぶつかり合う。
一合。二合。三合と、衝撃が鎧の隅々にまで伝わっていく。
その振動に呼び覚まされるように、クラム・ハードシェルの中に、ある情報が流れ込む。
一合。二合。三合と、衝撃が鎧の隅々にまで伝わっていく。
その振動に呼び覚まされるように、クラム・ハードシェルの中に、ある情報が流れ込む。
互いの技が、熱が、メビウスの輪のように循環し、失われた記憶を賦活していく。
(はじめは、ただの義務だった)
それは、百年前の、銀の鎧騎士と、黒髪の棍使いとの闘いの記憶。
あるいは、銀騎士の出自と人生に関する追憶。
あるいは、銀騎士の出自と人生に関する追憶。
(祖国がこの国にしたことへの引け目から、客分として清王朝の末裔の客分となった)
クラム・ハードシェルはこれまで基本的な術理をベースとして、人間離れした膂力と不壊の防御に任せて戦ってきた。
(そこで、彼女に出会った)
そこに、剣に命を賭けて戦った、古の騎士の記憶が重なっていく。
(美しい。そう思った)
振り下ろされる棍と虹色の剣が噛みあう。
たとえば、バインド。
鍔迫り合いとは異なる概念。
刃同士が触れ合った接触面から対象の重心、力の方向性を制御し、いかに相手の刃を退け、己の刃を相手に到達させるかの技巧。
刃同士が触れ合った接触面から対象の重心、力の方向性を制御し、いかに相手の刃を退け、己の刃を相手に到達させるかの技巧。
今まで意識していなかった、掌に伝わる感触から、相手の膂力、技量を解析する。
鉄棍から伝わるのは直線的な怒気。力で押し切ろうという意図。
僅かに握りを緩め、剣を引く。
鉄棍から伝わるのは直線的な怒気。力で押し切ろうという意図。
僅かに握りを緩め、剣を引く。
(容姿が? それもある。魂が精神を作り、精神が身体の所作を作るのだとすれば、彼女の容姿の美しさはそうしたものに支えられていると思った)
たとえばハーフソード。
右手で剣の柄を、左手で刃を握ることで、守りを固める術理。
再度のバインドから、タックルの要領で刃を滑らせ、刀を研ぐような姿勢から相手の首を狙う。
再度のバインドから、タックルの要領で刃を滑らせ、刀を研ぐような姿勢から相手の首を狙う。
白髪の大男が身を逸らす。
それを追うように、刀身を掌で滑らせて刺突に移行する。
それを追うように、刀身を掌で滑らせて刺突に移行する。
(租界に働きかけ、なけなしの影響力を行使して、この国の屋台骨を組みなおそうとする試み。それは、遠大な計画だった。もし彼女にあと10年の時間があったのならば。おそらくは、彼女はこの国の形を組み替えることができていただろう)
たとえば殺撃。
剣を上下逆に持つことで重心を移動させて破壊力のある打撃を生み、あるいは棒鍔を鍵爪のように利用して武装解除に繋げる技法。
ハーフソードの刺突が弾かれる。
切っ先が跳ね上げられた。
それは即ち、柄頭が敵に向いているということ。
切っ先が跳ね上げられた。
それは即ち、柄頭が敵に向いているということ。
(そのための剣であり、鎧であれば、某はよかった)
ハーフソードから右の手を離し、両の手で刀身を握ることで剣を上下逆に構え、棒鍔をハンマーのようにして振り下ろす。
体が覚えていて、しかし、正確には理解が及んでいなかった術理に血が通っていく。
空っぽの鎧が、暖かいもので満たされていく。
空っぽの鎧が、暖かいもので満たされていく。
百年前の黒髪の戦士と、目の前の白髪の武人とは、動きが大きく異なっていた。
バインドからの敵性身体制御を、鉄棍だけでなく無手での武術にも落とし込んでいる。
あるいは、元々中国武術にある術理、化勁の応用として古流西洋剣術のバインドの技をハイブリットしたというべきか。
あるいは、元々中国武術にある術理、化勁の応用として古流西洋剣術のバインドの技をハイブリットしたというべきか。
粘るような拮抗、一見して止まっているように見える互いの重心、身体軸の主導権の奪い合いが繰り返される。
その練度は相手が上。しかし、クラム・ハードシェルには、不壊の鎧というアドバンテージがある。一撃加えることができれば、形成は逆転する。
その練度は相手が上。しかし、クラム・ハードシェルには、不壊の鎧というアドバンテージがある。一撃加えることができれば、形成は逆転する。
棍での受けに応じて捻り、十字状になった棒鍔と柄の交差で絡め取る。
棍が弾かれ、宙を舞った。
からん、と。
乾いた音を立てて、棍が転がる。
乾いた音を立てて、棍が転がる。
クラム・ハードシェルの剣の切っ先は張三の首元を捉え、
張三の穿掌は、クラム・ハードシェルのバイザーの間隙、彼が命よりも大切にしている、ダイヤの格納場所の寸前で止められていた。
張三の穿掌は、クラム・ハードシェルのバイザーの間隙、彼が命よりも大切にしている、ダイヤの格納場所の寸前で止められていた。
「よき立ち合いであった。
ソレガシは落としたものを拾い集めた。貴公は、気が済んだか?」
ソレガシは落としたものを拾い集めた。貴公は、気が済んだか?」
クラム・ハードシェルは、目の前の相手から、燃えるような怒気が収まっていることを感じ取った。
「……百年の逆恨みだ。そう簡単には収まらん。
ただ、続けたら、あの日の繰り返しになりそうだ」
「然り。
ソレガシは貝を名にし負うが、漁夫の利の故事に倣う愚は犯すまい」
「鷸啄其肉 。蚌合而箝其喙 ……『戦国策』だな。
だそうだ、漁者得而并擒之 ってわけにはいかないらしいぞ?」
ただ、続けたら、あの日の繰り返しになりそうだ」
「然り。
ソレガシは貝を名にし負うが、漁夫の利の故事に倣う愚は犯すまい」
「
だそうだ、
張三の言葉に応えるように、小さな足音が近づいてくる。
達人のそれではない。
むしろ、足元のおぼつかない子どものような……
むしろ、足元のおぼつかない子どものような……
「いやいや、さすがは『魔幇』設立当初の猛者。
私程度の隠形は簡単に見破るということでございますな」
「はーなーせー! はなすんだぞー! この悪党!!」
私程度の隠形は簡単に見破るということでございますな」
「はーなーせー! はなすんだぞー! この悪党!!」
姿を現したのは、目 艮竟と、彼に首を掴まれた、幼い少女だった。
8.『无法抗拒的疾驰 』――林 希美
虹色の鎧騎士と張三の戦いに割って入ったのは、間違いなく、私が追いかけていた女の子、果成いっぽちゃんだった。
「見下げたものだな、目 艮竟殿。
その腕、女子を傷つけるために斬らずにおいたわけではない。
その腕、女子を傷つけるために斬らずにおいたわけではない。
学究の徒としての姿勢、そして、我に貴婦人の手がかりを示してくれたことに対する礼を示したのだ。それを」
虹色の騎士と老人は面識があるらしい。
「失礼。こちらも、幼い子を好んで傷つける趣味はありませぬ。
ただ、騎士道に則り決闘を受けてくださるだろうクラム殿とは違い、さんざ『魔幇』の責から逃げ回った臆病者には、こうでもしなければまた戦いから逃げられてしまうのではないかと思いましてな」
ただ、騎士道に則り決闘を受けてくださるだろうクラム殿とは違い、さんざ『魔幇』の責から逃げ回った臆病者には、こうでもしなければまた戦いから逃げられてしまうのではないかと思いましてな」
老人は張三を見ながら、ことさら嘲るように言った。
その挑発に答えたのか、張三の腕が閃き、鉄棍が伸びる。
その挑発に答えたのか、張三の腕が閃き、鉄棍が伸びる。
その先端は見る間に網状になると、いっぽちゃんを包み、一瞬で老人の手元から引き離した。
「その子を頼んだ。
アイツの狙いは俺らしいが、口でどう言おうと、一度人質を取った人間だ。
また危なくなれば土壇場で子どもを盾にするのは目に見えてる」
「……うん」
アイツの狙いは俺らしいが、口でどう言おうと、一度人質を取った人間だ。
また危なくなれば土壇場で子どもを盾にするのは目に見えてる」
「……うん」
声は静かに。けれど、それこそが、張三の怒りを示しているような気がした。
私は、いっぽちゃんを抱きしめ、軽く全身を確かめる。
傷はない。呼吸にも乱れはない。
傷はない。呼吸にも乱れはない。
目を覗き込む。
精神制御系の影響下にあるような兆候も見られない。
精神制御系の影響下にあるような兆候も見られない。
「いっぽちゃん、どこかいたくない?」
「大丈夫だぞ。お姉さん、ありがとうだぞ」
「怖かったね。でも、大丈夫。ここからは……」
「大丈夫か? 本当に? アイツは、『魔人カーメン』の四大幹部、プロフェッサー・マッドネスだぞ。正義の味方じゃないと、倒せないんだぞ?」
「大丈夫だぞ。お姉さん、ありがとうだぞ」
「怖かったね。でも、大丈夫。ここからは……」
「大丈夫か? 本当に? アイツは、『魔人カーメン』の四大幹部、プロフェッサー・マッドネスだぞ。正義の味方じゃないと、倒せないんだぞ?」
恰好から想像できることだけれど、どうやらこの子は、特撮ヒーローものが大好きらしい。危険を自分の知っている世界に紐づけて解釈して、この子なりに落ち着こうとしているのだろう。
「大丈夫。あのおじさんは強いから」
「でも! 強くても、普通の人は、悪の幹部を倒せないんだぞ!
ヒーローじゃないと倒せないんだぞ!」
「でも! 強くても、普通の人は、悪の幹部を倒せないんだぞ!
ヒーローじゃないと倒せないんだぞ!」
なんて真っすぐでシンプルな世界観。
『兄貴は死んだ。
俺は、その場にいなかった。兄貴を守れなかった。
それだけじゃなく、兄貴と戦ってた仲間に八つ当たりして、色んなものを壊した。
五・三〇事件ってのは、そういう話で、張三っていうのは、そういう男だよ』
俺は、その場にいなかった。兄貴を守れなかった。
それだけじゃなく、兄貴と戦ってた仲間に八つ当たりして、色んなものを壊した。
五・三〇事件ってのは、そういう話で、張三っていうのは、そういう男だよ』
ついさっき聞いた、張三の呟きを思い出す。
アイツは口が裂けても、自分を正義の味方だとは言わないだろう。
ヒーローと自分は一番縁遠い存在だと、そう言うだろう。
アイツは口が裂けても、自分を正義の味方だとは言わないだろう。
ヒーローと自分は一番縁遠い存在だと、そう言うだろう。
いっぽちゃんに悪の幹部と言われた老人は、片手に古い青銅製の剣、片手に握りの両端からうねる刃が伸びた不思議な形状の圏を構え、虹色の鎧騎士と張三とに向き合った。
「さあ、『魔幣』の流儀に乗って、名乗らせてもらう。
我は時の流れを探るもの。積層する想念、堆積する年輪を尊ぶもの。
然るにこの身に刻む号、『越老越好 』目 艮竟」
我は時の流れを探るもの。積層する想念、堆積する年輪を尊ぶもの。
然るにこの身に刻む号、『
芝居がかった口調で、目 艮竟が名乗りを上げる。
いつか張三に聞いたことがある。
名乗りとは、自己の定義にして、世界に対する自我の宣誓。
名乗りとは、自己の定義にして、世界に対する自我の宣誓。
魔人が認識によって世界律を改変する異能者である以上、自己定義の確立は、異能の威力精度に直結する。
故に、『魔幇』の魔人の多くは、真正面からの戦いにおいて、名乗りを上げる。
それは自己強化のための詠唱であり、自己暗示であり、己を鼓舞する誓いであると。
それは自己強化のための詠唱であり、自己暗示であり、己を鼓舞する誓いであると。
「ソレガシの名は、クラム・ハードシェル。
我が貴婦人に永久に仕えるもの。
勇勲でもって、我を遣わせし主の絶美を浮かび上がらせるもの。
いつかの麗人が夢想と嘆いた、久遠の忠節と敬愛を体現する幻影である」
我が貴婦人に永久に仕えるもの。
勇勲でもって、我を遣わせし主の絶美を浮かび上がらせるもの。
いつかの麗人が夢想と嘆いた、久遠の忠節と敬愛を体現する幻影である」
虹色の鎧騎士が名乗りを返した。
狂ったラジオのような罅割れた声が、堂々と響く。
狂ったラジオのような罅割れた声が、堂々と響く。
「『钢铁构架』張三」
対して、張三の名乗りは簡潔だった。
心なしか、弱弱しくも聞こえた。
心なしか、弱弱しくも聞こえた。
カリー・魔幣との闘いではもっと、迷いのない名乗りだった気がする。
「それでいいのですか?
蓋をした過去に直面して心が揺らいではいませんか、張三殿。
不完全な名乗り、不安定な自己定義で、この戦場を戦い抜けるとでも?」
「囀るなよ、後輩」
「失礼。百年前に歴史を作った存在を前に興奮が隠し切れないのですよ」
蓋をした過去に直面して心が揺らいではいませんか、張三殿。
不完全な名乗り、不安定な自己定義で、この戦場を戦い抜けるとでも?」
「囀るなよ、後輩」
「失礼。百年前に歴史を作った存在を前に興奮が隠し切れないのですよ」
最初に動いたのは、クラム・ハードシェルと名乗る虹色の騎士だった。
前方に踏み出しながらの斜めへの切り下げ。
最もシンプルで最も強力な斬撃。
前方に踏み出しながらの斜めへの切り下げ。
最もシンプルで最も強力な斬撃。
並みの武器で受ければそれごと腕を断ち切られそうな豪剣を、目 艮竟はあろうことか、骨董品めいた青銅剣で真正面から受け止めた。
「魔人能力『越老越好』。
歴史を重ねた実体に、その歴史の重みに応じた性質強化を付与する。
驪山の麓……始皇帝陵から発掘された青銅剣です。
いかに、あなたの不壊無欠の剣でも、二千年の歴史は容易く断ち切れますまい」
歴史を重ねた実体に、その歴史の重みに応じた性質強化を付与する。
驪山の麓……始皇帝陵から発掘された青銅剣です。
いかに、あなたの不壊無欠の剣でも、二千年の歴史は容易く断ち切れますまい」
片手の異形の圏でクラムの剣をいなし、目 艮竟は青銅剣を振り下ろした。
無造作な斬撃が足元に突き刺さると、そこから数メートルまで地面が切り裂かれた。
斬撃の延長か、あるいは衝撃波か。
無造作な斬撃が足元に突き刺さると、そこから数メートルまで地面が切り裂かれた。
斬撃の延長か、あるいは衝撃波か。
遠くにいるからといって油断はできないということだろう。
私は女の子の手を掴んだまま、目 艮竟と彼女の間に体を挟むようにして位置どった。
私は女の子の手を掴んだまま、目 艮竟と彼女の間に体を挟むようにして位置どった。
「左手のそいつは鶏爪鴛鴦鉞。動きからして八卦掌か。
じゃあ、そいつは董海川の? 現物か?」
「お目が高い」
じゃあ、そいつは董海川の? 現物か?」
「お目が高い」
クラムの剣と張三の棍。
二人の連携は即興だが、並の相手であれば、容易く飲み込む猛攻だ。
二人の連携は即興だが、並の相手であれば、容易く飲み込む猛攻だ。
けれど、目 艮竟は強い。二人の攻撃を受け、かわし、着実に反撃を重ねている。
始皇帝時代の青銅剣から放たれる衝撃波は距離を無視して空間を切り裂き、逆手の圏は素手のような自在な動きでバリヤーめいた防御圏域を作り出している。
始皇帝時代の青銅剣から放たれる衝撃波は距離を無視して空間を切り裂き、逆手の圏は素手のような自在な動きでバリヤーめいた防御圏域を作り出している。
「名に聞こえし『魔幇』設立の徒とはいえ、あの日繰り出した鉄龍を使役するような能力発動は今はもう叶わぬのでしょう? 今のあなたに号をつけるならば『龍的遺灰』とても申しましょうか」
……けれど、おかしい。
何かが、これまでの張三の戦いとは違う。
私は、以前のカリーと張三の戦いを思い出し、目の前の攻防と重ねた。
何かが、これまでの張三の戦いとは違う。
私は、以前のカリーと張三の戦いを思い出し、目の前の攻防と重ねた。
派手な攻撃の応酬と、地を割き、空を斬る強撃。
張三、クラム・ハードシェル、目 艮竟。
三人の戦いは、素人目に見ても、達人の戦いに相応しい絶技の応酬だ。
張三、クラム・ハードシェル、目 艮竟。
三人の戦いは、素人目に見ても、達人の戦いに相応しい絶技の応酬だ。
「くそっ、やっぱりプロフェッサー・マッドネスは強いんだ。
魔人カーメンも、カーメンフォームにならないと勝てないんだぞ!」
魔人カーメンも、カーメンフォームにならないと勝てないんだぞ!」
いっぽちゃんが、三人の動きを目で追いながら悔しそうに言う。
そうか。それが、おかしい。
ようやく私は違和感の理由に思い至った。
ようやく私は違和感の理由に思い至った。
その事実が、ありえないのだ。
ここしばらく張三から稽古をつけられている中で理解したこと。
武術 の要諦とは、理解されないことだ。
何が起きているのか相手に理解する前に、事を為す。
だから、端から見ていて、素人にはその凄まじさが理解できぬまま、決着がつく。
何が起きているのか相手に理解する前に、事を為す。
だから、端から見ていて、素人にはその凄まじさが理解できぬまま、決着がつく。
達人同士の戦いであれば、何もない無言のにらみ合いや、一方的な守勢からの唐突な決着のような形に、その功夫は隠されてしまう。
ある程度の心得や実戦経験があってこそ、そこに秘められた駆け引きや術理が見えてくるのだ。
もちろん、カリー・魔幣のような純然たるフィジカルの相手には、そうした一般則は通用しないが、ともあれ、派手な魔人能力の介在しない武術家の戦いとはそういうものだ。
もちろん、カリー・魔幣のような純然たるフィジカルの相手には、そうした一般則は通用しないが、ともあれ、派手な魔人能力の介在しない武術家の戦いとはそういうものだ。
それが、今の三人の戦いは、「そうではない」。
まるで、見せること、魅せることを目的とした剣舞のようだ。
まるで、見せること、魅せることを目的とした剣舞のようだ。
じゃあ、三人は何か目的をもって、そんな「本気でない戦い」をしているのか?
そんなはずはない。だって、三人にそんなことをする理由がない。
そんなはずはない。だって、三人にそんなことをする理由がない。
ならば、何が起きているのか。
当事者たちは普通に戦っているつもりで、その行動を捻じ曲げている何かが他にいる?
当事者たちは普通に戦っているつもりで、その行動を捻じ曲げている何かが他にいる?
「おじさん! 鎧さん! ヒーローが来るまで耐えるんだぞ!」
果成いっぽちゃんが叫ぶ。
特撮ヒーローに憧れ、そのグッズをあちこちに身に着けた少女。
特撮ヒーローに憧れ、そのグッズをあちこちに身に着けた少女。
まさか。
そういうことか。
そういうことか。
魔人能力は、個人の認識によって世界律を改変する異能である。
その能力発現は、個人差があるが、幼年期から思春期にかけてが多い。
それは万能感に満ちた世界認識と、現実との相克が発生する成長段階だから。
その能力発現は、個人差があるが、幼年期から思春期にかけてが多い。
それは万能感に満ちた世界認識と、現実との相克が発生する成長段階だから。
もしも、この少女が。
特撮ヒーローに憧れて、特撮ヒーローになりたいと思って、特撮ヒーローと、それを取り巻く世界が実在すると心から信じていて。
特撮ヒーローに憧れて、特撮ヒーローになりたいと思って、特撮ヒーローと、それを取り巻く世界が実在すると心から信じていて。
世界をそのとおり捻じ曲げるような、魔人であったとしたら?
そのせいで、三人の戦いがヒーローショーのような演舞になっているとしたら?
そのせいで、三人の戦いがヒーローショーのような演舞になっているとしたら?
仮にそうだとしたら、張三とクラム・ハードシェルは、目 艮竟には勝てない。
だって、黒ジャージ少女は言った。
だって、黒ジャージ少女は言った。
『でも! 強くても、普通の人は、悪の幹部を倒せないんだぞ!
ヒーローじゃないと倒せない んだぞ!』
それが、この世界のルールだとすれば。
目 艮竟 には、ヒーローでなければ 、勝利できない 。
それこそが、誰も避けることのできない絶対の法則。
それこそが、誰も避けることのできない絶対の法則。
事実、二対一にも関わらず、張三もクラムも、目 艮竟に有効打を与えられずにいる。
たしかに目 艮竟の持つ武器は強力で、その動きも達人のそれだ。
それにしたところで、二人を同時に相手にしてここまで一方的なのは、何か不条理な力が働いているとしか考えられない。
たしかに目 艮竟の持つ武器は強力で、その動きも達人のそれだ。
それにしたところで、二人を同時に相手にしてここまで一方的なのは、何か不条理な力が働いているとしか考えられない。
『真正面から技巧や能力をぶつけ合う戦いは張哥がやってくれるWA。
なら、搭档 の役割は、側面支援と考えなSai!』
なら、
ラテン店主さんの言葉を思い出す。
考えろ、林 希美。
私はヒーローものには詳しくないけれど。
少なくとも、あの鎧の騎士や張三よりは、そういうもののお約束を知っているはずだ。
私はヒーローものには詳しくないけれど。
少なくとも、あの鎧の騎士や張三よりは、そういうもののお約束を知っているはずだ。
特撮ヒーローもののルール。
警察や軍隊が動いて終わりにはならない。
悪の幹部は、ヒーローによってしか倒されない。
警察や軍隊が動いて終わりにはならない。
悪の幹部は、ヒーローによってしか倒されない。
ならば、ここにはヒーローが必要だ。
そのヒーローは、あの悪の幹部を打倒できると、認識してもらうことが必要だ。
そのヒーローは、あの悪の幹部を打倒できると、認識してもらうことが必要だ。
では、誰が、ヒーローとして適任なのか。
クラム・ハードシェル?
だめだ。
私は、彼の背景を知らない。
彼をヒーローとして語る説得力を持たない。
私は、彼の背景を知らない。
彼をヒーローとして語る説得力を持たない。
……できるかもしれない。
ここに飛び込む前に、この子にお菓子をあげた。
そのとき、この子は私を「ヒーローみたい」と言ってくれた。
だったら、実は私はヒーローなのだと言えば、信じてもらえるかもしれない。
ここに飛び込む前に、この子にお菓子をあげた。
そのとき、この子は私を「ヒーローみたい」と言ってくれた。
だったら、実は私はヒーローなのだと言えば、信じてもらえるかもしれない。
けれど、私が飛び込んでいったら、この少女を守る者がいなくなる。
この戦いが彼女の能力の支配下にあるのなら、もしかしたら目 艮竟はこの子を傷つけられない可能性もあるが、そんな希望的観測で危険は冒せない。
この戦いが彼女の能力の支配下にあるのなら、もしかしたら目 艮竟はこの子を傷つけられない可能性もあるが、そんな希望的観測で危険は冒せない。
ならば、張三か。
張三は、ヒーローたりえるのか。
張三は、ヒーローたりえるのか。
つい数時間前の私なら、何も考えず、能天気に、是と言えただろう。
けれど、私は、彼の過去を、見てしまった。
けれど、私は、彼の過去を、見てしまった。
兄を亡くした後の、血涙の形相。
『兄貴を! 勝手に! 英雄 にするな!!!』
喉を裂くような慟哭。
この子に、心から、張三がヒーローだと、私は言えるのか。
張三に、アンタは英雄 だと、私は言えるのか。
張三に、アンタは
それは、無責任なことではないのか。
それは、無思慮なことではないのか。
それは、無思慮なことではないのか。
それは、張三の兄の死をいいことに、悲運の英雄に仕立て上げて人心を掌握しようとした鴉の魔人と、何が違うのか。
息を吸う。
息を吐く。
息を吐く。
そこで、どこか寂しそうに笑う、ラテン店員の別れ際の言葉を思い出した。
『あの人は、時間も能力も、ちょっとアターシたちとは違うcolor。
だけど、だから、あなたも、張哥を一人にはしないであげてNE!』
だけど、だから、あなたも、張哥を一人にはしないであげてNE!』
……そうだ。
カリー・魔幣との闘いで名乗っただろう。
私は林希美リン・シーメイ。『飢鬼』林希美。
――張三の、同盟相手だ。
――張三の、同盟相手だ。
ならば、私は、あの鴉の魔人とは違う。同じじゃない。
私は、張三を英雄 にして、放りだしたりしない。
私は、張三を
だから、同盟相手として、アイツを誇るだけでいい。
思い出せ。いつか、屋台で、私に炒飯を差し出してくれた日を。
思い出せ。いつか、屋台で、私に炒飯を差し出してくれた日を。
私は黒ジャージの少女の手に、両の手を重ね合わせる。
「……大丈夫だよ。張三 はね。
いつも酔っぱらってるし、いい加減だし、稽古をつけるとか言って全然具体的なこと教えてくれないし、寝起きは悪いし、何考えてるかあんまり教えてくれないし、臭い食べ物大好きなクセに私に気を使って我慢したりするし、いい服着ればマシな見た目なのに作業着しか着ないし、髭もたまにしかそらないし、人には自分を大事にしろとか言うくせに自分は危険に飛び込むし、明らかに騙されてるだろそれみたいなところでもとりあえず相手が正しい前提で話聞いたりするし、とにかく色々アレなところはあるけど……」
いつも酔っぱらってるし、いい加減だし、稽古をつけるとか言って全然具体的なこと教えてくれないし、寝起きは悪いし、何考えてるかあんまり教えてくれないし、臭い食べ物大好きなクセに私に気を使って我慢したりするし、いい服着ればマシな見た目なのに作業着しか着ないし、髭もたまにしかそらないし、人には自分を大事にしろとか言うくせに自分は危険に飛び込むし、明らかに騙されてるだろそれみたいなところでもとりあえず相手が正しい前提で話聞いたりするし、とにかく色々アレなところはあるけど……」
何を難しく考えていたのだろう。
過去がどうあろうと。本人が何を悔やんでいようと。
私にとって、アイツは。
過去がどうあろうと。本人が何を悔やんでいようと。
私にとって、アイツは。
「間違いなく、ヒーローだよ」
お腹がすいた相手に食べ物を与えるのは、ヒーローの行いだ。
私を認めて、私に考える自由をくれた。
私を認めて、私に考える自由をくれた。
もしも彼が自分の兄を救えなかったのだとしても。
負うべき『魔幇』の責任から一時逃げたのだとしても。
私にとっては、世界を変えてくれた英雄だ。
負うべき『魔幇』の責任から一時逃げたのだとしても。
私にとっては、世界を変えてくれた英雄だ。
黒の少女が、小首をかしげる。
それはそうだろう。
突然そんなことを言われても、すぐに信じられるはずがない。
それはそうだろう。
突然そんなことを言われても、すぐに信じられるはずがない。
だから、私は、じりじりと目 艮竟の優勢に傾いていく演舞のような戦場に叫びかけた。
「張三!! 私はアンタの罪を知らない。
何をしてきたのかを知らない」
何をしてきたのかを知らない」
届け。
百年悔い続けたその気持ちを、私は理解できない。
だけど、私の中のアンタがどういうものかということだけは、届いてほしい。
百年悔い続けたその気持ちを、私は理解できない。
だけど、私の中のアンタがどういうものかということだけは、届いてほしい。
勝手に私が描いた幻想かもしれない。
けれど、私はそれに救われている。それを希望にしている。
それを伝えることくらいは、許してほしい。
けれど、私はそれに救われている。それを希望にしている。
それを伝えることくらいは、許してほしい。
「けど、アンタは! 今、私の目標だ! アンタみたいになりたい!
昔のアンタを知ってる誰かがどう言おうと! アンタは私のヒーローだ!」
昔のアンタを知ってる誰かがどう言おうと! アンタは私のヒーローだ!」
一瞬、張三の動きが止まった。
鋭く目 艮竟の古代青銅剣が、その隙を突く。
鋭く目 艮竟の古代青銅剣が、その隙を突く。
ガシィィィン!
地面を容易く引き裂く斬撃を受け止めたのは、張三をかばう様に身を投げ出した虹色の鎧、クラム・ハードシェルだった。
凄まじい音と衝撃を受けながら、その鎧には傷一つついていない。
凄まじい音と衝撃を受けながら、その鎧には傷一つついていない。
クラムはその空の鎧を震わせながら、張三に語りかける。
「ソレガシは、貴公の事情を知らぬ。
しかし、淑女の応援に応えるのは、東西を問わず英雄の誉れではないか?」
しかし、淑女の応援に応えるのは、東西を問わず英雄の誉れではないか?」
私からは、張三の表情は見えない。
「……ったく。人を、勝手に、英雄にするなよ」
しかし、その背が、筋が、体躯が、初めて出会ったときの、図太さを取り戻したように、私には見えた。
「……さっきの名乗りが不満そうだったな、後輩。
いいぜ、仕切り直しだ」
いいぜ、仕切り直しだ」
大きく、張三が息を吸う。
それが、距離が離れたここまで、聞こえた気がした。
声を発するその準備行為すら、太い。
それが、距離が離れたここまで、聞こえた気がした。
声を発するその準備行為すら、太い。
「我は鉄の杵より針を作り出す無謀。誰もが呆れる愚直の徒!
鉄を肉とし、鉄を骨とし、鉄を血とする、穿ちの針!
然るにこの身に刻む号、『钢铁构架』張三!」
鉄を肉とし、鉄を骨とし、鉄を血とする、穿ちの針!
然るにこの身に刻む号、『钢铁构架』張三!」
びりびりと大気を震わせる大音声。
その名乗りを目 艮竟が待ったのは、先達への敬意か、あるいは、特撮ヒーローの世界律を強要する少女の魔人能力によるものか。
その名乗りを目 艮竟が待ったのは、先達への敬意か、あるいは、特撮ヒーローの世界律を強要する少女の魔人能力によるものか。
「俺を『龍的遺灰』と言ったな。
大いに結構。灰は製鉄と不可分な産みの糧だ。
龍の骸から精錬され れた鉄の重み、存分に味わってもらう」
大いに結構。灰は製鉄と不可分な産みの糧だ。
龍の骸から
黒の少女の手に、力がこめられる。
恐怖ではなく、興奮によって。
恐怖ではなく、興奮によって。
「……うん。いいぞ! ヒーローの名乗りだぞ!
あのおじさんが! ヒーローなんだぞ!
それを助けた鎧さんも、ヒーローだぞ!!」
あのおじさんが! ヒーローなんだぞ!
それを助けた鎧さんも、ヒーローだぞ!!」
どこからともなく、勇壮な音楽が聞こえてくる。
何故聞こえてくるかに意味はない。
あまり詳しくない私でも知っている。
何故聞こえてくるかに意味はない。
あまり詳しくない私でも知っている。
だって、ヒーローの登場シーンには、BGMが流れてくる。
それが、この子の、この空間での『常識』なのだから。
それが、この子の、この空間での『常識』なのだから。
今ここに、二人のヒーローが承認されたことの証だ。
「いっぽちゃん! ヒーローを応援するよ! がんばれー!」
「がんばえー!!」
「がんばえー!!」
かくて、世界律により、目 艮竟に傾いていた天秤は再び拮抗する。
クラム・ハードシェルの不壊の虹剣が、始皇帝墳墓の青銅剣をバインドで受け、まるで金縛りのように絡め取り斬撃を阻む。
張三の掌打を鉄棍が変容した甲が覆い、八卦掌開祖の愛器が展開する絶対防壁を穿つ。
二人の動きが噛みあい、いくつかの有効打が目 艮竟に打ち込まれる。
しかし、目 艮竟は武器による優位性を失ってなお、転掌の名に相応しい円弧の身体運用で防衛圏を構築し、粘り強く戦った。
クラム・ハードシェルには打撃・斬撃が効かない。
故に「柔らかい」投げや極めの技で位置を御する攻撃で。
故に「柔らかい」投げや極めの技で位置を御する攻撃で。
張三には重心運用の技が効果が薄い。
故に「硬い」打撃や強力な斬撃で僅かずつにでも傷を刻む。
故に「硬い」打撃や強力な斬撃で僅かずつにでも傷を刻む。
この短時間で対象の特性を看破し、それぞれに応じた戦術を体現する応用力はまさに四天王に相応しい技量だ。
「なあ、騎士。『蚌』ってのは、二枚貝 だな!」
「然り――噛み合う対たる殻にて、鷸の嘴を挟んで離さぬものだ」
「然り――噛み合う対たる殻にて、鷸の嘴を挟んで離さぬものだ」
突然の張三の発言。
だが、そこに、クラム・ハードシェルは何かの意味を見出したようだった。
だが、そこに、クラム・ハードシェルは何かの意味を見出したようだった。
クラムが体当たりをするように、目 艮竟と張三の間に飛び込む。
その瞬間、
――魔人能力『鉄杵』
張三の鉄棍が形を変え、張三の全身を包み込んだ。
即ち、クラムとそっくりな、鎧の形を取って。
即ち、クラムとそっくりな、鎧の形を取って。
私は遅ればせながら二人の意図を理解し、鞄から取り出したグレネードを三人の戦いに向けて投擲した。
それは爆破を引き起こすことなく、濃い煙幕で三人を包み込む。
張三の能力では、鎧の形をクラムそっくりにすることはできても、七色の輝きは真似できない。
だが、煙幕の中であれば、その見分けをつけることは限りなく困難だ。
だが、煙幕の中であれば、その見分けをつけることは限りなく困難だ。
そして、どちらが張三でどちらがクラムかの判別がつきにくくなれば、目 艮竟の戦術の根幹、「柔らかい」技と「硬い」攻撃の使い分けが不可能になる。
「くっ……!? 小癪な!!!」
ここに、大勢は決した。
蜃の吐くような濃い靄の中。
クラムの虹の鎧は輝きを増し。
張三が模した鉄剣は光の軌跡を描く。
クラムの虹の鎧は輝きを増し。
張三が模した鉄剣は光の軌跡を描く。
二千年の歴史を持つ青銅の刃も、武の達人の技を帯びた圏刃も、「ヒーローvs悪の組織の幹部」という絶対の世界律を覆すには至らない。
遊色の不壊の刃と、無形の自在の鉄とがついに紀元前の刀身を破壊した。
「なんだこの力は……おのれおのれ!
だが、かくなる上は! せめて『魔幇』にとっての危険因子を刺し違えてでも!」
だが、かくなる上は! せめて『魔幇』にとっての危険因子を刺し違えてでも!」
目 艮竟はそう言うと、懐から一つの石を取り出した。
「グリーンランドで発掘された、ストロマトロライトの化石。
37億年の歴史を重ねた「史上最古の生物化石」だ。
その性質は、この星に酸素をもたらしたことによる環境の変容。
それを我が『越老越好』で最大まで強化すれば、超高濃度酸素の無差別充満により――」
「張三、『蒸三臭 』!」
37億年の歴史を重ねた「史上最古の生物化石」だ。
その性質は、この星に酸素をもたらしたことによる環境の変容。
それを我が『越老越好』で最大まで強化すれば、超高濃度酸素の無差別充満により――」
「張三、『
私はラテン店主から買い取ったゴーグルを装着し、フラッシュバンを投擲した。
「ぐあああ、目が! 目が!!!」
轟音と閃光が周囲を包む。
張三は『鉄杵』で作った鉄の繭で身を守り、クラム・ハードシェルはもとより目も耳もないのか、ほとんど影響を受けた様子がない。
張三は『鉄杵』で作った鉄の繭で身を守り、クラム・ハードシェルはもとより目も耳もないのか、ほとんど影響を受けた様子がない。
即興の符丁だったが、カリー・魔幣との闘いで張三が使った料理の名前で、私が五感を飽和させる武器を使うことを張三はきちんと読み取ってくれたらしい。
切り札であった石と、異形の圏が、左右からの攻撃によって目 艮竟の手から離れて宙を舞う。
かくて、武器を取り落し、悶絶する目 艮竟に、幕引きの一撃が放たれる。
避けがたい絶対の法則が、今まさに「悪の幹部」の役割を被された目 艮竟に牙を剥く。
避けがたい絶対の法則が、今まさに「悪の幹部」の役割を被された目 艮竟に牙を剥く。
「いけー! ヒーロー!!」
「絶招――」
「我が剣の煌めきに――」
「絶招――」
「我が剣の煌めきに――」
騎士が躊躇なく剣を振り下ろす。
張三の鉄棍が八つ蛇となって喰らいつく。
張三の鉄棍が八つ蛇となって喰らいつく。
「――『鉄杵磨成八卦蛇』!」
「――貴婦人の雪魄氷姿たるを見るがいい!」
「――貴婦人の雪魄氷姿たるを見るがいい!」
二人の「ヒーロー」の攻撃を受け、
「無駄だ! 私を倒そうと、『魔幇』の刺客はいくらでもやってくる!
クラム・ハードシェル! 張三! 貴様らに安息はない! ぐあああああ!」
クラム・ハードシェル! 張三! 貴様らに安息はない! ぐあああああ!」
斬撃を受けたにも関わらずなぜか爆発を起こし、目 艮竟は跡形もなく消え去った。
9.『在摇滚不笑 』――目 艮竟
『魔人武器购物街 』。
その設立には、ある一人の魔人が関与している。
その設立には、ある一人の魔人が関与している。
たとえば、封神演義の仙人の宝具。
三国志演義の武将が振るう蛇矛に青龍偃月刀。
英雄 には、それに見合う武器が必要だ。
ならば、英雄の集う組織は、武器の職人を保護するべきだろうと。
三国志演義の武将が振るう蛇矛に青龍偃月刀。
ならば、英雄の集う組織は、武器の職人を保護するべきだろうと。
その少女の一声で、この地は『魔幇』にとっての特区になったという。
永遠少女。
チャイニーズマフィア魔幇首魁、『魔幇統府 』果成いっぽ。
チャイニーズマフィア魔幇首魁、『
張三とクラム・ハードシェルが立ち去った後、工房通りで最も古い倉庫で、『魔幇』の幹部である二人は、相対していた。
彼女の謎の能力によって、致命傷に近い攻撃をクラム・ハードシェルと張三から受けたにも関わらず、目 艮竟は生きていた。
対数刻前の無垢な少女然とした様子とは一転、果成いっぽは超然とした風情で目 艮竟を見据えた。
表向き、彼女は「ヒーローを目指す子供であり続けるための不老能力者」だとされている。
しかし、どこからともなく虚空に流れるBGM、攻撃手段によらぬ攻撃対象の爆破など、それだけでは説明できない現象が彼女の周囲では発生している。その権能の範囲・限界は伺い知れない。
現実と「ヒーローごっこ」の法則を曖昧にするということこそ、その能力の本質ではないかと、目 艮竟は分析した。
しかし、どこからともなく虚空に流れるBGM、攻撃手段によらぬ攻撃対象の爆破など、それだけでは説明できない現象が彼女の周囲では発生している。その権能の範囲・限界は伺い知れない。
現実と「ヒーローごっこ」の法則を曖昧にするということこそ、その能力の本質ではないかと、目 艮竟は分析した。
まさに、魔幇首魁の一とされるに相応の存在だ。
いっぽの菩薩像めいた穏やかな表情と、顔立ちに似合わぬ母性が不気味な威圧感を放つ。
『魔幇』の四天王である彼をして、本能的な恐怖が背筋を走る。
それでも声を震わせないのは、彼の矜持と、それ以上に、生きた歴史と語らう知的好奇心が故だった。
それでも声を震わせないのは、彼の矜持と、それ以上に、生きた歴史と語らう知的好奇心が故だった。
「手間をかけたね、目 艮竟。
僕 の趣味に付き合ってもらって、助かったよ。
多少芝居がかっていたが、ヒーローを引き立てる、いい悪役ぶりだった。
君の美学に反する言動をさせたことは申し訳なかったね」
「もったいないお言葉。
私も、個人的な知的興味が満たせましたので、お気になさらず」
「しかし、大戦持A子といい、林 希美といい、この魔都も捨てたものではないね。
『こども』を守ろうという気概のある、世界の敵の敵がいる」
「『魔幇』が、世界の敵だと?」
「世界の敵はどこにでもいるよ。『魔幇』の中にも、外にもね」
多少芝居がかっていたが、ヒーローを引き立てる、いい悪役ぶりだった。
君の美学に反する言動をさせたことは申し訳なかったね」
「もったいないお言葉。
私も、個人的な知的興味が満たせましたので、お気になさらず」
「しかし、大戦持A子といい、林 希美といい、この魔都も捨てたものではないね。
『こども』を守ろうという気概のある、世界の敵の敵がいる」
「『魔幇』が、世界の敵だと?」
「世界の敵はどこにでもいるよ。『魔幇』の中にも、外にもね」
果成いっぽは、泡が弾けるように呟いた。
「それより、目 艮竟。
僕は君の、歴史家としての意見を聞きたいな。
君は、クラム・ハードシェル……否、それが守っている『貴婦人 』が記録していた光景から、何を読み取ったのかな?
僕は君の、歴史家としての意見を聞きたいな。
君は、クラム・ハードシェル……否、それが守っている『
抜け目ない君のことだ。
クラム・ハードシェルを誘導して、『麗人』を見つけるまでうまく回り道をして、何度か蜃気楼の記録をループさせて隅々まで観察したんだろ?
クラム・ハードシェルを誘導して、『麗人』を見つけるまでうまく回り道をして、何度か蜃気楼の記録をループさせて隅々まで観察したんだろ?
君とクラムが出会ってからの時間を考えると、あの百年前の光景を三巡くらいは観察できた んじゃないか。
君ならば、いろいろとわかったこともあるだろう?」
「それでは、お耳汚しながら、拙論を申し上げましょう。
1925年5月30日、『魔幇』が完成した背景には、二つの要因があった。
君ならば、いろいろとわかったこともあるだろう?」
「それでは、お耳汚しながら、拙論を申し上げましょう。
1925年5月30日、『魔幇』が完成した背景には、二つの要因があった。
一つ目の要因は、この国の王権証器 、『麒麟の涙』の統合。
あの時点で、『麒麟の涙』の欠片は、『魔幇』運動のリーダーである張无忌と、清王朝の末裔である姫君――仮に、蜃麗人、と呼びましょうか。の、二人だけだった。
それ以外の候補者は、『魔幇』のとある人物の暗躍によって排除されていたから。
あの時点で、『麒麟の涙』の欠片は、『魔幇』運動のリーダーである張无忌と、清王朝の末裔である姫君――仮に、蜃麗人、と呼びましょうか。の、二人だけだった。
それ以外の候補者は、『魔幇』のとある人物の暗躍によって排除されていたから。
そして、1925年5月30日、彼女を守る客分の騎士が『魔幇』の張三と戦っている最中に、蜃麗人は、殺された。
これにより、『麒麟の涙』継承候補者は、張无忌のみとなり、『麒麟の涙』は完成した。
王権証器 はこの国の王として、張无忌を承認した。
これにより、『麒麟の涙』継承候補者は、張无忌のみとなり、『麒麟の涙』は完成した。
二つ目の要因は、張无忌の死亡。
租界におけるデモ衝突の中、突然発生した租界側の発砲を原因とする暴動により、『魔幇』運動のリーダー、張无忌は仲間を庇って死亡した。
それが、英雄的な最期であったことから、『魔幇』運動活動のメンバーの団結は強まり、彼亡き後の組織設立の礎となった。
租界におけるデモ衝突の中、突然発生した租界側の発砲を原因とする暴動により、『魔幇』運動のリーダー、張无忌は仲間を庇って死亡した。
それが、英雄的な最期であったことから、『魔幇』運動活動のメンバーの団結は強まり、彼亡き後の組織設立の礎となった。
張无忌の死亡が、『麒麟の涙』の統合の直後であったことにより、王の証は、張无忌という正規の継承候補者の手にではなく、彼の後継者である『魔幇』の头目 の手に渡った。
これが、『魔幇』百年の存続に大きく寄与した形になる。
これが、『魔幇』百年の存続に大きく寄与した形になる。
この二つが起きたタイミングは、あまりにも出来すぎています。
蜃麗人を殺し、『麒麟の涙』を完成させ、しかる後に張无忌の死を演出する。
そんな図を描いた者がいる。
そんな図を描いた者がいる。
蜃麗人は自らを殺した者への間接的な反撃として、1925年5月30日の光景を、王権証器 としての権能を失った『麒麟の涙』の欠片を媒介として記録したのでしょうな」
目 艮竟の推論に、果成いっぽは静かに耳を傾けた。
『魔幇』の一員にとって、張无忌は、身を挺して組織の礎を為した英雄だ。
それが、『魔幇』設立のための謀略で殺されたなど、到底認められる仮説ではない。
『魔幇』の一員にとって、張无忌は、身を挺して組織の礎を為した英雄だ。
それが、『魔幇』設立のための謀略で殺されたなど、到底認められる仮説ではない。
だが、果成いっぽの表情に驚きはなかった。
「それで? 君は、その下手人は誰だったと思う?
誰がそれで得をするかと考えれば、头目 ということになるわけだが」
「いいえ。头目 は当時、『魔幇』運動の中核にはおりません。
張三を蜃麗人の護衛である鎧騎士にぶつけ、蜃麗人と張无忌の守りを手薄にする両得の策を取れる立場にはなかった。
誰がそれで得をするかと考えれば、
「いいえ。
張三を蜃麗人の護衛である鎧騎士にぶつけ、蜃麗人と張无忌の守りを手薄にする両得の策を取れる立場にはなかった。
しかし、
蜃麗人と張无忌を殺し、『麒麟の涙』を『魔幇』という組織に捧げた者。
それは、カリー・魔幣、張无忌と並ぶ『破幣連盟』の一にして、『魔幇』最古参幹部。
それは、カリー・魔幣、張无忌と並ぶ『破幣連盟』の一にして、『魔幇』最古参幹部。
――『七鴉翁』であると、私は考えます」
言い終える刹那、果成いっぽの手が一閃し、目 艮竟の胸を貫いた。
引き抜かれたその細い指の間で、『蟲』が身をよじらせる。
引き抜かれたその細い指の間で、『蟲』が身をよじらせる。
あと一秒遅ければ、目 艮竟の臓腑を喰らったであろう、『魔幇』の首輪。
少女は無慈悲にそれを押しつぶすと、目 艮竟の傷口に手際よく応急処置を行う。
少女は無慈悲にそれを押しつぶすと、目 艮竟の傷口に手際よく応急処置を行う。
「君の覚悟は見せてもらったよ。
君はまだ、はじまりの憧れを持ち続けているのだね」
君はまだ、はじまりの憧れを持ち続けているのだね」
激痛に苛まれながら、それでも目 艮竟は満足げに笑った。
「……歴史を、過去の積層を、私は尊いと考えます。
生の輝きと闇の継承。語り継ぐことで無為にしないこと。
そんな生き方が、私のありたいと思う姿です。
その中で、『魔幇』が正しいと思ったから、私はその歴史を支持した。
小悪は内包せども、大悪を廃するための機構だと思ったから。
意味を変えて伝えるのはいい。けれど、歴史を歪め、事実と異なる形で伝えるのであれば、これより『魔幇』は私の敵です。
生の輝きと闇の継承。語り継ぐことで無為にしないこと。
そんな生き方が、私のありたいと思う姿です。
その中で、『魔幇』が正しいと思ったから、私はその歴史を支持した。
小悪は内包せども、大悪を廃するための機構だと思ったから。
意味を変えて伝えるのはいい。けれど、歴史を歪め、事実と異なる形で伝えるのであれば、これより『魔幇』は私の敵です。
私を裏切者として処罰しますか?
魔幇首魁、『魔幇統府 』果成いっぽ様」
魔幇首魁、『
果成いっぽは、首を横に振る。
「君は、世界の敵じゃないよ、英雄 。
僕が戦うのは、始まりの熱を、憧れを忘れてしまった者たちだ」
「たとえば、張三のような?」
「……アレは、「忘れてしまった」んじゃない。「忘れようとした」だけだ。
だから、少しお節介を焼いた」
僕が戦うのは、始まりの熱を、憧れを忘れてしまった者たちだ」
「たとえば、張三のような?」
「……アレは、「忘れてしまった」んじゃない。「忘れようとした」だけだ。
だから、少しお節介を焼いた」
果成いっぽの伝説を、歴史を、目 艮竟は一部しか知らない。
だが、头目 にも、張三にも劣らぬほど長い時を生きるものだということは理解している。
歴史の真実を求める者として、目 艮竟はその恐怖の向こう側に透ける帝王学 が知りたいと思った。
だが、
歴史の真実を求める者として、目 艮竟はその恐怖の向こう側に透ける
「貴女はこれから何を目指すのですか?
張三のように『破幇』を目指すのか。
それとも、头目 に成り代わるのか。
あるいは、七鴉翁の罪を暴くのか」
張三のように『破幇』を目指すのか。
それとも、
あるいは、七鴉翁の罪を暴くのか」
その問いに、果成いっぽは、笑顔とも泣き顔ともつかない左右非対称な複雑な表情を浮かべた。
「僕はね、ただ、英雄 を目指しているだけなんだ」
10.『即将消逝的月光 』――林 希美
「……おい。大丈夫か?」
「Oh、涙と鼻水じゅるじゅるNE!」
「だい゛じょう゛ぶ……」
「Oh、涙と鼻水じゅるじゅるNE!」
「だい゛じょう゛ぶ……」
張三と武器工房街のラテン店員さんを前に、とりあえず強がってみる。
けれど、声が震えるのが止められない。
嗅覚はとうに麻痺して、粘膜に対するダイレクトアタックが突き刺さっている。
けれど、声が震えるのが止められない。
嗅覚はとうに麻痺して、粘膜に対するダイレクトアタックが突き刺さっている。
目 艮竟との闘いの後、私は、ラテン店員さんと張三を連れて張三行きつけの貧民街の屋台に駆け込み、張三の好物を前に覚悟を決めていた。
つまり「臭菜」。
発酵食品を中心とした、とにかく臭い料理全般だ。
発酵食品を中心とした、とにかく臭い料理全般だ。
なんというか、全体的に茶色い。
そして、とにかく臭い。というか痛い。
辛さは痛覚を味覚に誤認した感覚だと何かで聞いたことがあるが、これもその同類のような気がする。
そして、とにかく臭い。というか痛い。
辛さは痛覚を味覚に誤認した感覚だと何かで聞いたことがあるが、これもその同類のような気がする。
「いや、無理するなって。泣いて」
「泣いでないじ。汗だじ」
「知ってるWA! これ『武士は食わねど高楊枝 』でShow!」
「泣いでないじ。汗だじ」
「知ってるWA! これ『
外野のガヤはさておいて、見ているだけでは始まらない。
まず、皿に盛られた茶色い塊を箸でつまみ上げる。
まず、皿に盛られた茶色い塊を箸でつまみ上げる。
見た目は、ほうじ茶がしみ込んだ厚揚げという感じ。
なのだが……匂いは、もう完全に、洗い忘れて数日放置した雑巾という感じ。
なのだが……匂いは、もう完全に、洗い忘れて数日放置した雑巾という感じ。
干煎臭豆腐……発酵液につけた豆腐を干して揚げたもの……らしい。
辣油を載せて、息を止めて口に運ぶ。
辣油を載せて、息を止めて口に運ぶ。
……あれ?
なんだ、これ?
なんだ、これ?
脳が理解を拒む。
まずい……わけではない。
ただ、あまりにも嗅覚と味覚に感じる刺激が乖離しているのだ。
まずい……わけではない。
ただ、あまりにも嗅覚と味覚に感じる刺激が乖離しているのだ。
嗅覚は相変わらず衛生的な意味での危険信号を最大音量で鳴らしている。
それなのに、味覚は、濃厚な滋味だと反応している。
似ているのはチーズ。
けれど、もっと塩味は穏やかで植物性のまろやかな旨味が広がる。
似ているのはチーズ。
けれど、もっと塩味は穏やかで植物性のまろやかな旨味が広がる。
「……なるぼど」
しっかりと咀嚼し、飲み込む。
これが、張三の好物。
なるほど。はまる人がいるのはわからなくもない。
これが、張三の好物。
なるほど。はまる人がいるのはわからなくもない。
でも、これを初めて食べた人類はすごいと思う。
フグの肝を味噌漬けにして食べられることを確かめた人くらいすごい。
フグの肝を味噌漬けにして食べられることを確かめた人くらいすごい。
あまりの刺激臭に鼻水で鼻がつまる。
それで嗅覚が少し鈍くなっているのをいいことに、私は本丸に目を向けた。
それで嗅覚が少し鈍くなっているのをいいことに、私は本丸に目を向けた。
鍋で湯気を立てているのは、蒸三臭。
カリー・魔幣の超反応を無効化した、臭菜の中でも最強のシロモノ。
カリー・魔幣の超反応を無効化した、臭菜の中でも最強のシロモノ。
発酵液につけた豆腐……『臭豆腐』と、水分を抜いて発酵させた豆腐……『霉千張』、そして、ひゆ菜という葉っぱにカビ付けをして発酵させた『霉苋菜梗』という、臭菜界のトップスリーというべき食材を、さらに、臭菜の調理法として最も匂いを引き立たせる「鍋で煮る」という形で一つにした、なんというか、最初に考えた人の正気を疑うリーサルウェポンだ。
小皿に、三つの食材と煮汁をとりわけ、まず臭豆腐から口にする。
これは、さっきの揚げたものに近い。匂いはきついが、味はびっくりするほど濃厚でやさしい味の植物性チーズという感じだ。
次に、霉千張。
これは、さっきの揚げたものに近い。匂いはきついが、味はびっくりするほど濃厚でやさしい味の植物性チーズという感じだ。
次に、霉千張。
「……っ!?」
すごい。これは、食べてもいいモノなのか。
もし、何も知らない状態でこれが出てきたら、多分即吐き出してお店に文句を言っていたと思う。
それくらい、普段の食事の中で味わうことのない食感だった。
もし、何も知らない状態でこれが出てきたら、多分即吐き出してお店に文句を言っていたと思う。
それくらい、普段の食事の中で味わうことのない食感だった。
なんというか、ぬたぁ、ぬたぁ、というぬめる感触が口の中に広がる。味は臭豆腐のような感じだが、その粘液めいた食感がとにかく、毒性的な意味で大丈夫なものなのかという不安をかきたてて仕方がない。
最後に、霉苋菜梗。
野菜系だったら、まあ食べにくいにしても限度があるだろうと思っていた頃が私にもありました。
食感は例えるならば、甘くないにゅるにゅるしたサトウキビの茎。
野菜系だったら、まあ食べにくいにしても限度があるだろうと思っていた頃が私にもありました。
食感は例えるならば、甘くないにゅるにゅるしたサトウキビの茎。
脳内で鳴り響くエマージェンシー。
けれど、決めたのだ。私が決めて、私が注目したのだ。
まずは、食べてみる。
知らない、では済ませないと。
けれど、決めたのだ。私が決めて、私が注目したのだ。
まずは、食べてみる。
知らない、では済ませないと。
味わう。
最初に受けた衝撃に、思考停止しない。
その背景を、その文化を、その思考を、想像する。
最初に受けた衝撃に、思考停止しない。
その背景を、その文化を、その思考を、想像する。
熱を、匂いを、それが心地いものでなかったとしても、感じ取る。
「……ごちそうさまでした」
「お、おう」
「Wow! 完食Death!」
「お、おう」
「Wow! 完食Death!」
時間をかけて全てを食べきり、私は、盛大に鼻をかんで、そして、ラテン店員さんを見た。
彼女は、私を励ますように、笑って親指を立ててくれた。
彼女は、私を励ますように、笑って親指を立ててくれた。
「……張三」
「ん」
「私は、アンタの同盟相手だよね」
「お、おう」
「だから、アンタのことを知りたい。
アンタが好きなものは食べてみたいし、アンタが目指しているものをわかりたいし、アンタがしてきたことも、できれば知りたい。
もちろん、全部を受け入れるとか言えないけど。
もうちょっと色々とアンタのことを教えてよ」
「ん」
「私は、アンタの同盟相手だよね」
「お、おう」
「だから、アンタのことを知りたい。
アンタが好きなものは食べてみたいし、アンタが目指しているものをわかりたいし、アンタがしてきたことも、できれば知りたい。
もちろん、全部を受け入れるとか言えないけど。
もうちょっと色々とアンタのことを教えてよ」
ラテン店員さんと、屋台の御主人が口笛を吹く。
蜃気楼の中で過去の光景を見て、私は、張三の背負っているものの欠片を見た。
蜃気楼の中で過去の光景を見て、私は、張三の背負っているものの欠片を見た。
『じゃあ、組織、潰すか』
出会った日の、張三の言葉。
その何気ないように聞こえた一言の背景にあるものの重さを、私は全然知らない。
そのことを、思い知らされた。
その何気ないように聞こえた一言の背景にあるものの重さを、私は全然知らない。
そのことを、思い知らされた。
私は小娘で、まだそんなに強くなくて、生きてきた歴史も浅い。
だからこれは、ただのわがままだ。
無意味なこだわりだ。
だからこれは、ただのわがままだ。
無意味なこだわりだ。
けれど、私は魔人。
私は『飢鬼』。
飢えに反応して、狂暴になる鬼。
私は『飢鬼』。
飢えに反応して、狂暴になる鬼。
私は今、飢えている。
飢えとは、希求だ。
生きるために必要なものを求める欲求だ。
飢えとは、希求だ。
生きるために必要なものを求める欲求だ。
だから、これは、飢えなのだ。
しばらく真正面から向かい合い、先に目を逸らしたのは、張三の方だった。
しばらく真正面から向かい合い、先に目を逸らしたのは、張三の方だった。
「面白い話はないぞ」
「いい」
「長い話になるぞ」
「大丈夫」
「いい」
「長い話になるぞ」
「大丈夫」
わざとらしいため息をつき、張三は屋台の奥の主人に大声で呼びかけた。
「……おい、白酒あるだけもってこい! 素面で話せるか!」
「あなたすごいNE! アターシもここまで持ち込めなかったWA!」
「あなたすごいNE! アターシもここまで持ち込めなかったWA!」
ラテン店員さんが、ばんばんと私の背中を叩いた。
さあ、聞き届けよう。
情けない話もあるだろう。
認めがたい話もあるだろう。
苦しい話もあるだろう。
聞くに堪えない話もあるだろう。
認めがたい話もあるだろう。
苦しい話もあるだろう。
聞くに堪えない話もあるだろう。
けれどそれは全て、必要なことだ。
私の同盟相手 を、一人にしないために、必要なことなのだ。
私の
11.『锈坏的巴比伦 』――目 艮竟
「ああ、いっぽ様。一つ、気になったことが」
「なんだい?」
「あの、張三ですが。本当に、あの、張三■なのですか?」
「というと?」
「彼は、私の『越老越好』で、身体強化の恩恵を受けていなかった。
……実体のない、クラム・ハードシェルと同じように。それは即ち――」
「なんだい?」
「あの、張三ですが。本当に、あの、張三■なのですか?」
「というと?」
「彼は、私の『越老越好』で、身体強化の恩恵を受けていなかった。
……実体のない、クラム・ハードシェルと同じように。それは即ち――」
目 艮竟の仮説に、果成いっぽは、小さく肩をすくめた。
「それは当然さ。
アレの名乗りを聞いただろう?
彼は、『钢铁构架』。
この魔都にそびえ立つ、一基の錆びた塔なんだから」
アレの名乗りを聞いただろう?
彼は、『钢铁构架』。
この魔都にそびえ立つ、一基の錆びた塔なんだから」