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ダンゲロスSS上海
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ダンゲロスSS上海

最後に立つのは、狐か虎か。

最終更新:

dangerousss_shanghai

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はじめに


本作は以下のSSの結果に準拠した作品となっております。
一読いただけますと幸いです。

なお、一部のキャラに限り、本作限りの設定・性格となっております。

+ 現在の状態と採用する設定
■劉炎嵐
────だからこれは、燃え滓の物語
カメラを前に魔幇に対して喧嘩を売ってしまった。魔幇の首領、五爪の翁は炎嵐を敵と見定める。

■拳狐
陰と陽
海圻と協力しグランドスラムにて魔幇と対峙。魔幇四天王の一人、陽堂堂を殺害。


■郭 亀岩
■双喜
EP2.黑闇劍の執行者
タオマオは清王朝のダイヤの輝きにより生み出された人造生物【ウーズ】であった。人でなしの人造生物同士、双喜と意気投合。祭りの最終日に双喜の身体をタオマオに譲ることを条件に協力関係になり郭 亀岩(カク グイェン)の元から去る。


■白髪黒羽
────だからこれは、燃え滓の物語
屋台街にて劉炎嵐とタイマンをし敗北。


■死神
────だからこれは、燃え滓の物語
屋台街にて劉炎嵐とタイマンをし敗北。自身に借金を負わせ、暴利を貪る“何か”を打破しようと決意。

■喬芽芽
時間がないので無題ということで
貧民街の激戦を勝利。依頼人のカルミアとジャニスは協力関係を結ぶことになった。

■張三
『蜃気楼』
魔人武器工房通りの激戦を制する。
過去百年に及ぶ魔幇の設立の歴史と大きくかかわりがあるようだが、彼の肉体は果たして実在の人間の物なのか?

■透明ワニ
ペインフル・メモリーズ
監獄を崩壊させる。
両親の仇を討つべく突き進んでいる。

■採用ボスNPC
五爪の翁
上海天子
七鴉翁
飛星


■下山師匠と「きみ」
採用SS無し。
採用SS、無し!


わたしとかね?はぅはっはー!
わたしの世界に準拠したら上海は大気圏突入バーニング!
いくらわたしとて、節度はわきまえてるからね。好き勝手やるのは自分の世界まで、さ。

「師匠、どなたに話しかけてるんです?」

馬鹿騒ぎに律儀に付き合ってくれた愛すべきお馬鹿さんたちにさ!




■■■




ズン ズン ズン
ギリ ギリ ギリ
ミチ ミチ ミチ

空気が軋む。
怒りの熱が世界を包む。
その一歩一歩が大地を乱暴に踏みしめる。

進むのは红虎(ホン・フー)劉 炎嵐(リュウ・ホェンラン)

【魔幇大首領】五爪の翁は彼の拳の前に倒れた。

【強欲礼賛】双喜も、
【玄武甲】郭 亀岩も、
【万事屋】白髪黒羽も、
【幻霊天狗】下山師匠も、彼の前には立っていない。

もはや、彼の前に立つものは誰もいない。


────ただ一人、拳狐(チュアンフー)を除いて。




霏々として雪が降る。
そんな空気感のする、静かで冷たい拳気を放つ男だった。
頭頂の毛から足の指先まで。
自身の身体を完全にコントロールしている、そう思わせる所作の男だった。

進むのは拳狐と呼ばれる男。名は誰も知らない。

【魔幇老隗】七鴉翁は彼が葬った。

【钢铁构架】張三も、
【復讐哀憐】恋辻メーメーも、
【上海的都市伝説】死神も、
【太可愛了】喬芽芽も、彼の前には立っていない。


もはや、彼の前に立つものは誰もいない。


────ただ一人、劉炎嵐を除いて。


互いが拳を振るう相手は、もはや目前の格闘者のみ。
両者は一つ息を吸うと、構えをとり、告げた。



「俺は红虎(ホン・フー)、名は劉 炎嵐(リュウ・ホェンラン)。理はなく。由はなく。燃える虎として、ただお前を殴り飛ばす」


(おれ)は武人、名は拳狐(チュアンフー)。遺恨はなく。過去もなく。ただ在る一匹の獣として、お主を噛み殺す」



長い上海の戦いを勝ち抜いた二人の武人が、拳をぶつけあう。
上海大賽最終戦がついに始まるのであった。



◇ ◇ ◇

最後に立つのは、狐か虎か。

◇ ◇ ◇





────物語の時間は、少しばかり巻き戻る。





劉炎嵐の事務所。
決して狭くはない事務所であるが、その日ばかりは手狭に感じられた。
上海の名だたる解決屋たちが集っていたからだ。

張三と林希美。
海圻と金剛シグリ。
喬芽芽とカルミア・チャムリー。
槌唄塔也と倉森七歌と浅村育美。
ギャラハッド・ソネット。
死神。

それだけでなく【万事屋】白髪黒羽も控えていた。

「流石に狭いなオイ…」

いつものように苛立ちを隠しもせずボヤく炎嵐に、海圻が返した。

「文句言うなよ、红虎。“こう”なったのはあんたが切っ掛けなんだ。場所くらい提供しろ。」


劉炎嵐による上海全土に轟いた魔幇への宣戦布告。
それは絶大な影響をもって広まった。
炎嵐が上海随一の解決屋ということが良くも悪くも大きく働いた。

勿論炎嵐としては個人の宣戦布告のつもりであったが、血の気の多い魔幇の末端構成員は解決屋に泥を塗られたと解釈し、目についた木っ端の解決屋に喧嘩を吹っかけた。
木っ端の解決屋と言えど黙って殴られるわけではない。当然の様に反撃をする。

敗れた魔幇、もしくは解決屋は別の同業に助けを求め、報復をし報復をされ…あっという間に対立は深まった。


劉炎嵐の宣戦布告は、【解決屋が魔幇に喧嘩を売った】という構図になってしまったのだ。


「俺も、塔也も、ギャラハッドも、張の旦那も、個々の理由もあるが完全に魔幇とやりあう羽目になっちまったんだぞ」

「うぐ…それはすまねぇ…考えが足りなかった…」

素直に反省をする炎嵐に、張三が言葉を続ける。

「まぁ、気にすんな。どの道俺は魔幇とは一戦構えるつもりだったんだ。海圻にせよ、ギャラハッドにせよ、本当に迷惑だと思ったならここに来てはいないだろ」

張三の言葉に応えるように海圻は顔を崩した。

「まぁな!正直、魔幇には色々溜まってたんだ。あれだけ気持ちよく啖呵を切ってくれたなら…乗らない手はないってな」

上海を駆ける解決屋であれば誰もが一度は遭遇するジレンマ。
人々のために依頼を受けながらも、諸悪の根源である魔幇との衝突を避ける矛盾。
そこに切り込んだ炎嵐に敵対する解決屋はいなかった。

海圻の支援宣言に他の解決屋も笑顔で頷く。
喬芽芽だけは「面倒臭いことに巻き込んで、後で何かをおごりなさいよね?」という顔を隠しもしなかったが。でも可愛い。

こうして集った有力な解決屋たちは協力して魔幇に挑むことを誓い、それぞれの情報を交換した。張三と林希美の『破幇同盟』は七鴉翁を狙っていることも語った。







「…で、なんでお前もここにいるんだよ?」

炎嵐は思い出したように白髪黒羽に声をかけた。
【万事屋】白髪黒羽はいたずらっぽく笑った。

「ん~、红虎がさぁ、戦い以外の脇が結構甘いから心配になってさぁ~。アンタ、こういうあたり雑だろ?」

そういうと白髪黒羽は手元からダイヤを煌めかせた。
炎嵐の拳にあるはずのダイヤだった。

「??!ちょっと待てどうやって??」

困惑する炎嵐に、呆れたように白髪黒羽が続ける。

「やっぱりね。アンタ、ダイヤについて興味が薄すぎるんだよ…皆が血眼になってるダイヤについてあんま考えなかったろ?我が親友(モナミ)だったら呆れて文句を1ダースはひねり出しているぜ?」


白髪黒羽いわく…
炎嵐がもつ清王朝のダイヤは紛れもなく本物であるが、あくまでダイヤの【一部】であるというのだ。炎嵐が持つダイヤ。白髪黒羽が持つ時限爆弾のエネルギー源として使われていたダイヤ。金剛シグリと一体化したダイヤ…今上海全土に散らばるダイヤはすべて本物であり、すべてが集まった時に願いを叶えうる逸品として顕現するらしい。

「アタシと我が親友(モナミ)にかかればこのくらいは調べられるってね。で、ダイヤはある程度意思に呼応する…アンタだって意志で拳に収納したりしてたろ?アタシが持っているダイヤで外部から呼応させて盗らせてもらったって寸法さ」

殺気を漏らした炎嵐の先手を打つように白髪黒羽が告げる。

「おおっと。別にここで一戦構えたいからこんな話したわけじゃねぇよ!最後まで話を聞けって!」

白髪黒羽いわく、ダイヤはあらかた見つかっていて統合は近い。
白髪黒羽自身にはダイヤに捧げる願いはなく、ダイヤを手に入れることが出来たという土産話があればそれでいい。

魔幇を倒し、上海大賽の優勝者が決まったなら、白髪黒羽が優勝者にダイヤをプレゼントする様を放送してほしいのだそうだ。


「…いや…魔幇倒せるか分からねぇし…というか俺が優勝するかも分からんし、ダイヤの統合も…」

混乱する炎嵐の耳に、澄み切った声が響いた。

「そこで己の出番というわけだ」

「うおぉぉぉ!!?」

音もなく傍らに現れた拳狐。
完全に油断していたことを炎嵐が反省する間もなく拳狐は懐からダイヤを煌めかせた。

「縁あって己もダイヤの一部を所持していてな。これと、白髪黒羽の持つダイヤと、金剛シグリについたダイヤ。これで清王朝のダイヤは完成する…上海大賽、残るは己とおぬしのみ。魔幇を潰したら、然るべき場所で上海大賽の決勝といこうではないか。勝ったものがダイヤを総取り、願いを叶えればよい」

状況の整理を炎嵐がしているとき、相棒である電梟(デンシャオ)王双葉(ワン・シャンイェ)の声がモニタ越しに響いた。


『…一つ疑問があるんだよねぇ。どうしてこのダイヤを巡る宴は10日間だったの?白髪黒羽さんの話す理屈が正しいなら、期限はないはずじゃない?だったらこのタイミングでなくても願いを叶えるダイヤの奪い合いが起きてたはずじゃない?』


「それは簡単な話さ。金剛シグリに憑いたダイヤ。あれは適応者がいないと顕現しない特殊なダイヤだったんだと。そうでなきゃとっくに表に出ていたはずだからね。で、金剛シグリが上海旅行に来る期間がこの10日間だった。だからダイヤ統合のための宴の期間は“仮で”10日間に定められたって話」

白髪黒羽の一見理屈だった話に炎嵐は即座に異を唱える。

「いやいやおかしいだろ?どうやって適合者が上海に来ることが前もって分かっていたんだよ?」

炎嵐の当然の疑問に、白髪黒羽ではなく張三が答えた。


「未来を読んだ…のだろうな。魔幇にはそういうのが得意な大幹部がいる。未来を見通す占い師、飛星(フェイシン)…奴が動いてるとなると、手ごわいぜ」




■■■



上海某所。

魔幇のアジト。
紫煙が漂う薄暗い一室には、魔幇の主と大幹部が向かい合っていた。

強烈な威圧感を漂わせる巨漢の老人、首領、五爪の翁。
対照的に酷く皺だらけで小さいが古代樹木のような、大幹部、七鴉翁。

翁はつまらなそうに煙を吐いて言った。


「…七つの。解決屋の件、思ったより長引きそうじゃのう…」

「…五つの。解決屋は魔幇より少ないが個々の実力が高く…何より団結力が高い。魔幇の幹部か四天王をぶつけなくては取れぬが、うちの奴らは団結心という点では劣るからのう…」

翁はつまらなそうに眉を歪めると、何でもないことの様にむちゃくちゃなことを言った。

「なれば、団結させなければよい(・・・・・・・・・・)。────上海天子を呼べ。」

上海天子。自身に関する噂を事実にする能力『积沙成塔』の使い手である。
対象となる噂は「観光客なども含む上海市内に存在する人間の過半数が信じているもの」に限る。
一度五爪の翁に反旗を翻したが返り討ちに合い、翁の忠誠心を植え付ける能力『龍飛九天:雲従其志』により命令を聞く人形と化している人物であった。



「おうおう、よく来た上海天子よ。いつもありがとうのう。儂のために【もう一つの】魔幇を維持してくれて。」



これが魔幇盤石の秘密。
上海を百年以上牛耳る組織、魔幇の主は五爪の翁であるが、
上海天子は【自分を主とする全く同名の】組織を立ち上げ、その噂を広めることで魔幇を煙に包まれた組織にしていたのだ。

上海天子の管理する方の魔幇は組織とは名ばかりの上海天子しか属さない組織であるが…
  • 魔幇とは上海を支配するチャイナマフィアの上部組織である。
  • 魔幇の首領は上海で最も強い。
  • 魔幇の首領は上海で最も恐ろしい。
  • 魔幇の全貌を知るのは首領のみ。
  • 魔幇の首領の素性を知る者はいない。

『积沙成塔』により広がる噂は二つの魔幇を混在させ、上海の人々の意識をしたたかにかき乱していた。


「上海天子よ…噂を追加するのじゃ。【魔幇が上海を守っているから皆安心。何に挑む必要もない】【ダイヤは魔幇の主の物であり、手を出す必要はない】、とな…」

「…はい…ワカリマシタ…仰せのままに…」

もはや機構と化した上海天子は首振り人形のように翁の言葉に従った。

「さて、噂を固めるためには…七つの。お主にも動いてもらおう。あとは飛星を呼べ」

魔幇大幹部、七鴉翁の能力は『七つの仔』。
魔幇に属する者の魔人能力を七つまで使うことができる無体極まる能力である。
本体が老いており体力と戦闘能力がだいぶ衰えているという欠点さえなければ無敵と言えるだろう。

七鴉翁は早速『积沙成塔』をコピーし、【魔幇が上海を守っているから皆安心。何に挑む必要もない】【ダイヤは魔幇の主の物であり、手を出す必要はない】という噂の重ね掛けをする。

さらには趙公暗の【下請企業に命令することであらゆる不可能を可能にする】『我不知下請無理』をコピー。
下請企業の人海戦術で噂を爆速で拡散していく。

さらに呼ばれた大幹部、飛星。
彼の能力『筮錘推命(シーチュイトゥイミン)』は地面に落ちた筮錘の飄帯が描いた図形によって、過去・現在・未来の全てを知ることができる凶悪な予知能力であるが、表の顔は売れ筋の占い師である。
大企業の役員なども顧客に多く、上海上層部に噂を広めるには適任と言える存在であった。


こうして、
【魔幇が上海を守っているから皆安心。何に挑む必要もない】
【ダイヤは魔幇の主の物であり、手を出す必要はない】
という噂は現実化していった。

解決屋たちは、自分たちが何に挑もうとしているかすら忘れ去っていくのであった。



■■■



「…俺、何をしようとしていたんだっけか?」

劉炎嵐が虚空に呟く。
何か、何か怒っていることがあるはずだった。

しかしその何かが思い出せない。
何をしようとしていたかが思い出せない。

「…まぁ、忘れるってことは大した事じゃねえだろ」

炎嵐だけではない。
魔幇解体に燃えていたはずの『破幇同盟』も
両親の仇を討とうとしていた恋辻メーメーも
皆、目標を忘れ、ダイヤにかける熱を忘れ、普段の生活に戻ろうとしていた。

危機感が抜け、欲望が抜け、団結力が失われた解決屋などおそるるに足らず。
あとは五爪の翁が命じるまま、一人一人確実に魔幇の牙にかけるだけである。


ゆるやかに、静かに、魔幇に対する反逆の芽は抜かれていった。
こうして、上海の宴はひっそりと終るのであった。














────危機感が抜け、欲望が抜け、団結力が失われた解決屋などおそるるに足らず?
────危機感が抜け、欲望が抜け、団結力が失われた?
────危機感が抜け、欲望が抜けた?
────欲望が抜けた?

欲望が?
抜けた?

そんな事態を許さぬ存在が、この上海にはいる!
人々のぎらついた欲望を、目標を、夢を愛する者がいる!


「ダブル!ハピネス!キャンペーーン!!」


偽りの平穏を切り裂くような、甲高い叫びが上海全土に響き渡った。

タオマオに用意してもらった最新の機材により配信を続けながら、欲望により動く人造人形、双喜は上海の空を飛んでいた。

「魔都上海の皆様!お久しぶり~!!伝説のダイヤモンド争奪戦!楽しんでますか~!!楽しんでないですよねぇ!みんなの欲望、消えちゃってますもん!」

双喜は怒りと喜びをごった煮にしたような笑顔で配信を続ける。

「私の愛する業突く張りどもが、鳴りを潜めちゃったから!逆に目立つんですよねぇ~!『上海を支配してやろう!』『噂を操って都合のいい世界を作ってやろう!』って濃厚な欲望が!!」

「私は!強欲の上海が好き!ギラギラした貴方たちが大好き!この世界が最高!夢みたい!色んな!欲望が!オパールみたいに!交じり合う景色が泣いちゃうほど好き!!…だからこそさぁ~!!人の欲望を思うまま支配したりとか!デカい欲望だけど、そういうのはつまんねぇ~~~~!!」

喉も裂けよと言わんばかりの大音声を配信する。

「この事件の!元凶は!上海タワー最上階にいるぞ~~!!いやっほおおおおう!」

そう叫ぶと、双喜は上海タワー最上階の上海天子のいる隠し部屋に突っ込んだ。
忠誠心を強烈に植え付けられ機構と化していた上海天子は何の抵抗もせず双喜にぶっ飛ばされた。【魔幇の首領は上海で最も強い】という噂は、五爪の翁の方に適用されてしまったようだ。


「貴様…何をしてくれるんじゃあ!」


その代償として、双喜は五爪の翁と七鴉翁の同時攻撃を喰らいぐちゃぐちゃになって上海タワーから放り出された。全身ズタボロなれど、配信は切らなかった。


「繰り返しますよ!この事件の元凶!魔幇のアジトは!上海タワーの最上階だ~!!」


上海の強欲なるものどもにエールを飛ばしながら双喜は落ちていった。


「ハピネス!!」


その愉快な掛け声は、上海全土に轟く開戦の合図であった。


■■■


上海タワー。
中国で最も高い超高層ビルであり、その高さは632mを誇る。
発展していく上海の象徴であり、欲望の集うところでもある。

自らの役割を思い出した解決屋たちの進撃は凄まじいものであった。
拳狐、白髪黒羽、喬芽芽、張三…そして、劉炎嵐。

単騎でも一騎当千と言って過言でない戦力が、同時に、協力し合いながら上海タワーへと一直線に突き進む。魔幇の構成員たちは何とか押しとどめようとしたが、特に準備が出来ていない不意打ち状態では彼らを止められるはずもない。

それぞれがそれぞれの倒すべき敵に進んでいく。
その騒ぎに乗じて、透明ワニ…恋辻メーメーも動き出していた。

両親の仇である飛星(フェイシン)の元に向かっていったのだ。
仇が飛星であることは既に知っていた。
だが大幹部である彼に近づく機会がなかったのだ。

しかし、今は魔幇全体が混乱している。
更に飛星は噂を広めるために単身アジトから出てきていた。
これ以上のチャンスはなかった。

混乱する上海の路地裏。
辻占い明けの飛星の前に、恋辻メーメー…否、張琅月(チャン・ランユエ)が立ちはだかった。

「…どうしました?お嬢さん?この騒ぎです、今日はもう占いは閉店なのですが…」

優しい笑顔で接する飛星。
しかしそれが偽りの笑顔であることは張琅月には痛いほど分かっていた。

「────張琅月。覚えてる?貴方に両親を殺されたものの名よ」

張琅月が名乗った瞬間、飛星の優し気な笑顔は消え、酷薄なマフィアの顔となった。

「…知らねぇな。多分面白くない劇だったんだろうさ。笑える死に様なら覚えているからよ」

空気が冷たく凍る。
だが、その緊張は呆気なく崩れた。

透明ワニ…スパイクの牙が飛星の首筋を噛み千切ったのだ。


「…え?」

それはどちらの声か。
あまりにも呆気ない決着。

「が…ぼ…?こんな未来…違う…?」

声ならぬ声を絞りながら、飛星は最後の力で筮錘を投擲した。
喉元に突き刺さるかに思えた一撃は、ガンと金属音を立てて弾かれた。

『玄武印』。郭 亀岩の守護が張琅月に貼られていたのだ。

「悪いな。俺も魔幇だから、解決屋とは組めねぇ。魔幇だが魔幇と敵対する奴としか組めないのよ」

タオマオを探し求め上海を駆ける郭 亀岩は張琅月と組んでいたのだ。

呆気なく復讐は終わった。

(…スパイク…この屑を下水に捨ててきて。)
(分かったよ!)

張琅月はポツリと一つ涙を零した。
復讐は終わった。これからどう生きていけばいいのか────

(ふ~、やっと終わったねぇ!メーメー!これから色々遊ぼうね!)

…張琅月の生き方は分からないけど、メーメーとしてやることはあるかもしれない。
静かに彼女は微笑んだ。





















上海の下水。
ワニのスパイクの一撃で致命傷を負った飛星はボロクズのような姿で這っていた。
しかし、驚異的なしぶとさでまだ命をつないでいた。


おかしい。おかしい。おかしい!!!
何故だ?どうしてこんなことになった??

私の『筮錘推命(シーチュイトゥイミン)』は完璧だ。
未来を見通せたはずだった。
今日この日に、あんな小娘と爬虫類に敗れるはずがないのだ。
運命は私に味方しているはずなんだ。

もしもダイヤを手に入れることができたらどうなるか。
戯れに占った自分の、もしもの未来。
そこに広がる甘美なビジョンは、私を祝福していたのに。
何故?何故?どうして??

私がダイヤを手に入れたなら。
魔幇の首領の座は私の物だった。
上海全土が私の物になった。
今まで裏社会でこそこそ行っていた、人々の織り成す悲劇と喜劇の鑑賞を大手を振るって出来るはずだった。

子を殺す母の涙を見れた。
知らずに父を犯す娘の愚かさを見れた。
餓鬼どもは飢えて愛犬を喰らった。

張三は林希美を見殺しにして縊死した。
劉炎嵐は王双葉と一緒に毒を飲んだ。
喬芽芽は物乞いとして上海の下水に居ついた。
死神はわぁわぁと泣きながら地獄に落ちた。
拳狐は自ら拳を砕いた。

魔幇に、私に逆らう馬鹿どもが運命に翻弄され、惨めに醜く死にゆく甘美な世界が目の前に広がっていたのに??どんな美酒でも味わえない、人生という劇が悲嘆とともに閉じるさまが見れたはずなのに?

おかしい。おかしい。こんなことあってはいけない!!



「こんなことあってはいけない、ねー。それはこっちの台詞だと思うよ」



誰だ?誰だ誰だ誰だ??



「何を隠そう、下山師匠!と言っても通じないよね?別にいいよ。理解しないままで」



何々何??頭の中??語りかけて??



「そう。下山師匠は天狗でアルクトゥールス星人だからね。どこにでもいてどこにもいないのさ。わぉ!メタ!あっちの世界やこっちの世界。20もの世界を行ったり来たりだよん。貴方の見た運命をほんの少しずらしちゃいました!」


メタ??20の世界??
何を言ってるんだ??


「…色々な世界がある。色々な考えがある。私はそれを許容する。様々な世界を楽しむ私は渡り星であり、そこには干渉せず好き勝手やってる。…でもね」


【死神はわぁわぁと泣きながら地獄に落ちた】


「お前の世界はつまらない(・・・・・)。ルール無視の横紙破りをして阻止したいほどに、そんな世界は見たくないんだよ」


…な、何を??意味が…分からな…


「だろうね。意味が分からないまま消えるといいさ」



恋辻メーメーの仇、飛星は下水の底で力尽き惨めな亡骸となった。
内に邪悪を燃やし、上海全土を暗い悲劇に彩ろうとしていた悪党の末路は誰も知らない。


「ま、私が手を貸さなくてもここの人たちなら運命捻じ曲げて大勝利できたと思うけどね。ほんの少しでも、あんな可能性は見たくないのさ…さ、次の世界に行こうか。【きみ】」



■■■



上海タワー屋上。
五爪の翁と劉炎嵐が殴り合っていた。
翁は『龍飛九天:雲従其志』を用いて大量の部下を呼び寄せ、物量で彼を押しつぶそうとした。が、止まらない。

劉炎嵐が止まらない。

上海にはびこる理不尽。
子供が飢えて死ぬ。
誰かが食事を差し伸べることが出来たはずだ。

子供が殴られる。
誰かが止めることが出来たはずだ。

そばにいる隣人が、ほんの少しの善意と好意を持ちさえすれば、避けられる悲劇がこの世には多すぎる。

その悲劇の大元が魔幇などとは思っていない。
だが、こいつをぶちのめすことが出来れば、世の中がほんの少しはよくなるだろう。

そのほんの少しのために、劉炎嵐という男は命を賭けることができた。

この二人の攻防は、講知泉(コン ツィチュェン)のカメラで中継されていた。
それは、翁の傲慢。自身に逆らう解決屋の処刑を中継してやろうと思ったのだ。
だが結果はどうだ。圧倒的物量を前にしても、红虎が止まらない。

劉炎嵐が想像以上の傑物であったのか。
…それとも、偉大な黑老大(ボス)であったはずの翁が、70年の在位で膿んだのか。

(この…仕方ない、切り札を用いるしかない!)

五爪の翁は、上海中に中継させている講知泉(コン ツィチュェン)のカメラに向かって、『龍飛九天:雲従其志』を発動した。『龍飛九天:雲従其志』は翁の声を聴いたものに翁への忠誠心を植え付ける能力である。

その能力を上海中にばらまく。

「魔幇の主が告げる!!貴様ら!男はここに虎狩りに来い!女子供は、儂の命ですぐに死ねるようにしておけ!!」

戦力と人質を同時確保。
戦闘を中継させていたのはこの切り札のためであった。

劉炎嵐は義の人である。
上海中の女子供を人質に取られ、そんなもの知らぬと拳を振るうことはできない。


「ククク…形勢逆転じゃな小童。もう儂の能力は分かっておろう?ハッタリではなく、上海中の女子供は儂の人質よ」


ズン ズン ズン
ギリ ギリ ギリ
ミチ ミチ ミチ

卑怯な手に炎嵐は怒り震えるが、打つ手がない。

「さて、小童は儂の能力で呼び寄せた一般市民で嬲り殺してやろうかのぉ?」

喜色を隠そうともしない翁。
…だが、援軍は来なかった。
上海中の男を呼べばタワー全体が揺れ動くはずなのに、酷く静かなものだった。

困惑する翁の前に、一つのドローンが飛んできた。


『ギリギリセーフ!!中継はハッキングして止めたよん!』


電梟(デンシャオ)王双葉(ワン・シャンイェ)のサポートが炸裂した。


「~~!!やっっぱり、最高にいい女だよお前!!」

笑顔を燃やしながら劉炎嵐は翁に殴り掛かった。
翁は必死で炎嵐の拳を捌く。
翁とて達人格闘家。
だが、いかんせん年の差は覆せない。
現役バリバリの炎嵐を相手にするにはいささか実力が足りなかった。

翁が、年を重ねていても真摯に武を積んでいれば違ったかもしれないが、晩年の翁は能力により強者を囲うに終始していた。

いよいよ追い詰められた翁が叫ぶ。


「七つの!!七つの!!儂を助けろ!!魔幇の危機じゃぞ!儂を!儂をぉおお!!」
「飛星!!飛星はどうしたぁぁあああ!!」


■■■


「…!五つの!!待て、もう少し、もう少し待つのじゃ!!」

上海タワー上層階で七鴉翁が叫ぶ。

七鴉翁とて何もしないでいたわけではない。
すぐにでも翁の援護に行きたかった。

だが、神速の勢いで七鴉翁に狙いをつけてきた解決屋たちを振り切れないでいた。
むしろ張三、林希美、喬芽芽、白髪黒羽らに囲まれ、それでもしのいでいる七鴉翁を褒めたたえるべきだろう。

最強と思われる七鴉翁が苦戦するのには理由があった。
彼の能力『七つの仔』は魔幇の能力七つを使える強力無比なものであるが、七つを選択したら一週間は切り替えられないという欠点がある。
彼は噂を固定させるために上海天子の『积沙成塔』をコピーし、さらには趙公暗の『我不知下請無理』をコピーしていた。そして…戦闘用ではない日常使いの能力を多く選んでしまったのだ。

『积沙成塔』による欲望の無効化により、自分が戦うことはないだろうと思っていたのだ。
彼が選んだ能力は
  • 噂を実現する『积沙成塔』
  • 下請けを操る『我不知下請無理』
  • コンクリートを射出する『鉄腕コンクリート』
  • データの複製をする『輝かしい未来の実現者』
  • あらゆる人物の顔になれる『変装』
そして五爪の翁の『龍飛九天:雲従其志』であった。

たいていの相手であれば『鉄腕コンクリート』と『龍飛九天:雲従其志』があれば事足りる。戦闘能力をそこまで増やす必要なし。組織の仕事に役立つ能力を選択する…しかし、その判断は上海天子の策が崩れたことで裏目に出てしまった。

その誤算を最後まで埋めることが出来なかった。
それでも懸命に抗ったが達人の囲みを打破することが出来なかった。

「おしまいだ…!七鴉翁!あの世で兄貴に詫びろ!」

迫りくる張三を前に、七鴉翁は発狂した。


「くけけけけー!!儂が!魔幇が!終わるわけない終わるわけがないのじゃぁ!!」

そう言うと七鴉翁は上海タワーのガラス窓を破り投身自殺をした。
鴉の最後は、地面への飛翔であったのだ。









地に落ちた七鴉翁はむくりと起き上がった。
彼が最後に選んだ能力は【上海覇者】蘭烏黒の『不死不敗』。
敗北以外で死なぬ能力である。最後の保険に、彼は常にこれを身につけていた。

「ククク…老人の発狂の振りは効くのう。儂は負けたわけではない!自身で飛んだだけじゃからのう…」

大丈夫。まだ立て直せる。
そう思った七鴉翁は上海タワーの屋上に翁を援護しに行こうとした。


「いいや。ご老人。おぬしの負けよ。姑息な鴉は狐に食われるが定め。あの世で龍を待つといい」

ぞぶりと、手刀が老人の胸を貫いた。


「やれやれ。詰めの甘い奴らだ。まぁ、こちらは己の領分かもしれんがな」


■■■



上海タワー屋上。
膿んだ王の最期が迫っていた。

翁は必死に叫んだ。
炎嵐に、道理を説く年長者の如く諭した。

「儂を誰だと思っているのだ…!儂は【五爪の翁】じゃぞ…!」
「儂は、この魔幇の基礎を築いた血族の長じゃ」
「儂を敬愛し支える者の汗と、儂と敵対した者の血で上海は作られている」
「儂は…儂は、七十年間上海を牛耳ってきた…」
「儂の声に誰もが従う…老いも若きも男も女も分け隔てなく儂には従う」
「表も裏も、善も悪も関係なく、儂に全てが付き添う…」

翁は、自らの功績を垂れ流した。
そうして、生命力のこもった輝く瞳で真っすぐに劉炎嵐を見つめて叫んだ。


「儂は…儂はぁ…!魔幇の大首領だぞぉぉぉ!!!」


「────そうかい。俺は劉炎嵐だ」


一陣の赤い風が吹きすさんだ。
巨躯を誇ったはずの翁が、枯れ枝の如く上海タワーから落ちていった。

龍の断末魔が上海に響く。
それは、ひとつの時代の終わりを告げる咆哮だった。






五爪の翁を破った劉炎嵐は、上海タワーの屋上で膝をつく。
無理もない。戦いに次ぐ戦い、死闘に次ぐ死闘。
心身共に大いに傷つき、血と汗が床を汚していた。

だが、そんな炎嵐に休む間は与えられなかった。

カカカッと小気味のいい連続音が炎嵐の耳に届く。
音の正体は「トラブルバスターズ槌歌」の長、槌唄塔也の能力連続発動。
立方体ブロックを発生させる『痛みの塔(ペイン・タワー)』で生み出したブロックの塔が、地上からまっすぐに伸び上海タワーの屋上までやってきていた。

「よう、红虎!あんたマジですげぇな?魔幇の首領ぶっ飛ばすとか最高だぜ」

心から楽しそうに笑った槌唄塔也は、笑顔のまま、とある人物を屋上に連れてきた。
その人物は三名。
浅村育美。
白髪黒羽。
そして────拳狐。

早速と言わんばかりに白髪黒羽が早口で語り始めた。

「よぉ红虎!約束通りダイヤ持ってきたぞ~。ま、正直アタシもダイヤには心惹かれているけどさ、あんな最高の戦い見せられちゃあね。とりあえず今ダイヤを持つのにふさわしいのはあんただ。しっかり受け取りな!」

至高のお宝を白髪黒羽は無造作に投げ込んだ。
炎嵐はそれを慌てて受け取った。
受け取った瞬間、白髪黒羽は意地悪そうな、「にぃ~」と音の聞こえそうな笑顔でカメラに向いて語った。

「さぁ!上海に住まう諸君!見ての通り、魔幇の長を討った劉炎嵐の手にダイヤが渡った!このダイヤに挑戦する者はいるか!?五爪の翁を討つ武芸者とやろうという命知らずはいるか!?」

それは随分と芝居がかった、予定調和を思わせる語り口だった。

「────では、己が挑ませていただこう。金剛シグリからダイヤの核は既に預かっている。これで己のダイヤとお主のダイヤですべては完成する…勝者の総取り。上海大賽の最終戦に相応しいだろう…」

炎嵐が何かを言おうとするより先に、浅村育美が抱きついてきた。
浅村育美の『泪をみるひと(ティア・ゲイザー)』は、自分が抱きついてる相手の体を徐々に癒やしていく治癒能力である。

炎嵐は急ぎ体温を下げ、育美が傷つかないように配慮した。
自身の傷が癒え体力も満ちていく。
治療されている間、炎嵐はぼんやりと空を眺めた。

この中国で一番高い建築物の頂上。
ダイヤをかけて最後の戦いをするには、この上もなく相応しい戦場のような気がした。
講知泉(コン ツィチュェン)のカメラにより中継されている点もおあつらえ向きだ。

(これも、運命かね…)


治癒を終えた炎嵐は、真っすぐに拳狐に向き合った。
その瞳は何も言わなくても、勝負を受けると伝えるものだった。

二人の間に漂う拳気を感じ、槌唄塔也と浅村育美と白髪黒羽は慌ててこの場を去っていった。屋上に残ったのは二人の他はプロ根性を出して中継をする講知泉のみである。



「俺は红虎(ホン・フー)、名は劉 炎嵐(リュウ・ホェンラン)。理はなく。由はなく。燃える虎として、ただお前を殴り飛ばす」


(おれ)は武人、名は拳狐(チュアンフー)。遺恨はなく。過去もなく。ただ在る一匹の獣として、お主を噛み殺す」


上海タワーに風が吹く。
狂乱の宴の終着点。
達人二人の邂逅を、上海全土が見つめていた。


■■■




劉炎嵐も拳狐も、互いに互いの能力を十全に理解していた。
両者とも強者でありながら油断の類は持ち合わせぬ。
自分以外の上海大賽の優勝候補を調べていないわけがない。

特に拳狐。
彼が防刃・耐火の特注コートを身にまとい、この世で最も熱に強いタングステンを用いた長棍を持ち歩いていたのは、いつ炎嵐と遭遇しても万全の戦いをするための仕込みであった。


(その長棍を持っていないタイミングで欲を思い出してしまったがな。ままならぬものよ)


代わりとばかりに、コートの内ポケットから最低限のタングステンを周囲にまとわせた手甲を取り出した。それは、手甲というよりも手袋と言ったほうが近かったかもしれない。熱を防ぎつつも拳を重くしないぎりぎりの調整をした、特注の逸品だった。
それを静かに身に着けると、一つ息を吐き、拳狐は臨戦態勢を取った。


ズンズンと音を立てて無造作に進む劉炎嵐。
対してどっしりとした構えのまま迎え撃つ拳狐。

拳狐の構えは中国拳法特有の、ずしりとした、腰を沈めた構え。
ステップを多用する総合格闘の構えとはまるで違う、巌のような立ち姿。

(これは…大したもんだ)

内心で炎嵐は舌を巻いた。
拳狐の構えはあまりにも完成されており、美しかった。
構え一つで血の滲むような鍛錬の積み重ねがハッキリと分かった。

特に美しいのはその背筋。
ピンと糸を張ったかのように不動。
その背と連動するかのように足も、拳も、何もかもが時が止まったかのようにその場に在った。空気すらも、彼の周りでは静止しているかのようだった。

拳狐の能力『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』は静止を力と速度に変える能力。不動の在り方は、実質四肢という銃弾を込めた拳銃を油断なく構えているようなものであった。
うかつに拳狐の領域に入ったが最後、神速の拳に襲われることは必定である。

それを理解しながら、炎嵐は拳狐の領域に踏み込む。
踏み込みを躊躇い、拳狐に時間を与えてしまうことこそが愚策。
初手からフルスロットルで達人、拳狐を仕留めにかかる。


「ウォラァアア!!」


能力で高温になった血管と強化された肉体。
それを十全に活かした拳は、豪と音を立てて拳狐に降り注いだ。

その瞬間、パン、と軽い破裂音が響いた。

破裂音から少し遅れて、液体が地に滴る音がした。
その音は、上海随一の解決屋、劉炎嵐の顔面から溢れる血の音だった。
端正な顔つきの炎嵐の鼻から、ドボドボと音を立てて夥しい血が込み上げていた。


それは、瞬き一つにも満たない攻防だった。


拳狐は右足の固定を解除し超速で後退。
炎嵐の豪拳を躱したのち、左足の固定を解除し今度は一気に前進。
両の拳の固定を解除し顔面に二撃加えたのだ。

種を明かせばなんてことはない。
高速で躱し、高速で打ち込んだ。ただそれだけである。
だが、上海という密林の王者である红虎相手にそれが出来る達人がどれほどいようか?


「しゃらくせえ!」


だが、達人の会心の打撃を受けても炎嵐は止まらない。常人であれば顔面を陥没骨折せしめる衝撃を喰らいなお、その闘志に陰り無し。むしろより強く怒り、憤り、全身の熱を跳ね上げていった。

初手の優位は拳狐。
だが、こんな序盤の優位は大した意味を持たぬことは互いによく理解していた。



■■■




我 勝機を得たり


拳狐と劉炎嵐は同時に思った。

(己の拳を受け、なお変わらぬ猛威…驚嘆すべきであるが、おそるるに足らずよ!)

拳狐は、劉炎嵐の鼻を痛打し多量の出血を呼び込んだことに手応えを覚えた。
言うまでもないことであるが、大量の鼻血は呼吸能力を大きく低下させる。
達人同士の打ち合いにおいて、そのアドバンテージは絶大である。
いかな红虎といえど、この拳狐相手にその不利を覆す術無し。
そう思いながら拳狐は攻撃を続けた。


(本当に速く、重い一撃だ…だが!四肢の加速は使わせた!ここから固定なんてさせねぇぞ!)


劉炎嵐は、拳狐の四肢を固定から解放したことに手応えを覚えた。
拳狐の『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』は恐ろしい能力ではあるが、固定というためを必要とする性質上、溜めを既に行った状態である初手が一番強く速い。
故に、その初手を凌ぎ固定する暇を与えず攻めさえできれば勝ちの目は自分に傾くであろうと炎嵐は考えていた。


その正しさを証明するかのように、炎嵐は円の軌道を持つ劈掛拳(ひかけん)で拳狐に嵐のような連打を見舞う。
しかし、当たらない。
いかにして鍛え上げられた体幹か。
嵐のような攻防の中で四肢は忙しなく動くがその立ち姿、構えに乱れはなく流麗そのものであった。

(そうかい…じゃあよ!)

劈掛拳(ひかけん)の曲線的攻撃が瞬時に切り替わる。
炎嵐のもう一つの得意技、喧嘩殺法だ。
押し出すようなヤクザキック、真っすぐ振りかぶった右ストレート。
荒々しく直線的な打撃は粗雑ながら破壊力抜群。

手数の多い曲線的な劈掛拳(ひかけん)と、単発火力の大きい直線的な喧嘩殺法。
性質の違いすぎる戦法を組み合わせた戦い方は、熟練の格闘者であっても翻弄される完成された戦法だった。


ただ、拳狐は熟練の更に上に在った。


この拳の魔人にとって曲線と直線の組み合わせなど初歩に過ぎない。
雑なヤクザキックを逸らすと、高速の拳打を炎嵐の鼻柱に叩きつけた。
鼻血が更に広がり、音を立てて地に落ちる。

それでも炎嵐は動きを鈍らせず、同じように劈掛拳と喧嘩殺法を繰り返した。

(確かに劈掛拳はよく鍛錬された素晴らしいものだ…だが、直線攻撃の喧嘩殺法は所詮素人芸の延長!己の武の理の前には通じぬ!)

あとはこのまま同じ流れを繰り返し完封するだけ。
拳狐がそう思った時、炎嵐の構え、空気、動きが僅かに変わった。
それは達人、拳狐でなければ見逃しかねない些細なものであったが、我流の喧嘩殺法とは一線を画す空気感が間違いなくあった。


拳狐の背を、一筋冷たい汗が伝った。
彼はここにきて一つの疑問に直面した。


────果たして、上海随一の解決屋と呼ばれる達人が、我流の喧嘩殺法を本当に頼みにするのだろうか?


拳狐はその問いに自身で応える。答えは“否”であると。
一見粗雑で乱暴に見える巨漢の劉炎嵐は、その実、常識的な善人であり出来る限りの努力を惜しまぬ人物だ。その炎嵐が高みを目指さぬはずがない。鍛錬を積まぬはずがない。我流の喧嘩殺法にとどまるわけがない!


「気付くのが!ほんの少し遅かったな!」


真実に辿り着いた拳狐の目前には既に炎嵐が迫っていた。
劈掛拳(ひかけん)の、相手の周囲を回るように移動する歩法とはまるで違う、高速直線移動。そこから放たれた開拳は、先ほどまでの粗の多い我流拳法とは全く別の、鍛錬の積み重ねが如実に表れた一撃。

直線、高速、至近を旨とする拳法…【八極拳】の一撃が拳狐の脇腹にぶち込まれた。

「がはっ…!」

拳狐の口から、初めて苦悶の声が漏れた。
ミシリと嫌な音が響いた。肋骨の何本かに亀裂が走る。

八極拳の剛。劈掛拳の柔。
八極拳の直線。劈掛拳の曲線。
八極拳の接近技。劈掛拳の遠距離牽制。

二つの拳法は互いに互いの穴を埋めあう関係にある。

『八極と劈掛を共に学べば神でさえ恐れる』

古くからそう表現される拳法を炎嵐は身につけ、その上で八極拳は隠していた。
勿論、このような強者と出会った時の隠し玉とするためである。

「劉炎嵐は鍛え上げた劈掛拳と喧嘩殺法を用いる」

上海格闘界に流布された情報を、拳狐は疑うべきだったのだ。


良い一撃をもらい、動きが僅かに鈍った拳狐に、炎嵐は一気に攻めかかる。
大ぶりの劈掛拳。大きく弧を描く右フックのような掌打。
直線的な八極拳の開拳の直後に放たれたそれは、軌道の違いも相まって相手を幻惑する。


「…舐めるな!」

負傷したと言え、達人、拳狐。
そのような軌道のずれに惑わされぬとばかりに、炎嵐の掌打を逸らした。

勢い余ったのか、炎嵐は拳狐の前で身を半回転させ、背を向ける形になった。



「上手い‥!」



決勝の様子を見つめる達人たち。
その中でも近接格闘に明るい張三、海圻、郭が同時に呟いた。

三人のそばにいる林希美も、金剛シグリも。
「上手い」とは拳狐のことを指すと思った。
風を切り裂き迫る豪快な掌打を捌いた技の冴えを称えたのだと思った。

しかし三人の達人が「上手い」と賞賛した相手は劉炎嵐であった。
思わず三人が零すほどに、背を向けるタイミングが絶妙であった。

普通であれば、近接格闘において相手に背を取られることは致命的な危機となる。
しかし、劉炎嵐が身に付けし技は八極拳!
八極拳には背中からぶちかます必殺技、鉄山靠(てつざんこう)がある。
両の足に丹を込め、地の反発を最大限に生かした背中からのぶちかましは、四方と四隅の八方向全てに轟く、まさに八極の理念を体現したかのような強力無比な一撃である。


(避ける‥は難しいな)


張三は心の中で呟いた。
鉄山靠は全格闘技の中でも屈指の“面”での攻め手である。
至近距離で発動した鉄山靠は圧倒的な制圧力で相手を粉砕する。


(受けることが出来るか?俺でも厳しいなあれは)


海圻は静かに分析をする。
上海で名高き红虎の全霊を込めた鉄山靠。
鉄山靠は気の練りも勿論であるが、武芸者の体格が大きく影響する。
身長190を超える恵まれた体格の炎嵐の磨き切った一撃は、『四霊随身』を操る海圻をもってしても防御不能の判断をせざるを得ない一撃であった。


(俺の能力なら防げるかもしれないが、拳狐に出来るとは思えねぇ…逸らすことは…いや無理だな…)


郭 亀岩は思考する。
武において逸らし、捌くことは重要な技術である。
しかしその技術は点での攻撃に対して有効なものである。
点での攻撃であれば、ほんの少し軌道を逸らすことで被弾を避けることが出来る。
繰り返すが鉄山靠は面の攻撃の極致。軌道を僅かに逸らしたとて被弾は免れない。


红虎、劉炎嵐の渾身の鉄山靠。


その一撃、
避けること能わず。
受けること能わず。
逸らすこと能わず。

達人武芸者三人をして攻略不能と思わせる至高の一手。
数多の選択肢が潰されるなか、拳狐の選んだ手は



────背を向けることであった。


(この後に及んで逃げか!?どういう策だ!?)


拳狐の背を目にとらえた炎嵐は逃げを疑ったが、一瞬にしてその疑いは吹き飛んだ。
拳狐の背から、隠しきれない気の練りを感じたからだ。

瞬間、灼熱の大男、炎嵐は背筋が冷たくなるのを感じた。脳内をこれまでの攻防の記憶が駆け巡る。

【特に美しいのはその背筋】
【ピンと糸を張ったかのように不動】

【いかにして鍛え上げられた体幹か】
【嵐のような攻防の中で四肢は忙しなく動くがその立ち姿、構えに乱れはなく流麗そのものであった】


(あ…?背中(・・)が…固定されていた??!!)


拳狐の意図を理解したが既に遅い。
もはや己の鍛錬を信じて技に全霊を尽くすしかない。
決意を固めた炎嵐に、拳狐が叫ぶ。


「まさか!切り札が己と同じとは思わなんだぞ!红虎!」


固定されて、溜めに溜められ、撓みに撓んだ背中が解放される。達人の気功に魔人能力が加わった神速の鉄山靠が、灼熱の鉄山靠と轟音を立てて衝突する。


「「鉄山靠!!」」


何か爆発したとしか思えないような大音響。
上海タワーのガラスが派手に砕け、地上に降り注ぐ。

ギシ ギシ ギシ

空気の軋む音がする。
鉄山靠のぶつけあいは拮抗しているように見えた。


(互角だぁ??俺が…この俺が火力勝負で打ち負けるかよ!!)


炎嵐は更に力を込めようと自身を鼓舞した。
しかし、力を込めようとした矢先、ズキリと鋭い痛みが内臓を駆け巡った。
ギシギシと身体中の骨が悲鳴を上げている。
強化したはずの血管が幾つか耐え切れず破裂した。

強者として在り続けた劉炎嵐が、初めて完全に発勁を通された瞬間だった。

「…喧嘩殺法の使い手であることを吹聴し、八極拳を隠し玉とする…実に練られた策だ。いやはや、狐を騙すとは見事なものよ…」

拳狐が何か言っているが、炎嵐の耳には半分も届いていない。
耳からはどろりと赤黒い血が垂れていた。

「だが、惜しい。おぬしの八極拳、何度相手に振るった?死線で用いることがあったのか?どんな技であれ、虚空に打つのでは形にならぬ。────鍛錬は外に在り。生きた相手に向けてこそ技は磨かれるものよ…」

炎嵐の口から、ゴボリと血の塊が吐かれた。

「早い話が…」

力の抜けてきた炎嵐に、拳狐が追加の鉄山靠を見舞う。


「鍛錬が足りん!!」


完璧に気を通した一撃で、劉炎嵐は嘘のように派手に吹っ飛び、上海タワーから落下していった。


■■■


隕石が落ちてきたようだった、と目撃者は語った。
上海タワーから落下した炎嵐は轟音とともに地上に突き刺さった。

「あ…が…」

鉄をも溶かす温度となった血液。
それに耐えるよう強化された硬くしなやかな血管。
常人では爆散しているはずの衝撃でも生存している炎嵐を称えるべきか。
それともそんな化け物に瀕死の一撃を与えた拳狐を恐れるべきか。

油断は無用とばかりに拳狐が上海タワーの壁面を猛烈な速度で駆け降りる。
実のところ、拳狐も既に限界が近かった。
超高温の炎嵐相手に何度も打撃を見舞った。
タングステン製の手甲、特注の耐火コートを用いてもなお、高温は拳狐を蝕んでいた。

それを微塵も感じさせず、まるで戦闘開始直後のような軽やかさで拳狐は駆けた。

劉炎嵐が地上に墜落してから数分後。
とどめを刺すべく拳狐は地上に降り立った。

その姿を講知泉(コン ツィチュェン)のカメラが追う。
上海中が、まもなく上海大賽の決着がつくことを悟った。

拳狐は倒れる炎嵐にぬるりと近づき、拳をかざした。

「…楽しかったぞ、红虎。おぬしは紛れもなく己が戦った武芸者の中で最強であった…」

いざとどめを刺そうという刹那…酷く素っ頓狂な叫びが響き渡った。


「ホ…ホェンちゃんにぃ!…そんなことはさせない!!」


運動のうの字も知らないような、ドタバタした動き。
普段はドローンを用いて安全圏から支援しているはずの炎嵐の相棒にして屈指の情報屋、電梟(デンシャオ)王双葉(ワン・シャンイェ)が拳狐に殴りかかった。

「…興を醒めさせるな!红虎の牙を曇らせる気か貴様!」

珍しく怒気を発しながら、拳狐は軽く拳を打ち抜いた。
それはあっさりと双葉の顎先を捉えた。
眠るかのように、糸が切れた人形のように、双葉は意識を失った。

そのとき、拳狐の目は捉えた。
意識が途切れる直前の双葉の瞳が、不気味に輝いているのを。
何かを期待した熱を放っているのを。


双葉がぐしゃりと地に崩れ落ちた。
その瞬間、静寂が辺りを包んだ。
猛烈な殺気…否、怒り(・・)を感じて、誰も物音一つ立てられなかったのだ。

瀕死の重傷を負い倒れていたはずの炎嵐はいつの間にか立ち上がっていた。


ズン ズン ズン
ギリ ギリ ギリ
ミチ ミチ ミチ


心臓の鼓動音がモンスターエンジンの如く響き渡る。
空気が軋み、熱を感じさせる。
その男の全身から、何かをこらえるような摩擦音が轟いた。


「俺の!女に!何してんだてめぇ!!」


この日一番の灼熱の咆哮。
空気は熱で歪み、陽炎を生み出す。
足元のコンクリートはボコボコと音を立てて溶けている。

劉炎嵐の血液温度は遂に三千度を超えた。
それは鉄を容易く蕩かす温度。
マグマのような、などという例えがあるが、マグマの温度はせいぜい千二百度。
マグマすらも今の劉炎嵐と比すればぬるま湯のようなものである。
爆心地のごとき熱風を吹き荒ばせながら、炎嵐は吠えた。


「ぶち殺す!!」


紅蓮の風を浴び、一筋の汗を流して拳狐は呟いた。


「────どうやら己は虎の尾を踏んだらしいな。いや、踏まされたと言うべきか?」


それでも、いささかの恐れもなく、動揺もなく。
手本のような美しい構えをとり、拳狐も叫んだ。


「獣狩りと洒落込もうではないか!」


■■■


红虎。
その二つ名にふさわしい、猛獣を思わせる連撃が拳狐を襲う。
拳の一つ一つが致命の一撃を与える爆撃であり、蹴りの一つ一つが命を刈り取る死神の鎌であった。
瞬き一つの油断で命の炎が吹き飛びそうな鉄火場に在ってなお、拳狐と呼ばれる男は笑った。

拳狐に過去はない。遺恨もない。語るべき因縁は何もない。
ただ拳の求めるままに。より高く、より速く、より強く。
更なる敵を、更なる死地を求めて流離う求道者。

熱風を渦巻かせながら豪拳をふりまく猛獣を前にしてなお、拳狐は心を躍らせた。
その狂気と紙一重の闘争心は、求道者というには過激に過ぎるかもしれない。


(良き哉!こういう手合わせを己は望んでいたのだ!…红虎が完全に怒りに飲まれたことだけが惜しくはあるが、致し方なし…)


攻守ともに完璧に思える、炎嵐の全身超高熱化。
しかしそれは文字通り燃えるような怒りと引き換えに生み出されている。
怒りに任せて振るう拳は単調。
拳狐ほどの達人であればその流れ、パターンを読み解くことは容易かった。

だが、読めるからと言って必ずしも対処できるわけではない。

それは例えるならば、ストライクゾーンど真ん中に投げられることが分かっている時速170キロのストレートのようなもの。来ることが分かっていても、打てるかどうかは結局打者の実力で決まる。

拳狐はパターンを読み、必死で躱し、逸らし、隙をついては拳を放つ。
猛獣の牙を、爪を、練り上げた技巧で凌ぎ続ける。

────右の拳を使わず、固定したままで。

拳狐は、己の行く末を、自身の拳と『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』に賭けた。超高温の拳は、何とか躱しても身を焼いた。超高温の蹴りは、逸らしたとしても肌を焦がした。

このままの攻防を続ければまもなく己は力尽きるだろうな、と拳狐は思った。
それでもまだ右の拳は解き放たない。最後の最後、限界まで絞り切った一撃でなくては極限の怒りに身を焦がす猛獣を狩ることは出来ないと確信していたからだ。

上海大賽の決着を見守る解決屋たちは拳狐の意図を理解し、固唾を飲んで見守った。

拳狐が猛攻を捌き続けた時間は数分程度。
しかしそれは人の持つ武の極致を見せつける至極の数分であり、上海大賽の視聴者たちはその数分を数時間の様にも数秒のようにも感じた。

攻防の果て。
遂に『為逸速的一息(いっそくがためのいっそく)』の溜めは完成した。
あとは獣の一撃に合わせて自身の最高の一撃を放つのみ。

虎を撃ち殺す狩人の如く。
相手をギリギリまで引き付ける。
そして、あえて僅かな隙を見せ相手を誘う。
気配に敏感な獣は、その僅かな隙に誘われて飛び込んできた。

完璧な誘導。
完全に予想通り。
あとは己の拳を信じて放つのみ。


「ぜぁああああ!!」


裂帛の気合とともに拳狐渾身の一撃が红虎の通り道に放たれた。
その一撃は獣を狩るための完璧な一撃。
その一撃は红虎の爪を砕き、牙を折り、地に叩きのめす。

────そのはずであった。

红虎は、来なかった。
それまでの猛り狂うありさまが嘘のように、誘いには乗らなかった。
冷静に動きを止め、拳狐の渾身の一撃を空振りに終わらせた。

自身の最高の一撃を不発にせしめた红虎の目を、拳狐は見た。
そこには深い理性があった。怒りにのみ囚われる暴虐の徒はいなかった。


拳狐の脳髄を、己自身の言葉が駆け巡る。

【────鍛錬は外に在り。生きた相手に向けてこそ技は磨かれるものよ】
【獣狩りと洒落込もうではないか!】


(嗚呼!見誤った!こいつは最初から最後まで人間であった…!そして、己とは鍛錬の方向性が違うだけであった…)


猛烈な怒りに伴う炎。
それに身を任せて獣と化せば大抵の相手は労せず燃やせるだろう。
だが、劉炎嵐は怒りに身を焦がしながらも、我を忘れることだけはしなかった。
狂おしい衝動が何もかもを消し去りそうになってもなお、その暴威を自分の意志で御していたのだ。

(こやつの鍛錬は、内に在りか!)

最大の一撃を外し、無防備になった拳狐に、劉炎嵐が拳を振り下ろす。


その一撃が拳狐の意識を刈り取る直前、拳狐は上海中に響き渡る、爽やかな宣言をした。


「御見事也!劉炎嵐!」



拳狐:敗北
劉炎嵐:勝利 上海大賽優勝



■■■



拳狐が意識を失った直後。
ガス欠でも起こしたかのように劉炎嵐も意識を失った。

ボロボロの両者を、浅村育美は必死で癒した。
「どうしてこれで死んでないの?」と槌唄塔也が疑問に思うほどの重傷であった。

治療を受ける両者は、身体をピクリとも動かせず、大の字になって空を見つめていた。

「…今更だけどよ…うちのが途中乱入してすまなかったな。あれが無かったら勝負はどうなっていたか分からねぇ」

「言うな。己は全霊で戦い、敗れた。“もしも”の話は不要よ。まぁ…それでもまだもしもの話がしたいのであれば、また勝負を受けてくれ。次は誰の邪魔も入らぬ場所で、だ。もう少し鍛錬を積み今より強くなって再戦させてもらう」

「勘弁してくれ…と言いたいが…俺も楽しかった。またどこかでやろう…」

互いに称えあう二人。
そこに、とある人物が近づいてきた。

???「炎嵐さん!ちょっとダイヤの使い方について提案があるのですが!」

突然の乱入者に目を丸くしながらも、炎嵐は提案に耳を傾けた。
そうして「それはいい」と笑った。


■■■


講知泉がカメラを回す。
上海大賽の勝者にダイヤの願いの使い道を聞くために時間を設けたのだ。
その放送は、因縁の上海タワー屋上から中継された。

上海中の好奇心が、炎嵐の言葉を待ち構えた。
だが、番組開始直後にカメラに映った人物は。


「ダブル・ハピネス・キャンペ~ン・セカンドシーズン!!」


ボロボロであるが、どっこい生きていた双喜であった。


「魔都上海の皆様!まさかのセカンドシーズンですよ!!伝説のダイヤモンド争奪戦について!上海タワー屋上からお送りします!」

一体何が始まるのかと困惑する視聴者を置いてけぼりにして双喜は続ける。

「さてさて!皆様思ってましたよね!清王朝の願いを叶えるダイヤの奪い合いは宴の10日間だけだって!そうじゃなきゃとっくにダイヤの奪い合いになっていたって!ところがどっこい違うんだな!」

双喜はダイヤの理屈について滔々と語った。
ダイヤの奪い合いは宴の10日間だけではない。
それを嬉々として語り終えた後、画面を炎嵐に譲った。

「…と、言うわけだ。ダイヤの効力は宴の10日間だけじゃなくまだまだ続くってよ。俺自身に特に叶えたい願いはねぇ。ダイヤを魔幇の連中が手にするのが気に食わねぇってだけだったしな。…だから、こうするわ」

劉炎嵐は、清王朝の願いを叶えるダイヤをポンと中空に投げた。
そうして、そのダイヤに美しい右ストレートを見舞った。
最高の硬度を誇るはずのダイヤが、キラキラと細かい粒になり砕け、上海中に降り注いだ。
それはまるで、人々が願いを込めて祈り続けてきた流れ星のような煌めきであった。

「上海に散ったダイヤ争奪戦!延長だ!その代わり、殺しだなんだはやめろよ?もしそんなことが分かったら红虎がお前の前に現れるからな?」

上海中が、揺れた。
路上で寝泊まりする少年は空を割くその輝きに夢を見た。
もしかしたら何かを変えられるかもしれない。
そんな欲望が、上海を染め上げた。



熱狂の放送が終わった後、双喜は肩で息をしながらある人物を引っ張ってきた。
その人物は上海天子。双喜は彼をぶっ飛ばしはしたが、殺しはしなかったのだ。
五爪の翁の呪縛から放たれら彼は、澄んだ目で双喜の願いに従った。

【魔幇が持っていたダイヤの効力はいつまでも続く】

彼はその噂を現実にした。
ダイヤの効力云々は結局のところ推察に過ぎない。
よってこの噂で補強し、いつまでも宴が続くようにしたのだ。


「はぁ~…これで、もうほんのちょっとだけ意識を保てますねぇ…勿論10日間に集中したぎらついた欲望よりはだいぶ薄めになったので、私もそろそろ止まっちゃいますけど!」

双喜は、軽いステップで裏路地の暗いところに向かっていった。
そこには【ウーズ】…タオマオが今にも燃え尽きそうに小さく震えていた。

「配信の最新機器揃えてくれてありがとうございました!約束通り、私の身体使っちゃっていいですよ!」

もう言葉も発せぬほどに弱っているタオマオ。
それでも彼女は双喜の身体を乗っ取ることを拒んだ。

「もう~!命は不可逆!私の命はここまで!本当なら宴の10日間が終われば消えちゃう命だったのか、何の運命の気まぐれか延長戦貰って、さらには誰かの役に立つなら最高ってもんです!遠慮は結構!」

そう言うと双喜は強引にタオマオを自分の身体に捻じ込み、ボディを譲った。

(すぐに消えるわけじゃないです…しばらくは意識も同居できますから!そんな申し訳ない気持ちにならなくていいのですよ!)

こうして、双喜のボディにタオマオの魂が詰まった新しい生物が生まれた。

(…でも…私なんかが…結局はリンシャさんの残りかすみたいなもので…そんな化け物にはグイェンのそばに立つ資格なんてないアル…グイェンだって…私のことなんて…)

グイェンも化け物の自分なんて求めているわけがない。
リンシャの残り香に惹かれただけ。

そう嘆くタオマオを無視して、残存意識となった双喜は、気力を振り絞って『欲心流路』を発動した。上海中の欲望の奔流がタオマオに向かっていった。

数多のぎらついた欲望の中に、一つ、白く、澄んだ欲望が在った。
それは脆いようでいて、しなやかで、強く…美しかった。

その欲望はタオマオにこう伝えていた。


『大好きだ』と。『そばにいてほしい』と。


欲望の主が誰か、それは言うまでもない。
タオマオは駆けた。上海を、欲望の奔流の根元へと駆けた。


誰にも聞こえぬ、双喜の声が上海の空に溶けた。


「ハピネス!」



■■■


劉炎嵐は、ダイヤを砕いて上海にばら撒いた。

────それはただの欲望の先延ばしかもしれない。
諸問題を先送りにする、愚かな結論かもしれない。
ただ、劉炎嵐はこの宴をもう少し続けたかった。

今度は魔幇の横やり無しに、純粋に願いをかけるもの同士で争いたかったのだ。

宴の延長を祝い、共に戦った解決屋たちで更なる宴が開かれた。
料理を手配したのは張三。
上海の美食が卓を埋めた。

小籠包の肉汁は馥郁たる香りをもたらし、東坡肉の脂は甘く軽やかだった。
白酒の濃いアルコールが脂を軽やかに流した。
上海蟹は濃厚な味噌が宝石のように輝き、ねっとりとした味わいが脳髄を揺らした。

色々と解決していないことはある。
魔幇の首領なき上海の混乱をどう鎮めるかも考えなくてはならない。
やらなければならないことは沢山ある。不安でないと言ったら嘘になる。

そんな炎嵐の気持ちを察したかのように、双葉がそっと手を握ってきた。
酒でしたたかに熱くなった炎嵐は、双葉の手を強く握り返すと、こっそりと宴席を抜け出した。



これからも困難は続くだろうけども…
美味い食事。美味い酒。美しい夜空。
愛する人。

ならば、いいのではないかな。
そう思い、劉炎嵐は王双葉を熱く熱く抱きしめた。















一部始終をこっそり見ていた死神ちゃんは、「天国みたい」と呟いたという。




劇終
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