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隔絶魔人都市上海第三章 ―万魔の都、閉幕の刻―

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隔絶魔人都市上海第三章 ―万魔の都、閉幕の刻―

 清王朝のダイヤモンド。それは、誰も見たことがない(・・・・・・・・・)という触れ込みの魔幇が誇る至宝だ。
 そんな宝が百年節を前に盗まれたという。
 俺は、俺の記憶に従いそれを見つけようと奮闘していた。
 だが、誰も見たことがないのだ。俺は魔幇関係者ではないし、ダイヤモンドに精通しているわけでもない。
 俺はそれの気を知っていた。そして、同時期に現れたシグリが放つ気が、それと一致していることに気付いた。
 ――本当に?俺が感じ取っていた気は『清王朝のダイヤモンド』であったのか?
 そうではないのであれば…俺が感じていたダイヤモンドの気は―――そして俺がそう感じていた理由は――

「何故。それはとても根本的な疑問だ、海圻」

 誰かがささやく。
 優しく慈悲深い、手の届く範囲全てを救おうと奮戦したヒトの声。

「私が君達に誤認させた。理由があるとすれば――そうだな。
 この上海の人々を救うため、ではいかがかな?」


                  ***


「そういえば、ガングートさんって海圻の上司さんなんだよね。
 おれ、放水路で一回顔を合わせたくらいだからあんまり知らないんだけど…海圻的にはどういう人なの?」

 グランドスラムでの戦いを終え、ガングートを探すべく隠れ家を探し回る最中のこと。
 シグリの口から当然ともいえる疑問が告げられた。
 ガングートは『清海』のリーダーであるものの、仲間と共に行動することは少ない。この百年節の間は蘇がもっていたダイヤモンドの欠片の解析及び捜査に1人で奔走していた。
 故にシグリと会う機会もそこまでなかったのだ。

「そうだな。義理人情に厚い困ってる人を放っておけない典型的なお人よしかな。
 俺が『清海』にいるのはガングートに拾われて育てられたからだけど、それ以上にあの人の描いた理想が俺にとって眩しかったんだ」

 俺にとってガングートは育ての親であり、武術の師であり、同じ理想を目指す同志だ。
 それゆえにどこか盲信的になっている節があることは否定できない。
 ガングートであれば大丈夫であろうというバイアスは、俺の中に宿っている。
 だが彼も魔人とはいえ人間だ。一度しっかりと休んでもらわなければ心身に支障が出る。

「悪いな、少し熱が入った」
「海圻にとってそれくらい大切な人ってコトでしょ?」
「ああ。俺にとっての恩人で、何より尊敬してる。
 …ここにもいない、か。となるとあと残ってるのは上海の中心部だな」

 上海中心部は今百年節のフィナーレ真っ最中、あまり近づきたくはないが仕方あるまい。
 しかしいまだに『清王朝のダイヤモンド』を盗んだ犯人が見つかっていないというのは…いささか気がかりだ。
 そして俺の記憶…俺が見たものの正体もまだ分かっていない。拳狐の言葉を信じるならば、だが。

「そういえば拳狐さんからなんかもらってたんだった」

 シグリから手渡されたのは一枚の紙だった。

「なんでも、迷ったら読んでほしい…とかなんとか」

                  ***


 上海中心部。本来であれば喧騒に包まれているはずの街並みは、不自然なほどに静まり返っていた。
 百年節のフィナーレを迎えているというのに、魔幇による催し物一つない。
 明らかな異変、だが、その真相を探ることよりも今はまずガングートとの合流が優先だ。
 そこから華甲さんや他の『清海』所属メンバーを見つけられればいいが…

「この気配は…ガングートだな」

 今まで隠れ家を探し回ってきた中でも一際強くガングートの気配がする。
 俺とシグリはその気配をたどり歩を進めた。

「――ああ、よかった。2人とも無事でいてくれたな」

 閑散とした上海の街に1人たたずむ男がいる。間違いなくその外見はガングートそのものだ。
 だが、纏う気配は異質というよりほかない。この距離になるまで気付かなかったが、彼からは幾多もの気が漏れ出ている。

「ガングート…だよな?」
「ああ。魔幇からの襲撃を受けたそうだが、大きい被害はなかったようだな」
「俺たちより『清海』の方が大変なことになってるだろ。華甲さんたちは無事なのか?」
「勿論だ。『清海』のメンバーは全て安全な隠れ家に移送済みだとも。
 ただ、通信機が壊れてしまっていてね…連絡が取れずすまなかった」

 話し方も、声も、全てがいつものガングートと変わりない。
 …だが、俺の直感は目の前の男がガングートだけではない何者かであることを告げている。
 纏った気配だけではない、何か、魔人ではない、人ではない何かが――

「どうした、海圻。何か気になることでもあったか?」
「いや…大丈夫だ。それよりガングート、今の街の状況について何か知らないか?
 百年節なのに誰もいないのは不自然だ」
「ふむ。私もつい先ほど外に出たところこの様相であった。
 故にこの光景の原因は分からない。少々不穏なものは感じるが…」

 今はガングートへの疑念より、先に調べることがある。
 明らかに人がいないだけではなく、人の気配が少ない…何かしらの事件に巻き込まれているのであれば、何より優先して彼らを救い出すべきだろう。

「ちょっと怖いね…誰もいないなんて、前までこんなことなかったのに…」
「俺の記憶でもこんなことが発生したことはない。
 今のところ変な気配はない、が…あまりにもなさ過ぎるともいえるな」

 道の端に転がっている謎のベルトや剣は誰かのものだったのだろうか。恐らくここで何かしらの戦闘があったのだろう。
 それを肯定するように、俺たちの視線の先で何かがたたずんでいた。
 ソレに真っ向から挑みかかる者たちがいる。

「――海圻!」

 ガングートが突然俺の名を叫ぶ。ほぼ同時に、俺はガングートに突き飛ばされていた。
 敵意はない。俺に向けられた害意もない。だが、次の瞬間俺の目の前を光が通り過ぎた。
 それはかなりのエネルギーを纏ったもので、原理は恐らく俺の気弾と近い。

「今の、は―――」

 ぼとりと何かが地面に落ちた。嫌でも俺の視線はその音の正体を追ってしまう。
 そこには、手首から先しかないガングートの手が転がっていた。

「は…?」
「海圻、だいじょう…ぶ…?あれ、ガングートさんは――」

 ガングートは、俺をあの光線から守って消えた。
 避けられなかった。攻撃の予兆にも気付かなかった。俺の不覚だ。俺が対応できる速度はできても亜音速まで――今の攻撃は恐らく光速に近しいものだった。
 彼ほどの人間がそんな簡単にやられるとも思えないが、彼の手が目の前に落ちていることは紛れもない事実。
 今の攻撃の発生源は恐らくあのたたずんでいる何かだ。先ほど真っ向から挑みかかりに行っていた者たちの姿は跡形もなく消えていた。

「ガングートは…恐らくさっきの一撃に被弾した。
 攻撃の意志は感じない以上、アレは俺たちを狙っていなかった…だけど、もう一発撃ってこないとも限らない。
 それに…あのままにしてたら街に被害が出かねない」
「さっきの、おれの糸で少しは防げたから海圻の盾になれるよ」
「助かる。俺1人でどこまで近づけるかは分からないからな。
 無力化するぞ」

 胸の内で荒ぶる感情を抑え込み、俺は目標を見据える。
 まるでダイヤモンドが人の形を取ったようなその姿は、今の上海において人目を引くことこの上ない存在だろう。
 真偽はどうあれ清王朝のダイヤモンドがアレだと思う人間もいるはずだ。
 だからこそ、さっきあいつに向かっていった奴がいるのだろう。

 全速力で駆けだした俺の視界の先で、ダイヤモンド人間の腕が動く。
 両腕をY字型に掲げたポーズは奇妙なものだが、その胸の中心に光が集まっている。
 恐らくさっきの攻撃を再び放つつもりだ。今度は向かっていく対象が俺だけだからか、明らかな攻撃の対象とする意思を感じる。

「アンドレカンドレ!」

 今度こそ俺の速度でも予兆が分かる以上避けられる。
 光線の範囲は先程より広い。ダイヤモンド人間の姿が光を帯びる。ほぼ同時に俺は跳びあがり範囲から外れた。
 グギュグバァという謎の音を発しながら光線が放たれた。逃げ遅れた後ろ髪が焦げおちる。
丁度シグリも今の一撃をダイヤの糸で反らしているようだ。

「炎翼打ち鳴らせば地は満ち、茂る青に命が芽吹く」

 気の放出による一時的な加速、光線を撃ち放ち直立不動となっているダイヤモンド人間の背後へ俺は一瞬で降り立った。
 再び光線を放つ隙は与えない。練り上げた気を右拳に集中させ、その体を打ち砕くべく全力の一撃を見舞う。

「わーッ待て待てストオオオオップ!」
「待つわけないだろう…!」

 ガングートをあんな姿にしておいて今更だ。
 だが、俺の拳がそいつに届くことはなかった。乾いた音を立てて、虚空に浮き上がっていた掌が、俺の拳を受け止めていたのだ。

「なっ――」
「よ、よくわかんねぇけど生きてる!!!」

 宙に浮いていた手は俺の拳をさもなく押し返す。
 掌の質感、俺より大きなその手は明らかにガングートのものだった。手だけでここまで来た…?いったい何のために…

「拳を下ろせ、海圻」

 脳に直接響くような声と共に、ガングートの手から何かが生えてくる。
 蠢くその物体は次第に人の形を取り、元のガングートと寸分違わない姿へ変貌した。

「成程。奴も嘘を言っていたわけではなさそうだな」
「無事、だったのか…」
「ダイヤのおかげだ。繁栄の理は持ち主に疑似的な不死性をもたらすようでね。
 さてダイヤモンドレディ。君がここの人たちを消し飛ばしたのかな?」
「オイラはなんか色んな奴が襲ってくるから自衛してるだけだぜ!
 出力に慣れてないだけで別に暴れてるつもりはねぇ!あとオイラはダイ・アーモンドだ!」

 暴れてるつもりがないからと言って何度もあれだけの高出力な攻撃を放たれても困るんだがな。

「ひとまずレディアーモンド。そうやって光線を撃つのはやめていただけるかな。
 街の惨状がさらにひどくなってしまう」
「別に構わねえけど、おめぇからオイラと近い気配がするんだよな。
 おめぇもあの人騒がせになんかされたクチか?」
「さあどうだろう。私はただ教えてもらっただけとも言えるな」

 ダイヤ人間…ダイ・アーモンドとガングートの会話は俺の知らない情報が飛び交っている。
 知り合いというわけではないと思うし、彼らの関係はどういったものなんだろうか。

「海圻~大丈夫だった…ってガングートさんが生き返ってる?!」
「やあシグリ君。私は別に死んでいないぞ」

 シグリも追い付いてきた。

「もう一つ聞かせてもらいたいことがある。
 ここにいた人たちは君がどこかへ吹き飛ばした、もしくは消し飛ばしたと思うんだがどこにやったんだい?」
「オイラのときのほうこうで時間ごと吹っ飛ばしてるから死んでないとおも――」
「成程。正直に答えてくれてありがとうレディアーモンド」

 カシャン。何かが砕けるような儚い音が聞こえた。
 俺の立ち位置では何が起こったかわからない。だが――
 その音に合わせてダイの身体が地面へ倒れ伏した。その体には、こぶし大の穴が開いている。

「ガングート、何をして――」
「彼女が時間ごと吹き飛ばしてしまっていたせいで此処一体の時間が歪んでいる。
 だがそれもここまでだ」

 人ひとりいなかったはずの街並みが、次第に喧騒へ塗り替えられていく。
 百年節のパレード、それにふさわしいにぎやかさと人通り、そして美食の香りが漂ってきた。

「これが本来の上海だよ。さあ、百年節も遂にフィナーレだ!
 大いに楽しんでくるといい、海圻、シグリ君」
「さっきのは幻か何かを見せられてた、ってコトか?」
「それが一番近いだろう。
 上海全土を覆うクラスのものだ、予測能力者が視た光景が何かに覆われていたのはそのせいだろう」

 確かに、ダイヤが原因で上海の未来が何かに覆われたように見えなくなっていた(・・・・・・・・・)と言っていたな。
 その幻が晴れたということは、未来が見えないなんてこともなくなったことだろう。
 少し遠くで、魔幇関係者がパレードを催している。だが、彼らの顔にダイヤを探しているときの必死さは感じられない。

「ああ、盗まれてしまった清王朝のダイヤモンドも見つかったらしい。シグリ君もこれで安心して帰ることができる」
「ホント?なんか長かったようであっという間だったなあ」

 本当に見つかったんだろうか?だが、見つかっていなければこのようなパレードなどやっている暇はないだろう。
 ――シグリの中にはまだダイヤがあるけれど、もう魔幇に狙われる心配もない。
 何なら、この10日間で彼は強くなった。魔人能力も合わせれば十二分に身を守れるだろう。

「…そろそろ、お別れになるんだな」
「海圻…何しんみりしてるんだよっ!」
「んえっ」

 シグリが俺の顔面を両手でいじくりまわしてくる。口の端を親指で上にあげている…笑え、ということか?

「おれ、海圻と一緒に居られて楽しかったよ。
 怖かったり、辛かったり、痛いこともあったけど…でも、海圻と一緒にいる時間は楽しかった!これだけは、絶対」
「シグリ…」
「だからさ、おれ、忘れたくないしこの10日間の思い出の最後をしんみりさせたくないんだ。
 それに、もうこれっきりじゃないでしょ?おれたちは、違う世界の人間じゃないんだから。おれたち、もう友達だもんね!」
「…友達、か。ああ、いいな。友達だ。今度、休暇でも取れたらそっちに行ってみたいな」
「ホント?!案内するよ、約束!」

 俺に笑いかけるシグリの笑顔は、今までの中でもとびっきりだった。
 そうだ。俺は、この笑顔が守りたいから、こういう風に笑える奴らが増えてほしいから、『清海』で戦っていたんだ。
 報われたような気がして、気が緩んでしまう。

「ふはっ…」
「海圻が…笑ってる!」
「なんだよ、俺だって笑うこともあるさ」

 だって、こんなにも幸せなんだ。笑えないわけがなかった。
 道すがら、見覚えのある人に出会った。中には見たことはなくても気を感じたことがあるやつもいた。

「よう海圻!お手柄だったらしいな」
「お手柄…?」

 槌唄さんの突然の言葉に少しばかり困惑してしまう。

「だって、お前がダイヤ見つけて魔幇に返還したんだろ?すげえじゃねえか!」

 そうだっただろうか…だが、確かにシグリがダイヤの欠片を吸収していたし、そうなってもおかしくはないか。

「それじゃ、俺たちは祭りを楽しんでくるからな~」

 槌唄さんがひらひらと手を振りながら人ごみの中へと紛れていく。
 周囲を見ると、見慣れないような恰好をした人々が通りを歩いていた。
 鎧騎士のような姿の男が、線の細い満州服を着た華やかな貴婦人と手を取り歩いていたり。
 エスコートというのはあのようなものを言うのだろう。
 上海の只中に在れど、中世ヨーロッパを思わせるその見た目は、衆人環視の目を引いた。
 あれだけ美しい女性を連れていたら、それは自然の理というものだ。

「海圻、すっごい見とれてる。あの人、タイプ?」
「美人だなって思っただけだ。俺も男なんでね、綺麗な人はいいなって思うさ」
「ちょっと恋バナとかしてみたい!…おれには出せる話題がなかったので何でもないっコトで…」

 殭屍が少女と談笑しながら歩いていたり。
 ご主人様と言いながら少女についていくのは中々にこちらも違う意味で目を引く。
 というかあの殭屍は地下放水路であった奴だな…

「ああいう仲いいかんじ、いいよね…」
「アレは仲がいいって言っていいんだろうか…どっちかっていうと懐いている?が近いと思うが」
「まあでも、探してる人が見つかったならよかったよかった」
「そうだな。この街じゃ、探し人が行方不明なんてほど不吉というか嫌な想像しかできない単語はない」

 褐色肌のギャルっぽい男は、水晶のように透き通った体を持つ人物?と和やかな雰囲気でカレーを食べていた。
 水晶のような人物の方はカレーを食っているにもかかわらずその透き通った体にカレーの色は見受けられない。
 どういった構造なのだろうか…

「…いやあれ、さっきのダイ・アーモンドじゃないのか?」
「別人…何てことはないよねえ…でもあの人が幻見せてたんでしょ?」
「そのはず…だけど全然悪意とかは感じないんだよな。
 …しかもさっきのダイとは気配が違う。何というか…うまく言い表せないというか…
 明らかに気配が人間じゃないから何が正しいかわからなくなってきたぞ」
「海圻、そういう時は一旦休むといいんだよ…」

 魔法少女みたいな恰好に身を包んだ少女と普通の学生といったいでたちの少年がソコソコな音量で話しながら通り過ぎて行ったり。

「なんで僕ここまで来たんだよ…姉ちゃんが日本に帰ってるなら無駄足じゃないか…」
「そうでもないわ。私と会えたんだもの、この10日間それなりに楽しかったでしょ?」
「まあ…ウン…いや割と振り回されてくたくたなんだけどね?」

 おいたわしい限りではある。
しかしながらこの上海に単身乗り込もうとするそのフットワークの軽さは武器であり弱点だろう。
普通この街に何の次善策もなく乗り込む奴は死ぬ。

「そう考えるとお前もたいがいだったな…」
「?」
「いや…上海の治安が悪いのを承知で来るのは勇者だと思っただけだ」
「正直舐めてました…!」

 道端でネイルアートを披露する少女が、スーツとスラックス姿の少女の爪にキレイな模様を施していたり。

「エージェントというご職業は指を酷使為されるのですね…
 ですが今この一時だけは、爪を飾るのも良いと思います」
「そうね。一応綺麗に見えるように誤魔化す程度の知識はあったけれど…
 こうやってみると、本当に自分の指か疑わしいくらい綺麗だわ」

 腰あたりから生えた人のものではない尾が揺れている。
 その先端は器用にネイルジェルや煌びやかな化粧用品のようなものを箱の中から取り出していた。
 俺は美容系の知識に疎いが、その爪が飾られていく様に一瞬見とれていた。

「綺麗だね…おれの同級生にもネイルアートしてる人いたなあ」
「割とメジャーなのか?」
「どうなんだろ、おれオシャレに無頓着すぎてなんも分かんない…」
「そこは奇遇だな、俺もだ。あーでも、華甲さんはたまにやってたかな。
 ガングートと会う日は必ずって感じだった」

 金髪碧眼の青年と、黒髪を腰まで伸ばしたロングヘア―の女が屋台で2人酒を飲み交わしていたり。

「なんかあの人、放水路であった男の子に似てない?」
「面影はあるが…とは言え急成長しすぎだし流石に同じではないだろ。
 あの時は気の流れでつながってる奴もいたしな」
「他人の空似ってやつかなぁ…」

 そういえば俺はあの時一方的にカムパネルラのリンク先へダメージを与えただけで、当人にはあっていない。
 もし会うことがあったらそれなりに報復されそうだ。怖い限りである。 

「それでは上海にお越しくださいました皆様、魔幇設立100周年を祝いまして…
 百年節のメインイベント、至宝『清王朝のダイヤモンド』を披露させていただきます!」

 魔幇のパレードも最後というところで、司会らしき女がするりと布をめくる。
 そこには、一見何でもないような…純粋に美しくきれいなダイヤモンドが台座の上に乗っかっていた。
 だが、誰も見たことがない(・・・・・・・・・)という触れ込みの魔幇が誇る至宝というだけあってその美しさに観客は魅了されている。
 俺が以前見たものと同じ気配。やはり、アレは贋作などではなかったらしい。

「アレがダイヤモンドかあ…ホンモノは初めて見るかも」
「ま、そうお目にかかれるものじゃないもんな」

 こんな幸せな光景と同じくらい、そう見られるものじゃない。
 百年節のラストは、何もかもが丸く収まった。物語としては下作中の下作かもしれないが、悲劇など起こり得ないほうが幸せに決まっている。
 何より、俺たちが生きている今は現実だ。今を生きるならば、精一杯楽しまないと。














「…待てよ?」

 無駄なことは考える必要もないというのに、俺の頭は働き者だ。
 考えたところでこれ以上の結末はない。誰もが幸せになった、誰もが報われた。それでいいじゃないか。

「――違う」

 何が違うというのか。この上海を脅かしていた存在は先刻ガングートが打ち倒したはずだ。
 だが俺の頭が明らかにこの状況への違和感を覚えている。
 拳狐の言葉が頭をよぎった。誰も見たことがない(・・・・・・・・・)…そうだ、清王朝のダイヤモンドを目撃した人は存在しない。
 そういった触れ込みであったはずだ。
 だが俺の記憶は確かに清王朝のダイヤを見て、そしてその気を覚えている。
 あり得ないはずだ。俺たち『清海』は決して魔幇と密接にかかわった組織とはいいがたい。
 俺が誰も見たことがないはずの清王朝のダイヤモンドを見ることができるはずがないのだ。
 それがなんだ…今の状況に関係があることなのか?

「大ありだ…!おかしいだろう、俺が知っている気配が清王朝のダイヤモンドとして披露されているなんて…」

 拳狐が嘘を言っている?いや、彼にそんなことをするメリットはない。
 ふと、シグリから貰っていた紙が俺の手に触れた。
 迷ったとき…今こそが、その状況だろうか。

「…何か、手掛かりになれば」

 折りたたまれた紙を広げてみると、そこに書いてあったのはそう長くない文章だった。
 『おぬしの気のままに進むといい』。気の練りについては拳狐も俺のことを認めていたし、
 一番の武器であり信頼するべきものだということだろう。

「…俺は、まだ青いな。こんな簡単なことで迷うなんて」

 諭されてやっと、俺は混乱から抜け出すことができた。
 拳狐の予想通りリアクションを取っている気がしてなんだか悔しいが、元はといえば俺の未熟が原因だ。
 このやり場のない悔しさは、再戦の折にぶつけさせてもらおう。

「流れるは驟雨、濡れる枝葉に刺すは鉄――
 掌握」

 精神を集中させ、周囲の空間の探査を行う。
 いつもより範囲を拡大せず、俺の気をより高精度な眼へと。

「そういうことか…」

 ここは、俺たちの感覚をかなりの精度で騙している仮初の空間だ。
 通りを行きかう人々は、その内側だけを抽出したような…いうなれば、その人物の理想だけが反映されているような状態だ。
 そこに物質的な肉体は存在していない。いわば、精神だけのようなものだ。
 となればさっきのガングートの行動にあった不審な点が全て正しかったということだろう。
 …認めたくはない、だが、今現実に発生している事象はどうしたってガングートへの疑念を増すものでしかなかった。

「――そのように疑われてしまっては君達は安らかな生活を送れないな。
 しっかりと説明責任は果たさせてもらおう」

 景色がぶれる。街の喧騒が薄れていき、視界に広がったのは先程と同じ人通りのない上海の街並みだ。
 そして俺たちの前には、ガングートが立っている。

「ガングート、さっきこの光景の原因はダイだって言ってたのはどういうことなんだ」
「より正確に言うならば私と彼女2人が原因、というところだ。
 彼女が時間を歪ませていたのは事実であり、この上海に混乱をもたらした原因という意味でな」
「そうか。…じゃあ、さっきの幻は?説明してもらわないと、俺は貴方を『清海』…リーダーとして見るべきか判断ができない」

 勿論、俺はガングートがリーダーであるがために彼についてきたわけではない。
 だが…俺を、シグリを騙すのであればそれ相応の理由がなければ納得できないのだ。

「…当然の反応といえるな。
 私は――この上海の人々を救いたい。魔人やマフィアやギャング――日常的にこの街に住む人々はそういった脅威にさらされ続けている。
 故に私は、先ほどお前たちが見ていた世界を作り上げたのだ」

 ガングートの掌にはダイヤの欠片がその威容をさらけ出していた。
 そのダイヤの気は覚えがある。蘇が融合していたダイヤだ。蘇が渡したのか、それとも蘇るから何かしらの方法で摘出したのか。

「この欠片がもつ理は繁殖、繁栄…精神を安息に導く箱庭を作る程度の力は他欠片と融合せずともある。
 勿論あのジュエル星人の一部を使わせてもらってはいるが。
私の目的はこの欠片とシグリ君の吸収した欠片を用いてこの上海を死の恐怖から解放することだ」
「…解放って、まさかとは思うがこの街の人々をあの幻に閉じ込めるつもりか?」
「いいや。あれはあくまで一時しのぎだ。
 私はこれより上海をこの世界から隔絶させる…清王朝のダイヤモンド、いやジュエル星人の力をもってこの上海はこれより死も時間も超越した場所となる」

 スケールが大きすぎてガングートの言っていることはあまり理解が及ばない。
 本当に死を超越できるのであれば、誰の命が危機にさらされることもない理想郷と為ろう。
 だが、世界から隔絶されるという言葉が引っかかる。臆面通りに受け取るならば、この上海は閉ざされた箱庭となるということだ。

「海圻、私と共にこの上海を理想郷としよう。全ての人が、あらゆる災難から逃れることのできる場所としよう。
 私には、それができる」
「…ガングート、俺たちが、シグリが融合しているダイヤは清王朝のダイヤモンドじゃない。
 だから、貴方の言うジュエル星人とかいうのも、関係ないはずだ」
「ああ。勿論知っている。お前や魔幇四天王の1人にそのダイヤの欠片と清王朝のダイヤモンドの認識を混同させたのは私だからな。
 ソレは清王朝のダイヤモンドではないが、分割されたジュエル星人の宇宙船、そのコアだ」
「俺を、だましてたってコトか?」
「そう捉えられても仕方ない、というよりそうだとも。
 だが、これは私の上海を思う気持ちあってのものだということは分かってほしい」

 親であり、師であり、恩人であり。そんなガングートが、このダイヤをめぐってずっと俺を騙していた。
 想像以上に、堪えるものだ。

「さあ、海圻。私と共に往こう。死から解放された上海では、誰も悲しむことはない。
 戦う必要もない。争う必要もない。
 我々の理想は、まさに成就するのだ」
「人間がそうなれるとは思わないし何より…俺の居場所はそこにないよ、ガングート」
「ふむ。お前の居場所がない、というのはどういうことだ?」
「俺にとっては…助けられる人たちを助けて、その安寧を守るのは何より優先すべきコトだ。だけど、同じくらい俺は誰かと拳を交えるのが好きなんだ。
 戦う必要も争う必要もない場所に、俺の存在する意義はないし意味もない。
 ガングート、俺は貴方が思ってる以上に強欲なんだよ」

 人類の理想は恒久的な平和だ。だが、それを実現してしまったら俺は己が意義を見失うだろう。

「そういうことであれば何も心配はいらない。何かを為そうとする思考は理想郷を形作るうえで不要な分子だ。
 この上海を隔絶させるうえでその欲求も解消されるだろう」
「ガングートさん、それ要は理想郷では人の自由意志がなくなるんじゃないの?」
「シグリ君はディストピア文学がお好きなのかな。
 自由意志はあるとも。上海という世界のなかで我々は自由に生を謳歌できる」

 ガングートの話が正しいのなら、上海はこれより隔絶される。
 死も時間も超越したこの場所が、他の場所とコンタクトを取れるとは思えない。

「――それは、鳥かごの中の鳥と同じだろう。
 勿論、そういった世界で過ごすことを望む人だっているだろう。だけど、そうじゃない人もいる。俺だってそうだ。
俺は、例え血を吐きながらでもゴールを…死を目指して飛んでいきたいんだ」
「だがお前が私を否定するということは理想郷を望む人の望みを否定することになる。
 そんな権限がお前にあるか?」
「そんなもの、俺にはない…だけど、俺にはゴールを目指す人を否定する権限もない。
 だけどガングート、貴方のやっていることだって俺たちの望みを否定することだ」
「私にはこの上海の人々の『死にたくない』という感情を背負った責務がある。
 無論そのためにお前たちの願いを切り捨てることは私の望むところではない。だが、託された以上それは私にとって最も優先すべきタスクなのだ」

 どうあれガングートにもう俺の声は届かないのか。
 であれば、俺がやることは一つだ。叩に宣言した通り、ガングートがダイヤを私利私欲の儘にするのであれば…

「…俺は貴方に感謝している。俺をここまで育て、鍛え、貴方の信念と共に在れた時間は俺にとって何事にも代え難い。
 ―だが!貴方がダイヤを我が物とするならば、俺はそれを止めるしかない!
 ガングート、貴方の行動は上海の秩序を――人々の安寧を脅かすものだ!」
「…そうか。お前がそういうのであれば、私のお前に対する理解が足りなかったのだろうな。
 育てた者の思想にのみ染まることなく多くを見てきたようだ。
 だが、私も止まることはできないのだよ。あの正体不明からの力もそう長くはもたない」

 ガングートが腰を落とした。同時に明らかな攻撃の意志が俺たちに向けられた。
 その矛先は俺ではなくシグリに向いている。恐らくシグリの中にあるダイヤの欠片…ガングートの話を真実とするならば宇宙船の欠片が目的なのだろう。
 俺は咄嗟にガングートの攻撃を防ぐべくシグリの前に出た。
 ダイヤの摘出か、それともシグリに自発的にダイヤの欠片を使わせたいのかは分からないが、今のガングートはどんな手段を取るか分からな―――

「な―――」

 二の句が続かない。ズドンという重い衝撃が、俺の身体に響き渡る。
 俺の身体から何か、奇妙なものが生えている。力強い、俺が見慣れたその腕は血に塗れていた。
 行き場を失った血液が口腔から溢れ出す。
 俺は、ガングートに背中から貫かれたのか。速いだけの攻撃ではない。俺にはその攻撃の起こりさえ、分からなかった。

「く…おぁ…」

 言葉にならない空気の漏れる音がどこか他人事のように聞こえる。
 引き抜かれたガングートの拳は、俺の身体にぽっかりと穴を開けていた。

「海圻…?」
「さらばだ、海圻。お前は私にとっての自信作だった」

 身体に力が入らなくなって、膝から崩れ落ちた。倒れた俺の顔に染み出した血液が触れる。
 焼けるように熱いのに、体からは急速に熱が失われていく。
 気を抜いていたわけではない。強化されていたにもかかわらず俺の防御すらガングートは貫いたのだ。

「シグリ…」

 瞼が重く、俺の意志に反して閉じていく。
 どうしようもなく抗えず、俺の身体は地面に横たわった儘シグリの事も視界から外してしまった。


                   ***


 人が目の前で死にゆく光景を見るのは、これが初めてだった。
 勿論、身内で亡くなった人がいなかったわけじゃない。だけど、おれの記憶に誰かが目の前で死んだ光景はない。

「海圻…ねえ、海圻っ!」
「待ちたまえシグリ君」

 駆け寄ろうとしたおれをガングートさんが捕まえた。
 首を掴まれ息がしにくい。おれを殺すつもりはないけど、いつでも絞め殺せるとでも言いたげにその指が首筋を撫でる。

「なんで、あんなこと…!あのままじゃ海圻が死んじゃう!」
「君が助けに行こうと治るものではない。それに君にはもっと重要な役割がある」

 ガングートさんの手がおれの胸に触れた。それを契機におれの胸から何かが飛び出てきていた。
 体から何かを引き抜かれるような不快感と痛みにただ歯を食いしばる。
 そうでもしないと耐えられそうになかった。抵抗できるだけの力も、おれにはない。

「まずは供与の理…しっかりとシグリ君は体内で保管してくれていたようだ。
 君を見つけて本当によかった…ああもこの欠片と適合する素体はそうない」
「ッ…何、言ってるか分かんないよ…!」
「分からずともいい。
 では、君のなかにあるダイヤの欠片は私が有効活用させてもらおう」

 ゆっくりと、おれの胸からひし形の物体が顔をのぞかせる。

「うあっ…!」

 本当に身体に刺さった何かを引っこ抜かれているような痛みに思わず喘いだ。
 そんなおれを気にも留めず、ガングートさんは完全にその姿を現したダイヤの欠片を自らの身体に何のためらいもなく突き刺した。
 欠片はその血肉を引き裂くことなくガングートさんの中へと入りこんでいく。

「少しは抵抗が弱まったな。では本命といこう」

 不快感と痛みにも慣れてきた。…ガングートさんは、海圻の親みたいなもので、師匠で恩人で。でも、目の前の惨劇を作り出したのもガングートさんなんだ。
 全てこの人の思惑通りに動いてしまっているようで、嫌だ。
 何より、おれの上海でできた初めての友達をこんな風にしてしまったことが許せない…!

「舐めるなよ…おれだって、海圻と一緒にこの街でいろいろ見てきたんだ…!」

 顔をのぞかせつつあったダイヤの欠片を、ガングートさんが手にするより先におれは自分の身体から引き抜いた。
 体に走る激痛が、思考をショートさせかける。
 それでも、無我夢中で手にしたダイヤの欠片を投げ捨てた。

「ざまあみろってね…!おれは、絶対に貴方の思い通りにはならない…!」
「――ふむ、考えたな」

 ガングートの手がおれの首から離れた。おれは抵抗することもできずただ地面に倒れ込んだ。
 だめだ、体が言うことを聞かない。ダイヤが引き抜かれたからか、急激におれの意識が薄れていく。でも、瞼が完全に閉ざされる前に俺の視界には奇跡があった。
 見慣れた顔が、どこか悔しさに染まっていた。
 俺を抱えるたくましい腕が、どうしようもなく嬉しかった。


                 ***


 動けないまま、俺の意識は何処か他人事のように揺蕩っていた。
 あと数分もしないうちに俺は死ぬ。全身の筋肉を気で強制的に動かし血液の流出を抑え込もうとしているがこれではダメだ。
 この程度の浅い応急措置ですらない一時しのぎは、ただ迫りくる死を緩慢にする悪あがきに他ならない。
 だがそれでも、俺はこの身が朽ちるとしても最後まで諦める気はさらさらない。
 だって、まだシグリの無事は確認できていないんだ。
 それでも意志や気力だけではもうどうしようもない域になっている。

「動け…あと1分、いや10秒でいい…それだけあれば、シグリを安全なところに…!」
『…海圻、海圻!』

 突然脳にこだまする声は、シグリのものによく似ていた。

「幻聴にかまってる場合じゃ…いや、まさか…シグリ、なのか…?」
『――そうだけど、そうじゃない。でも、今はそれを言う時じゃない。
 海圻、まだ、戦う意志はあるんだよね』
「ああ。シグリを助ける。ガングートを止める。
 俺には、まだやるべきことがある」
『分かった。じゃあ、手を伸ばして、海圻。
 おれはもう動けないから…ごめんだけど。手を伸ばせば、きっと届くよ』

 その言葉とほぼ同時に俺は手を伸ばした。
 動かない脚の代わりに這って。這って、這ってようやく俺の手が何かを掴む。
 自然と目が開いていた。といっても、ほぼ持ち上がらない瞼はうっすらと目の前の光景を見せてくれるに過ぎなかったが。
 あれだけ這い進んだと思っていたが、現実では数センチすら動いていなかった。
 ただ、伸ばした俺の手にはひとかけらのダイヤが握られていた。

「これ、は…」

 あの時、俺が感じていた気配と同じものが…清王朝のダイヤモンドではないものが、俺の手元にある。

『繋げるよ。――統星転換(アストラルコンバージョン)

 俺の掌でダイヤが光り輝く。
 何が起こったかは分からない。だけど、直感的に分かることは一つ。
 俺はまだ生きている。生きているならば、己が意志のままに動くこともできる。

「シグリ…!」

 脚に力をこめ、俺は倒れたシグリへ全速力で走り出した。
 ガングートの手は伸びてきていたが今の俺には躱すことができた。攻撃をかいくぐり抱えたシグリからは静かな息の音が聞こえる。
 シグリの身体は既に力なく、気も弱まっていた。だが、まだ生きている。

「…待っててくれよ、シグリ」

 そっとシグリの身体に俺のジャケットをかけてやった。
 俺の身体に空いていた穴はいつの間にかふさがっている。あのダイヤの欠片が俺の命を救ったか。

「――ぉ、ああッ…!」

 体の中から気が迸るような感覚。同時に頭の中を数多の情報が駆け巡る。
 それは、主に見捨てられたコトとか。拿捕されて解体されたコトとか。分割され見世物になったコトとか。
 そして――晴れ空の街並みの下で俺が目の前にいたこととか。
 この光景を俺は知っている。

「融合した…か。成程。とは言えそれは想定済みだ。
 お前はシグリ君と共にいた以上、そのダイヤの欠片に気に入られることもあるだろうさ」

 ガングートの声に焦りはない。…だから、なんだという話だ。
 俺がやるべきことは決まっている。

「『統星伝令(アストラルコマンド)』!」

 俺と融合したシグリのダイヤの欠片が、俺に力を与えている。
 シグリが口にしていた支配の理、それこそがこのダイヤの欠片の力なのだろう。
 糸が上海の空を駆け巡る。この上海にある縁をたどって、俺は糸を伸ばしていく。

 糸を放つ中で無防備な俺へ一気に距離を詰めてきた。先ほどは見えなかった攻撃の起こりが、今は見える。
 ガングートの拳が俺へ放たれた。こちらも合わせて防ぎとめる。
 やはり、ガングートの拳は重い。いつだったか、武術の修練でその拳を何度も受け止めた思い出がよみがえる。
 あの時は一撃で吹き飛ばされ次撃で吐いていたが、今の俺はそこまでやわじゃない。

「シッ!」

 鋭く息を吐く音と頬を掠める蹴り。明らかに俺を殺すため、殺意のこもった一撃だ。
 こちらも殺す気でいかねばやられるは必至。
 ガードの隙間を縫うように打ち出した拳が確かにガングートの胸を捉えた。だが浅い。
 ガングートの肉体強度は能力を含めなければ俺よりも上等だ。ダイヤで強化された俺たちだが、ガングートには2つのダイヤが吸収されている。

「懐かしいな、海圻。こうして拳を交えるのはお前に武を叩き込んで以来になる。
 衰え知らずどころか更なる気の練り…お前はやはり私の最高傑作だ」
「…貴方は変わってしまった、その拳に以前のような鋭さはない。
 俺は…俺は貴方とこんな形で戦いたくはなかった…!」
「それは私もだ、海圻。お前が是としてくれるのであれば、こうして殺し合う必要もなかったはずだ」
「もし俺が貴方の計画を是とするならば、俺は自害する以外道はなくなる。
 貴方の計画はシグリを…無関係な人間を巻き込んだ。
 それは、『清海』が本来守るべき人々のはずだ…!」

 激情に任せて叫びながら、構えを取る。

「流滞れば土積り、芽吹く命は山となる…
 四霊、我が身に来れ――
 仙破―霊亀怒涛!」

 気を練り踏み込みからつなげる破牙の連撃、絶技の弐。

「やはりお前の拳は良い実直さだ。
 嗚呼…この手で摘み取るのも惜しい」
「なっ…」

 だが俺の拳はガングートの手に受け止められていた。
 連撃故に確かに一撃の威力は応竜撃ほど強くはない。だが、それでも俺は全力を込めたはずだ。
 次なる一撃も同じ結果、俺の攻撃は全てガングートの手が捌き切った。
 だが、それは道理だろう。ガングートは俺にとっての師匠だ。
 俺の手の内など把握済み、ましてや彼に伝授された技であればなおさらである。

「ッ…!」

 最も隙の大きい瞬間を狙ったガングートの掌が俺の胸を押している。
 ガングートから教えられた技では彼に動きをすべて把握されている以上倒すには至らない。
 動きが一瞬鈍った俺の顔面にガングートの貫手が迫る。当たれば恐らく目を、そしてその奥にある脳をも貫く即死の一撃だ。
 だが、俺はそれを躱さない。躱す必要がないからだ。

 突如として空から降ってきた立方体が俺とガングートの間に距離を作った。
 気配は感じていたから来てくれると信じていたが、まさか一番乗りとは…ありがたい限りだ。

「それは…想定外だったな。いかにして私の作った夢から抜け出した?」

 先程立方体を飛ばしてきたのは槌唄さんだ。何とか俺のダイヤの糸によって俺の意志を伝えることができたのは僥倖だった。

「夢なら醒めるもんだろ。…アンタは、小を犠牲に大を救うみたいなコトを嫌うと思ってたんだがな」
「その評価は不適格だな。私は皆の願いを叶えるためであればそれを厭うことはない。
 総てを救うは夢物語であるならば、私は手を伸ばせる範囲を救うとも」

 他にもあの地下放水路で出会った奴らや、強い気の持ち主たちにも意志は伝えておいた。
 夢から覚めたとて俺に協力を強要するいわれはないし、各々の目的に動いている者もいるがそれは当たり前だ。
 これは何より、俺がケリをつけるべきなのだから。
 それでもなお利害の一致で共に立つ者はいる。己が信条故に共に立つ者もいる。

「たとえつかみそこなったとしても俺たちは理想を目指す。
 それが『清海』のはずだ。俺たちに命を選ぶ権利はない…である以上、たとえ手を伸ばしたところで救える可能性が限りなく低くても…俺たちは手を伸ばす。
 その希望を抱いていたのは貴方だろう!」
「そうだね、ガングート君は当初今のように冷めた目でこの上海を視てはいなかった。
 熱を手放すだけならば僕も深くは干渉しないが…熱を奪おうとするならばそれは看過できない」

 少女が俺の隣に並び立つ。見た目は少女だが、纏う気はかなりの年代物だ。
 だが、同時に燃えるような青い気も纏っている。彼女が誰であるか、俺は分からないが…ガングートを止めるために来てくれたのだろうか。

「そうだよ、『清海』の海圻。どうやら唆されてしまったことも彼の暴走に寄与しているようだが、基より彼は人の願いを一身に受けてしまう。
 人一倍責任感を持っていたことも、大きな要因だろう」
「唆されたって…誰にだ?」
「僕たちの世界に干渉してくる神性というやつさ。
 名前はない、故に『何か』としか言えないね。
 『魔幇統府』果成いっぽ、己が信条の元君達に助太刀しよう」

 名前がない、というよりは付けられない理由があるのだろう。
 認識によって世界の理を歪めることができる以上、下手な定義は脅威を更なる脅威へと進化させかねない。

 何やら遠くで俺たちの気配をうかがっている少女もいる。
 こっそりとガングートの後ろで倒れているダイに近づこうとしている当たりダイヤ目当てだろうか。
 無論ガングートがそれに気づいていないなんてこともなく、少女目掛けてダイヤの鎖が殺到する。

「ッ危ない!」

 ダイヤによる身体強化と気の放出による加速、少女を抱き留め攻撃範囲内から離脱する。

「あわわわわ…」
「大丈夫だったか、ここは危ないし早く…」
「そ、そういうわけにもいかなくて…突然目が覚めたらここにいて…
 ――アレ、あそこの人、ドーの甲羅みたいなもの持ってる…」
「?」

 わなわなと震え始める少女は、どこか熱っぽい…というより実際に熱気を放っているように感じた。
 これは魔人能力か何かだろうか、ともかくここから離れさせようと声を掛けようとした瞬間、彼女はガングートへ向かって走り出していた。

「?!何やって――」
「『精神道奇襲術(マインドコマンド)』【加速】」

 少女がとんでもないスピードで駆けだしていく。

「ドー見つけた…!あと貴方がドー持ってっちゃうといつかボスに会えた時に渡せないじゃん!」
「呆けてる場合じゃないな…!」

 少女に続くように、俺と槌唄さんも走り出す。先程意味深なことを言っていた少女は…俺たちの動きをじっくりと、しかし確かな熱を持ってみていた。
 宿っている感情は、決して他人事を楽しむようなものではない。
 彼女もまた、俺たちと共に戦っているのだ。

 俺には、ガングートを悪だということはできない。
 その思想の根本にあるものが、何より上海の人々を思ったものであることを理解しているからだ。
 だからこそ、俺はガングートが許せなかった。
 安易ではなかったのだろう。幾億も悩み抜いた末の決断だったのだろう。
 だからといって、最初に掲げた俺たちの理想をこうして否定されるのはどうしても耐えられなかった。

「いいだろう、援軍で押しとどめられるか…ダイヤの力を試す機会だ」

 ガングートの背から放たれたダイヤの鎖が空間すべてを覆っていく。
 覆うだけではなく俺たち目掛けて降り注いでくる鎖の攻撃は、かなりの強度だ。シグリを狙うことはない…と信じたいが、いつでも動けるよう視野に入れておくべきだろう。

「『精神道奇襲術(マインドコマンド)』【隠れ身】!」
「物量で押し通るつもりか…!」
「槌唄さん、俺のことはいい!シグリとあっちの果成さんを守ってくれ!」

 少なくともガングートの狙いは俺だ。
 俺がダイヤの力を失えばおのずと彼らもまた夢の中へと墜ちていくだろう。

「土埋めば木聳え火粛々なり!」

 だがガングートからどうにかしてダイヤを剥離しなければ勝つことは難しい。
 この物量をいつまでもしのぎ切れるわけではないのだ。
 気の流れに乗せて踏み込みから拳を撃ち放つ。まずはガングートを追い込み、ダイヤの剥離を目指す!
 『統星指令(アストラル・ドミニオン)』。シグリの使っていたあの力が、今の俺には微弱ではあるが存在している。

「おおおッ!」

 鎖の攻撃をかいくぐりながら、ガングートの攻撃を捌きつつ俺もまた牽制を放つ。
 視界の端では果敢にガングートへ突撃していた少女が裏を取ろうと動いていた。
 あれほど気配を殺されると俺でも見つけるのは困難だ。

「ぐっ…?!」

 突如として落下してきた立方体の処理が一瞬遅れたガングートの身体に拳を叩き込む。
 致命とはいかずとも内部へのダメージは脚に響くはずだ。
 ガングートは武人としては俺より格上だろう。だが、戦士としてであれば今の俺の方が幾分強い。

「私の責務は――邪魔させん!」

 鎖を縦横無尽に網の如く広げるガングートの声音には怒気と焦りが見える。
 俺たち全員に対処したい、と言ったところか。
 だが1人に対する圧力は減った。今が攻め時だろう。
 ガングートの蹴りを受け止め、続く一撃を弾き返す。
 気の放出を合わせた体幹崩しはいかな武術家であれど成功すれば十分な隙を作る一手だ。
 ガングートの姿勢が崩れ、構えが不完全なものとなった。

「アンタの相手は海圻だけじゃあないぞ!」

 その隙を刺すように横から槌唄さんがハンマーを振りかぶる。
 いつの間にかシグリの横に果成が立っていた。自らの身を鎖の前にさらけ出しシグリを守っている。
 不思議なことにその体に傷一つなく、虚空から謎の音楽も流れていた。

「シグリはあの子が守ってくれる。俺たちはこっちに集中するぞ!」
「ああ。…なんか既視感ある気がするけど今は言ってられないな…」

 槌唄さんの攻撃はダイヤの鎖が防いだが、その瞬間を狙って少女が槌唄さんの生成した立方体を振りかぶっていた。

「『精神道奇襲術(マインドコマンド)』【熱血】【必中】」

 立方体の速度はガングートの放つ鎖に勝るとも劣らない。
 さらには見た目以上の質量をもって迫る攻撃は、避けることを許さない一撃となっていた。アレは、恐らく少しでも躱せば何処までも追ってくるだろう。
 故に真っ向から受け止め打ち砕くほかにない。

「おおおおッ!」

 雄叫びを上げるガングートの身体からダイヤの結晶が放たれる。
 その一つ一つがかなり高威力の弾丸だ。さらにダイヤの鎖が俺たちを襲う。
 丁度投擲姿勢のままだった少女は慌てて避けたため派手に転んでしまったが、そのおかげか頭上を通り過ぎる鎖は避けている。
 槌唄さんは俺と同じく、防御に徹しているため隙を見つけて合わせればこの攻勢も止む。
 その、はずなのだ。

「ま――ず」

 目の前に、ガングートがいる。ガングートからすれば、俺を仕留めるだけでいい以上、こちらを狙ってくるのは必然だ。
 俺は、気で肉体強化を施していてなおこの身を貫かれた。
 耐えられるだろうか。もう一度肉体をあれだけ損傷すればいくらダイヤの欠片と言えど再生はできないかもしれない。
 だが今は受けるしかない。例え耐えられぬとしても、相打ちになるとしても、これだけ近ければ攻撃後の隙を叩くことができる。

 殺気がどこに向けられているかは明白だ。軌道を変えられるならば威力も削がれる。
 問題ない、俺ならば耐えられる。
 俺の気を信じろ。そう、拳狐にも言われたはずだ。
 鳩尾を抉るような軌道で放たれる一撃を全身の気を固め受け止めた。
 また貫かれたのではないか。そう錯覚するほどの衝撃が肉体を震わせる。

「ぐ…おッ…?!」

 まだ耐えている。だが、ガングートの拳もまだ止まっていない。
 このまま耐えているだけでは次撃が俺の身体を食い破るだろう。
 酸素を求めた身体が喘いだ。脚にガタが来ている、十分な空気もない以上パフォーマンスは否応なく低下する。

「『精神道奇襲術(マインドコマンド)』【信頼】!」

 不意に身体に活力が取り戻されていく。聞こえてきた声音的に恐らく少女の能力なのだろう。
 投擲物の威力を上げ、必ず当たるように仕向け、気配を消す…そのうえこのような回復技能まであるとは、なかなかに多芸だ。
 ずぼっと俺の身体からガングートの拳が引き抜かれる。
 一撃のもとに打ち崩せなかったがゆえに二撃目を、ということだ。

「させない――!」

 無論二撃目を受ければ今度こそ俺の身体は持たない。
 これだけ近ければ十分に『統星指令(アストラル・ドミニオン)』の範囲内だ、この機を逃す手はない。
 咄嗟にガングートの腕を掴み、逃げ道を封じる。

『いくよ、海圻』

 肩に感じる微かな感触は、まるでシグリが本当に俺の後ろにいてくれているようだ。
 だが、それはあくまで幻。
 けれどその幻が今は頼もしい。

「ああ。――『統星指令(アストラル・ドミニオン)』!」

 ガングートに手を伸ばし、その体内にあるダイヤの欠片を摘出する。
 ダイヤの鎖が黒ずんでいく。どうやらこの力は正常に稼働しているようだ。
 だが、俺が融合したダイヤの欠片は一つだけだからか、それとも俺がこの力をうまく扱えていないのか。まだダイヤの欠片は頭程度しか姿を見せていない。

「くっ…」
「その力はずっとシグリ君がもっていた物だ。お前に扱えるものではない」

 俺の腕から力が抜けていく。まずい、今のままではガングートを押しとどめられない。
 俺の胸からもダイヤの欠片が顔を覗かせつつあっている。
 ガングート側に引っ張られているのか、しかしガングートのダイヤは黒ずんだままだ。

『海圻…おれ、やるよ』

 完全に俺の身体から分離したダイヤの欠片は宙を漂いながら俺とガングートの間で停止した。
 ダイヤの強化が失われた俺の身体はガングートの腕を放してしまった。
 だが、ガングートも俺から後ずさって距離を取り苦しんでいる様子だった。その胸からはダイヤの欠片が2つその顔を覗かせている。
 一瞬にして欠片はその全貌を見せた。3つの欠片は引かれあうように空中で交わり、地面へと落下する。

「…!」

 ガングートが落ちたダイヤの欠片へと走り出す。
 もう、ガングートはあの理想に憑りつかれてしまったのだろうか。

「――武神、我が身を飾れ――」

 目の前にいる俺の排除より、ダイヤを優先する。それは、ガングートともあろう武人がする行動ではなかった。
 完全にダイヤしか眼中にないのだ。
 ガングートが本当にあの計画を実行に移そうとしているならば、先に俺を仕留めるべきなのだ。
 もう、ガングートに最初の志はない。あるのは、何者かに唆されダイヤに精神を蝕まれた抜け殻のみだ。

「拳戟――『蚩尤界拳』」

 踏み込みから一気に距離を詰め、拳をガングートの胸へ叩き込む。
 俺の拳はガングートの身体へ抵抗なく埋まる。確かに骨を砕く感触が伝わる、このまま技を打ち切れば致命傷だろう。
 だが、ここで止めなければガングートはまた同じ事を繰り返す。

「ぐ、おッ…」

 俺の拳を受けたガングートが胸を押さえ膝を折った。
 全力の一撃を打ち込んだにも関わらず、まだ耐えている。

「どう、した…止めを刺せ。私はお前を否定し、お前は私を否定した…
 その結果、お前の主張が通ったのだ」
「…そうだな。ガングート、俺は、貴方に拾われて本当によかったよ。
 ありがとう、でも俺は貴方を否定する。恨んでくれて構わない」
「ふ…恨むものか。私も、重荷を背負うは責務だと思ってはいるが、それでも、苦しいものだ」

 眼を閉じたガングートの心臓に限界まで鋭く、凝縮させた気を放つ。
 膝を折ったまま、ガングートの気が薄れていく。
 俺はガングートの近くに落ちていたダイヤを拾い、シグリのもとへ歩いていく。
 槌唄さんとさっきの俺に活力を与えてくれた少女は立方体に身を委ねて眠っていた。槌唄さんは少し起きそうなそぶりを見せているが。

「奮戦だったね、海圻。彼らはダイヤの力が急激に流れたり無くなったりで一時的に眠っているだけだ、心配しなくていい」
「…シグリを守ってくれて、ありがとう。果成さん、あんたは一体――」
「僕はただのヒーロー目指している魔人さ。
 シグリ君は無事だよ」

 ほら、と果成が身体を避ければそこには俺のジャケットを羽織ったまま寝ているシグリがいた。
 傷一つない、だけどやはり一度病院で診てもらうべきだろう。
 そう思い、シグリの事を抱え起こした時だった。シグリの瞼がゆっくりと開き、こちらを見ていた。

「…ん、あれ…ここは…」
「シグリ…!大丈夫か、痛くないか?身体は、特に異常なさそうか…?」
「う、うん…えっと…あの、ね…」

 きまりが悪そうにシグリが少し不器用に微笑む

「君は…誰?」

 シグリが言っていることが分からなかった。いや、理解はできた。だが脳が理解を拒んでいた。

「誰…って…俺、は…」

 それ以上、言葉を紡げる気がしなかった。

「…ん、俺ねてたのか…?…海圻、やったんだな…」
「…槌唄さん」
「お、おう。どうした」
「至急シグリを病院に連れていく。脚はあるか?」


                  ***


 風でカーテンがはためいた。オレは病院のベットでもらった本を読みながら本日何度目かのため息
 だって、ため息だってつきたくなる。折角10日前、上海に旅行に来たっていうのに今の今までずっと記憶に残ってない上に病院生活なんだから。

「折角の外国だったのに~~」
「金剛ー!!!」

 嘆くオレの声を聞きつけたのか、病院の扉を開けて榛名が入ってきた。
 どうやらオレが入院していると聞いて日本からすっ飛んできた様子。

「…心配した、けど結構元気そうじゃんお前」
「なんで入院してるか自分でもしっくりこないからねー。
 魔人能力の発露、なんてオレにあるわけないんだし」
「目覚めないほうがいいこともあるしなあ。俺はいらない筆頭…
 翼先輩みたいな能力、欲しかったぜ…」
「確かに榛名のは使いどころわかんないねぇ…」

 ぺりぺりと蜜柑の皮をむいて一房口にする。なんだか少しだけ日本に帰ってきた気分。

「榛名も食べていいよ」
「いいのか?それ、小母さんと小父さんから貰ったんだろ?」
「流石にこんな量入院中に食べきれないよ…食べ盛りかもしれないけど、蜜柑だけ食べるわけにもいかないんだしさー」

 お言葉に甘えて、と榛名は椅子に腰を下ろし蜜柑の皮をむき始めた。

「そういえばさー」
「んー?」
「最近ね、変な夢見るんだよね。すっごいかっこいいオレと同い年くらいの男の子が、カンフー映画みたいに敵をやっつけてくんだ!
 それで、オレはなぜかその人の隣にいて、守られてるんだよね…」
「大方何かの映画の記憶じゃないかね。
 でも、金剛はそういう状況になっても絶対めげないよな」
「そうかなあ…オレ、結構折れそうだけど…
 ん、あれ?」

 少しだけ開いた病室のドア。何か、赤いものがちらりと見えた気がして。
 けれど、そこには普通の廊下の光景しか広がっていなかった。

「ん~~何だったんだろ…」
「人はいっぱい通るだろうし、誰かいても不思議じゃないだろ」
「知ってる気がしたんだよね…」

 ばたばたと風にカーテンがはためいた。
 流石にそろそろ閉じておこうかな。



 病院からほど近い公園。俺は只1人ベンチに腰かけていた。
 あの戦いから少しだけ日日が流れた。
 シグリを病院に送って帰ってきたらダイがなぜかピンピンしており、少女…大戦持A子というらしい、がダイを魔幇に返したことで清王朝のダイヤモンド盗難事件はひそやかに幕を閉じていた。

「まさか、あのダイヤモンド星人がその正体だなんてな…」

 どうやらダイは清王朝のダイヤモンドと呼ばれる存在の正体であったようだ…にわかには信じがたい。
 ダイヤの欠片…宇宙船のコアも俺から魔幇に返還し、その管理下に置かれた。
 俺たち『清海』はダイヤの欠片を報告せず黙っていたことで襲撃を受けたが、それは下っ端の暴走だったようだ。
 四天王も関わってはいたものの、どちらかといえば埋め込まれてしまったダイヤによる精神への影響が強かったらしい。

 そして『清海』はトップを失ったことで実質的な解散。
 華甲さんを除いて、誰も何も言わなかったが『清海』から1人また1人と離れていった。
 誰も俺を責めなかったが、俺への不満はあっただろう。
 いくら志を同じくする者たちとはいえ、ガングートのやり方を完全に否定することはできないメンバーもいたはずだ。

『2人だけになっちゃったわね。…貴方がやったこと、別にまだすべてを納得できたわけじゃない。
 けれど、貴方はガングートの暴走を止めてくれた。自分勝手ではあるけれど…ありがとう、そしてごめんなさいね』

 現在、『清海』は俺と華甲さん、そしてこの結果を眠る直前に視ていたらしい予測能力者の内1人だけが残っている。
 俺は自分勝手に『清海』という居場所を他の人から奪ったのかもしれない。
 …止めなければガングートの独善的な救いがあったのは言うまでもないが、それでも脳裏には悔やむ気持ちがよぎり続ける。

 そして、記憶を失ったシグリのこと――
 俺は、あの後シグリに会っていない。だが、病院にシグリを送り届け帰るところで俺も検査することになり…1日だけ、ベッドを借りることとなった。
 魔人御用達の病院ということもあり、シグリの魔人化がどうなっているかを調べることもできた。その結果、シグリは只の人間、即ち非魔人となっていたのだ。
 そして、シグリにはここ10日間の記憶がない、ということも事情聴取にて判明したそうだ。

「――会わなくてよいのか」
「ああ。…俺とシグリは、住む世界が違うからな」

 ベンチの後ろから声が聞こえる。ちらと視線を向ければ、そこには狐面の男…拳狐がたたずんでいた。

「ああそうだ、助言ありがとな。アレが無かったら、俺は今ここにいなかったよ」
「何、己は只原石が磨かれぬまま朽ち果てるのは惜しいと思ったまでよ」

 口元だけで笑う拳狐は、以前グランドスラムで会ったときよりも気の高まりを感じる。
 彼にも何かしら、大きな戦いがあったのだろうか。

「シグリに必要なのは、俺と一緒にいた命の危機が間近にある経験じゃなくて…
 この上海で、楽しく過ごせた思い出だ。
 少しでも俺たちが関わっていたことが残っていると、魔人の脅威が、その恐怖が記憶に焼き付いちまう」
「一理ある。あのひよっ子は本来極東の出のはずだ」

 しかしな、と拳狐が付け加える。

「だからと言って、おぬしは自身の望みを押し殺すのか?」
「ああ。いいんだ、今は。
 …多分もう覚えてないけど、どこかで休暇を取って、あっちに行ってみるさ」

 シグリがどこに住んでいるかなんて知らないが、シグリが見てきた光景を見るのもいいだろう。
 シグリと共にいた思い出は、オレの内にだけしまっておく。
 もしまた出会えるのなら…その時はまた1から。
 もう一度俺たちは友人になれる。ああ、きっとそうだ。

「…精神の弱さは確かに肉をも弱くする。だがな、内に貯め込みすぎるのもまた脆弱性だ」
「…あのなあ、俺ちょっとあんたに煽られるだろうなって思ってたのに…
 なんで、そんなにお見通しって感じなんだよ」
「狐は過去も未来も見据えているものよ」

 嘯くはいつもの事、だが、それさえも今の俺にとってはありがたかった。

「己はおぬしが腑抜けるのは好まん。青き拳だからこそまだ育つ余地がある。
 活かすも殺すもおぬし次第ではあろうが、な」
「育つ、か。そうだな。俺の武はまだ俺自身の限界にはないはずだ」

 ベンチから立ち上がる。『清海』は俺がガングートの意志を引き継ぎ、継続していこう。
 また人が来てくれるのであれば俺としても万々歳だ。
 もう一度この志の元に集う者と共に、俺はこの街の秩序を守ろう。

「よし、拳狐。約束、今ここで果たさないか?そしたら飯でも食いに行こう。前みたいにさ」
「飯、か。ふ、己も舐められたものだな」

 鋭く俺を射抜く眼光が、俺の背筋を震わせる。
 面に開けられた穴からでもわかるほどに、獲物を見定めるその気迫は俺の闘志を沸き立たせてくれる。

「往くとしても、おぬしが飯を食える状況にあるとは限らん。
 先にした方が良いのではないか?」
「上等、俺はそう簡単にくたばらないぞ」
「よく吠えた、それでこそ戦い甲斐があるというものよ。
 ――さて、あれからどれほど成長したか見せてもらおうか。生半可な武では届かんぞ」

 お互いに拳を構える。
 合図も示し合わせも必要なく、両雄はほぼ同時に地面を蹴った。

                                      終
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