&image(https://img.atwikiimg.com/www59.atwiki.jp/flightglide/attach/53/1493/Citadel.png, width=620) |>|>|>|シタデル護国戦車 Citadel MBT| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):基本情報| |種別|主力戦車||| |設計||所属|自由パンノニア共和国&br()統一パンノニア| |製造|X台|世代|&color(#00C){&strong(){第三紀}}| |>|>|>|BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):性能諸元| |機関|アラニ1型 1基|機関最大出力|400ps| |最高速度|50km/h|走行装置|トーションバー式| |武装|7.5fin戦車砲 1門&br()ナバンカ機銃 同軸1門|装甲(前/横/背)|50mm/40mm/20mm| |乗員|5名||| #region(概要, remember, open) 戦後に初めて開発されたパンノニア発のMBT枠。 もともとは重戦車として開発されたものの、すでに重戦車なる代物が時代遅れなことに気がついていた設計局は 時代を先取りした快速中戦車を考えついた。程々の装甲に高い機動性、高性能の戦車砲…これがシタデルに課せられた課題だった。 結果は上々で陸軍もその性能に満足したが、各国が繰り出した新型戦車と比べると妙に古臭く、設計陣はショックを隠せなかったようだ。 生産量はあまり多くなく、トゥランシルーヴァ超重戦車を引っ張り出してその穴を埋めるなど涙ぐましい努力をもって、15年かけて規定数を納入した。 パンノニア動乱で生産工場が被害を受け、生産に打撃を受けたのが最も大きな理由の一つである。 統一アーキルのコムサック重戦車およびノイナ中戦車と砲火を交えた場面があり、コムサック大橋でアーキル戦車隊を罠にハメたのはこの戦車を運用する第4護国戦車隊だった。 #endregion() #region(Description, remember) Description must be less than 300 words #endregion() #region(兵装, remember, open) ADJUSTMENT #endregion() #region(Armament, remember) ADJUSTMENT #endregion()