ボッツ、親に会う<後編>

 登場人物

  • ボッツ・フォン・ラーバ

   本作の主人公。リューリア地方の馬賊出身。戦翼科。

  • マンリ・ソート

   ボッツの学友。ヨダ地区山岳地帯の山賊出身。専攻科目不明。

  • ドミトリェヌ・ソヌベバリ・クレシュエンコ

  通称ドミトリかドミー。ボッツの学友。トーロック団出身。近衛隊志望

  • ツェツェーリエ・フォン・ラーバ

     元帝国正規空軍准将にして、リューリア馬賊軍閥の長。ついでにボッツの母

  • ヘボン・ラーバ(ワトキンス)

      ツェツェーリエの旦那。ついでにボッツの父 

  • ソッテリク・ディーゼルバルド

 初年特待生で北方空賊出身。空戦技はボッツを凌ぐ。生け花専攻

  • アイラロン・ウーリモア

 初年特待生。トーロック団傘下の空賊。腕はソッテリクと双璧を成すが、薬物中毒。

  • ドバニ・ルパシカェ

 ワフラビア女学園戦翼科教官の一人。主に上級生への指導担当、空賊馬賊に怨み有

  • カンムーテ・リズ・ファーヘン・デシュタイヤ

  ワフラビア学園上級生、戦翼科。

 

 

 

 操縦桿を握る手はブヨブヨとして大きく、繊細な操作ができるようにはとても思えなかった。
    しかし、その掌はまるで生体器官戦翼機の全てを知り尽くしたかのように、機体を子供が掲げて遊ぶ玩具のように意のままに動かしてしまうことを、幼いボッツはよく知っている。
    オコジョの尻へ鞭を当てるかのように、生体器官に勢いを付け加速し、空を漂うスカイバードの様に優雅に舞い上がらせ、空中で心臓発作を起こしたようなクルカのような勢いで機体を急降下させる。
    そんな卓越した飛行技術をボッツは物心ついた時から、『ボリス・ミュラー』という遠縁の叔父に教わった。
    ぶくぶくと太った肉体に、禿げ上がった頭部が特徴の、このどこにでも居る老人の様に見えるが、機体に乗ったときと得物を持った際はそれが二十代に若返る。
    とうの昔に軍をやめ、ラーバ家に居着いていたが、それでも馬賊稼業は続いた。
    当初はボッツの父がそんな危ない真似を止めさせようと何度もしたが、父は元々気が弱いほうであったし、現役時代の上下関係か何かが強く言わせなかった。
    それでも馬賊に身を置いてしまっているだけ、父も傑物であるには違いなかったが、ボッツは父の過去についてはあまり知らなかった。
    代わりに母が随分と語ってくれたが、それは子供ながらに嘘くさい英雄譚と思われるもので、母はその話を語る度に興奮気味となって、見てきたように話し続けたものだが、ある程度ボッツが歳を食うとそんな話をせがむこともなくなった。
    それでも酒気を含んださいには嫌がおうにも話してきたものだ。

 話は脱線したが、その恩人たる叔父が亡くなったのは3年前で、死因は撃墜されたでも射殺されたでもなく、予想外に寝床で眠ったまま安らかに息を引き取った。
    ボッツもその頃には相当数の死人を見たり作ったりしていたが、あれほど叔父の満足げで、今にもゲラゲラ笑いだして生き返りそうな愉快な死に顔は見た事が無かった。

 

 そんな叔父の事を持ち出されると、ボッツは何処となく哀愁が胸を締め付けるという、滅多に感じえないものが胸中に湧き出るのを感じ、父とマンリと共に切々と機体の整備を行う事が出来た。
    やがて、点検整備を終えると、父も疲れが出てきたのか、座席に腰を下ろし、深く息を吐いた。
    その姿にはやはり寄る年波は感じたが、それでもどことなく満足そうな顔をしている。

 「父さん、ありがとうね。これでしっかり飛べそうよ」

 ボッツは父に寄り添いながら、普段は全く見せた事ないような優し気な笑みを浮かべた。
    それを見てマンリは気持ち悪そうに顔をしかめてみせたが、それは無視された。

 「今度はもっとこまめに行ってくれ。私より、いつも危険と隣り合わせなんだから」

 「わかってるわよ。父さんも気を付けなきゃ、しっかりお袋の手綱を締めとかないと、なにするかわかったもんじゃないわよ?」

 お道化とも事実とも半々にボッツが父にそう言うと、彼は声を低くして笑う。
    しかし、その視線が窓の外に流れると、何かに気付いたように娘を手招きする。

 「ボッツ、あれは友人かな?」

 そう言われてボッツも窓から顔を覗かせると、機外には二人の女が立っていて、しげしげと此方を見上げては二人でコソコソと話している様子だった。
     一人は身長が高く、学園制服などではなく、茶色っぽい軍服を着流しのようにして頭にベールと口元に布を巻き、弾帯を腰帯としている様子から一目で空賊とわかる。
     もう一人は背が低く猫背で、着ている物は帝都民で流行っているドレスのようであったが、ひどく薄汚れている。

 「やぁねぇ、違うわよ。確かに同級生だけど、あれはディーゼルバルドとウーリモアよ」

 ボッツがそう手をヒラヒラとさせると、待っててと父に言いながら、機外へと出ていった。

 「なんか用?今日は別にアンタ等とやり合うつもりはないわよ?」

 彼女は既に普段の馬賊らしい横柄さで、二人を見たが、対峙する二人もボッツに引けを取らなかった。

 「…こちらとて、そんなつもりはない。噂のお父上の姿を一目見たかっただけだ」

 「そうそう…空鬼ってのはど、何処にいるんだよぅ、リュ、リューリアの?あ、あの窓から覗いている年寄りがそうなの?え?そうなんでしょ?」

 空賊然とした姿のディーゼルバルドこと『ソッテリク』は口元を常に布切れで覆っていて、モゴモゴとしたもったいぶった喋りが特徴だが、その隣のウーリモアこと『アイラロン』は下卑た目を向けながら、常に口元に薄ら笑いを浮かべ、小刻みに肩が震えているのが個性だ。

 「そうよ、けど見ての通りのお爺さんよ。だけど、ウーリモアの方がよっぽど年寄りに見えるわ。もう、お薬が切れたの?」

 ボッツは肩を竦めてアイラロンを皮肉気に見下ろすと、彼女はすぐに吃音を強くして飛び掛かろうとしてくるが、粗野な外見のソッテリクが片手で制す姿は滑稽にも見えた。

 「かも、な。しかし、戦翼乗りとしては、興味を惹く。30年前の亡霊、生ける伝説…忘れ去られし帝国の英雄…」

 「なぁにが戦翼乗りよ。アンタ等二人そろって、お上品な生け花を専攻してるくせに、どんな風の吹き回しよ」

 ボッツはせせら笑ったが、ソッテリクは肩を竦めて瞳だけを歪めた。

 「そこを突かれると痛いが、私もアイラも殺しには飽いたのでな。ここで呑気に花でも愛でたいと思っていたが、実家連中が来てしまっては厄介でな。戦翼科でないことがバレて大目玉というわけだ」

 「そ、そうなんだよぅ。て、手柄をた、立てなきゃ退学させるって、お、脅しやがるのさ」

 「どーだが、アンタ等の言う花は見て楽しむ物とは私、思っちゃいないわよ?」

 アイラロンは怒り狂っていたのが突然、今度は何か哀願するかのように感情の起伏が激しかったが、これにはボッツは慣れていた。
    荒くれ者の初年特待生のうち、表立って戦翼科の所属はボッツだけだが、彼女を凌ぐ空賊者は升で計るほどいる。
    その中でもこの眼前の二人は、空賊の間では若きエースといっては妙なものの、知らぬものはモグリと言われる程には有名だ。
    ソッテリクは南パ近辺を荒らしまわり、北パにもその名前が知れ渡るほどで、撃墜した敵機や獲物が百は下らない。
    一方のアイラロンもトーロック傘下のウーリモア家だが、彼女に至っては敵機どころか、産業塔を3つは完全に破壊し、追撃隊をたった一機で殲滅したとの噂もある。
    ボッツとてリューリア馬賊として負けはしないが、ある程度この二人の実力は認めざる負えないし、2.3度は共同で仕事もしたことがある為に、その腕がハッタリでないこともよく知っていた。

 「それで、アタシにどうしてほしいのよ?」

 「なに、空鬼を見に来たというのは半分方便でな。リューリアのお母上に機体を融通してもらいたい」

 「わ、私達、もう、その学費の足しに売っちまって、の、残ってないんだよ…な、頼むよぅ。グランビアとはいわない…マ、マコラガでも、乗りさえ出来れば…何機だって、た、た、叩き墜としてやるわよぅ…」

 図々しい態度のソッテリクには辟易とするが、アイラロンの腰が折れんばかりの頼みには、ボッツは少し腕を組んで考えた。

 「んな、家がオンボロ機体を大量に抱えていたのは昔の話よ。私だって別にこのバイネングライダーでやり合おうなんて思っちゃいないわ。グランビアは最近品薄だけど、グランヴィナスなら三機ぐらい用立てられるでしょ。よし、ちょっと待ってなさいな」

 ボッツはそう言うと踵を返して、機内へ戻っていって、窓の外で残っている空賊二人に不安げな視線を向けている父に声を掛けた。

 「父さん。母さんから聞いてると思うけど、これから模擬演習に飛んでかなくちゃいけないのよ。流石にこの船で無茶は出来ないから、お袋から戦翼を外の二人の分も入れて3機借りたいのだけど、ある?型式はなんでもいいわ」

 まるで親に金をたかる子供の様に気軽に、戦闘兵器の貸し出しを求めるボッツだったが、流石に父親も辛うじて貴族かその辺は太っ腹で

 「そうか…。てっきり、決闘でも始まるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。3機か…護衛についてきてくれたグランヴィナスは2機だ。あとは『アレ』だが、あれは流石に君には乗らせられない。賭けの商品でもあるから…」

 「いっそのこと性能を披露してあげてもいいわ」

 「いや、それは無理だ。なにしろアレは『戦車』の分類に入るからね」

 父親は少し遠くに意識を向けるような調子に言いながらも、少なくとも二機は用意できることを請け負ってくれた。

 「わかったわ。それじゃぁお袋の処に行ってくる。マンリ、父さんを頼むわ」

 「はいよ。ボッツのこと、よっく報告しといてあげる!」

 「それはやめて!」

 ボッツは搭乗口で皮肉気に手を振るマンリを尻目に、ソッテリク等を率いて駆け出していた。
    既に点検で手間取っていた為に、空技演習まで時間があまりなかった。

 

 一方、マンリは機体での留守を預かることになったが、元より彼女は気が長い方ではないため、すぐに老貴族と二人だけでいることが億劫になって、近くをウロウロしていたルラーシ三姉妹を呼び止めると機内に呼び寄せ、そこからは彼女等のお定まりのコースであった。

 「ほら、ヘボン!リューリアの田舎じゃこんな上等酒は飲めないわよ!」

 ルラーシ三姉妹は上級生や初年特待生の休憩所を徘徊しており、そこでくすねてきた酒や肴を持っていて、マンリはそれらをボッツの父親に勧めながら、機内で早速宴会を始めていた。
    つい今しがたに機内での宴会騒ぎを咎めたヘボンであったが、実の娘は叱れても他所の家の娘までは叱れぬし、まるで酔っぱらいの童子たちめいたこの四人には手が負えなかった。
    興が乗ってくると、マンリがヨダ山賊に伝わる舞踊を踊り、ルラーシ三姉妹がネネツの不思議な舞いを披露してくる。
    なんとも、言えない心地のままヘボンはそれを眺めながら、ふと昔もこのような舞いを見た様な気がする感慨に襲われた。
    それをどこで見たかをより鮮明に思い出そうとすると、マンリが足元に寄ってきて

 「ねぇ、どうせ暇なんだから、辺りを飛んでみてよ。空から演習を見たほうが楽しいわ」

 「それは、どうかな。巻き込まれたくはないからね」

 「だったら、帝都観光でもいいわ」

 こちらは娘の参観に来たというのに随分と図々しいお願いをしてくるマンリだが、それでもヘボンの顔には好々爺めいた温和な笑みが浮かび、確かにこれに乗せられてバイネングライダーを飛ばしてみるのも楽しそうだと思い始めていた。
     ヘボンは根っからの操縦士であり、軍を辞め、馬賊貴族に婿入りしても、荒事稼業には極力、加わってはいなかったが、ゲラァの操縦や連絡機や輸送機の操縦は好んでしていた。
    思えば、娘にこの機体を入学祝に贈りはしたものの、何度かは自分で操縦したいとは思ってもいたのである。

 「そうだね、それはいい。よし、じゃぁ軽く行ってみようか。夕方には戻ってこれるだろうし、泊りだからね」

 「そうこなくっちゃ!流石、ヘボンは話が分かるわ!」

 老貴族の了承にマンリは子供の様にはしゃぎながら、彼を操縦席へと押していった。
    まるで孫に手を引かれるように操縦席に収まると、連絡艇のゲラァとは違う座り心地にまた何か回顧的な気を感じたが、操縦桿を握りだすとその気持ちは興奮へと変わっていく。
    長年の操縦経験が物を言わせるのか、始動手順は鮮やかな手並みで、娘のボッツよりもそれは素早いように素人のマンリにも見えた。
    そして、このグライダーを初めて動かすにも関わらず、ものの数十秒で生体器官からガスを噴射する音を立て始めると、ゆっくりとその場で機体は離陸を始めた。
    この手際にはマンリも舌を巻き、ルラーシ三姉妹も感嘆の息を漏らす。
    普段からボッツが操るこの機の離発着には慣れていたが、彼女の操縦よりもスムーズで優しいそれは、豪勢で優雅な旅客機のそれを思わせた。

 しかし、そんな心地よいひと時を機体側面の閉じた扉を乱暴に叩く音で、マンリたちは邪魔されてしまった。
    慌ててルラーシ三姉妹が扉を開くと、機体が浮遊する直前にスキー脚を掴んで這い上ったドミトリが脚に掴まっていた。

 「よかった。なんとか間に合ったようだね」

 三姉妹に引き上げられながら、事情を聞こうとする彼女を振り払って、少し気が早っているところを落ち着かせるために、口に煙草を咥えながらドミトリは操縦席へと進んでいき

 「ボッツ。面倒なことになった」

 と慣れた調子に声を掛けたが、操縦席から不安そうな顔を返したのは同級生などではなく老貴族ヘボンである。

 「…貴方は?」

 まだ火を点けていない口の煙草を取り落すほどに、ドミトリは目を丸くして狼狽し、しげしげとヘボンの顔を覗いた。

 「あぁ、ドミー。ボッツの親父のヘボンよ」

 事も無げに脇に居たマンリが紹介したので、ドミトリはすぐに煙草を拾い直し

 「ボッツの?そうか…それは…あぁ、失礼しました。私は初年特待生のクレシュエンコです。ご息女にはお世話に…」

 等と丁寧な物言いで会釈をしてきたので、ヘボンもそれに乗って頭を下げたが、すぐにドミトリの顔はハッとしたような色が浮かび

 「いや、それどころではないんだ。マンリ、ボッツは何処に行った?」

 「さっきウーリモアとディーゼルバルドと一緒に、なんか戦翼を借りに行ったわよ。この機じゃ演習はできないって言ってた」

 「くそっ…一足違いか、余計な時に気を遣って…」

 マンリの返事を聞くと、ドミトリはわずかに焦燥したような調子に、苛立たし気に指に挟んだ煙草を振る。

 「一体、どうしたんです?」

 事態が飲み込めないのはヘボンも同様で、不安そうな顔でドミトリを振り仰ぐ。

 「あぁ、それはですね…。なんと言えばいいのか、ご息女やひいてはウーリモアたちに対して、良からぬ計画が企てられているのです…」

 ドミトリは相手がマンリであれば、まだ砕けた物言いが出来るが、一応は貴族らしい服装をしている老人に対してはそれ相応の言葉遣いを示して説明するが、装いは貴族風でも所詮は帝民あがりのヘボンにはイマイチ彼女が何を言いたいのかよくわからなかった。

 「要はどういうことなのよ?」

 マンリは面倒な言い回しをするドミトリに小首を傾げ、ルラーシ三姉妹も挙句にはヘボンまで首をひねったので

 「あぁ、くそ。やはり馬賊か…」

 と小声で恨めしく呟いてから

 「つまり。貴方のトコの娘さん達に怨みを持っている者達が、演習にかこつけて彼女等を消そうとしているんです」

 「なによ。いつものことじゃない」

 ドミトリの言い直しでようやく一同は合点がいったようだが、マンリとルラーシは別に平然としていた。

 「マンリちゃん、いつものことなのか?」

 「そりゃ、しょっちゅうよ。入学してから、私の手と指の数じゃ数えられないし、ルラーシたちの数を足しても足りないわ。でも、ドミー、今度はどっから、そんな話を聞いたの?空技演習にはいなかったじゃない」

 勿論、ヘボンは顔を青くしてマンリに聞いたが、やはり彼女はどうってことのない態度でドミトリを見上げる始末だった。

 「あぁ、近衛志望は本校舎で模擬兵棋演習だったんだが、その時に教授監督に来ていた高級将校連中から小耳に挟んだ。聞いたところでは、戦翼科教官の内の一人が特にあの三人へ怨みを持っているらしい。おまけに正規軍から虎の子の試作機まで駆り出して、実戦データまで取ろうと第三開発までお忍びで来ているそうだ」

 「よくそんなことまでわかったわね」

 「実家で鼻薬をよく嗅がせているからね。高級なのは名だけだよ」

 そんなやり取りを聞いていたヘボンは更に顔を青くしながらも、こうしてはいられないと、とっくに上空に上がっていた機体を降下させようとしたが、その時には操縦席脇の通信機から、怒鳴り声が響いていた。

 「──ラーバ訓練生!聞こえるか?!ドバニだ!ついてきてもらうぞ!」

 そんなヒステリー寸前な女の金切り声が響くと同時に、一同は機体が取り囲まれている事を知った。
    それは色の鮮やかな装飾の施されたグランビア戦翼機の五機編隊で、オマケに指揮機と思われる一機は見た事もない新型のように見える。
    それらがクルカの子一匹も逃さんばかりに空中包囲を完成させていた。

 流石にヘボンも実戦から遠ざかっている期間が長すぎたせいか、機体の接近に全く気付けなかった。

 「待ってくれ、ドバニ教官!この機体にボッツは乗っていない!彼女の親が操縦しているんだ」

 その金切り声に顔をしかめたドミトリが、素早く送信機を取って相手方に返事をしたが、相手の返答は2.2fin機関銃の威嚇発砲であった。

 「初年のドミトリかっ!嘘をつくな!大人しくついてこい。ギジバ高地の借りを返しに来たと言えばわかるだろう?!」

 「本当だ。教官さん、信じてくれ!私はボッツの父親でヘボン…」

 「年寄りみたいな気持ち悪い声を出すな、ボッツ!聞き苦しいぞ!」

 ドミトリニ代わってヘボンも送信機を取ったが、全くドバニ教官は相手にしてくれなかった。
     流石に男の声が出れば相手も頭を冷やすかとも思ったが、もうそのような段階ではないらしい。
     こうなっては逃げるにも、武装もない為に戦うことも出来ず、大人しく沈黙しながら機体は編隊に包囲されるままについて行くほかなかった。
     ヘボンは相変わらず操縦席で青い顔をしているが、このような状況に慣れている他の者は呑気に物知りなドミトリに説明を求めていた。

 「ギジバ高地ってなんかボッツたち、しでかしたの?」

 「多分、入学前にウーリモアたちと組んで仕事をした件だろう。帝都で私の実家系列が銀行強盗を働いた際に追ってきた追撃隊を、『送り狼』した別動隊をボッツがやっていた。当時の追撃隊の指揮官がドバニだ。部下と教え子を皆殺しにされている筈だ」

 「仇討ってわけね」

 「はた迷惑な話」

 「ボッツとソッテリクとアイラロンが悪い」

 ドミトリの説明にルラーシ三姉妹はうんうんと頷いているが、その本人の父親の前でも全く遠慮が無かった。

 

 一方、その頃。

 バイネングライダーが浮遊仕切る前に、なんとかソリ脚に掴まったドミトリより一歩遅れてしまった女生徒がいた。
    その生徒は悔しそうな顔をしながら、付き添って小姓と共に上空に舞い上がるグライダーを見上げ、そして暫くすると例の教官たちの編隊に取り囲まれる光景を、ほとんど点の集まりにしか見えないところまで見ていた。

 「間に合わなかったか…」

 そう悔し気な声を漏らしたのは、戦翼科上級生のカンムーテ・リズ・ファーヘン・デシュタイヤだった。

 本来なら、ボッツは彼女の仇敵である筈だし、先程のマリシァヌの言葉に乗っていてもおかしくなかったが、あのリューリアの狼が教官や他の生徒に袋叩きで撃墜されるのは、手段は置いておくにしても、自分の手だけで仕留めたいと願う、彼女のプライドが許さなかった。
    その為、ドミトリと同じように機体の下へと駆けつけたのだが、小柄な小姓の足とドミトリ程の敏捷な動きは出来なかった為に間に合わなかったのである。

 「…ラーバめ…まだ、死ぬなよ」

 そう端麗な顔立ちを僅かに苦く歪めながら、カンムーテはその場から踵を返そうとしたが

 「なによ!勝手に殺さないでよ!」

 と背後から聞き忘れられる訳もない、が鳴り声が轟いた。
    驚いてカンムーテが振り返ると、そこにはボッツ当人が訝し気な顔で立っていて、その横にはソッテリクとアイラロンが立って下卑た目を向けている。

 「ほぉぅ?遊覧飛行しかやらぬ、上級生にしては威勢がいいな」

 「デ、デ、デシュタイヤの飼い犬だ、ね。ひひ…わ、私と一緒だ…」

 ボッツと一対一でも厄介だったが、更に面倒そうなのが二人も並んでいるのを見てカンムーテはたじろいだし、彼女の小姓であるムデリは前にボッツたちから辱めを受けている為に、酷く恐れるように主人の背中に隠れてしまう。

 「…待て、じゃあ、あの機体には誰が…?」

 「私の親父よ。別に誰が乗ってもいいでしょうが。全く、マンリに留守を頼むとすぐにどっか行っちゃうんだから…」

 狼狽するカンムーテに対して、ボッツは呆れたように溜息を吐いたが、彼女が次に苦し気に吐いた言葉には流石にその顔が真っ赤に怒気に染まり、その場で狂乱したクルカのように喚いた。

 「ウーリモア!ディーゼルバルド!すぐに飛ぶわよ!あのクソ教官を殺ったら、機体はあげるわ!」

 「別に我はどうでもいいのだが、な。言ったろう?我もアイラロンも殺しは飽いたと」

 「そ、そうだよぅ…そ、そ、それに、教官殺しちまったら、学園に居られない…こ、困るぅ」

 ボッツの喚きに対して、二人は無関心を示そうとしたが、ボッツは尚も食い下がった。

 「わかった!わかったわよ、じゃぁ殺さなくてもいいわ。兎に角、親父とドミー達を助けるの!損得勘定はこの際抜きにして!」

 それを聞くと、ソッテリクはくぐもった笑い声を布の内から響かせ、アイラロンは声も腰も低く笑って見せた。

 「…アイラロン、鬼の目にも涙だな。リューリアのにも、まだまだ人間らしい気持ちはあるらしいぞ?」

 「ひひ…い、いいねぇ。ギジバ高地の墓を6つ増やして、て、て…やろうねぇ…」

 この二人は今どき珍しい、真の意味で空の狭客であった。

 

 

 ドバニ教官が率いるグランビア戦翼たちは、すぐにヘボンの駆るバイネングライダーを撃墜するものと思われた。
    ワフラビア学園の敷地から南西に遠く離れ波風に削られた大岩の乱立する沿岸部がその舞台となったが、現空域に入って、グライダーの後方上部に陣取っていた先鋒が機銃を撃ちかけたのを皮切りに、空戦という名の私刑が開始された。
    しかし、ドバニ教官の誤りはそもそもグライダーにボッツではなく父親のヘボンが乗っていたことと、機体が演習前において非武装であると認識していたことであった。

 恐怖に顔を引きつらせながらも、ヘボンは操縦桿を握り取り囲むグランビア戦翼機の中を強風に揉まれる鳥のように飛ぶ。
    後方を取られそうになれば、すぐさま海面すれすれに機体を降下させ、まるで曲芸飛行のように大岩の合間を飛び逃げ、決して刺客たちの射線に捉えられる事はない。
    生体器官とアーキル系統の固定翼を備えた、バイネングライダーは加速性も運動性においてもグランビアに負けている筈だが、それでも手に掴もうとする蝶が逃げ回るように鮮やかと称してもいい回避軌道を執る。
    それに加えて、完全武装とは言えないながらも、バイネングライダーには対抗手段があった。
    それは主にドミトリが有事に備えて船内の床下に秘匿していた『VM75 マジソンス軽機関銃』一丁と、ルラーシ三姉妹が隠し持っていた銃側面に大きく不格好な胃袋の付いた様な短機関銃が三丁であった。
    これを用いて機体の両側面扉を解放すると、接近したグランビアに向かって、連中は射撃を見舞ってくる。
    それによって、あろうことに元々空戦が不慣れで、不用意に接近しすぎた一機は風防を撃ち抜かれ搭乗員が負傷し、戦域を退いた。

 さらにもう一機は迂闊にも側面に並んだ際に、生体器官部を三丁の短機関銃の一斉射にズタズタにされ、海面に不時着するといった無様を晒していた。

 これは特にルラーシ三姉妹の卓越した射術が成せる業であったが、大金を叩いて帝都貴族上級生と反目しているソフィア・ドッタラン・テーゼリアからの実家から購(あがな)った試作短機関銃の性能にも寄る。

 「案外、使えるね」

 「弾込めは時間が掛かるけどね」

 「あと、お金もね」

 ルラーシ三姉妹は自らが撃ち落とした敵機を冷たい瞳で見送りながら、口々に囁き合っている。
    その光景を尻目に、ドミトリは反対側の側面部で銃把を握りながら、弾帯をマンリに任せていた。

 「小口径高速弾の多弾式か…。脆い生体器官には一溜りもないな」

 「生体防護服にも効くって聞いたわよ!アンタ達、後で貸しなさいよね!」

 三姉妹の得物に口笛を吹いて感心するドミトリに、使いたくて堪らないように調子にひっきりなしにそちらに目をやるマンリであったが、それでも対空射に余念はなく、群がろうとする敵機を的確に追い散らしている。
    因みに、三姉妹の銃器は後に帝国歴608年には制式化する『WF110ベイヅ小型機関銃』の試作開発型となり、テーゼリアはこの設計をワフラヴィア工廠に叩きつけると同時に実家が工廠を吸収合併するのはまた別の話である。
    しかし、そんなことよりも、操縦席で顔から冷や汗と脂汗を交じらせながら、顔を恐怖に引きつらせるヘボンの精神負担は並大抵のものではなかった。

 気軽な遊覧飛行をするつもりが、30年前の荒事に戻ったかのように死地に引きずり出されてしまった。
    まだ、あの時は30代の若さで辛うじて持ってはいたが、流石に老年へと差し掛かった彼には難行であり、心身ともに負荷が凄まじい。
     精々持っても後10分程度が限界であろうかと感じているが、その後をどうすればいいかは全く分からない。
    彼の脳裏にはもう既に半ば走馬灯めいたものが、生前葬のように流れ始め、そこには愛しいとはあるていど思いたい妻の顔や、娘と息子の顔が浮かぶ。
    しかし、その後に続いて、何か異形者の影がそれを掠めると、彼の血潮はまだまだ死を許さぬとばかりに波立って、彼を死への深淵へ気安く落ちていくことを許そうとはしないのだ。

 

 

 「ディーゼルバルド!もっと飛ばしてっ!間に合いさえすればなんとかなるわ!」

 その頃、ボッツ等は慌てて繰り出したグランヴィナスを生体器官の心臓が破裂する程に、オコジョの尻に鞭を当てるようにして最大速で、教官らの航跡を追っていた。
    生体器官式の戦翼機から漏れだす臭いは、航跡として残りやすく、元々それを追って仕留める事を稼業としているだけあって、機体はほとんど真っすぐに、今まさにヘボン等が襲われている海域へと直進している。

 「…これ以上は無理だ。落ち着け、リューリアの。仮にも戦翼科の教官を相手にするのだから、余力は残しておけ」

 ボッツの機体側面をほとんど同じ速度で飛ばす、ソッテリクはまるで通常飛行の様な穏やかさで、彼女を宥めるように通信を飛ばしてくるが、肉親の危機とあってはボッツが冷静でいられる訳もない。

 「ひひ…そ、そうだよぅ…見えさえすれば、わ、私がみぃんな…お、墜としてやるからさぁ…」

 そんな激情に駆られるボッツを嘲笑うかのように、上空の太陽を背にして編隊を組んでいる。
    本来なら、借りることが出来た戦翼はボッツの実家のグランヴィナス二機であったはずだが、アイラロンの搭乗機は全く別で、これはボッツの母親であるツェツェーリエが直々にもぎ取った機体だった。
    つい、先程にボッツを先頭として母親の下へ窮状を告げに飛び込んだ際、娘と同じかそれ以上に血の気が多い母親は、自らが教官らを叩き落してやると喚き始めたので、逆にこれをボッツ等が鎮めるのに時間を浪費したほどだ。

 しかし、なんとか冷静さを取り戻すと、流石に今の歳ではヘボン程にも戦翼は操れぬと悟って、グランヴィナス二機では不足だと他の家に機体の貸し出しを願った。
     本来なら、これは手持無沙汰であったアイラロンの実家ウーリモアが引き受けるのが筋であったが、あろうことかアイラロンの父親は娘の体たらくにお冠のようで、戦翼科ですらなく、挙句の果てに実家の機体すら質に出している現状をこの時初めて知って激昂し、他の賊貴族たちの面前で娘を強かに殴った。

 これを見て、また怒り散らしたのは何故かツェツェーリエであった。

 「貴様はそれでも人の親か!」

 そう怒鳴ると、ウーリモアの家長を杖で完膚なきまでに叩き伏せ、有無を言わせず娘に謝罪して、機体を出してやれと迫り、さもなければ実家の戦力をもってして物理的にお前の一族を消してやると迫った。
    これには自身の身のひっ迫もあっての事であったが、その剣幕は30年前にリューリアで暴れに暴れた頃に立ち戻っていて、他の賊貴族すらこれを称賛した。
    おかげでアイラロンは急遽、衆目のなかで実家から許され、グランヴィナスよりも二回りは性能の良い『代物』を借り受ける事が出来た。

 

 そして、その必死の思いが通じたのか、海域中空に出るとボッツ等はすぐに、まだ辛うじて水面スレスレに飛びながら、襲撃機の猛攻を躱し続けるヘボンの操るバイネングライダーを確認した。

 「──…見えたわっ!11時方向下…私から仕掛けるわよっ!」

 言うが早いが、叫ぶように通信を飛ばすと真っ先にボッツの駆るグランヴィナスが、特にヘボン機に近かった後方のグランビアへ急速に迫る。
    初手は奇襲なこともあって、容易く後部の生体器官部に一連射を見舞う事で相手はすぐさま、臓腑と生体液を撒き散らしながら水面に飛び込む様となったが、付近にいた残りの二機はすぐさま反転して、新手の敵を迎え撃とうとした。
    しかし、そのうちの一機は更に逆方向から音もなく迂回して迫ってきていた、ソッテリクのグランヴィナスに側面を突かれた。

 全く何が起きているのかもわからないまま、生体器官を撃ち抜かれてしまい、浮力を失ったグランビアは最初の一機と同じ運命をたどる。
    生体器官音というのはとても特徴的な物で、敵機が迫る物ならば、慣れた操縦手たちはそれを聞き分けることが出来るのだが、ソッテリクの得意な戦法は、それを限界まで絞って気付かれぬ内に接敵するというものだった。

 「──…ボッツか?!」

 ここでようやくドバニ教官は、宿敵が現れた事を今更ながらに気付いた。
     通信音声でわかりそうなものであったが、音質が悪かったことと頭に血が上っていたことが災いしていた。
    しかし、教え子たちに襲撃を任しているうちに、バイネングライダーの軌道がボッツのそれよりも匠であることと、犬のように噛みついてくる狂暴性が感じられないことに疑問を感じていた矢先に、自身が数年前に味わった屈辱を再燃させるかのような機動で瞬く間に教え子を墜としたのを見て確信することが出来た。

 「ドバニ!仕切り直しよ!私の首が欲しいなら、今ここでやり合ってあげる!」

 ボッツはすぐさま上空に控える、ドバニ教官機へと機首を向け、上昇を始めた。
    しかし、その軌道はあまりに直情的で、馬賊の彼女がお得意とする奇襲からの一撃離脱とは真逆のものとなった。

 「リューリアの、やめろ!」

 ソッテリクは側面を抜けて、更に旋回してボッツの援護に回りながら、直線的な動きは相手の思うつぼだとばかりに彼女を止めようとしたが、血の気が登りに登ったボッツがそれを聞くとも思えない。

 「…くそ、馬鹿馬賊め。やれ、アイラ。いいか、殺すな」

 「ひひっ…わ、わ、わかってるってぇぇえ゛ぇ゛え゛!!!」

 側面の援護に辛うじてついた、ソッテリクはすかさず、更に上空に控えたアイラロンに通信を飛ばすと、彼女は新式機の性能と久しく忘れていた戦闘興奮の再燃で、普段から体に入れている薬剤の数倍もの昂りを感じ、それ以降は意味不明な叫び声が通信機を満たした。

 

 下方から愚直に突きあがるように上昇してくるボッツのグランヴィナスに対し、ドバニ教官は紺色で巨大な三つの生体器官を後方に備えた新型機で、悠然とそれを待ち構える。
    生体器官に並々ならぬ動力液を叩き込む、一瞬のうちの爆発的な超加速に賭けて、まるで騎士の馬上槍試合が如く雌雄を決そうとしていた。

  「こいっ!リューリアの雌狼!部下たちの…無念は此処に晴らしてくれる!この新式戦翼グランツェルの餌食となるが…」

    顔の古傷を疼かせながらも、ドバニ教官は大仰に迫るボッツに対し叫びたてたが、それは途中で遮られた。
    一瞬にして加速するどころか、彼女の視界は強い衝撃と共にひっくり返り、ものの数秒後には機体事着水していた。
    何が何だかわからなかったのはドバニ教官もさることながら、それと対峙していたボッツもであった。
    ボッツの方としては出来る限り距離を詰め、正面から機銃掃射を叩き込む事しか頭になかったが、その機体をグランツェルと教官が示した声が聞こえた辺りで、教官機の後方を黒い風が一瞬にして突き抜け、後部の生体器官をズタズタに引き裂きながら、その風が飛びぬけたのである。

   「──…リューリアの。殺さなくて良いといったから、負傷程度ですませてやったぞ。有難く思え」

    何が起こったのかわからず、暫し呆然としていたボッツの耳にソッテリクの煩わしい声と、多分、アイラロンのものである勝利を告げる絶叫が聞こえてきたが、後者はあまりにも耳障りで不気味で、人間の出せる声とは思えなかったので通信を切った。 

 「…余計な事をしてくれたわね」

 ボッツはソッテリクに対し、バツが悪そうに言ったが、彼女の方はこちらの反応を面白がっている様であった。

 「言ったろう?殺しは飽いたと、な。だが、『破壊』も偶には良い。気が晴れるというものだ。約束通り、この機は貰っていくぞ?」

 そう言った頃にはソッテリク機は既に、アイラロン機の航跡を追って空域を離脱していくところだった。

 「……助かったわ」

 その光景を見ながら、ボッツは既に通信の届かない距離となってから、送信機へポツリと話し、そして本来の目的である、ヘボンたちの救援へと機首を捻った。

 

 その後、様々な機動飛行で整備したばかりというのに、空中分解寸前だったバイネングライダーをボッツは牽引しながら、女学園の草原へと着陸させると、グライダーの側面扉からマンリやルラーシ三姉妹に担がれるようにして運び出されたヘボンへボッツは走り寄った。
    既に熾烈な操縦で意識は遠のきかけていたが、時折、マンリがヘボンの顔面に酒を吹きかけて意識を手放せさせなかったのが幸いした。

 「父さんっ!」

 ボッツはそう歓喜に満ちた顔で声を張りながら、辛うじて無事な父親に抱き着いた。
    このような光景を見られるのは酷く珍しいと、周囲に野次馬根性で湧いていた初年特待生たちも口笛や冷やかし文句を並べたてたのは言うまでもない。

 「ボッツ、変に揺らしちゃダメよ。失神しちゃうわ」

 ヘボンを抱えるマンリ達はそう今にも激しく抱き起そうとするボッツを止めたが、すぐにでも父親に今回の非礼を謝らなければ気が済まない彼女は、ちょうど様子を見に来たルクレシオに呼びかけ

 「ルクレシオ!バッボンを持ってきて!」

 と彼女のお手製料理をまるで気付薬の方に使う事を思いついた。
     これによってヘボンはその数分後には、自身の前で泣き崩れる娘の数倍の涙と苦痛を味わう事となり、傍らには心底呆れながらも愉快そうな笑みを浮かべる妻の姿を見ることとなってしまった。

 

 その後に空戦演習自体はドバニ教官不在のままに、無理やり行われた。

 結果は思いの外に上級生が善戦し、全体数で見ればわずかに初年特待生側が負け込んだが、これは数の上でも負けていたことと、途中で上級生側の実家が形容しがたい圧力に折れて、特待生側の実家と裏取引が行われたことは公然の秘密であった。

 ドバニ教官や教え子たちはあくまで空戦演習前の予行練習の際に事故で負傷したと片付けられ、一旦は帝都へ救急搬送されたが、そこで何が行われたかは判然とせず、暫くしてドバニ教官は後任と代わって退任という運びとなった。

最終更新:2025年07月17日 10:58