
| OU-3 Assault Ornithopter | |||
| 基本情報 | |||
| 種別 | 攻撃オーニソプター | ||
| 設計 | アルガル カルタグスチルアヴィア(技術支援) |
所属 | マン王国 統一パンノニア王国 |
| 製造 | 世代 | 第三紀後期 | |
| 性能諸元 | |||
| 機関 | 軟質翼付統合浮遊嚢器 1基 | 機関最大出力 | |
| 最高速度 | 420km/h(降下制限) | 航続距離 | |
| 固定武装 | 45mull機関砲 1門 14.5mm機関銃 2門 |
外部兵装 | 胴体下ウェポンベイ (最大2t) 胴体横ハードポイント 12箇所 |
| 乗員 | 2名 | ||
| 二次創作 | |||
| 作者名 | 六方晶ダイヤモンド | ||
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マン王国の防衛大手アルガル社がカルタグスチルアヴィアの協力のもと開発した攻撃オーニソプター。マン王国陸軍に多数が配備されるほか、パンノニア陸軍も相当数を導入している。
668年の第二次デルマン戦争において、序盤こそ優勢だったものの、絶対的な装甲戦力の物量差により勝ちきれず白紙講話に至った背景から、停戦以来マン王国軍は効率的にアナンサラド軍の装甲戦力を撃滅する方法が模索された。これを背景として、マン王国は670年に「航空竜騎兵計画」と呼ばれるドクトリンの検討を開始した。このドクトリンは、緒戦においては陸軍は防勢に徹しつつ、パンノニア軍と共同で徹底した空爆により対空アセットを徹底的に破壊し、それによって得た制空権下で戦闘ヘリコプターが中核となる機動攻勢を行うというものであった。しかし当時、マン王国にとってこの計画に最適かつ入手可能な攻撃ヘリコプターは存在しなかった。パンノニア陸軍が導入を進めていた攻撃ヘリコプターは航続距離・速度・継戦能力の点で満足のいくものではなく、また基本的には非対称戦を重視した設計であったため、空爆では破壊しきれないメルパゼル製MANPADSなどの脅威に対して十分な防御力をもっていなかった。しかしこの性能の限界はパンノニア側の設計思想以上にヘリコプターという形態の限界による部分も大きかった。
軽攻撃機などでの代替はホバリングが不可能という点が厳しく、メルパゼルなどが開発しているティルトローター機に関する技術は東側陣営は遅れているとなると、残された選択肢はオーニソプターだけであった。幸い、マン王国は帝国からの独立時に、ポジシアにてオーニソプターを研究していたライツェン設計局の一部の資産と人員を引き継いでおり、少数ならが民生用オーニソプターを開発生産していた。ここに望みをかけた陸軍は、ライツェン設計局を買収していたアルガル社が主導し、パンノニアの軍需航空最大手カルタグスチルアヴィアにも協力を求めつつ、攻撃オーニソプターの開発を依頼する。カルタグスチルアヴィア側は、将来的にはパンノニア国内への売り込みも期待できるとして計画に参加した。陸軍の要求する性能は、270km/hで巡航し、ホバリングが可能で、空中給油込みでの戦闘行動半径1000km以上、45mmの旋回砲を装備し、可能な限り多くのカウンターメジャーを備えることであった。このなかでは、45mm機関砲の旋回砲としての搭載はその反動から困難なもので、アルガル社は、要件を検討した末に、現実的な機体規模の範囲では軟質翼オーニソプターでなければ実現不可能だと判断した。軟質翼オーニソプターは、大戦末から帝国軍が導入を進めていた技術で、鳥類に近い形状の一対の翼をもつ。トンボに類する従来の多肢式硬質翼オーニソプターと比べて安定性と効率に優れる一方、技術的にはより高度なものが要求された。672年始には試作機が飛行したものの、技術と経験の不足により開発は停滞した。しかし、672年のゲノラグル戦争においてマン王国が派遣した義勇兵がガリアグル軍から帝国製の偵察オーニソプターなどを鹵獲することに成功すると、これらのリバースエンジニアリングすることによりいくつかの技術的ブレイクスルーが得られ、674年には試作機OU-2が完成する。単座機として作られたOU-2は、テメンニグル演習での検証の結果パイロットの多忙が指摘され、複座機に改めたOU-3が量産型として676年から量産が始まった。
OU-3は機首下部にパンノニア製45mm対空機関砲を流用したタレットを搭載し、この砲のために独自開発の対戦車徹甲弾が用意された。この砲弾は、想定される交戦距離でアナンサラド軍が保有する戦車の天板を貫通できる性能を有していた。このほか、機首方向に固定式の14.5mm機関砲を2門装備する。追加武装用の搭載量も多く、爆弾倉には2tまでの爆装、またパイロンにはロケットポッドのほか、AGM、AAMなどを多数搭載できた。防御面では極めて大量のチャフ・フレアとパイロンに搭載されるCAAMに加えて、4基のDIRCMが全周に対する防御を提供している。これらの装備により、OU-3は戦闘ヘリコプターとしては最も強力かつ高価、しかし攻撃機としては致命的に鈍足で幾分割安な兵器という評価を受けた。多くの国にとって帯に短し襷に長しという兵器であるものの、同じ仮想的を有し資金的には潤沢なパンノニア陸軍はカルタグスチルアヴィアの目論見通り採用を決定し、この二カ国のみで運用された。なお、パンノニア空軍空挺も当初導入を検討していたが、大型の機体により降陸艦での運用に困難があるとして断念している。
初の大規模な運用はドブルジャ戦争で、ここではまさに「航空竜騎兵計画」の想定通りの運用が行われた。しかし、結果としてこの戦争では、空爆のみでの防空アセットの完全破壊というのは不可能であることが明らかになった。空爆後に大量になだれ込んだOU-3は装甲戦力に対して多大な戦果を上げ、短期間での突破に貢献した一方、隠匿されていた対空アセットからの苛烈な抵抗を受け、降伏までの数週間で間で約3割を喪失した。本機が十分に活躍できた最大の要因は、アナンサラド側の人的な混乱と士気の低下により、残存していたアセットを有効活用できなかったことによる部分が大きく、もしアナンサラド側が残存していたアセットを全力で活用できた場合OU-3はより壊滅的な被害を受けていた可能性もあった。このような分析を受けて、マン陸軍及びパンノニア陸軍は、より安価なでコンパクトな、戦闘ヘリの純粋な延長としてのオーニソプターへと研究をシフトしていくこととなった。なお、ドブルジャ戦争後ごろからパンノニアの保有するOU-3は約半数が対散兵艦・特殊作戦用のOU-3"SOPS"への改修が進んだ。これは45mm砲を廃止したスペースに高性能対地生探を追加し、アビオニクスを改良したものである。
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