薄暗い、二段ベッドが両脇に置かれた部屋。
その床は誰にも解らない程散らばった服や、私物が埋め尽くす。
部屋全体は僅かに揺れ、吊り下がった電球は弧を描くように振れ動く。
ブーツの硬い足音が部屋の前で止み、ガチャリと音を鳴らして扉を開く。
その入ってきた「男」は緑色の軍服で身を包み、
その筋肉で盛り上がった肩、黒く濃い口髭が印象的である。
「ロア、ロア起きろ」
二段ベッドの下段にいる男が自身の名を二回言う。
そして男はくたびれた毛布を払い除け、
目の開き切らない、癖毛をした顔を表す。
「アサド部隊長...先程交代して仮眠室に入ったばかりじゃあ」
「帝国が動き出したぞ」
寝起きた男は癖毛を掻きながら大きな欠伸をし、
その三十路の伸び始めた無償髭と長いまつ毛、
細身ではあるが、脆弱とは呼べない程度の肉付きであった。
アサド部隊長から言われた男、ロアはため息をつき、
ベットから身体を起こす。
アサドが部屋から出ていくのを見届けた後、
ロアはもう一度ため息をつき、
その手元にあった軍帽を被る。
「全く、帝国軍人様も休みはないのかよ。
頭が下がることだ。」
ロアは一人苦笑いを浮かべ、
アサド部隊長の後を追い、その開きっ放しの扉をくぐる。
通路から若い男が声を掛けてきた。
「先輩、また帝国が動き出したようですね。」
「ん・・・?あぁ、ラウか。そうだな。
やっと寝付いた所に、アサド部隊長から声を掛けられて起きちまった。」
ラウは人懐っこい笑顔でロアの傍まで小走りにやって来た。
ロアとアサドとは違う民族の出のラウは背が低く、肌が浅黒い。
一見して少年のように見えるが成人であり、
同じ
アーキル連邦迎撃部隊の船乗りだ。
「お互いばっちし手柄を立てて、出世しましょう!」
「あのな、何度も言うけど、俺は出世とか興味がねぇんだ。
飯にありつければ良いんだって」
「勿体無いなぁ。先輩ぐらいの腕前があればもっと出世も狙えるのに」
ラウが隣を歩きつつ、ロアの胸に付いている一枚羽の部隊章を見る。
迎撃部隊の部隊章は一枚羽から三枚羽と階級が上がると成っていき、
その上は鉄翼、銀翼、金翼の部隊章に成るが、
ここに居る二人には縁の無い階級である。
「いいんだって、俺は」
やる気の見られないロアは、ラウは立ち止まって真面目な顔で言った。
「僕は何時か、金翼のバッチを付けたいんですよ。」
「そうかい。じゃあ精々頑張ってくれや」
ロアはそう言うと、左手をひらひらとだらしなく振って、
ラウを残したまま先に進む。
「せ、先輩ちょっと待ってくださいよ・・・僕本気なんですから」
「はいはい、わかったわかった」
軽く流し、その扉、迎撃機発着庫の扉を開く。
「ロア、ラウ。さっさと整列せんか。」
声の方を見ると、
アサド部隊長を正面に、迎撃部隊の面々が、
ロアとラウを除き、全員整列していた。
二人が列に加わり、一同は号令と共に敬礼を行い、
部隊長の話を聞く。
「既に聞いてはいると思うが、帝国軍が我らの連邦領内に侵入してきた。
我々はこれを迎撃しに向かう。予定は一時間後1200(ヒトフタマルマル)に接触、
ヒグラート渓谷上空でこれを迎え撃つ。各自出撃の準備を整え、待機せよ」
アサド部隊長がそう告げ、一同は腹式呼吸が効いた切れの良い返事を返す。
一名、そうロアを除いては。
ロアは自分の愛機の傍まで行き、
その緑色の機体に、右手で二回叩くと、
薄い装甲の内部で反響音を立てて返してくる。
その粗悪な合金で構成された装甲、
そして地中深くから発掘された『浮遊機関』を搭載し、
プロペラで前進する。
これが迎撃部隊に与えられる戦闘機「ユーフー」。
夜鳥の意を持った機体で、
自然にその方角を知り、
暗い闇の中でも迷わずに巣へ帰っていく。
そんな『夜鳥』への尊敬の念と、
無事に帰還できることを願って命名された機体。
浮遊機関。
この機体に使われている『機関』は古代の地層より発見され、
その名の通り、『浮遊を可能とする機関』だ。
この機体は小型であるが、素材やメカニズムは解らない、
旧文明の遺物だ。
そして対する帝国は『生体機関』と呼ばれるものを使う。
帝国の北進から使われている、その生々しい「機関」は、
「器官」でもあり、肉より出来ていて、
「生きている」機関である。
だがロアでは確かめようのないことで、
撃ち落とした機体の『生体機関』は既に死んでいるのだから。
ロアは振り返ると、作業着を着た男に声を掛けた。
「コイツの修理と点検は終わっているんだろうな?」
男は満面の笑みで振り返り、
「任せてくださせい、ロアの旦那。バッチリでっせ」
「そうかい。ありがとよ」
ロアはそう礼を言い、ロッカーへ向かった。
戦闘服を着込んだロアは、
窓の外の雲海を見下ろしながら、
マッチで巻き煙草に火をつける。
この瞬間が不思議と好きで、
そして戦場へ向かう僅かな時間に、
その人生の最期に成るかもしれないその一服。
ロアに自殺願望があるわけではない。
だが、死を背にしているが故に感じる生への実感。
その皮肉めいた状況が好きかもしれない。
生き残ってナンボの人生であるからこそ、
この煙草が美味しく吸えるのだ。
ロアは煙を天井に向かって吐き出し、
その短くなった煙草を灰皿に押しつけ、
また新しい煙草を取り出して、
そして残っていた最後の一本のマッチを擦った。
「ちぇ・・・湿気ってやがった。」
マッチの湿気りと共に、
背後から聞こえた足音に振り返ると、
ラウが居た。
「おう、丁度良い所に来た。マッチ持ってねぇかい?」
湿気ったマッチを持ってたロアにラウは苦笑いし、
ロアの隣にあった灰皿に目を遣ると、
既に五本ばかりの煙草が灰皿に乗っていた。
「煙草吸わない僕がマッチなんか持ってる訳ないじゃないですか。
それにも、そろそろ時間ですよ?」
ロアは「ちぇ」とした顔で舌打ちし、
その割れたスピーカーからの耳障りな有線艦内放送が流れる。
「「間もなく本艦はヒグラート渓谷上空に到達する。
各戦闘員は戦闘配置に就き、作戦行動に備えよ。」」
窓の外は雲海ではなくなり、
肌色の砂丘が連なった死の渓谷前の砂漠が見える。
「しゃーない、行くか。」
ロアは名残惜しそうに灰皿を一瞥し、頭を掻いた。
「この戦いで死んだら、次は死ぬほど煙草が吸える時代に生まれようか?」
「何言っているんですか。今でも死ぬほど吸ってるじゃないですか。」
ラウの言葉にロアは「違いねぇや」と笑いながら返し、
迎撃機発着庫に向かう。
戦闘を前に皆は忙しく動き回り、
否が応にも緊張感の漂う空気になっていた。
ラウの表情にもその緊張が見て取れて解り、
「あんまり気張るなよ?死んじまったら出世もクソもねぇんだから」
ロアはそう言い、
無償髭をじょりじょりと弄っていた手をラウの肩に置き、
「判ってますって」
「まぁ、帰ったら一杯おごってくれや」
「ここは先輩がおごるほうでしょうよ」
ラウは振り返って笑う。
二人は其々の愛機に乗り込み、
ゴーグルとベルトを締める。
作業員は部屋から退避し、
その正面のガラスの向こうより出撃を見守る。
迎撃機はこの空母には9機積まれていて、
発着庫の中にかなりの間隔を開けて配置されている。
ロアのユーフーは後方右側、
左隣にアサドの機体が見える。
「そろそろか。」
ロアはそう呟いた時にブザーが鳴り響く。
出撃の合図のブザーだ。
ゆっくりと床が傾き、
後方より光が差し込むそれは、
迎撃機発着庫が空母の尻にあり、
その床ごと開くように造られており、
背後に見えるのは、砂漠である。
十分な傾きで止まった床。
その天井に見える三つのランプの一番左側が蒼色に点灯する。
「往くか」
機体と床を固定してあるロックが解除され、
ユーフーは後ろ向きに床を滑って行く。
後ろに引っ張られる感覚が徐々に強くなり、
床を滑って切れ目を超えると、
ユーフーは空へ投げ出され、
落下する感覚と共に強烈な浮遊感が全身に掛かり、
母艦のトゥラーヤの全貌が視界に現れるのである。
ロアはすぐに浮遊機関を始動させる発動機を起動させて機体を平行にし、
プロペラを回して高度を上げた。
ロアのユーフーがトゥラーヤと同じ高度まで上がる頃には二陣が投下され、
一陣と同じように浮遊機関を起こして、プロペラを回し、高度を上げる。
ユーフーに使われている浮遊機関は垂直離陸が出来る程の推進力は無い。
故に空母からの推進力という名の落下によって初めて飛べるのだ。
プロペラも同様で、浮力を持つ物を引っ張る程度しかない。
だが地面を走るのとは摩擦が圧倒的に違い、
力の無いプロペラであっても回し続ければ乗算的にスピードが乗って、
最高巡航速度100km/hにもなる。
まぁ、そのプロペラを回すのも「あの機関」に頼っているわけだが。
浮遊機関を動かす「だけ」であっても奇跡に近い偉業で、
「浮く」「進む」「止まる」の三つを制御することで、
戦場に持ってこれるという理由で、どの国でも発掘に躍起となっている。
そのため、その繋ぎ合わせだけで精一杯なのだ。
ロアがちらりと横に目を遣ると、
他の空母から同じようにユーフーが吐き出されていて、
其々の隊が陣形を組み始める。
空に筆で白い絵具を伸ばすように、
両翼の先端が白い水蒸気の尾を引いていく。
気密性の低い機体から漏れ出る空気が、
機関内の空気との温度差によって極小の水滴になって尾を引く。
その眼下に大きくひび割れた赤土の大地、
樹木も一切ない、しいて言えば「残骸」が点在する、
死の谷「ヒグラート渓谷」である。
「死の谷かぁ・・・」
そのどこまでも続く赤き大地を見て呟き、鼻を鳴らす。
勿論ヒグラート渓谷にサボテンも生物も生息せず、
撃墜された残骸ぐらいがある程度の死の谷だ。
渓谷上は生物の生きる環境ではないからだ。
ユーフーのコックピット内から雑音の混じった音が、
スタッカートの様に二度響き、
それに続けて粗いアサド部隊長の声が聞こえてくる。
「...ジィ...これより我が隊..は索敵及び迎撃...向かう...
陣形を崩...な...」
ブツリと無線連絡機のスピーカーの音声が切れる。
「おいおい、絶好調に音声が聞き取りづれぇなあ」
ロアはそう言って笑うと、隣の通話ボタンを押し、
了解の意を告げる。
無線連絡機はお互いの機体が見える範囲が最大到達距離らしいが、
近距離でもこの有様である。
ギリギリまで離れれば殆どノイズしか聞こえないし、
その機能を生かしきれないのだ。
長距離通信には中継機を発艦させて空母まで中継を行うが、
これもユーフーと大して変わらない代物だ。
まぁ、スピードと攻撃力がない、他には使い道のない小型機だ。
皮肉にも名前はフラトゥーニ。
野鳥の目とかいう立派な名前が付けられているわけだが。
その先頭を往くアサド部隊長が合図となるバンクを振ると、
ユーフーの編隊は華麗な正三角形の隊列を崩さず、
北東へ向かう。
地上から見る者が居れば、
ヒグラート渓谷の上空を渡り鳥が渡るかのように見えるだろう。
また粗い音のスタッカートを刻む。
「...ジ...ガッ...先輩...」
通信状況は極めて劣悪だが、先輩と言う声。
「ラウか」
コックピットの左から見えるガラス越しから見える、
ゴーグルを付けたラウが右手を上げて合図する。
「どうした?」
「...ジィ...お酒おごっ..てくれる約束忘れ..いでくださ..」
「無事に帰って来れたらな」
ロアがそう応えた時に、先頭のアサド部隊長より通信が入る。
「...ガッ...前方...に敵...目視に...確認...」
「来やがった」
ロアは前方を見たが、それらしい影は見当たらない。
アサドの視力は部隊でも群を抜いて良いが、
ロアの視界がそのグレーの機体に赤い旗を掲げた敵機を捉えるまでは、
それほど時間は掛からなかった。
ロアは足漕ぎ式の連発銃のペダルに足を乗せた時、
急にユーフーの高度計メーターが下がっていく。
「なんだ、こりゃあ」
「...ジジ..先輩..どうした...」
「お前は敵に集中しろ!俺は大丈夫だ!」
スピーカーからラウの声、
通信が途切れてもなお高度計が下がっていく。
プロペラの回転音も不安定になってく。
「ファック!アーキルのやつ、資材が回せないからと言ってもなぁ、
もっとマシな整備士を寄越せなかったのかよ!」
死の谷の地面が近づいていく。
「しょうがねぇ、不時着するか...」
ロアは地面の死の谷を凝視し、
操縦桿を握りしめる。
目一杯左に傾けるが、機関が機能しておらず、
いつものように操縦が効かない。
高度計が下がっていく。
死の渓谷の岩端が迫って来る。
死が目の前に来て、恐怖を感じ、
冷や汗が生じる。
岩端に接触して回転しながらバラバラになり、
そして地面に叩きつけられて死ぬ想像を浮かぶ。
そうしてようやく効き始めた操縦によって左に傾き始めた!
「間に合え!!!!」
我にも縋るように、全体重を操縦桿の左側に掛け、
その持ち上がった右翼が岩端を避ける!
だが眼前に渓谷下の地面が見える。
このまま体勢を直せる余裕も無い、
このまま不時着だ。
更に左に傾け、左翼が地面に接触し、
意識を失った。
最終更新:2016年02月14日 01:04