アットウィキロゴ

操舵手ヘボンの受難#1

操舵手ヘボンの受難#1 『夜空への誘い』

 

 「...恐ろしいまでに静かな空です」
 
 夕焼け色に染まる雲の上を浮かぶ、旧型の強襲艇コアテラの操縦席からやせ細った体に、よれた飛行服を纏った男はそう呟いた。
  
特徴的な団子鼻に唸りをあげる生体エンジンの排熱用に開けられた、切れ目よりも細い目を光らせては、周囲の様子を探っている。

 「時期に騒々しくなるさ」

 そんな彼の声に反応してか、彼の座る操縦席の上に備えられた銃座から、恐ろしく低い声音ではあるものの女性らしい声が響く。

 「護衛する輸送船団までは、この調子で行けばもうじき合流できる。...何事もなければそれで良し。まぁ、そんな事になるわけもないと思うがね」

 そう彼女は自分に言い聞かせるように言いのけて、男の方を見下ろすと念押しするかのように強く睨む。

 「いいか、ヘボン軍曹。これが我ら第13特殊空域旅団の栄光ある初仕事だ。くれぐれも抜かるんじゃないぞ?」

 「はぁ...でも私はその…原隊には復帰できるのでありますか?」

 その問いに対して彼女は沈黙を持って答えた。
  彼女だけは随分と情熱を持ってこの任務に挑んでいるようであるが、ヘボンと呼ばれた男は先程から気の抜けた返答しかできなかった。
  
そもそも彼はつい数時間前まで別の部隊で暢気に休息をとっているところへ、彼女にいきなり連れ出された訳であり、もっと突き詰めれば男は彼女の名前すら知らない。
  
知っていることがあるとすれば、彼女が自身より遙かに階級の高い中佐であることと、この駆強襲艇コアテラで輸送船団の護衛に加われとのことだけであった。まったく軍隊という物はろくでもないものだと、意気揚々と空を眺める中佐を尻目に、ヘボンは思いつつ、先程の素晴らしい休息のことについて思い返していた。

 

 

 日々、何度も繰り返される訓練と地上勤務を終え、細く頼りない体を酷使し続けた後に吸う煙草は格別であると思いながら、ヘボン軍曹は酒保にて紫煙を吐き出していた。
  ただ酒保といってもそこに屋根はなく、酒保物品を納めてある軍用テントの脇に備えられた椅子に彼は腰掛けている。
  
元々立派な施設がある基地ではなく、一応前線からは遠い内地の基地ではあるのだが、敷地内には滑走路の範囲を確保するため建造物などはあまりない。   指揮所や兵舎も全てテントであり、その中で最も大きく滑走路の隅に鎮座し、目を引くのが部隊の象徴である夜間強襲鑑ラーヴァナである。
  
大戦の前期に活躍していた船ではあるが、今ではその性能から前線から引き上げられ、夜間の対地襲撃に備えて少数だけ残されている内の一隻である。
  
ただ、このラーヴァナが戦闘で飛び立つことはそう滅多に無い。
 確かに火力だけは目が引く物があるが、艦攻撃を旨とする戦闘機の進化が目覚ましい昨今では、所詮ただの旧型艦ということで半ば放置されるような形でまるで旧時代の遺物の様に内地に置かれているのだ。
  
そして、その忘れ去られたような旧型艦に付き添う、伝統が長い第三艦隊所属であるものの最早予備役同然の我々も、時期に部隊を解散させられるし、入隊してから長い間ラーヴァナの操舵手を勤めたヘボン軍曹自身、あと数週間で兵役が終わり軍から去ることになっている。
  
元々軍に残る気など鼻から無かったヘボンにとって、平穏に地上勤務を続けて安全に除隊できることは、心から嬉しくて仕方なかった。
  
そしてもっと嬉しいことと言えば、同じ部隊の同僚である同期の麗しいヘレン伍長を明日の休暇に、外出に誘うことが出来たことである。
  
今いる基地の風景といえば荒野に囲まれ、恐ろしく味気無い物であるが、外出で幾らか遠方の集落にまでいけば、帝都の誇る産業塔郡へ迷い込むよりは、大分華やいだ物にあるであろう。
  
その外出の為に、わざわざ憲兵隊の持ち物であるバイク一台を、なんとか拝借できるよう、数週間と言う時間となけなしの軍用通貨で用立てたのだ。
  
なんとしても明日は除隊前の最高の思い出にしようと、ヘボン軍曹は焦る心を抑えながら、紫煙を肺に押し込んで期待を込めるように夕焼け色に染まる空を眺め。

 「...良い夜になるぞ」

 そう楽しげに呟いた。
  だが、その視線の先に広がる空に何か奇妙に移動する機影が映った。勿論、流れ星ではない。
  
その機影は暫く基地の上空を回りながら、基地の敷地内に立てられた即席な造りである管制塔へ、何か信号を送っているらしく、機影は何度も赤い光を点滅させている。
  
それに対して管制塔からも光信号で、上空の機影に応答しているようであるが、様子がどうもおかしい事に軍曹は気付いた。

 「...所属部隊不明機?」

 管制塔から上空の機影へ送っている光信号から察するに、その単語が思わず軍曹の口から漏れた。

 「なんでこんな内地の基地に...」

 不安げに管制塔と機影のやりとりを眺めていると、管制塔の方から人が何人か塔から梯子を下って降りていくのが見える。その様子を見て一瞬敵襲だろうかと不穏な考えがよぎったが、それにしては警報も鳴らないし、特に管制塔以外は慌ただしい動きも見えない。
  その一連の動きを眺めていると、きっと自分の思い過ごしであろうと軍曹は楽観的に結論付けて、椅子に座り直しながらも、視線だけは上空の機影から逸らさなかった。

 「あっ」

 しかし、そう椅子に座ろうとした瞬間に、軍曹は飛行物体の動きに目を見張った。
  機影が上空から一気に激しい音を立てて下降し始めたのだ。
  
着陸態勢にしては恐ろしく無謀な動きで、どこか損傷でもしているのかと疑ったが、飛行物体から黒煙などが吹き上げている様子もない。

 「なんて馬鹿な奴だ」

 そう軍曹は経験の長い操舵手の経験から、すごい速度で下降していく飛行物体を呆れと心配を織り交ぜた表情で見つめた。見つめるついでに先ほどまでぼんやりとしていた機影がしっかりと掴めるようになってくる。

 「コアテラ?なんであんな旧式が...」

 自身の記憶に間違いがなければ、今まさに基地へ下降してくる機体は駆強襲艇のコアテラである。
  現在でも地方艦隊の主力艦である艦だが、ラーヴァナの操舵手として配属される以前に何度か操ったことのある船である。
  
しかし、本来は小隊規模での運用が一般的である艦が、たった一隻だけで彷徨いているとはあまりにも怪しい。
  
そんな事を思っている内に、その妙なコアテラは基地の滑走路へ着陸...というよりは半ば不時着に近い形で無理矢理降りてきてしまっていた。
  
着陸したコアテラへ視線を泳がすと、周囲からは憲兵が慌ててテントから這いだしては、滑走路へ走り寄っていく様が見える。

 「どういうことだ...?」

 軍曹は口を大きく開けたままその光景を呆然と眺めていると、不時着したコアテラより何者かが操縦席から這いだしてくるのが見えた。
  あんな無茶な着陸をするだなんて一体どこの馬鹿だろうかと、軍曹はその者の顔が見てみたいものだと思ったが、予想外な事にその者はこちらへ自ら近づいてきた。
  
滑走路から軍曹のいる酒保テントまでは幾らか距離があり、その間に走り寄ってきた憲兵達にその馬鹿な乗り手が包囲されるのを遠目で確認することができたが、その馬鹿な乗り手が大げさに身振り手振りで自身を囲み誰何する憲兵達に何かを伝えると、不思議なことに憲兵達はその場で直立不動の敬礼を取っている。

 「…ホントにどういうことだ...?」

 半ば頭が混乱してきた軍曹も、向こうで直立不動の憲兵達と同じように突っ立ったままで何も出来ない。
  そして、向こうでは憲兵達を抜けて、その馬鹿な乗り手が遂に酒保テントの方までたどり着いてしまっていた。

 「...君がヘボン軍曹だな?」

 酒保テントへ辿り着いた馬鹿な乗り手は、ヘボンから数歩先で立ち止まると、そう尊大な調子でこちらも阿呆のように突っ立っている彼へ問いかけてきた。

 「え?...えぇ...そ...そうで...あります」

 いきなりに名前を呼ばれて面を食らってしまった軍曹は、弱々しい調子に声を捻りだして相手へ敬礼をしてしまう。相手が本当にただの不審者か何かであれば敬礼する義理などどこにもないのだが、彼の目にはしっかりと対面する相手が着込んでいる飛行服の胸元に、中佐階級であることを示す勲章を見て取っていた。

 「そうか。やはり私の目に狂いはなかったな...なるほど。記載通り特徴的な面だ」

 そう中佐階級の馬鹿な乗り手は勝手に自分でうんうんと頷きながら、腰に下げた革製のマップケースを開いて、数枚の書類を取り出すと彼へ突きつけてきた。

 「これに目を通したまえ。貴様はそこの書面にある部隊に、これより配属になる」

 いきなり突きつけてきた書類を、思わず取りこぼしそうになりながらもなんとか受け取ると、ヘボンは片手に持っていた火の点いた煙草を慌てて地面に捨てて消し踏むと、書類に目を通した。

 「…第13特殊空域旅団...?聞いたことのない部隊名であります」

 「本部の方で新しく新設された部隊であるからな。内地の辺境基地所属である貴様が、知っている方が意外だよ…アーキル連邦の犬共は戦線の薄い箇所をすり抜けて進入して、コソ泥よろしく前線へ赴く輸送船団を襲撃し、我が軍の補給路を脅かしている。これを勿論良しとしないが、残念ながら前線部隊では十分に輸送船団を護衛する戦力を確保できないでいる。そこで新設された我ら第13特殊空域旅団は、各所の辺境艦隊から旧型であろうと民間用であろうと武装が可能であるならば、それを徴用して護衛戦力として送り込んでいる訳だ」 

 一通り書類を眺めると、軍曹は気弱げにそう疑問を口にしたが、中佐はこちらを小馬鹿にするような視線を向けつつ、それなりの説明を付け加えて返答したが、そう直ぐに納得できるようなものとは言えなかった。
  『第13特殊空域旅団』など聞いたこともなければ見たこともない部隊名であるが、書類には確かに命令内容を保証する軍司令部の印もあるので、正式な命令書であるようだが、何分こんな突飛な状態で受け取ることなど不自然すぎるではないか。
  
しかも、配属されるなどと言っても、自分は数週間後には兵役を終えて除隊の身であるはずだ。
  
そんな半端な兵士に今更何故そんな部隊へ行けというのか。
  
緊急な前線配属というならまだわかるが、その場合はきっと基地の兵士大半が異動させられるような規模であろう。

 「残念ながら、貴様の質問にこれ以上答えている時間はない。...これを吸ったらすぐさま艦に乗ってもらう。軍曹、君はコアテラを操縦したことがあるかね?」

 「は...確かにコアテラは何度か扱ったことはありますが...」

 「それならよろしい。...まぁ少しだけ体を楽にしろ。あぁ、荷物などの準備は良い。何せすぐ飛び立つのだからな」

 中佐階級の乗り手...ここまできてようやく相手が女性であることを、軍曹は相手の目深に被った飛行帽から覗く白い顔の輪郭と、飛行服の胸の膨らみで理解したが、彼女の声はあまりにも低く、下手をすれば男性であると勘違いしてしまうぐらいだった。
  そんな彼女は混乱している軍曹を尻目に、胸ポケットから煙草を取り出すと素早くマッチで火をつけて燃えカスを地面に捨てると、軍曹の顔にわざとらしく紫煙を吐きつける。
  
しかし、そんなことなど今は全くどうでもいいことで、彼女が中佐であること以外は軍曹にとって全く理解が追いついていなかった。

 「しかし、そのようなことならまずは隊長に話を...」

 「別にそんなこと君が心配することではない。話はとっくに付けてある」

 「はぁ...では、他の隊員に異動する旨を報告しに...」

 「それも心配することはない。皆知っている…さて、時間だ。飛び立つぞ、軍曹。ついてこい」

 整理のつかないまま、幾つか質問したが、彼女はそれらに全く答えずに煙草を一本丸々吹い終えると、ついてくるように促してきた。
  正直納得できることなど、命令書以外何もなかったのだが、自身より遙か上の階級である彼女の命令に従わない権利など自分にはなかった。

 「少々無理に着陸したせいで、機体の姿勢が変な風になっているが、そのぐらいなんとかなるだろう?」

 「はっ...まぁ、あの程度ならなんとか...」

 変な風というよりは完全に後ろへ倒れている状態で滑走路に転がっているコアテラに走り寄りながら、彼女は未だに納得いかない顔をしている軍曹に、操縦席に乗り込むように促した。
  渋々、軍曹が操縦席に乗り込むと、それに続いて彼女が銃座へ飛び乗る。

 「...中佐殿?発進許可は?」

 「とっくの前に出ている。気にするな。飛びたまえ」

 「しかし...管制塔からは指示信号が出ていませんが...」

 「軍曹...君は何かと質問が多いな。帝国軍人たるもの上官の命令には大人しく従うものだ。いいから飛びたまえよ」

 彼女は軍曹の言葉に既に答えることすら面倒な様子で、飛び立つように指示を飛ばしてくる。
  果たしてこれは本当に正式な命令であるのかと軍曹は、散々疑ったが、そんな様子の彼に苛立ったのか彼女が腰の拳銃に手を掛けたところを見て取ると、軍曹は慌ててコアテラを起きあがらせ、発進する態勢を取り始めた。

 

 長いことラーヴァナの操舵をしていた為、急なコアテラの発進動作に幾らか手間取ったが、なんとか機体を起きあがらせると、管制塔から発せられる信号が目に入った。その信号を確認しようとすると、すかさず彼女がさっさと飛べと再度促してくる。
  
だが、管制塔の信号を読み取る限り発進許可などどこにも出ていないし、無線機に耳を傾けても通信も入ってこない。しかも、よくよく見れば管制塔の周波数にすら合わせていないようである。

 「浮上しろ。軍曹」

 だが、そう躊躇している間にも中佐は命令をしてくる。最初は冷静な声音であったが、今は半ば怒鳴るような調子だ。
  結局。ヘボンが操るコアテラは滑走路から発進してしまった。ラーヴァナとまた違う素早いコアテラの上昇ぶりには幾らか驚いたが、それも滑走路が徐々に上昇して小さくなり始めることには慣れだしていた。

 「...軍曹。下を見てみたまえ。基地隊員が総出で見送っているぞ」

 その辺りで彼女の声が聞こえ、軍曹はとっさに機体から少しだけ頭を出して地上の滑走路を眺めた。
  確かに彼女の言うとおり、滑走路には同僚達や戦友達が見た限り総出で、顔を連ねている。
  
皆こちらへ向かって何かを叫んだり手を振っているが、この距離では表情まではわからない。
  
だが、その中にあの麗しき同僚であるヘレン伍長が確認できるし、明日の休暇の為にバイクを用立ててくれた憲兵であるシュルツ兵長の姿も見て取れる。
  
そして、それを確認した途端に、シュルツ兵長がこちらへ向かって不意に小銃を発砲したので、軍曹は幾らか身を強ばらせると

 「軍曹、栄転する君を祝砲で祝っているぞ」

 彼女の誇らしげに慰めるような調子に、軍曹は思わず涙を流して地上の彼らに敬礼をしてしまった。
  後で思い返してみれば、あまりにも不自然な事態であったが、その時は不自然な事の連続で感覚が麻痺してしまっていたらしく、彼は全く違和感なく彼らの『見送り』に答えてしまったわけである。

 

 

 

 「ヘボン軍曹!高度が下がっているぞ!上昇しろ!」

 不意に鳴り響いた中佐の叫び声に、ヘボンは慌てて回想に耽っていた頭を振り起こすと、すぐさま高度計に目をやる。確かに高度があまりにも下がっている。どうも長く回想に浸るあまり、意識が朦朧としていたらしい。何分空気の薄い上空での任務であり、ふと物思いに耽りだすと危ない訳である。

 「申し訳ありません。中佐殿...」

 この不自然な出来事の元凶である彼女に、弱々しく応答すると彼女の呆れるような溜息が耳に入ってくる。

 「全く...もう少しで輸送船団へ合流するんだ。周囲に対してもっと注意しろ」

 責めるような彼女の口調に大分弱ってしまうも、なんとか気を取り直してヘボンは辺りを見回した。
  既に太陽は沈み、二つの月は明るく輝き、月明かりが巨大な雲の群達を照らしている。
  
本来なら景色を眺めつつゆったりと飛びたいものであるが、そうは問屋が卸さないといったところか、黄昏かけたヘボンの調子を壊すように、また彼女の声が響いた。

 「軍曹!2時方向に注意しろ。光ったぞ。旋回しろ!既に始まっているようだ」

 そう彼女に命じられるがまま、コアテラをゆっくりと旋回させる。
  この機体は上昇下降には優れているが、イマイチ旋回性能がよろしくないことにいい加減ヘボンは苛立ち始めていた。だが、そういうことを気にするような動きをすると機体の機嫌を損ねることは長い経験上よくわかっている。
  
その為、彼女に対しても機体に対してもヘボンは媚び諂うことに勤めた。

 「正面の下方を見ろ!船団が見えるな!?」

 彼女の叫び声の通りの方向に目を走らせると、遠方に燃え上がる巨大な輸送船団を確認できた。民間で扱われる大型輸送艦に大量の機銃銃座を備えた機体であるようだが、無理矢理に搭載しすぎたせいもあり見るからに鈍重そうな印象を受ける。
  そして、既に後詰の鑑が撃墜されてしまったのか、通常の輸送船団と比べてその数は少ない2隻までになっている。
  
しかも、その2隻目は今まさに襲撃を受けているらしく、甲板後尾より炎上している様が確認できた。そして、輸送艦の上方から食らいついて離れないような動きをする機影が視認できるが、間違いなく敵機であろう。
 輸送鑑も必死に側面に搭載した機銃で応戦しているようであるが、素早く蠅の様にまとわりついて離れない敵機を振り払えないでいる。

 「護衛機は何処です?」

 「…既に墜とされたようだな。このままでは全滅だ…軍曹!全速で飛べ、敵機の注意を引くぞ」

 「コイツで、ですか?!」

 彼女の命令に思わずヘボンは悲鳴を上げた。
  今扱っているコアテラは対地用の駆強襲艇であり、対鑑用の兵装もあることにはあるが、それはあくまで的の大きく鈍重な目標を攻撃する為のものであって、今輸送鑑を襲っている敵機、おそらく戦闘機であろうが、それに対抗できる機動性を持ち合わせてはいない。勿論、装甲もだ。

 「当たり前だ!他に何がある?奴の近くを飛んで、注意を引いたら奥に見える雲に逃げ込め!」

 だが、ヘボンの声を全く意にも返さずに彼女は怒号をあげる。
  何か文句の一つでも言ってやりたいところであったが、事態は逼迫しているし、彼女と言えば通信機を用いて、襲われている輸送艦に連絡を取っているらしく、今指示した以外のことは暫く喋れそうになかった。

 「…貴艦は何処の所属なりや?」

 咄嗟に彼女が周波数を合わせたのであろう、輸送艦からと思われる通信が耳へ飛び込んでくると、彼女はさっと送信機を口に宛行い、地上の時に発した尊大な調子で応答する。

 「我、第13特殊空域旅団所属のラーバ中佐。特命を帯び、この空域の護衛任務に当たっている。これより、貴艦の護衛に入る。左舷方面より進入し、敵機を攻撃する。至急回避行動を取り給え」

 「第13特殊…聞いた事がないぞ?貴官の認識番号を…」

 「緊急事態だ!とにかく、回避行動を執られたし!」

 しかし、輸送艦側の小首を傾げるような言葉が耳に入ると、彼女は通信を無理やりこちらから切断してしまった。
  先程から彼女の言っている事や、命令書が事実なのかとヘボンは何度も勘ぐっている。
  
もしかすると、彼女はただの恐ろしい虚言癖の持ち主であって、全て狂人の成せる事なのかとも思ってしまうが、今はその狂人の命令に従うしかないと言うことであるのが、唯一の事実であった。

 

 コアテラの加速は余りにも心許ない速度で、向こうの敵機がこちらに気付くまでの間に、輸送艦が沈むのではないかと思われたが、運がいいのか悪いのか、およそ敵機の種が判別できる距離にたどり着くまで、輸送艦は必死に持ち堪えていた。
  敵機は輸送艦の右舷上方から高速で降下しようとしているのが見えた。
  
こちらからは丁度真正面に敵機が見えるが、まだこちらには周囲を漂う雲が隠れ蓑となっており、発見されていないらしい。

 「敵機12時方向…機種はユーフー…夜鳥めが、コソコソと…」

 「連中は艦載機です。近くに空母が?」

 「いや、機影が見当たらない…狩りを鳥に任せて、離れた位置で待機しているのだろう。連邦の卑怯者共がやりそうなことだ」

 銃座にて敵機の姿を捉えた彼女が憎々しげに言いのけるが、ヘボンの額から脂汗が滲み出てきている。
  操縦席の方からも敵機の形状は見て取れるが、相手は正真正銘の戦闘機である。
  
速度も機動性も相手にならない機体であることは、彼らに狙われる強襲艇乗りには痛いほどよく知っている。

 「本当にやり合うんですか?」

 「当たり前だ!なに、怖いことはない。奴は、獲物に夢中になっている。後ろを取れば容易に撃墜できる…。もっと接近しろ、機銃で牽制する!」

 彼女は自信満々に言ってのける。
 確かに最もな事ではあるが、それをする為にはユーフーの後ろを取るための機動性や速度が必要な戦闘機の場合でのみではないかと、ヘボンが発言しようとしたところで彼女は銃座に積まれた38連発機銃を掃射し始めた。
  
途端にヘボンの耳を劈くような爆音が響き渡り、彼の眼前で鮮やかな弾幕が拡がっていく。命中したかどうかは発射炎が強すぎて確認のしようがヘボンにはなかったが、彼女が口惜しそうに激しく敵機を罵る声から察するに命中しなかったらしい。

 「このまま、奴の傍を通過しろ!前方の雲に隠れるんだ!」

 激しい発射炎が止む頃には、すぐ正面に輸送艦の左舷甲板が見えていたが、敵機の姿まで確認した。
 こちらへ鼻先を向けてはいないが、こちらの存在を認識し、コアテラの後方へ回り込もうと、機体側面を勢いよく通過していく。
 流石に戦闘機と言ったところか、こちらとは比べ物ならないほど速かった。

 このままでは雲へ逃げ込む前に後方から、敵機の機銃掃射を受けてしまう。

 「隠れる前に撃たれます!」

 「見ればわかる!上昇しろ!輸送艦で時間を稼いでもらう」

 すかさずヘボンが泣き言にも近い調子で叫ぶと、彼女の指示が勢いよく返ってくる。
  最早彼女の言葉に条件反射の如く従っていた体は、自然とコアテラを一気に上昇させた。すると、彼女の言葉通り輸送艦の左舷から機銃掃射が始まり、こちらの後方へ回り込もうとした敵機を跳ね除ける。

 「そのまま雲へ突っ込め!照明を全て消せ!発見されるぞ!」

 輸送艦の掃射により、雲に突っ込むまでの時間と距離は稼げた。
 ただ、本来輸送艦襲撃を任務とする敵機が、いちいち旧型のチョッカイをどこまで本気にするのかが甚だ疑問ではあったが、どうやら敵のパイロットは気が短いらしい。
  
左舷からの掃射をくぐり抜けると、輸送艦へは攻撃を加えずに大きく回頭して、こちらへ鼻先を向け始めた。

 「馬鹿め。小蝿程度も放っておけないか…二流だな」

 しかし、こちらへ完全に意識を向けてきた敵機へ彼女はさも気分が良さそうに言ってのけるが、その小蝿を操っているのはどこの誰だと言ってやりたいとヘボンは思ってしまう。勿論、そこの彼女とヘボン自身なのであるが。

 

 雲の内部は霧のように視界が一寸先もわからなくなっていたが、上方から微かに照らしている月光だけが唯一の頼りであった。

 「いいか、軍曹?速度を出来る限り落とせ…。敵機は我々が雲から出てくる位置を探そうと先回りするはずだ。そこで我々は、先回りしようとした敵機を攻撃する。…上方の雲の切れ目までギリギリに上昇しろ。いいな、あくまでギリギリだ。私が微かに上方を視認できる程度にだ…」

 そう彼女はヘボンに言い聞かせながら、只管に上を眺めている。
  雲の切れ目をギリギリに進めとは無茶な命令であるとは思いながらも、ヘボン自身も大分感覚がおかしくなってきたか、彼女の命令に対して何も言わずに服従するようになってきていた。
  
ただ命令に服従できるようにはなっても、それを実行出来るかどうかはまた別問題であり、今回の雲の切れ目を寸で飛べと言う芸当自体ができるかどうかヘボン自身不安であったが、その様な曲芸飛行地味たやり方にコアテラは上手く答えてくれたと言っていい。
  
この機体は速度も旋回性も昨今の戦闘艇達には劣るが、両翼に広がる生体機関は安定性に掛けては申し分ない性能を見せてくれたのだ。

 「今だっ!上がれっ!」

  そうヘボンが旧式のコアテラを愛おしくも思えてきた辺りで、再び彼女の命令が耳を掻き毟った。それに応じて、素早く上昇桿を突き上げる。
  それと共に、機体が凄まじい勢いで雲の塊を撥ね退け、今まで何も見えなかった視界が一気に明るくなる。
  
操縦席からも上昇した途端に、前方を飛ぶ敵機の姿が確認できた。
  
どうやら敵機の後方へ飛び出せたらしい。
  
彼女の言うとおり雲の切れ目へ先回りしようとしたようだが、こちらはそれをわざとタイミングを外して雲の中から飛び出した訳だ。
  
よくも雲の中にいる間に雲に浮かび上がるコアテラの機影を敵機に発見されなかったものだと、己の強運を感じながら再び彼女の声が響く。
  
その途端に前方を飛ぶ敵機がこちらの出現にようやく気付いて、慌てて左へ大きく機体を捻ろうとしたが、その姿は機体上部をこちらに曝け出す姿勢であり、格好の的であった。

 「軍曹、噴進砲を見舞ってやれ!狙いは付けなくていい!」

 そう命じられるがままに、素早く噴進砲の安全装置を外し、すかさず発射装置を押し込んだ。操縦席の前方部に照準器は備え付けられているが、敵機の操縦席すらもはっきり見える距離ならば必要ないだろう。
  直様、先程の機銃掃射よりは控えめではあるものの、十分に聴覚に苦痛を与えるほどの爆音が響き渡り、それと同時にヘボンと彼女の視界の先を真っ直ぐに伸びる噴進砲の発射煙が包み込む。

 「やりましたか!?」

 こちらからでは視界が未だに発射煙に包まれているため前方の視界を確認できず、ヘボンは銃座の彼女を見上げた。

 「いいぞ。火を噴いて炎上中だ…ただ」

 「ただ?」

 「炎上しながらこちらへ回頭してくる」

淡々と冷静に答える彼女の言葉通り、煙が晴れだしてくると、その隙間から機体後部より火を噴きながらもこちらへ旋回している敵機の姿があった。

 「…しぶとい鳥だ。軍曹!上昇し続けろ!まだ、こちらの方が位置的に有利だ!機銃で仕留める!!」

 既に彼女の命令を待たずに、ヘボンは上昇桿を引き上げきっていた。
  その刹那に銃座から照準目標を下方へと引き下げる、可動部分が擦れあう不快な音が聞こえてくる。
  
視界の先には鼻先をこちらへ向けようとしている、敵機が間近に見える。
  
黒煙を噴き上げる鳥は、まるでその身を怒りに震わせているようにも、断末魔を上げているようにも見えた。
  
そう感じた瞬間に、彼女の照準した6連機銃が一斉に火を噴いた。
  
再び耳障りな発砲音が響き渡り、眼前を幾多もの弾丸が高速で降り注ぐ。

 「…仕留めた」

そう彼女が冷静に呟いた時には、眼前にいたはずの敵機はコアテラの下方ギリギリを通り抜けており、慌てて視線を追わせると数秒ほどで轟音と共に爆散した。散らばった敵機の残骸が、翼を漏がれた鳥の様に虚しく堕ちていく様が目に映る。

「…軍曹、照明を点けろ。このまま輸送艦方面へ回頭して並走し、護衛任務を続行する」

先程の怒声が嘘のように彼女は落ち着き払って、ヘボンに言った。その声音にはただただ虚しい響きだけがある。
そして、思い出したかのように銃座から操縦席の彼を見下ろして

「軍曹。君は良い操舵手だ。…輸送艦の元まで戻ったら、今回の事を一から説明してやる」

何処となく彼女は満足そうにそう言い終えると、視線を再び月明かりが照らす空へと戻した。
言われたヘボンとしては、今更になって事の重大さに気付いた節があったが、それは輸送艦に戻るまで保留することにした。

 

二つの月の光が、浮遊するコアテラを鮮やかに照らしていた。

 

 

最終更新:2016年05月20日 11:46