操舵手ヘボンの受難

操舵手ヘボンの受難#2 『亡霊旅団』

 

  「しかし、まぁ…お前とこんな形で再会するとは思ってもみなかったわな」
  そう感慨深く呟きながら、帝国軍制服の朱色を照明灯の光にぼやけさせつつ『中尉』の階級章をそのぼんやりとした光に当て、体格のガッシリとした男は口から紫煙をゆっくりと吐き出した。

 「全く何の因果かわからねぇなぁ。ヘボンよぅ」

 「私だって、ニール中尉殿とこんな場で再会するとは思ってもいませんでした」

 そうリラックスしている中尉とは対照的に直立不動の体制を取る、痩せぎすなヘボンは照明灯に照らされるニール中尉と呼んだ彼を見つめていた。

 「そんな畏まった言い方は止せよ。お前と俺たぁ同期だろうが?他に誰か聞いているわけでもなし…それよりどうだ?随分と草臥れただろ?一本吸え…な?」

 「…相変わらずケチな奴だ」

 ニール中尉が大げさに肩を揺すって、呆れたような調子で言いながら、制服の内ポケットよりシガレットケースを取り出して蓋を開け、一本ヘボンに手渡すと、彼は直立不動の姿勢を崩すと同時に、上官に対して敬うことなど全て忘れたと言わんばかりに姿勢を楽にした。
  そして、忌々しげに一本の煙草を受け取ると、慣れた手つきでマッチを素早く取り出し火を点けた。

  「中尉なら箱ごとくれたっていいだろ?」

  「うるせぇな…そいつは高級品だ。お前の吸ってるような安物とは違うのさ」

  「それは知らなかった。なら、この本艦を救った英雄にカートンごと寄越して欲しいぐらいだ」

  「はっ!確かにそれには感謝しているが、それとこれとはまた別の話しさ」

 紫煙を天井へ心地よさそうに吐き出すヘボンに対してニール中尉は、皮肉そうな笑みを浮かべてその煙を軽く体に受けながら、視線を艦長室の窓へと移した。窓の外と言えば、月明かりも消えた一面の暗闇であり、その暗闇を輸送艦へ備え付けられた照明灯が星のように小さく輝いている。

 「しかし、本当にたまげたぜ。内地の地上勤務であったはずのお前が、こんな最前線近くの空域を彷徨いてるとはな」

 「私だって、鼻からそんな気はなかった。誰が好き好んで地獄へ飛び込む?全てあの中佐殿のせいだ」

不思議そうな顔をして横目にこちらを見るニールに対して、ヘボンはさもうんざりしたような声を出しつつ、気晴らしと言ったところか煙を思いきり深く吸い込んだ。

 「ツェツィーリエ・フォン・ラーバ中佐か」

 「なんだって?」

 ニールの不意を突いた聞きなれない名の発言に、思わずヘボンは吸った煙で噎せ返りそうになってしまいながら、彼の顔をまじまじと見上げた。

 「お前をこんな最低な空域に導きなすった中佐殿の名前さ。知らなかったのか?」

 「あぁ...名なんて言われる前に、夜鳥と一戦交えていたところさ。それにしても随分と長ったらしい名だな」

 「由緒ある貴族の出だそうだ。まぁ帝民出の俺たちとは格が違いすぎる」

 一頻り会話をしながら、ヘボンはこのニール中尉との再会について全くの幸運であったと思っていた。
  彼はヘボンと時を同じくして兵役に就いた身であるが、その悪運強さと功績により、同期の仲間内では出世頭であった。
  
一体どこをどうしたら中尉まで昇進できたのかと、皆噂し合ったものである。
  
だが、とにかく彼とは同期であり、それなりに親しかった彼との再会は全くの偶然であったものの、ヘボンにとっては事情を話しやすい彼との再会は幸運であった。

 

 

 ユーフーの爆散を見届けた後、護衛任務を継続するとして輸送艦へと戻った際に、中佐は事の説明をすると言っていており、輸送艦へ接近した際に何か口を開こうとしたが、それはヘボンの期待する説明ではなく、輸送艦への通信を再開した発言であった。
  通信内容はユーフーを撃墜する際に多量の弾薬を消費したとの事で、一時的にコアテラを輸送艦甲板上部に着陸させ、補充作業を施したいという内容であった。
  
その内容に先方は幾らか戸惑うような声音で応答したが、とにかく補給はできるとの言質をとった。
  
そして、中佐は一度、輸送艦の艦長に報告と、それから旅団本部へ指示を乞わねばならないとの話をして、コアテラを輸送鑑の甲板上部に近づけるようにヘボンに指示を出し、半ば甲板へ押しつけるような形を取って無理矢理に着陸させた。
  
内地の基地へ不時着した際より幾分ましな形を取れたが、それでも随分と不格好な形になってしまった。

 「さて、軍曹。私は艦長に報告を行わねばならぬ。君はそこで待機していたまえ。連中に話を付けて弾薬を補充できるようにしておく。補給を済ませたら、すぐ出撃することになるぞ」

 「護衛任務はいつまで継続するのですか?」

 「勿論、この輸送艦が前線基地に到着するまでだが...任務の内容が変わるやもしれないぞ」

 そう中佐は意味ありげな表情を浮かべながら、コアテラの操縦席より阿呆の様に顔を覗かせ、すぐにでも質問をしたがっているヘボンを無視して勝手に頷くと、甲板から艦内部へ通じる昇降路へ、強風に体を持って行かれぬよう端の柵にしっかりと掴まりながら行ってしまった。
  そこで暫くの間待機を命じられたヘボンは、すぐさま機体から降りると、コアテラが強風に舞飛んで仕舞わぬように、片手でしっかりと柵を掴みながら、輸送艦甲板であるのなら備え付けてあるであろう、機体拘束用のワイヤーを探し始めた。
  
ただ一向にワイヤーが見つからない。
  
どうもこの輸送艦の乗員達は大分しっかりと勤務を行うらしく、ワイヤーのような工具をしっかりと奥へ仕舞い込んでいるらしい。
  
その合間にも甲板でうつ伏せになっているコアテラが強風に当たって、機嫌の悪そうに呻く声が聞こえてくる気がしてしまう。

 「そこで何をしている?」

 不意に風に紛れて叫び声がヘボンの耳に入ってきた。
  慌てて声のした方を振り向くと、甲板奥の昇降口に輸送艦の乗員らしい赤い帝国軍制服に身を包んだ男が立っていた。
  どうやら、男は将校であるらしく、一般兵の着込むような制服とは大分形が違うことをヘボンは即座に見て取り。

 「はっ!機体を固定するワイヤーを探しているのであります!」

 それに対してヘボンは長年軍隊に所属している癖もあってか、咄嗟に強風が吹き付ける中であったにも関わらず、つい直立不動の姿勢を取って男へ敬礼をしてしまった。
  その為、ヘボンは両手を柵から離してしまい、途端に横から吹き付ける強風が彼の身体のバランスを崩し、運の悪いことに痩せぎすな身体は簡単に風で浮き上がると、柵の向こうへと転がっていく。
  
悲鳴を上げ舞い上がるヘボンに対し、慌てて駆けつけた輸送艦の将校に手を握られなければ、危うく彼は上空より落下するところであった。
  
しかし、そう手を握られた辺りで近づいた将校の顔が見えて、その男がニール中尉であることがわかったのだが。

 

 「機体を固定しようとした奴が逆に舞い上がるとは、滑稽も良いところだ。相変わらず、間が抜けてやがる。補充作業は内の連中にやらせるよ。また、お前に落下させられたら困るしな」

 「うるせぇ。その間抜けに助けられたのは何処の誰だ?」

 そう先ほどのヘボンの失態を思い出しつつ笑みを浮かべるニールに対して、ヘボンは不満げに紫煙を吐き出した。
  せっかくの高級品である煙草が不味くなると、愚痴をこぼすも、思い出したようにヘボンは顔を上げた。

 「...それより、中佐は今何処に?」

 「あぁ、彼女なら艦の通信室だ。お前を助ける前に、昇降口で出くわしたものだから補給依頼を受けたが、簡単に話したらいきなり通信を貸せと行っちまった。なんでも、その第13の本部へ報告をしているらしい...全くとんでもない連中に助けられたもんだよ...何しろ亡霊旅団と出くわすとは思ってもいなかったからな」

  「亡霊旅団?」

 ヘボンの疑問げな顔に、そちらからも顔を付き合わせるように、外を眺めていたニールは一つ小さい溜息をついて、座り心地のさほど良く無さそうな椅子へ腰掛けた。

 「あぁ、亡霊旅団...まぁ前線連中で呼ばれる俗称だがな。俺もまさか実際に存在しているとは思っていなかったよ」

 「どういうことだ?私は中佐から命令書を...」

 「今、あるか?」

 「あぁ、ここにあるが...」

 ニールのまるで怪談を語るかの様な口振りに、ヘボンは幾らか狼狽を示しながら、基地から飛び立つ前に受け取った命令書を彼の前へ差しだすと、彼はひったくるようにその書類を受け取り、素早く目を通し始めた。
  本来なら他人に命令書を渡すなど守秘義務違反もいいところであるが、全く現状が把握できていないヘボンにとって、少しは事情を知っているような口ぶりであるニールに対し、書類を見せない理由もなかった。

 「こいつはたまげたな...本当に司令部の判が押してある。一応、正式なものらしいな」

 「正式なものでないと困る。なぁ、ニール。勿体ぶらずに教えてくれ。私には全然事情が読み込めていないんだ。数時間前に基地から中佐に連れ出されてから、護衛任務の件以外なにも説明がない」

 困り果てる様な声でヘボンがニールに頼み込むと、彼はヘボンを見据えて少し間を置いてから口を開いたが、その声音には何処となく哀れな者へ対する同情の色がある。

 「...第13特殊空域旅団。確かに新設された部隊であるのだが、あくまでこいつら名義上でしか存在しないような部隊なんだよ...本来なら、どれほどの規模で、誰が指令官で何処の艦隊の所属であるか、その程度の情報なら俺たちでも知ることができるんだが、それが全くわからない。だから俗称の通り、亡霊と呼ばれてるのさ」

 「中佐は内地から、民間機やら旧型機を徴用して、前線の兵力に当てるのが主な任務と言っていたが...」

 ヘボンがそう中佐にされた説明を伝えると、ニールは訝しげな視線を彼の顔に当てつつ、それを一蹴する。

 「本当にそんなこと言ったのか?馬鹿な。どの前線部隊だって、兵力が足りずに疲弊している状況だぞ?現に連邦に前線の隙間を縫われて、突破を許してしまっているような状況なんだからな...」

 「つまり、どういうことだ?」

 「そうさな...内地より徴用しているのは事実だろう。現に連中名義で地方や辺境艦隊所属の艦が幾らか徴用されたという話だが、おまけに繰舵手やら、射手も召集されてしまうってわけだ。ヘボン...お前はその質の悪い一例の一つになっちまったわけだ」

 「一例?」

 「…奴らに徴用された兵士は、その後の足取りが掴めなくなっちまうのさ。噂だと戦死報告も出ないって話だ」

 まるで冗談の様なことを話すニールであるが、その表情には全く冗談を話すような浮かれた色はなかった。

 「巫山戯るなっ!私はあと数週間で除隊の身だ!原隊へは戻れないのか?!」

 深刻そうに友を心配する様子を見せるニールに対して、ヘボンは声を荒げて見つめ返すが、彼の表情が和らぐことはなかった。

 「残念ながら、それどころじゃないぞ。寧ろ今、原隊に戻ると不味い。お前は多分、脱走兵として扱われているはずだ。無理にでも戻ろうとすれば、銃殺刑は免れないだろうさ」

 「嘘だっ!正式な命令書で移された私が何故そうなる?!」

 冷静な表情のまま言葉を紡ぐ彼に、ヘボンはただ空しく怒鳴ることしかできない。
  そんな哀れな彼を見かねて、ニールはまずは落ち着けともう一本煙草を勧めてきた。
  それを苛立ちながらも渋々と受け取って、素早くマッチで火を点けながら、ヘボンは口に無理やり紫煙を送り込みながら、できる限り冷静さを取り戻すことに努めた。

 「正式な命令書...確かに司令部の判も押してある。だが、連中の命令書は正式な手続きを踏んで発行されたものじゃないことは、他の部隊に通知されているんだ。お前の部隊の隊長に問い合わせればなんとかなっただろうが、見た限り恐ろしく押しの強いあの中佐のことだ。どうせ、強引に連れ去られたんだろう?」

 同情の念を込めながらヘボンを見やる彼に対して、ヘボンは煙草をくわえたまま静かに頷いた。
  確かに四の五の言う前に、強引に連れ出された。
  ただ、それは命令書の文面と、彼女の中佐という階級には兵士として逆らえないと言う絶対的な事実があったからだ。

 「奴らに徴用された兵士ってのは、大体お前の場合と酷似しているんだよ。緊急だの臨時だの宣って、階級章で黙らせながら連れていくのさ。亡霊と言うよりまるで『死神』と言っても良いな」

 「そんな無茶が帝国軍でいつから通用するようになったんだ...」

 「その旅団が新設されてからだ。前線部隊には通達が行き届いているが、生憎内地の基地には上手く伝わってないらしい。どうやら、連中は情報部とも組んでいるらしい。本来なら調査部が動いても良いはずだが、そういう話も俺の耳には入ってきていない」

 紫煙を苦々しく吐き出しながら、ヘボンは助けを乞うようにニールを見つめ続ける。
  その視線を受けながら、暫くの沈黙のあとでニールはさも仕方なさそうに口を開いた。

 「まぁ...こうなってしまってはどうしようもねぇ。ヘボン...お前が生き残る道は、あの中佐に何処までも付いていくことしかないぞ?」

 「また、コアテラで戦鳥を相手にしろっていうのか?命が幾らあっても足りないぞ?」

 「でも現にお前は生き残った。それどころかユーフーを見事にたたき落としたじゃないか。それだけでも立派な勲章ものだぜ?」

 「...運が良かった。本来なら空中で内蔵ぶちまけてくたばってたさ」

 煙草を一旦、館長室に備えられた灰皿へ押しつけるようにしてもみ消すと、ヘボンは大きなため息を吐いた。

 

 何がどうなっているのか、とりあえず自身の置かれた現状については理解できたが、こんなことなら知らない方がマシであったと思った。
  後少し、長い兵役の間で言えば、ほんの数週間で除隊であったはずなのに、なんの因果で彼女と地獄巡りをしなければならないのかと、数時間前に大人しく中佐に従ってコアテラへ乗り込んでしまった自分を殴りつけたい気分である。
  
そして、今思えばあのとき滑走路に総出で現れた戦友や同僚達は、皆戻ってくるように叫んでいた筈に違いなかったであろうし、シュルツ兵長の不意に行った発砲は、祝砲などでは断じてなく、戻るようにとの警告射撃であったのだと、この時になってヘボンはようやく理解できた。
  
そう思いを馳せると、滑走路に現れたヘレン伍長の顔が思い浮かんでしまう。
  
彼女はきっと自分に対して何故急に基地から、無断で飛び去ったのか理解に苦しんでいることだろう。
  
そう思うと、ヘボンは肩を落としながら後悔の念を吐き出した。

 「なんてこった...私はヘレンを置いてきてしまった」

 「ヘレン?あぁ、あの伍長か?まだお前の基地に居たのか?」

 その言葉に反応して、ニールは少し顔を上げながらヘボンの表情を見やる。
  麗しきヘレン伍長については、同期である彼もよく知っていた。

 「そうだ。中佐に付いてこなければ、明日の休暇に外出に出かけるはずだった...」

 悲痛たっぷりにヘボンが呟くと、ニールは今までの冷静な顔から急に疑問の色を示して、訝しげにヘボンの顔をのぞき込んでくる。

 「おい、それこそ嘘だろ?ヘボン。冗談は顔だけにしてくれよ」

 「...そいつはどういう意味だ?」

 「帝国全土の駄目な顔の部位を総結集して出来たような顔しているお前が、なんでヘレン伍長を口説けたのかって話さ」

 そう身も蓋もない言葉を吐くニールの表情は気付くと、哀れみの色を打ち消してこちらを嘲笑うかのような陽気なものへと変わっていた。

 「この野郎っ!!」

 そう嘲笑われれば長時間の作戦行動への疲労が怒りへと変わったか、ヘボンは衝動的にニールの喉元へ掴みかかった。
  それと同時に艦長室のドアが勢いよく開かれ、丁度首を絞めに襲いかかったヘボンと首を絞められつつも薄ら笑いを浮かべるニールは同時にドアへ視線を向けた。

 

 

 「艦長、探し…何をやっているのだね?」

 戸口に立っていたのは彼女であった。
  艦内にあっては流石に飛行帽を脱いだらしく、今までヘボンが見たことのない病的までに白い美しい顔と、薄めの色をした長めに伸ばしている金髪が鮮やかに薄暗い艦長室においても輝いている。
  
一瞬ヘボンはこの女性は誰かと口をポカンと開ききったが、その尊大な調子を崩さぬ声音にすぐに彼女が、この不幸な出来事の元凶である中佐であるとわかった。

 「ふぅむ…軍曹。君は随分と艦長殿と仲がよろしいようだな?…そういう関係か?」

 妙な訝しさを込めた視線を投げかける中佐に、思わずヘボンは取り乱して慌ててニールの喉元から両手を離すと、直様直立不動の姿勢をとった。
  同じくして、薄ら笑いを浮かべ続けていたニールは中佐の登場に、さっと顔に平静さを取り戻すとヘボンから距離を取って、彼と同じように直立不動の姿勢ではあるが、ヘボンよりも幾らか威厳のある将校らしい様を取り繕ったが、この様な状況では大分無理がある。

 「まぁいい。私にとって別にそんな些細なことは気に留めん。それよりも艦長。コアテラへの急な補給作業を許可して頂き感謝する」

 「いえ、本官は帝国軍人たる使命を果たしたまでであります!」

 微笑を浮かべながらも、ニールに対して感謝の意を込めた敬礼を中佐が取ると、彼は直様返礼を返したが、何処となくニールを嘲るような中佐の微笑が、その消えることはなかった。

 「うむ。随分と世話になった。…そして、恐縮ではあるが、艦長。補給も済んだところで早急ではあるが、我々はすぐにでも発艦する」

 「了解しました。中佐殿の護衛とあれば心強いであります」

 彼女はニールを見ながら言うと、一旦発言を切ってヘボンの方を見てこちらに来るように促した。
  その際にニールの表情に何処となく安堵の色が浮かんだのは、形上この中佐がさっさと艦長室から出ていくことへの期待であるように見えた。
  
どうやら、補給を終えたのでまたすぐにでも護衛任務を継続するらしい。
  
戦線を突破した敵艦が未だにこの空域を彷徨っているとは思えないが、輸送艦が目的地に到着するまでが護衛任務であろうと、内心は渋々であったが、ヘボンは直ぐに敬礼をして彼女の脇へ移動した。
  
だが、次に彼女が言った言葉はヘボンもニールにとっても実に意外なことであった。

 「いや、護衛任務ではない。それは、旅団本部からの後続部隊が引き受ける。時期にこの空域へ到着する筈だ。我々は先程のユーフーを艦載していた空母を追撃する」

 この言葉に思わずヘボンとニールは、顔を見合わせざるを負えなかった。
  今、彼女はなんといっただろうかと、何度も耳を疑いたくなるような思いである。
  
明らかな狼狽の色を示す二人に対して、躊躇することもなく中佐は言葉を続けた。

 「つい先程、本部からの連絡で連邦の旧式空母などを視認せりとの連絡を受けた。敵鑑はこの空域から離脱しようとしているが、見す見す逃すわけにもいかない。それに、まだ連中が突破した戦線も塞ぎきれていない。このままでは、戦線の穴は余計に広くなる一方だ。直ちに発艦し、突出しているこの空母などを叩けとの話だ」

 「しっ…しかし、中佐殿!」

 得意げに無茶苦茶な事を語り続ける中佐に耐え切れなくなり、ヘボンは彼女の横から口を挟んでしまった。上官に対して不敬ではあるが、それよりも今は目先の命が惜しい。

 「敵空母に対して、コアテラ一機のみで襲撃を掛ける訳でありますか?無謀過ぎます!」

 「なんだね?軍曹。…私は『など』と付け加えたはずだ。敵部隊は空母のみでは断じてないぞ。本部からの入電では、旧式であるがパノラマルラ快速強襲艦3隻に加え、同じく護衛飛行しているユーフーを3機、確認したそうだ」

 中佐の返答に対して、ヘボンは上官に対する不敬など頭の隅に追いやって、思わず目をひん剥いて彼女を見たが

 「何をして、そんな面妖な顔をするのか?軍曹。ただでさえ歪な顔が余計に恐ろしくなるぞ」

 と、彼女は僅かに口端を緩めるような笑みを浮かべて、彼の言葉を一蹴した。

 

 最早、自殺行為としか思えない中佐の発言に、ヘボンもニールも何も言うことはできなかった。

 「安心したまえ、軍曹。何もコアテラ一機で襲撃など掛けられるものか、犬死もならない。旅団本部より、増援部隊及び、前線基地よりの増援を期待できるそうだ。我々はあくまで敵部隊を増援部隊が到着するまで、足止めしていればいいのだ」

 そう彼女は軽々とヘボンを慰めるような調子で宣うが、それでも自殺行為が余計に酷い様になって形になったような気がしてならないヘボンは、体中から力が抜けるような感覚を味わっている。
  しかし、そんな彼を尻目に、中佐は命じられた任務は以上だと言って、早速付いてくるようにと言い放つと、ニールに対して失礼すると残し、早足に艦長室を後にしてしまっていた。

 「…亡霊だろうと死神だろうと、一目散に裸足で逃げ出すような話だな」

 その様子を眺めていたニールは、力無く立っているだけの亡骸の様になっているヘボンを冷静に見据えながらも、己はその様な地獄に行かなくていいのだという安堵からか、平然と軽口を叩いてみせた。

 「なぁ、ヘボン。コイツを持っていけ」

 そして、彼に同情するかのような視線を向けつつ、ニールは先程のシガレットケースを彼へ手渡した。

 「…いいのか?」

 「葬式代の代わりだと思ってくれればいい」

 「受け取れる訳無いだろ」

 新手の死刑宣告を告げる様な調子で視線を向けるニールに対して、ヘボンは差し出されたシガレットケースを彼に直様、丁寧に返した。

 「…私はまだ死なないぞ。死ねるものか。除隊を間近にして、こんな最期受け入れるわけがない」

 ヘボンはそう弱々しい声音ではあるものの、芯を通した声でニールに対して言いのけると、彼を強く睨んだが、ニールの表情はまるで狂人の最後の足掻きを見越した達観者の色があった。

 

 

 「よし。…発艦するぞ。出力を揚げ給え」

 静かに落ち着いた声がヘボンの頭上で響いている。
  艦長室からすぐに甲板へ移動したヘボンは、輸送艦の乗員達がコアテラの拘束ワイヤーを解除している脇をすり抜けて、素早く操縦席へと乗り込んでいた。 
その擦りぬける際に乗員達が彼に対して向けてくる哀れみの視線は、有り難くあったが常時に死ぬことを前提として思いであることを知り、内心気が重くなってしまう。

 しかし、そんなことなどどこ吹く風と言わんばかりの中佐の透き通る低い声に、奇妙なことに勇気づけられる気がした。

 「発艦後は進路を南西にとれ。コアテラの速力で追いつけるかどうかは、運次第だが、先程の連絡では敵部隊は同じ空域に留まっているらしい。何故だか、わかるかね?ヘボン君」

 「えっ…いえ、私には分かりかねますが…」

 その透き通る声がこちらへの問いかけと、急に名で呼ばれたことに対して、ヘボンは疑問符を二つ浮かべながら、操縦席から彼女を見上げた。
  先程まで優雅に垂らしていた金髪は再び、飛行帽の中へと収められて、あの白い肌も飛行帽と共に装着するマスクに覆われていた。

 「…先程、私たちが撃墜した夜鳥を待っているのだ。連中にとってよほどの要人か、もしくはそれほどのエースでも乗っていたのかもしれないな。…まさか、返り討ちになっているとは思ってもいないのだろう。間抜けな奴らだ」

 そう嘲るような調子と自嘲にも似た調子を織り交ぜて、愉快そうに彼女は言った。

 「まぁいい。連中に待ち人来ずと伝えに行って、ついでに後を追わせるのも良いかもしれないな…」

 「中佐殿?」

 何処となく独り言めいた事を呟いている彼女に、ヘボンはちょっとした疑問をぶつける事にした。
  普段なら、考えもしないような行為であるが、艦長室をあとにしてから、己の中で吹っ切れたモノを感じていた。

 「…何故?私の名を?」

 「うん?気に入らなかったかな?別にいいじゃないか。君と私は一度とは言え、死線を乗り越えた間柄だぞ?既に戦友と言ってもいいようなモノだと、私が思ったことだ。…それに一度で済むとも思えんしな」

 そう随分と身勝手な理屈を、と言うよりは今までが全て勝手の様な気がしないでもないが、ヘボンが悩んでいる間に、何を察したか思い出したかのように中佐が口を開いた。

 「なるほど。こちらから名を名乗っていなかったことを、気にしているのだな?確かにそうだ…うん。一兵士とはいえ、戦友としての礼儀を欠いたな…。私はツェツィーリエ・フォン・ラーバ中佐だ。宜しく頼むぞ?」

 尊大な調子で自身の名を名乗ると、ラーバ中佐はさも満足したように息を吐いて、さぁ出撃だと息巻いている。
  それを尻目にヘボンは、数々の戦友達と遠く別れ、その離れた先で随分と厄介な戦友が出来てしまったものだと、彼女とは対照的に溜息を吐いて、コアテラの発艦動作へ入った。

 

 既に辺りの夜空は徐々に明るみを帯び始めており、もう時期夜明けであることを、無謀な強襲艇乗りに告げていた。

最終更新:2016年05月23日 16:19