『切り込み隊』 操舵手ヘボンの受難

  前回までの粗筋

 『第13特殊空域旅団』という謎ばかりの部隊へ急遽、連れ去られる様な形で編入したヘボン。そして、その数時間後にはヒグラート戦線を突破し、帝国輸送船団を襲うアーキル戦闘機と交戦し、これを辛うじて撃墜する。
   しかし、その翌日には後続の部隊と戦闘する羽目になり、アーキル軍空母であるトゥラーヤ級をラーバ中佐の奇略(?)により、九死に一生を得る様な形で大打撃を与えた。
   だが、ヘボン自身も交戦時に負傷し、一旦地上へ降り治療する事になる。
   その際に彼を旅団へ誘った張本人であるラーバ中佐の話した、帝国内における政治混乱についての演説はヘボンの腹部をより痛めつけるほどに難解かつ複雑なモノであった。
   その理解が追いつかないまま彼女に命じられるがままに、再び空へ飛び上がったヘボンに対して、『保身派』である中佐の同期『グレイソン大尉』が刺客として送り込まれてくる。
   大尉の虚を突き、これを撃墜するが、一週間も経たぬ間起きた息も付かせぬ血の嵐に、ヘボンの処理能力は早くもパンク仕掛けていた。
  それでも、誰も彼を休ませる事すらなく、事態は更に大規模に動き始めていく…

 

操舵手ヘボンの受難#6  『切り込み隊』

 パルエ特有の二つの月がコアテラを照らし出す頃には、中佐の指示のもとヘボンは機体を反転させて、その領空から飛び去ろうとしていた。

  だが、彼女が指示する方向は機体が飛び立った基地とは真逆の方向であり、どちらかといえば戦線へ比較的近い領空へと近づいている。
  
先に撃墜した大尉の通信から聞こえた、後続艦隊について彼女は既に仮初の任務を果たすことを辞め、真の目的について邁進する時だと演説者めいた口調でヘボンに語ったが、彼にとってその目的がどういうことであるか自体、よく理解できていなかった。
  
しかし、暫く飛行を続けていると、耳元に押し付けていた通信機が俄かに騒がしくなり始め、周波数帯を調整することに彼女は躍起になる。
  
その様子を眺めていたヘボンは当初、付近に後退した曹長達の機体がいるのであろうと判断したが、周囲をよく見回してみれば、決して曹長達の機体だけの騒ぎでないことが理解できた。
  
まだ遠方で正確な機影は視認できないが、恐らく帝国で最も長く使われている艦であろう『ガルエ級』の姿が正面遠方に3隻確認できる。
  
そして、そのガルエ級の周囲を警邏飛行している機体郡も、やはりそれ相応に古めかしい物ばかりだ。
  
護衛戦闘機であるマコラガなどはまだわかるが、本来なら南パンノニアに回されたはずの『シュトラヴァルカ級空中打撃艇』の特徴的な縦に長い姿が確認できるが、これは相当に改良などを加えている艦もあるらしく、原型を留めない歪な形をした物も複数見られた。
  
おまけにヘボンにとっては懐かしい気さえ起こさせるほどに、『ラーヴァナ級』の姿が艦隊の後方に見て取れた。
  
まるで第一世代の艦隊郡の亡霊に出くわしたような調子である。
  
その全体数がどれほどのものであるか、正確に確認することは今のところできなかったが、それを差し引いても相当な数の艦船が月明かりに照らされ、ひとまとまりに形を成して飛行している様は異様なものがあった。

 「まるで、空飛ぶ博物館のようであります」

 「どちらかといえば中古屋の総決算だと思うけれどね…。まぁ良い、味方は味方だ」

 「しかし、これほどの数が揃っているとは思っていなかったであります」

 「あぁ、何しろ大体の艦船は保身派連中に接収されて、各地分散配置されていたからね。それを一同に集め、旅団全体の5分の1程にはなるだろう。まぁ、これからが大変なのだが…」

 感嘆の声を上げるヘボンに対し、彼女の反応は言葉の割には興奮しているような色があった。今まで少数で戦い抜いてきただけあって、数だけは心の支えになるように思えた。
  コアテラがその異様な艦隊へ接近していくと、付近の艦船達はまるで我々を歓迎するかのように大きく動いては整然とした編隊飛行を取り始めた。
  
艦の形は皆一様に歪で不気味であったが、その一糸乱れぬ編隊飛行を行う動きから見て、相当な精鋭集団であることは容易に想像できた。

 「ヘボン君。このまま正面方向に確認できる、ガルエ級に着艦したまえ。甲板に着艦設備を設置してあるとはいえ、既に随分と使い古した艦だ。慎重にやってくれよ?」

 暫くの間、艦隊郡と連絡を取り合っていた彼女は、ようやくヘボンの方を見ると、安堵した顔でこちらに着艦姿勢を取るように促してくる。
  確かに彼女の言った言葉通り、着艦設備があるガルエ級は遠目から見てもその老朽化は著しかった。
  
下手にこの前の彼女が行ったような着陸手順を踏めば、甲板が間違いなく火の海になるだろう。
  
だが、今までコアテラで半ば曲芸飛行じみた死線をくぐり抜けてきたヘボンにとって、着艦ほど楽な作業もなかった。

 

 大分改修された跡があるガルエ級の甲板は、着艦設備の為に砲台が撤去されており、駆逐艦というよりは手軽な空母と言ったほうが正しそうだった。
  それでも、空母としての機能を持たせるために当時の技師達が苦心したことがわかるほど、甲板上にはゴチャゴチャとした設備が多数設置されている。
  
そして、そんな甲板へゆっくりと機体が着艦すると、そんな設備達の中から大勢の人間が飛び出してくるのをヘボンは操縦席越しに見て取った。
  
皆一様に帝国軍の制服をキッチリと着こなし、一部には作業着姿の整備兵と見られる者もいたが、どちらかといえば前者の者達の方が遥かに多かった。

 「さて、ヘボン君。君は暫くそこで休んでいてくれ、食事は後で運ばせる」

 コアテラの胴体部分を甲板に押し付けるようにして着陸させた際に、彼女はそう口早にヘボンに告げて、銃座から鮮やかに甲板の上へ飛び降りていった。
  そして、彼らは機体より中佐が降りてくる姿を見ると、皆一目散に彼女へと駆け寄り、なにか口々に歓喜の声を上げている。
  
一体何を話しているのかはわからないが、彼女を囲む連中の中には思わず涙ぐんでいる者まで見える。
  
やはり、彼女にはそれなりの人望というものがあるのであろうかと、ぼんやり思いながら、ヘボンは彼女に言われた通り機体で待機することとした。

 

 

 だだっ広い甲板の上にて、ヘボンは寝そべる様な形をとって着陸しているコアテラの傍らに座っていた。
  常に強風に晒されている甲板はヘボンにとってすると、恐ろしい場であり、彼は常にコアテラに備えられている足場のフックを強く握っていた。
  
そして、風が吹くたびに大きく怯みながら、一旦銃座の中へ風から避難しようとすると、その時不意に背後から誰かに声を掛けられた。

 「おい。飯だぜ」

 そんな独特の濁声を耳にしながら、彼がその方へ顔を向けると、そこには配給食を手にしたミュラー曹長が立っていた。ヘボンの体つきでは強風が脅威であるが、でっぷりと肥って重量のありそうな彼には全く関係ないらしかった。
  配給食…と言っても、その内容は乾パンと水の詰められた瓶だけであったが、前線基地を飛び出してからというもの、食事にありつけていなかっただけに、ヘボンは有り難く両手を差し出してそれを受け取った。
  
すぐにその食料を強風でうっかり飛ばされないように、両手でしっかりと抱きながら、風を凌げるであろう銃座に避難して、早速口に乾パンを運び始める。
  
その様子は餌を持って巣へ逃げ帰るクルカと似たような様子であったが、彼にはクルカの様な愛らしさは欠片もなかった。

 「お前も変な奴だな。甲板に残らずに、艦内に行きゃいいのによ。それだけ機体が放っておけないってのか?」

 必死に乾パンを貪っているヘボンを眺めながら、ミュラーは呆れと少しの尊敬の念を織り交ぜたような奇妙な調子で言った。

 「いえ、私も艦内へ入りたかったのでありますが、中佐殿にここに待機しているよう命じたのであります」

 しかし、そうヘボンが率直に訳を話すと、彼はあぁと小さく納得したような溜息を漏らして、暫くヘボンが食事を落ち着けるまで脇に突っ立っていたが、様子を見て隣に座り込んだ。

 「しかし、中佐も随分とお前を買ってやがるな」

 ヘボンが必死に食事を口に運んでいる様を眺めながら、彼と同じようにコアテラの銃座内に大きい体を押し込めつつ、曹長は煙草を胸ポケットより取り出すと慣れた手つきでマッチで火を点けた。

 「それはどういう意味で?」

 「別にそのままの意味に決まってるだろ?てめぇだってよくもまぁ悪運強く生き残ったもんだ」

 一旦食事を切り上げて不思議そうに見上げるヘボンに対し、ミュラーは満足げに紫煙を吐き出している。

 「たかが旧式のコアテラで夜鳥と大立ち回りをして、その次はトゥラーヤ級をたたき落として、挙げ句の果てにはグランミトラを撃墜…。俺達の部隊が表向きならお前はとっくに勲章を貰ってるよ」

 「成り行きでそうなっただけであります」

 「成り行き…ね。じゃぁこれも成り行きと思ってくれよな」

 どこと無くミュラーがヘボンを誉め称えるような調子に言われた言葉に対して、彼が少々恥ずかしそうに頭を掻くと、ミュラーは懐より一枚の紙切れを取り出して、彼に手渡してきた。
  それを受け取ると紙面には、何かの見取り図の様な物が描いてある。

 「これは?」

 「敵艦の見取り図だ。俺達の目標はブリッジだ。ここを制圧する」

 その言葉にヘボンは思わず口に含んでいた乾パンを幾らかこぼしてしまい。それが少し服に掛かってしまったミュラーは悪態を吐いて、ヘボンを小突いたがすぐに話を戻した。

 「ま。いきなり言ってもわからんわな。俺達の部隊の主有している艦は、どれも旧式で足が遅い。しかも、速度の速いような新型艦は大体保身派の持ち物だ。今はこうして編隊を組んで飛んではいるが、時期に保身派の追撃艦隊に追い付かれちまうだろう。とてもじゃないが、逃げ切れそうにない。だが、中佐の兄上…まぁコイツは保身派なんだが、内通者ってわけでよ。とにかくソイツの言うことには、追撃艦隊は主に元々、一族の所有していた艦を先鋒に立たせて進行しているらしい。しかも、乗員も息の掛かった連中だ。艦長や近衛隊だけは保身派だがな…保身派としては、皇帝派である俺達を討伐させて追従の意志を示さしてやろうということなんだろうが、そうは問屋が卸さねぇと、中佐曰くこの艦を乗っ取るそうだ」

 ミュラーは幾らか早口で長い台詞を吐くと、煙草を深々と吸い込んでは、紫煙を再び吐き出している。
  対照的にヘボンは下手をすれば口に含んだものが全てこぼれ落ちそうなまでに、口をポカンと開けきっていた。

 「…わ、私がそれとなんの関係があるのでありますか?」

 「何を今更、おおありに決まってだろ。てめぇは中佐の指揮する切り込み隊に編入されるんだ」

 「しかし、私は歩兵ではありません。操舵兵であります」

 「んなこたぁ関係ねぇ。使える人員は全て編入された。てめぇだって銃が扱えねぇわけじゃないだろ?ほら、これをてめぇに渡せって、中佐から言われているんだ」

 そう言うとミュラーは腰に下げていた、銃身を切り詰めたと思われる短い形をした水平二連式の散弾銃を、彼に手渡してきた。

 「それと、弾薬だ。それを喰い終わったら、俺についてこい。地獄へ招待してやんよ」

 続けて弾薬を無理矢理ヘボンの腰ポケットへ押し込みながら、ミュラーは煙草を甲板に投げ捨てた。
  ヘボンは口にかろうじて残っていた乾パンをなんとかして、水で流し込んだが、すぐに額よりにじみ出る脂汗に、せっかく摂取した水分が全て流れ出す気がした。

 

 ヘボンがおぼつかない足取りでコアテラを離れ、ミュラーの後へ続いてその急遽編成された切り込み隊が乗り込んだ艦は、旧式の南パンノニアへ流された筈であるシュトラヴァルカ級であった。
  まだ国内にこのような艦が残されていることは意外で仕方なかったが、それを扱わねばならない状況に酷く困惑した。
  本来この艦は九〇名程の乗員で運用される艦であるが、それを飛行可能な程度の人員までギリギリに割いて、残りを全て切り込み隊の要員に充てたということもあり、艦内は武装した兵士達でごった返している。
  
皆一様に貴族に仕える者であり、中には低い位ではあるものの歴とした貴族の者いるのか、着込んでいる軍服はいずれも立派な装いであり、その面立ちも士気が高いのか、血気盛んそうな色がある。
  
しかし、そんな中において、一般兵の具合であるヘボンは明らかに浮いた存在であった。
  
彼の着込んでいる飛行服は、この前の負傷した時から、血糊が乾いたまま付着して薄汚れていたし、何より彼らのような意志の強そうな出で立ちと比べれば、あまりにも弱々しく頼りなさそうであった。
  
だが、それでもヘボンが艦内の通路をミュラーの後へ続いて歩いている際、誰一人も彼に対して軽蔑するような視線を向ける者はおらず、返って畏怖の念の様なものをもってか皆一様に道を譲るのである。
  
その不思議な光景を眺めながら、ヘボンは思わずミュラーへ後ろから声をかけた。

 「曹長殿。何故、皆様こうもすっと道を空けてくれるのでありますか?」

 「てめぇの面が恐ろしいだけだ…俺だって実際、お前に後ろに立っているだけで、生きた心地がしないのさ」

 そう彼は冗談めかして答えてくれたが、ふとヘボンが通路脇へ目をやると、慌てて通路の壁際に背中を擦り付けて、驚愕と恐怖をありありと浮かべる士官が確認できたので、彼の心を酷く痛んだ。

 「こんな扱いを受けたのは初めてであります」

 「俺もこんな思いをしたのは初めてだ。あの中佐が直々に育て上げた精鋭連中すらも逃げ出しちまってやがる。なぁ、ヘボン?てめぇ本当に原隊でマトモに扱われてたのか?」

 「お言葉でありますが、曹長殿。私はこれでも原隊では皆と対して変わらない顔であります」

 「…てめぇの原隊が前線配置だったら、大戦はすぐ終結しちまうな」

 ミュラーは皮肉そうに言ってみせたが、その声音には何処か本気で恐れているよう色があった。

 

 暫くして、シュトラヴァルカ級の艦橋へたどり着くと、そこには中佐と、数人のこれまた立派な軍服を纏っている恐らく将校と思わしき者達が、広いテーブルの上に図や幾つかの書類を広げつつ、熱心に話し合っている様が目に入った。
  こちらが入室の旨を伝え敬礼をすると、中佐が視線をテーブルからあげてこちらへ手招きをしてきた。
  
ヘボンはてっきり己が招かれているとは思わなかったので、暫く艦橋の入り口にて直立していたが、業を煮やした彼女が彼を怒鳴ると、慌ててそちらへ近寄った。
  
しかし、己より遙かに身分の高い将校連中の間に入るのを彼は酷く躊躇したが、それは杞憂であった。
  
先ほどの通路と同じく、将校連中も彼の顔を見るやいなや、我先に場所を空けてくれたのである。
  
これにも大いにヘボンは心を痛めたが、その様子を見て彼に続いてテーブルの端へ付いたミュラーと彼女は小気味良い笑みを浮かべた。

 「さて、ヘボン軍曹。曹長より伝えられたとは思うが、君は切り込み隊へ編入された。勿論拒否権はないが、何か質問はあるかい?」

 彼女は図を指していた伸縮することが可能な差し棒を、掌で縮めながらこちらを見てくる。
  その顔には昨晩のグランミトラを撃墜した際に見せた、哀愁の色はどこにもなく、決然とした軍人らしい顔があった。
  
その顔に対して、ヘボンはできる限りここ数日の彼女に対して幾らか馴れ馴れしかった態度を変えて、下士官らしい仕草を必死に取り繕って見せた。
  
周りを囲む将校達への恐れがあったのだが、正直なところ彼らはそんなこと気にするほど余裕はなかった。

 「その…何故、わざわざ艦橋にて直接指示を承るのか、小官にはわかりかねます。小官の様な者は命令については部隊の小隊長から命令を頂ければ、それで十分と判断しますが…」

 「まぁ、それは確かにそうだが、君の任務は小隊長よりも重要な事だからね。何より切り込み隊の最先鋒に立ってもらいたいのでね」

 幾らかそれらしい態度はとっていたものの、ヘボンはまた先ほどのように口を阿呆の様に開けては彼女を見つめ返した。

 「中佐殿。お言葉ではありますが…私には命令の意図が理解できません…」

 ヘボンは口先を恐る恐る動かしながら、彼女へ聞いてみたが、中佐は依然とした落ち着き払った様子で答えた。

 「なに。君の技量を判断してとの事だ。それに、君は操舵手としてとても優秀だ。それはここにいる皆が認めている。我が一族の艦を奪取する際には、何かと突然のアクシデントも多くあるだろう。その為、艦橋を押さえた際にはすぐに操舵が可能な状況であらねばならない。だからこそ、君には先鋒隊に同行してもらう」

 彼女はそう言い放つと、ヘボンにもっと近くに来るように様に指示すると、再び視線をテーブル上の図へ戻して、手にした細い棒の先で、図を指し示しだした。

 「追撃艦隊の移動ルートは兄上から入った情報により、こちらは全て把握できている。我々は追撃艦隊に対して戦力が遙かに劣るが、元々我ら一族の艦隊と乗員を即座にこちらの物とできれば、残った保身派連中の艦隊を挟み撃ちにできる訳だ」

 指し示された図にはこちらの保有し、集結させた皇帝派の艦隊図と、追撃してくる艦隊の図が大まかに駒などで表されている。
  空図には今どの領空を飛行しているか随時、副官と思わしき将校が示してくれている。
  
図にはその近辺の地形図も示されていた。

 「追撃艦隊の先鋒を担っている我ら一族の艦には、兄上の方より、艦内にてクーデターを決行するべしと秘密裏に通達してある。我々はその騒ぎに乗じて、甲板へ肉薄し、切り込み隊を艦内へ突入させる。クーデターが上手くいけば、艦橋以外は特に制圧する必要はないだろう」

 「…情報が漏れる可能性は?」

 作戦内容について説明始める彼女に対し、一人の将校と思わしき男が横やりを入れてきたが、これは至極もっともな意見だとヘボンは思った。
  だが、その横やりを入れた将校に対して、彼女は穏やかではあるものの意志の固そうな面もちで、視線をあげて答えた。

 「確かにその危惧は大いにある。だが、保身派連中は我々が既に降伏の意志があるとタカを括っている。戦力差は圧倒的であるし、艦の性能差も明白だ。こうも有利とわかる状況であれば、敵は間違いなく油断する。…現に、我々をこうも手放しに集結させてしまった具合から見て、連中の戦略眼など大したものではない。その連中が、我らの一族の艦隊をあえて先鋒に繰り出したということは、保身派に対して追従の意志を示す場としてだろうし、こちらが制圧に成功したとしても、纏めて我々を後方より集中砲火を浴びせられると、容易に判断できる意図が伺える時点で連中は油断しきっている。…違うかね?少佐?」

 そう彼女が聞くと、将校は重々しく頷いた。
  だが、納得はしていないのだろう様子が見て取れることから、中佐は言葉を続けた。

 「確かに、情報が漏れて失敗する可能性はある。だが、我々には切り札がある。例え、抵抗が激しかろうと我々は勝利せねばならない。そして、殿下の為に、なんとしても足枷となる者を排除する必要があるのだ」

 この言葉の内容についてヘボンは全くわからなかったが、その言葉を受けた将校はやっと納得したように今度は力強く頷くのであった。
  そして、ヘボンには専門知識がないがために理解が難しい、作戦会議が暫くの間続いたが、その間に彼は立ったまま猛烈な睡魔に襲われ始めていた。
  
病み上がりの体で戦闘を行ってきたのである、もとより体力や精神にさほど自信のない彼にとっては無理もないことであった。
  
その為、作戦会議を終えて、彼女が将校達の前で『ミーレインペリウム』と声高に叫び斉唱した際に、不意に鳴り響いた声に思わず腰を抜かしてその場にひっくり返ってしまった様はあまりにも情けなかった。
  
しかし、それでも形ばかりはなんとかしなければならないと、直様起き上がっては皆より大分遅れた調子で『ミーレインペリウム』と一人で叫んだヘボンはあまりにも滑稽であり、これには将校達の失笑と苦笑を買ったのである。

 

  会議が終わった後にヘボンは、すぐさま配置に付くように促されて艦橋を去ることになった。
  切り込み隊要員は敵艦に肉薄するために、シュトラヴァルカ級の搭乗口付近へと集められていた。
  
その様な部隊を収容するためにブロックを改修したのか、搭乗口近くには長い椅子が壁に対になるように設置されており、そこに各武装をした兵士達が座り込んでいる。
  
重苦しく口を閉ざす者や、戦闘に対する興奮で異様に震えている者に、己を落ち着けようと煙草を吹かしている者など様々であった。
  
流石に先ほどのように彼に対して場を空けるほど余裕はなく、兵士達は重苦しい顔をして身を寄せあっていたが、その際に体格のせいによってそれなりの範囲を制圧している曹長にヘボンは話しかけた。

 「曹長殿、一つよろしいでありますか?」

 「なんだ?無駄口は余計に場を蒸し暑くするだけだぜ?」

 兵士達がひしめき合っているせいなのか、彼の体質なのかはわからないが、曹長は顔中に浮かべた汗を袖で拭うとヘボンを見た。

 「私の場合は中佐から伺ったので、切り込み隊に編入されたのは…まぁ、理解したでありますが、曹長殿は何故切り込み隊に?マコラガは常に艦隊戦には必要であります」

 正直なところヘボン自身切り込み隊へ編入されたことを納得はしていなかったが、それよりもミュラーの方が何故ここにいるのかが疑問で仕方なかった。
  こう言っては失礼であるが、彼の体型を鑑みても、艦の制圧にはお互いに不向きな兵種の人間であるはずである。
  
ヘボン自身、歩兵の経験が全くないわけではない。
  
内地の基地での地上勤務は歩兵と同じように訓練に励むものであるが、元より操舵手である己にはさほど激務といえるほどの訓練は回されなかった。
  
その点はミュラー曹長も似たように思えた。

 「いや、俺は元から歩兵畑の人間だからいいんだよ。マコラガは幾らでも予備要員がいる」

 だが、曹長の口から放たれた言葉は全く意外なものであり、今日何度目かわからないようにヘボンは口を開けて呆然と彼を眺めた。

 「なんだよ?何かおかしなことを言ったか?」

 「いえ、そんなことはないであります」

 不満げにこちらを睨んでくる曹長に対し、ヘボンは慌てて開ききった口を噤んだが、彼は呆れたように溜め息を吐くと言葉を紡いだ。

 「ま、意外といやぁ意外かもしれねぇしな。…どうせ乗り込むまでまだ時間はあるし、せっかくだから訳を話してやる」

 「いえ、別にいいであります」

 そうヘボンが断りはしたものの、彼は全くそんなこと意に返さずに話し始めてしまった。

 「俺は元より一族とは遠い姻戚に当たるんだが、まぁこれ自体は半ばこじつけにも近いぐらいなんだがな。数年前までは最前線の歩兵部隊に所属していたわけよ。そこそこにやっていたんだが…まぁ、事情によって軍法会議に掛けられちまってな。罪状は聞くなよ?とにかくそれで、銃殺刑になり掛けたんだが、寸前で中佐が横やり入れて助けてくれたんだ」

 罪状の点に関して、彼は少々ゲスな笑みを浮かべたところを見て、ヘボンは相当な事をしでかしてしまったのだろうと思ったが、他人の事をどうこう言える身の上でもヘボン自身無かったので口を噤んでいた。

 「まぁ、その恩もあってだ。今はこうして中佐の下で働いてるわけだが、いや全く中佐は凄いお方だ。話を聞けばわかるが、ここにいる連中はざっとそんな感じで中佐の世話になった奴ばかりさ。そこの、ベルンに至っては強盗殺人…その隣のボイルは…あぁ、わかった。言わねぇよ。んだよおっかねぇ顔しやがって、事実だろうが」

 言葉の後半に彼はその場にいた兵士へ顔を向けたが、なるほど確かに前科持ち特有の鋭い目つきをしている連中である。そして、そのうちの一人が鋭い目つきで睨み返してきたので、彼は言葉を切ったが、愉快そうな調子であった。

 「一言で言えば、ここにいる連中は揃って人間の屑といったところだ。だが、それでも俺たちは中佐の為なら命を捨てる覚悟があるってことさ」

 ミュラーはそう満足げに言うと、懐から煙草を取り出して、一本ヘボンに勧め、彼がそれを受け取ると、マッチで火を点けて紫煙を漂わせた。

 「しかし、私はどちらかと言えば中佐殿のせいでここにいるわけであります」

 「おい!滅多な事言うんじゃねぇ…」

 しかし、紫煙を吐き出しているうちに、気が緩んでしまい、うっかりそうヘボンは口にしてしまった。
  すぐさまミュラーがヘボンをたしなめたが、こんな人がひしめき合っている場で、彼の発言を聞き逃す訳もなく、話しに出てきたベルンと言う体格のガッシリとした肌の浅黒い男が、素早く椅子から腰を上げると、太く筋肉質な腕でヘボンのひ弱な肩に力を込めて掴んできた。

 「てめぇ!!黙って聞いてればヘラヘラと…」

 肩を掴まれて思わず呻くヘボンに対し、ベルンはその傷だらけのまさに歴戦の兵士と言った面をぐいっと近づけてきた。

 「しかし、事実であります。私は中佐殿に付き合わされて、こんな羽目に…」

 彼の強い握力にたじろぎながらも、少々気弱に反論しようとヘボンはベルンへ振り向いたが、途端に目と目を合わせると、逆にベルンの顔から血の気が引きだした。
  すると急に肩を掴んでいた腕から力が抜けて、彼は数歩後ろへ引き下がると、顔に冷や汗を浮かべてヘボンの顔を見た。睨むと言うよりは随分と動揺した色があった。

 「するとお前が、例の空鬼か…。確かに恐ろしい顔してやがる…中佐はこんな化け物を…」

 彼は譫言のように言うと、もう少し後ずさった。
  その顔には強面な彼には似合わないほどの恐怖と狼狽がありありと浮かんでいる。

 「…空鬼?」

 そんな狼狽する彼とは対照的に、間の抜けた調子でヘボンはミュラーの方へ振り向いて、聞いた。
  それに対して彼は紫煙を漂わせながら、口を開いた。

 「ここ数日の間に、お前の話に尾ひれが付き過ぎちまってるんだよ。やれ、帝国の最終決戦兵器だとか、クルカの親玉とか、空を駆ける鬼だとか…」

 「誰がそんな話を…」

 「中佐に決まってるだろ。何かと大げさに事を言いたがる癖があるからな…現に、お前が夜鳥を撃墜したときから、そんな報告が内の連中でまことしやかに流れたのさ。我々は遂に天からの使者を軍団に引き入れたのだとかな」

 ミュラーはそう呆れるような、しかし面白がっているような妙な調子で言いのけた。

 「とんだ迷惑であります」

 「だが、あながち嘘でもないからな」

 ヘボンは困ったと言わんばかりに、ミュラーへ言ったが、彼はそも面白そうに下品な笑みを浮かべている。
  そして、視線をヘボンがベルンの方へ向けると、彼は相当迷信深かったのか、今までの態度を著しいまでに改めて、直立不動の敬礼の姿勢をとってこちらを見ていた。
  
あまりの変わりようにヘボンはまた口が開きそうになったが、こんな調子では顎が壊れてしまうと口元を引き締めた。

 「…っ!失礼いたしました!」

 視線を合わせたヘボンに対し、強面のベルンはよりいっそう額に冷や汗を浮かべては姿勢を崩さなかった。
  しかし、このままでは己のバツが悪いと、ヘボンは己の失言を詫びながら、彼に握手を求めた。
  
それに対して、彼は酷く驚いた調子でそれに応えた。

 「ベルン・シュタリット軍曹であります!共に戦えることを光栄に思います!」

 彼はそう感激したような口調で力強くヘボンの手を握り、よくよく見ると凶暴そうな瞳に涙まで浮かべている。

 「ヘボン・ワトキンス軍曹であります」

 そんな彼に対してヘボンも名乗りながらできる限り丁寧に敬礼を返した。
  随分と妙な事になってしまったとヘボンは思った。
  
そして、このことが契機となってしまったか、そこにいた兵士一同と皆代わる代わる名を名乗り合い、敬礼を繰り返す羽目になってしまったのである。

最終更新:2016年08月04日 14:11