操舵手ヘボンの受難#7 『開戦』
兎に角、そのベルン・シュタリット軍曹はその無骨で乱暴そうな外見に対して陽気な男であることを、ヘボンは知ることになった。
彼は敵艦への移乗攻撃を前にして、シュトラヴァルカ級の搭乗口付近に設置されていた長椅子に腰掛けていたが、偶々手前にあった木箱を己の近くへ引き寄せると、退屈しのぎとばかりに腰から軍用短剣を引き抜いては、木箱の上に乗せた掌の指と指の合間を何度も刃先で素早く突き刺し始めた。
それを眺めた他の連中も彼に負けじとばかりに、短剣を引き抜く者が数名現れ、ベルンと競い始めた。
元より荒っぽい連中であるだけに、この様な事はしょっちゅうなのであろうが、その様子をヘボンもおっかなびっくり眺めていると、彼の注意を引いてしまったか、混ざるように促されてしまう。
当初の内は断ろうともしたが、強引に彼に腕を引かれてはどうしようもなかった。
そして、木箱の上に掌を開ききった状態で固定され、その指の合間を高速と言ってもいいぐらいの速度で彼の操る短剣の刃先が踊り、その間にヘボンは興奮と恐怖を織り交ぜた呻き声を上げ続けた。助けを乞うようにヘボンは隣にいたミュラー曹長を見たが、彼はさも愉快そうにヘラヘラと笑うだけであり、尚も短剣遊びは続けられた。
ヘボンの気が少々遠くなりかけた辺りまでその行為は続き、ようやくの事で彼がそれを終えてくれると、愉快そうにヘボンを宥めたり称えたりしながら席へ戻し、中々楽しかったとお礼とばかりに煙草を投げて寄越してきた。
それを冷や汗混じりに受け取りながら、ヘボンは口に咥えると数日ぶりに喫煙で大いに落ち着くことにした。
口内を満たす紫煙が己の置かれた状況を、ぼんやりと理解させてくれるが、幾ら理解しようとて、この現状に追従することしかできない事を再確認させるだけであった。
どうしようもない現実を思い返しながら、ヘボンは懐のポケットをまさぐっては、他の連中に覗き見されないようにそっと麗しきヘレン伍長の写った写真を見た。
写真に写っている彼女の顔は朗らかに笑っており、その隣に合成とは言え、はめ込んだ己も幾らかの微笑を顔に浮かべている。
この数日の間にあれほどの激しい戦闘を繰り返しても尚、こうしてなんとか生きてはいるが、五体満足で原隊に戻り、彼女に再び会えるかどうかはわからない。あまりにも起きる事、そして成す事がどれも現実離れしているようにヘボン自身には思えて、先日にあった明晰夢程ではないが、まだ己は悪夢の中にいるのだろうかと疑いたくなってしまう。
だが、感傷に浸っている時間も少ないのであると、できる限り己を奮起させた。
写真をお守りといった具合に懐へ深くしまい込むと、先程に曹長から渡された散弾銃の薬室を確認する。
並列した二つの薬室は同口径の物を使用すると見え、扱いはさほど複雑ではなさそうであり、ほどほどにグリスも落とされ実戦には耐える具合にはなっているようである。
曹長から受け取った弾薬は腰のポケットに押し込んであるが、これでは装填に手間取るであろうとズボンの脇ポケットへ移し、今度は銃床に備えられたスリングの具合を確認し、万が一にも取り落とさないためにしっかりと締め直した。
一通り己の得物の具合を確認していると、不意に通路口から、ここ数日で随分と聞き慣れてしまっていた中佐の声が響いた。
「諸君。お揃いかな?」
何時にも増して尊大であるが、何処かおどける様な調子に彼女は一同を見回している。
先程艦橋で会った際とは身につけている装備が随分と違っていた。
先日まで目深に被っていた飛行帽を脱いで、変わりに将校が被る装飾の施された軍帽を被っている。
腰には一同が身につけているような軍用短剣とは、比べ物にならないほどの長さと装飾の施された長剣を、そして、剣とは対に拳銃を差しており、その合間には弾帯と無造作にベルトへ突っ込まれた柄付投擲弾があった。
その様な物々しい彼女の登場に、一同は素早く直立不動の姿勢を取るべく立ち上がり、ヘボンもその後にワンテンポ遅れて立ち上がったが、これは幸い見逃された。
「結構…見たところ、全員いるようだね。あぁ、楽にしていたまえ。少しでも攻撃の時まで体力は温存しておこう」
彼女は不敵な笑みを浮かべながら、一同に対して楽にするようにと指示をすると、己は長椅子の端へ徐ろに腰掛けた。
座った際に彼女とヘボンの視線が混じりあったが、その際に彼女は彼に特に何も言わなかった。
彼女の羽織っている制服の肩には腕章があり、間違いなく中佐の一族の紋章が刻まれていたが、その模様はどうにも歪な代物であった。
クルカに似たような生き物が背中を折り曲げて円状に象って、図の中央に向けて炎であるかゲロだか訳のわからない物を吐き出している…そんな紋章であった。そんな些細な観察をヘボンがしている間に、彼女は一同に座るように促しながら、今回の作戦についての事を語り始めた。
「大まかな作戦指示については一同に伝達してあるだろうが…、ここにおいてもう一度確認しておく。我々が乗るこの艦船は、我らの艦隊を追う保身派艦隊に移乗攻撃を仕掛けるのであるが、何分タイミングが重要だ。この艦は速度も無ければ装甲もないことは、まぁ各々よく理解していることだとは思うが…」
そう一旦彼女は言葉を切ると、少し溜息を吐いてから言葉を紡ぎ、また一同を見回す。
「移乗攻撃を行う部隊は我らのみではない。ケビック少佐の第3班に、キベ大尉の第2班…そして我ら第1班だ。第3班が狙うのは追撃艦隊の先陣を斬るであろう『フレイア級軽空巡艦』…これは元々、ケビック少佐の一族の持ち物だ。その次に第2班はこのフレイア級の援護にあたっている『バリステア級軽巡空艦』を攻める。我々はこの2隻を率いているであろう『アルバレステア級重巡空艦』にあたる。各艦共に我々と同じ同志が多数乗員として含まれている。各班が移乗攻撃に移ろうとする合図を受け取ってから、各艦一斉に蜂起し、その混乱に乗じて素早く艦橋を制圧する。…だが、ここで幾つか問題がある。一つは迅速に制圧及び、艦のコントロールを奪えない場合、後続の追撃艦隊に一斉射撃を喰らって共倒れになることと、もう一つは艦橋に陣取っているであろう保身派連中が一筋縄ではいかないことだろうね。...内通者からの連絡では、我ら第1班が制圧するべきアルバレステア級の指揮を執っているのはアウフレヒト卿…その人だ」
この彼女の言葉に対して、ヘボンを除く一同の間に僅かにざわめきが起きた。
「アウフレヒト卿…とはどこの誰でありますか?」
しかし、事の事情を全く知らないヘボンは隣に腰掛けていた曹長の方を振り向くと、彼は一瞬ヘボンに対して、とんでもない馬鹿を見るような表情を浮かべたが、すぐに取り繕って丁寧に小声で説明してくれた。
「保身派連中の中でも武闘派の一角だわな。元はこっち側についていたんだが…」
「保身派にも武闘派などあるのでありますか?」
「あぁ、そりゃぁな。連中も結局一枚岩じゃぁねぇのさ。といっても、それも仕方ないことだ。何分、数が多すぎるからな。一部は己の領土さえ確保できりゃぁそれだけでイイってのもいるし、挙句の果てには属国連中と手を組んでだとか…まぁ腹の黒い連中がとりあえず、己等の利益だけを確保するためにとりあえず固まったのが、真相ってこったよ」
「随分と複雑でありますな」
「物事ってのはなんでも複雑なんだ。特に頭数が増える場合は尚更な。よく覚えときな」
曹長はそう意味ありげに彼へ笑うと、二人共再び視線を中佐の方へ向けた。
中佐は己がこの搭乗口付近の一室に入る際に、女性兵士を一人背後に立たせていたらしく、どうにもヘボンには見慣れぬ女性が一人、今後の作戦内容について指示する為に、アルバレステア級の艦内見取り図を一同の前に広げていた。
中佐と同じく軍帽を被り、長髪であるためか帽子内に髪を纏めているようである。
髪の色は黒く、その顔はどうにも痩せぎすで陰気であり、さほど印象が良いとは言えない女性だ。
しかし、ふとその女性の顔を、ミュラー曹長が見ると、彼は少々素っ頓狂な声を上げて彼女を見た。
「フレッド?なんだ、お前。まだ生きてやがったのか?」
彼の言葉にヘボンは脳裏に過る物があった。
確かその名はトゥラーヤ級との戦闘の際にも、グランミトラと一戦交えた夜の前にも一度聞いている。
曹長と共にマコラガで敵空母の対空砲火を掻い潜っていたが、途中で機体の損傷により離脱した兵士であり、前線基地においてはこちらへ銃砲を向けてきたグレイソン大尉のお目付け役として、確か一時彼と共に保身派の基地へと飛んだ兵士ではなかったか。
あの後一体どうなっていたかは知らないが、ヘボン自身そんなこと気にしているような状況など今まで一度もなかった。
曹長の言葉に他の一同も敵艦の見取り図どころではなくなったのか、一斉に彼女の方へ顔が行った。ついでにヘボンもよくわからないが向けた。
「失礼ですね、皆様方…。まるで蘇った死人でも見るような…一部は死人そのものな顔ですが」
彼女は冷静に一同を眺めながら、呆れたような溜息をついて、一瞬ヘボンとも目があったが、彼女はそれを恐ろしい速さで逸した。
「フレッド准尉は先日まで保身派の基地にて拘束されていたが、追撃艦隊の詳細な情報について内通者より伝言と手助けを受けて、基地を脱出し我々に合流した。今回の作戦にも勿論同行してもらう。まぁ、むさ苦しい集まりに花があっていいさ」
そう中佐が事の詳細を話してくれたが、己も女ではないのかとヘボンは内心思うものの、これまでの暴れようを鑑みるに、確かに他の荒くれ者一同も中佐を女性扱いしにくいのがよくわかった。
だが、その女性であるフレッド准尉というのも、陰気な雰囲気から果たして花と言えるのかは甚だわからなかった。
「しかし、随分と極悪な顔をしているでありますな」
「お前の醜悪な顔とどっこいだよ」
その際にヘボンは小声で曹長に話したが、彼は皮肉たっぷりにヘボンに返した。
そして、後の作戦内容についての事は中略せざる終えなかった。
それはあまりにも中佐が、作戦内容よりも今回の任務における我々の立ち位置だの、この作戦においての成否が帝国に如何に関わるかどうかに対する熱い演説が長々と続いた為である。
ヘボンは事に政治については無頓着であったし、下手をすれば中佐と同じ尺を使って己のこれまでの災難話を披露する自信があるほどであった。
しかし、そのあまりに長い彼女の演説はヘボン以外の兵士達を奮起させるには十二分なものであり、やっとこさっとこその永遠に続くとも思われた演説が終わる際には、ヘボンを除く一同共に、艦橋であったようなミーレインペリウムの大合唱が沸き起こっていた。
追撃艦隊を迎撃すべく、ガルエ級3隻とその他諸々の旧式艦船達は、ある程度の空域まで移動すると急にその動きを止めて、一斉に編隊を組んで大きく広がる動きを見せ始めた。
旧式艦の寄せ集めとは言え、その光景は壮麗なものであり、その中を掻い潜って飛ぶシュトラヴァルカ級より、その光景を眺めたヘボンは感嘆の息を漏らした。これより、帝国の長い歴史には記されることもないような、空中戦が繰り広げられるのである。
ここまで来てしまうと、何かと悲観的であったヘボンも中佐の演説に幾らか乗せられてか、その胸に高揚感と強い興奮を覚え始めていた。
その異形の群れより飛び放たれた移乗攻撃を目的とする3隻と、それに追従し援護する護衛戦闘機が、広がりを見せる大編成の脇に広がる巨大な雲へとその身を隠していく。
展開した旧式艦隊は、迫り来る追撃艦隊に対して正面より攻撃を仕掛けるとの話であるが、これはあまりにも無謀で、開戦から数刻後には壊滅必至であろう。しかし、その前に追撃艦隊の3隻を奪取することが出来れば、戦局は一変する筈である。
その点について中佐は先程より口を酸っぱくして演説したが、何もかも無謀の一言で全てを括ってしまったような作戦であるとは誰しも異議を唱えなかった。
というよりは唱えられなかったという方が、正しかったのかもしれない。
これは既に皇帝派である我々にとっては、最後の賭けであるということも中佐は熱く語っていた。これ以上の保身派勢力の拡大は帝都にある戦力を上回りかねない規模に達しかねており、これを防がない限りは我々に明日は無いと彼女は再三叫んでいた。
これに対して皆一同熱い思いを持って答えていたが、ヘボンのみはどうにも胡散臭い気分を隠せず、何故こうも必死になるのかと、小声で近くにたベルン軍曹に尋ねてみた。すると彼は、興奮に燃える顔をヘボンに向けながら、これは皇帝陛下に対する最高のお膳立てであり、作戦が成就した暁には一時的に中佐の元で預かられている我々の罪状が恩赦によって消えるのだと語った。
それを聞くと、確かにそれは必死にもなるとヘボンは小さく納得した。
だが、それでは己自身も、これは中佐の仕業であるのだが、自身にかけられた脱走罪の罪も消え去るということではないかと、俄かに彼の胸中も騒ぎ始めていた。郡雲の中へ潜り始めた三隻と、それに追従する護衛機達は追撃艦隊が領空に現れる時を待っていた。
辺の空はまた夕暮れが近づき朱く染まり始めている。それを窓越しに眺めるヘボンは以前に見た明晰夢のような血塗れの空景の事を思い出したが、あの奇妙な体験を振り払おうと頭を降って、手先を銃床へ走らせた。
その間にも景色は雲の中へ入って、辺は薄暗く灰色のものとなっていく。
それからの合間はとても長く感じられた。
シュトラヴァルカ級の艦橋においては、辛抱強く追撃艦隊の動向について通信機から耳が離せない様子であり、沈黙が臓腑に溜まっていくような感覚を一同が覚え始める。
追撃艦隊の移動ルートについては既に内通者よりもたらされた報告にて、通達されてはいるもののそれ通りに事が運ぶかどうかは半ば運次第であった。
何事も不意のアクシデントというものは避けようが無いものであり、万が一にもこちらの艦隊が待ち受ける位置より、侵入してくる方面が違えば不意を突いた移乗攻撃は不可能となってしまう。
全てが水泡に帰す可能性というものは、あまりにも多かった。
それだけに中佐の演説が如何に彼らを奮起させようとも、拭い去る事のできないものが確かに彼らの顔には存在していた。
それから暫くの間、一同の合間に長い沈黙が訪れた。
窓の外の景色は依然として雲の中であり、何が周囲で起きているのかわからなかった。
だが、その雲の向こう側で不意に鳴り響き始めた艦砲の轟音とそれに加わる鮮烈な光が遂に事が始まってしまったことを告げていた。
「諸君。時間だ」
その様子を流し目に眺めつつ、壁際に備えられていた伝声管に張り付いていた中佐が、不意に一同へ言い放った。
「事は予定通り運んでいる。追撃艦隊は囮に掛かった。まもなく、我鑑はアルバレステア級の側面に出る」
その言葉に一同の表情が険しくなる。
各々己の得物を再度確認し、皆一様に彼女を見守っている。
そして、その一同の期待に応えるかのように彼女は口を開いた。
「これより移乗攻撃を行い、艦を奪取する。今こそ我ら一族の誇りと、帝国の栄光を取り戻す時である!各自、全力で目標を達成すべし」
誇らしげに尊大に語る彼女の調子に、一同は勇ましく立ち上がり得物を掲げては、『帝国万歳』と斉唱し始めた。流石にこの時ばかりはヘボンも遅れてはならぬと、慌てて立ち上がってはその斉唱に加わった。
その合間に窓から見える景色は一変していた。
夕暮れに染まる雲の中を飛び出し、シュトラヴァルカ級は紅い空を飛び、窓の景色の向こうにはちょうどアルバレステア級の側面対空砲座が写っている。
脇に目をやると別班の乗り込んだシュトラヴァルカ級も別の目標艦に対して、その鈍重な速度で必死に肉薄しようとしている様が目に入った。
どうやらドンピシャに飛び出たらしい。
その余りにも巨大な姿にヘボンは慄きを隠せなかったが、確かに彼女の言ったとおり艦内にて反乱が起きている為か、対空砲座が一斉にこちらへ向かって襲いかかることはなかった。
徐々にその砲座へと距離が迫っていき、最終的には艦を激しい衝撃が襲っていた。
だが、一同は特に身じろぎもせずに、決然とした表情を崩さず、備えられた伝声管から離れ、搭乗口の前に悠然と立った彼女の後に列を成している。
そして、彼女が扉をゆっくりと開くと、強烈な風が一同を襲うが、それでも彼らは壁際に備えられたフックなどにしがみついて、視線を開かれた暁の空中へ注いでいる。
その際に彼女の脇にいた者が、そこからロープを下ろした。
窓から何が起きているのかとヘボンが覗くと、垂れたロープの先はアルバレステ級側面の対空砲座へ垂れており、その対空砲座の上部はロープが入るようにすっぽりと空けられており艦内の手引きに寄るものと思われた。
そして、そのロープがしっかりと砲座内に固定された具合を確認すると、再び彼女が何かを高らかに叫んでいるが、これはあまりの強風にかき消された。
だが、少しの間をおいて、彼女は声を出しても仕方ないかと思ったのか、ヘボンの方へ手招きをし始める。
しかし、ヘボンとしてはこの強風の中において、艦に飛び乗るなどあまりにも恐ろしくて仕方がなく、思わずたじろいだが、この後に及んで逃げ出すことなど出来る訳もなく。
業を煮やした彼女は無理矢理にヘボンの方へ歩み出て、彼の細く頼りない体を抱き寄せると、残酷な笑みを浮かべてロープを伝って艦へ飛び降りた。
ロープは頑丈な作りではあったが、空中に投げ出される感覚の前には何もかも頼りなく思え、しかもいきなり彼女へ抱き寄せられたことにより、ヘボンは断末魔地味た様な叫び声を上げながら彼女と共に地獄へ飛び込んでいった。
空けられた砲座の上部より、艦内に降りると、そこにはこちらの協力者と思わしきアルバレステア級の乗組員が数人程、武装して立っていた。
それを見た中佐は直様ヘボンを突き放して、己の得物である自動拳銃を腰より素早い動作で引き抜くと、乗組員等と極々短い会話をして、後続に降りてくる兵
士達を追い付いた者から先に束となって通路を走り始めた。
反乱の進行状況については進みながら、聞き取っているらしく、彼女が熱心に傍へ付いた乗組員と話しながら走っている。
ヘボンはその後を数人束になって続きながら、時折目に入る通路内の惨状を脇目に見た。
艦内で起きている反乱は今もなお続いているらしく、通路には床や壁に夥しい流血の跡が見られる。
そして、その流血痕の持ち主達であろう死体が通路にチラホラと転がっており、どの者が保身派で、どれがこちらの味方であるのか全くわからなかった。
今もなお通路の先からは激しい銃声と叫び声が轟いており、この移乗攻撃がそう簡単に済まない事を明確に示していた。
あまりにも凄惨な状況にヘボンはとてつもない吐き気を催したが、それを角から鳴り響いている銃声から来る恐怖感が押さえつけた。
その傍ら、中佐達は恐怖など何も感じないのか、素早く銃声の鳴り響き通路の角へと猛然と突進していく。
角に突進する際に、中佐は必ずと言っていいほど先頭に立ちたがっていた。
中佐階級ともあろう者が先陣をきるというのは、士気を高めるには大いに役立ったが、誰しも女性である中佐を矢面に立たせてはならぬと、先んじて兵士達が前に庇いたてる。
艦内通路はさほど広い造りではなく、それに加えて複雑な造りである為に、通路の幅は大の男が二人並ぶともう一杯といった形であった。
「ついてこい。ヘボン君」
彼女はそうヘボンに対して常に己の背中にいるようにと言ってくるが、果たして女性の背中に隠れるというのは如何なものと思ってしまう。
だが、そういう紳士的な気持ちよりもヘボンとしては死にたくないと言う根本的な思いが強かったために、情けない形ではあったが彼女の背後へ張り付くような形を取って追従していた。
通路の角を曲がる度に散発的な銃撃戦が起こり、その度に先頭に立っていた兵士が素早く遮蔽を取るようにと叫び声をあげる。
銃声が鳴り響く度にヘボンは身を震わして、壁に張り付くが、彼女は対照的に銃声へ自ら近づいていくかのようにしている。
だが、通路の先に敵はバリケードを築いて防戦の姿勢を見せており、そう簡単に突破を許してくれそうになかった。散発的に鳴り響く銃声の間に壁際に立っていた兵士の一人が敵の射撃を受けて、倒れ伏すのが見えた。
「フレッド!来い!」
その様子を一歩引いて眺めていた彼女は声を荒げると、一同の後方に付いてきていた伍長を呼んできた。
彼女は早足で駆けつけると、手に携えていた、その細い体格に似合わぬ小型の榴弾を発射する信号銃を構えた。
伍長は早速一同に離れるように叫ぶと、角から向こうの通路に立てこもる敵に向かってそれを発射する。
ポンっと少々間の抜けた音が通路に鳴り響いたかと思うと、すぐさま耳をつんざくような轟音と振動が通路に響いた。
ほんの一瞬の間を置いて、中佐が一同に突撃するように命じると、ダムが決壊するかのような勢いで、兵士達が通路へ向かって我先にと突進していく。
そして、その一同に続いて中佐が続き、その後ろにヘボンが続いた。
踏み出した先の通路には粉々になったバリケードの残骸と、爆風を間近に受けた敵であろう人間の残骸が散らばっている。それらを横目に走り抜けながらヘボンはふと、トゥラーヤ級の内部でも同じ事をしたとぼんやりと思った。
艦内通路の各所に設置されたバリケード群をそのような荒っぽい手法で突破していきながら、一同は艦橋を目指して進んでいく。
その際に何人か銃弾を受けて倒れる者もいたが、誰もそれを気にする余裕などなく、一同は確実にその頭数を減らしながらも狂ったように突き進んだ。
だが、その会進撃も艦橋にもっとも近い通路の前で一旦止められることになる。抵抗してくる敵の武装は概ね拳銃やせいぜい小銃程度の微弱なものであったのだが、その最終防衛線たる艦橋付近の通路にはあろうことか、軽機関銃が据えられていた。
どう見ても、乗組員の武装とは思えず、アウフレヒト卿が率いている部隊の装備と見える。
一同は激しい銃撃に晒されながらも、各自遮蔽を取ってそれをやり過ごさんと構えていた。
「フレッド!もう一度だ!」
遮蔽を取りながら、またも中佐は伍長に対して榴弾を放つように命じている様が、彼女のすぐ側にいたヘボンには見えている。
その命令にすぐさま伍長は応じて、通路先に向かって再び発射を試みた。
またさっきのように間の抜けた音に続いて、爆音と衝撃が響いてくる。こんな調子では艦内が無惨になることは目に見えていたが、今更そんなこと誰も気にしない。
爆音が止むと、中佐はまた一同に突撃するように指示を出し、また数人が固まって通路を突っ込んでいく。
これでようやく艦橋へたどり着けると思ったが、今度ばかりは勝手が違っていた。
突撃した数人の勢いをかき消すが如く、軽機関銃の銃声が鳴り響いたのである。
まだバリケードに立てこもっている敵がいるのかと、兵士達は判断したが、敵は立てこもってなどいなかった。
各が壁際から一瞬だけ視線を通路先に覗かせると、そこには異常な光景が広がっていた。
艦橋へ繋がる最後の通路の奥に、一人だけ軽機関銃を構えて立っている者の姿が見える。
その者の足下には突撃を試みたこちらの兵士数人が無惨な姿で倒れ伏しており、敵と思われる者はトドメとばかりにまだうめき声をあげている兵士に対して、もう一度斉射を行い黙らせている。
榴弾の直撃を食らって生き残るなど不可能な話である。
だが、現にその者は榴弾でバリケード群を吹き飛ばされようと、平然と立ってこちらに不気味に視線を向けた。
不気味なのは視線だけでなく、その者の全体像から既に人間離れしたような色がある。
シルエットは人間のソレなのであるが、体中のあちこちが赤い腫瘍で膨張したような具合で、軽機関銃を携える手も紅い腫瘍で腫れ上がったような瘤で覆われている。ただ、その肉塊の固まりの中で頭部の目に当たる部分からゴーグルと思わしき物が覗いている。
「...生体式防護服か」
人外じみた姿の敵に対して、中佐が苦々しく呟いた。
朱に大きく腫れ上がった姿は、何処か帝国の良い意味と悪い意味を混合させ、膨れ上がらせたかのようで、我々に対して強烈な殺意を向けていた。