操舵手ヘボンの受難#10 『地獄の底』

操舵手ヘボンの受難#10   『地獄の底』

 

 暗闇の中で自分のことを誰かが呼んでいるとヘボンは感じた。
  その声音は明瞭ではないが、確かに自分の名を呼び続けている。
  だが、一体誰であろうかと辺りを見回そうとするも、頭は動きそうにない。
  頭どころか体さえも動かせずに、ヘボンはただ暗闇の中にて仰向けになっているようだ。

 「…ヘボン君」

 自身の状態に気付き始めた時になって、その声はとても低い女性の声であると気付いた。
  それに続いて、この独特の低い声音が誰のものであるか、ヘボンは暗闇の中においてもハッキリとした意識を以て口を開いた。

 「中佐!」

 口を開いたと同時に、今まで動かせなかった体が徐々に血が通い始めたかのように、ゆっくりと動かせるようになった。
  ヘボンはすかさず体を起き上がらせると、周囲の闇を見回しながら彼女の声が何処から発せられたか探ろうとする。

 「中佐! 何処にいるのです!?」

 そう闇に向かって叫ぶも、返事は返ってこない。
  暗闇の中でヘボンは一人だけになり、頼りとも思えた彼女の声が途切れてしまった。
  彼の背筋に不安が強く募っていき、それはこの暗闇の中で見えない空気に押しつぶされるかのような感覚に似ていた。

 「助けてくださいっ! 中佐! 私はもうっ…」

 彼の発する叫び声は徐々に小さくなり、腕は落胆したように垂れ下がった。
  彼女がいなければ自分は一体これからどうすればいいのかと、ヘボンは記憶が多少曖昧になる中でも、そんな不安だけは強く持っている。
  あの内地の基地から連れ出されてから、彼女が命じるがまま死地を潜ったではないか、その報いがこれであるかと、ヘボンは呆然と闇を見た。
  だが、暫くすると闇に慣れ始めた目はその暗黒を貫いて、壁のような物を見出した。
  それは色合いまでは分からないが、表面的の立体の形は認識出来る。

 「…肉腫」

 そうヘボンは途方もなく、そう呟く事しかできなかった。
  壁の様な物には浮き出た血管の様な物が幾重にも張り巡らされ、その合間に肉腫が飛び出している。ちょうど、あのアルバレステア級の通路で鉢合わせした、あの不気味な生体式防護服にその肉腫達はよく似ていた。
  あまりに突拍子もないソレの登場に、ヘボンは恐怖も驚きも感じられず、ただただ吸い寄せられるようにソレに歩み寄った。
  近づくにつれ、その肉腫はそれぞれ違う形を持った人間達が、その肉の檻から抜け出さんがごとく暴れようとした姿勢で固着させられているように見えた。
  そして、その内の肉腫が一つこちらを見ていることにヘボンは気付いた。
  その肉腫はちょうど、ヘボンの頭上にあり、その肉腫の気配に気付くと、彼はまたぼんやりと頭上へ目を向けて、またポツリと呟いた

 「…中佐」

 その肉腫の形を形容する言葉が脳裏に浮かび出る前に、ヘボンは意識が遠のき、彼は暗闇に倒れた。

 

 

 今度の目覚めは先程よりはショッキングなモノではなかった。
  ヘボンが目を開いた先には、何やら丸っこく大きい者が何か缶詰の様な物を抱えて、がっついている様であった。
  周囲の景色といえば、頭上に機内灯が薄暗い光を放ち、薄暗く機内を照らして、その丸っこく大きい物体をぼんやりと写し出しているだけであった。
  彼は一瞬その丸っこく大きいものが一種の化物か何かとも思ったが、それはミュラー曹長であった。

 「…おう。起きやがったな、軍曹」

 曹長はこちらの様子に気付くと、食べ終わった空の缶詰を投げ捨てて、口を下品に飛行服の袖口で拭うとヘボンへ体を向けてきた。
  曹長の飛行服は今食べていた缶詰で汚れた物よりも、多くの汚れが付着していた。
  何かの食べ滓に、生体液のシミも見受けられる、そしてドス黒い血痕がベットリと染み付いていた。

 「てめぇも随分と悪運が強いようだな。 おら、喰え」

 彼はそう口端を釣り上げながら、近くにあったまだ開けていない缶詰を一つ、ヘボンの前にぶっきらぼうに差し出してきた。
  どうやら魚肉を何かの保存料に漬けおいて、缶詰にした物らしく、缶の側面には何か魚らしい絵とよくわからない言語が派手に表記されている。
  内地の基地においては主に人工肉ばかり食していたこともあって、目にしたことがない代物であった。

 「曹長、これは?」

 「あぁ、ドミルの野郎が隠し持っていた物だ。尉官連中用達の倉庫からくすねてきた物らしいが、俺は怪しいモノは食いたかねぇ。 お前にやる」

 缶詰を眺めながら、疑問を口にするヘボンを尻目に、曹長はまた新たな缶詰を近くにあった雑嚢から取り出した。
  こちらはちゃんとした帝国の携帯食料のようであり、ヘボンとしてはそちらを貰いたかったが、代わりに曹長は何か平べったい物を取り出すと、彼に投げて寄越してきた。

 「これは?」

 「『チヨコ』だ」

 「誰ですって?」

 「間抜けが、食い物だよ。 連邦の嗜好品だそうだが、俺は怪しいモノは喰わねぇから、これもお前にやる」

 そう呆けた面で見ているヘボンを、一蹴しながら曹長は軍用短剣を用いて、慣れた調子に缶詰を開けている。どうやら缶切りは無いらしい。
  そんな様子を眺めながら、ヘボンも思い出したかのように、掌を滑らせながら腰に差してあったはずの軍用短剣を探した。
  だが、その短剣を手に取って、缶を開けようとした際に、今手に取っている短剣の持ち主の事が脳裏をよぎった。

 「曹長、中佐殿は一体どうなったのでしょうか…?」

 おずおずとそう彼に問いかけると、一心不乱に食料をがっついていた曹長の手が一旦止まり、その機内灯の光が反射するほどの禿げ上がった頭を彼へ向けると、おずおずと口を開いた。

 「そりゃぁわからねぇ。 だが、今は他人の心配より、てめぇ自身の心配をしたほうがいいってもんだ。 俺達は見ての通り不時着した次第だ。 運良くこうして生きちゃいるが、一寸先は闇だわな」

 彼は少し口内に残っていた食べ物を吐きつけながら、そう宣い。
  また視線を缶詰の方へ戻すと夢中に食べ始める。
  それを眺めながら、ヘボンは確かに己の体に何か外傷があるようでないことを今更になって確認すると、曹長から受け取った缶詰を強引に切り開けては中身を食した。
  現在の状況について色々と知りたいことはあったが、それ以前に体は情報よりも食料を欲していたのだ。
  魚肉など食べた事はなかったが、これはこれで食べれないことは無いと思った。
  だが、問題はその次に曹長から渡された『チョコ』という代物で、口に含んだ途端に名状しがたい複雑な味に、舌は早くも強い拒絶の色を示した。
  思わず、口内に入ってしまった茶色のソレを吐き出すと、その様子を尻目に見ていた曹長が『やはり、毒か』とニタニタと笑っている。
  やはり、連邦なんていうものは碌でもない国だと吐き気を覚えながら、曹長に対する軽い憎悪をもってして少し睨むと、彼は恨むなよと言った具合にわざとらしく肩をすくめた。

 「そう怒るんじゃぁねぇよ。 ほら、これやるから機嫌を直しな」

 そうまるで悪戯小僧の用に笑いながら、曹長は懐から、掌ほどの大きさの革袋を渡してくる。それを受け取って袋の口を開いてみると、中身は煙草であった。

 「アルミラの奴の持ち物だ。 ただの配給品じゃぁねぇぞ、幾らか鎮痛薬やら安定剤やらも混ぜてあるみてぇだ。 元が砲手ってんだから、こうでも工夫した物を吸わねぇと落ち着かなかったんだろうよ」

 彼の話を聞きながら、ヘボンは懐に煙草を丸めるにちょうどいい紙切れを探した。
  何か機関紙の切れでもあれば具合が良かったが、生憎内ポケットに入っていたものは愛しいエレン伍長の写真と、あの忌々しい配属証明書が数枚である。
  そのどちらを選ぶかといえば、迷いなくヘボンはこの地獄へ己を叩き込んでくれた書類を千切り、それに小指ほどの量の葉を包んで、口に咥える方を葉が口内へ入らないように絞るとマッチを探したが、これは曹長が善意でマッチを擦って火を分けてくれた。
  始めて飲む煙草に少々警戒しながら、少しずつ口内に煙を満たして紫煙をゆったりと吐き出すと、確かに曹長の言ったとおり、ケチな配給品の質とは大分違った味わいを感じる。
  これは嗜好品というよりも、薬の趣の方が強いらしい。
  現に、喫煙によって起こるわずかな高揚感が強化されており、軽く指先が震えを起こす程である。確かに緊張感や恐怖心を紛らわす必要のある砲手には必要な煙草と言えるが、ちょっとした食後に吸うには余りにも強すぎた。

 「これはアルミラ…、曹長? 彼の階級は…」

 煙草を分けてくれたのであろうアルミラに対する感謝でも口にしようとしたとき、曹長の表情が少しだけ強張るのをヘボンは見逃さなかった。
  そして、その表情の強張りが何を意味するのか、曹長が次に紡いだ言葉を聞かなくとも察する事ができた。

 「奴の階級は剥奪されている。 以前にとんでもねぇドジ踏んじまって、せいぜい上等兵ってトコだろうが、んなこたぁもう関係ねぇ。 なんせ、てめぇの後ろにある砲座で墜落した拍子に脳天から潰されちまったんだからな」

 曹長はそう事も無げに言おうとしていたが、その声音には何処と無く虚しい色が滲み出ていた。その言葉を聞きながら、ヘボンがふと背後を振り向くと、そこはゼイドラの操縦席であるらしく、今さっきまで曹長が座っていた場所であることがわかる。
  そして、操縦席の下部に当たる床から砲座へ繋がるハッチがあるが、それは取っ手に夥しい量の血痕を残しつつ閉じられていた。

 「…生き残ったのは、私と曹長だけでありますか?」

 「いや、ベルンの奴も残念ながら、健在だ。 ちょっくら周囲の偵察に出している。 ドミルの奴はもう原型もねぇぐらいにズタズタで、銃座の…まぁ銃座であったものだな。 そこにいるよ」

 そう曹長が言い終えると、二人は暫く黙り込んだ。
  アルミラの残した煙草を一巻き吸い終えるまでが、恐ろしく長く感じられた。
  先程まで陽気に会話を交わしていた兵士達が、たった数刻後には筆舌尽くしがたい様になって転がってしまう。
  これが、戦争であるということは随分と前から承知はしていたが、しかし、これは対外的な相手と殺し合うのではなく、同じ軍隊の兵士同士で殺し合う内紛なのである。
  そういった現状を目の当たりにして、ヘボンはようやくと言っていいほど時間を掛けてから、曹長に対して口を開いた。

 「…曹長。 何故、保身派と皇帝派はここまで争うのでありますか? 元を正せば、同じ帝国民ではないのですか?」

 「んなこと、俺に聞くなよ。 そいつがわかれば皆幸せだろうさ。 まぁ、俺の言えることは、そういう単純な2極構図じゃねぇってことだ」

 そう曹長は一旦話を切ると、ヘボンに煙草を寄越すように要求し、それに従って革袋を曹長に渡した。
  彼は慣れた手付きで煙草を少し何かの紙切れに包むと、先ほどのヘボンと同じように火を点けて、ゆったりと紫煙を吐き出した。
  吐き出された紫煙が、朧げに機内を照らす光に色を添え、それを少しぼんやりと眺めてから曹長は口を開いた。

 「前に、軍曹には保身派連中も一枚岩じゃねぇって事は話したな? あれと、同じように俺達の集まりも一枚岩じゃねぇのさ」

 「…それはどういうことでありますか?」

 「まぁ、待て。 落ち着いて、俺の話を聞きな」

 思わず身を乗り出したヘボンを制すと、曹長は煙草を足で踏み消して、じっとヘボンの顔を見据えた。

 「保身派連中の場合は、領土なり資産を守る為に、一応まとまって『第十三特殊空域旅団』なんてけったいなモンを結成した訳だが…。 じゃぁ、なんで俺達、皇帝派の貴族をその中に入れちまったか?という事から、話が始まる」

 「単に取り敢えず集まってしまったものだから、後になって揉めだした訳ではないのでありますか?」

 「当たり前だ。 保身派としてはまぁ、そういう事もあるんだろうが、俺達の場合は元から、帝都貴族連中から内密にこの保身派辺境貴族が率いる新手の胡散臭い旅団に対しての内偵捜査を命じられていたのさ。 保身派連中は部隊新設の許可の為に、皇帝一派に働きかけたが、辺境諸侯や辺境貴族とは相対している帝都貴族達の動きは比較的ノーマークだったって訳だ。 お陰で、皇帝一派に働きかけたせいもあって、部隊の内に俺達の様な少々異質な連中も五分の一程混ざったって事だ」

 「…要するにスパイの為ということでありますか?」

 「そういう事だ! 顔の割には察しがいいな、軍曹」

 「顔のことは今関係ないであります」

 曹長が真剣そうな雰囲気を打ち消して、愉快そうに声を立てて笑ったが、ヘボンの真剣な面持ちを見るとすぐに『話がずれた』と少し気まずそうに取り繕いながら、話を続けた。

 「当初、中佐達は内部から、旅団の目的などを探って帝都の貴族連中に報告する任を受けていた。 だが、調査を続ける内に、旅団の内部調査をしているのは中佐達だけでないということがわかった。 …『耳目省』の奴らだ」

 「…医者ですか?」

 「そりゃ、耳鼻科だ」

 一旦、また話がズレたと曹長は顔を顰めたが、それでも話を中断せずに根気よくヘボンに話し続ける。

 「まぁ、耳目省なんて言ったって、帝民程度じゃぁ知っている訳がないから、無理もねぇか。 まぁ皇帝一派の御用達のスパイ共だ。 中佐はそんな連中も旅団内部の事を嗅ぎまわっている事を知った。 だが、それだけじゃぁない。 耳目省連中が探っていることは、保身派の結束と謀反についてなんかじゃ無かった」

 「健康状態などですか?」

 「だから、医者じゃねぇって言ってんだろうが、つまらねぇ事ばかり言いやがって、てめぇの脳みそはクルカ以下か」

 軽くヘボンの頭を小突きながら、曹長は言葉を紡いでいく。
  しかし、ヘボンとしては耳目省など聞いたこともなければ、この内紛についてもわからない箇所ばかりであり、少々その頭は混乱を来たしていた。

 「まぁとにかく、連中の探っていたことは謀反についてなんかじゃなかった。 一応それも嗅ぎまわってはいたが、仮に謀反がわかったとしてもすぐに主力艦隊や、近衛騎士団の艦隊で鎮圧に向かわせれば事は足りる。 そんなことがわからない程、保身派連中だって馬鹿じゃない。 幾ら兵力を整えようと、質も量も帝都勢力には劣るからな。 だが、それを踏まえても尚、謀反を継続する為には、何か切り札があるに違いないと、許可は出したものの皇帝一派達は考えた。 だから耳目省連中にその最も重要な点を調査させていた訳だ。 どうだ?それに勘付いた中佐は優秀だろう?」

 「てっきり、暴れる事しか能が無い人だと思っていたであります」

 「…それもあながち間違いじゃねぇが、俺以外の前で、そんな事口走るなよ?」

 ヘボンのきょとんとした調子に、少し気分を良くしたか曹長は豪快に笑うと、俺はともかく、ベルン軍曹は彼女の熱烈な信奉者だから、そんな口を叩くと間違いなくその場で殺されると付け加えてから話を続ける。

 「だが、流石の耳目省といえども、その保身派の切り札については中々辿り着けなかった。 保身派も悟られぬように何重に隠していたらしいな。 戦は上手じゃぁねぇが、そういう点に関しては耳目省より一枚上手だったらしい。 そこでだ、事態に焦った耳目省連中及びに、帝国貴族達は中佐の報告などを頼りに対保身派の為に一時的に協定を結んで、危険な賭けに出たわけだ。 なんとしても、保身派共の切り札を探り当てるためにな。 その為なら、皇帝派の中佐やそれに関係する集まりの事などどうでもよかった…兎に角、何か理由なりなんなり付けて暴れて貰えば、保身派連中がその切り札を使わざる得ないと判断したんだ。 そして、その予想は見事的中した…」

 そこまで言うと、曹長は一旦話を切って、機内の上部にあるハッチを見た。
  ベルン軍曹がタイミング悪く帰ってこないかと危惧したようであったが、ハッチの向こうに気配が無いことを感じると、また口を開いた。

 「その答えが、軍曹が見た…あのシヴァだ。 俺も一体どんな物か、検討も付かなかったが、あれでハッキリしたぜ。 あんな代物なら、帝都の艦隊や近衛騎士団なんて怖かねぇや。 さっきは味方の艦船も叩き落としちまったが、都合良く話を誤魔化すだろうさ。 大方、実は俺達皇帝派に組みした艦隊だって事にしてな。 アウフレヒト卿自身、良い様に保身派上層部に操られたんだ。 他の烏合の衆だなんて訳がねぇ」

 曹長の言葉に、ヘボンの頭ではあの不気味なシルエットが浮かび上がる。
  あのまるで月の中より現れたような化物は、フレイア級やこのゼイドラも妙な黒い雲を用いて叩き落としたのである。

 「あれは一体…何だったのでありますか? シヴァ級なら以前に広報紙などで見たことがありますが、空で見たあれは、私の知っているシヴァ級とは似ても似つきません…いえ、大凡の外観は似ているのでありましょうが、それにしてはあの大量にあった肉腫のようなものは…」

 「…テクノクラートの様な施設で造り出された代物だろう。 あんなグロテスクな物、まっとうな造船所で出来てたまるか」

 「テクノクラート…?」

 「…帝国の誇る生体兵器研究所だ。 だが、あれは正式な研究所で生産されたもんじゃぁない。 それなら、帝都貴族や耳目省がとうに知っている筈だからな。 …おそらく保身派独自の施設か何かだろう」

 「そんな、大層な物まで保身派連中は有しているのですか?」

 「完全に保身派連中の持ち物って訳じゃぁないだろう。 おそらく、秘密裏に南パンノニア辺りが絡んでいるはずだ。下手をすればアーキルもな」

 「アーキルが!?」

 「当然だ。 連中だって長く続いた大戦をさっさと終わらせてぇはずだ。 その為には、真っ向切ってぶつかるよりは、帝国の中で勝手にゴタゴタおっぱじめてる方がやりやすいんだろう。 幾らか資金面で協力しているかもしれねぇ動きが、中佐や耳目省の調べでわかっているらしい」

 「…しかし、何故そんな事まで曹長が知っているのですか?それに、私にそんなことを…」

 「…当然の疑問だな。 まぁまずは前にてめぇにも言った通り、俺は中佐の傍で働くようになって長いからな、それにあの中佐は随分とお喋りだからよ。 何かあるとしょっちゅう俺に話さんと気が済まねぇんだ」

 「…諜報関係には全く向いていない性格でありますな」

 「確かにな。 まぁそれは置いとくとして、なんで一介の軍曹如きにこの事を話すのかだ。 正直言うと、てめぇが間抜け面を見せたあの将校連中だって、事の真相を知っている者は少ないんだ。 本当、おめでてぇ奴らだ。 中佐の言葉に踊らされて、本気で戦って死んでいきやがった。 まぁ其処ら辺は俺達より幾らかマシかもしれねぇがな。 …あの移乗攻撃をする前に、てめぇに俺達のような罪人兵士達に恩赦があるかもしれねぇと言ってだろ?」

 「えぇ、確か作戦が成就した暁には特別恩赦を…」

 「んな、約束は最初から無かった。 全て中佐のデマカセさ」

 その曹長の言葉に、ヘボンは強い衝撃を受け、全身から力が抜けていく感じがした。
  体を前のめりにして曹長の話に聞き入っていた己の体が、緩やかに背後に傾いていく。
  そして、それに拍車を掛けるかのように、曹長は言葉を続ける

 「本当に中佐は演説が好きでな。 とんだ詐欺師だぜ…、俺達を只管に奮起させるためにだけに、中佐は必死に演説を打ちまくったのさ。 まぁ、おかげで移乗攻撃も成功したし、辛うじて保身派の切り札についても帝国貴族達に打電できただろう。 俺達の乗ったゼイドラや、あの旧式艦船の寄せ集め達は全てその為だけにあった訳だ」

 「そんな…曹長。 嘘だと言ってください」

 何処までも残酷な話を続ける曹長に、ヘボンは慈悲を求めるような調子で、なんとか体制を保持しながら問いかけたが、彼の返答は至って平静であった。

 「軍曹。 俺ぁ中佐と違って、嘘は吐かねぇ主義だ」

 その言葉だけでヘボンは完全に打ちのめされたかのように、床に体を横たわらせた。
  何もかもが嘘であったような気持ちになり、我々は全て捨て駒であったのだという事実に体が硬直するような恐怖と絶望を感じた。
  だが、それは己だけの問題ではない。
  あの突入部隊の面々は、皆、顔を生気に漲らせては帝国万歳と何度も何度も叫び続けていた。あの熱気と勢いは、決して恩赦の為だけではなかった筈であった。それが全て踏み躙られ、それどころか呆気なく捨てられた気分だった。
  だが、脱力しきったヘボンを曹長は静かに見据えていた。

 「しかしな、軍曹。 俺がこれだけ、なんでてめぇに話したかってことだが、そりゃぁ中佐にそう伝言を頼まれたからなんだ」

 「…中佐が?」

 「あぁ、中佐はお前に絶対の信頼を置きかけていた。 確かに帝国貴族達や耳目省には、保身派の切り札を強行的に探る為に、捨て駒に遣われた…、だがな」

 「…だが?」

 「てめぇ、あの鬼女がそう簡単に死んじまうと思うか?」

 「生きているのでありますか?!」

 「当たり前だ。 刺しても撃っても死なねぇと評判のラーバ家の娘だ。 てめぇに、ここまで遺言みてぇに言い残しておく訳がねぇ。 必ず、生きて再起を図るはずだ。 その為に今は…」

 そう曹長が言葉を紡ごうとした時、上部にあったハッチが小さく鳴った。
  途端に曹長はその丸々と太った体を機敏に動かして、腰に指してあった拳銃を引き抜いては、ハッチの方へ銃口を向け、鋭く誰何した。
  その動きにヘボンも脱力していた体に力を入れて、さっとハッチに向けて身構えた。
  曹長の誰何に対して、ハッチから返事とばかりに数回程、間を置いて鳴った。
  それを聞くと、曹長は安心したように入って来いと静かに言い放ち、拳銃を腰に戻した。
  するとハッチがゆっくりと開かれ、そこには飛行服を着込み、肩に小銃を背負ったベルン軍曹が息を切らした顔で、此方を見ていた。
  彼は曹長に対して何か言おうとしたが、その前にヘボンの様子が目に入り、嬉々とした調子に微笑んで見せた。

 「ヘボン軍曹! 生きていたでありますか!」

 彼はそう言いながら機体内部へ入り込むと、ヘボンの前で軽く敬礼の姿勢を取った。
  その彼の表情にはただヘボンが生きていて良かったという純粋な思いやりからなる、暖かい感情が滲み出ているように思えた。
  しかし、今さっきに曹長から告げられた内容を知らないであろう、ベルン軍曹を見つめるヘボンの目は少々虚しい色を秘めていた。

最終更新:2016年11月01日 19:50