前回までの粗筋
第13特殊空域旅団内部で発生した『皇帝派』と『保身派』による抗争は、それが一旅団内の問題ではなく、帝国どころか、敵対国・属国すら巻き込んでいる巨大な渦の一端に過ぎない衝撃の事実がミュラー曹長の口からヘボンに語られた。
帝国辺境貴族及び、辺境諸侯達から成る『保身派閥』は帝国貴族・皇帝一派に対してシヴァ級を回収したと思われる驚異的な新兵器を切り札に政治転覆を図っている。
しかし、そんなことなど哀れな一兵士に過ぎないヘボンには関係のない事であり、政治思想等々より、今は己の命こそが最優先事項である。
頼れる仲間と思われるミュラー曹長とベルン軍曹と共に、ヘボンの生存を賭けた戦争がここに始まった…
操舵手ヘボンの受難#11 『夜空から来る』
「外はまるで地獄だ」
そう不時着したゼイドラの機内にて、ベルン軍曹は曹長とヘボンの二人に言葉の割には何処か楽しんでいるかのよう調子に言った。
「まだ辺は暗いが、そんなこと関係無しに、墜落した艦の炎がまだ上がってやがる。 まるでお祭り騒ぎだ」
「生存者は?」
「多少は運が良かったのもいるみてぇだ。 残骸の影に動く影を幾つか見た。 まぁ、同志か保身派かも、離れすぎていてわからなかったがな」
機体内部にベルン軍曹は体を滑り込ませると、小銃を肩に掛けながら、飛行服の懐から紙巻き煙草を取り出しては素早くマッチで火を点けた。
小さい火はベルンの飛行服も照らし出していたが、曹長と同じく生体液や血痕が色濃く染み付いている。
先程から機体内の紫煙は濃くなっており、このままでは目の前が見えなくなってしまうかと思われる程の勢いであった。
「ゼイドラから北に離れた所で、墜落したフレイア級の残骸を見つけた。 あの訳のわからん雲のせいだろう、原型をほとんど留めちゃいない。 塗装すら全部丸焦げになって、大まかな外観からしか判別できやしねぇ」
「俺達は運が良かったな。 最後まで逃げた甲斐があった」
「おかげでアンタの新しい女房は全身骨折になったわけだ」
「見舞いには行けねぇな」
紫煙を吐き出しながら報告をするベルンに対して、ミュラーはニタリと笑いかけた。
この二人の間ではしょっちゅうのやり取りであるらしく、さも愉快そうに続けながら、曹長はベルンの話に耳を傾ける。
「逆に南に離れた辺りに、同志達の艦船が纏まって堕ちているのを確認したが、寸前まで保身派艦隊と交戦していたらしい。 周囲に保身派達の現行艦らしい残骸も見た。 しかも、まだ殺し合っているらしいな。 散発的ではあるが銃声が聞こえた」
「増援に行った方がいいでありますか?」
ベルンの報告に、少々冷や汗を垂らした様子に慌てて口を挟んだヘボンを見て、二人は顔を見合わせてから小さく笑いあった。
「別にいいさ、軍曹。 戦争好き達には好きなようにさせときな。 それより、俺達は一刻も早くここから脱出しねぇといけねぇ」
少しヘボンを小馬鹿にするような眼差しを向けながら、曹長は次にベルンを見ながら、表情を一転させて真剣なモノに戻した。
「グズグズしてると、保身派から捜索部隊が送られてくる筈だ。 連中に見つかっちまったら最期、運が良くて拘束されてから銃殺刑送り。 悪くて、その場で撃ち殺されちまう。 同志達の部隊はほぼ壊滅状態だろう。 出来る限り頭数揃えてからトンズラかましたいところだが、今のところ何ふり構っちゃいられねぇ。 何か適当な船を見つけるなり、奪うなりして逃げる」
曹長はそう力強く二人に宣ったが、ベルン軍曹がこれに噛み付いた。
「しかし、曹長。 中佐を探さなくていいのかよ? まだ墜落したアルバレステア級に居るかもしれねぇ…」
「ベルン。 お前はアルバレステア級の残骸を見たのか?」
「いや、確認はできなかったが、南にあった残骸郡に中佐の艦もある筈だ」
「いちいち時間を掛けて探す手間など掛けちゃいられねぇんだ。 諦めろ」
この地域からの逃走を図る曹長に対し、あくまでベルンは中佐の捜索を持ちかける。
この様子を傍から見ながら、ヘボンはベルン軍曹の中佐に対する忠義ぶりを思ったが、それが全て中佐の掌で踊らされていた事に過ぎないと知った時、一体彼はどれほどの衝撃を受けるか想像も出来なかった。
「しかしだ! 曹長! 中佐がいなけりゃ俺達は国内に居られねぇんだぜ! すぐ憲兵共に捕まって銃殺刑だ!」
だが、曹長に噛み付くベルン軍曹の言い分とは、つい先程、曹長が言っていた『中佐への熱烈な信奉者』という評価とは裏腹に、随分と保身的な事を彼は叫んだ。その至極真っ当な陳情に対して、曹長は一笑を付して
「だったらなんだってんだ? 国内にいられねぇなら、アーキルにでも高飛びして空賊にでもなっちまえばいい。 女々しい事言うんじゃねぇ、ベルン」
そう曹長が言うと、ベルン軍曹は今までの叫びがまるで嘘の様に静まり返り、一言『空賊も悪くねぇな』と呟いてみせた。
その言葉にヘボンは大いに肝を冷やしたが、ここまで落ちに落ちると曹長の案も幾らか現実的な物に思えてくる。
しかし、どうも空賊何て言う荒々しい響きに、貧相な己が成れるものかと、ヘボンはつい場違いな考えが浮かんだ。
「さっさと荷物を纏めろ。 夜が明けちまってからじゃ、良い的だ」
曹長の指示に従いながら、二人の軍曹は慌ただしく雑嚢に食料などを詰め込み始める。
幾らか、というよりは雑嚢の中身の大半はアルミラとドミル伍長の持ち物であったが、もう死んだ者には必要ないだろうと、半ば泥棒じみたように片っ端から、雑嚢に詰め込んだ。
「分捕る船のあてはあるのか? 曹長」
「勿論だ。 マコラガやグランピアみてぇな戦闘機は無理だろうが、そこのヘボンが扱えるコアテラ辺りなら十分だろう。 あれなら幾らかスペースもあるし、3人ぐらいなんとか乗り込めるはずだ。 南に艦隊の残骸があるなら、機体の発着設備を改修したガルエ級もあるだろう。 目標はそれだ」
「しかし、無事に飛べる保証なんてねぇだろ。 重戦闘機のゼイドラでもこうなっちまったんだぜ?」
「まぁ、そこは賭けだ。 ここまで生き延びてるんだ、自分らの悪運強さを信じようじゃァねェか」
少々不安げに荷物を整理する曹長へ話し掛けながら、ベルン軍曹も荷物を纏め終えると雑嚢を背負い込んだ。
武装は腰に拳銃を差している曹長を除いて、ベルンもヘボンも小銃を肩に掛けた。
ゼイドラ内にその様な装備が置いてある時点で何か妙な物を感じたが、無いよりは遥かに有難いので細かいことは考えなかった。
ただ、二人が肩に掛けた小銃は帝国歩兵が扱う物とは、少々違う改造を受けた代物らしい。ヘボンが内地の基地で訓練をする際も幾らか扱ったことがある型ではあるが、その時の物よりも銃身を幾らか切り詰めてあり、銃床も同様である。
狭い機内に収める為の意味合いと、機動性を確保する為の意味があるのだろう。
あのアルバレステア級に乗り込んだ際にも用いた散弾銃と似た改造であるが、あの散弾銃は結局一度も使わないまま、艦に預けた事を思い出した。
兎に角、あの時のように少し銃の動作を見ておこうと、薬室を開いてみる。
中身には幾らか薄汚れたグリスが絡みついており、洗浄でもした方が良いのであろうが、そんな時間も無かった。
曹長は雑嚢に押し込んであったクリップ式の弾倉を3つ程二人に手渡した。
「いつでも撃てるように、装填してから安全装置を掛けておけよ。 俺が合図したら構わず撃て」
「外の暗闇じゃ同志か保身派かもわからねぇぞ?」
「知るか、俺達の前に立ちはだかる奴は皆敵だ」
そう怪訝な声を出すベルンを一蹴しながら、曹長が先頭に立って、上部のハッチをゆっくりと開き外に出て行く。
それに続いてヘボンが後に続き、最後にベルン軍曹が出た。
確かにベルン軍曹が報告した通り、外はまさに地獄と形容できる程の環境であった。
まだ夜明けまで大分時間があるのか、周囲の暗闇は深い。
しかし、遠く離れた位置にまるで夜の海を照らす灯台が如く、激しく燃え盛っている場所が点々と見える。
そして、その風景を目にした途端にヘボンの鼻腔を異臭が突く。
風に乗って生き物が燃える匂いや、火薬や薬品に引火したのか少し嗅ぐだけでも有害そうとわかるような刺激臭が漂ってくる。
更にそれに便乗するかのように何処からか散発的な銃声も聞こえてくる。
だが、流石にそれはまだ遠くで鳴っているようであり、機内に入れば聞こえもしないだろう。
「ベルン、先導しろ。 軍曹は俺の尻に付け。 いいか、離れるなよ? はぐれたら置いていくからな」
周囲を警戒しながら、自然と身を低くしつつ曹長が指示を飛ばす。
すぐさまベルンが二人の目の前を横切って、身を低くしながら先頭に行き、ヘボンは暗闇でもよく見える曹長の巨大な尻へ引っ付いた。
そこから先は暗闇と曹長の尻だけがヘボンの視界の全てであった。
音も匂いも周囲の環境が全て、自分等に対し殺意を向けているような錯覚を覚え、ヘボンは叫び出したくなるような衝動に駆られたが、その恐怖をあまりにも大きく可笑しく揺れる曹長の尻が誤魔化してくれた。
3人は出来る限りその姿を燃え盛る炎に照らし出されないように、岩場などを影にして不安定な足場を百足の様に連なって進んでいく。
時折、先導役のベルン軍曹が少し先に進んでから、安全を確認してから、こちらについてくる様に手で合図を送ってくる。
その手馴れた動きを見て、ヘボンはベルン軍曹が只者では無いことを知った。不安定な足場でもバランスを崩すことがない。
彼はガッチリとした体格であるが、まるで猫の様に静かに音を立てずに歩いている様から見て、粗野な野戦兵士の動きでない事は一目瞭然である。
あの移乗攻撃を行う際に、曹長はベルン軍曹が以前に強盗殺人を犯した身だと聞いたが、その前は一体どのような兵種であったかはわからない。
しかし、そんな事を言ってしまえばそう教えてくれた曹長だって、元々野戦畑の人間であると自称してはいるが、その癖をしてマコラガや、その場の勢いとは言えゼイドラまで問題なく操縦してのけたのだから、ただの野戦兵士と言う訳でもないのだろう。
彼らが罪人兵士であると言うことだけしか、ヘボンは知らないが一体彼らは何者であろうかとヘボンはここに来て興味が曹長の尻から彼らに移った。
だが、今この場で聞くべき事でもないだろうと戸惑っていると、幾らか二人から離れた小高い岩場に立っているベルン軍曹がこちらに、何か手で合図を送っている事に気付いた。
その様子を確認すると、途端に曹長がヘボンに対し『ここで待っていろ』との手で合図を出すと、自身は体を大きく揺らしながら、ベルン軍曹が立っている位置まで走っていった。
一体何が起こったのかと、暗闇のせいで朧ではあるものの、二人の姿をヘボンは眺めた。
何か、岩場の向こうについて小声で話しているようだが、暫くすると曹長が小走りにベルンを残してこちらに戻ってきた。
「ヘボン。 銃を貸せ」
少し曹長は息を切らしながら、出来る限り小声でそう言うとヘボンから小銃を受け取り、安全装置を外している。
「敵でありますか?」
その様子を見てとって、何かトラブルが起きたのだとヘボンは察すると、自然と体が恐怖に強ばった。
「多分な。 岩場の向こうの影に通信機を弄っている奴らをベルンが見つけた」
「味方ではないのでありますか?」
「違うな、装いが身奇麗過ぎるし、一人は将校格だが、知ってる顔じゃねぇ。 間違いなく保身派共だ。 位置を報告して、捜索隊を呼び込むつもりだ。 その前に片付ける」
「しかし、この暗闇でよく見えたでありますな」
「ベルンの目は千里眼だ。 暗闇だろうが、砂嵐だって見通せるさ」
不安げなヘボンを尻目に、曹長は小銃を強く握り締めると、気合を入れるためか勢い良く息を吸うと、何か言いかけたヘボンを置いて、今度は岩場を迂回するように走っていった。
一人残されたヘボンは、曹長に小銃を持っていかれた為に途端に手持ち無沙汰になってしまい、不安に襲われた。
曹長がこのまま戻ってこなかったらどうしようかと、子供の様な心配に駆られたのである。
今のヘボンにとってあの二人の罪人兵士だけが唯一の頼りであり、それを失えば己は一体どうすればいいか全く見当も付かなかった。
そう強く狼狽える視線は岩場の先に立つベルン軍曹へ注がれたが、彼は身を低くして近くにあった岩を台代わりにして小銃を構えていた。
今にも発砲しようとの身構え方に、ヘボンは固唾を飲んで彼を見守った。
そう見守ってからまるで永遠の様な時間が流れた。
実際には数分程度だったろうが、とても長く感じられた。
胸中を痛めるようなどす黒い緊張感は、不意の銃声でかき消された。
ベルン軍曹が撃ったのではなく、岩場の向こうから銃声が響いてきたため、曹長が撃ったのか、相手がこちらに気付いたのだ。
しかし、銃声がそれから数度鳴り響いたが、ベルン軍曹は身じろぎもせず、発砲しないで岩場の向こうを見ているようである。
姿の見えない銃撃戦はこのまま何時間も続くのではないかとも思われたが、そうヘボンが思い始めた矢先にベルン軍曹が2発ほど続けて発砲すると、途端に場は静かになった。
何が起きたのかヘボンは口を呆けた様に開いて見守っていると、岩場の先に立っていたベルン軍曹がこちらに来る様に手招きしている。
その合図に従って、恐る恐るヘボンが近寄ると、ベルンは小銃を片手で構えたまま、もう片方の手の指先を岩場の向こうへ突き出した。
指で示された方をヘボンが見やると、今二人が立っている岩場から200m程離れた岩場の影に小さく光っている場所があり、爪先程の大きさの人影が3・4つ倒れている様が見えた。恐らくその小さな光は通信機の計器を照らすために、小型のランプか何かを使ったのであろうが、それでも目視で狙うには周囲の闇も手伝って、困難を極めたはずであろう。
「…良く当たったでありますな」
「このぐらい朝飯前さ。 スコープがついてりゃもっと、遠くだってイケる」
感嘆の溜息を漏らしながら、ヘボンが言うと、彼はそう言いのけながら、小銃を楽な姿勢に構えて、ヘボンについてくる様に促した。
ヘボンはその様子を見て、空恐ろしいものを感じながら岩場をベルンと共に走った。
二人がその岩場に辿り着く頃には、既に通信機の前に曹長が居座っていた。
その通信機は歩兵携帯用の背負式の大型な物で、雑嚢よりは一回り小さかったが重量は雑嚢よりも遥かに重いだろう。
通信機の周りに倒れている死体に見向きもせずに、曹長は一心不乱に計器や、様々なスイッチを弄っている。専門知識がない限り、この手の物は扱えないが、戦闘機に乗るだけあってか曹長の手付きは随分と手馴れたものであった。
「曹長、ソレは使えそうかい?」
ベルン軍曹がそう声を掛けながら、近くの岩を影にして座り込んだ。
周囲の安全が確認できたのか、懐から例のアルミラの荷物であった煙草を取り出して、何かの紙切れで巻くと、素早く火を点けて吸い始めた。
煙草の匂いは遠くまで到達する危険があるため、この様な状況では御法度であろうが、肉の焼ける匂いや薬品や硝煙の匂いが混沌と漂ってくるこの環境では、どうでもいいのだろう。
「バカ言え。 こんな物使えば、すぐに保身派の連中が周波数を辿って飛んできちまう。 自分で首を絞めるつもりか?」
曹長はそう憎々しげに返しながら、視線を計器に集中させては、片手は何かの紙切れを手にしている。
ヘボンが曹長の背後からその紙切れを盗み見ると、紙面には幾つかの数字と単語が記されていた。
「元から、この程度の通信機じゃそう遠くまで連絡は取れねぇ。 恐らく上空を飛んでいる艦に連絡を取ろうとしたんだろう」
「あの雲のせいで、皆墜とされたんじゃぁないのでありますか?」
「十中八九な。 だが、わざわざこんなご大層な物まで持ち出して連絡を取ろうとしたってことは、何かあてがあったんだろう。 それを今調べてんだ」
そう曹長は言い終えると、暫く話しかけるんじゃないとばかりに、手で鬱陶しそうにヘボンを追い払った。
仕方なく、近くに視線を回すと周囲に倒れている死体に目がいく。
曹長が他の誰かに自分らが発見されないように、先程よりランプの光を絞ってあるものの、それでも死体達が浮かべる苦悶の表情はよく見えた。
通信機を弄っていたのであろう兵士は、確かに小奇麗な制服を己の血で汚して倒れていた。撃ち殺される寸前まで通信機を弄っていたのか、指先はスイッチなど摘む際の器用な曲がり方をしながら硬直している。
その兵士の隣に、将校らしい勲章のある制服を着込んだ男が倒れている。
彼は通信機を弄っていた兵士と同じく胸を撃たれ、そこから激しく血を噴き出した後をヘボンに見せながら死んでいた。胸に付けた数々の勲章は血で汚されている。その周りに銃撃戦の際に移動しようとしたのか、通信機から少し離れた位置に小銃を握ったまま、うつ伏せに倒れ込んでいる兵士の死体が二つあった。
大方、迂回していた曹長と鉢合わせになったのだろうか、背中から血は出ていなかったが、ひっくり返してみると胸部や腹部、それと頭部に銃創が確認出来る。文字通り二人共蜂の巣にされた具合に殺されており、ヘボンはその凄惨な姿を見るのが嫌になって死体を元通りうつ伏せに戻した。
「…本当に保身派の兵士なのですよね?」
そんな死体達を眺めながら、ヘボンはすぐ近くで紫煙を吐いているベルン軍曹へ問いかけた。
曹長達には区別が付いているようだが、ヘボンにとっては自分と同じ帝国兵士にしか見えない。敵なのか味方であるのか、その区切りは恐ろしく曖昧で、敵と定めた者を殺すよりも罪悪感の様な、刺々しいまでの感情が胸中に湧き出てくる。
「さぁ?」
しかし、ヘボンの問いに対して、ベルン軍曹の返事は恐ろしい程に素っ気無かった。
「さぁって…区別が付いていた訳ではないのでありますか?」
「…そりゃ付いてはいたでありますが…しかし、実際殺して近くで確認するまで、正確な事はわからないであります。 ただ、今は敵も味方もないってことでありますよ」
彼は急に今までのぶっきらぼうな口調を直して、そう答えた。
何故かヘボンに対してベルン軍曹は少々畏まっていた調子であるが、本来ヘボンより階級が上であるミュラー曹長には、随分と乱暴な口調である。
それは彼らが階級という細々とした物で動く規律の取れた兵士達という訳ではなく、実力主義な現実に長いこと身を置いていた証拠でもあった。
しかし、それでもヘボンの口調は同じ階級であるベルンに対しても、畏まった調子である。先日に会った同期のニール中尉に対しては素で話もしたが、そんな者よりも彼らは遥かに力強く恐ろしい存在の様に思える為に、ヘボンはただただ萎縮しながら、そんな言葉遣いをしていた。
「…で、曹長。 連中の通信しようとしていたのは誰かわかったか?」
煙草を丁寧に軍靴で踏み消して、吸殻を飛行服の尻ポケットにしまい込むと、ベルン軍曹は曹長の方を向いた。口調もまたぶっきらぼうな物になっている。
ヘボンも視線をそちらにやると、彼は通信機を弄るのを一旦やめて、ベルン軍曹同じように胸元から煙草を取り出している。
「まずは結論から言うが、わからなかった」
曹長がそう自信ありげに言うので、ベルンは苛立ちを顕にしたが、そんなことなど気にせずに煙草に火を点けてから曹長は言葉を紡いだ。
「だが、回線が俺達の使っている物とは違うってことだけはわかった。 それと、電波自体はそこまで強いものじゃぁない。 恐らく、艦船クラスに積んであるようなデカイ受信機に向けて飛ばした物じゃないな。 精々、戦闘機程度の物だ」
曹長がそう言いながら、煙草を心地良さそうに吸うと、見せびらかすように紫煙を吐き出してから、ヤキモキしている二人の軍曹を見ながら口を開いた。
「計器の具合から見て、さっきからその戦闘機が積んでいる程度の回線にずっと、連絡を取ろうとしている。 …という事は、捜索隊当てに連絡を取ろうとしていたと見るには怪しい」
「どういうことでありますか?」
「ハナから捜索隊に連絡を取ろうとするなら、もっと大きい回線を利用するはずだ。 それこそ保身派連中が使ってる回線とかな。 だが、それを通した形跡はねぇから、この死体共は元々最初から捜索隊とは別の部隊に、通信を飛ばそうとしていたということだ」
「捜索隊じゃぁないってことは、じゃぁ一体誰に…」
「…最初から…若しくはあの訳のわからん雲に撃墜される前から、取り決められた段取りにでも、従っていたんだろう。 連中の内、どの程度の数がアレの存在に知っていたかはわからんが、あの保身派艦隊の中にもあの妙なシヴァ級の存在と、それが何をするかを知っていた奴らがいたらしいな」
そう曹長は語ると、暫く黙り込んでしまった。
深く考え込むというよりは、ただ何かを待っているような調子で、ヘボンとベルンの二人は曹長が何を言いたいのか理解できず、少々苛立ちながら彼が口を開くのを待っていた。だが、彼は返答の変わりに、何かを突然感じ取ったか、不意に近くにあった、通信機を照らす為にあるランプの明かりを消した。
「身を隠せ!」
それと同時に鋭く曹長が叫んだので、二人は慌てて岩場の影に姿を隠した。
先程まで聞こえていた銃声や、何かが燃える音に混じって、ヘボンの耳に今までこの場になかった音が入ってくる。
それは低い唸り声を上げて、夜空から現れた。岩場の上空を素早く真っ直ぐに飛ぶその姿は、暗闇でもうっすらとした月明かりに照らされ、機種が何であるのか、岩場に伏せるようにしていたヘボンとベルンにはわからなかったが、曹長は判別できたらしく、呻くように口を開いた。
「…『グランビア』だ」
「『ピア』じゃないのですか?」
「『ビア』だ。 間違えるなよ」
咄嗟にヘボンは飛んできた機体が、辺境防衛用に生産されている機体ではないかと聞いた。
『グランピア』なら、アルバレステア級の艦載機発着口でも見た。
旧式のマコラガの後継機として開発された『グランピア』は、その形状が帝国の誇る傑作戦闘機である『グランビア』と幾らか似ている事から、その名称で呼ばれている。
だが、その内情としては帝国独自の発音から成された蔑称であり、『グランピア』はマコラガの後継機として開発され、その速度を出来る限り維持したまま装甲を多少追加したのであるが、唯一の武装が機銃だけである為に、『グランビア』と比べると火力も装甲も負け、そのフォルムも『グランビア』と比べると似てはいるのだが、些か不格好な物であり、その蔑称通りさほど兵士達から好まれている物ではない。
しかし、今ヘボン達の頭上で唸り声を上げながら、通過していった戦闘機は明らかに『グランビア』である。
何より、激しい地上で燃え盛る炎に照らし出される、あの凶暴な榴弾砲の口がその証拠であった。
だが、それでも通常のグランビアと比べてその機体は少々違っていた。
まず、機体の塗装が何処までも黒く塗ってあり、どこの艦隊の所属かもわからない紋章が描かれていた。
いち早く、曹長がグランビアの生体音に気付いていなければ、危うく見逃すところだ。
「ありゃぁ、保身派の持ち物だな」
「…あの雲から生き延びた訳でありますか?」
曹長がそうバツが悪そうに言うが、ヘボンとベルンの二人には曹長が何を言いたいのかよくわからなかった。
だが、その声音からは何かしら逼迫している様子が感じられる。
一体、次は何が起ころうというのか、徒ならぬ空気がヘボンの胸に押し寄せる。
夜明けにはまだ時間がある…