操舵手ヘボンの受難#13 『空戦理論』
「敵機は後方! もう1機はガルエ級に食いつき始めやがった!」
徐々に夜明けが近いのか、空に薄く張った雲の合間より、光が漏れ出し始めた中でベルン軍曹は顔を猛犬の如く鋭い物とさせてコアテラの銃座より叫んだ。
「支援は期待出来そうにねぇな」
その叫び声を聞きながら、ミュラー曹長が悪態を吐く。
コアテラを操るヘボンからは前方の様子しかわからないが、風を切る音に混じって響くグランビアから発せられる生体音が徐々に近づいてきている事は容易に感じ取れた。
「ベルン! 敵機から目を離すなよ! 素早い奴だ、どう出てくるかわからん!」
そう曹長がベルンに命じると、彼は丸っこい体をヘボンに近付けながら、計器等に目を這わせ、ヘボンの肩へ激励するかのように力強く掴んだ。
「軍曹、ちょうど良い機会だ。 てめぇに空戦術ってモンを教えてやる」
肩を掴みながら、何処か楽しそうに曹長はヘボンに話しかけてくる。
その曹長の調子に、ヘボンは若干戸惑いながら、脇目に彼を見た。
曹長の姿は、まるでこれから息子に釣りでも教えるかのような熱中した父親の様なものであったが、現状は勿論そんな呑気な物ではない。
後数秒かそれか数分、コアテラの背後に食らいつこうとするグランビアの動き次第では、今すぐにでも3人はミンチになること必至である。
それでも、極々楽しそうに語りかける彼の姿にヘボンは、あの中佐以上に狂気じみた雰囲気を曹長から感じ取った。
「まぁ、軍曹。 肩の力を抜け、リラックスしろ。 慌てたって、このオンボロ娘は言う通りにゃ動いちゃくれねぇ。 まずは、てめぇが落ち着くことだ。 ...そうだ、ゆっくり深呼吸しろ」
「出来ないであります!」
「いいから、しろ。 今は敵機の事なんか考えるな。 頭の中で何か楽しいことでも考えるんだ」
「たっ…楽しいことでありますか?」
依然として操縦桿を引き上げたり、引き下げたりと必死に距離を詰めてくるグランビアの照準から逃れているような矢先で、一体何を言っているのかとヘボンは悲鳴を上げるが、それでも曹長は穏やかな顔でそう落ち着くように促してくる。
まるで彼の顔自体が一種の催眠装置の様に、徐々にヘボンの思惑を変えていく。
きっと、地上ならばこの様な事はまず起きないが、幾らか空気も薄い点と逼迫しすぎた状況がヘボンの脳裏に現実逃避とも言えるような光景を映し出し始めた。
砂嵐が吹き荒れる環境にはもうとっくに慣れていたが、それでもあの内地の基地での軍隊生活が如何なる物であったかヘボンは回想し始めた。
内地の基地であるために、酒保物品の配給はそれなりに充実していたし、飯も美味かった。他国の連中には人工肉など、冒涜的な物に思われていると言う噂を小耳に挟んだりもするが、冒涜的であるからこそ、それは美味なのである。
それに加え、気心知れた戦友達との会話である。除隊も近かっただけに、皆帰郷した際にはどうするか様々に話し合っていた。
一人が造船所で働く伝があるというと、それに他の何人かが乗っかろうと仕切りにその一人に世辞を振りまく光景を思い出す。
「おい、ワトキンス! 君は除隊後、どうするんだ?」
ふと、そんな集まりの隅で煙草を蒸していれば、戦友の一人がこちらに問いかけてくる。
その時は決まってヘボンは顔を基地の滑走路の方へ向けてこう言うのだ。
「決まっているだろ? 前も言った通り、私はアレを飼い慣らす術を学んで、牧場で働きたいのだ」
ヘボンの差し示した滑走路には、休憩時間を使ってクルカで空を飛ぶ麗しいエレン伍長が遠目に見える。随分と小柄な体を活かして、体重と言う概念が彼女にあるのかないのかわからないが、大きいクルカをグライダー代わりにして、奇声を上げながら彼女は低く飛び回っていた。
「で、どっちを飼い慣らすんだよ? 伍長か、クルカか? このクルカマン(野郎)め」
下衆な笑いを浮かべながら、戦友はヘボンの頭を小突いた。
その問いに対しても、ヘボンの返答は決まっている。
「勿論…」
「バカ野郎! 誰が、気が飛ぶまで考えろと言ったんだ!?」
甘い回想から、一気に現実へと引き戻され、咄嗟にヘボンは間抜けな顔を晒した。
「敵機はっ?!」
「相変わらず、後方に張り付いてやがる。 時期に射線に入っちまうぞ」
気の抜けたようなヘボンの間抜け面に対して、曹長の顔は依然として、何処か穏やかなものであった。どうやら、先程の慌てた調子から妙な意味で落ち着いたヘボンの顔付きに安堵したらしい。
「まぁいいさ。 どうせ、一発でも喰らえばこの娘は持ちゃァしねぇ。 兎に角、俺の言う通り、落ち着いて機体を回しな」
そう言いながら、曹長はヘボンの肩を優しく叩いてくる。
それは全く以て不思議な感覚であり、己は今殺すか殺されるかの空間に身を置いているというのに、訓練飛行をしているような気分なのである。
少しだけ視線を上にずらせば、ベルン軍曹が必死に小銃を後方に向けて発砲を繰り返している。どうやら、後方に張り付こうとしているグランビアに対してであるが、歩兵小銃程度でグランビアを撃墜できる訳がない。
しかし、それでも先程の岩場で見せた卓越した彼の射撃術は、グランビアをそう簡単に近付けない程の威力を示しているようであった。
確実にこちらを撃ち殺せる射線には絶対入らせないように、ベルンは尋常でないほどに揺れ動く銃座に座りながら射撃を繰り返す。
無駄弾を撃っているように傍目には見えるかも知れないが、一発一発が狙い澄まされた洗練された狙撃手だからこそ成せる技であった。
「少なくともここにはプロの射手と、空中戦に関しちゃプロの俺様が居る。 あとはてめぇがプロの操縦手になりゃぁもう何も怖かねぇ、さぁいくぞ!軍曹! 左に機体を思いっきり捻れ、追いかけっこは終わりだ!」
曹長はそう力強くヘボンに指示を出しながら、左に捻る指示の為に、彼の左肩を二回軽く叩いた。
それに素早く応じて、ヘボンは操縦桿を左へ大きく捻る。
生体器官というものは操縦手の心さえ見透かしてしまうものだ。
操縦手が動揺や狼狽を持っていると、それが生体器官へ伝わってしまう。
その伝達が起きてしまうと、機動はギクシャクとしたものになり、それが死へ直結するのだ。しかし、ヘボンは一連の事で、冷静になっている。
とても気分が良い。
もう失点を恐れる必要のなくなった訓練飛行と何ら変わらない。
そう落ち着いたヘボンの心情が伝わり、コアテラは何も不調を訴えずに、激しく機体を左へと捻らせる。その動きに対し。個人の感想であるが、旋回速度が通常時よりも遥かに早いようにヘボンには感じられたが、感想を言ってのける時間は無い。
素早く視界が切り替わり、その端に一旦グランビアの翼が少し見えた。
(捻り過ぎた!)
ヘボンの脳裏にそんな危惧が過ぎったが、それは一瞬の事であり、次の瞬間にはコアテラは追ってくるグランビアの下部をすり抜けていた。
こちらを追撃している際に速度が付き過ぎた事と、今まで全速で逃げようとしていたコアテラの反転軌道に面を喰らったらしい。
幾ら帝国の誇る生体器官を積んだ戦闘機とはいえ、この動きには敵操縦手も対応が遅れた。
「一気に上昇しろ! 奴が上昇姿勢に移行するまでにはコアテラと比べりゃ、時間が掛かる!」
曹長はそう言いながら、今度はヘボンの頭を軽く叩く。
これは上昇の意図を伝える為の様であるが、下降の場合は何処を叩かれるのかとヘボンは要らぬ不安を浮かべながらも、言われた通りに操縦桿を引いた。
その姿勢のまま上昇できる点が艦艇と戦闘機との大きな違いであり、コアテラは勢い良く空へ舞い上がった。
この高度を上げる際にもヘボンは通常よりも、一段と早くなっているような感覚を覚えるが、これは杞憂であるのだと自分を戒める。
反転した時と比べれば、視界の変化は著しいものではなかったが、先程までは見えなかったガルエ級が幾らか前方に確認できる。
ベルン軍曹の報告の通り、もう一機のグランビアに喰い付かれており、それを振り払おうと側面の機銃が必死に火を噴いている。
どうやら、ガルエ級の乗員は曹長が言っていた通り、最後まで戦い続けるつもりであるらしい。
しかし、今はなんとか、グランビアを退けてはいるが、敵機の動きはガルエ級が必死に行っている対空射撃を弄ぶかのようである。
大方、厄介な機銃の弾薬が切れるか、対空防御で放たれる曳光弾の群れの隙間を探しているのだろう。
そして、その隙間を見つければ直ちに、ガルエ級に強力な榴弾砲をお見舞いして撃墜するつもりなのだ。それこそがグランビアの特徴とする運用方法であり、機体について幾らか知っている者ならば誰でも把握している。
勿論、ガルエ級の対空射手達もよく存じているだろう。何せ敵機は同じ帝国の戦闘機と、帝国の操縦手だからだ。
しかし、それを分かっていても手を休める訳にはいかない。
対空を怠ることは直様、死へ直結することであり、ヘボンにはそのガルエ級の様が一種の叫びのようにも思える。ただ、死を先延ばしにしようと必死なのだ。
上昇する間にヘボンがそう思うと、曹長も同じことを思ったのか、低く唸り声を上げると思い切ったように口を開いた。
「…あれで俺達を支援するとは、泣かせるな。 いいだろう、助けてやるぜ。 軍曹!前に飛ばせ、ガルエ級の頭上を飛ぶんだ!」
「曹長!一体何を…」
「いいから、飛ばせ! すぐにわかる!」
口を挟もうとするヘボンの頭を前に押して、曹長が今度はガルエ級の元に戻れと指示を飛ばす。さっきは後ろも振り返らずに飛べと指示されたが、何を企んでいるのかヘボンには全く見当が付かない、それでも指示をされたからにはコアテラをそのまま前方へと動かし始める。この際にも操縦桿の動きに対して、機体は微塵の誤差も起こさずに正直に前に傾いた。
ここまできて、今更ながらヘボンは胸中に妙な気を感じた。
あまりにも軌道が素直すぎるのである。
それ自体は悪いことでもなんでもなく、逆に恐ろしく素晴らしい事なのであるが、あれほどに損傷の受けた彼女がこうまで飛んでくれるのかと、ヘボンは逆に彼女の事が心配になってきた。
(この反動はきっと大きいぞ)
そう彼は一瞬思ったものの、今はそれを気にしている暇などなしに前に飛ぶ。
こちらを狙っていたグランビアは上昇角度を整えようとしていたが、こちらが急にガルエ級に戻る様に完全に予想が外されたらしく、また距離を離すことに成功出来た。
これで、ほんの数十秒時間が稼げたことになり、その合間に曹長は素早く通信機の周波数帯を弄り、一定の位置に落ち着くと送信機をひったくって口に押し付けた。
「…コアテラより、ガルエ級へ。 名誉の戦死は出来そうか?この野郎」
曹長はおどけた調子に送信機へ話しかけると、受信機の方より返信が返ってくる。
その声は重々しいものの、曹長の声に対して何処か皮肉気に返しているような男のモノであった。
「あぁ、順調…と言えば変な話だが、『稲妻部隊』に墜とされるなら、悪くもないだろう。 中佐に会えたら、このディードリヒ・アウザー大尉と乗員達は最期まで勇敢に戦い抜いたと…」
その送信機から流れる、これから死ぬと言うのにあまりにも誇らしげな調子にヘボンは面を食らったが、それ以上に『稲妻部隊』と言う言葉に驚いた。
『稲妻部隊』の名は例え内地の兵士でも。その名を聞いた事の無い者はいないほどに、勇名を轟かせる部隊である。
確かに、敵のグランビアはその稲妻部隊の特徴とも言える黒に機体を染め抜いていたが、まさかそんな精鋭部隊が己らに襲いかかってくるとは夢にも思わなかった。だが、そんな事はお構いなしに破滅の美学に自惚れる大尉の言葉をぶっ切って、曹長は彼を嘲るような声で笑い捨てた。
「おい、アウザー! そいつぁお目出度い考えだ! 今はそのナルシストな考えをさっさと捨てて、敵機をよく見るんだ。 残念ながら、ありゃぁ『稲妻部隊』なぞじゃぁ断じて違う!」
「なんだと?! しかし、あの黒に染め抜いた機体は…」
「アウザー…。 俺を誰だと思ってるんだ? てめぇらの中において、最も稲妻部隊へ近い所にいたんだぞ? 連中の機体についてはよぉく知ってる。 その目をよく擦って見るこったな! 機体側面に稲妻は走っちゃいない、あるのは汚い紋章だけだ! 華々しい帝国の誇りを担いだ女じゃ断じてねぇっ! 奴はただの売女だ! 保身派共のな! 騙されてるんじゃァねェ!」
曹長はそう通信機へ向かって怒鳴り声を上げると、向こうからは暫しの沈黙のあとに、またアウザー大尉の声が聞こえてきたが、それは粗雑な音声状況でもしっかりと判る程までに怒りに震えていた。
「今、確認した。 確かに、稲妻部隊ではないな。 おのれ、私達を謀りおって…許さん!」
「よし、それだけ判ればいいんだ。 俺達も、んな紛い物に撃墜される様じゃァ、死んでも死にきれねぇと同情したまでだ。 それより、ガルエ級の制圧砲はまだ使えるのか?」
「…勿論だ! 最期にデカイのを撃って幕切れを彩るトコロだったよ」
「上等だ。 いつでも発射出来るようにしておいてくれ、あの紛い物にぶち込んでやれ!」
そんなやり取りを口早に終えると、曹長は送信機を力強く握りながら、ヘボンの頭を少々乱暴に前に押してくる。
「今、言った通りだ。 あのクソッタレに帝国の威光たる制圧砲を浴びせてやるぞ!」
曹長が楽しそうに叫ぶ姿を見て、ヘボンはその様子が中佐に似ていると思った。
だが、どちらかといえば彼女のやり方よりも、曹長の方がまだ幾らか教える側としては優れているような気もする。
ベルン軍曹と同じく、ミュラー曹長の前身については全くと言っていいほど知らないが、もしかすれば以前は教官か何か、人に教える位に就いていたのかもしれない。しかし、そんな考えはすぐに捨てて、今はコアテラの操縦に集中する。
徐々に別のグランビアに襲われているガルエ級の姿が近付いてくる。
うっかり味方の対空射に当たらぬように高度を上げて飛ぶが、曹長は衝突しても構わないからもっと高度を落とせと指示を飛ばしてきた。
こちらから近寄るからといって、ガルエ級が対空射撃を緩める訳もない。
徐々に白みが増してきた空を、朝焼けの閃光が巡る前に、曳光弾の群れがそれを彩っている。
「ベルン! こっちの敵機は?!」
「高度を上げながら、ベッタリ後ろから、食い付こうとしてやがるよ!」
曹長が怒鳴り声を上げると、銃座からベルン軍曹が同じく怒鳴り声で返してくる。
徐々にガルエ級の対空射の音が増すにつれて、それに比例するかのように後方からグランビアの生体音が聞こえてくる。
本来なら、機体の速度差でも運動性でもコアテラはグランビアに負けている。何一つ勝る点などは無い筈だ。
だが、現にコアテラはそのカタログスペックを覆すような動きを見せ、帝国の誇る戦闘機を弄んでいる。
これが一体何を意味するのか、ヘボンはわからない。
それでも、機体に多大なる負荷を掛けている事だけは理解している。
とてもじゃないが、こんな状態は長くは続かない。
早くケリを付けない限り、コアテラも自身も生き残る術はなさそうであった。
「行け! そのまま、高度を維持したまま直進するんだ。 対空射に怯むな、艦橋の頭上を飛び抜けてやれ」
半ばヘボンと同じ視線になろうと、曹長が自ら体をヘボンへ押し付けながら、操縦席から見える景色に真剣に目を這わしている。
まるで、曳光弾の森にでも迷い込んだ気分であった。
ガルエ級の上部にはさほど、対空射台があるわけではないのだが、この艦だけは幾度となる改修により、小規模な空母として運用が出来るようになっているが為に、甲板上にも歩兵部隊が運用する程度の対空機銃などが何問か据えられており、そこから空に向かって激しい曳光弾の群れが走っている。
その中を縫うようにして、コアテラが徐々にガルエ級へ接近していく。後方からはグランビアが半ば意地にでもなってしまったか、食いついて離れない。
『夜虫弾』を回避した程の技量を持っているのだ。
曹長が言った通り『稲妻部隊』の所属ではないにしても、それに匹敵するほどの操縦技術は兼ね備えている筈である。
そんな相手が、何故こうも必死に追い縋ろうとしているのは、単にコアテラの様な戦闘機と戦う性能すら持たない駆強襲艇如きに嘲られていると思うからだ。
その操縦手の心持ちを手に取るようにわかっているのか、ミュラー曹長はニタニタと下品な笑みをその顔面に浮かべる
「ついてきやがれ、ド素人が。 てめぇ如きをグランビアに乗せたままにさせておくかよ」
そう彼が言い終えた時、コアテラはガルエ級の艦橋を間一髪すり抜けた。
離陸した際に同じように機体は自主的にその縦に長い生体器官部を少々捻って、上手く艦橋を躱したのだ。
そして、そのまま長い様で短い甲板の上を飛ぶ。
直様同じように背後からくっついてきた敵機が姿を現す。
対空射を避けながら、真っ直ぐに獲物だけに照準し追ってきているのだ。
並みの執念ではない。
確かにその動きを見てヘボンに死神めいた不気味さを感じたが、今はそれを振り払うかのように飛び続けるのみだ
「軍曹! 甲板が切れたら一気に下降しろ! それでケリを付ける!」
まるで、死神の接近から逃れる術を曹長はヘボンに教えてくれているようであった。
彼の強い声にヘボンは勇気づけられながら、曳光弾の森を掻き分け、遂にガルエ級の艦首へ達した。
すぐに視界が開けて、既に朝焼けが差し始めた空が見える。
そして、そこへ飛び込む様に、機体を一気に沈ませた。
この急な下降によって、また振り払われては堪らなかったか、それに食いつこうとグランビアがガルエ級の艦首へ飛び出て、一気に降下しようとしてくる。
だが、それが死神の運の尽きであった。
散発的な対空射撃を回避することはできても、自身に対して狙い澄まされたガルエ級の制圧砲を躱す事はできなかった。
それほど、コアテラを憎く思ったのかどうかは知らないが、そんな疑念も憎悪などを感じさせぬ程に、対空射撃の銃声や砲撃音をかき消す程の凄まじい轟音と閃光が轟いて、その爆炎の中にグランビアは飲み込まれた。
「撃墜確認。 跡形もねぇや」
その光景を銃座よりずっと見ていたベルン軍曹が、軽く口笛を吹きながら報告してくる。
「油断するな。 もう一機いるだろ」
それを戒めるように曹長も口を開くが、その表情は幾らか緩んでいた。
「…大丈夫だ。 今のを見て、反転して逃げていくぜ」
銃座からベルン軍曹の声が響いてくる。
確かに、旧式艦船如きに戦闘機が撃墜されたとなれば、逃げ帰る他無いだろう。
逃走を図る敵機に対し、こちらから追撃出来る程の余裕は無かったし、ただその逃げる様を3人は眺めることしか出来なかった。
「…軍曹。 これが、空戦術って物だ。 単機で事を上手く運ぶってのは、相当運がいいか、技量がない限りできやしねぇのさ。 俺から言えることは、常に味方をどう上手く使うかを考えて、それを成す為の腕を持たねぇといけねぇって事さ」
そうミュラー曹長は誇らしげな顔で、ヘボンを見下ろしていた。
彼が一体何者であるのかと、ヘボンは強い興味を抱いた。
つい彼の顔を見上げてその問いを口にしようとした時であった。
「ヘボン軍曹! 機体を下げろ!」
咄嗟に開いた口を黙らせるほどの勢いで、ベルン軍曹が叫んだ。
一体何事かと問い直すより先に、体は素早く操縦桿を握っていた。
そして、次の瞬間には耳を劈く程の轟音がまた鳴り響き、操縦席から上を見やると、銃座の向こうではガルエ級が火を噴いて炎上している。
何が起きたのかヘボンにはすぐにわからなかったが、その答えはすぐにベルン軍曹が答えてくれた。
「アルバレステア級だ!」
「なんだと? 中佐の船か! おかしいだろ!」
「いや、全く似てもにつかねぇ。 先程の連中と同じで真っ黒だ!」
ベルン軍曹と曹長がそう叫び合い、軍曹が銃座から遥か彼方を指し示している。
そちらの方向へ、素早く機体を向けると、確かに朝焼けの中にその身を隠すようにして、重巡空艦アルバレステアがそこに居た。
こちらに対して側面に備えられた全ての砲座を向け、それを今先程に一斉に放ったらしく、砲口からはまだ煙の様な物が立ち上っている様が見えた。
「ずっと日の出の影に隠れてやがったんだ…」
ベルン軍曹の絶望した様な声が聞こえてくる。
グランビアをなんとか撃墜したというのに、そのガルエ級も今の一斉射で致命的な損傷を被ったらしく、激しく炎上を繰り返しながら、コアテラの目の前で高度を落としていく。それ自体は短い時間ではあったものの、あのガルエ級の中に先程、必死の戦いを繰り広げた乗員達が収まっていると考えるとヘボンは途方も無い思いに駆られた。
その大勢の人間を乗せた船が、コアテラより大分下へ降下した際に、艦船は内部の火薬庫に引火したのか、激しく爆散した。
そんな無情な光景を物ともせずに、アルバレステア級が光信号を飛ばしていることにベルン軍曹がすぐに気付いた。
「投降セヨ」
この言葉に3人は顔を見合わせながらも、それぞれにもうこれ以上の抵抗は出来ない事を悟った。
「死神の次は一体、なんでありますか?」
精々そんな言葉を皮肉げに呟く事しか、ヘボンには何も出来なかった。