白銀の世界

 出発してから約4時間、何も変わることなく、車両は白い世界を滑るように進んでいった。今のところ順調な旅は、私に穏やかな安らぎを与えてくれていた。

「少し頼む」

 そう言ってトゥリに仕事を投げる。何も起きないうちは彼女も不満を言うことはない。彼女は地図から目を離すことなく、私に反応を返す。

 椅子から立ち上がった私は、そのまま指揮室に直結した運転室への階段を降りてゆく。そこには今二人の隊員がいる。そのうちの一人、目の前に広がる景色から目を離さずに操縦桿を握っているのは同期のダッハ・ミラージア。彼とは小さい頃からの馴染みでよく雪原を一緒に走り回っていた。今回彼も一緒に来てくれるという事実は私に安心感を与えてくれた。彼の強運にはいつも助けられていた。

 彼の座る椅子に手をかけ、同じ方向を見つつ話しかける。

「どうだ? こいつの走り心地は」

「ああ、最高だ。まるで自分の手足のように言うことを聞いてくれるよ」

「それは良かった。お前の腕がこの任務の成否を、皆の生死を分けることになる。頑張ってくれよ、ダッハ」

「そんなこと言ったら、全員を纏めるお前の方が大変じゃねぇか。俺はただこいつの手綱を握ってるだけさ」

 それに、こいつもいるし、とダッハが目をやった方を見る。そこには熱心に機器を見つめる男、クロム・クミージアがいた。パンノニア一の几帳面と言われる彼は、実際に大きなミスをしたことがない優等生だ。確かに彼ならば、全員の命を預けることができるだろう。クロムはこちらの視線に気が付いたのか、機器から目を離してこちらを見てくる。眼鏡越しの彼の眼には薄く隈が出来ていた。

「ああ、隊長さん。下りてきていたのですか。気づきませんでした」

 ゆっくりとした話し方は、誰でも落ち着かせる力を持っている。私は椅子から手を放し、コートのポケットに突っ込んで彼と正対する。

「機器を見つめ続けるのもいいが、交代したときに眠くならないようにしておけよ。居眠り運転なんかしたら、この俺が取り締まってやるからな」

「分かってますよ、隊長さん。しっかり休んでおきますから」

 そう言って、また機器の方へ向き直る。どうも機器の観測が彼にとっての『休み』らしい。私は軽く首を振り、どちらもずっと目を離さないだろう二人を後にする。

 運転室から少し伸びた通路を抜け、ドアを開けば広間の最上階だ。上から見ると、この広間を隅から隅まで見渡すことができる。ここが車内とは思えないほどには広い空間を眺めながら階段を下り、この車両の詳細を少しばかり思い出していた。

 

 

 極地用大型偵察輸送車両『グラン・パルエズ』。最大15人を収容でき、約13カ月分の食料を備蓄できるこの車両は、パルエの技術が融合して産まれた一つの頂点ともいえるだろう。機械屋では無いのでこいつを造るのにどれだけ苦労したかは分からないが、易々と造れるものでは無い事だけはよく分かる。

 最高部には運転席とそこに直結した指揮室があり、周りが見渡せるように塔のように突き出た作りになっている。ここから眺める景色は中々なもので、天気が良ければ一面の雪原と右手に広がる海、さわやかな青空を一度に楽しむことができる。その代わり、冷気がガラスから伝わってほかの部屋よりも寒いことが欠点となっているが。その差は諸島とフォウ王国ほどに違うといっても過言ではなく、防寒具がなければとてもじゃないが耐えられない。お陰で脱いだり着たりを繰り返す手間がかかる。凍えるよりはマシだし、色々と仕方のないことではあるのだが。

 そこから下ってゆくと、広間を中心に背骨のように続く通路がある。一階部分には車両の心臓である機関室、ガレージ、倉庫。二階には前から前部砲塔室、小型保管庫、研究室、機関銃座、キッチン、そして居住区へと続いている。一応三階と呼べる所もあるが、そこには後部銃座と後部砲塔室、監視塔に空調管理室しかない。何か用でもない限り立ち入ることもないだろう。

 居住区広間はこの車両の中心部にあり、主に隊員たちが生活する場所である。温かく設定された室温に、隣の調理場から漂ってくる料理の匂い、そして暇を潰せるようにとある程度の娯楽用品が用意されたこの場所はとても好評だ。一階から三階までの吹き抜けとなっており、別の階に行くときは大抵広間にある階段を使うことになる。一階部分にはトイレ、前へ続く通路、後方へ続く通路への扉があり、二階の部分には調理場への扉と隊員の部屋に続く扉が複数ある。誰かがずっと使うものではなく、シフトによりある程度ローテーションしながら使うものであり、隊員の個別の寝室は後方にある。そして三階には、隊長である私の部屋と操縦室、指揮室へ続く扉と、外のデッキへ出るための扉がある。たくさんのドアがあるこの場所は、さながらホテルのロビーのような佇まいだ。

 広間の奥、車両の後方へ進むと、その隊員たちの寝室とガレージがある。ガレージには観測機器や実験機器、偵察車両などがこれでもかと積まれており、今回の作戦で一番重要な食料の大部分もここに保管されている。本来はここに置くものではないが、備えあれば患いなしと隙間のあらゆるところに突っ込まれたそれは、恐らくその半分がクルカのおやつになるだろう。ジャスタがちゃんと躾けてくれていることを祈るほかない。

 

 頭の中で構造を形にさせながら階段を下りると、広間に何人かいることに気が付いた。私が同じ階層に着くと、談笑していた彼らがこちらに向き直った。パンドーラ隊からの二人とチビッ子パンノニア人、そしてパルシャキ―が座っている場所へ足を進める。

「やあ、もう料理の下準備は終わったのか?」

 まずはパルシャキ―へと話しかける。私の言葉に自信ありげな顔をしたことから、食事の時間がとても楽しみになった。

「メニューは食事の時まで秘密ですよ」

「ああ、期待してるよ」

 近くにあった椅子を引き寄せ、彼らの輪の中に入る。すると、何やら言い争っていたのだろう、そっぽを向きあっていた二人のうちの片方、肩にスクムシを乗せた女性が体を寄せてきた。

「たいちょー! さっきからジャスタがクルカの方が可愛いって言ってくるんですけど、クルカよりもスクムシちゃんの方が可愛いですよねー!」

 小柄なその体が私の腕の中に滑り込んでくる。小柄な体躯に似合わぬ双丘が防寒具越しにも伝わってくる。特に興奮はしない。この女性の性格を知っているからだ。

「ちょっと! 何色仕掛け吹っ掛けようとようとしてんだあんた! 奇襲をかけてくるスクムシ並みに卑怯だぞメルラぁ!」

 体を寄せてきた女性に対し、もう一方のクルカが張り付いた女性が立ち上がり講義を起こす。男勝りな彼女は、見た目も男らしい。ある意味この二人、双極である。

「卑怯じゃないもん! スクムシちゃんの方が小さいからそんぐらいのハンデあって当然よ吐瀉物生産機マニア!」

「言ったなぁー!」

 睨みあう二人の間にパルシャキ―が入ろうとするが、クルカとスクムシの永遠のライバルとしての繋がりを前にしては何もできない。もう一人の連邦人に至ってはこの状況を楽しんでいるようにも見える。二人の方に乗っていたクルカとスクムシは床の上でお互いを威嚇しあい、今にも戦いを始めそうになっている。私はため息をつき、息の荒い二人の肩に手を置く。

「とりあえず喧嘩はよしてくれ。また後でじっくりと話し合えばいいじゃないか」

 だが、この言葉がいけなかった。睨みあった二人は一瞬の間に私に視線を向け、女性とは思えぬ力で私の胸倉を掴み上げた。足が床から離れる。

「「あんた(隊長)はどっちの味方なんだ(なんですか)!」」

 大のクルカ好きであるジャスタ・ハリス、そして熱狂的スクムシ好きのメルラ・ジレン。この二人に敵う男性は恐らくパルエ上に存在しないだろう。私はまさに命の危機にさらされていた。

「落ち着けジャスタ。今回はお前の負けだ」

「あぁ!?」

 ジャスタが胸倉から手を放し、声の主に振りむく。メルラの方もそちらへ意識を向けた。先程から観戦を決め込んでいた連邦人だ。

 首元が緩み、死ぬことは避けられたと大きく息をしながら安堵する。

「負けって一体どういうことだよミーラぁ! クルカがあんな虫けらに負けるわけないでしょ!」

「下を見てみろ、結果はもう出てる」

 連邦人の言葉にその場にいた全員が床を見る。

 

 そこには、美しいほどに楕円形な白い物体と、その上に勝ち誇るように佇むスクムシがいた。たった一匹のスクムシにしてやられたクルカは、もがくことなく静寂を守っている。死んではいないだろう。

「はい! 今回はスクムシ側のメルラの勝利! 試合終了!」

 大声で戦いの終わりを告げたパルシャキ―によって、一時の平和が訪れた。満足そうなメルラと不満げながら負けを認めたジャスタを見ながら、ふと時計に目をやる。私が指揮室を出てきてから15分。予定外だったが、上手く時間をを潰してくれた。

「試合も終わったところで、最初の任務の時間だ。準備をしてくれ」

 そう言って立ち上がると、そこにいた全員が一緒に立った。さっきまでの士官学校の寮のような雰囲気は消え、兵士、それも精鋭の兵士に特有の緊張感が滲みだす。最初の運用試験ということもあるからだろう。誰もその緊張を緩ませようとはしなかった。

 空気が張り詰めていくことを肌で感じながら、私は隊員の先に立ちガレージへと足を進めた。パルシャキ―が調理室へ入るのを横目に、こちらも通路へと入る。

 さて、最初の実地試験だ。私にとって数少ない外での指揮に、少し心が躍る。

 エンジンの音が少し鈍った。予定時刻10分前。

 

 

 

 ガレージの中に光が差し込んでゆく。外側の防壁が上へと持ち上げられ、真っ白な世界への入り口が開く。それが上がり切ると、私は手元に置かれた無線機を手に取った。

「予定時刻2分前だ。各員、準備はいいか」

 目の前の車両と指揮室に繋がった無線機から、2つの声が順番に聞こえてくる。

『こちらスノルデーヴァ。特に問題なしだ』

『こちら指揮室。周囲に危険な存在確認されず。試験を許可』

「よし、車両降下、発進せよ」

『了解、極地稼働試験を開始する』

 サイレンが鳴り、ゆっくりとデーヴァに似た車両が下がってゆく。初めて子供を雪遊びに連れ出したような気持ちだ。

 スノルデーヴァ。デーヴァを元に極地用に改良されたこれは、我々の目となり足となる大切な存在だ。最大5人が搭乗でき、観測機器と探照灯、車体の左右に取り付けられた展開式の大型のソリは、荷物を搭載することも可能だ。持っていけるものが限られてしまうため、なんでもできるように汎用性を持たせたこれは器用貧乏なところもある。とはいえ、これまでの連邦製の車両のどれよりもマシなのは幸運なことである。連邦にとっては不幸だったのかもしれないが。

 雪原に降り立ったスノルデーヴァは、目の前に広がる景色にうずうずしていたようで、すぐさま世界へと歩みを始めた。まずはゆっくりと、確かめるように着実に少しづつ、90度回ってパルエズと垂直になると、全速力で突進を始める。最高速度になったのちにブレーキの作動確認テスト。デーヴァの通った後に2本のきれいな直線が残る。走り始めた時と同じくらいの時間をかけてデーヴァが止まるとグルグルとその場で回りだし、暫くしてまた走り出す。体調万全、何も問題は無しと元気にはしゃいでいるように見えた。運転手をしている彼も慣れてきたのか、半ば曲芸じみた機動をし始める。流石はパンドーラ隊員といったところだ。

 三十分にも満たない時間でそんなことを何回か繰り返して、スノルデーヴァの最初の実地試験は終了となった。もし空から誰かが見ていたら、元気に走り回る息子とそれを見守る親のように見えただろう。

「よし、任務完了だ。予定よりも早く完了させた褒美だ、少しだけ自由時間を与える。このあと軽めの極地訓練があるからそれを忘れないようにな」

 最初の任務を終えたデーヴァに無線で呼びかける。中で歓声が上がったのを無線機が伝えてくる。早速デーヴァの中から誰かが飛び出して何かを放り投げるような所作を取る。見える影が小さくないから恐らくジャスタだろう。となると放り投げたものは……

 勿論、クルカであった。

 クルカたちはそれぞれ自由にこの場所を楽しんでいた。あるクルカは空を飛び回り、雪を食べるクルカ、雪山に突っ込むクルカ、雪クルカらしきものを作り出した器用なクルカ達もいた。思い思いに遊ぶクルカを暫くぼんやりと眺めていると、横から声をかけられた。

「隊長、お疲れ様です」

 振り向くと、いつの間に戻っていたのか、さっきのデーヴァの操縦手をしていた、ミーラ・ミステリエスが立っていた。下を見るとすでにスノルデーヴァが格納されるのを待っていた。この男、仕事の速さは随一だ。気づかないほどに素早く静かに終わらせられるのはこいつしかいない。

「ご苦労だった。これの乗り心地はどうだった?」

「ええ、良かったですよ。走りやすさもブレーキのかかりも十分です。これなら正式に極地車両の役目を果たすことができるでしょう」

「それはよかった。これからの探査には必要なものだからな。連邦製だと少し不安に思っていたが、安心したよ」

「まあ、奇跡みたいなものでしょうけどね。隊長のお気持ちは察せられます」

「それにしても、彼女は一体どこにあの数のクルカを忍び込ませていたんだ? 少なくとも七、いや八匹はいるだろう」

「まあ、車体の裏にでも張り付いていたんじゃないですかね」

 淡々と話す彼は、同じパンドーラ隊の出身のジャスタと対照的なところを持つ。とても冷静で、効率的であり、ロマンチストでもある。彼が飼っている2匹のクルカも彼女のクルカとは違い、まるで人のような理性を持っているように感じる。といっても、いたずらはするし、吐くときは吐いたりするのだが。

 私は彼に、どことなく親近感を抱いていた。

「そういえば、メルラは何処に?」

 景色を眺めていてふと尋ねる。遊んでいるのはジャスタとその子分たちだけだ。あの小柄な人影が見当たらない。

 そんな私の問いに答えたのは、隣にいるミーラではなかった。腰に強烈な痛みが走ったことで私は気づく。すぐそばにそれが潜んでいたことを。

 私が倒れた視線の先に、静かに怒りを表すメルラがいた。その立ち位置から、どうやら私とミーラの間にいたようだったが、まったく気が付かなかった。視界の中に彼女の頭は見えていなかったのだから、私に非はないはずだ。

「流石に殴りたくなりますよこの仕打ちは……」

 そう呟く彼女の拳はまだ固く握られている。後ろに立つミーラに助け舟を求めるも、我関せずとはしゃぐジャスタを遠い目つきで眺めていた。君子危うきに近寄らず、か。誰でもいいから助けてくれ。

「ち、ちょっと待ってくれメルラ、私が悪かった! だから殴らな」

「問答無用ォ! 成敗!」

 私の必死の説得も命乞いもむなしく、視界が歪み、世界が暗黒に包まれた。

 

 

 

 

「…………長! ガリ…う! 隊長!」

 その声に目を開くと、見覚えのない天井が広がっていた。そのまま横を向くと、心配そうな顔をしたトゥリとしょんぼりとしているメルラが目に入った。私が目覚めたことに気が付くと、トゥリが安堵した顔をする。

「隊長! 大丈夫ですか! 気絶したとミーラから連絡が入ったので何があったのかと!」

「ト、トゥリ。まずは落ち着いてくれ。ちゃんと訳を話すから」

「も、申し訳ありませんでした隊長殿! どうか許してつかぁさい!」

「メルラもそんなこと言うな! とりあえず2人とも静かにしてくれ! 頭が頭痛で痛い!」

 大声を出す2人をたしなめながら時計を探すと、あれからおよそ3時間が経過していたことが分かった。もしここまで気絶していたとすると、あの後のことはトゥリが代わりにやってくれたのだろう。

 ふと入口の方を見ると、部屋から出ていこうとするミーラがいた。あの野郎と立ち上がろうとするが、すぐさま二人に取り押さえられてしまった。この二人に覆いかぶさるように取り押さえられると、様々な意味で動けない。恥ずべきか喜ぶべきか、と考えてくうちに、また意識が遠くなりかけたので慌てて首を振り二人を引き離す。まずは隊員の指揮を取らなければ。

 心配げについてくるトゥリとその後ろに隠れるように続くメルラを従えながら、広間へと足を進める。がらんとした空間には、ミーラの姿と両肩のクルカ以外に動くものはなかった。

「もう少しで極地訓練も終了するでしょう。戻ってきたら食事の時間ですので、ここで待ちましょうか」

 隣に立つトゥリがそう告げる。近くのテーブルに座ると、ふわりと食欲を掻き立てる香りが漂ってきた。意識していなかった空腹が早くしろと唐突に主張してくる。これは楽しみだ。

 近くの4人1組のテーブルに座ると、向かいにトゥリとメルラ、そして隣にミーラが座った。助けを求めたにもかかわらず見殺しにしたミーラに小声で話しかける。

「なんで助けなかった。お前ならメルラを抑えられただろうに」

「すみません。隊長さんなら大丈夫だと思ったので何もしませんでした。それに、私は隊長みたいに気絶した後その張本人に運ばれたくなかったので」

「なんてこった……よりによってメルラに運ばせたのか」

 澄ました顔で謝罪する彼に頭を抱えたくなる。優秀な隊員であるのは間違いないのだが、優秀であるがゆえに危険から身を守る方法を熟知している。命がかかるような危険からプライドにかかわる危険まで。彼にかかればどんな危険も易々と回避してしまうだろう。

 だが、そのせいで私がこんな目に合わせられるのはたまらない。せめてダッハの方に危険が飛んで行ってはくれないだろうか。あいつの強運ならと思ったが、その強運で私がこういう目に遭っているのだろうと思うと悲しくなってきた。

 そんなことを思っていると、いくつかの足音が聞こえてきた。その音に紛れて大きな声がすることから誰もがその人物を察することが出来る。数時間前にも覚えのある光景だ。

「自分がヘマせんかったらあんなことにはならなかった! どうしてくれるんや!」

「んだとー! おめぇのほうがおらの足引っ張ったのがいけねぇだ! こんだから二ヂリスカは!」

「なんやとー!」

「なんだー!」

「もういい加減に辞めてくれないか…もう終わったことだぞ」

「「うっせぇ!」」

 もう聞きなれたこのやり取りは、ある意味で隊員たちの心の安定につながっている面がある。彼らのあのテンションに困らせられることも助けられることもあるだろうが、間に立つパルシャキ―にはたまったものじゃないだろう。

「みんなご苦労だった。パルシャキ―、飯の用意をしてくれ」

 私は立ち上がって訓練や仲裁で疲れた顔をしているパルシャキ―に近づく。その元凶は元気に大声を出し合いながらなぜか同じテーブルに着いて口喧嘩を続けていた。あの二人の行動は本当に理解しがたい。

「分かりました。少し待っていてくださいね」

 自分の料理を思い出したのか少し明るさを取り戻した彼は、きびきびと階段を上り調理場へと消えていった。彼は隅っこに備え付けてあるボタンを押した。チリチリと鈴のなるような音が車内に鳴り響く。グラン・パルエズにおける食事の時間の合図だ。

 

 数分もしないうちに、全員が広間に集合した。広く作られているとはいえ、やはり13人が集まると少し窮屈だ。しかし、これだけ集まれば多少は体温で温かくはなるだろう。

暫くして、ざわざわとした部屋によく通るすっとした声が響いた。パルシャキ―の声だ。

「ほいよ! みんなお待ちどうさん! 今降ろすから少し待ってな!」

 いつもの礼儀正しい彼とは思えない口調だったが、訓練の時とも違った口調に少し驚いた。趣味として軍の中で料理屋モドキをしていたと聞いたが、まさかここまで板についているとは思わなかったのだ。今の彼は、調理場に張り付く、リーダーシップ溢れる料理長だ。

 調理場のドアの近くに取り付けられた小型エレベーターに料理の入った大鍋と人数分の皿と共に乗り込み、期待のあふれる眼差しを受けながら降り立ったパルシャキ―は、早速その料理をよそい始めた。最初に飛びついたのはジャスタである。食欲も彼女の愛するクルカ並みにある彼女はそのクルカよりも素早くパルシャキ―の前に飛び出した。くっついていたクルカは無事ほかの隊員たちに取り押さえられていたため、せっかくの料理が台無しになることはなかった。

 まるで士官学校での新米たちの食事風景を見ているかのようだった。ダモスとニーワは相手より先に貰おうと小競り合いを始め、他のより量が少ないと愚痴を付けるメルラや欲しい量を一滴レベルで注文してくるクロム、いつの間にか自分でよそって食い始めているマリアナに、ちゃんと並べと叫ぶトゥリ。このことを予想していたパルシャキ―が多めに作っておいたおかげで、喧嘩に発展することは無かったのが救いだった。

 私は、大方皆が貰った後にパルシャキ―の元へ向かった。隣で怒鳴りっぱなしだったトゥリと共に十分な量がよそわれた温かい深皿と数枚の板の様なパンを手に取った。さっきまで座っていたテーブルまで戻ると、すでにミーラとメルラは食べ始めていた。どうやら私を待っていてくれたのはトゥリだけだったようだ。

「にしても、美味そうだな」

 皿を置き座ったあと、改めてその料理を見る。湯気を立てた白いスープの中に野菜と魚のほぐし身が浮かんでおり、アクセントに一つまみ入れられたハーブが彩りを与えていた。顔を寄せれば柔らかい香りが感じられ、食欲を一層強くさせる。

「ネネツでの私の得意料理です。ネネツでよく飼われてるネネツゴルトンの乳に様々な食材、まあ魚や余った野菜や肉ですね。それを入れて煮込んだものです。味は私が保証しますよ」

 手を拭いながらパルシャキ―が歩いてきた。エプロンをかけたその姿はまさに料理人といった佇まいだ。

「ほう。南にもこんな料理があるのか。私もこれに似た料理をよく食べていた。まあ、ここまで美味しそうではなかったが」

「ええ、今回は王国風に味付けをしてみました。隊長はこの料理が好きだと聞いたもので」

「ああ、確かにこの類の料理は大好物だ。が、一体誰から? ダッハか?」

「あぁ…はい、そうですね。彼も大好物だと言っていました」

 少し口ごもったように見えた。とはいえ、ダッハだろうとそれ以外の誰かだろうと気にすることじゃないだろう。意識を目の前の料理に向ける。一緒に持ってきたスプーンをその水面に静かに滑り込ませる。それを持ち上げ、口へと運んだ。

「……美味い」

 すこし塩気のきいたスープだが、それを優しく包むような乳の甘みが口の中に広がる。やわらかく煮込まれた魚や野菜は、噛むこともなくゆっくりとほどけ、中に閉じ込めていた旨みをスープに溶け出させる。ホクホクとしたパルエポテトや、独特な風味を与えるワシャの葉が、調和した味の中しっかりと存在を主張する。王国では貴重な動物の乳の味が、全ての食材の味を支え、まるですべてを包み込むような旨みと甘みをスープに与えていた。

 十分に味を堪能し、ゆっくりと飲み込む。何気なくこのスープが残っている鍋の方へ目をやると、お代わりを取りに来たのであろう2,3人が取り分で言い争っているようだった。深く大きいこの皿に8割ほど入っていれば、十分に腹を満たすことができるだろうに、と思ったが、よくよく見ればその人物たちがメルラやジャスタといった大食いであることに気が付き、苦笑を漏らす。

「パルシャキ―、お客さんがお代わりをご所望らしい。そろそろ喧嘩が始まりそうだ」

 得意げに食材ごとに合う調理方法や味付けを語っていたパルシャキ―を仲裁に行かせる。あいよと答え歩いていく姿を眺めつつ、スープの味を堪能した。さっき士官学校の食事風景みたいだと思ったが、どちらかというとネネツの料理屋といった方が正しいだろう。

 なにせ、連邦の士官学校ではこんな美味い料理は出ないだろうからな。そう漏らすと、ミーラが苦笑した。ええ、その通りです。こんなの、連邦じゃあまず出会えませんよ。

 一家団欒のような温かな雰囲気の中、私達は食事を楽しんだ。

 

 

パルエ歴671年 13月20日 

 アイレグレアの訪問者作戦の1日目となった今日だが、いくつかの出来事を除き全くと言っていいほど順調に過ぎていった。車両の状態も良好、スノルデーヴァもちゃんと動いてくれた。それに食事も最高と言えるものであった。あれ程のものを食べたのは何時ぶりだろうか。

 しかし、メルラのあのヴンダー(マリアナ曰く皇国に住むバケモノらしいが、戦車でも敵わない程に強いらしい)並に強い腕っぷしは何処から来たのだろうか。私とて軍人であるが、まさか一発でやられるとは思っていなかった。今後から気を付けることにしよう。

 明日は特に特筆することもない、平和な日になることを祈ろう。こんなことが起きていいのは最初のうちだけだ。往復で二年。およそ半年後は補給も届かない孤独な旅路になる。気を一層引き締めなければ乗り越えることは出来ないだろう。

 今日の夜はよく星が見えた。半分に欠けたセレネとそれに付いていくようなメオミーが美しい。誰かと一緒に眺めたかったが、生憎全員が手を開けることが出来ない。誰か暇なときにでも誘ってみようか。

最終更新:2016年12月04日 14:16