操舵手ヘボンの受難#15 『黒翼隊』
後頭部に当てられた銃口の冷たさは、全身から抵抗する気力さえ失わせた。
それは何処までも射手の冷酷な殺意を込められたものであり、ヘボンの後頭部に押し付けられたそれはまさにそれを体現していた。
「貴様がっ…」
強く銃口を押し付けては、そう憎々しげに言い放つ彼女の顔をヘボンから見ることはできない。己は現在、彼女の猛獣のような動きで寝台の上にねじ伏せられており、腕は背中で捻られるように彼女に押さえつけられている。
尋常でない力具合で、これが女性であるのかと疑いたくなるが、少なくとも声は幾らか女性らしくはあった。
「やめろっ!」
ミュラー曹長が一体何をしているのかは寝台に顔を押さえつけられている為に見えなかったが、怒声を上げてベルン軍曹が彼女へ掴みかかろうとしている事はわかる。しかし、男性と女性とでは体力に差があるなんて言った奴は頭がおかしいとヘボンは思った。彼女は脇から突進してきたベルンを拳銃で素早く強かに殴り付けると、彼をその場に倒してしまったのだ。
「邪魔をするなっ! 下郎が!」
彼女はそう倒れ込んだベルンに怒鳴ると、ヘボンの首元に突き付けた拳銃をグッと押し込んでくる。冷たい銃器の感触が恐怖感を更に増してくれる。
「報いを…受けさせてやる」
憎悪に駆られた彼女の声がヘボンの耳に強く突き刺さる。
それに続いて鉛玉が己の頭を粉砕するのかと思うと、背筋も凍る思いであったが、先程に口内に入れたアルコール作用で少々火照った気分だけが唯一の慰めのように思えた。
だが、撃鉄は落なかった。
落ちるどころか、撃鉄を再度起こす音が戸口から聞こえたのだ。
「やめるんだ、少佐。 銃を置け」
それはヘルマン中尉の声であった。
静かで低い声ではあったが、ある意味その声音は銃声よりも効果があったかもしれない。
現にヘボンの首元を押さえ込んでいた力が少々弱まるのを感じる、だが、それを振り払えるほどではなぁった。
「中尉…何故、貴様の命令に従う必要がある。 放っておいてくれ」
「そういう訳にもいかん。 捕虜を殺したとなれば、後で困るのは君自身だ」
「後ろの古参兵だけ生かしておけばいいだろ。 コイツは計画にも関係ないし、リストにも載ってはいない」
拳銃をヘボンの首元に当てられたまま、彼女と中尉が喋っている。
彼女の階級が少佐であることは中尉の会話からわかるが、この様な乱暴な行為に出る者が尉官階級とは信じられない。
「だからこそだ、少佐。 リストに載ってはいないだけの理由と軍歴が彼にはある。 私に預けてくれ。 …確かにダニッヅ大尉を失った貴官の気持ちがわからない訳じゃない。 君より長く軍務に就いている身だ。 部下を失う気持ちはわかるが、私怨で人間を殺すような組織でないことはわかっているだろう?」
そう中尉は慰め諭す様に彼女に話しかけながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
それに対して彼女は小さく唸るようにして釈然とならないような感情を示したが、中尉が近づくにつれ少しは気も収まったのか、やがてヘボンの首元から拳銃が離れ、彼女は気まずそうに中尉を一瞥するとそそくさと船室を後にしてしまった。
「…軍曹、気を悪くしないでくれ。 彼女は機体操縦の技術は達者なのだが、すぐ感情に流される節がある。 現に部下が殺されたとなれば尚更だ」
彼女が立ち去る姿を眺めると、ヘルマン中尉はヘボンを引き上がらせ視線を合わした。
先程の尋問室の際に見た穏やかな表情を顔に浮かべながら、拳銃を腰のホルスターに押し込んでいる。
「だが、それは戦争の常だ。 例え友軍とは言え、相手に銃口を向けるということは、覚悟を決めなければいけない。 そこの点を彼女達はいまいち理解していない。 いや、頭ではわかっているのだが、心で理解していないのだ」
「ヘルマン。 あれがお前の教え子って事か? てんでなっちゃいねぇぞ」
拳銃を仕舞い込んで、一旦落ち着くように近くの椅子へ中尉が腰掛けると、横からミュラー曹長が割り込んできた。
彼は相変わらずニタニタとした笑みを浮かべている。
それを見ると中尉の表情が、穏やかなものから少しバツの悪そうなモノに変わった。
「ミュラー…。 今は偶々私が来たからこそいいが、来なかったらどうするつもりだったんだ? 彼は君の部下だろう?」
「平和的に解決させたまでさ。 コイツでな」
問いかける中尉に対して、曹長は上着のポケットから何かを出っ張らせてそれに答えた。
膨らみの具合からそれは拳銃の銃口の様に見える。
「…何処で手に入れたんだ? 武装は解除させた筈だ」
怪訝な色を示しながら、中尉が問いかけると、相変わらず曹長は下品な笑みを浮かべたままゆっくりとポケットに突っ込んでいた手を引き抜いた。
そこには、確かに掌の上に拳銃が包まれていた。
「手に入れたんじゃねぇ、最初から持ってたんだ。 その点はここの兵士共の練度が足りねぇんだ、俺の股間までは調べなかった」
その自慢げに語る曹長に対して、中尉は呆れたように溜息を吐いてから頭を少し横に振った。
「呆れたね。 そんな部位に隠し込むなんて、最初に疑うべきだろう」
「だからだ。 保身派の連中なんてこの程度だと言ってんだ。 所詮、辺境貴族達の下っ端だ、練度ってものがなっちゃねぇ」
曹長の手にしていた拳銃は、通常の規格よりもふた回りも小さい造りの物であった。
大凡通常の歩兵達が持ち歩くような代物ではなく、どちらかといえば特殊工作員でも携帯するかのようなソレである。
「…その点は確かに認めるよ」
胸と腹を張りながら威張る曹長を尻目に、中尉は一旦席を立って船室の戸口まで歩いていくと、外を見回し、兵士を一人呼び止めると、暫く持ち場を離れるように命じてからこちらへ戻ってきた。その顔は穏やかな物に戻っていたが、瞳には何処と無く真剣な色があった。
そして、また椅子に腰掛けると3人を見回しながら口を開いた。
「今、人払いをした。 暫くは監視も盗聴の心配もない。 どうか、気を楽にして欲しい。 …それで、保身派部隊の事だが、数だけはそれなりに揃ってはいるが質が良くない。 この活動は絶対に上手くいきやしない。 だが、それでも辺境貴族達が必死に結束して、勢力を整えようとしているのには意味がある。 私はその先陣を切る為の部隊育成が任務となっているんだ」
「あの、稲妻部隊の紛い物の事を言っているのか?」
「そうだ。 確かに稲妻部隊の威光を借りようとあんな塗装を機体に施してはいるが、ちゃんと部隊名はある『第十三特殊空域旅団直下第一特殊戦闘中隊』…まぁ、通称『黒翼隊』だ。 帝国の闇を駆け抜ける意味合いがあるそうだが、私に言わせればこの部隊こそ闇そのものだよ」
「随分と大層な名前だな。 指揮官はお前か?」
「いや、私は教官で、指揮官は先程の彼女…『レマ・ニエン少佐』が担当だ。 辺境艦隊の各部署から選り抜きの戦翼乗りを引き抜いている…が、結局二流の集まりだ。 少佐自身があの通りだし、そこの軍曹が撃墜したダニッヅ大尉。 あのグランビアに乗っていた操縦手だが、腕は良かった。 だが、腕だけだ。 慢心も酷かったし、何しろ一度頭に血が上ると何処までもだ。 遅かれ早かれあんな結末にはなっていただろうな」
中尉はそう言うと、神経質そうに戸口へ目を向ける。
今の発言は明らかに同僚達に聞かれてはまずい内容であったが、運がいいことに戸口には誰もいなかった。
「だが、旧式のコアテラに撃墜されるとは誰も思わなかっただろうな。 ミュラー、一つ聞きたいんだが、機体の出処は何処だ?」
ヘルマン中尉はそう顔をこちらに向け直しながら、ミュラー曹長の顔をじっと見つめていた。その顔には尋問官らしい色が、少なくともヘボンの時よりも真剣に浮き出ていた。
「なんだ?薮から棒に、また尋問の続きでもしようってのか?」
「いや…ただの好奇心さ。 君も長い事、生体器官と付き合ってきた身だ。 あの機体が妙な事にはとっくに気付いているだろう?」
中尉はそう穏やかな視線を向けたまま、言葉を紡いだ。
そこには先程の尋問の際に見せたような好奇心によって事に夢中になるような少年の色があった。
「妙というよりは、どう考えたって普通じゃない。 幾ら生体器官には個体差が生じようとも、グランビアと一戦を交えられるような性能を持ったコアテラが存在するとは、私には到底信じられないんだよ」
「そうは言っても、現に存在するし、そのお陰で俺達は生き残ってんだ。 …なぁ、軍曹?」
また顔に少々興奮による熱が浮かび始めた中尉を他所に、曹長はヘボンの方へ同意を求めるような顔を向けてくる。
それに対してヘボンが頷くと、曹長が口を開いた。
「あのコアテラは、中佐が何処からか引きずり出してきた骨董品だ。 既に俺が部隊に配属された時から見たことがある。 ラーバ家が古くから、所有していた機体らしいが、詳しいことは知らん。 中佐が数日前に軍曹に操縦を任せてからは、コイツの持ち物みてぇなもんさ」
曹長の言葉に対して、中尉は熱心に耳を傾けながら、暫し考え込むように小さく唸ってから言った。
「なるほど。 …となると、詳細は不明か。 いや、本当の事を言えば、そのコアテラについては私の他に、より強い興味を示している者がいるんだ。 機体の性能について、生体器官及び、脳について分析したいと要望が出ている」
「…誰だ?」
「『六王湖』の研究員連中だ。 正式に帝都貴族達とドンパチを始めるならば、旧式や現行機の寄せ集めでは絶対数が足りない。 なんとしても、強力な新型機を開発したいそうで、既にあの土地にはその研究機関の下地が出来上がっている。 やがて、保身派の根城と化すだろうな」
「新型機だと、そんな予算どっから出てきた」
「辺境貴族連合の資金と、まぁ敵の敵は味方ということだ」
「…アーキルか?」
その質問について中尉は答えなかった。
ただ、長い溜息を興奮した己を落ち着かせるように、ゆっくりと吐き出しただけだった。
「兎に角、彼らはコアテラの生体器官について深く知りたがっている。 何れ、この空域にて何度かテストも行うだろう。 その際にはワトキンス軍曹、君に操縦して結果は報告してもらう」
「…私でありますか?」
急に話の矛先が己に向けられ、面を食らったような顔をするヘボンに対して、中尉は穏やかな顔で話を続けた。
「そうだ。 コアテラは君以外の操縦では、性能を発揮することは不可能だ。 ミュラーだって無理だからこそ、君に操縦を託してダニッヅ大尉と戦わせた…そうだろう?」
「俺は強襲艇なんて物に跨ったことはねぇ。 それだけだ」
曹長は少々バツの悪そうな顔をしたが、中尉は彼の真意を見透かしたように微笑を浮かべている。
「私が思うに…、まぁこれは長年からの経験だけれど、軍曹とコアテラは最早切っては切れないような信頼関係で結ばれていると思う。 ワトキンス軍曹、君は彼女の声を聞いたのだろう?」
穏やかな微笑を浮かべたまま、中尉はヘボンの顔を覗き込んだ。確かにそう聞かれれば彼女の『声』は聞いた。
あの泣き叫ぶような声音で、必死に自分に対して生きたいと叫び続けていたのだ。
「確かに聞きました…しかし、あれは…」
そうヘボンは言葉を途中で紡いでから、少し考えた。
確かにあのガルエ級の甲板で彼女を起動した際には、しっかりと声を聞いたと思った。だが、今この場になって落ち着いて考えてみれば、妙な話である。
本来、彼女達の声とは長い期間を共にした者にのみ聞こえてくるような代物であり、たった数日の間に彼女の喜怒哀楽が分かるように乗り回せたとは少々信じられないことであったからだ。
しかし、中尉はそのヘボンの不安な考えすらも見透かしたように言った。
「そうだ。 確かに数日の間で彼女の声が、聞こえるなんて事は稀なケースだ。 だが、君が報告にある夜鳥を撃墜した時から、その様な毛があったと私は思っている。 幾らラーバ中佐の指示が卓越していたとしても、それを行ったのは君自身だ。 …どうやら、君はあのコアテラとの親和性が恐ろしい程高いようだ。 個人の機体との親和性については、まだ知られていない点が多くある…」
中尉は熱中したように喋り続けたが、途中から専門用語と思わしき言葉が何度も繰り返され、ヘボンの理解に追えない程のものとなっていた。
何処か気が遠くなりかけたところで、助け舟を出してくれたのは曹長であった。
「いいのか? 俺達にそんなベラベラ喋って」
「いいさ。 どうせ、君達には告げるつもりだった。 …それとだ。 少佐はあれでも君達を部隊に引き入れようとしている。 ヘボン軍曹だけは別のようだがね」
その言葉にヘボンとベルンは顔を見合わせた。
どうやら、連中は自分達をただの捕虜にしておかないらしい。
しかし、今まで敵対していた兵士をそう簡単に引き入れられると思っているのだろうか。
「どうも腑に落ちねぇな。 俺達はラーバ中佐直下だ。 情報を引き出せれば、それで満足じゃぁねぇのか?」
「いや、上層部はそれだけじゃ満足していない。 先程も言った通り、我々は部隊の質も上げたいんだ。 つまり戦闘能力…それを欲しているんだよ。 かつての英雄であるボリス・ミュラーと、そこのベルン・シュタリット…君は帝国特殊陸戦郡に所属していた事がある筈だ」
急に中尉の視線がベルン軍曹へ向けられる。
その視線に対して、バツ悪そうに一旦視線を宙に泳がせながら、少しの間をおいてからそちらへ向き直った。
「もう何年も前の話だ」
「だが、君は実際に幾多の戦功を挙げた軍人だ。 しっかり調べてある。 …驚くべきは君達二人に匹敵する人材を何人もラーバ中佐が自分の周りに囲っている事だ」
中尉の言葉にヘボンは思わずベルン軍曹を眺めた。
特殊陸戦郡などという言葉は聞いたこともなかったが、名前だけでも明らかに凄そうな雰囲気が伝わってくる。確かに、そう言われてみれば、彼の身のこなしと卓越した射術には納得がいくような気がしてしまう。
「下手をすれば、一大勢力にも成りかねない集まりだ。 どうか、その力を我々の為に活かしてくれないかという話だ」
中尉はそう言いながら、少し喋り疲れたのか、船室の隅に置いた先程の煙草缶を手に取っては蓋を外し、その裏をチラっと眺めながら一本取り出して火を点けて吸い始めた。
「そういう話は中佐に直接してくれ。 俺達は犬に過ぎねぇ」
「それが出来れば苦労はしない。 私も保身派の犬に過ぎないんだよ。 ミュラー…」
紫煙を吐き出しながら、中尉は曹長を見つめた。
二人の付き合いがあるということは尋問室でも少し聞いたが、曹長と中尉のやりとりからは何処と無く古い友人と話し合うかのような空気があった。
「犬というよりは最早、老犬に近い。 お互いに歳を喰ったが、まさか今まで培ってきた技術を、こんな集まりに使う羽目になるとは思ってもいなかった」
「ヘルマン。 お前も中佐の方へ付くべきだったんだ。 あの時、俺が誘った筈だ」
「…ばか言え。 君と違って私には辺境艦隊を抜ける理由が無かった。 あの時は獄中にいたはずの君から連絡があって驚きはしたけれどね」
「中佐のトコの待遇は良かったからな」
二人の会話を尻目に、ヘボンは少々痛みが残る首元を抑えながら、己も一服しようと煙草缶から一本引き抜いた。
二人の話に理解が追いつかなくなり、ヘボンの脳内ではクルカが二足歩行をしている様な珍妙な化物が踊り始めている。
確か『クルカマン』と誰かが名付けたその想像上の怪物は、昔の思い出話に浸り出す曹長と中尉の話を盛り上げるかのように、民族民謡とも宇宙的怪異とも取れるようなステップをヘボンの脳内で愉快に踏んでいた。
「…辺境艦隊に居残っていたってことは、まだあの女に未練があったからか」
「そうだ。 部隊に残っていれば、それなりの行き来が出来た。 ミュラー、彼女には家庭が出来たよ。 今は、子供が二人いる」
「どっちに似てた?」
「それは私と言いたいところだが、君でもない。 今は夫がいる」
「そいつぁ戦死報告より辛いな」
曹長はそう皮肉を言ったらしいが、その声音には少々悲しげな色があった。
「あれから何年経ったと思っているんだ。 もう、彼女も立派な大人さ」
「奴は歳を取らねぇと思ってたぜ」
そこから二人の会話は途絶えた。
暫くの間無言でお互いを見やりながら、遥か昔に過ぎ去った思い出を回想しているような空気が流れた。
その合間にもヘボンの脳内でクルカマンは陽気に踊っていたが、いい加減疲れ果てたのか、また戻ってくるぞとヘボンに言い残して、彼も脳の記憶の遥か彼方へ消えていってしまった。
そして、ふと思い出したかのように中尉は回想から目覚めると、少し乱れた制服を整ええながら椅子から立ち上がった。
「さて、随分と長居をしてしまったな。 私は職務に戻るよ。 尋問はまた明日だ、よく休んでおいてくれ。 それと、ミュラー。 銃を渡してくれ、また不要な争いを君が引き起こさないためにね」
中尉はそう徐に手を曹長へ差し出すと、彼は渋々と小型拳銃を手渡した。
それを満足そうに微笑みながら受け取ると、中尉はゆったりと船室を立ち去った。
中尉が立ち去ると、すぐさま閉じられた戸の向こうから、そそくさと誰かが戻ってくる音がする。どうやら、監視と盗聴を行う憲兵が戻ってきた様だ。
「…俺達を辺境艦隊の部隊にね…たまげたな。 曹長」
そうベルン軍曹がわざとらしく憲兵に聞こえるような声でそう言った。
「強ち悪い話でもねぇかもしれねぇな」
その言葉に対し、曹長も大袈裟に返してみるが、これは憲兵に対しての反乱の意思はないとの嘘であることはヘボンにはよくわかった。
「でも、私は一体どうなるのでありますか?」
「しらねぇ。 精々、あの少佐が急にお前を許してくれるよう祈るしかねぇな」
ヘボンの言葉に対して、曹長はまたニタニタとした笑みを浮かべながらそう返してきた。
それを聞いてヘボンは、どうやらここ最近己には女難の相が色濃く出ているのではないかと感じた。
その後、中尉が部屋を立ち去ってから暫くして、夕食が運ばれてきた。
戸を少しだけ開けて、憲兵が3人分の食事を乗せたトレイを運び入れた。
それは捕虜に対する食事とは思えないほどの上等なものであり、人工肉を丁寧に切り分けて味付けをした物を主菜として、それに3切れの柔らかいパンと、野菜を刻み、そこにまた細切れの人工肉を入れた汁物。 そして、幾らか新鮮そうに見えるサラダが副菜として添えられている。
内地の基地で食していたものと同じような上等なものであり、おまけに葡萄酒が一瓶付けられている。
「随分と買われたもんだな。 こりゃ、尉官用の飯だぞ」
曹長は運ばれた食事を眺めながら、食事を運び入れてきた憲兵へ顔を向けた。
憲兵は若い男で、その顔には職務に忠実といった真面目さが伺われたが、それに対して曹長は訝しげな表情を向けた。
「少佐殿の意向です。 先程の無礼を詫びるとの伝言であります」
それに対して憲兵は礼儀正しく答えはしたが、その程度で満足する曹長ではなかった。
「若造。 俺を騙そうたってそうはいかねぇぞ。 どう見たって、中尉からの差金だろうが、正直に言えよ」
曹長の強い眼力に参ったのか、憲兵は少々申し訳なさそうに口を開いた。
「...その通りであります。 ヘルマン中尉殿はなんとしてでも、貴官達を部隊に招き入れたいとのことと…」
「だろうな。 いいか、中尉にこう伝えとけ『俺達は戦友にならついていくが、女の尻に敷かれるのは勘弁だとな』」
「しかし、ラーバ中佐は女であります」
「ありゃ、半ば人間じゃねぇからいいんだ。 次元が違う」
途中で脇から口を挟んだヘボンに対し、彼はそう一蹴すると、憲兵を引っ込ませた。
憲兵が戸を閉めるのを見計らってから、曹長は毒見と称してヘボンとベルンのトレイからパンをひと切れずつ、肉も同様に持っていった。
しかし、中尉が何か薬を盛るとも思えず、どう見ても曹長の食い意地が張っているだけのように二人には思えたが、夢中に食事を頬張っている彼の邪魔をするのも無粋の様に思えて黙っていた。
実際、食事に薬は盛られていなかったが、それを疑うまでに美味であることは確かであった。ゼイドラの機内で食した缶詰や、ガルエ級の甲板で貰った乾パンなどとは比べ物にならない。皮肉なことに内地の基地からここまででの間で、敵中の真っ只中でありながら一番まともで美味な食事であった。
それにはヘボン以外の二人にも異議はなかったのか、食事を終えると満足そうに椅子に腰掛けるなり、寛ぐように寝台に身体を寝そべらせたりしている。
だが、その様な態度を示してはいるが、ベルン軍曹の目は常に神経質そうに戸口の方へ向いていたし、曹長に至っては椅子に腰掛けながらも精神を統一しているかのような鋭さを表情に浮かべながら船室の窓から空の様子を眺めていた。
唯一ヘボンのみが緊張の連続からようやく解放され、今は兎に角身体を休めようと寝台に断りも入れず寝に行ってしまった。
今朝方の空戦から、尋問。 そして、首に拳銃を突きつけられた事、様々な事が一日の内に起こりすぎて、ヘボンの脳は少々混乱していた。
その性もあってか眠りに落ちるのは随分と早かった。瞼の重みを感じ、体中から力と意識が抜けていくのを感じる。
しかし、眠りに落ちる刹那に、意識を妙に保たせているのは、近頃眠る度に起こる明晰夢の恐怖であり、不可解な夢ばかり見るのである。
そして、その恐怖はまたすぐに姿を現したのである。