操舵手ヘボンの受難#19 『六王湖へ』
あれから必死の思いで邪龍から逃げ切ったと判断した時、准尉は一旦体制を立て直す必要があると述べた。
本来ならばアルバレステア級を飛び出したまま、帝都へ一路向かうはずであったが、付近の空域に邪龍が彷徨いているのでは、迂闊に飛ぶのは難しいと判断したらしい。
「あの邪龍の精神侵食に抗うとはねぇ…」
准尉はそう銃座にて、現在コアテラが飛行している座標を計算しながら、そう呟いた。
先程まで喉を枯らすまでに叫び続けていた様子は既になく、今は随分と落ち着いたのか冷静そうな感じを受ける。
「精神侵食?」
ヘボンも准尉と同じく落ち着いた調子にそう彼女へ問いかける。
周囲の空は落ち着き、先ほどの異変が嘘の様に静かで平和そのものであった。
白い積乱雲が穏やかに遠方で通り過ぎ、日光が優しく機体を温める。
陽の傾き具合から、既に時刻は昼を過ぎているが、夕刻までにはまだ大分ある。
「えぇ、邪龍の武装の一つです。 接近してきた機体の操縦手や同乗者の脳に直接呼び掛けて、思い通りに操る…誇大広告か何かだと思っていましたが、事実だったんですねぇ…。 本来ならあの場で少佐みたく軍曹も飛び降りてと思いますが…貴方は予想以上にタフな精神をお持ちでいらっしゃるようでぇ…」
「そんな事が…? あまりにも非科学的であります」
「軍曹の口からそんな単語が出るとは思ってもいませんでしたがねぇ…。 貴方の顔の方がよっぽどファンタジーな…あぁ、いえ、なんでもありません」
ヘボンの言葉に准尉は皮肉げな笑みを浮かべながら何か言いかけたが、咄嗟にその口を噤んで、わざとらしく周囲の風景に目を這わした。
そして、一旦間を置いてから再び口を開いた。
「私だって書類や実物を見るまで、そんな御伽噺みたいな事信じませんでしたよ。 でも、実際にあの時軍曹自身だってあの声を聞いた筈です。 全く、六王湖の連中もロクでも無いものを作ってくれたものですねぇ…いえ、寧ろ事故と言ったほうがいいやもしれませんが」
「事故?」
「えぇ、事故です。 連中だって、邪龍があんな事を出来るようになるだなんて、当初考えてもいなかった筈です。 生体科学は最早、手の付けられないところまで来ているのかもしれませんねぇ…。 人体実験というのが、そもそもの間違いだったんです。 連中にとっては人権も何もかも、全て大いなる発展の為には微小な犠牲なんですよぅ…己らの身以外はね。 …被験者をよりによってあの娘にした事が大きな間違いだったのです」
准尉は途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、ヘボンに語っているのかそれとも独り言なのかどっちつかずの言葉を繰り返していた。
ヘボンとしては、此方の質問に対して答えないつもりであるのなら、彼女をそっとしておこうと思っていたが、彼女の独り言は急に彼へ思い出したかの様に矛先が向いた。
「…軍曹。 『アウフレヒト卿』についてはぁ…知っていますか?」
不意に准尉の口から出た人名に、ヘボンはそう直ぐに見当がつかなかった。
ここ連日であまりに大勢の人物が彼へ名乗っていたが、それを一々記憶しておくほど彼の記憶力は精巧なものではなく、准尉にそう言われても下手をすれば彼女の名前すらヘボンは記憶できていないのかもしれない。だが、少し間を置くと、ヘボンの記憶の内で該当する物があった。
確か、数日前の艦隊戦にて、保身派のアルバレステア級の艦橋手前で、歪な生体防護服に身を包み、半ば人外に成り果てていた保身派の武闘派であった筈だ。ラーバ中佐と剣戟を繰り広げ、その果てにはヘボンを含めたミュラー曹長等に串刺しにされ、その命を落とした筈である。
その時の風景を回想すると、操縦桿を握るヘボンの両腕にあの柔らかく奇妙な温もりを持った感覚が蘇ってきそうになる。
さほど、覚えておきたいほど良い思い出ではなく、半ば忘れかけようとしていた事でもある。
「思い出したであります。 確かに卿の事は…艦隊戦の際に…」
「此方側もそれは存じてあります…軍曹、極めて重要な質問をしますがぁ…その際に、あぁ….正確に言えば卿に対して、貴方は手を下しましたかぁ?」
ぼんやりとしていた彼女の声音が急に明瞭になり、それに気付いたヘボンが咄嗟に銃座へ振り向くと、彼女はしっかりとヘボンを見据えていた。
「いえ、私は…確かに、あの時、曹長等と共に短剣を卿へ刺しましたが…」
「…その際に一緒に刺したのは? 誰と誰が共に刺したか覚えてらっしゃいますか?」
「…准尉殿、失礼ではありますが、私はその際は臨時に切り込み隊に編入されて身でありますから、誰が誰であるかはわからないであります。 それに、当時は状況が混乱しておりまして、大勢で刺したということしか…」
准尉の質問に対して、ヘボンはそう答えることしかできなかった。
曹長以外に知っている人物と言えば、ベルン軍曹にアルミラという名の男であったが、彼はゼイドラが不時着した際の衝撃で死亡した筈である。
他にヘボンと知っている人物も含め、あと3・4人程居た筈であったが、彼等についてヘボンの記憶にはない。
アルバレステア級に飛び移る前にシュトラヴァルカ級にて各自、ヘボン自身に丁寧に名乗っていたが、あの様な状況では名前と顔が一致出来ない人物の方が多かった。
「…申し訳ありません、准尉殿。 しかし、それが何か関係あるので?」
「大有りなんですよぅ…軍曹。 邪龍はきっと、彼等を執拗に…えぇ、勿論貴方も含めてその時の卿を殺した人物達を付け狙うでしょうねぇ…」
「それは、一体どういう意味でありますか?」
准尉はヘボンに対して哀れむような声音でそう言ったが、ヘボンにしてみれば全く事情がわからない。だが、ヘボンの追求に対して、准尉はそれ以上答えようとはせず、ただ
「詳しい話は落ち着いてからにしましょう。 今はとにかく六王湖に向かってください…そこで、一時体制を整えますからぁ…」
そう間延びした調子に、何処となく寂しそうにそう答えるのみであった。
六王湖は戦線後方の地名であり、現在は砂漠や荒野の間にある数少ないオアシスとして、帝国軍の重要な拠点な一つに数えられている。
その肥沃な資源によって長きに渡る大戦の前線を支える存在であり、前線から回されてくる損傷機の修復や改修、及び後方の帝都より回されてくる機体や人材物資等の集積地点にもなっている。
だが、軍だけではなくこの六王湖はオアシスという名の通りに、物品の流通も豊富であり、帝都程ではないが、それに負けず劣らずの商業都市の構図をここ数十年の内に形成しており、ヘボンも何度かラーヴァナ級の補給等に訪れた事があった。
荒れ果てた砂漠や荒野を見ていると、憂鬱な気持ちになってくるが、それを和ますように灰色の大地に少しだけ咲いた様なオアシスが操縦席より見えたとき、ヘボンは安堵感を覚えたが、同時にとある危機感も抱いた。
それは、保身派のアルバレステア級を脱走した時から、ヘボンは脱走兵として扱われているはずだが、みすみす軍の大規模な施設が立ち並ぶ地域に降り立って大丈夫なのかという極真っ当な危機感である。
だが、それを一蹴するかのように、六王湖に立ち並ぶ産業塔の一つへ機体が近づくと、管制塔からは何もこちらに対して、何か質問することはなく、すんなりと着陸許可が下ろされた。
通信機から聞こえてくる管制官の口調はどこまでもやる気がなく、気が抜けた物であり、何処となく軍事施設らしい規律立った調子が感じられなかった。
「准尉殿。 本当に着陸して問題ないのでありますか?」
「えぇ、問題ありませんとも。 少なくともこの産業塔は我々が管理している物ですし、軍の管轄からは外れていますからぁ…」
操縦席から問いかけたヘボンに対して、准尉は落ち着いたように銃座の椅子に大きな腰を深く下ろしながら答えてくる。
「軍の管轄外?」
「えぇ、正確に言えばぁ…耳目省が管理しています。 軍との系統とは違いますから、仮に私達がここの偵察機に補足されていようとも、そう簡単に手出しはできないということですねぇ」
何気なく准尉はそう答えたが、ヘボンには引っ掛かる単語が耳にこびり付く。
『耳目省』と彼女は今言ったが、その単語が一体何処で聞いたものであるか、またもやヘボンは記憶の内を探り始めた。ここ最近、脳内に飛び込んでくる単語や言葉はどれも聞き慣れぬ物ばかりで、内地の基地で階級試験を受けた際よりもヘボンは大量の講義を受講しているような気分である。
だが、そのおかげで先程より早く、『耳目省』という単語がある出来事に結びついた。
確か、ゼイドラが不時着した際にミュラー曹長が語った長話の内に出てきた単語であり、確か彼は耳目省もこの事柄に大きく関わっていると言っていた筈だが…
「准尉殿。 すると、貴女は耳目省と…」
「えぇ、辺境軍人の給料は安いんですよぅ。 保証も頼りないですしぃ…兼業でもしないとお家の家計が火の車な訳ですねぇ…」
「…スパイという事でありますか?」
「そんな、人聞きが悪いですねぇ。 ただ、ちょっと国家への貢献の仕方が少し違うだけですよぅ」
ヘボンの質問に対して、准尉は肩を竦めながら、どうって事の無いように返してくる。
「耳目省としては、ラーバ中佐等が命懸けで手に入れた情報は大事に扱っています。 全く以て驚かされる事ばかりな訳ですよ。 特に軍曹、貴方についても上層部は関心を示している訳ですねぇ…」
そう准尉が言いかけた時、ちょうど機体は着陸態勢に以降しなければならなかった為に一時、会話は中断した。
その耳目省が管理するという産業塔の上層に設けられた平べったい発着ポートへゆっくりと機体を下ろすと、塔の内部より数名が素早く飛び出してくるのが操縦席より確認できる。確かに彼らの格好は兵士らしい物ではなく、どちらかといえば民間の空港の整備員が着用しているような作業着に近かったが、それよりも遥かに私服じみている。
彼らは素早くコアテラの周りにたどり着くと、ヘボンと准尉が機体から降りてくるのとはすれ違いに、慣れた手つきで機体を大きな防水布で覆い出した。
どうやら傍目から機体を隠す為に偽装しているらしく、コアテラの生体器官が少し不満げな呻きを漏らしているのをヘボンは感じる。
折角、荒々しい砂漠と荒野にはない美しい景色のある六王湖に降り立ったというのに、すぐさま覆いを掛けられて目隠しされてしまうのでは、彼女も不満なのであろうと察すると少しヘボンは不憫に思えた。
だが、お互いの身の安全を考えればそれは致し方ないことであり、暫しの我慢であるとヘボンは心の内で彼女へ話しかけながら、准尉に先導されるがまま、産業塔の内にその姿を消した。
耳目省が管理するという施設ということだけあり、その内部は病的なまでの清潔さを感じさせる物であった。
産業塔の内部というものは細い通路が螺旋状にあって、その脇に各小部屋が設けられており、帝都出身のヘボンにとっては馴染み深いものであるが、ここはそれらとは次元が違うようである。
まず通路が綺麗にされており、正体の解らぬ廃棄袋が散乱していない。
ヘボンの故郷である民間の集団住居の用途も担っている産業塔と比べれば、その清潔さは天と地ほども違っている。
それに加え、時折通り過ぎる人物達も、ヘボンの故郷と比べれば随分と不気味に思える。
彼等は此方を目にすると丁寧に会釈を返すが、何処となくその内に刃を隠し持っているかのような凶暴さを何処となく感じさせる。
それも、今まで見てきた囚人兵達のような荒々しい物ではなく、どこまでも計算され尽くしたような人情の付け入る隙の無い様な冷たいものである。
彼等は私服を着込んではいるが、その背中や腰には常に火器を装備しており、兵士というよりは民兵の様な趣も感じられるが、それよりも遥かに洗練された古強者という雰囲気もあった。
だが、そんな彼らもヘボンの顔を直視した途端に、どこまでも冷たい凶暴さを氷解させるかのように、何故かぎこちない笑みを浮かべながら握手を求めてきた。
「…軍曹は、耳目省内でも高く評価されている…というよりは、一目置かれている存在ですからねぇ」
数回ほどぎこちない握手を通路で交わした後に、准尉はそう呆れるような調子でヘボンに話してきた。その言葉に対して間の抜けた表情をヘボンが向けると、彼女はまた少し肩を竦める。
「ヘルマン中尉も仰っていたとは思いますがァ、才のある者は自分の能力に気付かない物なんですかねぇ…」
「どういうことでありますか?」
「いえ、何せ邪龍に襲われて一度ならず二度までも生き残っていますからねぇ…。 保身派連中も貴方をある意味恐れているのやもしれません…。 下手をすれば帝国内で一番手の付けられない兵士かもしれませんね…貴方は」
准尉はそう言ったが、ヘボンにはその真意がわからず、気のない返事をすることしかできなかった。
そして、彼女と共に螺旋通路を登っていき、とある脇にあった小部屋へ通された。
部屋の奥には簡易式のベッドが部屋の隅に配置され、その対にあるかのように入口には小さな机と椅子が置かれているのみの質素な部屋であった。
「暫くここで待機していてくださいな。 時期に貴方に会いたいと仰っている方が来ますのでぇ…」
准尉はヘボンを半ば押し込むようにその巨体で彼を部屋に入れると、静かではあるが素早くドアを締めてしまった。
思わず締め出されたヘボンは咄嗟にドアノブに手を掛けたが、外より鍵が掛けられたか開きそうにない。
「准尉、これでは監禁と変わらないであります!」
そう不平を口にすると、ドアの小窓から准尉が顔を覗かせた。
その顔には今までどおり落ち着き払った色がある。
「いえ、誤解なさらないでくださいな、軍曹。 我々は貴方を守る必要があるので、こうしているのですよ。 何せ、貴方は邪龍に一度目を付けられていますからぁ、文字通りに。 その為、耳目省としては貴方をこうして保護しないといけない訳なんですねぇ…」
「保護で…ありますか?」
准尉はまるで聞き分けのない子供あやすかのような調子でそう言うと、少しドアへ背中を持たれながら、胸ポケットより煙草を取り出すとそれに火を点け、その場一体が紫煙に満たされるほどたっぷりと吐き出してから、ヘボンに煙草とマッチ箱をドアの小窓より渡してきた。
「まぁ、これでも吸って落ち着いてくださいなぁ…先程言った通り、事の事情を説明してあげますのでぇ…」
穏やかな准尉に促されるまま、ヘボンはその煙草を受け取ると口に咥え火を点けた。
葉を巻いてあるサヤ紙の模様で銘柄がわかるが、その煙草はさほど高級な物ではなく、ヘボンも内地の基地にて何度か見たことがあるごくごく安価な粗悪品であり、先程、彼女が言っていた通り安い給料に困っている節が伺えたが、煙草自体に罪はなく嗜好品に違いはなかった。
そして、ここ数日で当たり前の様に立て続けに起きた事が一段落したかのように、紫煙は脳と体内を回ってはヘボンを心地よく脱力させてくれた。
その様子を見てとったか、准尉はドア越しにゆっくりと口を開いた。
「…さっき私はアウフレヒト卿を覚えているかと聞きましたよねぇ? 事の問題はその卿自身にあるんですよぅ」
「…しかし、准尉。 卿は戦死した筈では?」
「えぇ、勿論。 生体式防護服を取り返しの付かないほど長時間に渡って着用し続け、最期にはラーバ中佐一派によって殺害された事は、勿論我々も把握していますよぅ…しかし、問題は卿が亡くなる前に遡るのです…」
そこで一旦言葉を切ると、准尉は煙草を咥えながら通路を見渡した。
誰か聞き耳を立てている者がいないかどうかと確認するよりは、体に染み付いた癖の様にもヘボンには見えた。そして、間を置いてから彼女は言葉を紡ぐ
「卿には親類が少なかったのです...いや、いないと言ってもいいですねぇ。 血の濃い方々は皆戦死しているのですよぅ。 元より武闘派ですし、親族は揃いも揃って軍人でしたからぁ、短命の方が多かったんですねぇ。 しかし、その中に一人だけしっかりと生き残って…いや、あれで生きているかどうかはわかりませんがぁ…卿には愛娘がいるんですよぅ…」
「愛娘…」
その単語を聞くと、あの肉塊に覆われた人物の素顔とは一体何であったのかヘボンの胸中に妙な影が過ぎった。
あのアルバレステア級の死闘ではただただ人外の化物のようにしか、卿の姿は記憶されていなかった。不意を突いて多勢で刺殺し、その後になって中佐が敬意を払うような言葉を言い放っていた記憶があるが、その言葉の内容は朧げで思い出せなかった。
「…名は『ディートリント・フォン・ネッゲン・アウフレヒト』…随分と長ったらしい名前で困りますがぁ、まぁ名誉ある貴族ですから仕方ありませんねぇ…。 年の頃は12歳そこらであると書いてありますがぁ、詳しい資料はさほど残っていないのですよぅ…どうやら、卿自身がこちらの手が行く前に破棄したようですねぇ」
「その、長ったらしい名前の娘さんが、今までの事とどう関係があるのでありますか?」
「話を終いまで聞いてくださいなぁ…軍曹。 まぁ、全く関係が無いように思えるのは無理ありませんがねぇ…」
ヘボンの質問に対して、准尉は敢えて勿体ぶるかのように話を切ってから、また深く紫煙を吐いて、少しの間黙っていた。
その仕草には何処か話すことに躊躇しているかのような節も見えたが、彼女は踏ん切りを付けたように吸いきった煙草を床に落として踏み消すと、覚悟を決めたように口を開いた。
「ディートリント・フォン…あぁ、長すぎるので『D』と呼びます。 Dについては耳目省も当初はノーマークだったんですよ、まぁ当たり前っちゃ当たり前なのですがぁ…しかし、邪龍の存在をラーバ中佐の報告が来る2ヶ月ほど前に薄らと掴み始めていた時期に、Dが突然、姿を消してしまったんですねぇ…。 一応保身派閥と予想を付けていた辺境貴族達にはそれぞれ、担当を付けていたんですがぁ、忽然と領地の屋敷より姿を消したそうでぇ、ついでに担当していた職員も何人か消されてしまいましてねぇ…。 それ以降、Dが失踪してから急にアウフレヒト卿の動きが活発になってきたんですよぅ…、自前の辺境艦隊を率いて率先的に、前線の兵や機体を強引に徴収したりぃ…あぁ、軍曹がラーバ中佐に拉致されたのと一緒です。 この事を鑑みて調査し、Dの失踪がアウフレヒト卿を保身派へ急接近させ、行動させているのだと言う証拠を抑えた耳目省は、保身派内へ職員を送り込みました…えぇ、勿論私もその中の一人でぇ…」
そこからは准尉の自慢話の様な物が始まりかけたが、彼女は自制心をしっかりと持っているようで、すぐにハッとしたように我に返れば、薄ら笑いを浮かべながら強引に話を元に戻してきた。
「…まぁ、大方Dを人質にでも取られているのだと、耳目省は判断しましてぇ、一時はDの奪還作戦も考案していた程です。 その作戦が成功すれば、今度は救出したDをダシにアウフレヒト卿をこちらへ引き入れる事が可能であると判断したんですねぇ…。 彼は人望も高ければ、人脈も広いですしぃ…兎に角優良な人材だった訳ですよぅ。 ラーバ中佐にも引けはとりませんでしたしぃ、こちらとしては両方抑えておきたかったんですねぇ」
「傍から聞く分には、保身派も皇帝派もどっちもえげつない様に思えるでありますな」
「それが政治って物ですよぅ…軍曹。 しかし、奪還作戦は発動しませんでした。 いえ、発動出来なかったと言うのが正しいですねぇ…わざわざ精鋭の武装構成員を束ねて、こうして敵の目と鼻の先に集結させたと言うのにですよぅ?」
准尉はそう言うと、意味ありげな視線を子窓越しにヘボンに向けてきた。
その言葉と仕草にヘボンは幾らか勘付いてきた。
この産業塔は耳目省の管轄ということだが、あの民兵の様な武装職員達は今、准尉が言った作戦の為に駆り出された連中であると言うことである。
確かにそう思えば、あまりに物騒な連中ばかりしかいないということにも頷ける。
秘密裏を旨とするような連中が、こうも荒々しくやっている訳もないだろうし、それ相応の訳があったのである。
「何故、作戦を発動出来なかったのでありますか?」
「あぁ、それを今から説明するところでぇ…少しは黙って聞いていてくださいよぅ。 私、話の横槍を入れられるの嫌いなんですからぁ…」
「しっ…失礼しましたであります」
ふと好奇心に駆られて、ヘボンが問いかけると准尉は恨めしいような視線を返してくるので、彼はその口を噤んだ。
何せ、怒らせた拍子に鉛玉をぶち込まれては堪らない。
彼女は落ち着いているし、その様な事は有り得ないと思うが、ヘボンの脳裏に彼女を怒らせた結果、蜂の巣にされてしまったニエン少佐の姿が浮かんだのである。
「いいんです。 謝った人には私は寛大ですのでぇ…。 まぁ兎に角、作戦が発動出来なかった理由ですね。 耳目省はそれなりに調査部隊を作って、この六王湖で保身派が使用している造船所や研究施設、及び集積場にも探りを入れました。 その結果、Dの所在を明らかに出来た訳ですがぁ…所在がわかった途端に作戦は頓挫してしまったんです…何処にDが居たか、わかりますかぁ軍曹?」
准尉はそう言ってから、意味有りげな視線をヘボンへ向けた。
その問いについてヘボンが知る由もないが、今さっき胸中を過ぎった影のように、その影がヘボンの口先から飛び出るように言葉は吐き出されていた。
「…邪龍の中…でありますか?」
ヘボンの答えに准尉は満足気な笑みを浮かべ、少しだけ力なく頷いたのであった。