Angels Cry log.2

#2 『No Bullets Fly』


日はほぼ西の地平に沈みつつあった。

なだらかな丘陵地帯の上空500m程を、1隻の軽巡洋艦がゆっくりと航行している。
翻るべき軍艦旗の類は一切無く、甲板には人の姿も見えない。

その船室――本来将校たちのブリーフィングに使われるのであろう長机が中央を占拠する部屋に傭兵達はいた。
窓によって切り取られた黄昏の空を眺めながら、リシェクは煙草を咥えていた
脳裏によぎるのは故郷南パンノニアの片田舎の風景である。
成人してからというもの、そこでの思い出に取るべき所はひとつも無い。
だがこの2日間の浮世離れした体験を後にしては、自らのルーツであるあの土地に思慕の情を抱かずにはいられなかった。

扉が開き、黒髪の女が部屋に入った。
先程まで自身の血と脳漿で汚れていたはずのコートはすっかり綺麗になっている。

「待たせてすまない。飼ってるクルカが腹を下したんだ・・・・。」

全く以ってどうでもいい情報を口にしながら、図嚢を長机の上に置いた。

「・・・念のためもう一度聞くが、昨日『灰の海』3-4地区から戻ったのはこの6人で間違いないな?」

一応、この分隊の長である伍長に目を向ける。

「はい。間違いありません。」

ダレルが答えた。

「了・・・解だ。」

図嚢から書類を数枚取り出しながら女は呟いた。
そしてふと気づいたように顔を上げた。

「まだ名乗ってなかったな。私はエルヴィラ・ユーゲン・・・建前上階級は大尉だ。」

そして傭兵達をしっかりと見据え、僅かに笑みを湛えて言った。

「ようこそ耳目省へ。」

 

7時間前。
ユーゲンは腕の中のクルカが震えを止めたのを確認すると、静かにそいつを床に下ろした。
そして足元にある、先ほど余計に頭を撃った死体を一瞥する。
その肩章を見てわずかに顔をしかめた。

「・・・あー諸君。予定外の事態だ。」

後ろで呆然としている3人に振り向いて言った。

一体何が「予定外」であるのか、傭兵達は理解できなかった。
つい2分前に脳味噌を半分吹き飛ばされた女が、自分達にこうして話している。
しかも、その痕跡を彼女の頭に見つけることはできない。

動こうとしない3人にユーゲンは畳み掛けるように言った。

「迎えの艦が2時間後にこの駐屯地に着くはずだったが、もうここにはいられん。逃げるぞ。」

「・・・逃げるったって、どうやって・・・。」

ただただ困惑するカイにユーゲンは言った。

「お前達の戦闘艇、足だけは速いそうじゃないか。」

 

武器庫からそれぞれの小銃と弾薬を持ち出し、傭兵達と将校は例のハンガーへ向かった。
奇跡的に、それ以上の襲撃を受けることなく、彼らは戦闘艇に乗り込むことができた。
到着したとき、既に他の3人ーーレフラと女性操縦士カルラ伍長、狙撃兵のマイヤー二等兵はハンガーにいた。

「どういう風の吹き回しだよ、姉御?」

左舷防護機銃に弾を込めながらカイがカルラに尋ねた。

「・・・あんたらの隊舎の方から銃声がした後すぐ出撃命令が出たんだよ!」

カルラは循環器制御盤を殴りつけながら答えた。
リシェクは唸りながら上部旋回機銃の棹桿を引いている。

「離陸したら北西へ飛べ。うまくやれば追撃される前に軽巡に会えるかもしれん。」

ユーゲンは頭上のリシェクがポケットから落とした煙草を拾い一本抜き取ると、残りを自分の懐に入れながら言った。

「あんた一体何者なんです・・・」

ダレルがユーゲンに尋ねようとしたとき、戦闘艇の脇にあった弾薬箱が爆発した。

「来たぞ。お客さんだ。」

こともなげに煙を吐き出しながらユーゲンが呟いた。

「姉御!早くしねぇと俺達この化けモンと一緒にお陀仏だ!」

カイが叫んだ。

「分かってるよ!・・・この怠け者が!」

怒鳴りながら循環器と生体機関を繋ぐ動脈にカルラは蹴りを入れた。
途端に両翼の生体機関が唸りを上げ、機体は浮上した。

「・・・あぁ畜生。カイ!撃ちまくれ!」

ハンガーに重装備の兵士の一団が突入してきたのを確認すると、ダレルは怒鳴った。
自身も小銃を通用口から射撃する。
カイの重機関銃が、ほぼそれぞれが繋がったような連続した発砲音をあげると、襲撃者達は一斉に遮蔽物に隠れた。
生体機関はまだ推進の方向に力を切り替えられない。
カイの銃撃の間隙をついて、敵は応射をはじめた。

粗悪品とはいえ、硬化鋼の装甲は敵弾を幾らか弾き返してくれる。
それでも継ぎ目や隙間に当たれば意味が無い。狙撃兵マイヤーの尻に徹鋼弾の破片が突き刺さった。
情けない悲鳴が機内に響く。
だが悲鳴から元気をもらったかのように、生体機関は出力を上げ、機体を推進させ始めた。


カルラはそのまま最高出力で機体を上昇させた。
そのまま駐屯地の外へ出る。
高度200m程を全速で飛び続ける戦闘艇の中で、レフラは先ほど負傷したマイヤーの尻を診ていた。
屈強な体格の狙撃兵は、泣きながら布を噛んでいる。

「大丈夫。ただの掠り傷だよ。・・・多分。」

語尾に無責任な単語を付け加えてレフラは診断を下した。
上から様子を見ていたリシェクが彼女を嗜める。

「適当なことを言うのはよく無ぇぞ。尻の神経はアレと繋がって・・・」

「9時方向!敵影!」

ダレルが叫んだ。
リシェクは真逆を向いていた旋回機銃の向きを渾身の力で変える。

「・・・ベアリングが効いてないようだな。後で直しとくよう言っておく。」

その様をみたユーゲンが言った。

グランビアの2機編隊が左舷上方から高速で接近していた。

「糞、マズい。カイ、リシェク!榴弾砲の照準を合わせさせるな!」

肉眼で敵影を捉えたカルラが2人に叫んだ。
2丁の重機関銃がほぼ同時に唸りをあげる。
カイは光像式照準器のレティクルには目もくれず、曳光弾の軌跡だけを見て射撃していた。
今よりも金欠なアーキル陸軍時代には、機関銃にマトモに機能する照準器など付いていなかった。その名残である。
対してリシェクはこの部隊に来るまで機関銃など撃ったことはなかった。
ただ天性の空中射撃力を買われ機銃手を任されているが、彼にはまだ照準器の光像が全てである。

一発の13mm焼夷弾が、今まさに榴弾砲による一撃離脱を加えようとしていた一機のグランビアの風防を掠った。
反射的に操縦士は操縦桿を右に捻ったが、その際榴弾砲の引鉄を引いてしまった。
砲弾は戦闘艇の生体機関と尾翼の間を抜けていった。

「ウヒャア!」

うつ伏せで泣いていたマイヤーがこれまた情けない悲鳴をあげた。

「レフラ!その間抜けを黙らせろ!」

カルラが苛立たしげに怒鳴った。

2機目のグランビアはインメルマンターンによって反転し、戦闘艇の正面から砲撃を加えようとした。

カルラは冷静に機首を敵機の予測進路上に向け、舵輪に後付けされた引鉄を引いた。
戦闘艇の胴体に吊り下げられた噴進弾が続けて2発放たれた。

グランビアの操縦士は相対速度の割には低速で接近する、人二人分ほどの大きさの飛翔体を見て、アレには自分は当たらないと判断した。
僅かに操縦桿を引き、噴進弾が自機の下を通過するよう調節した。
そのまま照準を戦闘艇の操舵席に合わせ、射撃しようとした。
回避したと判断した噴進弾の内一発が、急激に方向を変え、自分の愛機の腹に当たるとは思ってもいなかった。

仕留めた敵機の爆煙の中に、戦闘艇は突っ込んだ。
風防に、生体機関のものなのか操縦士の物なのかは分からないが、肉片が大量に付着する。

後方から残りの一機が戦闘艇に向け機銃弾を放った。
一発が、射撃していたリシェクの重機関銃を支える銃架を粉砕した。
彼は機銃と共に機内に転げ落ちる。

「・・・あの野郎殺してやる!」

背中を強かに打撲したリシェクは苦々しげに言った。

「落ち着け。仇は返してやる。」

ユーゲンは彼を起こし静かにそう言うと、床にあったカイの小銃を拾いあげ、銃座に上った。

「・・・あんた!戻れ!そんなモンじゃあいつは・・・」

ダレルの制止をよそにユーゲンは単発で2発射撃した。
途端に後方に張り付いていたグランビアは射撃をやめ、力なく機首を下に向けた。
そのまま高度を下げ続け、田園に墜落した。
後方で上がる黒煙を眺めながらユーゲンは満足そうに目を細めた。

「最初からあんたに任せれば良かったな・・・。」

リシェクは一服しようとしてポケットに手を伸ばし、煙草がないことに気が付いた。

快晴の空の元、戦闘艇は進み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

最終更新:2017年02月08日 05:39