#6 『Forbidden』
レフラは夢の中に、再びあの老紳士の姿を見た。
相変わらず周りは建物の塊で埋め尽くされている。
ただ前回とは違い、雪時雨のようなものが降っているのを確認できた。
その源を探り視線をを上げるが、当然のように空は見えない。
老紳士はこちらには気づいていない様子である。
大きな花の束を抱え、人の背丈ほどの石像のような構造物の前に佇んでいる。
レフラは確かにその花を知っていた。
故郷であるネネツ西部にも咲く、広い花弁をもった赤い花である。
極寒の山脈を覆う雪の下であろうと育つ為、故郷では縁起物として好まれていた。
やがて老紳士は花束を像の足元に置いた。
石像が女神をあしらった物である事に、この時初めて気づいた。
その体は鎖帷子のような軽装の鎧で覆われている。
戦女神であるのか、その手には小銃のような形をした何かが握られている。
そして横顔は、紛れもなくレフラの母親のものであった。
彼女はレフラが13の時、駆逐艦の乗組員として出征した。
その後は消息をつかめない。
老紳士はやがてその目に涙を浮かべ始めた。
そして懐から小さな拳銃を取り出すのが見えた。
止めなければ全てが終わる。
レフラの自我はそう彼女に警告した。
「待っ・・・!!」
目を開くと、天井の配管とカルラの顔が見えた。
寝台の脇から、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「あんたエラくうなされてたよ。妙な夢でも見たの?」
カルラは言った。時計を見るとまだ0400を回った辺りである。
「・・・分からない。昨日いっぱい死体を見たからかもしれない。」
レフラは力なく答えた。
同時刻。向かいの4人部屋。
「申し訳ありません!失念いたしましたぁっ!!」
マイヤーは飛び起きた。
そして隣の寝台で眠っているリシェクを揺さぶった。
「なぁ、どうしよう!『誇り高きニヂリスカ軍人の心得』を忘れた!イェン軍曹に反省させられる!」
そう涙目で訴えた。
「・・・落ち着いてよく考えろ。今のお前に腕立てをさせるような上官はいるか?あぁ?」
リシェクは熟睡を邪魔された怒りを、理性でなんとか押し留めながらマイヤーに囁いた。
「・・・それもそうだね。寝るよ。」
彼は急激にその態度を変えると寝台へ戻っていった。
リシェクは自分も再び、苦しみの無い眠りの世界へ赴こうとした。
しかし、一度覚醒してしまった意識は中々揺らごうとしない。
仕方なしに気分転換として便所へ行こうと思い立った。
居室の扉を開け廊下へ出る。
異様に便所が遠いことを思い出し、再び部屋へ戻ろうとした時、廊下の奥に佇む黒い人影を見た。
『灰の海』にいた化け物を連想し、一瞬動揺する。
「アーレン・ハル・リシェク上等兵。夜更かしはよろしくないぞ。」
その人影の方からおどける様な声が聞こえ、それがユーゲンであることを認識させた。
「・・・俺はただあの間抜けに起こされただけですよ。あんたこそここで何を?」
声の主が彼女であることに対し安堵感を覚えた自分は、もはや通常の価値観を持ち合わせていないのだなとリシェクは実感した。
「船の声を聞いていた。機関の脳に近いここは良く聞こえるからな。」
生体機関との関わりが薄いリシェクは、彼女の言わんとする事を感覚的に理解できなかった。
「・・・このフレイア級が?何と言ってる?」
「3日あたり前から、何かを警告するような妙な声を聞かせる。今までは無かったんだがな。」
「・・・何も起こらんことを心から祈っております大尉殿。おやすみ。」
「寝るのか?よかろう。ゆっくり休め。」
リシェクはゆっくりと居室へと戻っていった。
翌日の午後、ガスタヴォ博士の部屋の前の廊下は、深刻そうな顔をした耳目省職員達でごった返していた。
そのうち一人、部屋の傍にいた一人が何度も扉のハンドルを回すが、扉は開こうとも動こうともしない。
「何事だ?爺さんを余りいじめるな。」
人ごみの後ろからユーゲンが歩いてきた。
職員達は扉までの道を開ける。
「がっちり施錠されてます。これは薄いが一応耐圧扉です。簡単にはいかない・・・。」
一人の男性職員がユーゲンに報告した。
「この部屋には開く窓も大きな配管もない。逃げ出したわけじゃあるまい。」
ユーゲンが言った。
「・・・自殺とか?ほぼ丸1日姿を見てない・・・。」
一人の女性職員が呟いた。
「どうして鍵付きの部屋に入れたんですか?こうなることは幾らでも考えられた・・・。」
先程ハンドルを回していた職員がユーゲンに言った。
「奴に情報を引き出させるにはまず信頼を得る必要があった。公正な待遇は不可欠だ。」
ユーゲンが答えた。
いきなり扉が内側から開き、暗い部屋から博士が顔を出した。
目は血走り、白い髪は激しく乱れている。
昨日の飄々とした様子とは打って変わって、さながら鬼のような印象である。
博士はユーゲンを見据えて言った。
『・・・まずは貴方だけに話す。他は帰らせてくれるかね。』
ユーゲンは職員たちに解散するよう合図すると、部屋へ入り内側から施錠した。
部屋の中には旧文明語や連邦語を書き散らされた情報用紙が散乱していた。
寝台の上では疲れ果てたのであろうクルカがぐっすりと眠っていた。
博士はその上にもあった書類を払いのけ、寝台に座るようユーゲンに促した。
そして自分は作業机の椅子にどっしりと腰掛けた。
『何から話せばいいか・・・。まず、これらを記したのは旧文明時代の生物学者だ。それも相当イカレた、な。』
机の上の記録媒体を指差して言った。
他人の事を言えたものかというような風貌でそう話すガスタヴォ博士に対し、ユーゲンは笑いを堪えた。
『奴の名前はシメオン・ジャン・ヴィラル・・・名前からして妙な雰囲気を感じたんだ。滅亡の前夜、記憶階層の構築に参加した人物の一人だよ。』
『・・・失礼、博士。記憶階層とは?』
ユーゲンが尋ねた。
博士は苛立たしげに頭を搔いた。
『・・・あぁ、そうだった。君達は旧兵器や遺跡、発掘品、これら一つひとつ全てが何かで結ばれているのは知っているかね?』
『原生生物やスカイバードの研究から、その可能性はこちらでも示唆されていた。』
ユーゲンが答えた。
『そうだ。それに近い。とにかくそれらは、一つの電子網のようなもので繋がっていたらしい。例え所属する勢力は違ってもな。旧文明語でそれはパウークと呼ばれる。』
ここまではまだ、ある程度の知識人であれば想定できたような話だった。
『滅びの調べが始まる頃、旧人たちはその電子網を人類の生存に生かせないかと考えた。ここまではまだ正常な思考だ。つまり、数学的情報として人々の人格を保存し、その電子網に移すというわけだ。』
博士は机からチヨコを出し、ぼりぼりと喰い始めた。
『しかし、無機質な電子世界では人格はすぐに壊れてしまうことが分かった。耐えられなかったんだ。学者達はパウークに改良が必要であることを認識した。』
博士は引き出しからもうひとつチヨコを取り出し、ユーゲンに寄越した。
『そこで彼らはパウークを元として、建造物や乗り物等、当時あらゆるものに搭載されていた補助脳を使い、それら全てを基底とする一つの仮想世界を生み出した。』
ユーゲンは傍らで眠っている、ラギと名づけられたクルカを膝の上に乗せた。
『現実に存在するものが支えあい、その空間を構築するわけだ。自然摂理や物理法則、生理現象など全ての事象がその中では再現可能だった。これが記憶階層だ。人類はもう一つの生存領域を手に入れたかと思われた。』
『・・・思われた?』
膝の上のクルカが、寝言であろうかピィピィと小さく声を漏らしているのに対し微笑みながら、ユーゲンは尋ねた。
『そうだ。彼らがもう一つの世界の創出に躍起になっている間、水面下では既に最終紛争は始まっていた。とはいっても、記録に明確な国名は記されていなくてな、まぁ世界規模の争いだったということだろう。』
ユーゲンはチヨコの包みを開け、一欠片かじりとった。
『ある南半球の勢力は、完成されつつある記憶階層に目をつけた。というのも、階層に接続した人間が、基底となっている機械たちを操ることができるのではないかと考えたからだ。』
ユーゲンはチヨコと膝のラギを交互に見て、何かを考えたようであるが、やがて博士の言葉に再び耳を傾け始めた。
『それにはもちろん、現在我々が旧兵器と呼ぶ当時最先端の軍事兵器も含まれていた。学者達は危機感を募らせた。そんなことを許せば滅びが加速するだけだからな。結局、兵器関連の脳には階層からのアクセスはできないように設定することで事なきを得ようとした。』
ユーゲンは手で、煙草を吸ってもよいかと合図した。博士は頷いて答えた。
『その段階でこの狂人――シメオンはイカレ具合を発揮した。他の学者達の目を盗み、自分だけが兵器群を操ることができるよう設定を変えようとしたんだ。』
チヨコの礼か、ユーゲンは博士に煙草を勧めた。博士は左手を振って拒んだ。
『奴は自分の遺伝基構造を鍵として、記憶階層から旧兵器に命令を与えられるようにしようと試みた。記録によると、彼は世界を再生する為と信じてこの暴挙に出たらしい。まったく理解できんがね。』
博士は苛立たしげに言った。
『結局奴は同僚達に感づかれ、射殺された。この時代の人間は思い切りが良い。実に清清しいな。』
『・・・発掘された化け物は奴ではないと?』
ユーゲンは尋ねた。
『いや、奴で間違いない。彼は死ぬ間際、記憶階層にその意識を転送したんだ。それから義体に自我を移し、再び研究所へ赴いた。
その日がいわゆるX-Day・・・滅亡だ。予想よりも早く到来した滅びから身を守るため、奴はやむなく生命維持装置に逃げ込んだ。』
博士はここでゆっくりと深呼吸をした。
『それが記録の全てか?』
ユーゲンが煙を吐き出しながら言った。
『・・・・あぁー、かなり端折っているが、概ね・・・』
そのまま博士は机に突っ伏し、意識を失った。
ユーゲンの膝にいたラギが目を覚ました。そして彼女を見上げ、ピャウと鳴いた。
朝食を摂りたいらしい。
仕方なくユーゲンは喰いかけのチヨコを一欠片掌に載せ、ラギの口元にやった。
船窓によって切り取られた黄昏の空に、少量の吐瀉物が付着した。