#7 『Vengeance』
太陽光が、滲み出すように東の空を赤紫色に彩り始めた。
5年前に見た、ワリウネクル海軍の蒼い戦闘服が血で汚されていく様が脳裏に浮かび、ダレルは顔をしかめた。
傍らではリシェクとカイが煙草をふかしている。
飛行甲板の縁、粗末な手すりの傍に3人はいた。
「・・・どうしたよおっさん。酷い顔だぞ。」
煙を吐き出しながらリシェクがダレルに言った。
「酷いのは元からじゃないか?」
脇からカイが茶化した。
生体機関を休める為か、昨夜から巡航速度の3割以下でフレイア級は航行していた。
その為強風に煩わされることもなく、甲板で喫煙できるというわけである。
あの日も、このように2人の同僚と朝日を眺めていたことを覚えている。
彼らはその夕刻、味方の駆逐艦の砲撃により乗っていた揚陸艦と共にマルダル沖の底に消えた。
砲弾の破片を胸に受け、こちらに何かを訴えるような目をして死んでいった伍長。
その最後を知ることもできず、ただ機関室の浸水に飲まれ消えていった一等兵。
全て艦隊司令官であった自分の父の裁量によるものなのである。
フォウ王国軍の空挺部隊に船を占拠されたのは正午のことであった。
揚陸艦は、先日海底から発掘することに成功した大型の浮遊機関を運んでいた。
息子を含む船員の命と積荷の機密性。ダレルの父はこの二つを天秤に掛け、後者を選んだ。
運良く生き延びたダレルは、その後苦しみに満ちた紆余曲折を辿り今の立場に導かれた。
赤みを増していく空を睨みながら、彼は大きく咳払いをした。
煙草を踏み消し艦内に戻る、二人の傭兵の後ろを歩いていった。
昼食後、6人は先日の会議室に呼び出された。
「・・・つまり、『学者』は旧人だったということですか?」
レフラは、書類を図嚢に戻しているユーゲンに尋ねた。
「そういうことだ。正確には『イカレた旧人の人格を持った人形』だ。今はな。」
ユーゲンは答えた。大量の書類はかさばり、中々図嚢に入りきらない。
「奴がまたその・・・・記憶なんたらに接続したら、世界はまた滅んでしまうんじゃ・・・。」
マイヤーが呟いた。
「接続できるのなら、とっくにノスギアの向こうから化け物共が押し寄せて来てないとおかしい。」
ユーゲンは図嚢に入りきらなかった書類を、一旦机の上で整えた。
「義体に入った時点で、奴は鍵である自分の遺伝基情報を失っているんだろう。別の体だから当然だな。『策士策に溺れる』とはよく言ったものだ。」
そしてようやく図嚢の蓋を閉めるのに成功した。
「・・・今の話じゃ、『旧兵器を操ってまでそいつが具体的に何をしたかったのか』ってのは分からないままじゃないですか?」
カイが目をこすりながら言った。
「残念ながらその通りだ。それに、奴は必死に遺伝基を取り戻そうとするだろう。面倒な事態に変わりは無い。」
突如船室の扉が開いた。
「ユーゲンさん。通信です。見えてきましたよ。」
一人の女性職員がユーゲンに伝え、彼女は頷いた。
「・・・まぁそういうことだ。下船の準備をしておけ。もうすぐ着くぞ。」
ユーゲンは職員と共に船室を後にした。
居室の船窓からはリューリエ・ラントの町並が見える。
戦線付近であるにも関わらず、街には活気があった。
家々は赤煉瓦の屋根を輝かせながら立ち並んでおり、工廠らしき建物の煙突からは黒煙が絶えることなく上がっていた。
一際目を引くのは、至る所に墓石のようにそびえる巨大な艦船用繋留塔である。
その中の一つ、街の東部、郊外の駐屯地にある其れにフレイア級は留まっていた。
いくら改修された艦といえども、長期間の無補給航行はできない。
船員の静養及び機関の整備の為訪れたわけである。
軽巡の甲板に出ると、傭兵達はユーゲンと数人の職員に続いて、塔と艦を繋ぐ跳ね橋を渡った。
幅3m程の長い金属板に錆付いた手すりがあるだけの簡素なつくりである。
いくら裏に鉄筋があるといえど、橋は彼らが一歩を踏み出すたびに僅かに撓んだ。
繋留塔内の中央部は吹き抜けになっており、そこに昇降機があった。
資材の積み込みも考慮されているのか、30人は載るであろう巨大な底板を持っていた。
彼らが乗ると、ユーゲンの傍にいた一人の職員がその操作盤を弄った。
昇降機は不快な摩擦音を立てながら、地上へと降りていく。
周りに見える剥き出しの鉄骨を見回しながら、カイが呟いた。
「・・・堂々と入ってるけど、俺達殺されないのかな。」
昇降機の手すりにもたれ掛かりながらユーゲンが答えた、
「この街は辺境諸侯共の領地じゃない。一応皇室の統治下にある。言うなれば帝都の飛び地だな。豚共があまり入ってこない分、我々の拠点としても都合が良い。」
昇降機は塔一階で止まった。出口へと歩きながらユーゲンが続ける。
「それに、お前達の名前はもう軍の人事名簿には無い。死んだことになってるはずだ。顔見知り――バルテルスの連中にでも会わない限り、いきなり撃たれはしないだろう。」
カイは安堵のため息をついた。
繋留塔を出ると、ユーゲンたちは一人の将校風の男に出迎えられた。
大柄であり、傭兵達の中で最も大きいマイヤーよりも背は高い。
しかし顔は退役間近の下士官のような哀愁を湛えており、頭髪と呼べるものは1本も無かった。
男はユーゲンの姿を認めると、眼鏡の奥の目に優しい色を浮かべた。
「・・・エルヴィラ、よく来たな。生きていて何よりだ。」
ユーゲンは彼の目も見ずに答えた。
「そう簡単に死ぬ訳無かろう・・・。4日ほど滞在する。船は頼むぞ。」
男は頷いた。そしてユーゲンの背後にいる傭兵達を見た。
「彼らは?新しい職員か?」
「・・・護衛だ。貴様らにはやらんぞ。」
男は笑みを浮かべながら分かっている、当然だと答えた。
「・・・お前達の宿は南の隊舎にとってある。落ち着いたら街でもみてくるといい。」
ユーゲンは傭兵達に振り向きそう言うと、男と共に歩いていった。
部屋の壁にもたれるようにして座りながら、リシェクは自分の小銃を分解して磨いていた。
カイも同様に、短機関銃を整備している。
「随分と都合のいい話じゃないか?・・・俺達はつい先週、味方とドンパチやったんだぞ。」
遊底部にこびりついた煤をブラシで落としながらリシェクが言った。
「・・・来て2年になるが、未だにこの国はよくわからん。」
窓際に座り、缶入りの糧食を匙で食べながらダレルが呟いた。
中身は豆と人造肉をスープとして煮込んだものであった。
カイは引鉄室部に油を挿し終えると、再び銃を組み直しはじめた。
マイヤーは寝台に寝転びながら、何らかの書籍を読んでいる。
戦闘服は辺りに脱ぎ散らかし、下着とシャツだけという格好である。
ページを何枚かめくるごとに、不快な笑い声を立てていた。
書籍が真面目な内容でないことは明らかであった。
いきなり部屋の扉が開いた。
入り口には一人の女性職員の姿が見える。先程軽巡の会議室でみた職員であった。
「・・・ブロンコ大佐があんた達を呼んでるわよ。隣の隊舎の3階にいる。」
職員は言った。マイヤーは慌てて寝台の陰に隠れながらカーゴパンツを穿き始めた。
「誰だって?大佐?」
カイが尋ねた。
「ほら、ユーゲンさんと話してた背の高い人よ。」
「あぁ、あのハゲか。」
リシェクが呟く。
「その大佐が我々に何の御用で?」
ダレルは糧食の缶をを屑箱に片付けながら言った。
「さぁ、詳しくは聞いてない。すぐに済むって言ってたわ。」
職員はそれだけ言うと立ち去っていった。
「ノックくらいしてくれたらいいのに・・・」
戦闘服を着終えるとマイヤーは呟いた。
部屋に入ると、事務机に向かう大佐の姿が見えた。
「あぁ良く来てくれたね。まずは掛けてくれ。」
そう言って奥にある向かい合わせのソファを指差した。
傭兵達が腰掛けたのを確認すると、大佐は立ち上がり机の上から書類を数枚手に取った。
「時間をとらせて済まないね。街を見に行くつもりだったんだろう?」
そう言いながら、彼は書類と傭兵達を見比べた。
「私はアンリ・ブロンコ・・・一応大佐みたいなものだ。今日呼び出したのは、君達に幾つか聞きたいことがあったからだ。」
そして手に持った書類でパタパタと顔をあおいだ。
「君達を耳目省に招き入れるに当たって、ある程度の身上調査を行いたい。エルヴィラはそんな事はいいと言ってたが・・・。というのも、君達の来歴に幾つか疑問に思う点があったからだ。」
そういうと彼は書類をめくった。
「普通は一人づつやるべきなんだろうが、あいにく忙しくてね。・・・まず、カルラ・エル・ツァスタバ伍長。君は元々帝都の防空軍の少尉だったそうだね。君ほどの操縦技術を持っていながら、どうして2年前の『稲妻部隊』選抜に落とされたんだ?どう考えてもおかしい。」
「・・・私と同等の技術を持った女性操縦士が競合相手としていました。彼女は審査官である一人の少佐と恋仲にありました。最終選抜まで残ったのは私と彼女だけでした。これが全てです。」
カルラは眉一つ動かさず、淀みなく答えた。
「・・・了解した。ありがとう。酷い話だな。次は・・・カイ・ハンセン上等兵。読みはこれで合ってるかな?」
「はい。その通りです。」
「分かった。・・・君がアーキル陸軍第3砲兵連隊を脱走した具体的な理由が知りたい。そこで何があった?」
カイは一旦面食らったように押し黙ったが、やがて少しづつ語り始めた。
「・・・自分の父は帝国人でした。その事で俺は部隊から浮いていました。雰囲気で悟られたんだと思います。」
ブロンコは画板に束ねられた書類に、カイの言葉を記していく。
「ある日、一人の帝国兵――斥候が我々の捕虜になりました。小柄な女でした。同僚達は寄って集って彼女をなぶり殺しにしました。銃床や円匙で殴りつけたんです。死ぬ間際、彼女は俺の目を見て帝国語で助けを求めました。彼女の言葉の意味が分かったのは中隊で自分だけだったようです。」
ブロンコは筆記をやめ、黙って彼の話に聞き入った。
「それからというもの、俺の夢には彼女が毎晩現れました。あの苦痛に満ちた目で俺を見てくるんです。気が変になりそうでした。何日か経って、俺は夜中に宿営地を抜け出しました。以来、彼女の夢は見ていません。多分、正しかったんだと思います。」
「・・・そうか。辛かっただろうね。心的外傷は私も経験がある。気持ちはよく分かるよ・・・。」
慎んだ声で言いながら、ブロンコはまた書類をめくった。
「カイ、ありがとう。次は・・・アーレン・ハル・リシェク上等兵。君は南パ軍情報部の基礎情報課程を首席で修了しているようだね。」
「はい。」
「それなのに、結局は懲罰部隊さながらの末端小隊をたらい回しにされた挙句、不名誉除隊ときてる。いきさつを簡単に教えてくれるかい?」
「情報本部の連中は俺の言動がお気に召さなかったようで。また、母は昔自由パンノニアの諜報員でした。この二つが大きな要因でしょう。」
まるで慣れた文句を暗唱するかのようにリシェクは答えた。
「・・・皆苦労しているな。ありがとう。」
ブロンコはペンを腕章に入れ、画板から書類を外した。
そして書類を何枚もめくり、ざっと目を通した。
「他には・・・赤線の矛盾点は無いな。よし、終わりだ。手間を取らせて悪かったね。リューリエ・ラントの街を楽しんでくるといい。」
傭兵達はソファから立ち、続々と部屋を出ていった。
ただ一人、ダレルだけが入り口に立ったまま、ブロンコに体を向けていた。
「・・・察しが良くて助かるな。呼び止める手間が省けた。」
ブロンコはダレルの方を見て呟いた。
「貴方の言うことが本当なら、私の経歴は赤線だらけのはずです。」
ダレルは無表情に言った。
「・・・その通りだ。だからこそ、君に頼みたいことがあってね。」
尚も感情の無い目でブロンコを見据える。
「エルヴィラを・・・守ってやってほしい。私にとっては娘のようなものなんだ。」
「・・・何故、それを私だけに直接?」
ブロンコはダレルに手元の書類を見せた。至る所に赤線による注記があった。
「確かに君の来歴には不審な点が沢山ある。だからこそ、君が6人の中で最も信頼の置ける人物だと私は判断した。」
「・・・仰っている意味を分かりかねます。」
「我々のような組織には、矛盾や理不尽な事象が少なからず存在する。あの子もいずれ、壁に直面するだろう。・・・その時には君のような、世界の惨たらしさを理解した人物の存在は最良の助けとなる。」
聞きながらダレルは、自分に砲弾を放った父の顔を思い浮かべていた。
頭の中で、目の前にいる大佐とそれと見比べる。
しばしの間沈黙し、やがて固い意思の篭った声で答えた。
「了解いたしました。仰せの通りに、最善を尽くさせて頂きます。」
ブロンコは満足そうに微笑んだ。
同僚である傭兵達をかつての其れと同じにしない為、そしてユーゲンを死なせない為に自分は小銃を撃ち続ける。
それこそが人非人のような父への最大の復讐となる気がした。
窓の外の太陽が、繋留塔に突き刺されていた。